裏僕小説その5


橘さんから、鍵付きの日記帳を戴きました。

僕は今まで日記を書いたことがありませんでしたが、

「毎日の出来事や自分が思ったことを日記に綴ることで、気持ちの整理が出来るんヨ。それに、後で読み返した時にきっと良い思い出になる。日記は文字のアルバムでもあるんヨ」

と、橘さんに強く勧められました。

なるほど、と思うところもあったので、今日から僕が過ごした日々の出来事などを書いていきたいと思います。










火曜日。晴れのち曇り。



ようやく中間テストが終わり、皆は朝から気が抜けたみたいです。

今日の僕の護衛は、黒刀くんと愁生くんが担当してくれました。

愁生くんは、風紀委員の他にも、生徒会、学園祭実行委員を兼任されていて、これから委員の仕事が忙しくなるので、一緒に帰ることは難しくなるそうです。

中間テストが終わると、泉摩利学園に学園祭の季節が訪れました。

転校してから、初めて迎える学園祭、すごく楽しみです。

クラスごとの催し物は、全学年のクラス委員長がクジ引きで決めるそうなので、ホームルームの時間に、くじを引いた委員長が1-7の出し物の発表をしたのですが……。





「ミュージカルーー!?」



黄昏館に帰宅して、学園祭の出し物が決まったことを伝えたら、十瑚ちゃんをはじめ、皆はとても驚いていました。

「へえ、面白そう。俺もそっちがよかったな」

お菓子を食べながら羨ましそうに言う九十九くんのクラスは、喫茶店に決まったそうです。

「でもただの喫茶店じゃなくて、コスプレ喫茶なんだ」

九十九くんの隣に座った十瑚ちゃんが、嬉しそうに言います。

「九十九は執事の衣装を着るのよね~。きっと似合うわ、あたし、絶対見に行くからねっ」

「うん、待ってる。でも、十瑚ちゃんのメイド姿も見てみたかったな。きっと、すごく可愛いから」

「やだわ九十九ってば。お姉ちゃん恥ずかしいじゃない…」

頬を紅く染める十瑚ちゃんと、十瑚ちゃんを見つめる九十九くん。

お二人はいつも仲が良くて、とても微笑ましいです。

ですが、向かいに座った焔椎真くんと黒刀くんは、そんなお二人を睨み付け、テーブルをばんっ!と叩きました。

「だあーっ!!部屋でやれよ馬鹿姉弟!俺は今すっげえムカついてんだ」

黄昏館に帰宅してからというもの、焔椎真くんと黒刀くんはずっと機嫌が悪いです。

原因はきっと、同じくクジ引きで決めた配役に不満があるのだと思いますが…。

「ねえゆっきー。みゅーじかるって、なあに?」

僕の服の袖をくいっと引っ張るソドムは、不思議そうな顔で首を傾げています。

同じく僕の隣に座ったルカも、解らないと僕を見つめていました。

二人はきっと、学園祭もミュージカルも観たことがないのかな。

「えっと、ミュージカルっていうのはね、歌とダンスとお芝居を組み合わせた、演劇のことだよ」

「奇怪なことをするな、ニンゲンは」

「へえー。ほっつーとくろっぴ、おどるのー?」

無邪気に尋ねるソドムに、お二人の額がぴきっ、と音を立てました。

「くっ…。文句なしのクジ引きとはいえ、何故この僕が芝居などっ…」

「誰だよ、候補にミュージカルなんか入れやがったヤツは!おまけにあの委員長のクジ運の悪さときたらっ…」

「ああ、候補に挙げたのは俺だよ。でもまさか、夕月たちのクラスに当たるとは思わなかったけどな」

笑いを堪えて言う愁生くんは、なんだかとても楽しそうです。

「愁生、お前のせいで俺はなあっ!」

「まあまあ、楽しそうじゃない、ミュージカル。学生っていいなあ。それで、演目は決まったの?」

僕は鞄の中からクラス全員に配布された台本と楽譜を、千紫郎さんに渡しました。

「『吸血鬼伝説』。へえ、もう脚本は出来上がってるんだ」

「はい、クラスに文芸部の方がいて、演劇をするなら是非これを使って欲しいって、すぐに決まったんです」

「それで、ゆっきーはなんの役なの?」

「僕は裏方の、大道具小道具制作です。焔椎真くんと黒刀くんが…」

「うわあー!言うな夕月!」

「焔椎真は主役の吸血鬼。黒刀は吸血鬼に恋をする女の子の役だよね」

「なんで知ってんだ九十九ー!」

「ええ~、夕月ちゃんは裏方なの?配役間違いよ」

頬を膨らませて残念がる十瑚ちゃんとリアちゃんとは対照的に、千紫郎さんは満面の笑みを浮かべています。

「黒刀は女装しても可愛いんだろうなあ~。ああ、俺も高校生になりたい…」

「顔が崩れているぞ千紫郎!」

「学園祭は一か月後だけど、今から練習して間に合うの?」

「ぎりぎりですね。さっそく明日から、休み時間と放課後朝練返上で稽古だそうです」

その間に、悪魔が襲って来ないと良いのですが。

「私、歌唱とダンス指導してあげようか?これでも一応、元アイドルだし!」

「いらねえよ!誰が稽古なんかするか!」

リアちゃんの元気な挙手に、焔椎真くんは背を向けて突っぱねてしまいます。

十瑚ちゃんが、黒刀くんもびしっと指差して、お二人を諌めました。

「あのねー、あんた達がろくな稽古もせずに、ど下手なミュージカルを上演して、困るのはクラスの皆なのよ?夕月ちゃんの頑張りも無駄にするつもり?」

「そうよ、ゆっきーに恥をかかせないでよね!」

「ぐっ…」

言葉に詰まって項垂れるお二人を、楽しそうに眺めていた橘さんが、今まで黙って傍観していた斎悧さんに目を向けました。

「りーくんも俳優さんなんだし、この二人に演技指導してあげたら?」

「冗談だろ?なんで野郎のために時間を割かなきゃならない?」

「まあそう言わずにサ、あっ、学園祭って、他校の可愛い女の子達も大勢来るんだよネ。泉摩利は生徒数も多いし、毎年大々的に開催されるんヨ。斎悧くんが演技指導監修しましたなんて噂が耳に入れば、女性がよりどりみどりだネ~」

