第一章・第2幕【改変現代~天地戦争時代まで】
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……終わったか?」
占い師の格好をしたエニグマが、2人分の食事を持って闇の中から現れる。
それにジューダスが腕を組み、エニグマを見据えた。
「……こいつの今の状態は?」
「先程、坊やに魔法弾を撃ちすぎてマナが枯渇している状態だ。……逆に好都合だ。」
「……だから、止めなかったのか。」
「この娘が決めた事には応援すると決めている。だからこの娘がマナを使い切り、“死ぬ”と決めたのなら、それに従うつもりだった。」
「っ!? 貴様…!」
「逆に坊やが止めただろう。なら、何の問題もないはずだが?」
テーブルに2人分の食事を置いたエニグマは、配膳を始める。
ジューダスに椅子に座るよう促せば、恐る恐るといった具合で彼は椅子に座る。
「毒は入っていない。今のうちに食べておけ。これからが大変だぞ。」
しわがれた女の声がそう告げる。
相変わらず特徴的な声をしている、とジューダスが鼻を鳴らし、目の前の食事に手を伸ばす。
「これからが大変だ、と言うのは?」
「……あの娘のマナは枯渇寸前ではあるが、まだ向こうの“神”のマナが混じっておる。それを取り除くのに、坊やにも手伝ってもらうぞ。」
「向こうの神のマナ…?」
「事情は話さんぞ。詳しく知りたいなら、あの娘のカバンの中にある像に触れるがいい。私に聞くな。」
「……そういえば、あの像に触れて、ここに来いと促されたんだったな。」
「まぁ、そうだろうな。あやつから頼み事など、何事かと思えば…。」
そう言ってエニグマはスノウを見る。
「……不思議な感覚だった。あの像に触れた瞬間、頭に文字が浮かんできたんだ。“スノウを助けたくば願いの叶う店へ行け”、だったな。」
「そして坊や達は光の射す方へ歩き、ここに辿り着いた。確かに、ここでなら娘を助けてやれる。」
「あんたは、何者なんだ?何故、スノウのあの状態を治せる?」
「私に聞くな、と言ったのが聞こえなかったか?」
ジューダスが食事を取っている間、エニグマは椅子に座り膝を組むと、テーブルに頬杖をつき、スノウの方へ視線を向けていた。
まるでジューダスには、さも興味無いとでも言うように。
だからか、言葉の節々で冷たい言葉を選ぶ。そう、ジューダスは感じていた。
ただ一つ言えるのは、見た感じは態度が悪そうな占い師に見える、という事だ。
「……食べて休憩したら、早速始めるぞ。」
「だから、何をするんだ。」
「娘の碧のマナを満たすと同時に、赤のマナを排除する。」
「……何が何だか、サッパリだ。」
「坊やには赤のマナの排除をしてもらう。」
「……拒否権は?」
「娘を見捨てたいならそうするがいい。だが、初めからそんな事しない癖に言うな。」
「……。」
「図星だろう。でなければ、あんなに熱烈に娘に言葉を掛けるはずもないからな。」
「一々、癇に障るやつだな。」
「坊やがあの娘を助けたいと願い出てきたのだろうが。……あぁ、そうだ。坊やにひとつ言っておこうか。」
少しだけ顔をジューダスの方へ向ける。
しかしその顔は布で覆われ見えていないはずなのに、見られている感覚がする。
ジューダスは顔を顰めながら、その布に覆われた顔を見る。
「これから先、私がずっといる訳じゃない。坊やには、今後娘のマナを治す為の練習を死ぬ気でやってもらうぞ。」
「…!! 僕でも、あいつを治せるのか?」
「当たり前だ。コツさえ掴めば簡単に決まってるだろう。まぁ、場合によっては坊やが死ぬことになるが、娘の事が好きならなんとかしてみせろ。」
「死ぬ…。」
「今更怖気付いたのか?」
「いや…。望むところだ。」
「なら、食事が終わったらこれを読んでおけ。ちなみにそんなに時間はやらんから、これを五分で読み終えておけ。その後実践だ。」
そう言って懐から出した本は、優に辞書レベルの分厚さだった。
それに引き攣った笑いをしたジューダスに、ようやくエニグマが少しだけ笑って見せた。
……本当に一瞬だけだったが。
「私は気が長くない。娘から聞いていただろう?」
「……以前来た時にあいつが少しだけ言っていたな。」
「なら、早くしろ。こうしてちゃんと言葉で話してやってるんだから感謝も忘れるなよ。」
つくづく嫌な奴だ。
ジューダスはエニグマに不平な顔をしながら食事を再開した。
その布の下に隠された素顔は、満足そうにほくそ笑んでいた事に気付かないまま。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
