第一章・第2幕【改変現代~天地戦争時代まで】
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暫く二人で稽古をした後、二人はお互いに背中合わせの状態で座り込み、息を整えていた。
流石に激しい稽古の後なので、息も絶え絶えだ。
それでも二人の顔は晴れやかで、笑顔が浮かんでいた。
「はぁ、はぁ。」
「はぁ、僕の、勝ちだ。」
「えぇ…?そう、だったかな?」
「どこをどう見ても僕の勝ちだろう?」
そんな、他愛ない会話をして二人で「くだらない」と笑いあった。
「「……。」」
そうして訪れた静寂。
でも心地好い疲労感に二人は身を任せていた。
スノウはそんな疲労感に任せて、ジューダスの背中へ重心を預けて目を閉じた。
「……強くなったね。」
「……。」
「昔の君とは大違いだと思えるくらいには強くなっているし、私じゃあ適わなくなってきたかな。これじゃあ、君の稽古相手として務まらないよ。」
「……まだだ。」
「ジューダス?」
「まだ…僕はお前を守れるほど強くない。本当は自分で分かっている。だが、これでも努力しているつもりだ。」
「君がそんなことを言ったら私なんてまだまだ底辺じゃないか。」
体重を預けていたスノウは、目を開けてジューダスへと振り返る。
その顔は真剣そのもので、茶化せる雰囲気ではなかった。
そんなジューダスを見て、スノウはフッと笑う。
「……ねぇ、レディ?」
「だから僕はレディじゃないと──」
「賭けるよ。」
「……。」
「5%──その5%を信じる。君に……私の命を預ける。だから、先に謝っておくよ。ごめん。」
「……謝られる理由がないが?」
「あるよ。大いにある。私は君に命を預ける。そんな身勝手な人間で……ほんと、ごめん。君の幸せを願うなら、本当なら違う願いをするべきなんだ。……君はもしかしたら私によって殺されるかもしれない。そう考えたら足が竦む……。それに君の隣に居たいという願いも諦めなくちゃいけないんだ。」
「……。」
静かに聞き入れるジューダスは、スノウを見ずに真剣な顔でそれを聞き続けた。
スノウもその場で膝を抱え、そこに顔を乗せてポツリポツリと話し出す。
「……簡単な話だ。一度死ねばいい。一度死ねば、私はこの苦しみから解放され、君もこんな煩わしいことから解放される。そんな……簡単な事が一番最適解なんだって分かってる。」
「……スノウ。」
ジューダスがスノウを振り返る。
しかし、振り返ったと思ったらジューダスはスノウに押し倒されていた。
ジューダスの上に乗ったスノウは悔しそうに唇を噛み、そしてジューダスの首をその細い手で締めていた。
しかし、力が入っているのは右手だけだ。左手なんて可愛らしい力で押さえられているだけで、むしろ触れているだけに近いのかもしれない。
「────君に刃を向けるのが怖い……」
「…!」
「君を傷付けたくない……。君をこうして……壊してしまいそうで………………怖い…。」
「……。」
「大切な君を……壊そうとする自分が…なにより怖い……!」
ポロポロと涙が落ちる。
それはジューダスの頬に当たり、下へ流れていく。
赤と海の色から、雫が落ちていく。
悲しみが……涙となって、下にいるジューダスにも伝わってくる。
「前世であれだけ大切にしていた君を…!何故……壊さなくてはいけない…?」
「……。」
「本当は全てが怖い…。でも一番怖いのは、君を傷付ける事なんだ…!」
「……。」
「そんな自分が許せないんだ…!でも、君は何度だって私を説得してくれる……。何度も、助けてくれる……。それに…………どれだけ救われているか…。」
「……。」
「何度だって、君は私を導いてくれる…。だから、私だって、前を向かなくちゃ。」
そう言って、首を締めていた手をジューダスの頬へと優しく持っていく。
