愛憎短篇集

雛鳥の儀式





「シャイロック、口を開けて」
 
 そう言われる度、私はそっと確かめるように口を開いた。ムルの気配が動いて、舌に銀食器のひんやりとした質感が伝わる。少し冷まされた、熱すぎないスープが喉に流しこまれ、体内の管を通っていくのがわかった。ごくり、と嚥下する私をムルはどんな表情で、何を思って見ているのだろうか。

 スープ、魚、ソルベ、肉。
 肉からは鶏の味がした。
 喉が渇く。

 ソルベで喉を冷やしたけれど、肉料理には敵わなかったようだ。伝えようとすると、私の口からは「ピィ、ピィ」と切なげな鳴き声が零れる。

「かわいい鳴声だね。とても哀れないきもののようで、美しいよ」

――五月蝿いな。

「いつもきみとしているゲームも、ここに来ると一方的に屠ることになってしまうね」

――知りませんよ、そんなこと。

「でも、きみの言葉を聞けない俺の方が可哀想かな」

――…………

「安心して、きみの意図するところは伝わっているよ。さあ、口を開けて」
 
 グラスの飲みやすい形に口を開いたつもりだった。
 けれど次の瞬間、唇にあたったのは冷たいガラス質とは程遠い、生温かな柔らかい感触。舌が絡むと同時に、水の流れが伝わってくる。口移しされる水は、息がこぼれる度に胸元のナプキンに染み込んでいった。

 暖かい。
 冷たい。

 ようやく口が離れた時、私はやはり「ピィ、ピィ」と、かぼそい訴えを出すことしか出来なかった。

「今回も俺の勝ちだね、シャイロック」

 口の端から溢れた水を丁寧に舐めとってそう言ったこの男に、私はどうしようもなく屈服させたい気持ちが湧いてくる。
 それでいて、どうしようもなく踏みにじって欲しい気持ちを併せ持ったままでいた。私の相反した気持ちに、この男は気づくだろうか。

 しかしたとえ気づいていようとも、私のすることは変わらない。彼に従い、舌にのせられたものを食む。

 ただそれだけのことなのだ。










『雛鳥の儀式』おわり
1/3ページ
拍手