夜の淵に咲く
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君が行く 道のながてを 繰り畳ね
焼き亡ぼさむ 天の火もがも
「 造花の傀儡 」
「いやぁー、本当に苦労しましたよ」
刀鍛冶の里。
山岳に囲まれた人知れず存在する里。
あちこちで桜が満開になり、その花は風が吹くと少しずつ散っていった。
暖かく、毛先を軽く揺らすような風が吹いている。
庭では桜の花が風に吹かれて騒めく音、鶯の鳴く声が聞こえ、穏やかな日差しが縁側に降り注いでいた。
「無理言って悪かったなァ」
その縁側で俺と、俺の日輪刀を打った刀鍛冶が座っている。
俺とそいつの間には人ほどの大きさの箱が白い布で包まれて置かれていた。
「こんな物は初めてでしたので。元々の材料も…木材なんですかねぇ。塗料に至るまで私共には理解の範疇を超える物でした」
そう言って刀鍛冶は立ち上がる。
「あ?じゃあ直せなかったのか」
俺はそいつの発言に驚き、僅かに眉を潜めた。
と、同時に少し焦った。
「残念ですが…。元通りというわけにはいきませんでした。一応形にはなりましたが」
刀鍛冶は面をしているため表情は分からないが、その声からは至極残念そうな気配が感じられた。
俺はその遠回しだが安心できる言葉に一息ついた。
「満足はされないかもしれないですが…まぁ一度ご覧になってください」
男が白い布の結び目を丁寧に解き、その布を取り払った。中からは頑丈そうな木箱が現れた。
思い出すとむかっ腹の立つ小僧が背中に背負っていた箱によく似ていた。
「貴方が初めてこれを持ち込まれた時、鬼殺に役立つ新しいカラクリ人形が作れると思いました。ですが、我々にはこれを作る材料も技術も、それを知る術もありませんでした」
話しながら箱にかけられた南京錠の鍵を開ける。
ガチャと鈍い金属音がして、その扉は開けられた。
俺はいつぞやの時のようにまた一拍だけ心臓が強く打ったような、突然大きな音でも聞いた時のようにギョッとしてしまった。
そこからは人と見間違わない程の精巧に作られ、そして見事に修復された傀儡が入っていた。
今はまるで眠っているようで、呼吸の音すら聞こえてきそうだった。
「はぁ…壊れる前はこれ以上に、さぞ美しかったでしょうね。再現できないのが誠に遺憾でありますが…我々にはこれが限界です」
再びその傀儡を目にした刀鍛冶も溜息まじりに話す。
俺にはその辺の細かい出来栄えのことはわからない。やはり職人気質の者たちにはそう言った拘りのようなものがあるのだろうか。
俺には十分に見えた。
折られ、砕かれたその四肢は繋ぎ目もわからない程になっており、肌は人の素肌のようだった。
あの割れてしまった顔も今では触れれば体温まで伝わってきそうな頬、睫毛から鼻筋、口元の細部に至るまで作り込まれていた。
俺はその完成度に感嘆すると共に安心した。
奴との約束を、一応守れたことになるだろうから。
そんな事を考えていると、刀鍛冶が心を見透かしたように口を開いた。
「名前殿…今頃どうされているでしょうか」
「…」
「彼女の刀を打ったのも私ですからね。彼女の刀の色変わりも実に見事でした。今まで…それこそ色んな刀を見てきましたが…」
黙っている俺に構わず男は話を続けた。
「水中花の咲く水面のような…あの花緑青色の刀はこれまでに見たことがありません」
俺もその色を思い出す。
確かにあいつの刀は…刃は、猛々しい風というよりも水面を撫ぜるような風だった。
汚れる事なく、凛としていて、揺るぎなかった。
その刀を見つめる横顔を思い出すーーーー
赤い髪の男に駆け寄る名前を、その後ろでぼんやりと見ていた。
やっとこの瞬間が来たのかと、そう気付くのには少し時間がかかった。
ここにくるまで2年。
たった2年かもしれない。
だがその2年の間、その道のりはあまりに長かった。
正直自分の女が帰り道に迷ってるなら、男なら自分でとっとと迎えに来い。と、そう思った時も何度もあった。
名前が壊れた傀儡を切なげに抱きしめるのを見たときは特にそう思ったものだった。
