夜の淵に咲く
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「すまないね。せっかく来てもらったのにこんな状態で…。どうか許しておくれ」
私と師範はお館様の鎹鴉を見送った後、すぐに支度をしてお館様の屋敷へと足を運んでいた。
あまね様に案内された部屋では、お館様が敷かれた布団の上で、上半身を起こした状態で出迎えてくださった。
病が進行しているのだろう。以前は額の皮膚の一部が変質していただけだったが…。その範囲は広がり、もはや両目の視神経にまで及んでいるようだった。おそらく彼の目は光を捉えることが出来なくなっている。
以前お会いした際はまだ庭をあまね様に支えられて歩かれていた。
庭の紅葉したもみじをお二人で眺めていた。
こんなに進行が早く、全身にまで及んでいるなんて…。
「…いえ、とんでもございません。お館様」
師範も本当はお館様の身体の具合を聞きたくて仕方がないのだろうが…それを確認するのも躊躇っているようだ。そう言うとすぐに下を向いてしまった。
「名前…巻物のこと、実弥から聞いたよ。心配していたよ。何か早まったことをしていなければいいと…」
そこで私は勝手な行動を3日間も取っていたことをやっと思い出した。
「申し訳ございませんでした。蝶屋敷を出たのなら真っ先に任務に就くべきところをっ…」
私の謝罪を遮るようにお館様は片方の手を小さくあげた。
「もともと名前にはしばらく任務を控えてもらおうと思っていたよ。きっと立ち直るにはそれなりの時間が必要だろうと思ってね…だけど…」
そう言って挙げていた左手をゆっくりと下ろし、私の腰のホルダーを見ていた。そこにはいつものように巻物を入れていた。
「…よかった。名前、貴方の刃はまだ折れていなかった」
そして巻物から視線を戻し、私と師範を見た。
「そして…風柱、不死川実弥。君がこの子の師でよかった」
そう言われて師範がはっと息を飲んだのがわかった。
その表情は唇を噛み締めて、何か痛みを堪えているように見えた。膝の上の拳は固く握られていた。
「身に余る、光栄です…お館様…」
やっとのことで絞り出すように、そう言って師範は頭を下げた。
師範にとってお館様は最も敬愛すべき、大切な方だ。家族を失ったであろう彼にとって今、最も守りたい存在…。それが病魔に侵され、残された時間は短いことを悟った。
抗いたくともどうにもならない、焦燥と絶望がその背中に重たくのしかかっているのが見て取れた。
「そんな顔をしないでおくれ。この目で見ることは叶わなくとも、鬼舞辻無惨を倒すまでは簡単に死なないよ」
「!」
お館様はこちらの意思などまるで筒抜けのように言ってのけた。その目は光を失ったはずなのにまっすぐと私達を見ていた。
私たちを安心させようと優しい嘘をついているのはわかりきっていた。わかっているのに、その声に少し安心してしまう。いや、そうしてその優しさに縋りたいだけなのか…。しかしそんな甘えすらも許されるような、不思議な気持ちになるのだ。本当に不思議な方だ。
「必ず…鬼舞辻無惨を討ちます」
師範の声が、肩が、震えていた。拳は固く握ったまま、お館様の目をまっすぐと見ていた。それは泣いているのではないかと思うほど切ない声で、私の胸を締め付けた。
「もちろん、わかっているよ」
お館様が微笑む。
私は知らない。
師範の過去に何があったのか、鬼殺隊に入り、柱にまで上り詰めた彼の今までを。
お館様をここまで敬愛するに至った経緯も。
詮索するのは性に合わない。
でも、師範の大きな悲しみの理由が聞きたくなった。
師範の力になりたい。など、烏滸がましいだろうか。
「本題に入ろうか。実は2人に黙っていたことがあってね…。だがこうなってしまったなら一応話した方が良いだろう。名前のわずかな希望になればと思ってね」
「黙っていたこと…ですか?」
お館様のその発言は予想外だった。思い当たることが何もない。私と師範は静かにお館様が続きを話されるのを待つ。
「初めて会った時、名前と同じように別の世界から来たと話す男が鬼殺隊にいたと、話したことがあっただろう?」
