第二章・第1幕【裏切り者編】
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005.アクセサリーと外出
この世界に来てから早いもので、もう1ヶ月が経っていた。
〈赤眼の蜘蛛〉に入ってから数えたとしても1ヶ月経ったと言う事になる。
大分お世話になってはいるが、未だに〈赤眼の蜘蛛〉の仲間としての自覚は無く、どこか妙な違和感を覚えながら過ごす日々。
朝起きて見知らぬ部屋で目を覚ますのも、もう何週間になるんだろう。
この部屋こそが、今の自分の私室だと言うのに。
「(あー…。昨日夜遅くまで勉強しすぎたか…。)」
いつもよりも遅い起床の時間。
スノウはあくびをしながら部屋の中にある時計を見つめれば、その時計の針は既に9時を指していた。
早起きのスノウにしては珍しく、眠そうに目を瞬かせながらの起床だった。
ベッドから降りて着替えをしようかと思ったその時、部屋の扉を誰かがノックしていた。
「起きていますか?スノウ・エルピス。」
「(あ…。アーサーか…。返事をしようにも声が出ないからなぁ…?)」
扉に行き、鍵を開けてそっと扉を開ければ、驚いた顔をしたアーサーと鉢合わせた。
スノウの格好を見て、まだ寝ていたのかと驚いていたようだ。
「……珍しいですね。貴女がまだ起きていないとは…。花恋なら分かりますが、早起きの貴女では考えられないことです。体調がおかしいのですか?」
「《いや、違うんだ。昨日、夜遅くまで勉強しててね…。見事に寝坊したよ。》」
「あぁ…なるほど。それはお疲れ様です。……ですが、関心はしませんねぇ?自己の体調管理も大事です。何かあってからでは遅いのですよ?」
「《ごめんって。私としても、まさかこんなに遅く起きるとは思わなかったんだ。》」
「ふむ…。貴女の中のマナが失われていることで何かの弊害じゃなければいいですが…。今日は検査と致しましょう。細かなデータが、未来の貴女を救うことになるやもしれませんから。」
「《分かった。それについては君に任せるよ。》」
「では検査室へ向かってください。手配はしておきますので。」
スノウは、そう言って去って行こうとしたアーサーを腕を掴む事で止める。
何か用事があって来たのではないのか、と問えば彼は首を横に振って、苦笑した。
「貴女がいつもの時間に朝食に来ないので、心配になっただけですよ。部屋の中で死んでいるのでは、と思っていたくらいです。」
そんな言葉を残して、彼はすぐに去っていく。
唖然としてその場に立ち尽くしたスノウは、アーサーの背中が見えなくなるまでその場から動けなかった。
まさか、そんなに心配されていたとは誰が思うだろう?
仲間内でも“冷酷”や、“無慈悲”と、恐れられる彼がここまで心配するとは思っていなかっただけに、今回の事はスノウの中でも衝撃的ではあった。
「(彼も随分と丸くなったものだ…。これは他の人も驚くだろうな…?)」
取り敢えず着替えをしよう、と部屋の中へ戻ったスノウは、いつもの服に袖を通す。
ネクタイをつけるために鏡を見て、ふと目についたアメジストのピアスとネックレス。
マナ感知器である立方体のピアスも今じゃ役に立たないらしく、その立方体に何も満たしてはいなかった。
それらをそっと見つめて、目を伏せたスノウはスッとそのピアスたちを取っていく。
一つひとつ、優しくアクセサリーを取ったスノウは、そのアクセサリーをドレッサーの机の上に置いておいた。
前世で彼から貰ったアメジストのピアスも、アメジストの宝石がついているプレート型のネックレスも、今は検査だからと外した。
すると、黒髪に黒目の自分が鏡越しに自分を見つめていた。
「(……リオンに会う前に…すべてを終わらせなくちゃ…。ちゃんとマナを取り戻して…そして声も出せるようにして……〈赤眼の蜘蛛〉を抜けて……。それからリオンに会うんだ。今はまだ……)」
悲しそうに目を伏せたスノウは、机の上のピアス達を見つめてからゆっくりと目を閉じた。
そして、研究所内の検査室へと急ぎ目に歩き出した。
今は……今だけは、アレを身に着ける資格はスノウには無い────そう思えてしまったのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
___検査後
簡易的な検査ではあったが、全ての工程を終えたスノウは再び検査着から普段服へと身を包む。
最後のネクタイを締めながら結果を聞きに来たスノウへ、医療班の検査担当技師が椅子を勧める。
そこへ座ったスノウは、若干緊張した面持ちで技師を見れば、技師はくるりと椅子を回してスノウへと向き合った。
「スノウさんですね。噂はかねがね。」
「《はい。》」
「今回の検査では、マナの検査や簡単な身体検査を行いました。そして結果が出たので、今回は軽い説明と治療方法についての提案となります。」
「《……治療方法、と仰るということはどこか悪かったんですね?》」
「まぁ、簡単な話……。貴女の中のマナ保有量が問題なのです。」
「???」
マナを持っている者は皆、人によってマナを体の中に保有出来る量が違う。
それこそ千差万別である。
そのマナ保有量が問題とは、スノウとしても聞いたこともない。
首を傾げて疑問を浮かべれば、技師が最初から説明をしてくれる。
「最近の研究で分かった事なんですが…。マナの保有量が元々多い人は、潜在するマナの量が少なくなれば少なくなるほど激しい諸症状に陥りやすいんです。今回、スノウさんの場合は寝不足と言う事もあるんですが……何より、マナが無さすぎる…。その為に、マナが少ないということを補うために“睡眠”という諸症状が現れたんだと思います。」
スノウの場合、精霊たちと契約していた事もあり、一般人……というよりも〈星詠み人〉の中でもダントツにマナを保有する量が多い。
そして例の男によって、マナが無くなってしまったらしいスノウに、眠気や吐き気、目眩などの症状が今まで起きていなかったのが不思議だった、と技師は話す。
「頭のその包帯が取れないのは、実はスノウさんの脳波をデータとして受信させてもらっていたからなんです。」
「《え?何か機械が取り付けられてるってことですか?》」
