夜の淵に咲く
名前変換
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「それが、昔話してたお前の”一番の武器”かよ」
「…はい」
小僧が帰った後、名前は縁側で破壊されてしまった傀儡の欠片たちを、一つ一つ丁寧に布で拭いていた。
とても愛おしそうに、もうすでに壊れてしまったそれを。
それでも壊れないように、そっと指先で撫でていく。
その横顔は何かに許しを乞うているように固く、しかしどこか朧気だった。
邪魔にならないように、こんな時いつもなら俺は鍛錬でもしにいくんだが…。
どうにも俺は最近のコイツに対してそれができなかった。
自分でも過保護だとは思う。
だが、また知らぬ間にこいつが…名前が冷たい深淵の底に1人取り残されて、1人壊れていってしまったらと、自分でもよくわからない不安が常に付き纏うのだ。
俺はコイツにどうしてやりたいのか…。
何をしてやれるのか…。
「教えろよ…コイツの事」
「え?」
名前は少し驚いたように一度手を止めてこちらを見た。
「作ったやつのことも…」
「…」
聞いたところで、壊れてしまったものは元には戻らないが…。
それでも俺が聞きたかったのだ。
お前がどうして、そんなにそれを愛おしそうに、大切にするのかを。
名前は一瞬何か考えているようだった。
そして視線を傀儡の欠片を持ったままの手元に戻し、口を開いた。
「私も、師範のこと聞いてもいいですか?」
「は?」
予想外の言葉に面食らった。
俺のこと?
俺の事とは何だ?
突然どうしたのか。
「師範の事、まだ知らない事沢山あるんだなって、思ったんです」
俺はまだ驚いていた。
名前は詮索するような性分ではないのはわかっていたからだ。
こんな風に直接踏み込んできたのは初めてだった。
他人に深く踏み込まないようにしている。
そんな印象だった。
そんな俺の考えを見抜いてか、こう続けた。
「私は詮索することを普段は致しませんが、師範のこと…私は何も知らないのが嫌に感じたのです」
自分でも言葉を探すように、考えながら、話しているようだった。
「師範が背負っているものが何なのか…知りたいのです。…もちろんそれをわたしが一緒に背負うことなど、出来ないことは分かっていますが」
そしてこちらを紫水晶の瞳が見据える。
「…背負うその背中を、お守りしたいのです」
太陽の光がその水晶に映り込む。
俺は気付く。
それは、俺がお前に。
「ーーーはっ、何…言ってやがる」
してやりたいと
「弟子のくせに」
そう思っていたのに。
「俺の背中を預けてもらおうだと?百年早いわァ」
俺はハッと息を吐いて、勢いよく名前の横にドカッと腰を下ろした。
そんな俺の様子を見て、名前が少しだけ笑ったのがわかった。
お前が背負うもの、俺が背負うもの。
どんなものであろうと他の人間が背負うことなんか出来やしない。
背負っているものがそもそも全く違うのだから当然だ。
だが。
何故だろうか。
名前の今の言葉に、先ほどまでの不安は風にさらわれたように清々しい気持ちになっている自分がいた。
「俺は…」
俺の過去をこんな気持ちで誰かに話す日など、金輪際訪れないだろう。
俺の家族。
荒くれ者で殺された父、愛情深く優しい…鬼になった母。
その母に殺された弟と妹たち、その母を殺した俺。
親友の死。
お館様との出会い。
たった1人生き残った弟。
絶対的な鬼への憎悪ーーー。
それを、お前はただ静かに聞くだろう。
動揺したり、同情も、憐みもしないだろう。
そして、今日の夜も。
また変わらず俺と共に、鬼の頸を斬るのだろう。
俺には、俺にとってはそれが…何と言うのだろう。
言葉にできない。
ただお前が前を向いて、刀を振るい続ける姿を見ていたいと思う。
お前と共に夜の帳を切り裂くのが、俺にとってはもう当たり前なのだ。
「師範が鬼を斬り続けるのと同じように、私もただ自分の目的のために鬼を斬り続けます」
お互い鬼を斬る目的も、鬼への感情も違う。
それでも、おかしな事だが…
お前と俺は似ていると思うのだ。
「それに…師範の守りたい方が”まだ”いる事を知れてよかったです」
お前も…守りたいもののためなら何だってするのだろう。
俺は名前の手の中にある傀儡の欠片を見た。
それが元はどこの部品にあたるものなのかも、俺にはわからなかったが…。
名前はそれをずっと手放さず、俺の話を聞いていた。
「…何とかしてやる」
「…え?」
今度は名前が俺の突拍子もない言葉に驚いた表情をしてこちらを見た。
「そいつ…刀鍛冶の里に持っていけば直せる奴がいるかもしれねェ。完全に元通りって訳にはいかねェかもしれねぇが」
言い終わると同時にその両眼が見開かれた。
何かを言おうと口を開きかけたが、代わりに静かに微笑んだ。
それはそれは切なそうに。
そして手の中のその傀儡の欠片を額に当てて、目を閉じる。
その鈴のような声を震わせて言った。
「…ありがとうございます」
庭から吹き込んだ風が、名前の肩にかかった髪を後ろに靡かせた。その時見えた横顔はまだ泣きそうに微笑んでいた。
その普段から滅多に変わらない表情を
せめて曇らしたくない
少しでも晴らしてやりてェと必死になるのは、
何故なのか。
だが
俺はそれに気づきたくないのだ。
お前はいつか、遠くに行くだろうからーーーー。