食事を終え、急いでエニグマから読むように言われた分厚い本を読み始めるジューダス。
五分でどれほど読めることやら。
3分の1読めたのなら良い方だろう。
いや、3分の1読めたならかなり早い方だと思うが…。
なんと言っても、あのエニグマは何を思ったのか、五分でこれを全て読み終えろと言ってきたのだ。
今隣にいない事を逆に感謝しながら死ぬ気で読んでいく。
『うわぁ…。文字が沢山あるじゃないですか…。』
今まで黙っていたシャルティエが声を出したことに反応したジューダスだったが、すぐに本に集中する。
そこには、先程エニグマが言っていたマナについて書かれていた。
〈碧のマナ〉
“世界”の神が持つマナ。または、世界の神によって転生させられた人間が持つマナのこと。このマナにより、人間は豊かな魔法が使えるようになり、転生先の世界全体のマナ循環が良くなる効能がある。これを目的として世界の神は人間を転生させることが多い。
〈赤のマナ〉
“狂気”の神が持つマナ。または、狂気の神によって転生させられた人間が持つマナのこと。このマナにより、人間は狂気の感情への恐怖心が薄くなる。これにより、赤のマナに染まった人間は殺人をしても何も思わなくなる。これを目的として狂気の神は人間を転生させることが多い。
「……! これだ…!」
『“神”っていうのは、どこも厄介な人が多いですねぇ…。特に狂気の神なんて…。』
「……人間を狂気に陥れて、何がしたい…?」
『神の考えることは分かりませんよ…。』
「スノウがたまに“神”とやらの話をするが……。こういう事だったのか…。」
『……スノウ、苦しそうでしたし…。やっぱり赤のマナっていうのは人間には毒なんでしょうか?』
「……セルリアンの話が本当なら、〈赤眼の蜘蛛〉の連中はあの食材を使っていつも食事を取っていることになる。それでも平気だということは、食べ慣れているからか…。それともあいつら自体、赤のマナに染まっているからか…。」
『例の情報交換の場でも、お互いの“神”……みたいな話をしていましたから。〈赤眼の蜘蛛〉の神は狂気の神の可能性が高いですね。』
シャルティエと話しつつ、次々と頭に情報を入れていく。
全ては、スノウを助けるために。
〈“狂気”の神〉
狂気の神は自由奔放で、自身が面白いと思ったことは何がなんでも実行に移す傾向にある。その面白いことの大半は人間の生死に関することである。
自身の気に入った人間を見つけると手に入れたくなる性質を持ち、自分のモノであるという証をつける為に、自身のマナ──所謂赤のマナへとその者を染め上げる。
「……まさか。」
『スノウってば、もしかして……狂気の神に気に入られたんですかね?!ま、まずいですよ…!!』
「これが本当だとして、何故スノウの信じる神は何もしてこないんだ…?」
『えっと……世界の神、でしたっけ?確かに妙ですよね?』
そこまで言うと、近くに置いていたスノウのカバンが、ぺかーと光り輝く。
まるでそこにいると誇示しているように。
しかしながら、ジューダスは本に夢中になっているので、それに気付くことは無かった。
「まぁ、いい。早く読むぞ。」
それを聞いて、カバンの光が収束していく。
それはまるで、諦めたように。
しかし、丁度そこで五分が経ったようで、闇の中からエニグマがぬるりと現れる。
真剣に読んでいるジューダスを見て、先にスノウの状態を確認しに行った。
「……。」
やはり、スノウの中のマナの枯渇が問題だ。
先程、ジューダスに使い過ぎた分、中にあるものはほとんど無い。故に、赤のマナも少なくなっているかと思いきや、どんどんと増幅して存在を誇示しているではないか。
まるで向こうの“神”が、“これは自分のだ”と云わんばかりにマナを赤くあかく染め上げていく。
それにエニグマが嫌な顔を隠しもせず、顔をしかめる。
「……坊や。時間切れだ。早速やってもらうぞ。」
後ろを振り返り、エニグマがジューダスに向けて言い放つ。
早くしないと、本当にスノウが無事ではなくなる。
その言葉にジューダスが顔を上げ、大きく頷いた。
腰を上げエニグマの元へ来たジューダスに、エニグマが叱咤する。
「遅い。事は一秒たりとも待ってはくれぬぞ。」
「……あれを五分で読めと無理難題を吹っかけられたからな。」
「なら、諦めるか?」
「そんな事は一言も言ってない。」
「なら急げ。娘のマナが大変なことになっている。」
「……どうなってる?」
「赤のマナが増幅しておる。今は、9:1といったところか。」
「っ!? そういうことは早く言え!!」
