第二章・第1幕【裏切り者編】
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012.史上最大の“事故”
(*スノウ視点)
___スノウが気絶する前
私が他の人達の手伝いをしていた時の事。
大量の資料の運搬を任されていた私は、前が見えない苦労に耐えながら資料を運んでいた。
しかし、それが悪かったようだ。
曲がり角で誰かとぶつかってしまい、地面にお尻を打ち付けたあと、反射的に出ない声で謝ってしまっていた。
紙が地面に落ちてきて見えない相手が見える様になってきた頃、目の前にいた人物に腰を抜かすこととなる。(まぁ、既に尻もちはついていたが…。)
「────!?」
え?
何、その衣装チェンジ。
看守?それとも獄卒なの?
唖然とした私を心配してか、駆け寄ってそっと頬に触れるリオンに私は言葉が出ないでいた。(いや…声は出ないけどさ?)
だって……その衣装チェンジは駄目だって。
オタクには辛いものがある。
「────。」
本当、なんてカッコイイんだ。
素地が良い人は何を着ても様になるんだって、その時本当に思ったね。
顔が赤くなる以前に、私はその神々しさに眩しくなり、挙げ句の果てには推しが尊すぎて気絶してしまっていた。(鼻血出てないよね…?)
そうして私は気絶した後、病室に戻されたらしい。
目が覚めた時、見覚えのある天井だったから。
「……。」
ゆっくりと私が目を開ければ、やはりそこは見覚えのある病室。
しかし、右手だけは温かった。
「(……温かい、な…?)」
一体誰だろう、と視線をゆっくり移動させればそこに居たのはまたしても神々しさ全開の彼だった。
しかし、その顔は何故か泣きそうな顔をさせていた。
……何故、そんな顔をしているんだい?
何かあったのか?
それとも、私が裏切った事実が悲しいのかい?
私は温めてくれていた彼の手を引き抜くと、そっと彼の頬へと伸ばそうとした。
しかし横になっている状態で流石に届くはずもない。
空を切った手をベッドに戻そうとして、その手をまたしても彼に掴まれた。
そして彼は俯いて……涙を流していた。
私はそれを見て、驚いて目を見張った。
「──、────。」
「(あぁ…分からないよ、レディ…。君の言葉は……私には届かないんだ。)」
ギュッと握られた手が、彼の悲しさを表しているようで、私は堪らず身体を起こして彼を抱き締めた。
あぁ、悲しませているのは自分なのに、こうする事しか出来ない自分が不甲斐ないんだ。
……酷く滑稽で、愚かだ。
私から手放したというのに。
「────。」
「(リオン…。)」
「──。────。」
「(本当にごめん。でも…私は後悔はしない。君を手放した私をどうか忘れてくれ。君は君の人生を生きてくれ。私が願うのは……それだけだ。)」
サイリルで夜に起きた時、彼に伝えたかった言葉を全て紙に書いておいた。
でも彼の読めない文字で書いたからきっと伝わらなかったと思う。
それでも誰かにそれを読んでもらって、諦めてくれたらと思って書いたんだ。
だから、私の事など気にせずに君は君の人生を歩んでくれ。
私は私で、ちゃんと生きてみせるから。
君という光を失っても、私は……使命を果たす為に頑張るから。
私が抱きしめていた身体を離そうとすると、彼は嫌がるように私の体を余計に抱き締めた。
強く、強く抱きしめてくれた。
今は彼の行為を受け止めることにした私は、彼の背中に手を回し、優しく叩いてあげた。
しかしそれは、彼の涙を助長させるだけのものだったようで、余計に体を震わせて泣き出した彼に、私も堪らず泣きそうになった。
「……。」
いつまでそうしていただろう。
彼の涙も止まったのか、身体の震えもいつの間にか止まっていた。
それでも彼は私を離してくれなくて、離れようとすればするほど、彼は私にしがみつくように抱き締める強さを強めていた。
でもそれと同時に彼の身体の暖かさが今は、とても心地良かったのも事実だった。
……あぁ、この温かさに絆されそう。
ほう、と安心した息を吐けば、彼はようやく体を離してくれた。
しかし、彼の今の衣装は私には目の毒ではある。
赤くなる顔を手で押さえながら、彼から顔を背けると私の気を向けるためか、袖を引っ張ってきた。
いやしかし、直視なんて出来やしない。
直視なんてしてしまったら、今度こそ無様な姿で気絶しかねない。(それこそ鼻血とか出しそうで怖い…)
「────。」
いや、だから駄目なんだって。
私が頑なに顔を見ようとしない事が分かったのか、彼は袖を引っ張ることをやめて、そのまま扉の外へと出て行った。
……寂しいし悲しいけど、これで良かったんだと思う。
彼を傷つけるのは、私なのだから。
これ以上、彼を傷つけたくない私の我儘を聞いてくれて、ありがとう。リオン。
……そう思っていたのに。
「……。」
「────。」
彼は諦めなかった。
資料を運ぶ手伝いをしていた私の前に、また彼が現れて、すぐに私の持っていた全資料を奪い去っていく。
慌てて取り返そうとしたが、ひらりと躱されてしまった。
そして彼は顎を使って「先に行け」と伝えてくる姑息な手まで使ってきた。
顔を引き攣らせながら私は目的の場所まで彼を連れていき、無事に手伝いを終わらせたのだった。
別の手伝いの日もそうだ。
研究所内の購買へと頼まれた物を買いに来た私だが、またしても彼が目の前に現れて後をついてくる。
購買で買ったものを見るなり、私が手を出す前にその荷物を全て奪い取ってしまったのだ。
そしてまた顎を使い、「先に行け」と無言で促して来る。
また私は顔を引き攣らせながらも、彼を案内をしてそれぞれの場所へと買ったものを渡しに行ったのだった。
「(一体、彼は何処から現れるんだ…?!)」
こういう時にこそ、探知が欲しい。
彼の行く手を先回りして、会わないようにどうにか出来ないものか。
そんな悩みを持ちながらトボトボと歩いていれば、無論気もそぞろとなり、周りへの警戒も疎かになる。
だから誰かにぶつかりそうになっていた事に気が付かなかった。
慌てて回避しようとした時には、いつの間に後ろにいたのか、彼が私の肩を掴んで自分の方へと引き寄せていた。
驚きながら目を見張れば、相手は謝りながらすぐに去っていってしまった。
抱きしめられる形で引き寄せられていた為、まさに今、抱きしめられている訳だが……唖然としていて暫く動けなかった私を、彼が心配そうな顔で見つめていた。
「────。」
そっと離れれば、余計に心配そうな顔をさせて私の頭を撫でてくる。
しかし彼の衣装チェンジの破壊力よ。
私は再びその神々しさを改めて目の当たりにして、気絶しかけていた。
慌てて支えてくれた彼には悪いけど……否、そんなカッコイイ衣装を着る彼が悪いんだ!
オタクの心はボロボロよ?!
需要と供給が等しくなってないから!
供給がありすぎると、人って気絶しちゃうから!
