読み切り作品
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
誰にでも、どうしようもなく、
やるせない気分になる時がある。
大したことじゃない。よくある話だ。
仕事で後輩がミスをして、とばっちりを食らう。
お客様にも怒られ、そしてそれを上司にも怒られる。
トラブルの処理に追われて、ろくに昼ごはんも食べれない私を横目に、後輩は人気のイタリアンランチに行った。もちろん、後輩のミスは指導係である私の責任だ。それは充分わかっている。それが、たとえ、私が今まで散々その子に、気を付けてね、と注意して、こちらも気を使って見ていたとしても、だ。
部屋に入る前に、ふうー、と、一度大きく息を吐く。
いつまでもこんな気持ちを引きずってたらいけない。今日は、せっかく あの子が来ているのだから。
ガチャリ、とドアを開けて、玄関で「ただいまぁ!」と明るい声を出す。
短い廊下の先から、ひょこっと瑛二が顔を出して、にっこりと微笑む。私もそれに釣られてすこし微笑んだ。
「さくらちゃん、おかえりなさい」
「ごめんね、遅くなっちゃって……」
「俺は全然大丈夫だよ。お疲れさま」
ご飯もできてるから食べよう?と言われて、ダイニングテーブルを見ると、私の好きなおかずばかりが並んでいて、ただそれだけのことで涙腺が緩みそうになってしまって、私は目元にきゅっと力を入れた。
部屋着に着替えて、テーブルに着くと、美味しそうな匂いで小さくお腹が鳴る。そういえば、昼は掻き込むようにおむすびを一つ食べただけだった。
「いただきます」
温かい食事で私はようやく少しほっとした気分になった。
「瑛二、先に食べててよかったのに…。ごめんね、遅くなって」
「もう、さくらちゃんってば、さっきから謝ってばっかりだよ。俺だって仕事が長引くことあるんだし、大丈夫だから気にしないでよ。それに、俺が、君と一緒にご飯を食べたかったんだから」
そう言って、やさしく微笑む瑛二に、私の涙腺はまたもや緩みそうになって、もう一度きゅっと目元に力を入れた。
こんなにいい子が自分の彼氏だなんて本当に信じられない。
★☆★
瑛二と、その兄である瑛一くんとは幼馴染だった。
私が小学校に入学する前に、鳳家の隣りに引っ越してきたのだ。2人の兄弟のちょうど間の年齢だった私は、瑛一くんを兄のように慕い、瑛二を弟のように可愛がった。
瑛二と姉弟みたいに過ごした関係に変化があったのは、私が高校を卒業する前の日だった。
家から少し離れた女子校に通っていた私は、前みたいに鳳兄弟と過ごすことは少なくなっていた。
その頃にはもう瑛一くんは家を出ていたし、瑛二とはたまに近所で会うと公園で他愛もない話をしたり、一緒にコンビニに行って、夏はアイスを食べたり、冬は肉まんを食べたり、そんなことはしていたけど、人目が気になるお年頃だったので、もうお互いの家に行き来するようなことはなかった。
その日、いつもの公園で瑛二と他愛もない話をしていた。
なんとなく、瑛二がソワソワしてるような気がして、なにか話したいことがあるんだろうとは思ったけど、無理に聞くのも嫌なので、本人が話し出してくれるのを待っていた。
好きな子ができた、とか、彼女ができた、とか、そんな話だろうか、なんて思っていたので、その言葉を聞いた時に、自分の恐ろしいまでの鈍さに自分で驚いた。
「さくらちゃんのことが、好きなんだ。
俺と、付き合って欲しい」
瑛二は昔から私に懐いてくれていて、小さい頃は「おとなになったら、ぼくとけっこんしてね」なんて、可愛いことを言ってくれていたものだから、一瞬その延長かと思って、瑛二を見つめると、その瞳はもう幼い少年のものではなかった。
その時にようやく私は気付いたのだ。瑛二の身長がとっくに私の身長を追い越していたことを。“ぼく”という一人称がいつの間にか“俺”に変わっていたことを。
