夜の淵に咲く
名前変換
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「…なっ…なんだッ、貴様…っ!」
先ほどまでの緊迫した空気から一変して、辺りは静寂に包まれた。
その静寂を払い除けようと、鬼が動揺する声だけが発せられた。
その場にいる全員が突然現れたこの黒い塊…黒い外套を羽織った大男に混乱していた。
しかしそれ以上に、その男から発せられた殺気に誰もが息を呑んだ。
地を這うように静かに、しかし荒々しい嵐のように放たれるその殺意。僅かにでもその狂気に捕らえられれば、息をすることも許されないと思うほどの殺気を感じていた。
鬼は動くことができなかった。
それはその殺気だけではない。
金縛りにあったように、その体は地面に縫い付けられたように動くことができなかった。血鬼術で逃れようとするが何故か体は痺れて術を使うことができない。
「ど、うなっている?!」
鬼が動揺しているのをまるで無視し、大男は不死川と名前を見下ろしていた。
不死川は突然現れたこの男は何者かと思案した。
初めは鬼から自分達を庇うように現れたこの男を、鬼殺隊の増援が来たのかと思ったが…すぐに違うとわかった。
こんな凄まじい殺気を放てるようなものは鬼殺隊の中にはいなかった。
何より…
この男からは、人の匂いがしない。
その代わりに嗅ぎ慣れた匂いがした。
それは…大量の血の匂い。
「…っ鬼‼︎」
この最悪の状況に新たな鬼の出現。
不死川は神をこの時ばかりは呪った。
不死川は名前を抱える腕に力を込め、もう片方の手で柄を握るとその男に切先を向けた。
どうにかして弟子の命だけは助けたかった。
しかし腕を伸ばされれば届いてしまいそうな距離に気配もなく突然現れたこの鬼から逃れられる気はしなかった。
ましてやこれほどの殺気を放てる鬼相手に、手負の弟子を抱えながら戦う事は到底無理な事であった。
こっちに来るなと、その目で男を睨み上げることしか叶わなかった。
しかし切先を向けられた相手はそれを何とも思っていないと言わんばかりに、表情ひとつ変えずにこちらを見降ろしていた。
不死川の腕の中で名前は意識も朦朧として視界は霞んでいた。
しかしそれでも、その男の姿はわかった。
名前はその大男の顔をよく覚えていた。
いや、忘れるはずがなかった。
その男は、かつて自分を月隠れまで連れ戻し、助けに来てくれた愛しい人の右腕を無慈悲にも切り落とした…月隠れの忍だったからだ。
どうしてこんな所に現れたのか、名前の頭の中は混乱した。何より奴は自分が殺したはずだった。
生きていたのか…。
何故、と問いたかったが、名前はもう話すことは出来そうになかった。
「随分と痛めつけてくれたみたいだな」
大男がその時、やっとその口を開いた。口元は布に覆われていて見えなかったが。
低く、地を這うような声。
声もあの男と違わなかった。
しかし今の言葉は誰に対してなのか、どう言う意味なのか。問いたくても名前はただそこに力なく横たわっている事しかできなかった。
この男からは殺気は感じるものの、以前とはまるで気配が変わっていた。
呼吸や匂い、生きる人間から感じ取られるものを感じなかった。
生まれ変わったようにすら感じた。
名前は思った。
それはまるで…
傀儡のようだ、と。
そう思った時、霞んでいた世界は急速に晴れていくようだった。
「…名前」
「‼︎」
大男が名前の名を呼んだ。
それはとても、愛おしそうに。
名前には今しがた自分が行き着いた仮説が信じられなかった。僅かな力を振り絞り男を見上げる。
男は名前の視線を確認するとその大きな体を引き摺るように動かし、後方の鬼を振り返った。
鬼は当然わけがわからないと言った顔をして様子を見ていた。
鬼にもこの男が鬼殺隊でないのはすぐにわかっていた。
「貴様…鬼なのか?稀血欲しさに邪魔しに来たかっ」
「鬼?…その一族特有の目を見るからに、“これ”はお前の里の忍だぞ。名はヒルコだ」
男はヒルコと名乗ったと同時に、羽織っていた漆黒の外套が乱雑に取り払った。その外套の中からは人間離れした体が現れた。背には人の顔を象った巨大な面のようなものを背負い、その背後からは鉄製の百足の体のように長い尾が付いていた。
その姿には目の前の鬼も、後ろにいた不死川も驚きと動揺を露わにしていた。
「?!」
「なんだありゃァ…?!」