「だから急げと……」
「早くするぞ!僕は何をすればいい?!」
分かった途端これだ、と肩を竦めたエニグマだが、ジューダスへと体を向きなおし、上から下までじっくり見下ろす。
「ふむ。一応鍛えているだけある。これならば力仕事でも問題なかろう。」
「何の話だ。」
「これを持て。」
ずいっと渡されたそれを受け取れば、それは単なる鈴だった。
銀色に輝く鈴に碧の飾り紐が付けられている。
重さも気にならない程度で、試しに軽く振ってみるがその鈴が鳴ることはなく、ただのお飾りの鈴であることが分かる。
これをどうしろと、とジューダスがエニグマを見たが、既に彼女はスノウを起こしに行っていた。
「いいか。それを馴染みのある剣につけよ。」
「はあ?!何でいきなり……」
「起きるぞ。」
エニグマの隣で僅かに身じろぐスノウを見て息を呑んだジューダス。
急いでシャルティエの柄の方にそれを括り付け、念の為にそれをいつでも抜刀出来るように手を置く。
ゆっくりと開かれた瞳は完全に赤い色をして、肝心の本人は心ここに在らず、といった状態で起き上がる。
しばらくは呆然としていたスノウだったが、近くに誰かいることが分かるとそっちの方へゆっくりと視線を向ける。
「……。」
僅かに目を細めて近くにいる人物を注視しようとしていたが、その前にスノウは左目を押さえていた。
『……左目、痛いんでしょうか?』
「分からん。だが、さっきもあの左目だけは海色に戻っていなかった…。何かある事は間違いないだろうな。」
「何をしている。構えろ。」
エニグマがジューダスに向けてそう言い放つ。
それにジューダスがシャルティエを抜くと、同時にスノウは近くにあった相棒を手にジューダスに襲いかかってきた。
ガキンと音を立てて、二つの剣が交じり合う。
鍔迫り合いになってはいるが、男であるジューダスに優勢なのは言うまでもない。
スノウはすぐにそれを大きく薙ぎ払うと、何度も剣をジューダスへと振り下ろしてきた。
「壊、す……」
「っ!!」
『スノウ!!しっかりしてください!!』
何度も剣同士の金属音が響く中、エニグマは腕を組んでじっと二人の戦いを見ているだけだった。
特にアドバイスが飛び交うこともなく、ただひたすら二人の戦いを見つめていた。
「くそっ!!」
「────」
スノウがいつぞやと同じで詠唱の構えを取った。
それを見てジューダスが大きく後退する。
そこへ闇の球体が現れ、全てを呑み込もうとしていた。
ギリギリ回避出来たジューダスは荒く息を吐き出し、詠唱を開始する。
「行くぞ、シャル!」
『は、はい…!』
『「___エアプレッシャー!!」』
重力場がスノウの周りに現れ、推し潰そうとするのを何とか堪えているスノウ。
苦しそうに顔を歪めた彼女は、相棒を地面に突き刺し、その晶術に耐えていた。
「う、ぐ…。」
「おい!どうしたらいい?!黙って見てないで何か指示しろ!!」
「……。」
しかし、エニグマが口を開くことはなかった。
ジューダスはチラッとシャルティエに着けた銀色の鈴を見るが、それがなんだというのだ。
剣を振る度、鈴が大きく揺れて……何なら、少し邪魔だとも思う。
今まで無かったものを急に着けさせられたのだから、慣れないのも無理はないし、これを着けさせられた意味も全く分からない。
「くそっ、だんまりか…!」
『ちょ、どうしたらいいんですか?!このままじゃ、スノウが先に死んじゃいますよ!!?』
未だ発動している晶術から抜け出すことはしないスノウを見て、ジューダス達は顔を顰める。
いつもの彼女ならあれくらい避けられるのに。
ましてや、晶術を喰らったとしてもすぐに抜け出すはずなのに、それが一向に見られない。
「う、あ…!」
「っ、」
すぐにジューダスが晶術を解除させると、その場に膝を着くスノウ。
荒い息を繰り返しながら、それでも相棒を支えにフラフラと立とうとする。
やっとのことでフラリと立ち上がり、相棒を引き抜いたが、ジューダスを視界に入れた途端その顔は悲しそうに歪み、そして後ろへと倒れてしまった。
「っ! スノウ!!?」
ジューダスは慌ててスノウへ近寄って抱き起こした。
辛うじて息はしていることに安堵して、息を吐く。
「……顕現しなかったか。」
「どういう事だ?!何故彼女を起こした?!」
「坊やがその鈴を使いこなせるまで、何度だって娘を起こす。ほれ、行くぞ。」
「待てっ!? 今こいつは体力が…!」
その願い虚しく、無慈悲にもエニグマはスノウを起こした。
ジューダスの腕の中で起きたスノウはそのまま赤い視線をジューダスに向ける。
そして、
ガキン!!