泣き笑いに変わったスノウは、ジューダスの瞳を見つめる。
「君には本当、迷惑しかかけてないね…?でも、君のその5%……。私は賭けてみようと思う。どんなに苦しくっても、君が頑張ってくれる限りは、私も頑張る。……でも、もし……諦めたくなったその時は────」
“君の手で私を壊してくれ”という言葉は掻き消されてしまった。
スノウは体を起こしたジューダスによって強く抱き締められていたからだ。
まるで、それ以上先は言うな、とでも言うように。
「必ず、お前を救うと誓う。5%だか何だか知らないが、僕を信じろ。」
「ジュ──」
「お前は今まで通りでいろ。何も恐れることはない。何故なら、お前は誰も傷付けはしないからだ。……寧ろ、自分の体の心配の方をしていろ。左腕…完全に壊してるじゃないか。」
そう言ってムッとした顔でスノウを見るジューダス。
左腕に触れるも、なんの反応も見せないスノウに流石にジューダスも渋い顔をした。
「お前、ここ最近自分の体を疎かにしすぎだぞ。僕の為と思うなら、もう少しそっちに気を配ったらどうだ?」
「……ははっ。説教が始まってしまったね。」
ガミガミという姑みたいに、今のジューダスはスノウに対して口うるさく説教する。
主にスノウの体を思っての事だと分かっているので、スノウも口を挟まずに苦笑いで聞いていたが、そっとジューダスの胸に自身の頭を乗せる。
そしてゆっくりと目を閉じて、彼の言葉を……彼の声を聴いていた。
その内彼の体温も堪能し始めるスノウに、ジューダスも笑って嘆息する。
そしてジューダスはスノウを抱きしめて、そのまま暫く温めてやった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「へぇ?じゃあその鈴が鳴りさえすれば、私はこの状態から抜け出せるんだね?」
食事をしながらスノウは話を聞いていて、鈴のついたシャルティエを見る。
『あれから一度も鳴らないんですよ!これ、鳴らすの結構難しいんです!』
「……だから5%か。」
「一回鳴らすだけでは効果はないらしい。何度も何度も鳴らせてようやく効果が出るらしいからな。」
エニグマが運んでくれた食事に手をつけながら、ジューダスも答える。
隣にはあの分厚い本があり、ペラペラと捲られていた。
止まったページのとある部分を指すジューダスに、スノウが腰を上げてその本を覗き見る。
〈浄化の鈴〉
呪いを解呪するために必要な鈴のこと。その鈴を鳴らす事で、呪いを浄化させ、安息をもたらす。軽いものであれば一度鳴らすだけで効果があるが、深いものであれば何度も鳴らす必要があり、これを継続して又は連続して鳴らすのは至難の業である。
関連熟語:鈴鳴
〈鈴鳴〉
浄化の鈴を鳴らす行為のこと。継続して鳴らすには修行が必要で、会得するまでに数年は掛かる。また、鈴鳴はその音色でも効果が変わってくるため、かなり難解な行為のひとつとされている。
「……やっぱり、諦めるか…?」
『ちょっと、スノウ!!さっき賭けてみるって言ってくれたじゃないですか!!』
「まぁ、これを読んで気持ちはわからなくもないが、僕は諦める気は更々ないぞ。」
「……本当、かっこいいよ…君は…。」
深い溜息を吐きながらスノウはそう零す。
座っていた椅子の背もたれに背を預け、遂には天を仰いでしまった。
スノウは何故エニグマが5%だと言ったのか、理解出来たから遠い目をしているのだ。
これは一筋縄じゃいかないな、と思ったからだ。
「もし、もしだよ?これの会得に数年掛かったら、カイル達は…?」
「ふん。大体僕たちが居なくともアイツらならやっていけるだろう?」
「いや、それには違いないけどさ…?でも、居ないといけないと言いますか…。」
「諦めろ。お前の体優先に決まってるだろう?…それに、だ。僕達が数年掛かったとしよう。アイツらなら外でずっと待ってる気がするが?」