斎悧さんは、ふうと溜息を吐いて、渋々台本を手に取りました。

「…ったく。この俺が直々に指導してやるんだ。半端なもの作りやがったらぶっ飛ばすぞ」




かくして、斎悧さんの一声により、さっそく稽古が始まりました。





僕達は楽器を弾けないので、愁生くんにピアノの伴奏をお願いしました。



皆が見守る中、焔椎真くんと黒刀くんの歌稽古が始まります。

「まずはくーちゃんからね。ワンフレーズだけ、軽く歌ってみて」

入念な発声練習の後、楽譜とにらめっこする黒刀くん。

ピアノの伴奏に合わせ、黒刀くんが大きく息を吸い込みます。





「~どお~してぇぇ~あなたはぁぁ~悲しぃぃ瞳でわたしを見つめるぅのぉぉぉ~~~」





「…黒刀。演歌じゃないんだ。こぶしはまわさなくていい」

すごいです黒刀くん。とても可愛いお顔をしてるのに、男らしい美声。

ですが愁生くんに駄目出しをされた黒刀くんは、納得がいかないとリアちゃんにも詰め寄っています。

「なんでだ。歌といえば、N〇Kの歌謡曲だろう。師匠がよく歌っていた」

「確かにじいちゃんは好きで聴いてたけど、演歌調のヒロインじゃ共感出来ないからね」

「僕は流行りの音楽も聴かないから、よく解らない」

「黒刀は後回しだ。じゃあ焔椎真、次はお前が歌ってみろ」

「お、おう…」

少し緊張した様子の焔椎真くんは、楽譜を握り締め…。





「~~俺はー!おまえとー!しあわせにー!なれないー!だってー!俺は吸血…!」





「ストップストップ」

歌う、というより叫び出した焔椎真くんは、愁生くんに止められます。

「焔椎真、ロックじゃないんだ。叫べばいいってものじゃない。音程がまるで合ってないじゃないか」

「だってよお、俺カラオケとか行かねえからよくわかんねえ」

「カラオケと一緒にするな」

お二人の歌唱を聴いていた斎悧さんとリアちゃんは、揃って頭を抱えます。

「駄目だなこいつら。歌唱は後回しだ。演技指導にいくぞ」





お二人の指導を早々に諦め…気を取り直して、斎悧さんによる芝居稽古が始まりました。



読み合わせなどもあるので、綾さんにもお手伝いをお願いします。

「まあ、私などでお役に立てるのでしょうか」

「綾ちゃんは発音も綺麗だし、滑舌もいいから、こいつらのお手本になってやって」

「いいか、まず俺が手本の演技を見せる。演じた通りに続けてみろ」

斎悧さんは優雅な仕草で綾さんの手を取り、悲し気に瞳を見つめます。

「―あなたを愛してしまったから、俺はもうあなたの傍にいられない」

「…うわあ、すごいです斎悧さん」

綾さんも見惚れて台詞を忘れるほど、皆が斎悧さんのお芝居に感嘆していました。

「ほら、やってみろ。主人公の気持ちになれよ」

指名された焔椎真くんは、黒刀くんの手を(ものすごく嫌そうに)取り、台本を見つめます。

「あ、ああなたをアイ、愛してしま…しまったから…」

「…焔椎真。幼稚園のお遊戯会じゃねえんだよ。直立で棒読みはやめろ」

言い慣れない言葉に我慢の限界が来てしまった焔椎真くんは、台本を床に投げつけてしまいます。

「やってやれるかーー!練習なんかやめだ!」

「はあ…。この分じゃ、ダンスも壊滅的だな。いくらクジ引きとはいえ、采配の神も人選を間違えている」

たしかに、配役が決まった時は、クラスメイトの皆さんは大ブーイングでしたが、せっかく皆で作り上げるミュージカルです。

このままでは斎悧さんも匙を投げてしまいそうな雰囲気に、僕はなんとか気持ちを前向きにしてもらおうと斎悧さんを宥めます。

「だ、大丈夫ですよ!焔椎真くんも黒刀くんも、運動神経がすごく良いですから、少し練習すればダンスもきっと上達します」

「あ、そうだルカ!ちょっと歌ってみせてよ」

リアちゃんの一言に、全員が一斉に驚いて、ルカの方を振り返りました。

壁にもたれて皆を眺めていたルカは、案の定、リアちゃんの提案を一蹴します。

「あっはっはっ!ルカくんが歌うところなんて想像つかないネ~」

お腹を抱えて笑う橘さんと、有り得ないと苦笑する皆。

ルカはそれを馬鹿にされたと取ったのか、皆を睨み付けます。

「リア、ルカが協力するわけないじゃない」

「えー、いいじゃない少しくらい。ねっ、ゆっきーも聴いてみたいよね?」

突然同意を求められたことに戸惑いながら、僕はルカの顔色を窺いました。

「えっと…ルカが嫌だって言うなら無理強いは出来ないけれど、ちょっとだけ、聴いてみたいかな…って」

「…ユキ…」

ルカは少し考え込んで、橘さんの持っていた楽譜を取り上げました。

「ええっ、ルカくんまさか!?」

「ユキが聴きたいというから…少しだけだ」

「…マジかよ…」

皆は一様に驚いた表情で、ピアノの前に立つルカを見つめています。

もちろん僕も驚いて、皆と一緒にルカを見守りました。



そして…。

伴奏が始まり、僕達は更に驚愕します。





「えええーっ!!ルカ、上手っっ!!」





ルカのまさかの美声に驚いたその後、途中から参加してくださった彌涼先生の華麗なタップダンスに驚いたり、今日は皆さんの色々な一面を垣間見ることができました。

皆と迎える学園祭が、今から待ち遠しいです。

これから稽古はもっと厳しくなりますが、来てくださる方々に最高のミュージカルをお届け出来るよう、もっともっと頑張りたいと思います。

泉摩利学園に転入して、本当に良かったです。

明日はどんなことが待っているのでしょう。

明日を迎えられることに感謝して、今日を終わりたいと思います。



木曜日。晴れ時々にわか雨。


黄昏館に、大事件が起こりました。

遠間さんが悪魔に憑かれたと、十瑚ちゃんが血相を変えて僕達のところに飛び込んで来たのです。



その日は学校はお休みで、朝食が終わった後、皆は揃って談話室にいました。

「あたし、見たのよ。昨日の夜中にふと目が覚めて、お水を飲もうとキッチンに行ったら、遠間さんが電気も点けずに魔導書(グリムワール)を見つめていたの!」

「遠間さんが、グリムワールを…?」

「そう、それに呪文みたいのをぶつぶつと呟いて、暗がりの中でにやっと笑って…「絶対に、許されない。でも後には引けない」って言ったの。それであたしが電気を点けたら、慌ててそれを隠したのよ?すっごく怪しいじゃない!」