「はい。マイクロチップですが、その包帯がその役割を果たしていますので、まだ暫くは取れることは無いと思います。」
「《げ…。》」
頭の包帯に触れながら嫌そうな顔をしたスノウを見て、技師が苦笑いをする。
しかし、外す気は無いようで首を横に振られてしまう。
ガックリと肩を落としたスノウに、技師もスノウの肩に手を置き、ウンウンと頷いて同情を見せた。
「それで、ここからが本題なのですが…。マナが少ないと言うことを踏まえて、マナ回復器でマナを回復させてみませんか?全くの無意味では無いと思いますので。」
「《あの報告書にもあったけど……一応、私の体の中にはマナがどこかに存在しているんでしたね。それで無意味では無い、と。》」
「はい。そういうことです。」
マナが無ければ〈星詠み人〉は生きられない。
けれども、自分は生きている。
その意味は……、自分の体のどこかしらにマナが隠れているから。
しかし隠されていて、マナを自由に操る事が出来なくなっている。
それが報告書の内容だった。
それの解決方法は手っ取り早く、この元凶となった男を捕まえることだが……今思えば確かにマナを回復させる事が出来れば多少体にも変化が起こるかもしれない。
少しの期待をして技師の提案に頷いたスノウは、次の瞬間、技師の言葉で言葉を失う事となる。
「では。今日含めた一週間。マナ回復器に入って貰います。」
「《……今、何と言いましたか?一週間…?》」
「はい。貴女のマナの保有量を計算して、ザッと一週間ですね。まぁそれでも足りないとは思いますがそれくらいしないと効果はないと思います。……あぁ、ご心配なく。次起きるのは一週間後に設定しておきますので、スノウさんからすればあっという間ですよ。」
「《は、はは…》」
思わずノートに“は”という文字を沢山書いてしまうほど動揺してしまった。
それを見た技師が今度こそクスリと笑ってスノウの手を取る。
そしてマナ回復器の所へと連れて行かれると、早速何やら機械の設定を行っていた。
しかしそこはやはり技師である。
あっという間に機械の設定が終わってしまい、中に入るように視線を向けられたスノウは、顔を若干引きつらせて恐る恐る中へと入った。
そして腕や足に機械を取り付けられた瞬間、酷い眠気に襲われて意識を失ってしまった。
___一週間後
スノウがマナ回復器に入ってから、一週間後。
機械がプシューと空気の抜ける音をさせて蓋を開ける。
近くにいた技師とアーサーがそれを見て機械の近くに寄っていくが、スノウが起きる気配はなかった。
まさか死んでいるのか?と二人でスノウに触れるが息もしているし、肌の温度も人肌並みにある。
ホッと息をついたのも束の間、技師が検査データをアーサーへと渡した。
「やはり、脳波を調べましたが…マナ回復器に入ってもマナがどこかに隠されていて、回復している予兆はありません。ですが…隠れているだけであるならば……どこかでもしかしたら回復出来ているのかもしれません。もっと精密な検査が必要です。」
「やはり、マナの隠し場所を探す他ないようですねぇ…?こればかりは私の神でも分からなかった所もありますから、端から期待はしませんが……やるだけやってみましょう。…………それからスノウ・エルピスにこの事は黙っておくように。いつでもこのマナ回復器に入ってもらえるように適当な理由をつけてください。」
「分かりました。」
アーサーは検査データをザッと見てからその場を去る。
それを気にした様子もなく、技師はスノウの手足につけた機械を取り外していく。
そしてそのままスノウを抱き上げると次の検査室へと向かった。
全ては〈赤眼の蜘蛛〉の研究のため。
そしてマナの研究を進めるためだ。
技師の赤い瞳には、ほんの少しの狂気が混じり込んでいたのだった。
────眠りについていたスノウが起きたのは、その後2日経った後の事だった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
「……?」
何だか久しぶりに目を覚ました気がする。
そう感じながらスノウは眠そうに恐る恐る目を開ける。
そこは見たことのある天井で、周りを見渡せば「やはりそうか」と納得してしまった。
だってここは、いつだったかスノウが2週間ほど軟禁させられていた病室だったからだ。
何故ここに戻されたのだろう、とスノウが考える暇なく扉が開けられる。
ゆっくりと視線を扉へ向ければ、そこにはアーサーが立っていて、僅かに驚いた顔を見せていた。
「お加減、いかがですか?スノウ・エルピス。」
「《……何故、ここに居るのか聞きたいくらい、驚いていると言っておくよ。》」
「あぁ…。マナ回復器から出ても起きないのでここに移したんです。ちなみに貴女が寝ていたのは9日…といった具合でしょうか。」
「《え?一週間じゃないのかい?》」
「マナ回復器でマナを回復させたことで貴女の中で何か起こったのでしょう。全くといってもいい程起きませんでしたねぇ?」
「《そうなんだ。それは申し訳ない。》」
ゆっくりと起き上がったスノウは、ボキボキと骨を鳴らしながら体をゆっくり慣らしていく。
あぁ、本当に9日間寝ていたような体の怠さだ。
そう思いながら、指をポキポキと鳴らすとアーサーがジッとこっちを見ていることに気付く。
スノウが首を傾げれば、向こうは首を横に振って笑った。
「いえ、意外にも元気そうだと思いましてね。」
「《そういえばそうかも。思いの外体が軽くなった気がする。》」
「では、効果があったということですね。……ふむ、興味深い。」
「《……実験とか考えないでくれないかな?物騒すぎる。》」
「酷いですねぇ?そんなことする訳ないじゃないですか。クックックッ…。」
「《その笑い方で何となく分かりそうだけど?》」
普段であればフッという笑い方をするアーサーだが、何か面白いことが起きればああいった笑い方をする。
それを知っているスノウだったからこそ、今はその笑い方が恐ろしかった。
「まぁまぁ。今は医療班から貰った検査結果をお教えしましょう。」
「《お、結果どうだった?》」
「恐らくですが回復しているかと。定期的にマナ回復器に入ってもらえると、もっと詳細なデータが取れるのでお願いしたい、との事です。」