結局、私は気絶していたらしく、またしても病室送りになっていたのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
流石に何度も何度も遭遇したのもあり、彼の看守の衣装にも慣れてきた頃。
今日は手伝いではなく、勉学に励むことにしていた。
朝から図書室へと赴き、ノートと辞書、本を見ながらこの世界の文字を勉強する。
彼も居ないし、この時間がなんだかんだ落ち着きつつある頃、それは訪れた。
「(えっと……ここは接続詞が後ろに回るから……。いや……違うかも…。こうしたら……いや、これも違う?あー…つまづいた……。)」
はあ、とため息をつきながら私は、机に頭を突っ伏した。
こうなると結構長くなるのは今までの経験上で分かっていた。
しかし頼りになるアーサーも今はここにはいないし、他に頼れる人もいない。
机に顔を乗せた状態で再び大きなため息をつけば、目の前に誰かの手が現れて何事もなくペンを持ち、ノートに何かを書き記していく。
それを見れば、先程悩んでいた問題を解いて、しかも解説まで入れてくれていた。(まぁ、線で順番を変え、教えてくれていただけなので、これだけでも誰か気付きそうだが…)
私は問題が解けたことに感動して、教えてくれた人を見る。
それは無論、アーサーではなく……彼だった。
驚いて目を点にさせた私を、彼がクスリと笑っていたのが印象的だったが、何故ここが分かったのかという疑問のほうが勝つ。
私が再びため息をついて机に顔を乗せたからか、彼は意地悪なことをしてくる。
私の頬を突っついたり、ノートに何かを書き始め、私が分からないのを知っていて、さっきと同じような問題を出してきた。
無論、それが彼なりの不器用な優しさだとは思っていたが、私はそれを見て渋々問題を解くことにした。
「(さっきの順番の入れ替えがこうだった……。だから、この問題は…こうして、こうだ…!)」
何故、言語の勉強でこんな問題を解かなくてはならないのだ。という疑問も浮かんだが、それよりも出された問題を解いてしまいたいという気持ちが勝る。
書き終わった私の手元を見た彼は、「正解だ」とでも言うように私の頭を撫でた。
「(勉強で褒められたのって…いつぶりだろう…。)」
前前前世となってしまったが、以前地球にいた頃には褒められた経験が自分にはあまりない。
それこそ、先生にしか褒められなかったと思う。
そう思うと少しだけ、感慨深くなった。
その後も彼がずっと勉強を見てくれて、分からない言語を調べる私に、簡単な文字を書いて説明してくれる彼。
それに頼ってしまって、いつの間にか、辞書から目を離す時間が長くなっていた。
「(あー…なるほど…。分かりやすい……。)」
彼の書く文字はとてもきれいで、説明も分かりやすく、文章の順番が間違っていればすぐに訂正が入る。
正直、アーサーよりも教え方は上手かった。
しかし、ひとつだけ混乱する文法がある。
「(これ…会話か書く側かで文法が変わって面倒くさいな…。)」
流石に苦手な文法も出てくる。
それを察知したらしいリオンが懇切丁寧に説明してくれるも、今日のところはこれ以上頭が受け付けてくれなさそうだった。
いよいよダウンした私をリオンが珍しそうな顔で見てくるので、私は机に腕を置いてそこに頭を乗せた。
もう無理です、と言わんばかりに。
そうしたら離れてくれるか、と期待したのもあるが…どうだろうか。
暫くしてからそっと顔を上げれば、そこには彼の姿がなく、酷く安堵した。
このまま少し休もうかな、と目を閉じようとしたが近くから物音がして慌てて起き上がる。
すると、彼が紅茶を入れてきてくれたようで私の前にコトリとカップが置かれた。
紅い色をした淀みのない綺麗な紅茶が目の前にあり、私は困り顔で彼を見た。
しかし彼は既に自分のやつに口をつけていて、目を閉じて紅茶を堪能しているし、なんと言っても平然としている。
それは、前前世からの不器用な彼の愛情である。
無言を貫いているが、それは彼なりの優しさで……「飲んで休め」と言ってくれているのだ。
そっとカップを取って口に含めば、軽やかな飲み心地が口と喉を占める。
そして甘い紅茶が舌の上を滑り、疲れた体に染み渡っては少しばかりの癒やしを与えてくれた。
流石に彼は紅茶に詳しいだけあって、淹れ方が上手い。
ひと呼吸を置いてからまた紅茶を口にすれば、彼はそんな私を見て優しい笑顔を浮かべていた。
「────。」
何かを話しているが、分からない私に彼はノートに言葉を丁寧に綴る。
〝味はどうだ?〟
分かりやすい言葉と、返事のしやすい質問の仕方をしてくれるのが優しい。
私はペンを受け取って、その質問の横へと答えを書く。
〝美味しい〟
その一言を書き綴れば、彼は満足そうに笑ってまた自分の紅茶に口を付けた。
それに倣って私も、紅茶を口にする。
……あぁ、悔しいけど美味しいな…?
そう思いながら飲んでいれば、あっという間に飲み干してしまう。
飲み終わったカップをソーサーへ戻そうとすれば、すぐにそのカップは彼の手に収まって片付けられてしまった。
だから、少しだけやる気を出して、もう少し勉強を頑張ろうと思えた。
また机に向かう私を、彼が遠くから見ていた事など私が知る由もなかった。
『────館内放送です。ジューダスさん、居たら執務室まで。』
簡易的な放送を聞いて、リオンもスノウも顔を上げる。
リオンはその放送が何か分かった為、僅かに顔を曇らせた後にすぐに外套を翻してその場から去る。
そんなリオンの背中を、スノウがジッと見ていた。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
(*リオン視点)
放送があった瞬間、僕は何事か悟った。
看守になる事件以降、大分時間が経っている。
例の白い服の宗教団体の事か、それとも僕のマナを奪い取るためか…。
何の放送にしろ、勉強を頑張っている彼女を心配させたくなくて、直ぐに行動に移した。
廊下を歩いている途中で心配そうな色を灯す愛剣の姿を見ながら、僕は真剣な顔で歩く。
そして奴の執務室の扉を開け放てば、奴は隠すことなく狂気の笑みで僕を出迎え、机に両肘を置くとその手に顔を乗せていた。
……嘲笑う、その顔が非常に腹が立つことこの上ない。
「時が来ました。そろそろ貴方のマナを戴きましょうか。」
「……あぁ。」
「ほう…?いやに素直ですねぇ?そんなに虐めて欲しいのですか?」
「これも、あいつといる為の条件だからな。僕が出したその条件を、今更反故にする事はない。」
「……立派な心構えな事で。クックック…!」
「早くしろ。あいつが変に勘付く。」
「それは頂けませんねぇ。では実験場までご同行願いましょうか。」
『坊ちゃん…!』
「黙っていろ、シャル。……これが、今の僕に出来る全てだ。」
小声で話した声はどうやら奴に届いているようで、喉奥で嗤う声がここまで聞こえてきた。
それに睨み返せば、奴は余計に可笑しそうに嗤った。
その後は奴の後についていき、次第に灯りも届かないような薄暗い場所まで案内される。
それこそ、表に出せないような、何かやましい実験をやっていそうな雰囲気を漂わせていた。
「こちらへ。」
奴がそれだけ言い放ち、顎で指示した先にあったのは、この建物の高さくらいある大きな機械だった。
何故、こんな大きな機械が存在しているのか、そして何の機械なのかなど、僕に知る由もない。
ただひとつ分かるのは、中央に佇むその機械には人が入れそうな空間が空いていたことくらいだ。
そしてその空間の中に入れ、と言われていることくらい、この機械について知らない僕でも理解出来た。
僕が動こうとしたその瞬間、白衣を着た研究員どもが僕を囲って、武器を全て取り外していく。
シャルが叫んでいるが、僕はそれを黙って見送った。
そして研究員が僕の耳に着けられたピアスに手を掛けたのを見て、その手を強く掴み、取らせないようにする。
そこまで力を強くしたつもりはないが、研究員はすぐに悲鳴を上げて後退していった。
「暴力はよろしくないですねぇ?」
「これに触れるな。貴様らが触れていい物などではない。」
「……彼女からの贈り物、というやつですかねぇ?そのネックレスも。」