結局置いてきた甥たちのことを思い出し、ジューダスも遠い目をした。
一体外は何をしているのやら…。
「もうここに来て3日くらいって言ってたね?…そうなると、本当にまずいなあ?」
「アイツらは待たせておけ。それより、食事が終わったら付き合ってもらうぞ。」
「分かったよ。……私が君達に襲いかからないことを祈るよ。」
「ふん。それこそ気にするな。僕は怪我ひとつ負わないからな。今の左腕が使えないへなちょこなお前の攻撃など、躱せるに決まってるだろう?」
「今の左腕が有難いような有難くないような…。」
そうか、鈴を鳴らすためにあの時、稽古だと言って誘ってくれたのか。
スノウはそれを聞いて感慨深くなる。
使えなくなってきた左腕に触れ、僅かに顔を顰めたスノウだが、その様子を見てジューダスから回復技が飛んでくる。
……今、この左腕の状態を喜んでいたのに回復させないで欲しい。
「いいよ、ジューダス。回復したら君が…」
「阿呆。いよいよ使えなくなったらどうするつもりだ。」
「……まぁ、言い得て妙だね。でも全てが終わってからでいいよ。……少しでも君の生存確率を上げたいからね。」
「それこそ無用の長物だ。ほら、やるぞ。」
鈴の着いたシャルティエを持ち上げ、臨戦態勢を整えるジューダス。
スノウも相棒を持ち、ジューダスと対峙する形で構えた。
「さぁ、やるぞ!」
「ふふ。いつにも増して気合い十分だね?」
「当然だ!早くこの鈴を鳴らさないといけないからな!」
『坊ちゃん!頑張ってください!』
「…さて、私もやるとしますか……。」
僅かに左目を押さえたスノウだが、相棒を大きく振り、ジューダスを見据えた。
「後は頼んだよ、ジューダス。」
「任せておけ。いっそ気を楽にしていろ。」
「そしたら君に負けるじゃないか。」
「どうせ負けるんだ。今更だろう?」
「……言ったね?」
笑いながらスノウがジューダスへ攻撃を仕掛ける。
それを見越して、ジューダスの方も笑いながらそれをシャルティエで受け止める。
何度かの攻撃を繰り返し、お互いに戦闘に集中していた。
__その光景を、エニグマが優しい眼差しで見ていたとは露知らずに。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
もう何度稽古と称して、こうして彼と戦っただろう。
あれからというもの、あの鈴が鳴る事はなく、何度もジューダスが悔しがっていたのを乱れた呼吸を整えながら見ていた。
それでも彼が諦める事は決して無かった。
次だ、とシャルティエを手に持ち、私へと何度戦いを挑んできただろう。
しかし、今日は違ったのだ。
「うっ、ぐ…!!」
『「っ!?」』
突然、左目を押さえ、フラリとしたスノウ。
それを見てジューダスが焦燥に駆られる。
__また来てしまったか、と。
「…はぁ、はぁ、はぁ…!(まずい…!ドロドロしたものが…身体中に回るのが早い…!呑み、込まれる…!!)」
『スノウっ!』
「……まずいぞ。まだあれから鈴は鳴っていない。相当、スノウの中で赤のマナが膨れ上がっていてもおかしくはない…!」
「…………。」
未だ左目を押えたまま、黙り込んだスノウにどちらともなくゴクリと喉が鳴る。
念の為にシャルティエを構え、スノウを見続けていると───
「──────はははっ…!」
ニヤリと笑い、それは狂気の笑顔だった。
そして、その瞳はもう海色の瞳ではない。
両方赤い目をしていた。
ジューダスを見て更に笑ったスノウは、そのままジューダスに向かって大きく相棒を振りかぶる。
そしてジューダスがそれをシャルティエで受け流すが、今までやってきた剣戟より遥かに重いそれに、瞬時にジューダスは本気を出さなければ殺られると悟った。
「あはハハはっ!!!」
『スノウ…!!目を覚ましてください!!!』