「《えぇ…?またあそこに入るのか…。》」
「それでも、いつ何が起きるか分からない身の上の貴女からすれば、これは良い提案では?先日の様に、またいつ眠り姫になるか分かりませんからねぇ?」
「《……そうだけど。なんと言ったって時間が勿体無い。だって一週間記憶がなく、ただ寝させられてるんだよ?》」
「正確には9日間でしたが?」
「《そこは置いといてよ。》」
ジトリと目を向けたスノウだが、大きなため息をついたかと思えば、意外にも先程のアーサーの提案に承諾をした。
自分の体のことだし、何より回復しているのであればそれに越したことはないだろうから。
そう言ったスノウの言葉に、内心はほくそ笑んでいるアーサーはニコリと笑顔を見せてお礼を口にしていた。
「お体の方、大丈夫なのであれば本日外出したいと思っていまして。いかがですか?」
「《まさか…!》」
「えぇ。例の男の目撃情報がありました。確認のために向かいたいと思っていますが、貴女はどうされますか?」
「《勿論、行くよ。例え、空振りだったとしてもジッとはしていられないから。》」
「分かりました。ではまずは……その検査着を着替えましょうか。」
「《あ。》」
アーサーに促されるまま自室に戻ったスノウは、普段着へと変える。
そして黒いローブを被り、逸る心を抑えながら集合場所へと急いだ。
遂にこの時が来た、とそう思いながら。
「さて、行きますか。スノウ・エルピス、ボクの近くへ…。」
どうやら瞬間移動で行ってくれるらしい。
スノウがアーサーの近くに寄れば、すぐに景色が変わってしまった。
そこは、貿易が盛んな港町でもあり、雪国でもあるスノーフリアだ。
すぐに周りを見渡して男の姿を探すスノウを見ながら、視線を別の場所へ向けたアーサー。
確か、目撃情報によればどこかの建物内に足しげく通っていたとか。
「行きますよ。」
アーサーの言葉でスノウもつられて歩き出す。
サクサクという新雪を踏む音を聞きながら、貿易港の賑やかな声を耳にした。
競りをする声、店から客を呼び寄せる声、はたまたどこかで子供が走り回る声……。
たくさんの声でアーサーの声がかき消されてしまわぬよう、スノウがアーサーの近くに寄れば、少しだけ驚かれた。
「…ここは賑やかですね。」
「《ファンダリア地方唯一の貿易港だからね。そりゃあ賑やかにもなるよ。漁師町でもあるんだから。》」
「そうですね。明るい声がどこもかしこからも聞こえてきます。……憎いくらいにねぇ?」
「……。」
〈星詠み人〉ではなく、この世界の原住民を忌み嫌うアーサー。
〈星詠み人〉の楽園を作るのが今のアーサーの夢なんだとか。
だがそれでも、今は原住民に危害を加えるようなことはしなさそうである。
前回、エルレインを使っての作戦は大失敗に終わっていることもあって、今は鳴りを潜めている〈赤眼の蜘蛛〉。
いつ何が起きたって勿論、おかしくはない。
でも、スノウがいるこの瞬間だけは何もしないと信じたかった。
「着きましたよ。」
「……!」
古い建物の前で止まったアーサー。
スノウもまた、そこで立ち止まって建物を見上げた。
残念なことに探知は出来ない為、気配を探るくらいしか出来ないが、それはアーサーがやってくれていたようだ。
「…中に人がいます。貴女はここで待っていてください。マナが使えないんじゃ、貴女も大変でしょうから。」
そう言ってアーサーが武器を手に取った瞬間、建物の中へと突撃していく。
それをスノウが唖然と見ていると、中からは怒号や悲鳴が聞こえてきた。
恐る恐る中を窺うスノウの目には、あの男と同じ白い服装の人達が突撃したアーサーによって次々と囚われていくのが見えた。
まるで虫を捕まえるが如く、簡単そうに捕らえていくのを見たスノウは顔を険しくさせる。
確かに話は聞きたいが、ここまでしなくとも…。
「終わりましたよ、スノウ・エルピス。」
その声で姿を表したスノウだが、目当ての男が居ないことに肩を落としていた。
そして居なかった、と伝えるように首を横に振ったスノウ。
それを見て、一度考え込む仕草をしたアーサーが捕らえた人物達に武器を当てながら問う。
「命が惜しくば答えなさい。白い髪に丸い眼鏡をした男は何処ですか?」
「し、知らないっ!そんな男知ら────」
その瞬間、答えた男の人が絶命する。
首を切られ、力なく横たわった男の人を見て周りが顔を青くする。
答えなければ次は自分達がやられてしまう、そう直感した。
「《やりすぎだ!アーサー!》」
「答えなさい。次答えなければ全員の命が無いと思いなさい。」
「「「!!」」」
スノウの静止の言葉を見ても、声色を変えずに捕まえた人達に脅すアーサー。
ガクガクと震える捕虜たちは、あまりの恐怖から次々と口から泡を吹き出して気絶してしまっていた。
それを見て大溜息をついたアーサーは、どこからともなく無線機を手にして口元に当てる。
「救援要請、救援要請。例の男の仲間と思わしき人物たちを捕獲しました。至急、救援要請を頼みます。」
「────了解し………た。今、向かい……す。」
「これで応援要請を頼みました。今こちらに来るそう────」
アーサーの服を掴み、睨んだスノウを見て、アーサーもまた何故そんな顔をされているのか瞬時に理解した。
先程までの自分のやり方に文句があるのだろう。
そう感じ取った。
「《いくら何でも、これはやりすぎだよ!》」
「これくらいしなければ救えない命もある。ましてや、それが〈星詠み人〉であるならばボクは手段なんか選んでられませんよ。貴女も分かる日が来ます。必ず…ね。」
「《分かりたくないね。》」
「いつの日か、分かりますよ。その時が来ればですがね。」
「《そんな日は来ない。》」
「では楽しみに待っていましょう。貴女がどんな選択を選ぶのか、を…。クックックッ…!」
アーサーの服から手を離し、視線を逸らせたスノウ。
そんな彼女の様子を見て、更に深い笑みを零したアーサーは、人の気配で扉の方へと視線を向けた。
そこには応援要請に駆けつけた〈赤眼の蜘蛛〉の組織員たちの姿があった。
「これです。持って帰って地下に閉じ込めておきなさい。後で拷問にかけましょう。」