話を聞いていた愁生くんと千紫郎さんは、にわかには信じられないといった様子で腕を組んでいました。

「その本は本当にグリムワールだったのか?」

黒刀くんが尋ねると、十瑚ちゃんは力強く頷きました。

「古めかしくて、表紙に細工が施されてた。読めない文字みたいなのが刻まれていたわ」

「うーん…。確かに今日の遠間さんは…というか、ここ最近は挙動不審なところがあったよね」

千紫郎さんの言うことに、実は僕も心当たりがありました。



最近、遠間さんはどことなく様子がおかしいのです。

いつも何時間も前に準備をして、完璧な食事を作ってくださる遠間さんが、食事の仕度に遅れたり、テーブルセッティングを間違えてお皿を割ってしまったり、一緒にお仕事をしている綾さんも、時々思い詰めた表情をしていると心配していました。

「野郎のことなどどうでもいいが。恋の悩みでもあるんじゃないのか?男の悩みっていったら、大方そっち系だろ」

「おめえと一緒にすんなよ斎悧。アイツ、どう見たってモテそうじゃないだろ」

「そうよね~。料理のこと以外は頭になさそうだし」

「さすがにそれは言い過ぎなんじゃ…」

恋の悩みの線はないと皆が断言する中、九十九くんが深刻な面持ちで呟きました。

「じゃあ遠間さんは、もしかして黄昏館のコックを辞めたいのかな」

「ええっ?どうしてそう思うの?」

「これは俺の勝手な想像だけど、遠間さんはここを辞めたくても辞められない。離職には天白様の許可が必要だけど、一族の中で遠間さんほど腕の良いコックはなかなかいない。だから遠間さんは悪魔を喚び出して、知恵を借りてどうにかここから抜け出そうとしている…」

