その瞳の名前は、
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スタイルが良ければモデルになれたかもしれない。
演技力があれば女優になれたかもしれない。
ダンスが踊れたらアイドルになれたかもしれない。
顔が可愛いというだけで、それらを何も兼ね備えていない私は何にもなれなかった。ついでに言うと、コミュニケーション能力もなく、さして頭もよくないので、学校や職場では男の人からは無駄にちやほやされ、女の人からは無駄にやっかみを買い、次々とコミュニティを破壊していくクラッシャーと化していた。
どのコミュニティにも属せない私は、ひとりで仕事をして生きて行くことを選んだのである。
「〇〇さん、さすがですね!」
そんな私は笑顔の仮面を被り、今ここにいる。
俗にいう、ギャラ飲み、という場である。
今日の相手はテレビ関係の人達だと聞いている。
向かいに座る友人と目が合うと、小さくウインクを飛ばされた。どうやらちゃんと間違っていないようだ。
「えー、知らなかったですぅ」
ちょっと語尾を可愛くしすぎた。わざとらしかったか?と心配したが、隣りのでっぷりと腹の出た中年男性は「まあ、キミはまだ若いからねえ」と満足そうだった。
「すごいです、◯◯さんって」
尊敬の眼差し、みたいな表情を作ってみるが、本当にこれが合っているのかは分からない。ただ、もうすでにビールもワインもしこたま飲んでいるこの男には関係ないようで、自慢げにハッハッハと豪快に笑いながら肩に腕を回された。心なしかその手が何だか脂ぎっている気がする。
(さしすせ………あれ、“せ”ってなんだっけ?)
ここに来る前に、向かいの華麗に微笑む友人に叩き込まれた、女のモテフレーズの“さしすせそ”だったが、“せ”が思い出せない。最後の“そ”は“そうなんですね”というのは覚えているのだが。
思い出せない“せ”をグルグル考えていると、「どうしたの?」と顔の近くで男の酒臭い息がかかった。そろそろ一旦休憩を挟もうか。
「あっ、ゴメンナサイ。ちょっとお手洗いに……」
肩に乗った男の手を叩き落としたいのを我慢して、そっと手を払った。友人をちらりと見ると、“ちゃんと戻ってこいよ”の圧を目力で感じとった。
ゆっくりめに用を足して、ゆっくりめにメイクと髪の毛を直す。もう少し籠もっていたいが、あまり長いと大の方か吐いてるかのどちらかと思われる可能性が高いので、渋々トイレのドアを開ける。
目の前に、鏡に映るもうひとりの自分がいて、一瞬ビクリとする。ここに来る時も思ったが、フロアからトイレに繋がるこの短い廊下だけは、床以外すべて鏡張りになっていて、落ち着かない構造になっている。これで床まで鏡だったら完全にアウトだろう。
鏡の中の自分を見つめる。
メイクは派手にならないように、胸下まである黒髪は重くなりすぎないように毛先だけゆるく巻いている。清楚なパステルブルーのドレスは友人から借りたものだ。
「あんたみたいなタイプの顔って、男ウケいいのよね〜!」
カラカラ笑いながらそう言った友人は、前に私がお金欲しさに体験入店したキャバクラのNO1キャストだった。あまりのコミュ力のなさに、店長から「キミ、顔だけはめっちゃ良いのにねぇ」と同情するような声を掛けられて、トボトボ帰るところを面白がって声を掛けてくれた。
それから普通に遊びに行くこともあれば、私がお金に困っていると、こうやってギャラ飲みの場に誘ってくれた。
照明が鏡に反射してきらきらと輝く。
こうやって自分を見ると確かに悪くはないと思うが、所詮ハリボテのきらきらだ。
「これじゃあ、“港区女子”のコスプレだわ」
はっ、と自嘲気味に笑うと同時に、カチャリと静かに隣の男子トイレのドアが開いた。
