サソリ夢
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窓の外は暗闇に包まれて、全く別の世界の様だった。窓ガラスには先程から激しく雨が打ち付けられ、その音だけがこの真っ白で無機質な病室に響いていた。
「…あっけないもんだな」
部屋には俺以外誰もいなかった。
誰に言うわけでもなく俺はつぶやいた。
聞こえなくていい。
誰にも届かなくていい。
そう思って呟いたのに。
「終わり方は人それぞれだけど、死は平等に誰にでも訪れるわ」
誰もいないはずの部屋。突然背後から凛とした声がした。
いつの間にか看護師でもきていたのだろうか?
そう思って慌てて窓と反対方向に振り向くと、その人物は看護師や他の医療スタッフでないことはすぐにわかった。
2つの大きな黒真珠の瞳がこちらをじっと見つめていた。幼い、小柄な少女がそこにいた。不思議なことに向こうも驚いたような顔をしてこちらを見ていた。
咄嗟のことにしばらくお互い無言のまま見つめ合ってしまった。
「……と、病室間違えたのか?看護師呼ぶか?」
「あなた……私が見えるの??」
「……」
俺はやっと我に帰ってその少女に話しかけたが、その返事に俺はさらに混乱した。
これはあれか?病院とか学校とかによく"いそう"だと噂される類のものか?
なんてな。馬鹿らしい。
ここは病院だからな。
“そういう症状”を持つ患者も中にはだろう。
「大丈夫だ、今誰か呼んでやるからな」
俺は出来るだけ安心させようと笑顔で接した。周りの奴ら(特にデイダラ)には冷たいだとか冷血なんて言われがちだが、子供は割と好きだ。子供には優しいつもりだ。
ナースコールに手を伸ばしかけた時だった。
「待って。このままだと貴方がおかしくなったと勘違いされるわ」
「は?」
「私このケースは初めてなの。だからまた明日説明するから今日は眠って」
意味不明なことを少女が言うと急に睡魔が襲ってきた。
俺は何か言おうとしたが上手く口が動かなかった。
視界が霞む。
抗えない眠気に俺はベッドへと沈んだ。
「……ん」
いつの間に寝てしまっていたのだろうか?
昨日あれだけ激しく降っていた雨も止み、窓の外には清々しい朝が訪れていた。
「おはようございます」
看護師がノックをしたあと挨拶をしながら病室のドアを開けた。
「昨日はひどい雨でしたね。眠れました?」
朝食と薬をベッドサイドのテーブルに置きながら看護師は俺に話しかけた。
「あ、はい。まぁ……」
何か大切なことを忘れている気がする。
何だったか……。
ふと見れば俺の釈然としない反応に看護師は悲しげに微笑む。
そりゃそうか。あと数年生きられるかどうかの相手に気を使うだろう。年齢だってまだ17だ。憐れむのも無理もない。
「今日も10時から検査がありますので」
「はい……」
会話もそこそこに看護師は病室を出て行った。
俺は一息つくと運ばれてきた食事に目をやる。
食べて、薬を飲まなければ……。
そう思うのに体は動こうとしない。
誰かが頭の中で、何のために?と問いかけてくる。
「ダメだよ。ちゃんとご飯食べないと」
「……あ」
サイドテーブルの横に少女が現れた。
何で。いつからそこに。
そう思うのと同時に、昨夜もこの少女が俺の病室を訪ねてきていた記憶が突然蘇った。
「き、昨日の……!お前、何なんだよ」
流石に昨夜と同様に優しく接してやることは出来なかった。気づけば得体の知れないその少女に険しい表情で問いかけていた。
「ごめんなさい。まさかあなたが私のこと見えるとは思わなくて……。ごく稀にいるのよ、貴方みたいな人の中には」
「言ってる意味がわかんねぇ。俺みたいなってなんだよ?」
「死期が迫ってきている人」
「……」
俺はつい押し黙った。
その隙に彼女は話し出した。
自分は死神で、俺の担当であると。
俺を時が来れば神の元へ案内するために、しばらくそばについているとのこと。
「安心して。普段はこんなふうに接触することは避けるわ。もちろん私のことは他言無用よ」
当然だ。誰がそんな馬鹿げた話をするか。余命宣告されたことによって気が触れたんだと思われるのが関の山だ。
しかも安心してだと?
