愛憎短篇集
死んでしまったかなしみに
シャイロックが死んだ。
彼とひどく似た美しさを持つ"石"を、彼であると俺は言いたくなかった。
「ムルさん!」
「……ルチル」
「えっと、その……、大丈夫ですか……」
「んー」
だいじょうぶ。そう言いかけたムルを、ルチルの優しいまなざしが射抜く。
「ムルさん、ずっとシャイロックさんの一緒にいたのに、つらく、ないわけないですよね……」
ルチルの後ろから、ひょっこりとまだ幼さの残る戸惑いの貌をしたミチルがこちらを覗きこんだ。
「あの……。一番仲の良いムルさんに看取られて、シャイロックさんもぜったい嬉しかったと思うんです」
ぜったい――――
ルチルとミチルは、なんだか今の自分には優しすぎるような気がした。ねえ、シャイロック。優しいっていいこと、それとも、わるいこと?
マナ石は、ただの現象。ここにあるのは、シャイロックでも何でもないものだ。だというのに、何がこんなに心をざわめかせているのだろう。
ふらりと魔法舎を出歩いていると、いつの間にか自室に戻ろうとしていた。何も考えていなかった、いや、考えすぎていたせいかもしれない。単なる帰巣本能が、俺の足を突き動かしていた。
自分の部屋に入ろうとして、思い出したように隣を見やる。シャイロックの部屋の扉は、いつも通りそこに佇んでいた。その扉を開けば、すこし呆れた顔をしたシャイロックが現れて、ノックのしない自分を嗜めて、仕方ないと出迎えてくれて、ゲームで遊んで、喋ることができるのかもしれなかった。
思わずふらり、と隣の部屋に入る。けれども、中はムルの思っていたのとは違う、謎の賑わいを見せていた。
『えーんシャイロックー』
『わーんわーん』
『しんじゃやだー』
泣いているたくさんのちいさなムルたちが、シャイロックの部屋のそこかしこに佇んでいた。
「へ……?」
『えーんえーん』
「どうしてここにいるの? それに……」
「なんで欠片の俺たちみんな小さいの?」
『『『……』』』
"欠片のムル"たちは顔を見合わせると、ちょこまかと動く身体でわざとらしく円陣を組んで、こしょこしょ話を始める。
『これは……』
『通常の大きさだと部屋に入りきらなかったから……』
『さすがに成人男性数十人を一部屋には、ねえ……?』
「ふーん。それで、どうしてここにいるの? 確か魂の欠片はシャイロックが瓶に保管……あっ」
『そう、シャイロックは瓶の中に俺たちを閉じ込めていた』
『けれども彼が亡くなって、俺たちを封じ込めておいた魔法も解けてしまったようだね』
『そこで俺たちは、シャイロックという存在について語りあっていたわけだ』
「へえ? 俺が来た時には皆えんえん泣いてたような気がするんだけど」
『……俺たちが泣いていたら誰がハンカチを差し出してくれるかゲームをしていただけさ』
主のいない空間で、紫の頭たちがうぞうぞと喋りたくる。それはなんだかとても奇妙な光景だった。
この部屋の主が居なくなってしまったという実感は、いまいち湧かない。きっとまだどこかにいるのではないか、そんな気さえするのだ。
けれど、今ここにいる俺たちは、確かにシャイロックの死を悼んでいるらしかった。そう思うと、急に胸が苦しくなって、ぽろりと涙がこぼれた。それを見た小さなムルたちも、次第にわんわんと泣き始める。
――ああ、なんてことだろう! 俺はシャイロックのために泣けるんだ!