出てきた人物と目が合う。やばい、今の聞かれてなかったよね?取り繕うようにニコっと微笑むと、ぷっと小さく吹き出された。はい、終わった。これ。
「コスプレ、ね。……きみ、“連れて来られた”って顔してたもんね」
ふふっと笑われるが、それは決して嫌な笑いではなかった。
自分ではちゃんとできていたつもりだったが、この人にはバレていたようだ。そんなことも知らず、先程の振る舞いをしていたかと思うと気まずくなる。何だか途端にまたあの中年男のもとに戻るのが嫌になってくる。途中で帰ったらギャラは全額貰えないだろうか。
小さくため息を吐いて、フロアに戻ろうとすると「ごめんね、怒った?」と声をかけられる。不機嫌になったように見えたのだろうか。
「怒ってはないです。ただ、“連れて来られた”っていうか、正しくは“お金に釣られて来た”なんですけどね」
取り繕っているものすべてが面倒くさくなってしまって、正直に言うと、その人はさらに楽しそうに笑った。
「まあ、それを言うと、ぼくだって次の仕事を取りたくて付いて来ただけだからね〜!」
あっけらかんと言い放つその顔は、人懐っこい笑顔を浮かべている。自分と違って、コミュ強の雰囲気をひしひしと感じる。
「ねぇ、あっちで少し話さない?」
鏡張りの廊下を抜けてフロアに入ると、彼はそう言って、フロアの隅にあるバーカウンターを指さした。
正直、もはやあの中年男の隣りに戻る気がすっかり萎えていたので、その申し出はありがたかった。
「……でも、」
一応、あちらを気にするフリをすると、「ちょっと待ってて〜!」と彼は足早に中年男の元に行き、少しなにかを話してまた足早に戻って来た。
「大丈夫だってさ!」
ポンと軽く肩を叩かれ、バーカウンターに促される。なにが大丈夫なのだろう。そして、この感じ。もしかして、私、この人に狙われてる?まあ、そうだとしても適当にかわして帰ればいいか。お酒の強さには自信がある。
「……あの、なんて言ったんですか?さっき」
「ああ、あのね、“あの子、気に入ったからぼくがお持ち帰りしてもいーい?”って言ったんだよ。あのディレクター、結構色々とぼくに貸しがあるんだよね〜♪……あ、本当にお持ち帰りするつもりはないからね!ちゃんと帰してあげるよん☆」
彼はふふっと少しイタズラめいた顔で笑った。何者だ、この人。と思って不思議そうに見つめると
「自己紹介まだだったね。寿嶺二です♪」
そう自己紹介してくれながらも、僕の事知らないかな?という雰囲気だったので、まずい、と思った。テレビ関係と聞いていたから、ディレクターやプロデューサーの裏方のお偉いさんばかりだと思っていたが、多分この人は表に出てる芸能人のひとだ。確かにすごく整った顔とスタイルをしている。
「えーっと、芸能人、の方ですよね……?」
自分の声に、明らかに戸惑いの色が混じった。コミュ力の無さというのはこういう時に発揮されるのだ。
「アイドルやってるよ☆まあ、最近はバラエティとかに出ることが多いんだけどね〜」
アイドル。なるほど。どうりで造形がいいはずだ。
「すみません…存じ上げなくて……うち、テレビなくって…」
それは本当のことだった。だって、テレビなんて置いてしまうと某局の受信料を徴収されてしまうではないか。
寿さんはすこし物珍しそうな目で私を見たが、私が彼を知らなかったことに関しては、特に何も気にしてないようだ。
促されるような視線を送られて、私は名前だけを言って、職業はあえて言わなかった。一応、フリーでデザイン系の仕事をしているが、下請けのさらに下請けのようなもので、デザイナーという肩書きはつけれない。そもそも、この仕事で稼げていないからこんな場に居るのだ。
「よろしくね、さくらちゃん」
早速下の名前を呼ぶその親しげな声色に、この人、絶対に人たらし、女たらしだと思った。コミュニケーション能力の差というのはこういう所に出るのだ。きっと。