「くっ、」
「……。」
相棒を手に、再びスノウはジューダスへと襲いかかった。
シャルティエで防いだスノウの攻撃だが、次から次へと攻撃を仕掛けてくるのでジューダスは防戦一方だった。
下手に攻撃をすればスノウが傷付く。
しかし下手に防御をすればジューダスが怪我を負い、スノウが自我を取り戻した時に自身を責めてしまう。
「く、そっ…!!鈴をどうしろって言うんだ…!」
『肝心の鈴はなんの反応もないですね!!?なんか、こう……光ったり、鳴ったりして反応してもいいんですが!!』
「鳴る…。光る…?」
何度も来る剣戟をシャルティエで相殺していき、どうにかして鈴を使わなくては、と気が急く。
「……に、げて…くれ…」
「っ?!」
意識があるのか、とジューダスがスノウを注視すれば、スノウは攻撃をやめて左目を押さえた。
「……殺し…て…くれ……!」
「…っ!!!」
「(……間に合わないか…。)」
彼女の口から放たれる悲痛な言葉たち。
それを聞いて、ジューダスは胸を痛め、何も出来ない悔しさから歯を食いしばる。
絶対に、絶対に元に戻す方法を探す。
その為に、今自分がここにいるのだから。
『スノウ…!』
「大丈夫…、大丈夫だ。絶対に治す方法を探り当てる…!」
シャルを大きく振ると、シャランと音が鳴る。
まるで鈴の鳴るような音だ。
その音を聞いて二人はハッとする。
さっきまであんなに鳴らなかったのに、今回は綺麗に鳴ったのだ。
「(……ほう?)」
それを聞いてエニグマも目を細めさせ、静かに感嘆する。
背中を預けていた壁から少しだけ体を浮かせ、様子を見守る。
あの鈴は、一度鳴っただけでは意味が無い。
何度も何度も鳴らしてようやく効果が効き始めるのだから。
「(さっき、僕はどうやった?どうしたら鳴ったんだ?)」
スノウが剣を振りかぶり、ジューダス目掛けて振り下ろす。
それを軽々と避けると、その動きの反動でまたシャランと鈴の音が鳴る。
それにビクリとスノウが反応して後ずさる。
「う、きもち、わるぃ…。」
吐くような動作をした後、スノウはその場に片膝をついた。
相棒を支えに、もう片方の手で口を覆うスノウを見て、ジューダスとシャルティエが大きく頷いた。
そして、ジューダスがシャルティエを掲げ、シャランと一つ鳴らす。
また一つ、また一つと綺麗な音を鳴らしていく。
澄んだ音色が空間に響き渡る。
その音が響く度、スノウが苦しそうに頭を抱える。
「はぁ、はぁ、その音……やめて、くれ…!」
シャン……、シャン……
「うぅ。頭が……胸が……!苦しい…!!」
シャン…シャン……
「─────レディ…?」
頭を抱えていたスノウが、僅かに頭を上げ、ジューダスを見つめる。
その瞳の色は赤と海色だった。
そして、力尽きたように倒れたスノウを見てジューダスが鈴を鳴らすのを止める。
慌てて近くに寄ろうとしたが、先にエニグマがスノウの傍で脈の確認をし始める。
「…大丈夫だ。生きている。」
「…そうか。」
ホッと息を吐いたジューダスに、エニグマが鼻で笑う。
「あと少し遅ければ、娘のマナは完全に赤に掌握されていた。そうなれば、殺すしかないと思っていたが…。あの土壇場でよくぞ鳴らせたものだな。」
「…誰かさんが、最初から鳴らす方法を教えてくれていたら、こんな事にはならなかったんだがな。」
「言った所で鳴らせなかっただろう。現に先程、最初の方は鳴らせなかったではないか。」
スノウを軽々と担ぎあげ、ベッドへと戻すエニグマ。
そのまま彼女は嘲笑うかのようにジューダスの方を見て鼻を鳴らした。
「及第点ではある。…が、まだまだだな。それを使いこなせないことには完治には程遠いぞ。」
「……まだ、治っていないのか。」
「あんなへなちょこな鳴りで治まるなら、とっくに私が治しておるわ。」
スノウには優しく布団を掛けてあげているのに、言葉は裏腹に厳しく言い連なる。