それがひどく嬉しいことに思えて、さらに涙が溢れてくる。
シャイロックがどこへも行かないことを、俺はわかっていた。そして彼は、本当にどこへも行けなくなってしまった。
この世界に繋ぎ留められていたものをすべて断ち切って、きらきらと輝く石の塊を遺して、俺の手の中で死んでいった。
涙と一緒に、色んなものが、きおくが、あふれでてくる。俺はシャイロックの遺言を聞いていたことを思い出した。
――海に。
――誰も盗むことが出来ないように
――私のマナ石を砕いて
――海に流してください。
特に期待も何もしていないような顔で彼はたしかにそう言っていた。約束でも何でもない。しかし、その言葉通りに、あの広大で未知なる海へと還してしまうべきだろうか。
でも、あの石はあまりにも――シャイロックのようだと思ってしまう。シャイロックでは無いはずなのに、あれを砕いて粉にして、海の藻屑にしてしまうことはどうしても躊躇われる。
ならば、どうしたらいいだろう。
シャイロックは俺に、何を望んでいたのだろう。
「……あ」
不意に、ひらめいた気がした。
そうだ、こうすればいい。
シャイロックはもうどこにもいけない。きっと俺が何もしなければ、ずっと俺の手の中だ。欠片たちのような意思も無ければ、幽霊のような過去の心も無い。
今の彼は限りなく無に近い。というか、無だ。今、この世界において。だから、それを、俺が変えてしまえばいい。
あの石に俺の意思を、魂を、吹き込んでやればいいのだ。俺の魔法で、彼の記憶と人格を宿らせよう。もしかしたら俺にしか、つくったシャイロックがシャイロックであることを証明できないかもしれないけれど、それでも構わないから。
だってそうすれば、シャイロックはずっと一緒にいられる。俺が彼を見守っていけば良いのだ。
そう思いつくと、なんだか楽しくなってきた。
「ふふん、待っててね。"シャイロック"!」
周りにいるたくさんの欠片たちが、俺を不思議そうにきょとんと見つめている。
ここはまだ基点で、0へと還ったばかり。決してマイナスになることは無い。点と点を繋げていけば、それはもうプラスだ。
そうだよね、シャイロック!
あれ、結局これは誰の、願望だったのだろうね――――?
『死んでしまったかなしみに』おわり
シャイロックが死んだ。
彼とひどく似た美しさを持つ"石"を、彼であると俺は言いたくなかった。
「ムルさん!」
「……ルチル」
「えっと、その……、大丈夫ですか……」
「んー」
だいじょうぶ。そう言いかけたムルを、ルチルの優しいまなざしが射抜く。
「ムルさん、ずっとシャイロックさんの一緒にいたのに、つらく、ないわけないですよね……」
ルチルの後ろから、ひょっこりとまだ幼さの残る戸惑いの貌をしたミチルがこちらを覗きこんだ。
「あの……。一番仲の良いムルさんに看取られて、シャイロックさんもぜったい嬉しかったと思うんです」
ぜったい――――
ルチルとミチルは、なんだか今の自分には優しすぎるような気がした。ねえ、シャイロック。優しいっていいこと、それとも、わるいこと?