寿さんは、今日のこの会合がどういったものなのか、メンバーはどんな人なのか、そういった とりとめのない話で私のことを和ませようとしてくれたが、私はただ うんうんと相槌を打つだけで、うまく返してあげることもできなかった。多分、もう30分もすれば“つまらない女”と思われるだろう。いつものパターンだ。
だんだんと頼むカクテルの度数を上げる。
なんだろう、こんなことは今までにも何回もあったが、今日は何となく、いたたまれない気分を酔いですこしだけ誤魔化したかった。
アルコールでちょっとだけいい気分になった私は、頬杖をついて、寿さんの横顔を見つめる。
やっぱりこの人、骨格がとても綺麗だ。昔、吐くほどデッサンの練習をしたおかげで、私の目には何となく骨格と筋肉が透けるように見える。
「ことぶきさん、骨格がきれいですよね」
思ったままのことをポロっと言ってしまった私に、寿さんは、骨格?ときょとんとした顔になって、また楽しそうに笑う。
「骨格褒められるなんて、はじめてかも!目はよく褒められるし、自分でもチャームポイントだと思ってるんだけど」
そう言って、私の目の奥の方までじっと見てくる。
確かに、その大きくてぱっちりした垂れ目は印象的だ。
この人、骨格は男らしい要素しかないのに、甘めの雰囲気があるのはこの目のおかげだろうか。そんなことを思いながら、私もまた寿さんの目の虹彩をじっと見つめる。
(不思議な色)
ベージュのようなグレーのような、淡い色。グレージュという色で決めつけるのは少し違う気がする。
私は自分の脳内でパレットを探す。油絵具でもアクリルでもない。透明感のあるこの色は水彩絵の具じゃなきゃ出せない気がする。久しぶりに自分の頭の中で色とりどりの絵の具が広がる。同じ色の名前が付いていてもメーカーによって若干色味が違うのだ。
「……W139、かな?」
ぼそりと口に出してしまった。寿さんが不思議そうに、「なんの暗号…?」と聞く。
「絵の具の色番です。…ことぶきさんの目の色、不思議な色だから、どうやったら表現できるのかなって」
ぱちくりと瞬きするその瞳をもう一度覗き込む。
これは、ひとつの絵の具で表現できそうにない。もう少し、グレーを足したい気がする。
そんなことを考えながら、ずっとその瞳を見つめていると、寿さんの目が、ゆるやかにカーブを描き、やわらかく微笑む。
「さくらちゃんって、絵を描くひとなの?」
「正確には、描いていた、ひと。ですけどね」
そう、描いていた。心がぽっきり折れたあの日までは。
今の仕事はクライアントの要望に沿って、デザインを切り貼りするだけで自分で一から作り出すこともない。
“絵を描く”という行為はこの数年していない。箱の中にぐちゃぐちゃに入れられた画材たちは日の目を見ることなく眠っている。
「今は、描いてないんだ?」
寿さんから目を逸らして、こくりと小さく頷く。
「……なんで?って、聞いてもいい?」
「……よくある話ですよ。本物の才能がある人間には、私が血反吐を吐いて努力してもかなわないって、気付いただけです」
どの世界でもよくある話だ。
中学までは確かに私も天才だったのかもしれない。小中の夏休みの絵画コンクールは総ナメして、いくつもトロフィーを貰った。高校は美術専門のコースがある学校を選んで見事に合格した。そこまでは良かったのだ。
高校に入って少し風向きが変わる。天才というものはゴロゴロいたのだ。それでも、その時はまだ努力で喰らいついていた。メンタルが追い詰められて吐いて、利き手は腱鞘炎になるくらいデッサンの練習をした。それでも日本でいちばんの美大には受からなかった。私立の美大に通ったが、4年生を目の前にして何かがぽっきり折れてしまって、自主退学した。そして、無駄に奨学金という借金を背負うはめになった。