「!!」
「文句は言わせませんよ、スノウ・エルピス。これが貴女の選んだ道なんですから。〈赤眼の蜘蛛〉に入った時点で少しは考えていたはずなのでは?」
「……。」
グッと拳を握り、俯いたスノウを見て更に狂気の笑みを零したアーサーは、周りの仲間たちに淡々と指示をする。
手慣れている様子のそれを聞きたくなくて、スノウは堪らず建物の外へと出て行った。
それをほくそ笑みながら視線を向けたアーサーがいたのだった。
…
…………
………………………
「(これが…私の選んだ道だって、分かってる…!分かってるけど…ここまでしなくても他に方法ならたくさんあるはずなのに…。)」
悲しそうに、苦しそうに建物の外でスノウが佇む。
中から聞こえてくる声を遠ざけたくて、暫くスノーフリアの町並みを見つめながら宛もなくゆっくりと歩き出す。
降り積もる雪を見上げて、これはまだまだ止まないだろうなと別の事を考えては、また前を見て雪国ならではの景色を見遣る。
そうやって暫く何も考えずに歩いていれば、どこからか聞き慣れた声がして咄嗟に建物の影に隠れる。
そこからそっと覗いてみれば、さっきまでスノウが歩いていた道を……“彼ら”が歩いていた。
元気な声で、明るいその声を響かせながら雪国の旅を満喫していた。
勿論、そこにはスノウの大切な人もいた。
「(…!!リオン……。)」
頭のフードを深く被り直し、顔を隠す。
建物の影にいるため向こうからは見えないだろうが、それでも用心した。
でも……彼らの楽しそうな声が聞こえてくる度、罪悪感や彼らの前に姿を出せない悔しさが胸を占める。
自身の胸の辺りを掴んだスノウが思わず彼らの方へと足を出しかけたその瞬間、スノウの前へ急に黒づくめが現れてスノウを抱き締める。
まるでその姿を隠すように。スノウのその行動を咎めるように。
「……いけませんねぇ…?ボクとの約束……忘れたわけでは無いでしょう?スノウ・エルピス。」
「……。」
抱き締められてノートに文字が書けないため、そのまま沈黙するスノウ。
その状況を気にする訳でもなく、アーサーは言葉を連ねる。
「……貴女がこの結果を望んだ…。それが分かっていながら彼らの前に行くのは、お門違いでは…?」
吐息が多めのその小声を聞いて、スノウは唇を噛みしめる。
「貴女を彼らのところに行かせる訳にはいかない……。これは絶対条件です。……貴女をこんな目に遭わせたあの男を探し出したいのでしょう?ならば、ボクに任せてください。ボクだけを頼りにしてください。絶対にボクは、貴女を後悔させたりはしません……。えぇ、絶対に…ねぇ?」
意地悪な誘惑が耳につく。
その耳障りな誘惑を止めて、と言わんばかりにスノウがアーサーの胸を叩く。
しかしそんな力など、彼からすれば微々たるもの。
喉奥で笑うような声が上から聞こえてきて、スノウは悔しそうにまたアーサーの胸を叩いてそのまま力なく項垂れたのだった。
「彼らでは時間もかかりますし、何より貴女が必要とする答えを彼らは持ち合わせていない。…しかし、我々ならそれが可能です。ですから貴女はこの道を選んだのでしょう?彼らとは“話せないから”。」
「……。」
「彼らと居てもいずれ亀裂が出来る。話す事の出来ない貴女と、彼らの間に……。」
コミュニケーションなんて、幾らでもあると思っていた。
でもそれは、言葉を介さなくても伝わる人達だから。
それが、今の彼らには通用するかどうかなんて五分五分だ。
スノウは彼の胸に拳を置いたまま、地面を見つめる。
残念だけど、彼に対抗する言葉を今のスノウは持ち合わせていなかった。
悔しくて、悔しくて…。でも負けたくなくて。
何か良い言い訳が思いつけばいいのに、今だけはそう上手くはいってくれなかった。
そんなスノウを甘い戯れ言で説得しようとする彼の声を聞きたくなかった。
「────。」
遠くで聞こえる彼らの声が、今は近くて遠かった。
行っても困らせるだけだ。
早く、早く元凶を見つけて声を元に戻せば……。
でもその時自分は〈赤眼の蜘蛛〉を抜けられているのか?
一度なったものが、昔と同じように元に戻れるのか?
「貴女を守りましょう。何者からも。」
「っ、」
それは“彼”の声で聞きたかったのに。
その言葉だけは、“彼”から聞きたかったのに。
「貴女は〈赤眼の蜘蛛〉所属のスノウ・エルピスです。もう、昔の貴女とは違う。それを自覚するように。」
「────!」
声無き声がその場に響く。
そのまま力なく雪の上に座り込んだスノウを見て、酷く愉悦に浸るアーサーだったが、すぐにその顔を元に戻し、いつものニコニコとした顔へと戻した。
そして優しく、座り込んだスノウの前へと手を差し伸べた。
「行きましょう。もうここには用はありませんから。」
「……。」
フラリと立ち上がったスノウは、差し出された手をそっと握る。
そのまま視界は雪国ではなく、いつもの変哲のない見慣れた建物へと変わっていたのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
(*リオンSide)
この世界で目覚めてから、スノウを探し続けて早1ヶ月……。
リオンはもどかしい気持ちで仲間たちと一緒にスノウの姿を探していた。
しかし、行く街、行く街……全くその姿が見当たらなかった。
そうなるとリオンの中では一つの仮定が現実となろうとしていた。
『……今日もいませんでしたね…、スノウ。』
「…もしかしたら、もう〈赤眼の蜘蛛〉の仲間に入っているのかもしれない……。」
『げ!?それは早すぎないですか?!だって僕達がここに来てからまだ1ヶ月程度ですよ!?』
「そうでないと色々と説明がつかない。向こうも僕達を探しているはずだ。それに、あいつの事だからお得意の探知でこっちの反応などお見通しのはずなのに向こうからの接触もない。……悪い想像はしたくなかったが…こうなるともう……。」
『そんな…!』
一体、何が起こっている?
もしかして前世で見たあの予知夢が関係しているのか?
森の中で〈赤眼の蜘蛛〉のアーサーにたぶらかされていた、あの予知夢が……。
「(あの森は何処だ…?あの村は一体、何処の事だったんだ…?)」
思い出せ、思い出せ…!