女にばかりこんなに苦労をかけるその男を恨めしく思うこともあった。
しかし、その男は来た。
自身の体をまるで全身からくり人形のように作り変えたばかりか、一つの国をたった一人で焼き尽くした。
狂気を感じると同時に、理解もした。
名前のこれから突き進む道の険しさを。
そしてそれを共に歩けるのはこの男しかいないのだろうと。
それはきっと、お互いがそうなのであろう。
「名前が…世話になったようだ」
見た目よりも大人びた声が聞こえた。
泣き続ける名前をあやすように抱きしめたまま、その月光のように静かな瞳がこちらを見ていた。
「いや…」
俺は何と言って良いか分からずそれだけ言った。
名前が今までにどんな目にあったか、その度にどんなに心を砕いてきたか…。
言ってやりたい気持ちにもなったが、目の前で泣く名前の背中を見てはとても言えそうになかった。
…その時俺はあいつの涙を初めて見たのだから。
「…師範」
気づけば名前が何とか泣くのをやめ、こちらを振り返ったところだった。
涙で濡れた顔は年相応の少女に見えた。
忍として人を斬り、忠義を尽くした里に裏切られ、それでもこの男のために何度でも立ち上がり、強くあろうとし続けた名前がそんな顔をするのを見て…
「よかったな。名前」
心から。そう思った。
お前の願いは果たされ、その言葉通り血の滲むような試練の数々はようやく報われた。
しかし、それと同時に別れも意味する。
「夜明けまでだ、名前…」
その男の言葉に俺は動揺が隠せなかった。
こちらをみる名前の表情にも驚愕と焦燥が見て取れた。
ーーーそんな急な話しあるかよ。
弟子との別れがこんなに急かされるとは思っていなかった。
夜明け?
それは…あとどれくらいなんだ?
辺りは僅かな明るさを携えて、遠くでは鳥の鳴く声がした。
俺は、名前に最後に何を伝えてやればいい?
少しでいい。
時が、止まればいいとさえ思った。
そんな事を考えていると名前の目からまた一つ、また一つと涙が溢れているのに気がついた。
俺はそれに目を見開く。
名前のことを…初めてあった時は氷のような女だと思った。
月を背に立つお前は、透き通っていて汚れがなくて…何も感じない。そう、氷というより人形のようだった。美しくも心を持たぬ人形のようだった。
そんなお前が今、
別れを惜しんで涙を流すのかーーーー。
そう思ったら、俺にはそれで十分だった。
躊躇うお前を今まで通り、俺が背中を押してやる。
俺がお前に最後にしてやれるのは、こんなことくらいだからな。
俺は名前に背中を向けた。
余計な別れの言葉は必要ない。
後ろで呼び止める声が聞こえたが、立ち止まらなかった。
お前の声を聞くのもこれが最後になる。
それでも振り返ることはできない。
あってはならない。
それなのに、何故か。
最後になる…そう思った瞬間脚が止まってしまった。
「私は!彼と共に戦いますっ…師範がくださった刀で、戦い続けます…!だから!」
耳に届いたその言葉に、ハッとした。
俺はやっとそこで、もう背中を押してやる必要はなくなったことに気がついた。
「師範…どうかっ」
お前は十分強い。
「どうか、鬼が産まれる悲しき世を…っ鬼舞辻をお討ちください!」
お前は、俺の自慢の弟子だ。
出会った頃を思い出す。
ーーー役に立たないその時は、この首を撥ねてください。
お前が泥の中をひたすら進む諦めの悪さとその美しさに。
ーーー師範の傷はもう増やしませんよ。その分私が鬼を切りますから。
俺でも知らないうちに、
ーーーもう一度この刀に誓わせてください。
ずっと前から。
お前にこの背中を守られてきたのだから。
お前が共に切り裂いてくれる夜は、
孤独ではなかった。
俺はそのまま動けなかった。
振り向こうとしたが、今の自分が情けない顔をしているのがわかって、振り返れなかった。
だが日の出は近い。
俺は動けないでいる自分が腹立たしく思い、表情を固くして何とか振り返った。
お前が…お前の地獄に旅立つのを、俺は見届ける。
最後までお前の師でありたい。
だから、