「それはあまりに突飛過ぎるだろう。第一、コックは僕達の食事を作ることを、至上の喜びのように語っていたじゃないか」

「もしかしたら、それが嫌になったのかな。俺がごはんの前におやつを食べたりするから」

しゅん、と落ち込む九十九くんの肩を、十瑚ちゃんが支えます。

「やだ、九十九のせいじゃないわ。あたしだってダイエット中って言って、食事を抜くことがあったし…」

「まあとにかく、憶測で話し合うよりは本人に直接訊いた方が良いだろう」

「失礼します、皆さん…」

その時、ノックの音と共に、弱々しい声の遠間さんがティーセットを持って入って来ました。

「3時のお茶をお持ちしました…」

「おい、まだ午前中だ。朝食を食べたばかりだろう」

黒刀くんの指摘に、遠間さんはしまった!と、時計を見上げます。

「ご、ごめんなさい。うっかりしてて。失礼しま…うわっ!」

焦った遠間さんはカーペットにつまずいて、転んでしまいました。

ティーセットは宙を舞い、盛大な音を立てて床に落ち、割れてしまいます。

「大丈夫ですか遠間さん!」

「あいたたっ…大丈夫です。すみません夕月さん」

零れた紅茶が遠間さんの袖にかかり、僕は拭こうと手を伸ばします。

「火傷とかしていませんか?腕を見せて…えっ…?」



僕の気のせいだったのかもしれません。

でも、確かに見てしまったんです。

遠間さんの手首に、紅い印の痣があるのを…。


「遠間さん、手首の痣、どうされたんですか?」

「えっ、ああっ!こ、これはなんでもありませんっ」

遠間さんは慌てて手首を隠し、割れてしまったティーセットを片付け始めました。

音を聞きつけた綾さんがお手伝いに加わってからも、遠間さんはずっと落ち着かない様子です。

「おいコック。お前…俺達に隠していることがあるだろ」

遠間さんの態度にしびれを切らした焔椎真くんが、直球に尋ねてしまいます。

遠間さんはぎくりと身を震わせ、明らかに視線を逸らしました。

「べ、べべつになにも、ありませんが」

「とぼけんじゃねえよ!お前、アレを持ってんだろうが!」

核心をついた詰問に、遠間さんは隣にいた僕にしか解らない小声で言いました。

「どうしてそれを…」

「?遠間さん…?」

「なんのことだか僕にはさっぱり…。あ、お昼ご飯の準備をしないとっ!」

遠間さんはそそくさと、逃げるように談話室を出て行きました。

「…怪しいわね」

「九十九、神の耳でなにか聞き取れたか?」

黒刀くんが尋ねると、九十九くんはこくりと頷きます。

「焔椎真の問い掛けにすごく混乱しているみたいだった。でも心を固く閉ざしているのか、唯一聞き取れたのは、「もう一刻の猶予もない」ってことだけ」

「どういうことかしら」

「焔椎真、お前が性急過ぎるから、コックに逃げられただろうが!ああいうヤツは巧みに誘導して、尋問するのが最善の策だろう!」

「んだとマメ黒!」

小競り合いを始めてしまいそうなお二人を、愁生くんが手を打って終息させます。

「ことの真偽が判らない以上、早計に決め付けなくても良いだろう」

「そうだね。今日一日は遠間さんから目を離さないようにしよう。追い詰められた人間は、なにをしでかすか分からない」

愁生くんと千紫郎さんの冷静な判断に、皆は頷き合いました。

そこへタイミング良く、張り詰めた空気を壊すように、橘さんが入って来ました。

「あっれー、皆どこにもいないと思ったら、深刻な顔してどうしたの?」

「あっ、橘さん。実は…」