そう願うのに、あの森が何処のものなのか見当がつかない。
雪が積もっていないと言う事は、唯一ファンダリア地方ではないことで確実なのだが…。
「おい、ジューダス。」
「…何だお前か。何用だ?」
「さっき、スノウが〈赤眼の蜘蛛〉に入ったって聞こえてきたんだが……本当なのか?」
修羅と海琉……それからカイルやリアラ、ロニまでもが心配そうな顔で僕を見る。
それを見て、僕は包み隠さず話すことにした。
もしかしたらスノウが〈赤眼の蜘蛛〉に入っているかもしれず、どんな状態なのか分からないということも。
僕が嘘偽りなくそう言えば、あいつらは最初は不安そうにしていたが、次第に以前の旅のように、全員が何かを決意した顔で大きく頷く。
……もう、この感じも見慣れたものだな。
「もし、スノウが困ってるならさ!オレ達で助けようよ!」
「えぇ!私もそうしたいわ!私とカイルをこうして繋げてくれたのも、スノウのおかげだもの!」
「俺も、色々と世話になったしな!」
「おれも…。」
「全員が一致団結した時って、大体スノウを助けに行くような時だよな?俺もスノウを探してこうしてここにいるんだ。俺も手伝うぜ?」
カイルから始まり、リアラとロニ…そして海琉と修羅がそれぞれの決意を口にしていく。
僕もあいつらに向かって大きく頷き、決意を新たにする。
必ず…見つけてみせる。
そして〈赤眼の蜘蛛〉なんてやめさせてやる。
それが何かの目的なのか、それとも奴らの脅しのせいだとしても、僕は何が何でもお前を助ける。お前の助けになる事をするんだ。
だから待ってろ…!スノウ。
必ず見つけ出してみせる。
そして約束を守る。
僕の為にも、お前の為にも。
こうして僕達は目標を〈赤眼の蜘蛛〉の拠点であるレスターシティへと変更した。
そこまで行けば、何かスノウの情報を掴めると信じて。
この世界に来てから早いもので、もう1ヶ月が経っていた。
〈赤眼の蜘蛛〉に入ってから数えたとしても1ヶ月経ったと言う事になる。
大分お世話になってはいるが、未だに〈赤眼の蜘蛛〉の仲間としての自覚は無く、どこか妙な違和感を覚えながら過ごす日々。
朝起きて見知らぬ部屋で目を覚ますのも、もう何週間になるんだろう。
この部屋こそが、今の自分の私室だと言うのに。
「(あー…。昨日夜遅くまで勉強しすぎたか…。)」
いつもよりも遅い起床の時間。
スノウはあくびをしながら部屋の中にある時計を見つめれば、その時計の針は既に9時を指していた。
早起きのスノウにしては珍しく、眠そうに目を瞬かせながらの起床だった。
ベッドから降りて着替えをしようかと思ったその時、部屋の扉を誰かがノックしていた。
「起きていますか?スノウ・エルピス。」
「(あ…。アーサーか…。返事をしようにも声が出ないからなぁ…?)」
扉に行き、鍵を開けてそっと扉を開ければ、驚いた顔をしたアーサーと鉢合わせた。
スノウの格好を見て、まだ寝ていたのかと驚いていたようだ。
「……珍しいですね。貴女がまだ起きていないとは…。花恋なら分かりますが、早起きの貴女では考えられないことです。体調がおかしいのですか?」
「《いや、違うんだ。昨日、夜遅くまで勉強しててね…。見事に寝坊したよ。》」
「あぁ…なるほど。それはお疲れ様です。……ですが、関心はしませんねぇ?自己の体調管理も大事です。何かあってからでは遅いのですよ?」
「《ごめんって。私としても、まさかこんなに遅く起きるとは思わなかったんだ。》」
「ふむ…。貴女の中のマナが失われていることで何かの弊害じゃなければいいですが…。今日は検査と致しましょう。細かなデータが、未来の貴女を救うことになるやもしれませんから。」
「《分かった。それについては君に任せるよ。》」
「では検査室へ向かってください。手配はしておきますので。」
スノウは、そう言って去って行こうとしたアーサーを腕を掴む事で止める。
何か用事があって来たのではないのか、と問えば彼は首を横に振って、苦笑した。
「貴女がいつもの時間に朝食に来ないので、心配になっただけですよ。部屋の中で死んでいるのでは、と思っていたくらいです。」
そんな言葉を残して、彼はすぐに去っていく。
唖然としてその場に立ち尽くしたスノウは、アーサーの背中が見えなくなるまでその場から動けなかった。
まさか、そんなに心配されていたとは誰が思うだろう?
仲間内でも“冷酷”や、“無慈悲”と、恐れられる彼がここまで心配するとは思っていなかっただけに、今回の事はスノウの中でも衝撃的ではあった。
「(彼も随分と丸くなったものだ…。これは他の人も驚くだろうな…?)」
取り敢えず着替えをしよう、と部屋の中へ戻ったスノウは、いつもの服に袖を通す。
ネクタイをつけるために鏡を見て、ふと目についたアメジストのピアスとネックレス。
マナ感知器である立方体のピアスも今じゃ役に立たないらしく、その立方体に何も満たしてはいなかった。
それらをそっと見つめて、目を伏せたスノウはスッとそのピアスたちを取っていく。
一つひとつ、優しくアクセサリーを取ったスノウは、そのアクセサリーをドレッサーの机の上に置いておいた。
前世で彼から貰ったアメジストのピアスも、アメジストの宝石がついているプレート型のネックレスも、今は検査だからと外した。
すると、黒髪に黒目の自分が鏡越しに自分を見つめていた。
「(……リオンに会う前に…すべてを終わらせなくちゃ…。ちゃんとマナを取り戻して…そして声も出せるようにして……〈赤眼の蜘蛛〉を抜けて……。それからリオンに会うんだ。今はまだ……)」
悲しそうに目を伏せたスノウは、机の上のピアス達を見つめてからゆっくりと目を閉じた。
そして、研究所内の検査室へと急ぎ目に歩き出した。
今は……今だけは、アレを身に着ける資格はスノウには無い────そう思えてしまったのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
___検査後
簡易的な検査ではあったが、全ての工程を終えたスノウは再び検査着から普段服へと身を包む。
最後のネクタイを締めながら結果を聞きに来たスノウへ、医療班の検査担当技師が椅子を勧める。
そこへ座ったスノウは、若干緊張した面持ちで技師を見れば、技師はくるりと椅子を回してスノウへと向き合った。
「スノウさんですね。噂はかねがね。」
「《はい。》」
「今回の検査では、マナの検査や簡単な身体検査を行いました。そして結果が出たので、今回は軽い説明と治療方法についての提案となります。」
「《……治療方法、と仰るということはどこか悪かったんですね?》」
「まぁ、簡単な話……。貴女の中のマナ保有量が問題なのです。」
「???」
マナを持っている者は皆、人によってマナを体の中に保有出来る量が違う。
それこそ千差万別である。
そのマナ保有量が問題とは、スノウとしても聞いたこともない。
首を傾げて疑問を浮かべれば、技師が最初から説明をしてくれる。
