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「その日だけは、どれだけ遅くなっても、ほんの少しだけでもいいから会いたいんです」
普段はわがままの欠片も言わない彼女が、年に一度だけぼくのために、可愛いわがままを言う。
それが、7月13日。
ぼくの誕生日だ。
◆◇◆
この数年、嶺二の誕生日に仕事が休みになることはなかった。
それ以前は、誕生日どころか他の日だってスケジュールがガラガラに空いている時期もあった。
だから、誕生日だろうと仕事をもらえるだけでありがたいことだと思っていたのだ。
それに、そもそも、ある程度の歳を取れば自分の誕生日だからといって、特別に嬉しいこともなく、むしろほんの少しの抵抗感があるくらいだった。
でも、さくらと出会って、そんな考えは変わった。
「嶺二さん、お誕生日はお仕事ですか?」
付き合いだしてから初めての嶺二の誕生日に、ふとそんな事をさくらに聞かれた。
あまり誕生日だということも意識せずに、普通に仕事を入れてしまったことを嶺二は少し後悔する。
先に来たさくらの誕生日には、半ば無理やりオフを捩じ込んだというのに、自分の誕生日のことなんてすっかり忘れていた。
「あー…………そうなんだよね。
その日は朝から夜まで仕事が入ってて……」
少しだけ気まずさを感じて、頬を指で軽く掻いて目を逸らす。
「あの、その日、ご迷惑でなければ、嶺二さんのお家で待ってたら、ダメ、ですか……?」
「えっ、ぼくは全然いいんだけど!……でも、何時になっちゃうか分からないよ?結構遅くなるかもしれないし」
「……どれだけ遅くなってもいいんです。
どうしても、嶺二さんのお誕生日に直接顔を見ておめでとうって言いたくて……」
わがままを言ってごめんなさい。
ちらりと申し訳なさそうな上目遣いで、小さくつぶやいた彼女の、どこがわがままだと言うのだろう。
そのいじらしさに、思わずぎゅっと抱きしめる。
「我儘なんてとんでもない!……すっごく嬉しいよ。ありがとう、さくらちゃん」
じわりじわりと、胸の中があたたかいもので満たされていって、どうしてだか少しだけ泣きたいような気持ちになった。
◆◇◆
(ありゃ、寝ちゃってる)
さくらと付き合いだしてから数年経った。
その習慣はまだ続いているが、今年はすこし様子が違うようだ。
今まではいつから待機してたんだと思うくらい、嶺二が帰ると玄関でばっちりお出迎えしてくれていたが、今日は玄関の扉を開けても静かなまま。
一瞬、来ていないのだろうかと不安を覚えながらもリビングに行くと、ソファでぐっすりと眠る彼女の姿があった。
嶺二は起こさないようにそっと近付くと、さくらは胸元でスマホを大事そうに握りしめて眠っている。
1時間ほど前に嶺二の仕事が終わって『今から帰るね☆』とメッセージを送った時には、すぐに返事があったので、その時までは起きていたのだろう。
今やさくらだって嶺二と同じくらい忙しいはずだ。
それなのに、毎年必ずこうやって会いに来てくれることがどんなプレゼントよりも嬉しかった。
「いつもありがとね、さくらちゃん」
こうやって、さくらが少し気をゆるめて寝てしまったことに嶺二は嬉しくなる。それだけ付き合いが長くなって、気を張らなくなったということだろう。
そして、自分が送ったメッセージを開いたまま、スマホを握りしめてしあわせそうな顔で眠っている、そんな姿にどうしようもなく愛おしさが溢れて、そっと頬に口付ける。
「…………ん、」
もぞりと小さく動いた後にそっと目が開く。
その瞳を覗き込むと、だんだん焦点が合ってきて、こちらを認識すると、ふにゃりとその瞳が嬉しそうに笑った。
「嶺二さん、おたんじょうび、おめでとう」
呂律の回っていない寝ぼけた口調が、あまりにも可愛くて、でもすこし可笑しくて、嶺二は吹き出しそうになったが、それを何とか抑える。
「うん、ありがとう」
嶺二もニコニコしながらお礼を言うと、さくらもまた嬉しそうに目を細めた。
しばらくそうやって見つめ合っていると、その瞳がうつらうつらと現実と夢の間を泳ぎだした。
「もう寝てもいいよ」
寝かしつけるようにさくらの肩をポンポンとやさしいリズムで叩く。
「おたんじょうびプレゼントはなにがいいですか?」
むにゃ、と、もうほとんど目も開いておらず、夢の中に半分以上は浸かってそうな曖昧な口調で問うさくらに、思わず笑いがこぼれる。
「そうだね、何がいいかなぁ」なんて、適当に答えながら、よしよしとさくらの頭を撫でると、その身体からだんだん力が抜けていって、最後には小さな寝息が聞こえてきた。
「プレゼントなんて、もう十分すぎるくらいもらってるよ」
今までだって、沢山の人達が自分の誕生日を祝ってくれた。
それでも、居なくなった親友のことを想って、自分の存在が許せない時があった。
でも、さくらが自分の頑なだった心を溶かしてくれた。
「だから、もう、なにも要らない」
毎年毎年、嬉しそうにニコニコ笑って「おめでとう」と言ってくれる。
その顔を見るだけで、心底しあわせな気持ちになって、生まれてきて良かったと思えるようになった。
「これからも、ずっとぼくの傍にいてね。さくら」
返事はない。
規則正しい寝息だけが、小さく聞こえる。
それでも、その唇は少しだけ嬉しそうに笑った気がした。
今度こそ起こさないように、そっとやさしく唇にキスを落として、その寝顔を飽きることなく見つめた。
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