*人間失格
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寂しさを感じた、その時間さえも「恋」だったのだ。
窓枠に切り取られた空を眺め、鳥の鳴き声に耳を澄ます。
わたしの恋は、過去になった。
*
白いレースのカーテンが、温かい色に染まって冷たいエアコンの風に揺れていた。
明日は非番だからきっと呑んで帰ってくるのかな。
夕刻の暑さももう段々と終盤。
ジジっと鳴いた蝉が、ベランダに落ちてころんと寝転がった。
学生時代に初めてのアルバイト代で買った、ちょっぴり色あせた音楽プレイヤー。
こんなふうに毎日夕日に当たって、大好きなピンク色が知らないうちに杏みたいな色になって、それでも捨てるなんて考えられなくて。
何年も一緒にいたのにどうして今頃気づいたんだろう。
新しく買ったタンスの中に乾いた洋服を重ねて、もうすっかり部屋の一部になったそれが急に気になったのは、きっと「過去」になったから。
よっこいせ、なんて。
おばさんくさい掛け声だけど。
最近苦しいくらい重いんだ。
責任への怖さと同等ほどの、お腹に詰まった愛が。
「ただいま。」
「………あれ?」
飲み会は?
不格好な体勢のまんまで止まったわたしのほうに、彼が歩いてくる。
手元からほんわり漂ってくる甘いコロッケのにおいに、お腹の中で食わせろと言わんばかり足が遠慮無しにバタついた。
「だって国木田君に追い出されたんだもの。」
それにしたって随分帰ってくるのが早い気がするけれど。
ぽんと手に乗っかったコロッケはビニール袋越しに熱いくらい。
この人ちゃんと稼いでくる気あるのかしら?なんて、いつからそんな無遠慮なこと思うようになっただろうか。
「あれ、なんかすごく不服そう?」
「え?いや、そんなこともないけど…。」
ぽかんと開いてしまった唇を上から彼が掠めさらっていく。
ヴェールを被せるみたいにふわっと回された腕がわたしをほんの少し引き寄せた。
「うふ、やっぱり抱きしめづらいね。」
「そりゃあそうでしょう。」
こんなにお腹が大きいのだから。
ぴらっと手を広げて主張すると、にこにこしていた彼の顔がへにょっと情けなくなる。
「えー…彩音ちゃんてば最近本当に冷たいのだから。」
「うーん…。」
そんなこと無いんだけどなあ。
わざとらしい嘆きにわたしの顔は呆れて、それから考えこむ。
冷たくなったわけでも、アナタの帰りを嫌になったわけでも何でも無いんだよ?って。
でも言葉にすると驚くほどにチープで何も伝わらないから、やっぱり言えることは「そんなことないよ」だけ。
言うなれば、そう、あれだ。あの杏色になった音楽プレイヤー。
ふとした時に、そういえばもう随分一緒に居るなあって時々思い出してはみるものの、古くなったからって買い替えることもなく。
嫌いになったんじゃない。そこに居るのが当たり前で何も心配要らなくなったってことだから。
買ったころのトキメキは無いけど、それよりもずっとずっと深い、大切なものに変換されたのだ。
愛。
だろうか。
「せっかく私がごはん作ろうと思ったのにぃ。」
「コロッケ買ってきておいて何を……。」
「それはメインだよ。脇役を作るのさ。」
「えー…。」
確かにまだ何も準備は出来ていないけどさ。
冷蔵庫に顔を突っ込んでいる彼の後ろ姿が、頭を掻いてるわたしに振り返った。
「彩音ちゃん。」
「うん?」
冷蔵庫の扉がパタンと音を立てる前で、その顔は柔く微笑む。
「きっと私は彩音ちゃんにとって脇役になっていっちゃうのだろうけど、私にとっての主役はいつまでも彩音ちゃんだからね。」
「―――――――。」
寂しさを感じた、その時間さえも「恋」だったのだ。
それに気づいた時、恋は過去になる。
お腹の底からぽすぽすと、時にドコドコと無遠慮に伝わる足蹴りはわたしからすっかり寂しさなんて消してしまったけど。
それに気づいた時恋は過去になり、きっと。
「愛、」
「…彩音ちゃん?」
彼の向こう側を見透かすようにぼんやりするわたしの顔の前で、大きな手のひらが左右に揺れる。
そういうことかと一人納得したわたしが台所でコロッケの包みを開け始めたのを、彼は彼らしくもない、ちょっと間抜けた顔で眺めていたのだった。
END