「娘の両の目が海色へと戻ったのなら、完治と認めるがな。片目だけとは、まだまだだな。」
「……。」
「それにだが。まだその鈴を使いこなせていないだろう?結局、あの時何故鳴ったのか、分からなかったんじゃないか?」
「……否定はしない。」
「だろうな。そんな事だろうとは思ったが、まあいい。暫くは娘の体力も気力も底をついておる。休憩にするぞ。」
言うだけ言って、さっさと闇の中へと身を潜めたエニグマにジューダスは僅かに悪態をつく。
エニグマが居なくなったことで、ジューダスはスノウが寝ているベッドへと近寄り、様子を窺う。
すやすやと効果音がつきそうなくらい、穏やかな顔で寝ていることに酷く安心した。
ここずっと、スノウは苦しんでばかりだった。
起きれば調子が悪そうに左目を押さえたり、息を苦しそうに吐き出したりしていたし、精神的にもきていそうな気配はしていた。
あの時、ジューダスに“殺してくれ”と頼んでくるほどには……。
「……今はしっかりと休め。」
彼女の冷たくなっている頬に少しだけ触れると、背後からドンと大きな物音がして、背後を急いで振り返れば、彼女が寝ているベッドと同じ物が平行に並んで置いてあった。
……自分も休め、ということか。
『そういえば、今時間はどうなっているんでしょうか?案外夜中なんですかね?』
「さあな。……だが、ここに来てから気を張りつめすぎていたのも確かだ。…少し休ませてもらおう。」
『はい。それがいいと思います。おやすみなさい、坊ちゃん。』
ベッドに体を預けたジューダスはすぐ寝息を立てていた。
そんな自分のマスターの様子にもう一度おやすみなさい、と小さく呟いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……ん。」
スノウが目を開けると、左目に違和感があった。
目を開ける度にその同じ感覚がして、気持ちが悪い。
その上、よく分からないドロドロとしたものが胸の中で暴れ回っているのも感じていた。
グルグル、グルグルと、胸の辺りを燻っているかと思えば、急に全身にそれが回り出すこともあり、そうなると急に例の気持ち悪さが込み上げてきて吐きそうになるのだ。
そしてその後はきっと──
「(……周りを破壊しているのだろうね…。私は……。)」
“神”から聞いていたことだ。
だが、まるで違う自分がそれをやっているかのように記憶がないし、次に意識が戻った時にはあの気持ち悪さが全身にあってどうしようもない。
僅かに保てている意識で辺りを見渡せば、決まって誰かが武器を手にして、こちらを見ている。
それが……苦しく、辛かった。
「……。」
体を起こすと、酷く体が怠いと訴えかけるかのように、体全体が重い。
やっとの事で上体を起こし、違和感のある左目を押えながら辺りを見渡せば、隣のベッドで寝ているジューダスを発見する。
仮面を外した状態で寝ている彼は、無防備に寝顔を晒しており、それは珍しいように思えた。
あまりにも可愛らしい寝顔に、思わず口元に笑みがこぼれる。
体をずらしてその寝顔を堪能していたスノウだったが、彼の顔にかかった髪を払おうと手を伸ばして慌てて引っ込める。
「っ、」
駄目だ。
今のまま触れたら、彼を“壊してしまう”かもしれない。
「(……もう私は……、君に近寄ることすら…出来なくなったんだね…。)」
引っ込めた手を見れば、僅かに震えていた。
近しい存在なのに…、こんなにも近くにいるのに……それに触れられないなんて…。
「(なんて、酷いお預けだ…。)」
ベッドから下りたスノウは暫くジューダスを見ていたが、視線を徐ろに外す。
触れられないのであれば、見ても意味は無いのだから。
辺りを見渡したスノウは、闇の中にポツリとあるテーブルの方へ足を進める。
そこには冷めきった食事が一人分置いてあった。
もう一つは食べ終えたのか、汚れた食器がそのままになっており、その隣には辞書レベルで分厚い本が置かれている。