マナ石は、ただの現象。ここにあるのは、シャイロックでも何でもないものだ。だというのに、何がこんなに心をざわめかせているのだろう。
ふらりと魔法舎を出歩いていると、いつの間にか自室に戻ろうとしていた。何も考えていなかった、いや、考えすぎていたせいかもしれない。単なる帰巣本能が、俺の足を突き動かしていた。
自分の部屋に入ろうとして、思い出したように隣を見やる。シャイロックの部屋の扉は、いつも通りそこに佇んでいた。その扉を開けば、すこし呆れた顔をしたシャイロックが現れて、ノックのしない自分を嗜めて、仕方ないと出迎えてくれて、ゲームで遊んで、喋ることができるのかもしれなかった。
思わずふらり、と隣の部屋に入る。けれども、中はムルの思っていたのとは違う、謎の賑わいを見せていた。
『えーんシャイロックー』
『わーんわーん』
『しんじゃやだー』
泣いているたくさんのちいさなムルたちが、シャイロックの部屋のそこかしこに佇んでいた。
「へ……?」
『えーんえーん』
「どうしてここにいるの? それに……」
「なんで欠片の俺たちみんな小さいの?」
『『『……』』』
"欠片のムル"たちは顔を見合わせると、ちょこまかと動く身体でわざとらしく円陣を組んで、こしょこしょ話を始める。
『これは……』
『通常の大きさだと部屋に入りきらなかったから……』
『さすがに成人男性数十人を一部屋には、ねえ……?』
「ふーん。それで、どうしてここにいるの? 確か魂の欠片はシャイロックが瓶に保管……あっ」
『そう、シャイロックは瓶の中に俺たちを閉じ込めていた』
『けれども彼が亡くなって、俺たちを封じ込めておいた魔法も解けてしまったようだね』
『そこで俺たちは、シャイロックという存在について語りあっていたわけだ』
「へえ? 俺が来た時には皆えんえん泣いてたような気がするんだけど」
『……俺たちが泣いていたら誰がハンカチを差し出してくれるかゲームをしていただけさ』
主のいない空間で、紫の頭たちがうぞうぞと喋りたくる。それはなんだかとても奇妙な光景だった。
この部屋の主が居なくなってしまったという実感は、いまいち湧かない。きっとまだどこかにいるのではないか、そんな気さえするのだ。
けれど、今ここにいる俺たちは、確かにシャイロックの死を悼んでいるらしかった。そう思うと、急に胸が苦しくなって、ぽろりと涙がこぼれた。それを見た小さなムルたちも、次第にわんわんと泣き始める。
――ああ、なんてことだろう! 俺はシャイロックのために泣けるんだ!
それがひどく嬉しいことに思えて、さらに涙が溢れてくる。
シャイロックがどこへも行かないことを、俺はわかっていた。そして彼は、本当にどこへも行けなくなってしまった。
この世界に繋ぎ留められていたものをすべて断ち切って、きらきらと輝く石の塊を遺して、俺の手の中で死んでいった。
涙と一緒に、色んなものが、きおくが、あふれでてくる。俺はシャイロックの遺言を聞いていたことを思い出した。
――海に。
――誰も盗むことが出来ないように
――私のマナ石を砕いて
――海に流してください。
特に期待も何もしていないような顔で彼はたしかにそう言っていた。約束でも何でもない。しかし、その言葉通りに、あの広大で未知なる海へと還してしまうべきだろうか。
でも、あの石はあまりにも――シャイロックのようだと思ってしまう。シャイロックでは無いはずなのに、あれを砕いて粉にして、海の藻屑にしてしまうことはどうしても躊躇われる。
ならば、どうしたらいいだろう。
シャイロックは俺に、何を望んでいたのだろう。
「……あ」
不意に、ひらめいた気がした。
そうだ、こうすればいい。
シャイロックはもうどこにもいけない。きっと俺が何もしなければ、ずっと俺の手の中だ。欠片たちのような意思も無ければ、幽霊のような過去の心も無い。
今の彼は限りなく無に近い。というか、無だ。今、この世界において。だから、それを、俺が変えてしまえばいい。
あの石に俺の意思を、魂を、吹き込んでやればいいのだ。俺の魔法で、彼の記憶と人格を宿らせよう。もしかしたら俺にしか、つくったシャイロックがシャイロックであることを証明できないかもしれないけれど、それでも構わないから。
だってそうすれば、シャイロックはずっと一緒にいられる。俺が彼を見守っていけば良いのだ。
そう思いつくと、なんだか楽しくなってきた。
「ふふん、待っててね。"シャイロック"!」
周りにいるたくさんの欠片たちが、俺を不思議そうにきょとんと見つめている。
ここはまだ基点で、0へと還ったばかり。決してマイナスになることは無い。点と点を繋げていけば、それはもうプラスだ。
そうだよね、シャイロック!
あれ、結局これは誰の、願望だったのだろうね――――?
『死んでしまったかなしみに』おわり
3/3ページ