「あぁ、そうだ。」
「……分かりました。アレは着けさせてやりなさい。」
「わ、分かりました…。」
僕を怖がる研究員を睨めば、すぐにすくみ上がり、足を後ろへと動かす。
そして僕は、機械の方へと歩を進めていく。
後ろから必死に僕を止めようとするシャルの声が聞こえていた。
「彼が中に入った後、すぐに機械を取り付けるように。」
「ハッ!」
その言葉を聞いて、僕は機械の中へと身を潜らせる。
すると直ぐに研究員どもが僕の腕や足に機械を取り付けていく。
それも急いでいるように取り付けるものだから、僕はそんな研究員どもを鼻で笑ってやった。
ここまで来て、逃げるものか。
どうせ、逃げるかもしれないと奴らは怯えているのだろう。
最後に体へと巻き付けるように取り付けられたケーブルに息苦しさを感じながら僕は静かに終わるのを待った。
「総員、出力確認。」
「ハッ…!出力確認します。」
奴の指示で研究員どもが配置につき、モニターやら操作盤を忙しく動かしていく。
同時にこの機械から起動するような低い稼働音が響いた。
「出力確認!状態、オールグリーンです!」
「こちらも出力確認!状態、オールグリーン!」
「実験体に出力が逆流しないように調整を。常にマナを放出させるようにシリンダーの中を意識しなさい。マナが貯まり次第、次のシリンダーへの切り替えを忘れないように。」
「シリンダー、全てセット完了です!」
そんな指示を聞きながら僕はふと、彼女の事を思い出す。
今頃、まだ勉強でつまづいているのだろうか。
今世で生き返ってからというもの、初めて見る彼女の表情ばかりで新鮮な気持ちにさせられる。
いつも凛としていて、余裕そうな顔をしていた彼女が、今世では僕を見る度に複雑そうな顔をさせる。
それは時に本当に困ったような顔だったり、怒ったようなムッとしたような顔だったり…。
唖然として、声を出すのも忘れたような顔だったり、と初めて拝む顔ばかりだった。
それもこれも、彼女は未だに僕を裏切っているという罪悪感から来るものだと思う。
だから僕を頼るに頼れないのだろう。
人一倍、寂しがりやで泣き虫な癖に。
僕には強情な様子を見せる彼女が、酷く辛そうに見えたのは今に始まったことじゃない。
……今世で出会ってからずっとだ。
僕を頼ってほしいのに、言葉が伝わらない。
僕を頼ってほしいのに、彼女は僕から顔を背けては泣きそうになりながら背中を見せて、僕には絶対に顔を見せてくれやしない。
それが、彼女の選択だとしても僕は絶対に助けたいと願うんだ。
その助ける役目は他の誰でもない…僕なんだと、そう強く願っているのに、彼女には何一つ届かない。
何をすればいつものように笑ってくれる?
何を捧げれば、彼女が僕を見てくれる?
僕は、いつでもお前の味方なのに……
「────マナ吸収開始っ!!」
その言葉が聞こえた瞬間、身体の中のマナが悪い予感を察知したかのように蠢く。
そして僕を拘束する機械に吸い取られていくようにして、〈薄紫色のマナ〉は体の外へと出て行ってしまう。
それは同時に、僕にとって苦痛を与えるものだった。
「う、ぐっ…!ぅああぁぁぁぁぁぁぁあああぁっ!!!!!」
『坊ちゃんっ!!!!』
体中のマナというマナが吸い尽くされる。
悲鳴と共に、水の中にいるような息苦しさを感じて、僕は呼吸をするのに必死だった。
しかしその内、目眩や吐き気、頭痛が同時に襲ってきて意識を失いかける。
……その瞬間。
「対象が気絶したのを確認。蘇生処置を施しなさい。」
「蘇生処置、開始!」
「ぐあァァああああっ!!!!?」
気絶しかけたその瞬間だった。
体中を雷が貫いたかのような電気ショックが走り、僕は堪らず悲鳴を上げた。
それも、一瞬などではなく、何秒間もずっと繰り返される電気ショックに体が痙攣して悲鳴を上げる。
ガクガクと体が震え、再び気絶しかけると、新たに来る電気ショックの連続。
耐え難い痛みが続き、気絶をしたいのに電気ショックによって強制的に起こされるという生き地獄。
…頭がおかしくなりそうだった。
それを何分耐え続けていただろうか。
周りの研究員の悲鳴が、薄らある意識の中で聞こえた瞬間、ガラスの割れる音が響き、爆発音までもが辺りを包み込んだ。
そして僕はその爆発によって、拘束していた全てのケーブルが外れ、その場にうつ伏せで倒れていた。
その時僕は、ようやく意識を手放すことが出来たのだった。
……
………………
…………………………
────どこからか、音がする。
それは何処か、喧嘩をしているような響きだ。
…いや、一方的に怒られているやつがいる気がする。
そしてその怒っているやつを宥めているやつがいるようだ。
だが、その怒っているはずの方の人の声は全く聞こえてこない。
宥めている方の声しか聞こえてこなかった。
僕が疑問を浮かべていると、突然、発砲音がその場に響いた。
同時に僕の体は癒やされるように光に包まれて、温かくなっていく。
……そうだ、この感覚。感じたことがある。
前世で彼女が得意としていた回復術だったはずだ。
何故、今その魔法が僕の体に?
「────やめなさいっ!!死にたいのですか?!スノウ・エルピス!!!」
「っ!!!!!!」
アーサーの奴の声が聞こえた瞬間、僕は目を覚ました。
一気に開かれた目は、彷徨いながら状況を把握しようと頑張る。
しかし、そこに在った情況は僕にとって最悪だった。
『嫌だっ!!!スノウっ?!!!!』
「早く回復器の準備を!!!一刻を争います!!!」
「────は…?」
慌ただしい周りの景色。
ひとつ分かったのは、口から血を流し、土気色の肌をした彼女がアーサーに抱えられていたということ。
生気のない顔色をした彼女の様子を見て、僕は体が動けずにいた。
……なにが、どうして……こんなことに……?
『坊ちゃんっ…!!スノウが…!スノウがっ!!!』
「シャル…?」
『っ!!坊ちゃん、起きたんですか…?!』
連れて行かれる彼女を見ながら、僕は呆然と近くにあったシャルを見つめた。
するとシャルから衝撃の経緯を聞くこととなる。
『坊ちゃんがっ、起きないって分かった途端っ、スノウが自分にマナを撃ってっ…!それでっ、今あるマナの量を遥かに上回る量の回復魔法を坊ちゃんに使っちゃって…!!!』
「……は…?」
声が掠れた。
思わぬ経緯を聞いて、僕は茫然とした。
シャル以外誰もいないこの部屋の中で、僕は何も考えられなくなっていて、ベッド上にいることすら他人事の様に思えた。
何故……僕の居ない間に事態はこんなにも深刻と化すのだろう。
どうして……僕は、彼女の近くにいてやれなかったのだろう。
僕を心配する彼女が、未だに彼女の中に有るということは、僕が一番分かってやっていたはずなのに。
僕は────やってしまったんだ。
「……。」
『うぅっ、うっ、ひっくっ…!』
シャルの嗚咽だけが部屋の中に響く。
僕は呆然としていた意識を取り戻し、徐々に体を動かす。
勿論、それは彼女の所に行く為だ。
今のシャルに詳しい経緯を話せ、と言ってもきっと分かっていない部分が大きい。
なら、今分かる人物に聞いた方が早い。
僕のマナを奪っている最中に起こったであろう“事故”の事。
そして僕が気絶していた間に起こった、“喧嘩”と“銃声”の事だ。
『坊ちゃん…?』
「……スノウ。」
ある意味、今の僕の状態は茫然自失だったのかもしれない。
何より彼女の近くに行きたかった、というのが本当は一番大きかったんだと思う。
呟いた声をバネにして、僕はマナ回復器のある検査場まで駆け抜けていた。
そしてひとつの回復器の周りを、〈赤眼の蜘蛛〉の医療班が忙しなく動き回っていた。
当然そこには彼女が入れられているのだろう。
見たこともないくらい真剣な顔で次々と部下へ指示を飛ばすアーサーの奴を見ながら、僕はその場で拳を握って、強く祈った。
彼女の回復を何より、強く……。
「アレはまだですか?!」
「で、ですが…!スノウさんの体に入れるには…少々毒と言いますか…!?」
「やむを得ません!先程のシリンダーを使って彼女を蘇生させます!身体の中のマナが空の方が今の彼女には毒です!!」
『「……。」』
否、祈ってる場合じゃない気がしてきた。
一体、彼女に何をする気だ?