無理だろ。死神がそばにずっといるなんてどんな罰ゲームだよ。
死神は俺の至極嫌そうな表情も無視して言った。
「その時が来るまでに私が勝手に貴方の命を奪うことはないわ。ちなみに私は…」
死神は名前と名乗った。
△
「サソリは画家になりたいの?」
「……なぁ、お前はじめは”接触は避ける”って言ってなかったか?」
名前は気まぐれに現れては俺に話しかけてきた。
本当に突然降って沸いたように現れるので、俺はいよいよこいつが普通の人間ではないことを認めざるを得なかった。
「ねぇ。私貴方の描いた絵が見たい」
「人の話聞けよ」
俺はため息をつく。
病室で気まぐれに走らせていた鉛筆をサイドテーブルに置き、持っていたスケッチブックを投げやりに手渡した。
名前はさっそくスケッチブックをパラパラとめくった。
「……すごいわ。どうしてこんなに上手に描けるの?」
「別にすごくねぇよ」
名前がスケッチブックから顔を上げてこちらを見る。今まで何回も聞いたことのあるような賞賛の声も、本当に何でもないことのように返した。
「人を描くのが好きなの?」
「普段は描かねぇよ。被写体がねぇから見かけた病院のスタッフとか患者描いてるだけだ」
「普段は何を描くの?」
「……何でもいいだろ。もうどうせ描かねぇんだから」
それは吐き出してから自分の心の底から出た言葉のように感じた。
死神は何も言わなかった。
しばらくの沈黙を破ったのは名前の方だった。
「貴方の絵、もっと見たいわ」
「そりゃ……どーも」
俺はもう何と返事をして良いかわからないのと、こんな会話も無意味だと、投げやりな気持ちになっていた。
それからも死神は俺の前に現れ続けた。
どんどん無気力になって、絵も描かなくなった俺のそばにきては時折励ますような言葉をかけてくるもんだから八つ当たりしたこともあった。
わかってる。
名前はあくまで案内役で、”仕事”で俺をその時がくれば迎えに来るのだけなのだ。
俺の命をこいつが奪うわけではない。
そうとわかっていても、抗えない運命に俺は日に日にあいつに辛く当たるようになった。
それなのに、あいつが会いに来る頻度は増えていた。
何となく、家族もいない俺のために死神がわざと俺の理不尽な言葉を受けにきてくれているのだとは気づいていた。
ある日俺は自分でも不思議だが、久しぶりに鉛筆を握ってスケッチブックに線を走らせていた。
自分でも何で描こうと思ったのかわからないが手は勝手に動いていた。
気づけばもうすぐ完成という時だった。
病室の扉がノックされて返事をしようとする前に扉がスライドして開かれた。
入ってきたのは俺の担当医だった。
何やら慌てている様子だったがどこか嬉々とした表情だった。
「サソリ君。悪いんだけど昨日の検査もう一回させてもらえないかな?」
「え……はい……」
どこかさらに悪いところでも見つかっただろうか?
しかし後日検査の結果を伝えにきた担当医からは信じられない言葉を聞いた。
「検査何回もさせて悪かったね。正直信じられないけど何回も確認したんだ。薬物療法が奇跡的に効いたのかな?明日にでも退院できそうな体だよ!」
医師はやや興奮気味に話した。
あれほど俺を苦しめた病魔はまるで嘘のように消えてしまったというのだ。
周囲の看護師も本当に嬉しそうによかったですね!と声をかけてくれる。
俺は突然のことに遠い世界の出来事を見ているようにただ呆気に取られた。
それからは確かに体調が良くなり、退院の日取りまで決まってしまった。
俺は、本当に死なずに済むのか?
まだ生きられるのか?
やっと死の運命から逃れられたのだと実感が湧いた時だった。
「そういえば、死神……名前は」
ここ数日あいつの姿を一度も見ていないことに気がついた。
確か最後に会ったのは医師から再検査を頼まれる前日……。俺が死ななくなったのでそばにいる必要がなくなったからだろうか?
それとも、あれは死の淵で俺が作り出した妄想だったのだろうか?
そう思って咄嗟にベッドサイドの上に置きっぱなしにしていたスケッチブックを手に取った。
あの日描きかけだったスケッチのことを思い出した。
ページをパラパラとめくっていく。
目的のページにたどり着いたその時。
「話がある」
「!」
突然病室のドアの前、大柄の男が立っていた。
全身を覆う黒い衣服に身を包んでいる。
この登場の仕方には見覚えがありすぎた。
だから俺は意外にも突然現れたその男に動揺しなかった。
「お前も……死神か」
「そうだ。話が早くて助かる」
大柄なその男は角頭と名乗った。
そのまま俺に近づいて話し出した。
そして突然こんなことを言った。
「友人の最後の願いを叶えにきた」
「友人…」
俺にはそれが誰のことかすぐにわかった。そして自分の身に起こった奇跡がその人物によるものだということも。
「……俺の病気が治ったのは」
「名前のお陰というつもりはない。あいつが勝手にやったことだ」
大男…角頭の話を聞いて俺は自分の命が名前によって救われたのだと悟った。しかし角頭はそんなことはどうでもいいと言うような態度で話す。俺はそれに何だか嫌な予感がして一番聞きたかったことを聞いた。
「あいつは……名前は、どこへいった?」
「…神の元へ帰った。今頃厳罰としてしばらくは仕事もなく謹慎することになるだろう」
俺は納得しなかった。死の運命から逃れることの代償がその程度で済むとは思えなかった。
異議を唱えようとしたところで角頭が口を開いて遮った。
「それから彼女の願いだが、もう叶っていたようだな」
「え?」
そう言って混乱している俺の手元にあるスケッチブックを指差した。これが?どういうことだ?