片腕だけでもこの威力…。
左腕が使えていたらどうなっていたか…。
「太古より出でよ!!エンシェントノヴァ!!」
「っ!?」
魔法を使ってきたことなど無かったのに。
慌てて大きく後退したジューダスだったが、その判断が良かった。
先程居た場所は、最早焦げるとかの問題では無い。
地面が抉れているのだ。
あれを喰らっていたら…と思うとぞくりとした。
『坊ちゃん…!スノウの様子がいつもと違います!!このままじゃ…!』
「分かっている…!鈴鳴を成功させないと…あいつも僕も、ただじゃ済まない…!!」
変わらず狂気の笑みを浮かべて詠唱に入るスノウ。
もう自我が無いのだろう。
完全に“狂気”というものに呑み込まれている様だった。
「柩にて砕けよ!インブレイスエンド!!」
お次は水属性と来たか、とジューダスが再び大きく後退した。
それを見計らっていたのか、一瞬で飛んできたスノウの攻撃を首の皮一枚で避ける。
それも目を見開いて、愉しそうに攻撃してくるのだから厄介なものだ。
「シャル!」
『は、はいっ!!』
『「__エアプレッシャー!」』
「ハははっ!!?遅い遅いっ!!!」
軽々と避けるスノウは、すぐに次の詠唱に入っていた。
「暴風来たりて切り刻めっ!フィアフルストーム!!」
風属性でも高威力の魔法を使うスノウ。
彼女のマナ切れが先か、それともジューダス達が負けるのが先か…。
「くそっ…!何故鳴らないっ?!」
シャルティエを振ってみるが、鈴が鳴る気配がない。
どうしたらいいか分からないまま、スノウはずっとこちらに向けて攻撃をしている。
何とか鈴を鳴らそうとジューダスが頑張っていたその時、闇よりエニグマが現れてスノウに向けて手を翳した。
すると、その手に集まる様にスノウから赤い光が漏れ出す。
「うっ?!ぐっ…!」
『坊ちゃん!!恐らく、エニグマはスノウのマナを吸ってるんだと思います!!急がないと、スノウは…!!』
「くそっ。どういうつもりだ!!」
「坊や、制限時間は20分だ。その間にその鈴を鳴らせないようなら諦めろ。」
「やめろっ!?」
「元々、娘から頼まれている。何かあった時は頼む、と。今この状態の娘は放っては置けん。放っておけば外に飛び出して他の人間に害をもたらす。そうなる前に私が娘を始末する。」
「っ!!」
『やめてください!!スノウが可哀想じゃないですか!!』
「何が可哀想なものか。娘たっての希望だ。その名前の通り、“希望”を叶えてやろう。」
僅かにふらつく様子があるものの、それでもまだ狂気に呑み込まれているスノウを見て、ジューダスが必死に鈴を鳴らそうと躍起になる。
焦りが──怒りがジューダスを襲う。
「(くそ、何故…何故僕はこんなにも無力なんだ…!力が欲しい…!力があればあいつを救ってやれるのに……!!)」
スノウを壊そうとするエニグマ。
そしてジューダスや自分自身を壊そうとしている今のスノウ。
言葉に出来ない怒りや悔しさ、無念さ、そして無力さを感じさせられる。
怒りに感情を任せても何の意味もないというのに。
後悔しているだけでは先に進めない、というのに。
どうして、こんなにも自分は無力なんだ。
その思いがジューダス自身に重くのしかかってくる。
「くそっ!!!」
攻撃をしてきたスノウに防戦一方なのも意味は無い。
早いところ鈴を鳴らしてやらなければならない。
でなければ、スノウは生命線でもあるマナを失くし、死んでしまうかもしれない。
「鳴れ…!鳴ってくれ…!!!」
時々攻撃を受け流しながら、シャルティエを振るう。
しかしそのお飾りの鈴が鳴ることはない。
タイムリミットが迫ってくる。
それがとてつもない恐怖としてジューダスに襲いかかってきた。
___だからだったのかもしれない。
ジューダスは遂にその身にスノウの攻撃を受けてしまう。
