夜の淵に咲く

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日の暖かさを確実に感じるようになった頃。

「ここは…もしかして楽園かもしれないですね」

頭上には満開の桜。
重なり合う桜の花弁の間から、青空が覗いている。
禁術は成功していて実は本当に楽園にきたのではないかと、一瞬思ってしまった。

「楽園だァ?桜だけで大袈裟なもんだなァ」

その考えを打ち消すように隣から情緒も何もないと言わんばかりにぶっきらぼうな声が聞こえた。
そうだ、鬼が暗躍するこの世界は、彼にとって楽園とは程遠いものだろう。そう気づいた名前は小さな声ですみません、と呟いたが不死川は特に気にした様子もなかった。

「私、桜は初めて見ました」
「嘘つけェ」
「本当です。私の故郷は砂漠が多い乾燥した土地で、この国の様に自然豊かではありませんでしたから」
「まじかよ」

美しい森、川、海、それぞれ四季ごとに移ろう色。
何と見事なことだろう。

「見せて、あげたいものです…」

そう届かない想いを呟いたときだった。

「カァァァ‼︎さねっ実弥!実弥!」

名前が呟いたのと同時に、不死川の鴉が上空から飛来してきた。

「んだよ。騒々しいィ」
「ハ、花柱!上弦ノ弍ニ遭遇!」
「‼︎」
「え?!」
「重症!蝶屋敷ニ運バレタ!」

カラスの言葉を最後まで聞かずに弾かれたように不死川は走り出していた。
名前もすぐさま後を追った。







蝶屋敷に着くと2人は挨拶もせず上がり込んだ。
不死川が病室に駆け込んむ。

「胡蝶!」
「不死川さん、名前!来てくれたんですね」
「しのぶ様!花柱様は…」
「一命は取り留めました…ですが凍傷が酷くて、内臓にも損傷があります。刀を再び握るようになるのは…もう…」

しのぶは随分憔悴仕切った様子だった。
ベッドには血の気のない、青白い顔をした胡蝶カナエが横たわっていた。手や足の末端は凍傷のせいだろう。何重にも包帯が巻かれている。
あの天真爛漫で花が咲いた様に笑う麗人は今はそこにはいなかった。
不死川は拳を握った。自分の爪が掌に突き刺さっているのにも気づかないほど怒りに震えていた。

「しのぶ様…差し出がましいとは存じますが、私も治療の経験ならあります。私が花柱様を少しの間見ますので…しのぶ様も少しお休みになられては…?」

カナエに劣らずしのぶも随分青い顔をしていた。
最愛の姉がこの様な姿で帰ってきたのだ。無理もないだろう。

名前…ありがとう…大丈夫、大丈夫よ」

小さいその華奢な体は小さく震えていた。

「しのぶ様…」

名前はそっとその肩を抱きしめることしかできなかった。
次の瞬間にはそれまで抑えていた感情がしのぶの藤色の瞳から溢れた。

「うっ…ゔ…っく」

不死川はカナエの頬に触れた。
人の体温とは思えないほど冷たかった。しかしそれでもわずかな暖かさを感じた。

「安心しろォ…鬼は皆殺しにしてやる。…お前は、少し休んでろ」

そう言うと踵を返して部屋を出て行った。
流石の名前も今の不死川には話しかけることができなかった。

名前はしのぶの体を抱きしめ続けた。
これしかわからなかった。
作り物だが…少しでも自分の体温が伝われば良いと思った。

やがて落ち着きを取り戻してきたしのぶが小さく話し始めた。
カナエは1人で上弦の弍と戦ったこと。
しかし倒すことは叶わなかったこと。

「上弦の弍は…朝日が昇ってきたため姉にとどめを刺すことができなかったようです。重傷に変わりありませんが、生きて帰ってきてくれました」

それでも内臓に及ぶまでの重傷…。
一命を取り留めたとは言え、無事目を覚ましてくれるかどうかしのぶは気が気でなかった。
そんな様子のしのぶに名前は何と声をかけて良いかわからなかった。

「しのぶ様…私に何かできることはありませんか…?」
「…」

しのぶは頬に涙の跡を残したまま力なく笑うだけであった。
それがあまりにも苦しかった。

「そ、ぉね…女の子だけでお茶なんて、どう…?」
「‼︎」

思わぬところから返事があり名前としのぶは勢いよく振り返った。

「姉さん!!」
「…しのぶ…心配、かけ、て…」

2人ともベッドに駆け寄る。
先ほどと変わらず血色は悪いものの、花柱…胡蝶カナエは目を覚まし、その瞳にはいつもの慈愛に満ちた光を携えていた。
しのぶは包帯でグルグル巻きにされたカナエの手を握った。

名前ちゃん…きてくれて…」
「花柱様、どうか私の事はお気になさらず。私は一度屋敷に戻って師範に花柱様が目を覚まされたとお伝えしてきます。今はどうかお体を休めてください」

自分がいてはカナエはゆっくり休めないだろうと思い名前は部屋を出ようとした。それに早く師を安心させてやりたかった。
しかしそれをカナエが引き留めた。

「待って…毒を…ありがとう」
「え?」
「毒って…もしかして以前名前がくれた毒に、私が藤の毒を調合した…?」

カナエはゆっくり頷いた。
試しに使ってみて欲しいと、その調合した毒をしのぶはカナエに渡していた。
上弦ともなると毒の分解能力も凄まじく、それ自体で倒すことはできなかった。だが、明らかに毒が回っていた様子もあり、血鬼術が不安定であった。

「あれがなかったら…きっと朝まで持ち堪えれなかった…2人のおかげよ…」

名前はその言葉に首を振った。

「いいえ、カナエ様を助けたのは調合したしのぶ様です」
「ううん。私からもお礼を言わせて。ありがとう、名前
「しのぶ様まで…」

カナエの傷は深い。
名前はたまたまサソリが作ってくれた毒を渡し、毒をさらに改良したのはしのぶで、自分は助太刀にも行けなかった。お礼を言われるような事は何一つできなかったと、後ろめたい気持ちにもなった。
だが先程とは変わって目を覚ました姉を前に、顔色を取り戻しつつあるしのぶをみて、カナエの命が救われたことに心の底からよかったと思った。

「…本当に、良かったです」

ここにはいない恩人に心の中で礼を言った。







日が少し傾いてきた頃。
風が少しずつ桜の花弁を散らしていた。

「師範…」

蝶屋敷からの帰り道、先ほどと同じ桜を見上げている不死川を見つけた。
美しく咲き誇る桜とは対照的に、その横顔は無表情で、感情を読み取れなかった。
名前は隣に立つと静かに話しかけた。

「花柱様があの後目を覚まされましたよ」

ピクリ、と小さく肩が動いた。

「…そうか」

その声は思っていたよりも落ち着いていた。

不死川は桜に背を向けて歩き出した。
名前も後ろをついて歩き出した。

散らされた花弁が風に舞い、2人を追い抜いていった。
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