僕と同じような事をさせるんじゃないだろうな?
シャルと僕が固唾を呑んで事を見守っていると、医療班の一人が見たことのある色の液体の入ったシリンダーを持ってきた。
その色はまるで、僕の持つ〈薄紫色のマナ〉の色と酷似していた。
「貸しなさい!」
アーサーが研究員からシリンダーを奪い取り、機械にシリンダーを取り付けていく。
するとそのシリンダーの中の液体はみるみるうちに減っていって跡形もなくなってしまう。
すると機械が別の音を立て始め、何かをしているんだろう事は分かったが、果たして、それで彼女が救えるだろうか…?
「…!!仮のマナが入っていきますっ…!……すごい…!」
『だ、大丈夫なんでしょうか?あいつらに任せると…なんか不安というか…。』
「……僕らよりはマナについて詳しい、と信じたいが…。こればかりはな……。」
「────呼吸確認…!あとは後遺症がないか、確認が必要ですが……取りあえずは無事そうです…!!」
その瞬間、歓声が沸き起こる。
医療班の目には涙が貯まり、次々と泣き出すものもいた。
するとアーサーが僕を見て、手招きをしてくる。
僕は警戒をしながら奴の近くに寄れば、奴はため息をついて僕を見てきた。
「…貴方の具合はどうなんですか?」
「……以前と何も変わりない。体調は…万全だ。」
「やはりですか…。はぁ……あれをされるとは、誤算ですねぇ…。」
「何が起こったんだ。」
「その話ですが……その前に少し協力してもらえませんか?彼女をこの状態のままキープしておきたいので、貴方と彼女を繋いでおきたいのです。」
『はぁ?!さっきやらかした人が何を…!!』
「説明してくれないと分からない。何故僕と彼女を繋げる必要がある。」
「…そうですねぇ。それには〈星詠み人〉のマナについて話さなければなりませんが……早く言えば、今の彼女にマナを供給し続ける必要があります。貴方のマナは今の彼女にとって、救いのマナ…。彼女が継続して息をし続ける為には、仮のマナを彼女の中に注ぎ込んでいく必要があるんです。我々のマナでは彼女は拒否反応が起きてしまいます。ですから彼女のマナが回復するまでの所謂“繋ぎ”として、貴方のマナを拝借したいのですよ。無論、先程のような事故は起こしませんし、今回は優しい吸収ですので貴方のマナが尽きることもなければ、気持ち悪さを感じる事もないでしょう。所謂献血みたいなものですよ。」
ペラペラと喋るアーサーの話には現実味があった。
確かに、彼女は〈赤のマナ〉との相性が非常に悪い。
それを注ぎ込めば、無事じゃ済まないことなど……前世で何度も経験しているため、分かりきったことだった。
ただ、僕のマナにしても彼女は眠気を感じてずっと寝てしまうのに相性が果たして良いのか、と言われれば言葉を濁してしまうが……要するに、〈赤のマナ〉よりは僕の〈薄紫色のマナ〉の方がまだ相性が良いと言うことなのだろう。
そしてそれは同時に今の彼女を救う唯一の手掛かりなのだと言われれば、僕は奴にすぐに返事をした。
すると、奴はすぐに他の奴らを招集して彼女の機械を再び弄りだした。
彼女の隣に空いた場所を作り、そこへ入れ、と言われた僕は恐る恐る彼女の隣へと横になる。
シャルが緊迫した状態なのを感じ取った僕は、コアクリスタルを優しく撫でて「大丈夫だ」と安心させてやった。
「出力は最弱。定期的に彼女へマナを流し入れるコードを入れてください。」
アーサーの奴の指示を横になりながら聞いていると、人の良さそうな顔をした医療班の奴が僕の腕を取ってこれみよがしに針を見せてくる。
「大丈夫ですよ~。痛くないですからね~?」
針を刺す時のお決まりの文句を言いながら、容赦なく僕の腕に針を刺した医療班の奴は、そのまま彼女の方へと回り、彼女にも同じく針を刺していた。
……たったこれだけの針で、彼女にマナを供給出来るのか?と不安になった僕は、険しい顔でアーサーの奴を見たが、奴は奴で指示に忙しいらしい。
僕の事などお構いなしに状況は進んでいく。
彼女の口元の酸素マスクと同じ物が、僕にも着けられていき、彼女の腕と足に着けられた枷のような物体を僕の方にも着けられていった。
そして僕の前にも蓋が閉まっていくのを黙って見ていた。
「……。」
動かせば触れられそうな距離。
僕はゆっくりと手を動かし、彼女の冷たくなった手を握った。
するとその瞬間、とてつもない眠気が襲ってきた。
……あいつ、やってくれたな。
恨めしくそう思った瞬間、僕の視界は暗転していた。
……
…………
…………………………
どれほど、僕は寝ていただろう。
気が付いて目を開ければ、いつの間にか目の前に広がっていたはずの透明な蓋は消え去っていて、腕についていたはずの針も見えなくなっていた。
「ご苦労様でした。もう出てもいいですよ。」
「……スノウは?」
「徐々にですが、〈碧のマナ〉が生成されつつあります。これなら、あとは回復器の力で回復させれば間に合うでしょう。」
体を起こしながら説明を聞けば、奴はいつものようなニコニコとした顔でそう説明した。
僕は隣にいる彼女へと視線を向ける。
しかし思っていたよりも明らかに彼女の顔色が悪い。
これならば、まだ繋いでいて貰っても大丈夫なんだが…?
「こればかりは貴方のマナではなくて、ご本人のマナを生成して貰わなければ意味がないので、心配はご無用です。」
まるで僕の心の中を覗かれたように返答してきたアーサー。
僕は静かに奴を睨んだが、そんな視線など意に介さないとばかりに鼻で笑われた。
『大丈夫ですか?坊ちゃん。』
「あぁ。……というか、お前居たのか。」
『酷くないですか?!ずっと居たじゃないですか!!坊ちゃんがその中で心配そうにスノウの手を握ったのもちゃんとこの目で見てるんですからね!!?』
「……そういえば、そんな事もあったな。」
『無意識って事ですかぁ?!もうっ!流石坊ちゃん!欲望に忠実……って、ぎゃああああああ!!!!?』
煩くて堪らずコアクリスタルを引っ掻いてやれば、途端に悲鳴が上がる。
それを素知らぬ顔をして、僕はアーサーに説明をお願いした。
一体、何が起きたのかを。
「……とにかく、その場所では何かと不便ですので、話は執務室で聞きましょう。」
そう言って僕の手を掴んだ奴は、僕を立ち上がらせると踵を返し、執務室へと向かった。
それを僕は追いかけようとして、最後に彼女を見てから追いかけることにした。
……取りあえず、生きているようで良かった。
今はそう思うことにした。
反省は、全てを聞いてからだ。
(*スノウ視点)
___スノウが気絶する前
私が他の人達の手伝いをしていた時の事。
大量の資料の運搬を任されていた私は、前が見えない苦労に耐えながら資料を運んでいた。
しかし、それが悪かったようだ。
曲がり角で誰かとぶつかってしまい、地面にお尻を打ち付けたあと、反射的に出ない声で謝ってしまっていた。
紙が地面に落ちてきて見えない相手が見える様になってきた頃、目の前にいた人物に腰を抜かすこととなる。(まぁ、既に尻もちはついていたが…。)
「────!?」
え?