スノウはその本を手に取り、中をペラペラと捲ってみる。
どうやら、色々な言葉の補足が書かれているようだ。
〈御使い〉
神に気に入られ、現世に顕現する存在のこと。または神の代弁者のこと。その見た目は人間と変わりないが、その能力は通常の人間と一線を画しており、気に入られた神により異なる能力を持つ。また、御使いが現世へ顕現するのは、顕現させた神により理由は様々である。
「……。」
椅子に置かれている自分のカバンを見て、中を探る。
目当ての像を手にするとそれを持ち上げて、じっと見つめる。
「向こうの“神”は何がしたいんだろうね…?前に貴方は面白ければ何でもいいと言っていたけど…ね…。」
すると、その像はスノウの言葉に反応したかのようにぺかーと光り出す。
それに苦笑いをしてスノウは像をカバンに戻した。
そして、スノウはジューダス達の方を振り返らず、闇の中を歩き出す。
……後ろから彼の愛剣が呼び止めているのに、聞こえないふりをして。
「……起きたか。」
「エニグマ。」
闇の中をしばらく歩いていれば、声が目の前からする。
目を凝らさなくても分かる。
目の前にいるのはエニグマだ。
「…何故、彼をここに引き止めているんだい?」
「……何だ?追い出して欲しいのか?」
「まぁ、私はそう思うけど、彼はどうせ留まると聞かないのだろう?」
「言わなくとも分かってるじゃないか。」
しわがれた声がフッと笑う。
「…あの坊やは若いな。」
「まぁ、まだ16だったはずだからね。十分に若いと思うよ。」
「それもあるが…。」
そこで言い淀んだエニグマを珍しそうに見る。
まぁ、闇の中にいるのに“見る”とはおかしな表現だが。
スノウは、くすりと笑って目の前にいるはずのエニグマに微笑んだ。
「…大分、お世話になったね。」
「世話してるのはあの坊やだ。私は何もしておらん。」
「でも、何か助言めいた事はしたんじゃないのかい?貴女が、ただ何もしないなんて考えられない。」
「…お前の治療のためのアイテムを渡しただけだ。」
「…彼に?」
「そうだ。」
途端にスノウの顔が曇る。
「……治りそうなのかな?」
「それは坊や次第だ。だが……今のままでは完治は程遠いだろう。」
「……そうか。」
沈黙が訪れて、スノウは俯いた。
その赤と海の色は、悲しそうに揺らいでいた。
「まさか、こんな事になるなんて思わなかったんだ。」
「そうだろうな。私も思ってなどいなかった。だが、なったものは仕方ない。それで、だ。」
エニグマが一度言葉を切ると、たっぷり溜めてから次の言葉を発する。
「──お前に聞きたい。これからどうするつもりだ?」
「…私は……。」
言おうとして言い淀んだ。
どうしようか、なんて……今目の前にいるエニグマには分かってるだろうに。
でも……それでも、私は───
「……君が言ったんだよ?“幸せになりたいのなら幸せになりなさい”ってね?」
「あぁ、口にしたな。」
「正直、今の私の気持ちの大半は───殺して欲しいと願っている。」
「なるほど。想定の範囲内だ。……だが、その言葉は今は違うと捉える。……何が望みだ?」
「何度も、何度も殺してほしいと願った。彼を傷つけるくらいなら、いっそ……と。」
嘘じゃない。
だって、隣に居たいと願ったのに、それが危険な人物だったのなら、私なら遠慮願いたい。
……相手にもよるが。
だから、僅かに保てていた意識の中で“殺してくれ”と口にした記憶がある。
死んでしまえば、誰も傷つけられないのだから。
「でも……それでも、私は……願いたい…。彼と……ジューダスとの時間を最期まで……。」
「何故?」
「何故か、と聞かれたら……何でかなんて答えられないんだ。でもただ一緒にいたい。そう思うんだ。」
「お前と居れば、坊やは死ぬ。それでも一緒に居たい、と?」
「……はは。困ったな?」
本当に困ったように視線を外し、頭を掻くスノウ。