「はい…突然行方がわからなくなったと」
初代月影。ある意味では私の全ての始まりだ。
あの男がいなければ一族は馬鹿げた幻想にうつつを抜かし、私のような紛い物の命が生まれることもなかっただろう。
「突然行方がわからなくなったのは…彼は鬼になった可能性があるからなんだ。…自ら望んでね」
「えっ…」
「自ら?!」
鬼になった可能性にももちろん驚いたが、自ら鬼になろうとする馬鹿げた者がいることに驚愕した。
それと同時に酷くこの血を恥た。作り物とはいえ、私にも奴と同じ一族の血が流れている。
何故よりにもよって人を喰らう鬼になど…。
「当時の当主、私の曽祖父が書き残していた。本当に鬼なったかどうかまではわからないけれど…彼は鬼にとても興味を示していたようでね。曽祖父とその時の柱たちは彼の思想に対して危険視していたようだ」
「思想…というのは?鬼の力を得たい…とか、そういうことでしょうか?」
いかにも朔夜一族らしい。手段は選ばない一族だ。
「そこまでは記録になかったから予想しかできないが…恐らくそうなんだろうね」
お館様の目が悲しげに伏せられた。
「ごめんね。君の先祖にあたる方が進んで鬼になったかもしれないなど、知らせない方が良いかと思ってね。それも曖昧な話だ。悪戯に不安を煽るだけかと思ってね」
確かに気持ちの良い話ではないだろう。今までの一族の所業に加えて、月影が鬼となり人々の命を脅かしているとしたら?それは…もしかしたら鬼殺隊の誰かの家族だったかもしれない。友人だったかもしれない。恋人だったかもしれない。
私は腰の巻物を一度触って、お館様の顔を見た。
もう絶望は沢山だ。
「その男が自ら鬼となり今もどこかで生きているのなら許されざる事です…ですが、私にとっては里に帰るための糸口になるかもしれません」
お館様小さく頷き、私が言いたい事をもう悟り切っているようだった。
「私は…里へ帰ることを諦めません。私にとって都合の良い血鬼術を持つ鬼を探すためにも、これからも鬼殺隊で鬼を斬り続けます。そして…」
横に座る師範の顔をチラリと見た、
師範はこちらを向いて小さく頷いた。
「もしその男が鬼となって今も人を喰らって生きているのならば…必ず私が倒します」
私が言葉を全て言い終えると、お館様はゆっくりと頷いた。
「そう言ってくれてよかったよ。名前。大丈夫。君は必ず本願を果たすよ」
お館様もわかっているだろう。存在するのかしないのかもわからないものを探し続けるのは途方もないことだ。
そんな存在もわからないものを探し続ける自分は、それこそ己自身の存在が不明確で、朧げで、消えてしまうんじゃないかと思う時がある。
それでも師範と、お館様が私にはついていてくださる。
それだけで、それだけが、この世界で私が存在できる理由のように感じた。
「…おい。大丈夫、かよ」
「え?」
秋も終わろうとしている凛とした空気の中。
小枝にわずかに残った枯れ葉も、風に攫われていった。
私と師範はお館様の屋敷を出て帰路についていた。
そんな中先ほどまで黙って半歩先を歩いていた師範が振り向きもせずそういった。
本当に小さい声で、私が忍びでなかったら聞き取れなかっただろう。
そしてこんな言葉をかけられたのは初めてで思わず聞き返してしまった。
「いや、なんでもねェ」
「心配してくださってるんですか?」
「…聞こえてんじゃねェか」
師範は振り向かない。
でもその背中は…どこかで見たことがある気がした。
不意に落ち葉が自分の目の前を風に乗って落ちて行った。
淡い、桃色の花弁がまた一つと落ちるその景色の中。師範の背中を思い出した。
そうだ。花柱様が上弦の弐に敗れた時も、彼の背中はこんな風だった。
まだ心配だろうか。
私はきっと、巻物を破ってしまった自分と、取り返しのつかない現実に、確かに一度心が折れた。
だけど、師範。
私はまだ刀を握れます。闘うことができます。
何故なら…
「…何笑ってやがる…」
やっと振り返った師範は私の顔を見て、一瞬驚いたような顔をした。
「ふふ。いえ、師範…私もお館様と同じ事を考えておりました」
「あぁ?」