何、その衣装チェンジ。
看守?それとも獄卒なの?
唖然とした私を心配してか、駆け寄ってそっと頬に触れるリオンに私は言葉が出ないでいた。(いや…声は出ないけどさ?)
だって……その衣装チェンジは駄目だって。
オタクには辛いものがある。
「────。」
本当、なんてカッコイイんだ。
素地が良い人は何を着ても様になるんだって、その時本当に思ったね。
顔が赤くなる以前に、私はその神々しさに眩しくなり、挙げ句の果てには推しが尊すぎて気絶してしまっていた。(鼻血出てないよね…?)
そうして私は気絶した後、病室に戻されたらしい。
目が覚めた時、見覚えのある天井だったから。
「……。」
ゆっくりと私が目を開ければ、やはりそこは見覚えのある病室。
しかし、右手だけは温かった。
「(……温かい、な…?)」
一体誰だろう、と視線をゆっくり移動させればそこに居たのはまたしても神々しさ全開の彼だった。
しかし、その顔は何故か泣きそうな顔をさせていた。
……何故、そんな顔をしているんだい?
何かあったのか?
それとも、私が裏切った事実が悲しいのかい?
私は温めてくれていた彼の手を引き抜くと、そっと彼の頬へと伸ばそうとした。
しかし横になっている状態で流石に届くはずもない。
空を切った手をベッドに戻そうとして、その手をまたしても彼に掴まれた。
そして彼は俯いて……涙を流していた。
私はそれを見て、驚いて目を見張った。
「──、────。」
「(あぁ…分からないよ、レディ…。君の言葉は……私には届かないんだ。)」
ギュッと握られた手が、彼の悲しさを表しているようで、私は堪らず身体を起こして彼を抱き締めた。
あぁ、悲しませているのは自分なのに、こうする事しか出来ない自分が不甲斐ないんだ。
……酷く滑稽で、愚かだ。
私から手放したというのに。
「────。」
「(リオン…。)」
「──。────。」
「(本当にごめん。でも…私は後悔はしない。君を手放した私をどうか忘れてくれ。君は君の人生を生きてくれ。私が願うのは……それだけだ。)」
サイリルで夜に起きた時、彼に伝えたかった言葉を全て紙に書いておいた。
でも彼の読めない文字で書いたからきっと伝わらなかったと思う。
それでも誰かにそれを読んでもらって、諦めてくれたらと思って書いたんだ。
だから、私の事など気にせずに君は君の人生を歩んでくれ。
私は私で、ちゃんと生きてみせるから。
君という光を失っても、私は……使命を果たす為に頑張るから。
私が抱きしめていた身体を離そうとすると、彼は嫌がるように私の体を余計に抱き締めた。
強く、強く抱きしめてくれた。
今は彼の行為を受け止めることにした私は、彼の背中に手を回し、優しく叩いてあげた。
しかしそれは、彼の涙を助長させるだけのものだったようで、余計に体を震わせて泣き出した彼に、私も堪らず泣きそうになった。
「……。」
いつまでそうしていただろう。
彼の涙も止まったのか、身体の震えもいつの間にか止まっていた。
それでも彼は私を離してくれなくて、離れようとすればするほど、彼は私にしがみつくように抱き締める強さを強めていた。
でもそれと同時に彼の身体の暖かさが今は、とても心地良かったのも事実だった。
……あぁ、この温かさに絆されそう。
ほう、と安心した息を吐けば、彼はようやく体を離してくれた。
しかし、彼の今の衣装は私には目の毒ではある。
赤くなる顔を手で押さえながら、彼から顔を背けると私の気を向けるためか、袖を引っ張ってきた。
いやしかし、直視なんて出来やしない。
直視なんてしてしまったら、今度こそ無様な姿で気絶しかねない。(それこそ鼻血とか出しそうで怖い…)
「────。」
いや、だから駄目なんだって。
私が頑なに顔を見ようとしない事が分かったのか、彼は袖を引っ張ることをやめて、そのまま扉の外へと出て行った。
……寂しいし悲しいけど、これで良かったんだと思う。
彼を傷つけるのは、私なのだから。
これ以上、彼を傷つけたくない私の我儘を聞いてくれて、ありがとう。リオン。
……そう思っていたのに。
「……。」
「────。」
彼は諦めなかった。
資料を運ぶ手伝いをしていた私の前に、また彼が現れて、すぐに私の持っていた全資料を奪い去っていく。
慌てて取り返そうとしたが、ひらりと躱されてしまった。
そして彼は顎を使って「先に行け」と伝えてくる姑息な手まで使ってきた。
顔を引き攣らせながら私は目的の場所まで彼を連れていき、無事に手伝いを終わらせたのだった。
別の手伝いの日もそうだ。
研究所内の購買へと頼まれた物を買いに来た私だが、またしても彼が目の前に現れて後をついてくる。
購買で買ったものを見るなり、私が手を出す前にその荷物を全て奪い取ってしまったのだ。
そしてまた顎を使い、「先に行け」と無言で促して来る。
また私は顔を引き攣らせながらも、彼を案内をしてそれぞれの場所へと買ったものを渡しに行ったのだった。
「(一体、彼は何処から現れるんだ…?!)」
こういう時にこそ、探知が欲しい。
彼の行く手を先回りして、会わないようにどうにか出来ないものか。
そんな悩みを持ちながらトボトボと歩いていれば、無論気もそぞろとなり、周りへの警戒も疎かになる。
だから誰かにぶつかりそうになっていた事に気が付かなかった。
慌てて回避しようとした時には、いつの間に後ろにいたのか、彼が私の肩を掴んで自分の方へと引き寄せていた。
驚きながら目を見張れば、相手は謝りながらすぐに去っていってしまった。
抱きしめられる形で引き寄せられていた為、まさに今、抱きしめられている訳だが……唖然としていて暫く動けなかった私を、彼が心配そうな顔で見つめていた。
「────。」
そっと離れれば、余計に心配そうな顔をさせて私の頭を撫でてくる。
しかし彼の衣装チェンジの破壊力よ。
私は再びその神々しさを改めて目の当たりにして、気絶しかけていた。
慌てて支えてくれた彼には悪いけど……否、そんなカッコイイ衣装を着る彼が悪いんだ!
オタクの心はボロボロよ?!
需要と供給が等しくなってないから!
供給がありすぎると、人って気絶しちゃうから!