避けたと思われた攻撃がジューダスの右腕を掠めた。
そしてスノウは立て続けにジューダスの腹部に蹴りを入れ、大きくジューダスの体を吹き飛ばした。
『坊ちゃんっ!!!!』
ミシリと音を立て悲鳴を上げる骨と内臓、そして地面を転がっていく身体。
圧迫された腹部を押さえながらフラリと立ち上がったジューダスだったが、すぐ目の前にスノウの攻撃が差し迫っていた。
それを何とか避けきると、態勢を整えようとジューダスは大きく後退した。
しかしそんなジューダスを見逃してくれるはずも無く、スノウの攻撃は鋭くなるばかりだった。
ジューダスの頬を掠め、足を裂き……遂にはジューダスの体へその刃を入れた。
「ぐあぁっ!!」
『坊ちゃんっ!!!』
すぐに身を引き、傷がまだ浅かったとは言え、出血はある。
流れ出る血を止めようと左腹部を押さえれば、スノウはその隙を見逃さず、ジューダスに大きく相棒を振りかぶった。
身を捻らせ、僅かに掠ったその攻撃の後、容赦ない蹴りがジューダスへと襲いかかる。
武器を手放し、力なく転がっていくジューダスの体。
それに彼の愛剣が悲鳴を上げる。
『坊ちゃんっ!坊ちゃん!!』
スノウが武器をゆっくりとジューダスに突き付ける。
そして狂気の笑みで、ジューダスを見下ろした。
「……。」
静かに歪んだ笑みを浮かべ、ジューダスを見る赤目。
荒い息を吐き出しながら、ジューダスはその赤目を睨みつける。
まだ、まだやれる。
そんな意味を込めて睨んだ視線も、今のスノウには全く意味がないようだ。
「諦めろ、坊や。」
間に割って入ったエニグマが、ジューダスを冷たく見下ろす。
「それ以上やれば、坊やが死ぬことになるぞ。もうこれで分かっただろう?今の娘は、もう坊やの知っている娘では無いことに。」
しわがれた声が、冷たくジューダスの耳に届く。
しかしそれを聞いてもまだ体を動かそうとするジューダスに、エニグマがやれやれと首を振り、目の前にいるスノウを睨みつけた。
「……随分と派手にしてくれるな?」
「くっくっくっ…!」
スノウの声なのに、それはまるで別人が乗り移ったかのような声音。
可笑しそうに笑いだしたスノウは、口元に手を当て、愉快そうに更に嗤いだす。
?「────実に愉快だ。まさか……お前が人間に手を貸しているとは知らなかったぞ。なぁ?夢の“神”よ。」
「…!」
急に話し出したスノウは、完全にエニグマを視界に入れて話していた。
ジューダスがエニグマを見ると、極めて冷静に彼女はスノウの方を見ていた。
「貴様も、よくもまあ、こんな辺鄙な地まで娘の尻を追い掛けてきたものだ。そうであろう?狂気の“神”よ。」
「なん、だと…?」
今目の前にいるのはスノウであるはずだ。
なのに、狂気の“神”などと言うエニグマをジューダスは信じられない気持ちで見ていた。
「くっくっく…。生憎、面白い事やものがあると惹かれる質でね。この娘…、実に良い素地を持っている。興味を惹かれるのも無理は無い。事実、お前も似たような口だろう?」
「無論だ。彼奴が見つけてなかったら私が先に貰っていたところだ。こんな良い素材を見逃せるほど、良い性格をしていないのでな。」
「くっくっく。激しく同意だ。」
目の前にいるスノウは恍惚な顔を浮かべ、自身を抱き締めた。
妖艶なそれに、ジューダスの喉が鳴る。
「あぁ…!この身体は馴染みが良い……。私の所の〈御使い〉は、体馴染みが悪くてな。……肉体の相性は最悪と言うやつよ。内面……精神的な部分では同化出来るが、な。」
「相変わらず趣味の悪いことをしておるな。吐き気がするわ。」
嫌そうにシッシッと虫を払うような動作をしたエニグマ。
それに可笑しいと嗤うスノウの姿をした何か。
……どうやら、2人は知り合いのようだ。
「無垢、純真、純粋……。そして、素地の良さ……。ここまで惹かれる人間は生まれて初めてだ。」