僕は橘さんに、ことの経緯をお話しました。

話を聞いた橘さんは、椅子から転げ落ちそうなほどに仰天しています。

「えっ…えええーっ!?かっちゃんが悪魔憑き!?」

「かもしれないって話だけどね」

「ま、まずいよぉ~。黄昏館の住人が悪魔憑きだなんて総帥にばれたら、ボク、監督不行き届きでクビどころか消される~!」

あわあわと慌てだした橘さんをなんとか落ち着かせ、全員での話し合いが始まります。

「だがあいつも、あんなんでも一応祇王一族だぞ。グリムワールと悪魔の怖さはよく解っているだろう」

「それは逆に言えば、祇王一族だからグリムワールが入手出来るって可能性もあるよね。ああ見えて、遠間さんも祇王一族だし、多少の魔力はあるでしょう」

うーんと唸ってしまう橘さんと、ツヴァイルトの皆。

「よし解った!僕も協力するヨ。もしもこのことが総帥の耳にでも入ったら、かっちゃんは存在ごと一族から抹消されるだろうからネ!大事になる前に、ボク達だけで解決してしまおう!」

どうしたらよいのでしょうか。

本当に、遠間さんはグリムワールを使って悪魔を召喚しようとしているのでしょうか。



昼食時、僕は遠間さんの監視も兼ねて、キッチンに向かいました。

ですがキッチンには綾さん一人しかおらず、遠間さんの姿は見えません。

「あれっ、綾さん、遠間さんはどちらに?」

「夕月さん…それが、私がキッチンに参りましたら、この書き置きがございまして」

綾さんから受け取ったメモ用紙には、

『夕方には戻ります。サンドイッチをお作りしたので、皆さんで召し上がってください』

と、書かれていました。

「珍しいですね。食事の時間に遠間さんがいないなんて…」

「ええ、私もこのようなことは初めてで、驚いております」

テーブルの上には、綺麗に盛り付けられたサンドイッチとサラダが置かれていました。

お鍋の中で、作り立てのスープが湯気をたてています。

僕と綾さんはそれらを見つめ、顔を見合わせました。



その後、談話室で話し合いが行われましたが、当の本人が不在のために、有力な情報は得られません。

こっそり遠間さんのお部屋に忍び込んだ橘さんも、グリムワールらしき本は見つからなかったと言っていました。

謎と疑惑は深まるばかりです。

「ねえルカ、遠間さんからなにか気配を感じた?」

「そうだとは言い切れないが、コックからは燃えるような熱い気配を感じている。あの興奮ぶりでは、いつ奇行に走って我を忘れてもおかしくはないだろう」

「そうか。ルカが言うんだ、ヤツがなにかに憑かれていることは間違いないだろう。コックが戻ってきたら直接訊くしかないな」

「大変ですわ皆さま!」

作戦会議をしていた僕達のところに、綾さんが息を切らせて駆け込んで来ました。

「どうしたんですか、綾さん!」

「実は先程、雑務の用事で館内を歩いておりましたら、お出かけになられた筈の遠間さんがいらっしゃったんです」

「はあ?アイツ、出掛けてたんじゃなかったのかよ?」

「書き置きには、夕方に戻りますと。…もしかして、遠間さんは出掛けたフリをして、ずっと館内にいたんでしょうか」

「俺達の食事の仕度もほったらかして、一体なにをしているっていうんだ!?」

「実は、遠間さんは私に気が付かなかったようなのですが、3階の、今は使われていない広間から、大きな物音がしたのです。私が気になってそちらに参りましたら、広間から出ていらした遠間さんが、蝋燭とロープをお持ちになって、廊下を行ったり来たりされていたのです」