結局、私は気絶していたらしく、またしても病室送りになっていたのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
流石に何度も何度も遭遇したのもあり、彼の看守の衣装にも慣れてきた頃。
今日は手伝いではなく、勉学に励むことにしていた。
朝から図書室へと赴き、ノートと辞書、本を見ながらこの世界の文字を勉強する。
彼も居ないし、この時間がなんだかんだ落ち着きつつある頃、それは訪れた。
「(えっと……ここは接続詞が後ろに回るから……。いや……違うかも…。こうしたら……いや、これも違う?あー…つまづいた……。)」
はあ、とため息をつきながら私は、机に頭を突っ伏した。
こうなると結構長くなるのは今までの経験上で分かっていた。
しかし頼りになるアーサーも今はここにはいないし、他に頼れる人もいない。
机に顔を乗せた状態で再び大きなため息をつけば、目の前に誰かの手が現れて何事もなくペンを持ち、ノートに何かを書き記していく。
それを見れば、先程悩んでいた問題を解いて、しかも解説まで入れてくれていた。(まぁ、線で順番を変え、教えてくれていただけなので、これだけでも誰か気付きそうだが…)
私は問題が解けたことに感動して、教えてくれた人を見る。
それは無論、アーサーではなく……彼だった。
驚いて目を点にさせた私を、彼がクスリと笑っていたのが印象的だったが、何故ここが分かったのかという疑問のほうが勝つ。
私が再びため息をついて机に顔を乗せたからか、彼は意地悪なことをしてくる。
私の頬を突っついたり、ノートに何かを書き始め、私が分からないのを知っていて、さっきと同じような問題を出してきた。
無論、それが彼なりの不器用な優しさだとは思っていたが、私はそれを見て渋々問題を解くことにした。
「(さっきの順番の入れ替えがこうだった……。だから、この問題は…こうして、こうだ…!)」
何故、言語の勉強でこんな問題を解かなくてはならないのだ。という疑問も浮かんだが、それよりも出された問題を解いてしまいたいという気持ちが勝る。
書き終わった私の手元を見た彼は、「正解だ」とでも言うように私の頭を撫でた。
「(勉強で褒められたのって…いつぶりだろう…。)」
前前前世となってしまったが、以前地球にいた頃には褒められた経験が自分にはあまりない。
それこそ、先生にしか褒められなかったと思う。
そう思うと少しだけ、感慨深くなった。
その後も彼がずっと勉強を見てくれて、分からない言語を調べる私に、簡単な文字を書いて説明してくれる彼。
それに頼ってしまって、いつの間にか、辞書から目を離す時間が長くなっていた。
「(あー…なるほど…。分かりやすい……。)」
彼の書く文字はとてもきれいで、説明も分かりやすく、文章の順番が間違っていればすぐに訂正が入る。
正直、アーサーよりも教え方は上手かった。
しかし、ひとつだけ混乱する文法がある。
「(これ…会話か書く側かで文法が変わって面倒くさいな…。)」
流石に苦手な文法も出てくる。
それを察知したらしいリオンが懇切丁寧に説明してくれるも、今日のところはこれ以上頭が受け付けてくれなさそうだった。
いよいよダウンした私をリオンが珍しそうな顔で見てくるので、私は机に腕を置いてそこに頭を乗せた。
もう無理です、と言わんばかりに。
そうしたら離れてくれるか、と期待したのもあるが…どうだろうか。
暫くしてからそっと顔を上げれば、そこには彼の姿がなく、酷く安堵した。
このまま少し休もうかな、と目を閉じようとしたが近くから物音がして慌てて起き上がる。
すると、彼が紅茶を入れてきてくれたようで私の前にコトリとカップが置かれた。
紅い色をした淀みのない綺麗な紅茶が目の前にあり、私は困り顔で彼を見た。
しかし彼は既に自分のやつに口をつけていて、目を閉じて紅茶を堪能しているし、なんと言っても平然としている。
それは、前前世からの不器用な彼の愛情である。
無言を貫いているが、それは彼なりの優しさで……「飲んで休め」と言ってくれているのだ。
そっとカップを取って口に含めば、軽やかな飲み心地が口と喉を占める。
そして甘い紅茶が舌の上を滑り、疲れた体に染み渡っては少しばかりの癒やしを与えてくれた。
流石に彼は紅茶に詳しいだけあって、淹れ方が上手い。
ひと呼吸を置いてからまた紅茶を口にすれば、彼はそんな私を見て優しい笑顔を浮かべていた。
「────。」
何かを話しているが、分からない私に彼はノートに言葉を丁寧に綴る。
〝味はどうだ?〟
分かりやすい言葉と、返事のしやすい質問の仕方をしてくれるのが優しい。
私はペンを受け取って、その質問の横へと答えを書く。
〝美味しい〟
その一言を書き綴れば、彼は満足そうに笑ってまた自分の紅茶に口を付けた。
それに倣って私も、紅茶を口にする。
……あぁ、悔しいけど美味しいな…?
そう思いながら飲んでいれば、あっという間に飲み干してしまう。
飲み終わったカップをソーサーへ戻そうとすれば、すぐにそのカップは彼の手に収まって片付けられてしまった。
だから、少しだけやる気を出して、もう少し勉強を頑張ろうと思えた。
また机に向かう私を、彼が遠くから見ていた事など私が知る由もなかった。
『────館内放送です。ジューダスさん、居たら執務室まで。』
簡易的な放送を聞いて、リオンもスノウも顔を上げる。
リオンはその放送が何か分かった為、僅かに顔を曇らせた後にすぐに外套を翻してその場から去る。
そんなリオンの背中を、スノウがジッと見ていた。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
(*リオン視点)
放送があった瞬間、僕は何事か悟った。
看守になる事件以降、大分時間が経っている。
例の白い服の宗教団体の事か、それとも僕のマナを奪い取るためか…。
何の放送にしろ、勉強を頑張っている彼女を心配させたくなくて、直ぐに行動に移した。
廊下を歩いている途中で心配そうな色を灯す愛剣の姿を見ながら、僕は真剣な顔で歩く。
そして奴の執務室の扉を開け放てば、奴は隠すことなく狂気の笑みで僕を出迎え、机に両肘を置くとその手に顔を乗せていた。
……嘲笑う、その顔が非常に腹が立つことこの上ない。
「時が来ました。そろそろ貴方のマナを戴きましょうか。」
「……あぁ。」
「ほう…?いやに素直ですねぇ?そんなに虐めて欲しいのですか?」
「これも、あいつといる為の条件だからな。僕が出したその条件を、今更反故にする事はない。」
「……立派な心構えな事で。クックック…!」
「早くしろ。あいつが変に勘付く。」
「それは頂けませんねぇ。では実験場までご同行願いましょうか。」
『坊ちゃん…!』
「黙っていろ、シャル。……これが、今の僕に出来る全てだ。」
小声で話した声はどうやら奴に届いているようで、喉奥で嗤う声がここまで聞こえてきた。
それに睨み返せば、奴は余計に可笑しそうに嗤った。
その後は奴の後についていき、次第に灯りも届かないような薄暗い場所まで案内される。
それこそ、表に出せないような、何かやましい実験をやっていそうな雰囲気を漂わせていた。
「こちらへ。」
奴がそれだけ言い放ち、顎で指示した先にあったのは、この建物の高さくらいある大きな機械だった。
何故、こんな大きな機械が存在しているのか、そして何の機械なのかなど、僕に知る由もない。
ただひとつ分かるのは、中央に佇むその機械には人が入れそうな空間が空いていたことくらいだ。
そしてその空間の中に入れ、と言われていることくらい、この機械について知らない僕でも理解出来た。
僕が動こうとしたその瞬間、白衣を着た研究員どもが僕を囲って、武器を全て取り外していく。
シャルが叫んでいるが、僕はそれを黙って見送った。
そして研究員が僕の耳に着けられたピアスに手を掛けたのを見て、その手を強く掴み、取らせないようにする。
そこまで力を強くしたつもりはないが、研究員はすぐに悲鳴を上げて後退していった。
「暴力はよろしくないですねぇ?」
「これに触れるな。貴様らが触れていい物などではない。」
「……彼女からの贈り物、というやつですかねぇ?そのネックレスも。」