貴方が刀を振るうその姿に、私はずっと絶望しないでいられる気がするのです。
「貴方が、私の師で…本当に良かったです」
私と師範はお館様の鎹鴉を見送った後、すぐに支度をしてお館様の屋敷へと足を運んでいた。
あまね様に案内された部屋では、お館様が敷かれた布団の上で、上半身を起こした状態で出迎えてくださった。
病が進行しているのだろう。以前は額の皮膚の一部が変質していただけだったが…。その範囲は広がり、もはや両目の視神経にまで及んでいるようだった。おそらく彼の目は光を捉えることが出来なくなっている。
以前お会いした際はまだ庭をあまね様に支えられて歩かれていた。
庭の紅葉したもみじをお二人で眺めていた。
こんなに進行が早く、全身にまで及んでいるなんて…。
「…いえ、とんでもございません。お館様」
師範も本当はお館様の身体の具合を聞きたくて仕方がないのだろうが…それを確認するのも躊躇っているようだ。そう言うとすぐに下を向いてしまった。
「名前…巻物のこと、実弥から聞いたよ。心配していたよ。何か早まったことをしていなければいいと…」
そこで私は勝手な行動を3日間も取っていたことをやっと思い出した。
「申し訳ございませんでした。蝶屋敷を出たのなら真っ先に任務に就くべきところをっ…」
私の謝罪を遮るようにお館様は片方の手を小さくあげた。
「もともと名前にはしばらく任務を控えてもらおうと思っていたよ。きっと立ち直るにはそれなりの時間が必要だろうと思ってね…だけど…」
そう言って挙げていた左手をゆっくりと下ろし、私の腰のホルダーを見ていた。そこにはいつものように巻物を入れていた。
「…よかった。名前、貴方の刃はまだ折れていなかった」
そして巻物から視線を戻し、私と師範を見た。
「そして…風柱、不死川実弥。君がこの子の師でよかった」
そう言われて師範がはっと息を飲んだのがわかった。
その表情は唇を噛み締めて、何か痛みを堪えているように見えた。膝の上の拳は固く握られていた。
「身に余る、光栄です…お館様…」
やっとのことで絞り出すように、そう言って師範は頭を下げた。
師範にとってお館様は最も敬愛すべき、大切な方だ。家族を失ったであろう彼にとって今、最も守りたい存在…。それが病魔に侵され、残された時間は短いことを悟った。
抗いたくともどうにもならない、焦燥と絶望がその背中に重たくのしかかっているのが見て取れた。
「そんな顔をしないでおくれ。この目で見ることは叶わなくとも、鬼舞辻無惨を倒すまでは簡単に死なないよ」
「!」
お館様はこちらの意思などまるで筒抜けのように言ってのけた。その目は光を失ったはずなのにまっすぐと私達を見ていた。
私たちを安心させようと優しい嘘をついているのはわかりきっていた。わかっているのに、その声に少し安心してしまう。いや、そうしてその優しさに縋りたいだけなのか…。しかしそんな甘えすらも許されるような、不思議な気持ちになるのだ。本当に不思議な方だ。
「必ず…鬼舞辻無惨を討ちます」
師範の声が、肩が、震えていた。拳は固く握ったまま、お館様の目をまっすぐと見ていた。それは泣いているのではないかと思うほど切ない声で、私の胸を締め付けた。
「もちろん、わかっているよ」
お館様が微笑む。
私は知らない。
師範の過去に何があったのか、鬼殺隊に入り、柱にまで上り詰めた彼の今までを。
お館様をここまで敬愛するに至った経緯も。
詮索するのは性に合わない。
でも、師範の大きな悲しみの理由が聞きたくなった。
師範の力になりたい。など、烏滸がましいだろうか。
「本題に入ろうか。実は2人に黙っていたことがあってね…。だがこうなってしまったなら一応話した方が良いだろう。名前のわずかな希望になればと思ってね」
「黙っていたこと…ですか?」
お館様のその発言は予想外だった。思い当たることが何もない。私と師範は静かにお館様が続きを話されるのを待つ。
「初めて会った時、名前と同じように別の世界から来たと話す男が鬼殺隊にいたと、話したことがあっただろう?」
「はい…突然行方がわからなくなったと」
初代月影。ある意味では私の全ての始まりだ。