「そうだろうな。彼奴も喉から手が出るほど欲しがっておった。手に入れた暁には、三日三晩歓喜に打ち震えておったわ。……気持ち悪い。」
すると、どこからか、ぺかーと光り出す。
それを二人は見て、そして鼻で笑っていた。
「ふん…。忙しくしていても、自身のお気に入りには目を光らせているか。」
「まぁ、貴様が横入りするとは思っておらんだったようだがな。」
「くっくっく。手に入れて、余りの嬉しさに目が曇ったか?誰もが欲しがるような人間だというのに。」
「彼奴の目はいつも曇っておるわ。」
そして、向こうから激しい点滅が繰り返される。
どうやら、怒っているようなそれに二人は視線を戻して何事も無かったかのように話を続ける。
「娘から出ろ。狂気の“神”」
「何故?こんなにも口惜しく、離れ難いのに。」
「自分の私利私欲を人間にぶつけるな。……壊れるだろう。」
「壊れてしまうくらい、人間は儚く脆い……。それこそが人間の良さだと、なぜ気付かない?」
「気付いておるからこそ、言っておる。3度は言わん。───離れろ。」
「まぁ、待て。もう少し余興を楽しませろ。」
そう言って狂気の神はジューダスに視線を移す。
「この人間……お前のことを酷く心配しておったぞ?」
「!!」
「心配が故に、お前の代わりに言ってやったぞ? “男が死にそうなのは、お前のせいだ”と。」
「っ、貴様…!」
「くっくっく。安心しろ。すぐにここに閉じ込めてやったからな。」
そう言って、目の前のスノウは手のひらを上に向けると、そこには彼女の手のひらに収まるくらいの立方体の透明な何かがあり、その中には黒いものに絡みつかれ、囚われているスノウが居た。
ずっと目は固く閉じられており、時折苦しそうにもがいている。
「あまりにもお前が大事だったようでな……。その言葉を突き付けてやった途端…面白いくらい、心というものに隙が出来た。そのお陰で簡単にここへ閉じ込めることが出来、そして私がこの体に乗り移ることが出来た。協力、感謝するぞ。」
「…っ!!!!」
ジューダスがくわっと目を見開き、怒りを顕にして目の前にいるスノウを攻撃する。
しかし、それもひらりと躱されてしまう。
「良いのか?攻撃して。お前にとっても、この身体の持ち主は大事なんだろう?」
「…っ、」
「折角だから、この体でこの世界を掌握してみたいものよ…。……そうだな?この世界では、昔そういうことをしようとした男がいたな?確か……ミクトランと言ったか?」
「!!」
『っ!!』
「あの男のように世界征服したら、面白い余興になるやもしれんな。どう思う?」
「………そいつを返せ。」
「くっくっく。やれるならやってみるがいい。それこそ、昔の再来ではないか?乗り移られた者の末路など……お前らならよく知っているんじゃないか?」
シャルティエが声にならない叫びを上げる。
それは昔……はるか昔。
シャルティエのオリジナルがいる時代の話だ。
ハロルドの兄であるカーレル・ベルセリオスがミクトランと刺し違え、死んだこと。
しかし、そのソーディアンであったベルセリオスにミクトランが乗り移り、1000年の時を超えてリオン達に牙を剥いたこと。
そして、その乗り移られた人こそ、自分のマスターの父親だった人。
だからこそ、シャルティエは今怒りに震えていた。
また……また、同じことの繰り返しなのか、と。
ましてや、それが……自分の大好きなマスターとその友人であり大切な人だからこそ、シャルティエは苦しんでいた。
『やめろ…!』
「くっくっく…。そっちの剣の方がダメージが大きかったか。」
『二人を…、二人を引き離すなんて…!!許せませんっ!!!』
「だったらどうする?もう後には引けないだろうに。」
シャルティエの方を向き、自身をトントンと叩いた狂気の神。
その乗り移られているのがスノウなのだから。