「あぁ、そうだ。」
「……分かりました。アレは着けさせてやりなさい。」
「わ、分かりました…。」
僕を怖がる研究員を睨めば、すぐにすくみ上がり、足を後ろへと動かす。
そして僕は、機械の方へと歩を進めていく。
後ろから必死に僕を止めようとするシャルの声が聞こえていた。
「彼が中に入った後、すぐに機械を取り付けるように。」
「ハッ!」
その言葉を聞いて、僕は機械の中へと身を潜らせる。
すると直ぐに研究員どもが僕の腕や足に機械を取り付けていく。
それも急いでいるように取り付けるものだから、僕はそんな研究員どもを鼻で笑ってやった。
ここまで来て、逃げるものか。
どうせ、逃げるかもしれないと奴らは怯えているのだろう。
最後に体へと巻き付けるように取り付けられたケーブルに息苦しさを感じながら僕は静かに終わるのを待った。
「総員、出力確認。」
「ハッ…!出力確認します。」
奴の指示で研究員どもが配置につき、モニターやら操作盤を忙しく動かしていく。
同時にこの機械から起動するような低い稼働音が響いた。
「出力確認!状態、オールグリーンです!」
「こちらも出力確認!状態、オールグリーン!」
「実験体に出力が逆流しないように調整を。常にマナを放出させるようにシリンダーの中を意識しなさい。マナが貯まり次第、次のシリンダーへの切り替えを忘れないように。」
「シリンダー、全てセット完了です!」
そんな指示を聞きながら僕はふと、彼女の事を思い出す。
今頃、まだ勉強でつまづいているのだろうか。
今世で生き返ってからというもの、初めて見る彼女の表情ばかりで新鮮な気持ちにさせられる。
いつも凛としていて、余裕そうな顔をしていた彼女が、今世では僕を見る度に複雑そうな顔をさせる。
それは時に本当に困ったような顔だったり、怒ったようなムッとしたような顔だったり…。
唖然として、声を出すのも忘れたような顔だったり、と初めて拝む顔ばかりだった。
それもこれも、彼女は未だに僕を裏切っているという罪悪感から来るものだと思う。
だから僕を頼るに頼れないのだろう。
人一倍、寂しがりやで泣き虫な癖に。
僕には強情な様子を見せる彼女が、酷く辛そうに見えたのは今に始まったことじゃない。
……今世で出会ってからずっとだ。
僕を頼ってほしいのに、言葉が伝わらない。
僕を頼ってほしいのに、彼女は僕から顔を背けては泣きそうになりながら背中を見せて、僕には絶対に顔を見せてくれやしない。
それが、彼女の選択だとしても僕は絶対に助けたいと願うんだ。
その助ける役目は他の誰でもない…僕なんだと、そう強く願っているのに、彼女には何一つ届かない。
何をすればいつものように笑ってくれる?
何を捧げれば、彼女が僕を見てくれる?
僕は、いつでもお前の味方なのに……
「────マナ吸収開始っ!!」
その言葉が聞こえた瞬間、身体の中のマナが悪い予感を察知したかのように蠢く。
そして僕を拘束する機械に吸い取られていくようにして、〈薄紫色のマナ〉は体の外へと出て行ってしまう。
それは同時に、僕にとって苦痛を与えるものだった。
「う、ぐっ…!ぅああぁぁぁぁぁぁぁあああぁっ!!!!!」
『坊ちゃんっ!!!!』
体中のマナというマナが吸い尽くされる。
悲鳴と共に、水の中にいるような息苦しさを感じて、僕は呼吸をするのに必死だった。
しかしその内、目眩や吐き気、頭痛が同時に襲ってきて意識を失いかける。
……その瞬間。
「対象が気絶したのを確認。蘇生処置を施しなさい。」
「蘇生処置、開始!」
「ぐあァァああああっ!!!!?」
気絶しかけたその瞬間だった。
体中を雷が貫いたかのような電気ショックが走り、僕は堪らず悲鳴を上げた。
それも、一瞬などではなく、何秒間もずっと繰り返される電気ショックに体が痙攣して悲鳴を上げる。
ガクガクと体が震え、再び気絶しかけると、新たに来る電気ショックの連続。
耐え難い痛みが続き、気絶をしたいのに電気ショックによって強制的に起こされるという生き地獄。
…頭がおかしくなりそうだった。
それを何分耐え続けていただろうか。
周りの研究員の悲鳴が、薄らある意識の中で聞こえた瞬間、ガラスの割れる音が響き、爆発音までもが辺りを包み込んだ。
そして僕はその爆発によって、拘束していた全てのケーブルが外れ、その場にうつ伏せで倒れていた。
その時僕は、ようやく意識を手放すことが出来たのだった。
……
………………
…………………………
────どこからか、音がする。
それは何処か、喧嘩をしているような響きだ。
…いや、一方的に怒られているやつがいる気がする。
そしてその怒っているやつを宥めているやつがいるようだ。
だが、その怒っているはずの方の人の声は全く聞こえてこない。
宥めている方の声しか聞こえてこなかった。
僕が疑問を浮かべていると、突然、発砲音がその場に響いた。
同時に僕の体は癒やされるように光に包まれて、温かくなっていく。
……そうだ、この感覚。感じたことがある。
前世で彼女が得意としていた回復術だったはずだ。
何故、今その魔法が僕の体に?
「────やめなさいっ!!死にたいのですか?!スノウ・エルピス!!!」
「っ!!!!!!」
アーサーの奴の声が聞こえた瞬間、僕は目を覚ました。
一気に開かれた目は、彷徨いながら状況を把握しようと頑張る。
しかし、そこに在った情況は僕にとって最悪だった。
『嫌だっ!!!スノウっ?!!!!』
「早く回復器の準備を!!!一刻を争います!!!」
「────は…?」
慌ただしい周りの景色。
ひとつ分かったのは、口から血を流し、土気色の肌をした彼女がアーサーに抱えられていたということ。
生気のない顔色をした彼女の様子を見て、僕は体が動けずにいた。
……なにが、どうして……こんなことに……?
『坊ちゃんっ…!!スノウが…!スノウがっ!!!』
「シャル…?」
『っ!!坊ちゃん、起きたんですか…?!』
連れて行かれる彼女を見ながら、僕は呆然と近くにあったシャルを見つめた。
するとシャルから衝撃の経緯を聞くこととなる。
『坊ちゃんがっ、起きないって分かった途端っ、スノウが自分にマナを撃ってっ…!それでっ、今あるマナの量を遥かに上回る量の回復魔法を坊ちゃんに使っちゃって…!!!』
「……は…?」
声が掠れた。
思わぬ経緯を聞いて、僕は茫然とした。
シャル以外誰もいないこの部屋の中で、僕は何も考えられなくなっていて、ベッド上にいることすら他人事の様に思えた。
何故……僕の居ない間に事態はこんなにも深刻と化すのだろう。
どうして……僕は、彼女の近くにいてやれなかったのだろう。
僕を心配する彼女が、未だに彼女の中に有るということは、僕が一番分かってやっていたはずなのに。
僕は────やってしまったんだ。
「……。」
『うぅっ、うっ、ひっくっ…!』
シャルの嗚咽だけが部屋の中に響く。
僕は呆然としていた意識を取り戻し、徐々に体を動かす。
勿論、それは彼女の所に行く為だ。
今のシャルに詳しい経緯を話せ、と言ってもきっと分かっていない部分が大きい。
なら、今分かる人物に聞いた方が早い。
僕のマナを奪っている最中に起こったであろう“事故”の事。
そして僕が気絶していた間に起こった、“喧嘩”と“銃声”の事だ。
『坊ちゃん…?』
「……スノウ。」
ある意味、今の僕の状態は茫然自失だったのかもしれない。
何より彼女の近くに行きたかった、というのが本当は一番大きかったんだと思う。
呟いた声をバネにして、僕はマナ回復器のある検査場まで駆け抜けていた。
そしてひとつの回復器の周りを、〈赤眼の蜘蛛〉の医療班が忙しなく動き回っていた。
当然そこには彼女が入れられているのだろう。
見たこともないくらい真剣な顔で次々と部下へ指示を飛ばすアーサーの奴を見ながら、僕はその場で拳を握って、強く祈った。
彼女の回復を何より、強く……。
「アレはまだですか?!」
「で、ですが…!スノウさんの体に入れるには…少々毒と言いますか…!?」
「やむを得ません!先程のシリンダーを使って彼女を蘇生させます!身体の中のマナが空の方が今の彼女には毒です!!」
『「……。」』
否、祈ってる場合じゃない気がしてきた。
一体、彼女に何をする気だ?