あの男がいなければ一族は馬鹿げた幻想にうつつを抜かし、私のような紛い物の命が生まれることもなかっただろう。
「突然行方がわからなくなったのは…彼は鬼になった可能性があるからなんだ。…自ら望んでね」
「えっ…」
「自ら?!」
鬼になった可能性にももちろん驚いたが、自ら鬼になろうとする馬鹿げた者がいることに驚愕した。
それと同時に酷くこの血を恥た。作り物とはいえ、私にも奴と同じ一族の血が流れている。
何故よりにもよって人を喰らう鬼になど…。
「当時の当主、私の曽祖父が書き残していた。本当に鬼なったかどうかまではわからないけれど…彼は鬼にとても興味を示していたようでね。曽祖父とその時の柱たちは彼の思想に対して危険視していたようだ」
「思想…というのは?鬼の力を得たい…とか、そういうことでしょうか?」
いかにも朔夜一族らしい。手段は選ばない一族だ。
「そこまでは記録になかったから予想しかできないが…恐らくそうなんだろうね」
お館様の目が悲しげに伏せられた。
「ごめんね。君の先祖にあたる方が進んで鬼になったかもしれないなど、知らせない方が良いかと思ってね。それも曖昧な話だ。悪戯に不安を煽るだけかと思ってね」
確かに気持ちの良い話ではないだろう。今までの一族の所業に加えて、月影が鬼となり人々の命を脅かしているとしたら?それは…もしかしたら鬼殺隊の誰かの家族だったかもしれない。友人だったかもしれない。恋人だったかもしれない。
私は腰の巻物を一度触って、お館様の顔を見た。
もう絶望は沢山だ。
「その男が自ら鬼となり今もどこかで生きているのなら許されざる事です…ですが、私にとっては里に帰るための糸口になるかもしれません」
お館様小さく頷き、私が言いたい事をもう悟り切っているようだった。
「私は…里へ帰ることを諦めません。私にとって都合の良い血鬼術を持つ鬼を探すためにも、これからも鬼殺隊で鬼を斬り続けます。そして…」
横に座る師範の顔をチラリと見た、
師範はこちらを向いて小さく頷いた。
「もしその男が鬼となって今も人を喰らって生きているのならば…必ず私が倒します」
私が言葉を全て言い終えると、お館様はゆっくりと頷いた。
「そう言ってくれてよかったよ。名前。大丈夫。君は必ず本願を果たすよ」
お館様もわかっているだろう。存在するのかしないのかもわからないものを探し続けるのは途方もないことだ。
そんな存在もわからないものを探し続ける自分は、それこそ己自身の存在が不明確で、朧げで、消えてしまうんじゃないかと思う時がある。
それでも師範と、お館様が私にはついていてくださる。
それだけで、それだけが、この世界で私が存在できる理由のように感じた。
「…おい。大丈夫、かよ」
「え?」
秋も終わろうとしている凛とした空気の中。
小枝にわずかに残った枯れ葉も、風に攫われていった。
私と師範はお館様の屋敷を出て帰路についていた。
そんな中先ほどまで黙って半歩先を歩いていた師範が振り向きもせずそういった。
本当に小さい声で、私が忍びでなかったら聞き取れなかっただろう。
そしてこんな言葉をかけられたのは初めてで思わず聞き返してしまった。
「いや、なんでもねェ」
「心配してくださってるんですか?」
「…聞こえてんじゃねェか」
師範は振り向かない。
でもその背中は…どこかで見たことがある気がした。
不意に落ち葉が自分の目の前を風に乗って落ちて行った。
淡い、桃色の花弁がまた一つと落ちるその景色の中。師範の背中を思い出した。
そうだ。花柱様が上弦の弐に敗れた時も、彼の背中はこんな風だった。
まだ心配だろうか。
私はきっと、巻物を破ってしまった自分と、取り返しのつかない現実に、確かに一度心が折れた。
だけど、師範。
私はまだ刀を握れます。闘うことができます。
何故なら…
「…何笑ってやがる…」
やっと振り返った師範は私の顔を見て、一瞬驚いたような顔をした。
「ふふ。いえ、師範…私もお館様と同じ事を考えておりました」
「あぁ?」
貴方が刀を振るうその姿に、私はずっと絶望しないでいられる気がするのです。
「貴方が、私の師で…本当に良かったです」