「最近の研究で分かった事なんですが…。マナの保有量が元々多い人は、潜在するマナの量が少なくなれば少なくなるほど激しい諸症状に陥りやすいんです。今回、スノウさんの場合は寝不足と言う事もあるんですが……何より、マナが無さすぎる…。その為に、マナが少ないということを補うために“睡眠”という諸症状が現れたんだと思います。」
スノウの場合、精霊たちと契約していた事もあり、一般人……というよりも〈星詠み人〉の中でもダントツにマナを保有する量が多い。
そして例の男によって、マナが無くなってしまったらしいスノウに、眠気や吐き気、目眩などの症状が今まで起きていなかったのが不思議だった、と技師は話す。
「頭のその包帯が取れないのは、実はスノウさんの脳波をデータとして受信させてもらっていたからなんです。」
「《え?何か機械が取り付けられてるってことですか?》」
「はい。マイクロチップですが、その包帯がその役割を果たしていますので、まだ暫くは取れることは無いと思います。」
「《げ…。》」
頭の包帯に触れながら嫌そうな顔をしたスノウを見て、技師が苦笑いをする。
しかし、外す気は無いようで首を横に振られてしまう。
ガックリと肩を落としたスノウに、技師もスノウの肩に手を置き、ウンウンと頷いて同情を見せた。
「それで、ここからが本題なのですが…。マナが少ないと言うことを踏まえて、マナ回復器でマナを回復させてみませんか?全くの無意味では無いと思いますので。」
「《あの報告書にもあったけど……一応、私の体の中にはマナがどこかに存在しているんでしたね。それで無意味では無い、と。》」
「はい。そういうことです。」
マナが無ければ〈星詠み人〉は生きられない。
けれども、自分は生きている。
その意味は……、自分の体のどこかしらにマナが隠れているから。
しかし隠されていて、マナを自由に操る事が出来なくなっている。
それが報告書の内容だった。
それの解決方法は手っ取り早く、この元凶となった男を捕まえることだが……今思えば確かにマナを回復させる事が出来れば多少体にも変化が起こるかもしれない。
少しの期待をして技師の提案に頷いたスノウは、次の瞬間、技師の言葉で言葉を失う事となる。
「では。今日含めた一週間。マナ回復器に入って貰います。」
「《……今、何と言いましたか?一週間…?》」
「はい。貴女のマナの保有量を計算して、ザッと一週間ですね。まぁそれでも足りないとは思いますがそれくらいしないと効果はないと思います。……あぁ、ご心配なく。次起きるのは一週間後に設定しておきますので、スノウさんからすればあっという間ですよ。」
「《は、はは…》」
思わずノートに“は”という文字を沢山書いてしまうほど動揺してしまった。
それを見た技師が今度こそクスリと笑ってスノウの手を取る。
そしてマナ回復器の所へと連れて行かれると、早速何やら機械の設定を行っていた。
しかしそこはやはり技師である。
あっという間に機械の設定が終わってしまい、中に入るように視線を向けられたスノウは、顔を若干引きつらせて恐る恐る中へと入った。
そして腕や足に機械を取り付けられた瞬間、酷い眠気に襲われて意識を失ってしまった。
___一週間後
スノウがマナ回復器に入ってから、一週間後。
機械がプシューと空気の抜ける音をさせて蓋を開ける。
近くにいた技師とアーサーがそれを見て機械の近くに寄っていくが、スノウが起きる気配はなかった。
まさか死んでいるのか?と二人でスノウに触れるが息もしているし、肌の温度も人肌並みにある。
ホッと息をついたのも束の間、技師が検査データをアーサーへと渡した。
「やはり、脳波を調べましたが…マナ回復器に入ってもマナがどこかに隠されていて、回復している予兆はありません。ですが…隠れているだけであるならば……どこかでもしかしたら回復出来ているのかもしれません。もっと精密な検査が必要です。」
「やはり、マナの隠し場所を探す他ないようですねぇ…?こればかりは私の神でも分からなかった所もありますから、端から期待はしませんが……やるだけやってみましょう。…………それからスノウ・エルピスにこの事は黙っておくように。いつでもこのマナ回復器に入ってもらえるように適当な理由をつけてください。」
「分かりました。」
アーサーは検査データをザッと見てからその場を去る。
それを気にした様子もなく、技師はスノウの手足につけた機械を取り外していく。
そしてそのままスノウを抱き上げると次の検査室へと向かった。
全ては〈赤眼の蜘蛛〉の研究のため。
そしてマナの研究を進めるためだ。
技師の赤い瞳には、ほんの少しの狂気が混じり込んでいたのだった。
────眠りについていたスノウが起きたのは、その後2日経った後の事だった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
「……?」
何だか久しぶりに目を覚ました気がする。
そう感じながらスノウは眠そうに恐る恐る目を開ける。
そこは見たことのある天井で、周りを見渡せば「やはりそうか」と納得してしまった。
だってここは、いつだったかスノウが2週間ほど軟禁させられていた病室だったからだ。
何故ここに戻されたのだろう、とスノウが考える暇なく扉が開けられる。
ゆっくりと視線を扉へ向ければ、そこにはアーサーが立っていて、僅かに驚いた顔を見せていた。
「お加減、いかがですか?スノウ・エルピス。」
「《……何故、ここに居るのか聞きたいくらい、驚いていると言っておくよ。》」
「あぁ…。マナ回復器から出ても起きないのでここに移したんです。ちなみに貴女が寝ていたのは9日…といった具合でしょうか。」
「《え?一週間じゃないのかい?》」
「マナ回復器でマナを回復させたことで貴女の中で何か起こったのでしょう。全くといってもいい程起きませんでしたねぇ?」
「《そうなんだ。それは申し訳ない。》」
ゆっくりと起き上がったスノウは、ボキボキと骨を鳴らしながら体をゆっくり慣らしていく。
あぁ、本当に9日間寝ていたような体の怠さだ。
そう思いながら、指をポキポキと鳴らすとアーサーがジッとこっちを見ていることに気付く。
スノウが首を傾げれば、向こうは首を横に振って笑った。
「いえ、意外にも元気そうだと思いましてね。」
「《そういえばそうかも。思いの外体が軽くなった気がする。》」
「では、効果があったということですね。……ふむ、興味深い。」
「《……実験とか考えないでくれないかな?物騒すぎる。》」
「酷いですねぇ?そんなことする訳ないじゃないですか。クックックッ…。」
「《その笑い方で何となく分かりそうだけど?》」
普段であればフッという笑い方をするアーサーだが、何か面白いことが起きればああいった笑い方をする。
それを知っているスノウだったからこそ、今はその笑い方が恐ろしかった。
「まぁまぁ。今は医療班から貰った検査結果をお教えしましょう。」
「《お、結果どうだった?》」