なんて言ったらいいのか分からなかった。
決して嫌なわけじゃない。でも、幼い瑛二の天使みたいな無邪気な笑顔が頭の中でちらついて、どうしよう、と思った。
春になりかけの、でもまだまだ冷たい風が私の頬をくすぐる。寒いはずなのに、体の中からポカポカしたものが湧き上がって、背中に一筋の汗が流れた。
私の困惑が分かったのか、瑛二はいつもの穏やかな微笑みでこう言った。
「返事は、すぐじゃなくていいから。君が、俺のことをずっと弟みたいに思ってくれてたのは知ってる。でも、これからは、少しずつでもいいから、俺のことを一人の“男”として見て欲しいんだ」
その穏やかな笑みに似合わない、強い言葉だった。
「さくらちゃんは俺のことを弟みたいに思ってたかもしれないけど、俺は君のことをお姉ちゃんみたいに思ったことは一度もないよ。初めて出会ったあの日から、ずっと、俺にとっては、可愛くて大好きな女の子のままなんだ」
そんな言葉に、ときめかない女子はいるのだろうか。
体の中のポカポカした熱はとうとう顔にまで上がってきて、その時の私の顔はきっと耳まで真っ赤だったと思う。
冬の終わりの日に、私はあの子に恋をした。
★☆★
あの時にはすぐには返事をしなかったが、結局2ヶ月も経たないうちに私は正式に返事をして、瑛二と付き合うことになった。
でも、しばらくの間は、今までの、どこか姉弟みたいな感じが癖付いていて、本当に恋人らしい関係になってきたのはここ最近の話である。
ご飯を食べ終わって、2人で後片付けをした後、ソファに並んで座って、瑛一くんがゲスト出演している番組をボーっと見ていた。「瑛一くん、相変わらずだよねぇ」なんて言いつつも、私の心はなんとなく重たいままだった。
私はその重たさをどうにか取り除きたくて、他愛もない話をペラペラと瑛二に喋っていた。
すると、最初はうんうんと私に合わせて笑ってくれていた瑛二の顔が、ふと真顔になる。
「……仕事で、なにかあった?」
瑛二の手が、私の髪の毛を梳くように撫でる。
チラリと上目遣いで見ると、その目尻がふわりと優しく微笑んでいて、私の涙腺はまたしても緩みそうになった。
「帰って来てから、ずっとそんな顔してるよ」
私の髪の毛を撫でていたその手が、今度は頬にやさしく触れる。
私は何だか気まずくなって視線を逸らすと、目尻にあたたかくて柔らかいものが触れた。吐息が触れるくらいのところに瑛二の顔があって、目尻にキスされたことを知る。
「泣いても、いいよ」
その言葉で、どうにか今まで踏ん張ってきた涙腺が、いとも簡単に決壊した。ボロボロと流れる涙をどうにか隠したくて、私は瑛二に抱きついてその胸元に顔を埋めた。
「瑛二はいっつもそうやって私を甘やかすんだから!」
泣いてしまったのが悔しくて、少し怒ったように言うと、瑛二は宥めるように私の頭を優しく撫でる。
「さくらちゃんがいつも頑張ってるのを知ってるからだよ。だから、俺は君のことを甘やかしたくなるんだ」
そんな、大人の男みたいな包容力のある言葉を言われたら、もうどちらが年上なのか分からなくなってしまう。
「君が、強がりで、でも臆病で、本当は誰よりも優しいってこと、全部知ってるよ?だって、小さい頃から君のことだけをずっと見てきたんだから」
「……どんな君だって、大好きだよ」
その愛の言葉に、私はもう胸が詰まって、なにも言うことができなかった。収まりかけていた涙がまたポロリと溢れた。瑛二の指が、そっと私の目尻を拭う。
うまく言葉で表現できない代わりに、私は初めて自分から瑛二にキスをした。
瑛二は少し驚いた顔をして、でもすぐに「うれしい」と小さく呟いて、お返しのキスをしてくれた。
甘いキスを繰り返している間に、瑛二の指が私の指の間に絡みついて、ぎゅっと強く握ってくる。どこでこんな手の繋ぎかたを覚えたの、なんて思いながらも、私も自分の指をぎゅっと絡める。
二人の手のひらの熱だけで世界が溶けそうな気がした。