「世界征服など、人間にしか出来ない芸当よ。我々には到底触れられないことだからこそ…!興味がある…。世界征服をしたその先……、人間は一体何を思い、何を考えるのか…。実に興味深い。」
「……趣味の悪いヤツめ。」
「くっくっく。そう褒めてくれるな、夢の“神”よ。……で、どうする?刺し違えても、世界を守るか。それとも、自分の愛する女に殺されるか。さあ、選ばせてやろう。どっちがいいのだ?」
手を差し伸べ、ジューダスを狂気の笑みで見つめるスノウ。
「いや、言い方がまずかったな? ___愛する女に手をかけられるのと、愛する女に自ら手をかけるの……どっちがいい?」
にやりと嗤うスノウに、ジューダスが強く拳を握る。
歯を食いしばり、強い怒りを堪えている。
ここで怒りに身を任せれば、狂気の神の思う壷だ。
こいつは人間が感情に左右されることに対して、面白がる傾向にある。
だからジューダスは、一度大きく深呼吸をした。
「……?」
その行動にスノウが首を傾げる。
何を思っているのか、と考えあぐねているのかもしれない。
「___僕、はっ…こいつを…殺しもしないしっ、お前の…好き勝手にも、させない…!!」
痛む体を叱咤しながら、ジューダスが体を起こし、赤の瞳を睨みつける。
それに一度ポカンとしたスノウだったが、すぐににやりと嗤う。
「(これだから人間は面白い…。)……出来るものならやってみるがいい。」
「───坊や。」
そこへ横入りするようにエニグマがジューダスを引き止める。
その顔は真剣にジューダスを見据えていた。
「坊やがこのまま勝負を挑んだところで、相手は仮にも“神”だ。勝てるはずがないだろう。」
「だがっ、」
「そこで、だ。」
スノウの見た目をした狂気の神は、エニグマのその行動に「何だなんだ?」と興味津々に二人の会話が終わるのを待っている。
それを横目で見たエニグマが視線を元に戻し、大きく溜息をつく。
「どうしても勝ちたいか?」
「勝ち、たい…!」
「そんなボロボロの体で、死にそうになっていると言うのに、娘のためにまだ体を張るというのか?」
「あたり、前だ…!僕は、あいつと…っ、約束を、したんだ…!」
「そんなもの、いっそ捨ててしまえばいいものを。」
「絶対、に……捨ては、しないっ…!あいつを…、スノウを……僕自身が、守りたい、と…願う、から…!」
「なら坊や、最後の質問だ。─────力が欲しいか?」
「欲しいっ…!僕に、あいつを守れる、力があれば……こんな事に、は…!」
「そうか。ならば、とてつもなく嫌だが……、良かろう。」
そう言ってエニグマはジューダスの胸に手を置くと、フンッと力を入れ彼の胸を圧迫した。
「ぐはぁっ!!!」
あまりの圧迫に体が悲鳴をあげ、呼吸が一瞬止まる。
苦しさから胸を押えたジューダスだったが、何故か胸を押える頃には痛みは消えていた。
それに……何故か、全身の傷も今は見る影もない。
「何を、した…!?」
呆然となるジューダスを見下ろし、腕を組んだエニグマはふんと鼻を鳴らす。
「いいか、坊や。力を欲するということは、ハイリスク・ハイリターンが基本だ。今の娘を見ろ。ああやって〈御使い〉として現世に顕現させられたあと、ああやって苦しみ、もがいている。……普通の生活が出来る環境では無い。」
「……。」
急に語り出したエニグマを、さっきの痛みのこともありジューダスは睨みながら話を聞く。
「坊やはあんな生活を見て、どう思う?」
「……回りくどいぞ。早く結論を言え。」
「そうだな。なら言わせてもらおう。かなり……かなーり嫌だが、坊や。〈御使い〉になる気はないか。」
「……!!」
確か、あの本に書いてあった言葉だ。
神の代弁者であり、神に顕現させられた存在…。
云わばスノウのような存在のことだったはずだ。
それを聞いて、ジューダスはほくそ笑む。
「────望むところだ。」