「ますます怪しいな。もしや、黒魔術で高位の悪魔を召喚するつもりか」

「遠間さんが!?それで、遠間さんは大ぶりの、古い本を持っていませんでしたか?」

「ええ、古風な装飾の本を抱えておりました。それに、廊下を走りながら奇声を上げられて…。「もうすぐ報われる…、てんしょんあがるぅー!」などと、異常に興奮なさっておりました。これは夕月さん方にお話ししなければと思いまして、こうしてこちらに」

橘さんは顎に手を当てて、考え込んでいます。

やがて、なにかを決心したように皆を見渡しました。

「もうこんなところで話し合っている場合じゃないね。今すぐかっちゃんを捕らえよう。幸い君達にはそれぞれに特殊能力がある。それを前面に利用するんだ」

斎悧さんは協力に否定的でしたが、レディ(綾さん)が怯えているならと、承諾してくれました。





橘さんが指揮を執り、皆は力を合わせて館内にいる遠間さんを追い詰める作戦を実行します。

「俺、念のために、遠間さんに式をつけておいたんです」

千紫郎さんの合図で、鳥のような式神が肩にとまり、現在の状況を伝えてくれます。

「―どうやら遠間さんは地下の倉庫にいるようです」

「人気のないところをウロウロするなんて…。急ぎましょう、遠間さんが本当に高位の悪魔を召喚したら厄介だわ」

「俺が神の目で中継を繋ぐ。今現在の位置を伝えるから、さっそく捜索に向かってくれ」

「わかりました!」

ことはいよいよ緊迫した状況になってきました。

今はただ、遠間さんが潔白だと信じるほかありません。

「リアくん、りーくんは東棟、つっくん、とおこくんは西棟、ほっつーは3階、くろぴーと千くんは4階、ルカくんと夕月くんは地下を頼むヨ」

橘さんの指示を受けて、皆はそれぞれに持ち場に向かいます。

「綾さんは危ないですから、愁生くんとここにいてください」

「お気をつけて…」


僕とルカは遠間さんがいるという地下の倉庫に向かいましたが、すでに遠間さんは移動したとの情報が入りました。

3階の焔椎真くんと合流しますが、やはり遠間さんは見つかりません。

「くそっ、どういうことだよ、コックのヤツ、ちょろちょろ動きやがって!」

「…おい、ツクモから連絡が入った。コックは3階客室付近を全速力で疾走しているらしい」

「マジかよ、行くぞ夕月!」

「はいっ」

ルカと別れ、遠間さんを挟み撃ちにする作戦で、南の客室に向かうと、廊下の向こうから遠間さんがこちらに向かって駆けて来ました。

「―ふっふふ、これで、もうすぐ…って、ゆ、夕月さん!?」

「遠間さん、止まってくださいっ!」

僕達に気が付いた遠間さんはすぐに踵を返し、ルカの待ち伏せる場所とは逆方向に全速力で駆け出しました。

「おい待てコック!逃げんじゃねえ!やっぱりアイツ、グリムワールを持ってるぞ!」

「うわわあー!来ないでください、もうすぐ、もうすぐ僕はっ―!」

遠間さんは方向を変え、更に走り続けます。

「おい、コックってこんなに足が速かったのか!?」

ツヴァイルトの焔椎真くんでさえ追い付けないほど、遠間さんは素早く廊下を駆け抜けます。

「やっぱりっ、コックさんですからっ…人並より体力があるのかも!」

このままでは階をまたいで逃げられると思った時、横から黒刀くんが飛び出して来ました。

「なにをやっている二人とも!」

黒刀くんは神の足を使い、一気に遠間さんと距離を詰めます。

僕達が追い付き、遠間さんはとうとう壁際に追い詰められてしまいました。

僕達に囲まれ、息を切らせた遠間さんは、その場にがっくりと膝をつきます。

「なっ、なんで追いかけてくるんですかっ?」

「お前こそ、なぜ逃げる!?」

「皆さんが怖い顔で追いかけて来るからです!一体どうされたんですか?」

「どうかしたのはお前の方だろうコック!ホシは挙がってんだよ。さっさとその手に持っているブツをよこしな!」

まるで焔椎真くんは悪役のような台詞を吐き捨て、遠間さんに詰め寄ります。

「こ、これは絶対に渡せません!ようやく手に入れた、命よりも大切なものなんです!」

瞳をぎらつかせ、必死に訴え本を抱える遠間さんを見て、僕は切なくて、我慢が出来なくなりました。

「遠間さん!遠間さんの命よりも大切なものなんてありません。正直に話して、もうこんなことは止めてください、今ならまだ、間に合いますから!」

「ゆ、夕月さん…」