その時あいつの笑顔と言葉が脳裏をよぎった。
――貴方の絵、もっと見たいわ……――
「……」
黙っている俺を見て、男は何かいいたそうにしていたが、次の瞬間ふと目尻を下げたかと思うと踵を返した。
「お、おい待て!話はまだ……」
「忘れろ。全てな……それが彼女への弔いだ」
その言葉と同時に、角頭の姿は忽然と消えていた。
そして俺の頭の中で何かが弾けて、燃えて、冷たくなっていくような感覚がした。
気づけば俺はしばらく病室の扉をじっと見ていたようだ。
そして我に帰ると開いていたスケッチブックに視線を落とした。
そこには1人の少女が描かれていた。大きな黒い瞳が特徴の幼い少女が、優しい笑顔でこちらを見ている。
「……」
俺は鉛筆を握ると、描きかけだったその少女の絵を完成させるために筆を走らせた。
そして、俺が無事退院し、高校と大学を卒業し、海外で目標だった芸術家として活動を始めた。
奇跡の起きたあの日から10年経った今でも、モデルが誰なのかわからないこの絵を……何故かずっと捨てられずにいる。
△
静かな夜だった。
墨を溶かしたような、星一つない夜空が広がっていた。名前は病院の屋上でその空を見ていた。
今も1人病と闘う孤独な彼のことを考えていた。
「聞いたぞ名前。担当の1人にずいぶん肩入れしているそうだな」
「……角頭」
不意に同じ死神仲間が背後から現れて話しかけられた。名前とは正反対の大柄な男だった。
「イレギュラーのため規定違反ではないが、何故余計な仕事を……」
「ねぇ。角頭」
名前は角頭が話すのを遮って問いかけた。
「彼、芸術家になりたかったんですって」
「……それがどうした」
「とても素敵な絵を描くの……私彼の絵がもっと見たい」
「……」
「それから、もうご両親もお婆様ももう亡くなってるんですって」
「おい。やめろそんな話し」
黒真珠の無垢な瞳は男をじっと見つめた。
「これ以上夢まで奪われる彼を見ていられない」
死神の少女は恋をしていた。
それはあまりに不毛で、報われない恋だった。
そして一つの覚悟をしていた。
「だから、彼の死の運命を取り消すわ」
「……馬鹿かお前は。どうしたというのだ。そんなくだらない冗談を言う奴ではないだろうお前は」
角頭は首を振って大袈裟なため息をついた。
「そんなことしてみろ。お前は死神ですらいられないどころか、もう輪廻の輪に組み込まれることはなくなるぞ」
「わかってる」
少女の淡々とした返事に思わず角頭は表情を険しくし、叫んだ。
「わかっていない!魂ごと消えるのだぞ!もう来世もなくなり完全な無になるのだぞ‼︎」
それでも少女は美しく微笑む。
「いいの。無になればこの報われない想いも無くなるわ」
「……っ馬鹿者が‼︎」
角頭は死神である彼女の姿が少しずつ、背後の闇夜に透けていることに気がついた。既に少女は運命を書き換え、何もかも手遅れだったことを角頭は察して額に手を当てた。
「最後にお願いがあるの」
「……言ってみろ」
角頭は何とか項垂れていた顔を上げ、友人の最後の姿をその目に焼き付けようとした。
「規定通り彼の記憶が消される前に…サソリに、私の絵を描いて欲しいって伝えて欲しいの」
そうすれば、少しの間だけでも彼のそばにいられる気がする。唯一この存在を残すことができるのは彼だけだから。と、そう名前は続けた。
「構わんが、伝えたところでそれもすぐに忘れてしまうぞ。絵は残ってもお前のことは……」
「いいの、それが。……ありがとう。角頭」
彼女の声はどんどん小さくなっていった。
その姿ももうぼんやりとしか見ることはできず、次の瞬間には夜風に掻き消されてしまった。