僕と同じような事をさせるんじゃないだろうな?
シャルと僕が固唾を呑んで事を見守っていると、医療班の一人が見たことのある色の液体の入ったシリンダーを持ってきた。
その色はまるで、僕の持つ〈薄紫色のマナ〉の色と酷似していた。
「貸しなさい!」
アーサーが研究員からシリンダーを奪い取り、機械にシリンダーを取り付けていく。
するとそのシリンダーの中の液体はみるみるうちに減っていって跡形もなくなってしまう。
すると機械が別の音を立て始め、何かをしているんだろう事は分かったが、果たして、それで彼女が救えるだろうか…?
「…!!仮のマナが入っていきますっ…!……すごい…!」
『だ、大丈夫なんでしょうか?あいつらに任せると…なんか不安というか…。』
「……僕らよりはマナについて詳しい、と信じたいが…。こればかりはな……。」
「────呼吸確認…!あとは後遺症がないか、確認が必要ですが……取りあえずは無事そうです…!!」
その瞬間、歓声が沸き起こる。
医療班の目には涙が貯まり、次々と泣き出すものもいた。
するとアーサーが僕を見て、手招きをしてくる。
僕は警戒をしながら奴の近くに寄れば、奴はため息をついて僕を見てきた。
「…貴方の具合はどうなんですか?」
「……以前と何も変わりない。体調は…万全だ。」
「やはりですか…。はぁ……あれをされるとは、誤算ですねぇ…。」
「何が起こったんだ。」
「その話ですが……その前に少し協力してもらえませんか?彼女をこの状態のままキープしておきたいので、貴方と彼女を繋いでおきたいのです。」
『はぁ?!さっきやらかした人が何を…!!』
「説明してくれないと分からない。何故僕と彼女を繋げる必要がある。」
「…そうですねぇ。それには〈星詠み人〉のマナについて話さなければなりませんが……早く言えば、今の彼女にマナを供給し続ける必要があります。貴方のマナは今の彼女にとって、救いのマナ…。彼女が継続して息をし続ける為には、仮のマナを彼女の中に注ぎ込んでいく必要があるんです。我々のマナでは彼女は拒否反応が起きてしまいます。ですから彼女のマナが回復するまでの所謂“繋ぎ”として、貴方のマナを拝借したいのですよ。無論、先程のような事故は起こしませんし、今回は優しい吸収ですので貴方のマナが尽きることもなければ、気持ち悪さを感じる事もないでしょう。所謂献血みたいなものですよ。」
ペラペラと喋るアーサーの話には現実味があった。
確かに、彼女は〈赤のマナ〉との相性が非常に悪い。
それを注ぎ込めば、無事じゃ済まないことなど……前世で何度も経験しているため、分かりきったことだった。
ただ、僕のマナにしても彼女は眠気を感じてずっと寝てしまうのに相性が果たして良いのか、と言われれば言葉を濁してしまうが……要するに、〈赤のマナ〉よりは僕の〈薄紫色のマナ〉の方がまだ相性が良いと言うことなのだろう。
そしてそれは同時に今の彼女を救う唯一の手掛かりなのだと言われれば、僕は奴にすぐに返事をした。
すると、奴はすぐに他の奴らを招集して彼女の機械を再び弄りだした。
彼女の隣に空いた場所を作り、そこへ入れ、と言われた僕は恐る恐る彼女の隣へと横になる。
シャルが緊迫した状態なのを感じ取った僕は、コアクリスタルを優しく撫でて「大丈夫だ」と安心させてやった。
「出力は最弱。定期的に彼女へマナを流し入れるコードを入れてください。」
アーサーの奴の指示を横になりながら聞いていると、人の良さそうな顔をした医療班の奴が僕の腕を取ってこれみよがしに針を見せてくる。
「大丈夫ですよ~。痛くないですからね~?」
針を刺す時のお決まりの文句を言いながら、容赦なく僕の腕に針を刺した医療班の奴は、そのまま彼女の方へと回り、彼女にも同じく針を刺していた。
……たったこれだけの針で、彼女にマナを供給出来るのか?と不安になった僕は、険しい顔でアーサーの奴を見たが、奴は奴で指示に忙しいらしい。
僕の事などお構いなしに状況は進んでいく。
彼女の口元の酸素マスクと同じ物が、僕にも着けられていき、彼女の腕と足に着けられた枷のような物体を僕の方にも着けられていった。
そして僕の前にも蓋が閉まっていくのを黙って見ていた。
「……。」
動かせば触れられそうな距離。
僕はゆっくりと手を動かし、彼女の冷たくなった手を握った。
するとその瞬間、とてつもない眠気が襲ってきた。
……あいつ、やってくれたな。
恨めしくそう思った瞬間、僕の視界は暗転していた。
……
…………
…………………………
どれほど、僕は寝ていただろう。
気が付いて目を開ければ、いつの間にか目の前に広がっていたはずの透明な蓋は消え去っていて、腕についていたはずの針も見えなくなっていた。
「ご苦労様でした。もう出てもいいですよ。」
「……スノウは?」
「徐々にですが、〈碧のマナ〉が生成されつつあります。これなら、あとは回復器の力で回復させれば間に合うでしょう。」
体を起こしながら説明を聞けば、奴はいつものようなニコニコとした顔でそう説明した。
僕は隣にいる彼女へと視線を向ける。
しかし思っていたよりも明らかに彼女の顔色が悪い。
これならば、まだ繋いでいて貰っても大丈夫なんだが…?
「こればかりは貴方のマナではなくて、ご本人のマナを生成して貰わなければ意味がないので、心配はご無用です。」
まるで僕の心の中を覗かれたように返答してきたアーサー。
僕は静かに奴を睨んだが、そんな視線など意に介さないとばかりに鼻で笑われた。
『大丈夫ですか?坊ちゃん。』
「あぁ。……というか、お前居たのか。」
『酷くないですか?!ずっと居たじゃないですか!!坊ちゃんがその中で心配そうにスノウの手を握ったのもちゃんとこの目で見てるんですからね!!?』
「……そういえば、そんな事もあったな。」
『無意識って事ですかぁ?!もうっ!流石坊ちゃん!欲望に忠実……って、ぎゃああああああ!!!!?』
煩くて堪らずコアクリスタルを引っ掻いてやれば、途端に悲鳴が上がる。
それを素知らぬ顔をして、僕はアーサーに説明をお願いした。
一体、何が起きたのかを。
「……とにかく、その場所では何かと不便ですので、話は執務室で聞きましょう。」
そう言って僕の手を掴んだ奴は、僕を立ち上がらせると踵を返し、執務室へと向かった。
それを僕は追いかけようとして、最後に彼女を見てから追いかけることにした。
……取りあえず、生きているようで良かった。
今はそう思うことにした。
反省は、全てを聞いてからだ。