赤と海の色の瞳は決意が揺らぐように、大きく揺らいでいる。
だが───
「だからこそ、聞きたい。エニグマ、私の今の状況…。完治出来るのはどれくらいの確率なのか。」
「……私が、嘘は得意では無いと知っての質問か?」
「もちろんだよ。」
「お前が完治出来る確率は……5%にも満たん。それこそ、死ぬ以外はな。」
「……そうか。」
悲しそうに笑ったスノウは、そのまま顔を俯かせた。
右手をグッと力を入れたスノウに、エニグマは黙ったままじっと見つめる。
「殺せ、というなら、その要望に応えてやろう。」
ガチャ、と音を立ててスノウの額に拳銃の銃口が当てられる。
暗闇の中から黄金の瞳がスノウを怖いくらいに見つめている気がした。
だが、スノウの答えを待ってくれているようでトリガーを引くことはない。
「─────殺せ」
その瞬間、エニグマはセーフティレバーを動かしトリガーを引いた。
しかし、その前にその拳銃目掛けて岩石が地面から突出して拳銃を吹き飛ばしたのだ。
突如目の前に現れた岩石を見て、スノウが僅かに目を見開いた。
しかしその攻撃が誰か分かった瞬間、ゆっくりと後ろを振り返った。
「……ジューダス。」
「……。」
晶術の構えを解きながら、ジューダスは黙って歩き出す。
そして俯いているスノウの前に立つと、コツンと額に拳を当てた。
「……5%。その5%に賭けるつもりはないか?」
「……。」
「言っただろう。僕はお前を何者からも護る、と。それは、お前自身からも護るという意味でもある。」
今こうして死のうとしているお前から、お前自身を守る。
「約束は護る。そして、もうひとつの約束も果たそう。」
「……もうひとつの、約束……?」
「“今度こそ君の隣で私は生きる。だから、私に生きる道標をくれないか?”」
「……!」
確かそれは、ハイデルベルグでスノウ自身が言った言葉。
それをずっと、ジューダスは覚えてくれていたのだ。
「だから僕は、お前の生きる道標を照らしてやる。……何度だって、僕は約束を守る。何度も言おう。お前を死なせはしない。絶対に、だ。」
そう言ってジューダスはスノウの右手を取り、そこへ彼女の相棒を持たせる。
それにスノウが思わず顔を上げ、ジューダスの顔を見る。
そこには、綺麗に笑う彼が居た。
「可能性はゼロじゃない。なら、それに賭けてみるのもまた一興だ。そう思わないか?」
「……ジューダス。」
「さて、僕の話は終わりだ。これから稽古に付き合ってもらうぞ。」
「……え?」
さっさとスノウから離れたジューダスは、シャルティエを構えるとスノウを見据えた。
「何を不思議がる必要がある?お前が言い出したんだろうが。今いないアイツに代わって僕が稽古をつけてやる。さぁ、早く来い。」
「え、は?……えっと、ジューダス、さん…?」
「来ないなら僕から行かせてもらおうか。」
「え、ちょ…!?」
そう言ってジューダスはスノウに遠慮なくシャルティエを振り下ろす。
慌てて避けたスノウだったが、目を丸くして彼の次の攻撃も避け続けた。
何が何だか分からないスノウだったが、容赦ないジューダスの攻撃に思わず反撃をしてしまう。
そう、私が一瞬身を引いて彼が攻撃しようとした瞬間、思わず気絶弾を撃ってしまったのだ。
前世でやったことのある攻撃。
流石に躱されてしまったが、昔を思い出して、スノウは思わずくすりと笑ってしまった。
それにジューダスも口元に笑みを浮かべ、スノウを見遣る。
「……ははっ。ズルいよ…!そんな、昔みたいにされたら撃っちゃうじゃないか。」
「ふん。お前の手の内は分かっている。今度はちゃんと避けただろうが。」
「だとしてもだよ…!はははっ…!」
目に涙が浮かぶほど笑ったスノウは、一度涙を拭い、改めて相棒を構えた。
やはり左腕は使えなくなっていたけど、それでも右手だけで相棒を持ち、構えた。
「欠陥だらけだけど、宜しく?」
「ふん。やってみろ。」
二人は笑って、同時に一歩を踏み出した。