夜の淵に咲く
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
静かな夜明けだった。
夜の群青色に染まった砂漠の海に、少しずつ光が溢れていく。
砂漠でできた地平線から現れた太陽で、今“こちら側”も夜明けなのだと分かった。
俺たちは、戻ってきた。
俺は朝日が昇る地平線から自身の腕の中へと視線を移した。
そこには朝日に頬を照らされ、静かに眠る名前がいた。
日が差したばかりの砂漠は寒いに違いなかった。
俺は一度彼女を降ろし、城壁跡に彼女をもたれかけさせた。この体になった俺にとって、温度などはもう関係がなかった。着ていた外套を脱ぎ、名前を包み込んだ。
出血が酷かったせいか顔は未だに青白く、浅い呼吸を繰り返していた。
しかし、それでも。
彼女は今ここにいる。
俺は再びその体を抱き上げた。
「…綺麗だな」
太陽は先ほどより更に地平線から顔を出し、砂漠の表面は細波が立っているようにその光を反射していた。
世界は再び色を取り戻した。
彼女のいなくなった日から、ひたすら危険な任務に身を投じた。今思えば現実を受け止められずに苦しみを紛らわせようとしていたのか。
傀儡の体になってからは更に昼も夜も関係なく、その手を血で染めた。
そして、彼女のいない朝が来るのが怖かった。
それは無限に続くように思われて気が狂いそうだった。
俺はこんな永遠は望んでいない。
朝日が昇るのが忌々しかった。
狂ったように人傀儡を作り、挙げ句の果てには自身を傀儡に変えた。
もちろん後悔はしていない。
そうしなければもう名前を取り戻す事は叶わなかったのだから。
時空間移動の血継限界と禁術を手に入れるため朔夜一族を滅ぼし、その全員を人傀儡にした。
実質それにより1つの里…国は崩壊した。
その手がいくら血で染まろうと、それに俺は気づかなかった。そんな事はどうでも良かった。
名前の目を見るまでは。
彼女は傀儡の体になった俺をみて、明らかに動揺していた。
体だけではない。
俺は人から遠く離れた存在に成り果てていた。
当然だ。狂気の沙汰としか言いようがないだろう。
俺は自分の浅はかさにその時初めて気がつき、呆れた。
彼女は傀儡となった俺を、故郷を焼き払った俺を、はたして受け入れてくれるかどうかなど…一度も考えなかったのだから。
揺れるその瞳に映るのが怖かった。
俺がしてきた事は、何だったのだろう?
彼女を失うことになるかもしれない。そう気づいた時、俺の中の何かが音を立てて崩れていった。これまで張り詰めていたものが一斉に壊れていくような。全てが無に帰り、自分が存在すらしていないような空虚なものに感じた。
ーーー怖いか?俺が。
その問いかけは自分の口から勝手に溢れ、まるで祈るようだった。
彼女には、
名前にだけは。
この狂気すらも受け入れられたかった。
だがそんなことは間違っている。
お前が笑うのも、涙を流すのも…俺だけのためであってほしい。
しかしそれは、もはや純粋な愛情とは程遠いように感じた。何故なら名前の幸せを願いながらも、俺と共にこの地獄を歩いてくれる事を望んでいるのだから。
俺は狂っている。
名前と共にいた白髪の男を思い出した。
俺の殺気にも逃げ出さず、腕の中に名前を庇うようにして抱えていた。俺に切先を向け、その目にも鋭い殺意、彼女を守るという強い意志が宿っていた。
ああいう男だ。
愛するものの幸せをただ願うことができるのは。
普通の幸せが何なのか知っている。
奪い続ける俺とは違って、守る側の人間だ。
「…ん」
その時名前が小さく呻いた。
俺はハッとして地平線から名前の顔に再び視線を戻した。
彼女はまだ眠っていた。2年も会えなかった間にまた美しくなったその顔を見る。
長い睫毛はまだ濡れていて、頬にある涙のあとは日の光の元でよくわかった。
彼女を悲しませた。
それなのに、その涙が自分のために流されたものだった事に、俺はそれまでの荒廃とした気持ちが凪いでいくのを感じた。
腕の中の彼女が大切そうに抱えている白い羽織を見る。中には折られた刀が包まれている。
それを名前に渡した時、男は言った。
“その手を離すんじゃねぇぞ”
あれは俺に言ったのだろう。
こんな戦乱の世に連れ戻すくらいなら、こんな俺の傍にいるくらいなら、あの男の元にいた方がいいのでは。と、僅かながらそういう考えもよぎった。そんな事…俺には到底出来なかっただろうが。
だから、彼女が俺と戦い続けると言った言葉に、どれほど救われたことか。
すると名前の睫毛が小さく震えた。
そしてその瞼が薄く開き、紫水晶の瞳は朝日を吸い込んだ。
ゆっくりとその目は俺を見上げる。
そして形の良いその唇が薄く開かれた。
「…これは、夢?」
彼女の第一声はそれだった。
それは、何に対して言ったのだろう。
俺が目の前にいる事だろうか。
…あの男が傍にいない事だろうか。
自分でも驚くほど弱気な思考にため息が出そうになる。
すると彼女の瞳は潤み、すぐにその目には涙が溢れた。
俺は情けないが動揺した。
「ただいま、サソリ…」
しかしそう言ってすぐに彼女が笑うものだから、俺は心底安心しきって小さく息を吐いた。
「おかえり。名前」
「ありがとう。ありがとう、迎えに来てくれて…」
彼女の頬を次々と涙が流れた。
俺は名前を抱き上げている腕に力を込めた。
名前が俺の分まで泣いてくれるだけで十分だ。
本当だ。
「例え地獄に近づこうと、もう離れません」
俺は…名前が側で笑い、涙を流してくれる、それだけで十分なのだ。
それ以上なんてない。
「愛しています」
こんな荒れ果てて凍てつく、美しい世界で…共にいてほしい。
「永遠に」