最後に伝えたい。
俺は折れて打ち捨てられている刀を拾った。
俺はもうお前にはどうしたってやることもできない。だからせめてこの刀が、忍としての力を失った名前を少しでも守ってくれやしないだろうか。
羽織に包んだ刀を大切そうに持つ名前の隣に、その手を愛おしそうに握る男が並んで立つ。
時間だーー。
どこからともなく吹いてきた風が2人を取り囲む。
「…っ師範!ご恩は忘れません…っ」
風が次第に強くなり、名前の声が聞き取りづらくなった。
「貴方の手は…優しかった」
掻き消されないように、必死に声を上げる弟子を見て俺も最後に伝えようと思った。
俺はゆっくりと口を開いて、言った。
「名前…お前が俺の弟子で、よかった」
声はもう届かないだろう。
でも、お前ならわかるだろ。
名前が少し目を見開いて、その後やっと笑ったのを見て俺はそう確信した。
赤い髪の男が深々と俺に頭を下げたのが見えた。
名前が最後に俺の名を呼んだ気がしたが、その姿は…次の瞬間には風に消えた。
最後にやっと流れた一雫を風が吹き消した。
「これを作られた方は…さぞ想いを込めて作られたのでしょう」
刀鍛冶はまじまじと傀儡の顔を見る。
その発言を聞いて、そんな事を他の奴も言っていたなァと思い返していた。
「これ、どうなさいます?お屋敷に持ち帰られますか?…私共としてはもう少しからくり人形の参考にさせていただきたいのですが…」
後半はやや言いにくそうに小声になっていた。
「構わねェ。そういう事ならアイツも賛成するだろォ…だが壊すんじゃねェぞ」
そう返事をすると元々笑った表情で彫られた面は余計に笑っているように見えた。
「はい!それはもう!丁重にお預かりしますので!」
そうしてまた傀儡に視線を戻しては感嘆の溜息を溢す男を見て、俺も傀儡を見た。
人を象ってはいるが、その姿は獣ようにも、男のようにも、女のようにも見えた。
なんとも表現し難いが、ただ美しい。
そして不思議なことに、先ほどまではなんとも感じなかったが、凝視しているとその顔はどこかで見覚えがある気がしたのだ。
それは、これを作った奴の事を考えればすぐにわかる事だった。
俺はそれに気付くと、小さく口角が上がった。
「…けっ、見せつけてんじゃねェー」
「え?何ですか風柱殿?」
「何でもねェよ。ところで悪かったな色々無理言って」
「いえ…もう行かれるのですか?」
俺はその場から立ち上がり身支度を整え出した。
無事に形になった傀儡を見て俺は満足した。
もう任務に向かわなくては。東の空から俺の鴉がこちらに向かって飛んでいるのが見える。
そしてもう一度を傀儡を振り返ってみた。
あいつの一番の武器…今でもどうか花緑青の刃があいつを守ってくれている事を願った。
赤い髪の男の力を前に、俺は圧倒された。
あいつのいる忍びの世界がどんなものか…想像するだけでも戦慄とした。
それでもあいつは…名前はその修羅の道を行くと決めたのだ。
あの男と共にその手を血で染めようと、その手を離しはしないだろう。
だがもし、願うことだけは許されるなら…
ーーーーここは楽園かもしれませんね。
満開の桜の木の下で、両眼を細めて微笑む彼女を思い出す。忍でも、鬼狩りでもない。そんな普通の少女の横顔だった。
この先アイツの前に続く、戦火に包まれた途方もない道を、天の火が全て焼き払ってくれればいいものを…。
その時俺の肩に鴉がバタバタと煩く音を立ててとまった。
「カァァー!!東の山に鬼の気配‼︎数名の隊員が行方不明!行け!風柱!カァァー!!」
「伝令が毎回ざっくり過ぎんだよォ、てめェ」
「御武運を、風柱様」
風が吹いて、傀儡の髪を小さく靡かせた。
散った花びらがその頬に触れる。
少しアイツが微笑んだ気がした。
「…またな」
俺は刀の柄を握って、その場から消えた。
わかっている。
俺は今日も夜を駆ける。
お前が今もそうしているようにーーー。
いつか、大切な者の隣で笑えるように。
ー終ー
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