不死川は更に警戒心を露わにして刀の柄を握る。
それを霞む意識の中見ていた名前は、手を弱々しく不死川に伸ばした。不死川が刀を握る手に重ねる。
そしてそっと刀を下ろすように促した。
そんな名前の行動に驚いた不死川は当然反発した。
「何しやがんだァ!じっとしてやが…、」
しかし名前が苦しそうに、しかしあまりにも綺麗に微笑むものだから言葉を失ってしまった。
その時、ヒルコの背中の部分を甲羅のように覆っていた面が音を立てて外れ、それは上に向かって開かれた。全員がその成り行きをただ黙って見ていた。
中からは先ほどとは別の、若い男の声がした。
「もうその里も潰したがな」
その中から現れたのは、美しい少年であった。目は月のように冷たく光り、髪は鮮血の様にはっきりとした色を放っていた。
月に照らされた肌は陶磁器のように白く、その美しさはまるで人形のようだった。
「だ、誰だ貴様…。里を…?」
少年は動揺する鬼の質問に目もくれずに、ヒルコの背から飛び降りると再び不死川と名前の前に歩いてきた。
そしてすぐさま屈むと、今まさに名前を苦しめている左胸の傷にそっと手を当てた。
「何なんだ、てめェ…」
未だに警戒している不死川を無視して、少年は名前の顔を見た。
その顔があまりに優しく、悲しそうであったので不死川は更に混乱した。そして驚いたことに少年が手を当てていると傷が徐々に塞がり、名前の呼吸音が正常になっていることに気がついた。
「どうなってやがる…!」
次は肩の傷に手を当てると、同じように名前の傷が治っていった。
痛みもないのか、名前はその体を自力で起き上がらせることができた。
その様子を不死川は信じられないものを見ているような表情で見ていたが、絶体絶命の窮地から救われたのだと直感した。
少年が口を開いた。
「…よく耐えたな。名前」
「サソリ…」
「何だと?」
不死川はその名を聞いて全てを悟った。
この少年こそが、名前の最も愛する男。
この少年に再び会うために、彼女は辛い鍛錬にも耐え、先の見えない底なし沼の中でその刃を振ってきた。
術を失い、大切な傀儡を壊され、探していた鬼には絶望を突きつけられ…彼女はもう踠き苦しむことも出来ずに深淵の底に沈んでしまうかと、不死川は恐れた。
しかし、その少年は来たのだ。
徐々に回り始めた頭で、現実を理解し始めた不死川は名前の顔を見た。
この時がついに来たのだ、心の底からこの弟子が笑える日をどれだけ願ったか。
歓喜と未だに信じられない気持ちとがごちゃ混ぜになり不死川は言葉にならなかった。
しかし、予想に反して名前の表情からは喜びを感じられなかった。
名前は目を見開いて少年を見ていた。青白い顔をして少し震えているように感じた。
その震える唇から小さく声が溢れた。
「サソリ…その、体…」
「…」
少年は何も答えなかった。その人形のように美しい顔を微笑ませるだけで何も言わなかった。
そして立ち上がると踵を返した。
「…そこにいろ。すぐに片付ける」
「サソリ!」
振り返りざまにそういうと、名前の制止する声には応えずにサソリは鬼の方へと歩いていった。
一部始終を見ていた鬼は目を見開いて固まっていた。
「お前…砂の忍か。傀儡使い…。体が動かせないこれはチャクラ糸か?痺れは…」
「毒だ」
そうサソリが答えると同時に、ヒルコの尾が鬼めがけて素早く伸びる。その鋭く磨がれた尾の先が届く寸前に、鬼はまたもや姿を消した。
そして更に距離を取った場所に姿を現した。
「…もう動けるのか。興味深い体だな」
「…俺は鬼だ。毒などすぐに分解できる」
鬼はチラリと名前と不死川の方を見た。
柱の男も、隣の少女も既に自身の足でしっかりと立ちこちらを見ていた。
その様子に舌打ちをする。
もうすぐで稀血にありつけるはずだった。
「余所見とは随分余裕だな」
サソリが巻物をいつの間にか取り出して、片手で垂れ下げるようにして広げていた。
「はっ、傀儡の口寄せか。少々出来るようだが…お前1人では俺に傷一つ付けられぬ。戦場で傀儡部隊を1つ潰すのは、実に容易かったぞ」
そう言い終わると同時に
鬼は消えた。
「そうか。たがさっきも言ったが…」
鬼はサソリの後ろに現れ、その体に爪を立てようとした。
「オレはこれで一国を落とした」
「…ぁ…?」
現れた瞬間、鬼の体には既に刀や槍が突き立てられていた。
「赤秘技…」
鬼は既に何十体という傀儡に囲まれていた。