「そうだよ遠間さん。ひとりで抱え込まないで、俺達になんでも話してよ」

「九十九くん、十瑚さん」

駆け付けた九十九くん、十瑚ちゃん、リアちゃん、斎悧さんが、遠間さんを心配そうに見つめています。

皆が揃えば遠間さんを説得出来ると安心した時、遅れて橘さんがやって来ました。



「あっれ~~?捕まっちゃったの、かっちゃん。いやあ、皆のチームワークはさすがだねえ」

「橘さんっ、これは一体どういうことですかっ。皆さんを足止めしてくださいって、ちゃんと言ったじゃないですかぁ」

「えっ?」

お二人の会話に、全員が耳を疑います。

まさか、橘さんまで…。

「おい、どういうことだ橘!お前も共犯者だったのか!?」

「うーん、共犯っていうか、協力者だね。かっちゃん、もう観念して白状したら?」

やっぱり、橘さんが上級悪魔(オーパスト)というのは本当の話だったのでしょうか。

僕の中で、悪い想像が膨らみます。

「遠間さん、僕も皆さんも、遠間さんのことが大好きなんです!だから、だからもうこんなこと…!」

「ごめんね遠間さん。もうごはんの前にお菓子を食べたりしないから、思い直して?」

「それに、あたし昨日の夜中に見ちゃったのよ。夕月ちゃんも、決定的な証拠を掴んでいるわ」

「ええっ…そうなんですか…。ごめんなさい、ずっと秘密にしていたのですが、もうこうなってしまっては、仕方ありませんね」

遠間さんはふうっと疲れたような溜息を吐き、グリムワールを差し出しました。

僕にはそれが、なんだか凶器を差し出す犯人のように思えて…胸が痛みました。

「最初から大人しく渡しておけばいいんだよ。ったく、こんな危ないモン持ちやがって」

グリムワールを受け取った焔椎真くんの手元を斎悧さんが覗き込み、「ん?」と首を捻りました。

「どうしたんですか?斎悧さん」

「これ、イタリア語だぞ」

「そう、イタリア語…って、ええっ!?」

斎悧さんの指摘に、僕も本の表紙を覗き込みました。

少し掠れてはいますが、そこには確かに、アルファベットが書かれています。

「あっ、古い本なので丁重に扱ってくださいね。これは僕の父の祖父の姉の嫁ぎ先の姑の旦那さんが書いた、秘伝の献立本なんです。今回特別に貸して戴いたんですよ」

呆然とする僕達の後ろで、橘さんが堪え切れないとばかりに盛大に吹き出しました。


「ぶっ…あ、あはははっ!!君達が追っていたのはグリムワールなんかじゃなくて、ただのレシピ本だったワケよ…ぷふっ…」

「一体どういうことだ、橘…」

地の底から響くような怒りの声にも動じずに、橘さんはとうとう声を上げて大笑いしてしまいました。



遠間さんの所持していたものはグリムワールではなかったのなら、あの奇行の数々はどういうことなのでしょう。

「あの、皆さんすごく怒っているみたいですが、やっぱり隠していたのはまずかったでしょうか…」

「きちんと一から説明しろ。僕は頭が痛い…」

「大丈夫ですか黒刀くん。お薬をお持ちしましょうか?あ、もう7時だ。丁度良いですね」

「えっ、ちょうど良い?」

遠間さんは頷いて、背後の扉を指差します。

「やっぱり、きちんと用意が整うまで内緒にしておきたかったんですけど、やっぱり限界がありました。どうぞ入ってください」

遠間さんが指をさした扉は、さっき綾さんが言っていた、使われていない広間でした。

「九十九くん、この扉を開けてもらえますか?」

「俺?わかった」

談話室で待機していた愁生くんと綾さんを呼び寄せ、九十九くんが取っ手に手を掛けると、ぎぎっと軋んだ音を立てて重厚な扉が開かれました。

「真っ暗だね」

「ちょっと待っててくださいね」

遠間さんが暗い室内に入り、ポケットからマッチを取り出して蝋燭に火を点けます。

すると、周りの蝋燭に次々に火が灯り、広間を明るく照らし出しました。

「うわあ…これって…」

まるで宮殿の晩餐会に出てくるような、美しくセッティングされたテーブルと、きらびやかな装飾品が広間に飾られています。

「じゃあみんな、これを持って」

橘さんが僕達に、一本に繋がった紅い紐を持たせ、せーのでそれを引くように指示します。

「じゃあいくよー、せーの!」

ぐいっと紐を引っ張ると、天井から色とりどりの花吹雪が舞い降りて来ました。





「九十九くん」



「つっくん」





「お誕生日、おめでとうございます!」