「恐らくですが回復しているかと。定期的にマナ回復器に入ってもらえると、もっと詳細なデータが取れるのでお願いしたい、との事です。」
「《えぇ…?またあそこに入るのか…。》」
「それでも、いつ何が起きるか分からない身の上の貴女からすれば、これは良い提案では?先日の様に、またいつ眠り姫になるか分かりませんからねぇ?」
「《……そうだけど。なんと言ったって時間が勿体無い。だって一週間記憶がなく、ただ寝させられてるんだよ?》」
「正確には9日間でしたが?」
「《そこは置いといてよ。》」
ジトリと目を向けたスノウだが、大きなため息をついたかと思えば、意外にも先程のアーサーの提案に承諾をした。
自分の体のことだし、何より回復しているのであればそれに越したことはないだろうから。
そう言ったスノウの言葉に、内心はほくそ笑んでいるアーサーはニコリと笑顔を見せてお礼を口にしていた。
「お体の方、大丈夫なのであれば本日外出したいと思っていまして。いかがですか?」
「《まさか…!》」
「えぇ。例の男の目撃情報がありました。確認のために向かいたいと思っていますが、貴女はどうされますか?」
「《勿論、行くよ。例え、空振りだったとしてもジッとはしていられないから。》」
「分かりました。ではまずは……その検査着を着替えましょうか。」
「《あ。》」
アーサーに促されるまま自室に戻ったスノウは、普段着へと変える。
そして黒いローブを被り、逸る心を抑えながら集合場所へと急いだ。
遂にこの時が来た、とそう思いながら。
「さて、行きますか。スノウ・エルピス、ボクの近くへ…。」
どうやら瞬間移動で行ってくれるらしい。
スノウがアーサーの近くに寄れば、すぐに景色が変わってしまった。
そこは、貿易が盛んな港町でもあり、雪国でもあるスノーフリアだ。
すぐに周りを見渡して男の姿を探すスノウを見ながら、視線を別の場所へ向けたアーサー。
確か、目撃情報によればどこかの建物内に足しげく通っていたとか。
「行きますよ。」
アーサーの言葉でスノウもつられて歩き出す。
サクサクという新雪を踏む音を聞きながら、貿易港の賑やかな声を耳にした。
競りをする声、店から客を呼び寄せる声、はたまたどこかで子供が走り回る声……。
たくさんの声でアーサーの声がかき消されてしまわぬよう、スノウがアーサーの近くに寄れば、少しだけ驚かれた。
「…ここは賑やかですね。」
「《ファンダリア地方唯一の貿易港だからね。そりゃあ賑やかにもなるよ。漁師町でもあるんだから。》」
「そうですね。明るい声がどこもかしこからも聞こえてきます。……憎いくらいにねぇ?」
「……。」
〈星詠み人〉ではなく、この世界の原住民を忌み嫌うアーサー。
〈星詠み人〉の楽園を作るのが今のアーサーの夢なんだとか。
だがそれでも、今は原住民に危害を加えるようなことはしなさそうである。
前回、エルレインを使っての作戦は大失敗に終わっていることもあって、今は鳴りを潜めている〈赤眼の蜘蛛〉。
いつ何が起きたって勿論、おかしくはない。
でも、スノウがいるこの瞬間だけは何もしないと信じたかった。
「着きましたよ。」
「……!」
古い建物の前で止まったアーサー。
スノウもまた、そこで立ち止まって建物を見上げた。
残念なことに探知は出来ない為、気配を探るくらいしか出来ないが、それはアーサーがやってくれていたようだ。
「…中に人がいます。貴女はここで待っていてください。マナが使えないんじゃ、貴女も大変でしょうから。」
そう言ってアーサーが武器を手に取った瞬間、建物の中へと突撃していく。
それをスノウが唖然と見ていると、中からは怒号や悲鳴が聞こえてきた。
恐る恐る中を窺うスノウの目には、あの男と同じ白い服装の人達が突撃したアーサーによって次々と囚われていくのが見えた。
まるで虫を捕まえるが如く、簡単そうに捕らえていくのを見たスノウは顔を険しくさせる。
確かに話は聞きたいが、ここまでしなくとも…。
「終わりましたよ、スノウ・エルピス。」
その声で姿を表したスノウだが、目当ての男が居ないことに肩を落としていた。
そして居なかった、と伝えるように首を横に振ったスノウ。
それを見て、一度考え込む仕草をしたアーサーが捕らえた人物達に武器を当てながら問う。
「命が惜しくば答えなさい。白い髪に丸い眼鏡をした男は何処ですか?」
「し、知らないっ!そんな男知ら────」
その瞬間、答えた男の人が絶命する。
首を切られ、力なく横たわった男の人を見て周りが顔を青くする。
答えなければ次は自分達がやられてしまう、そう直感した。
「《やりすぎだ!アーサー!》」
「答えなさい。次答えなければ全員の命が無いと思いなさい。」
「「「!!」」」
スノウの静止の言葉を見ても、声色を変えずに捕まえた人達に脅すアーサー。
ガクガクと震える捕虜たちは、あまりの恐怖から次々と口から泡を吹き出して気絶してしまっていた。
それを見て大溜息をついたアーサーは、どこからともなく無線機を手にして口元に当てる。
「救援要請、救援要請。例の男の仲間と思わしき人物たちを捕獲しました。至急、救援要請を頼みます。」
「────了解し………た。今、向かい……す。」
「これで応援要請を頼みました。今こちらに来るそう────」
アーサーの服を掴み、睨んだスノウを見て、アーサーもまた何故そんな顔をされているのか瞬時に理解した。
先程までの自分のやり方に文句があるのだろう。
そう感じ取った。
「《いくら何でも、これはやりすぎだよ!》」
「これくらいしなければ救えない命もある。ましてや、それが〈星詠み人〉であるならばボクは手段なんか選んでられませんよ。貴女も分かる日が来ます。必ず…ね。」
「《分かりたくないね。》」
「いつの日か、分かりますよ。その時が来ればですがね。」
「《そんな日は来ない。》」
「では楽しみに待っていましょう。貴女がどんな選択を選ぶのか、を…。クックックッ…!」
アーサーの服から手を離し、視線を逸らせたスノウ。
そんな彼女の様子を見て、更に深い笑みを零したアーサーは、人の気配で扉の方へと視線を向けた。
そこには応援要請に駆けつけた〈赤眼の蜘蛛〉の組織員たちの姿があった。
「これです。持って帰って地下に閉じ込めておきなさい。後で拷問にかけましょう。」
「!!」
「文句は言わせませんよ、スノウ・エルピス。これが貴女の選んだ道なんですから。〈赤眼の蜘蛛〉に入った時点で少しは考えていたはずなのでは?」
「……。」
グッと拳を握り、俯いたスノウを見て更に狂気の笑みを零したアーサーは、周りの仲間たちに淡々と指示をする。
手慣れている様子のそれを聞きたくなくて、スノウは堪らず建物の外へと出て行った。
それをほくそ笑みながら視線を向けたアーサーがいたのだった。
…
…………
………………………
「(これが…私の選んだ道だって、分かってる…!分かってるけど…ここまでしなくても他に方法ならたくさんあるはずなのに…。)」
悲しそうに、苦しそうに建物の外でスノウが佇む。