そんな私のつまらない話を、寿さんは真剣に聞いてくれた。つまらない話でしたね。と最後に付け加えると、寿さんは「そんなことないよ」と真面目な顔で、はっきりした口調で言った。笑って流されるかと思ったのに、勝手にすこし気まずくなって、4杯目に頼んだマティーニを舐めるように一口すすった。
「……ぼくもさ、昔、そんなことがあったから。少しだけ、分かるよ」
そう言って、寿さんはすこし自分の話をしてくれた。
子供の頃にスカウトされて、デビューして大ヒットしたこと。でも、その人気は長く続かなかったこと。腐っている時に早乙女学園に入って、周りの才能に凹んで嫌になったこと。それでも、仲間と夢を目指して頑張ったこと。今は若い才能にいつ追い越されるか少しひやひやしていること。
多分、私も寿さんも、初対面のこの行きずりの関係だからこそ、こんなに饒舌になっているのだ。
「でも、ことぶきさんは努力が実ったから、こうやってここに居るんですよね…?」
「…うん。そう、だね。……そうなんだ。だから、ぼくは……しあわせ、なんだよ……」
最後のほうは独り言のような、まるで自分自身に言い聞かせるような言い方だった。
天井のシャンデリアの輝きが、寿さんの瞳を揺らす。その揺らめきが一瞬泣いているように見えた。
(光と、影)
私の頭にはデッサンの基本中の基本である、まぁるい球体の画が思い浮かんだ。光と影、そのふたつで球体の立体感を引き出すのだ。
寿さんも同じなのだと思った。スポットライトできらきら輝き、足元には影が落ちる。そうやってこの人は形成されているのかと思ったら、自分の中でなにかが湧き上がる。
(この人のこと、描いてみたい)
こんな感覚は久しぶりだった。しかも、吐くまで描いて大嫌いになったデッサン画を描きたいと思ってしまった。
「……ことぶきさん、」
その名前を呼んだ時にタイミング悪く、あちらで盛り上がっていたお偉方の撤収の声が聞こえた。もちろん、寿さんもそれに気づいたようで、
「あっちと被ったら嫌だし、早く出よっか」
そう言って、私の手をやや強引に掴んで店から出た。
店を出て、大きな通りに出ると、寿さんは「ごめんね」と、やさしく言って、私の手を離した。
すこしだけ秋の気配を感じる風が頬を撫でる。アルコールの残る体には気持ちがよかった。
「お家、どっち方面?」
「◯◯方面です」
「じゃあ、ぼくと反対方向だね。タクシー拾うから、ちょっと待ってて!」
そう言って、車道の方へ向かおうとする寿さんの腕を、私は反射的にがっしりと掴んでいた。
「……?」
寿さんは首を傾げてこちらを見ている。
「あの……、」
「セックス1回で、デッサン1枚描かせて貰えませんか?」
最後に飲んだマティーニのアルコールが、私にとんでもないことを口走らせた。
本来だったら、美術モデルには相応の報酬を払うのが常識だ。ましてや相手は芸能人である。でも、今の私は今日のギャラ飲みのお金でやっとお肉が食べれる!と喜んでいるほどの懐事情なので、私が渡せるものはもう私自身くらいしかないのだ。
寿さんは、きょとんとした顔で私を見つめる。そして、ぷっと吹き出して、おもしろそうに笑った。
「一瞬、誘ってる?って思って、ドキっとしちゃったけど、絶対に違うよね!君の場合、デッサンの方が本当に本当の目的だもんね」
「すみません…金銭的に余裕がないので。差し上げれるものが私くらいしかないんです」
「……さくらちゃんって、ほんっとに面白いよね。
いいよ!別にセックスしなくても、デッサンくらい描かせてあげるよ。……ぼく、君のその瞳に見えてる世界にちょっと興味あるんだよね」
そう言った寿さんの瞳は、都会の夜景が映り込んだみたいにきらきらと輝いていた。