夜の淵に咲く
名前変換
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満月の夜。
月明かりの中、山道を不死川と名前は移動する。
闇夜に紛れて任務をこなしていた忍びにとって、この鬼殺の仕事は向いていた。
「もうすぐ商人が襲われたと言っていた辺りですね」
「油断すんなァ、相当腹が減ってるはずだァ」
その商人の話だとまだ日が沈み切っていないうちに日の当たらぬ木陰から出てきた腕に引き込まれそうになったのだとか。掴まれたのが運良くも袖の一部で、袖は無残にも千切れたが命は助かったと。
一瞬見えたあれは…化け物の腕だった、と顔面蒼白で訴えるその商人は酷く怯えていた。
「…日に当たるかもしれない危険と差し引いても、人を食べようとしたのですね」
「腹が減ってると気が立って、より凶暴化する鬼もいる。気を付けろォ」
「はい」
凛としたいつもの様子でうなずく名前を見て、不死川は気づかれないよう小さく息を吐いた。
上弦の参との戦いから三か月が経った。
名前は変わらず鬼殺隊に身を置き鬼を切り続ける日々を送っていた。
しかしその日々の中には焦りが見られた。それは彼女の一番傍にいて、稽古をつけている不死川にしかわからない程度のものであったが。
2人は山の奥に更に足を進めた。
先ほどまで明るく足元を照らしていた月明かりは厚い雲に遮られ、視界は途端に悪くなっていった。
名前は視覚に頼らず自分の呼吸に意識を向ける。すると自然と自分以外の呼吸も感じ取ることができた。隣にいる不死川と、近くの枝に止まってこちらの様子を伺っている梟、虫を食べている狢などの規則正しく、穏やかな呼吸。
さらに周辺の空気の流れを感じとる。
ふと微かな違和感を感じる。
不規則で荒い呼吸。周辺の空気の流れを歪にし、殺気を含ませ。肌にピリピリと引っ掻くような感覚を覚える。
「師範、います。寅の方角です。向こうもこちらに気づいたようです」
その気配は真っ直ぐこちらに向かって動き出した。
「上等じゃねェか、てめェから来てくれるなんざ手間が省けるぜーー」
2人で刀を構えて警戒する。
「一瞬で終わらしてやらァ」
不死川がそう言い終わると同時に
前方の草むらの影から
それは、姿を現した。
ガサササッーーーー
「こ、こいつは…」
「…」
2人は攻撃を忘れ、刀は構えたまま両眼を見開いて立ちすくんだ。
そこには確かに鬼がいた。
しかし痩せ細り、あまりに見窄らしく、小さな老人のような鬼だった。
「く、喰わせろっ、もう…腹が…ぐくぅっ」
「えっと…」
「こいつ…本当に鬼かァ?」
鬼はここまで走ってきて力を使い果たしたと言わんばかりに膝をついた。
全身が震え、今にも地面に倒れそうな様子であった。
鬼にもこんなことがあるのだろうか。
2人は腹が空きすぎて動けない鬼など今まで一度も見たことがなかった。
「…かまやしねェ!!鬼は駆逐する!」
その不死川の声に名前はハッとした。
想像以上に弱そうだったので油断していた。
2人、鬼に向かって地を蹴った。
鬼は動き出した2人を見る。
不死川も名前も、鬼のその恐怖に染まった瞳を見た。
不死川が地面を蹴り、一気に飛んだ。
空中で斬撃を繰り出し、すぐさま次の構えに移る。
上へ避けられたことを考えて名前はさらに上に飛んで構えて待っていた。
が、
「ぎゃっ!」
短い悲鳴と共に、鬼の胴と首は完全に切断された。
ゴトっ。
生々しい音と共に首は落ち、そのまま灰となって消えた。
「…」
「流石です師範」
「弱すぎんだろォ」
あまりのあっけなさに拍子抜けしたが、柱ともなればこの程度で片付くことも多々ある。
「一応他にも鬼がいねェか見て回るぞ」
「はい」
不死川は灰となって消えた鬼を一瞥し、足を進めようとしてそこではたと気づいた。
「悪ィ、一応血鬼術を使う鬼だったかどうかくらい確認しやァよかったな…」
「…?巻物のことを気にしてくださってるんですか?」
「…」
「…優しいですね師範は」
蕾がほころぶように笑う。
生憎と先ほどまで月明かりを遮っていた雲は流れ、顔を覗かせた満月は、その花をいっそう美しく見せた。
不死川にとってはこの他人に滅多に見せることのない笑顔が、どうにも心臓に悪かった。
「…そんなんじゃねェ」
ふいと名前から視線をそらしていった。
すると名前がこちらに歩み寄ってきた。
不死川は何か揶揄うような言葉でも言ってくるかと思ったが、予想外にもその白魚のような手は自分の左手を取ってその両手で包み込んだ。
「…っ!?!?」
情けないことに声にならなかった。
「もしも…もしも私が、帰ることができなかったら」
名前の紫水晶が月光を写している。
その光に吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「師範のそばにずっと置いてくださいますか?」
名前の瞳が不安そうに揺れる。
「いつも帰れなかったときのことを考えては、本当は夜も眠れないのです…師範がそばにいてくだされば、私は…」
名前が握る手の力が強くなる。
思わずこんなことを思った。
ーー今なら、コイツを救うことができるのか?