ああ、そうか。

その瞬間、僕の中ですべてが繋がりました。

きっと皆も、同じように思っていたのではないでしょうか。










そう、遠間さんは、グリムワールを所持していたわけでも、悪魔に憑かれていたのでもなかったのです。

遠間さんは、九十九くんのお誕生日をお祝いするために、数日前から計画を練り、昨日から橘さんと内緒で準備をしていたのです。

遠間さんが持っていた、遠間さんの父の祖父の姉の嫁ぎ先の姑の旦那さんが大切にしていた献立本を、十瑚ちゃんが暗がりの中でグリムワールだと勘違いしていたのでした。

そして僕が見つけた手首の痣は、慣れない作業でぶつけて転んでしまった傷だったのです。










「ったく、紛らわしいんだよ。一日ドタバタ劇だったじゃねえか。俺らは芸人じゃねえんだぞ」

「まったくだ。人騒がせな」

「だってー。思わせぶりなことを言った遠間さんが悪いのよ」

「十瑚ちゃんが言っていた呪文は、イタリア語のメニューのことだったんですね」

「いやあ、皆さん、どうもお騒がせしました」



事件の謎も無事に解けたところで、九十九くんの誕生日パーティーが始まりました。

「遠間さん、このデザートすごくおいしいよ」

「えへへ、ありがとうございます。これは僕の父の祖父の姉の嫁ぎ先の姑の旦那さんの、『大切な人へのおもてなし料理』に載っていたデザートを再現してみました。九十九くんは甘いものがお好きですし、今年は趣向を変えてみたんです。本来なら、この本は僕などが受け継ぐのは許されないことなのですが、今回だけ特別に拝借させて戴きました」

「準備期間が短かったからネ。つっくんは神の耳を持っているし、心を読まれないようにするのも大変だったんヨ」

「水くさいですわ、お二人とも。私にも一言お話しくださればよろしいのに」

「すみません綾さん。綾さんまでいなくなったら、皆さんに怪しまれるかと思って」

橘さんは、遊ばれて、騙されていたことに腹を立てた皆にどつかれていましたが、おめでたい席なので、なんとか許してもらいました。





今日は色々あって、あちこち走り回りましたが、こうして楽しい誕生日パーティーが出来て、良かったと思います。

皆が笑っている、賑やかなこの日々が、願わくばいつまでも続きますように。

明日を迎えられることに感謝して、今日を終わりたいと思います。




「ふーん、ふんふん…。この一週間は色々あったんだネー」

黄昏館のとある一室。

雑多に並べられた数々の趣味の品に埋もれながら、橘と彌涼はそれぞれに感想を言い合っていた。

「いやあ、おかげで写真も撮り放題だったし、良かった良かった。っつーか、そんな楽しいことになっていたなら俺も呼んでくれよ」

「だってドクターったら医務室に籠もって出てこないんだもん。あ、この日記、見つからないようにもとの場所に戻しておかないと。鍵をかけてっと…」

「おいおい、夕月の日記を盗み見なんて、バレたらアイツに殺されるぞ」

「それドクターに言われたくないネ。…でもさ、こうして、一日一日が、皆にとってかけがえのない思い出になると良いよね。あとどれくらい、時間が残されているのか、誰にもわからないけどさ」

ふと、橘が真剣な顔つきになって、住人が笑いあっている写真を見つめる。

彌涼も穏やかに目を細め、同じように写真を見つめた。

「そうだな。大人に出来ることは、穏やかな彼らの日常を見守ることだけだ。形に残る思い出も、良いもんだな」

「そうだネ。じゃあボクはこれで失礼するヨ」

橘は帽子のつばを上げ、軽く微笑んで部屋を出て行った。










「あれっ…?」

「どうしたユキ」

「この引き出しに入れておいた日記帳がなくなってる。どこかに置き忘れたのかな?」

「日記?ああ、ユキが毎日書いているやつか。人に見られたら、まずいのか?」

「うーん、あまり人に見せる物ではないかな。ちょっと恥ずかしいしね。でも鍵付きだから、読まれることはないと思うけど」

「………。そうか。心配するなユキ。ちゃんとアイツらも殺っておくから、すぐに見つかるだろう」

「あいつら…?やっておくって?」

「いや、とにかくユキは気にするな。もう行こう」

「うん、そうだね」
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