里に裏切られ、最も大切な存在と引き離され、今は帰る術すら失った。それでも折れそうな刃を悟られないよう、必死にその手を鬼の血で染め続けるその姿が、不死川には痛々しかった。
そしてそんな弟子に何もしてやれない自分が不甲斐なかった。
名前が求めるなら答えてやりたい。本人がそれを望み、少しでも救われるのなら。
まるで夢の中にいるような、フワフワとした感情が浮かんできてはそんな事を考えた。
いつになく華奢で壊れてしまいそうな弟子の姿を見て、その手を握り返そうかと思った。
しかし不死川はふと思った。
それは
本当に、
名前のためなのだろうか、と。
不死川はあの時、任務にともに行けずに巻物を破らせた事を何度も悔やんだ。
もちろん仕方がなかったとは、わかっている。
しかしそう簡単には飲み込めなかった。
彼女が救われることで、自責の念から自身が救われたい。
そういう想いもあることに気がつく。
不死川は今まで、踠き苦しむ彼女の背中を押し続けた。溺れないよう、立ち止まらないよう。逃げ道を作るようなことは決してしなかった。
しかしどんなに強く、芯の強いこの弟子も1人の女。
もし、恋人のもとに帰してやることができなかったら?
どうすればいい?
唐突に胸の中に矛盾と葛藤、不安が胸を引っ掻きむしる。
今彼女が望むように、この世界で生きていけばいいと、そう手を握って言ってあげるべきなのではないだろうかと。
「…お前は…本当にそれでいいのか?」
「はい」
決断を委ねるように、彼女に聞くのはずるいように思ったが、予想以上にハッキリと返事をされてさらに戸惑った。
この弟子のために、自分は今まで通り背中を押し続けてやるべきだと信じていた。しかし今、それは己の身を滅ぼす修羅の道をひたすら走れと、無慈悲な言葉にも聞こえた。
もう、立ち止まって休んでもいい。
お前が救われるならーーーー
そう思った時。
遠くから声が聞こえた気がした。
「…?おい、今…」
「え?何です師範?」
ーーーし…‼︎
もう一度名前の顔を見た。
不思議そうに自分を見上げている。
その顔は紛れもなく名前に違いなかった。
しかし。
「師範‼︎目を覚ましてください‼︎」
今度は、はっきり聞こえた。
「あー…そうだよなァ、お前がそんなこと言うわけねェよなぁ」
不死川は呆れたようにため息をつき、ガシガシと頭を掻いた。
後方にそのまま後退り、ゆっくりとその華奢な手から離れた。
そしておもむろに自分の頸に日輪刀を当てた。
「師範?!何を?!」
目の前の弟子に似た者が慌てて静止しようとした。
「だいたいてめぇ‼︎いっつも爆睡してんじゃねえか!そんなメソメソしてる暇なんかねェくらいだろが‼︎そんな半端な修行させてねェー‼︎」
「きゃあ!?」
そのまま勢いよく、不死川は自身の喉元を掻っ切った。
△
「ーーが、はっ!?」
一瞬血の気が引いて、本当に息が止まったかと思った。
ガバッと勢いよく上体を起こし辺りを見回す。
自身の首を斬った感触までやたらと現実味を帯びていたため、目を覚ましても何が夢で、何が現実なのか戸惑いを隠せなかった。
気がつくと景色は一転して、名前が先ほどの鬼の首をまさに切り落とした所だった。
「あ」
「…師範!お気づきになりましたか?」
刀を鞘に納め、振り返った名前が俺を見て駆け寄ってきた。
「…血鬼術か…」
「どうやら油断した一瞬にかけられたようですね。力は弱い鬼でしたが、それと引き換えに血鬼術に力を割いていたようです。訓練を受けていた私でも初めは幻覚だと気がつきませんでした」
「忍びにはそんな訓練もあんのかよ…」
俺は立ち上がって視線を鬼へと向けた。
鬼はジリジリと日に焼かれたように灰となって消えていった。
今度は現実のようだ。
「お前は何で幻だとすぐ気付いたァ」
不死川は立ち上がり、羽織を整えた。
忍びにはわかるコツのようなものがあれば聞きたいと、軽い気持ちで聞いた。
すると名前は少し目を伏せて言った。
「…私の見せられた幻覚には、この世界にいるはずのない人が現れたので…気が付きました」
「…そうかァ」
それが誰だったのかは聞くまでもないだろう。
幻でも、そいつのそばにいたかっただろうか…。
見せられた幻の中、壊れそうな少女の姿を思い出した。
ふと名前を見る。
視線に気付いた名前が俺を見て言った。
「幻の中に師範もいました。その師範は…私にもう頑張らなくていいって言ったんです」
「ああ?」
何だか似たような幻覚を見せられたのだろうか。
そしてどうやら偽物の俺は随分と優男なようだ。
「それが何だか気味が悪くて」
「…はあァ?!」
師に対してなんて事言いやがるこの弟子は!と、一言文句を言ってやろうと思ったが。
「ふふ、嫌ですよ。いつも私の背中を蹴り続けてくれる師範じゃないと」
そう言って笑う顔は、先日の笑顔と重なって見えた。
同時に、その時名前が言ったことを思い出した。
ーーーー貴方が、私の師で…本当によかったです。
「…」
なんだか毒気を抜かれて何も言えなくなった。
だが、俺は気付くと先ほどまでの迷いは消えていた。
「さて、帰りましょう。明日の任務に備えて早く休まなくては!」
そう言って歩き出す名前をみて、フッと笑った。
その後ろについて俺も歩き出した。
これでいい。
もう俺が迷うこともないだろう。
俺はいつだって…
お前が立ち止まらないようにーーーー
おまけ
「師範はどんな幻を見たんですか?どうして幻術だと気が付いたんですか?」
「あ?あー、…あれだ。すげぇ美味いおはぎを作るお前が出てきた」
「なるほど、それは確かに私ではないですね」
「そうだろォ」