中から聞こえてくる声を遠ざけたくて、暫くスノーフリアの町並みを見つめながら宛もなくゆっくりと歩き出す。
降り積もる雪を見上げて、これはまだまだ止まないだろうなと別の事を考えては、また前を見て雪国ならではの景色を見遣る。
そうやって暫く何も考えずに歩いていれば、どこからか聞き慣れた声がして咄嗟に建物の影に隠れる。
そこからそっと覗いてみれば、さっきまでスノウが歩いていた道を……“彼ら”が歩いていた。
元気な声で、明るいその声を響かせながら雪国の旅を満喫していた。
勿論、そこにはスノウの大切な人もいた。
「(…!!リオン……。)」
頭のフードを深く被り直し、顔を隠す。
建物の影にいるため向こうからは見えないだろうが、それでも用心した。
でも……彼らの楽しそうな声が聞こえてくる度、罪悪感や彼らの前に姿を出せない悔しさが胸を占める。
自身の胸の辺りを掴んだスノウが思わず彼らの方へと足を出しかけたその瞬間、スノウの前へ急に黒づくめが現れてスノウを抱き締める。
まるでその姿を隠すように。スノウのその行動を咎めるように。
「……いけませんねぇ…?ボクとの約束……忘れたわけでは無いでしょう?スノウ・エルピス。」
「……。」
抱き締められてノートに文字が書けないため、そのまま沈黙するスノウ。
その状況を気にする訳でもなく、アーサーは言葉を連ねる。
「……貴女がこの結果を望んだ…。それが分かっていながら彼らの前に行くのは、お門違いでは…?」
吐息が多めのその小声を聞いて、スノウは唇を噛みしめる。
「貴女を彼らのところに行かせる訳にはいかない……。これは絶対条件です。……貴女をこんな目に遭わせたあの男を探し出したいのでしょう?ならば、ボクに任せてください。ボクだけを頼りにしてください。絶対にボクは、貴女を後悔させたりはしません……。えぇ、絶対に…ねぇ?」
意地悪な誘惑が耳につく。
その耳障りな誘惑を止めて、と言わんばかりにスノウがアーサーの胸を叩く。
しかしそんな力など、彼からすれば微々たるもの。
喉奥で笑うような声が上から聞こえてきて、スノウは悔しそうにまたアーサーの胸を叩いてそのまま力なく項垂れたのだった。
「彼らでは時間もかかりますし、何より貴女が必要とする答えを彼らは持ち合わせていない。…しかし、我々ならそれが可能です。ですから貴女はこの道を選んだのでしょう?彼らとは“話せないから”。」
「……。」
「彼らと居てもいずれ亀裂が出来る。話す事の出来ない貴女と、彼らの間に……。」
コミュニケーションなんて、幾らでもあると思っていた。
でもそれは、言葉を介さなくても伝わる人達だから。
それが、今の彼らには通用するかどうかなんて五分五分だ。
スノウは彼の胸に拳を置いたまま、地面を見つめる。
残念だけど、彼に対抗する言葉を今のスノウは持ち合わせていなかった。
悔しくて、悔しくて…。でも負けたくなくて。
何か良い言い訳が思いつけばいいのに、今だけはそう上手くはいってくれなかった。
そんなスノウを甘い戯れ言で説得しようとする彼の声を聞きたくなかった。
「────。」
遠くで聞こえる彼らの声が、今は近くて遠かった。
行っても困らせるだけだ。
早く、早く元凶を見つけて声を元に戻せば……。
でもその時自分は〈赤眼の蜘蛛〉を抜けられているのか?
一度なったものが、昔と同じように元に戻れるのか?
「貴女を守りましょう。何者からも。」
「っ、」
それは“彼”の声で聞きたかったのに。
その言葉だけは、“彼”から聞きたかったのに。
「貴女は〈赤眼の蜘蛛〉所属のスノウ・エルピスです。もう、昔の貴女とは違う。それを自覚するように。」
「────!」
声無き声がその場に響く。
そのまま力なく雪の上に座り込んだスノウを見て、酷く愉悦に浸るアーサーだったが、すぐにその顔を元に戻し、いつものニコニコとした顔へと戻した。
そして優しく、座り込んだスノウの前へと手を差し伸べた。
「行きましょう。もうここには用はありませんから。」
「……。」
フラリと立ち上がったスノウは、差し出された手をそっと握る。
そのまま視界は雪国ではなく、いつもの変哲のない見慣れた建物へと変わっていたのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
(*リオンSide)
この世界で目覚めてから、スノウを探し続けて早1ヶ月……。
リオンはもどかしい気持ちで仲間たちと一緒にスノウの姿を探していた。
しかし、行く街、行く街……全くその姿が見当たらなかった。
そうなるとリオンの中では一つの仮定が現実となろうとしていた。
『……今日もいませんでしたね…、スノウ。』
「…もしかしたら、もう〈赤眼の蜘蛛〉の仲間に入っているのかもしれない……。」
『げ!?それは早すぎないですか?!だって僕達がここに来てからまだ1ヶ月程度ですよ!?』
「そうでないと色々と説明がつかない。向こうも僕達を探しているはずだ。それに、あいつの事だからお得意の探知でこっちの反応などお見通しのはずなのに向こうからの接触もない。……悪い想像はしたくなかったが…こうなるともう……。」
『そんな…!』
一体、何が起こっている?
もしかして前世で見たあの予知夢が関係しているのか?
森の中で〈赤眼の蜘蛛〉のアーサーにたぶらかされていた、あの予知夢が……。
「(あの森は何処だ…?あの村は一体、何処の事だったんだ…?)」
思い出せ、思い出せ…!
そう願うのに、あの森が何処のものなのか見当がつかない。
雪が積もっていないと言う事は、唯一ファンダリア地方ではないことで確実なのだが…。
「おい、ジューダス。」
「…何だお前か。何用だ?」
「さっき、スノウが〈赤眼の蜘蛛〉に入ったって聞こえてきたんだが……本当なのか?」
修羅と海琉……それからカイルやリアラ、ロニまでもが心配そうな顔で僕を見る。
それを見て、僕は包み隠さず話すことにした。
もしかしたらスノウが〈赤眼の蜘蛛〉に入っているかもしれず、どんな状態なのか分からないということも。
僕が嘘偽りなくそう言えば、あいつらは最初は不安そうにしていたが、次第に以前の旅のように、全員が何かを決意した顔で大きく頷く。
……もう、この感じも見慣れたものだな。
「もし、スノウが困ってるならさ!オレ達で助けようよ!」
「えぇ!私もそうしたいわ!私とカイルをこうして繋げてくれたのも、スノウのおかげだもの!」
「俺も、色々と世話になったしな!」
「おれも…。」
「全員が一致団結した時って、大体スノウを助けに行くような時だよな?俺もスノウを探してこうしてここにいるんだ。俺も手伝うぜ?」
カイルから始まり、リアラとロニ…そして海琉と修羅がそれぞれの決意を口にしていく。
僕もあいつらに向かって大きく頷き、決意を新たにする。
必ず…見つけてみせる。
そして〈赤眼の蜘蛛〉なんてやめさせてやる。
それが何かの目的なのか、それとも奴らの脅しのせいだとしても、僕は何が何でもお前を助ける。お前の助けになる事をするんだ。
だから待ってろ…!スノウ。
必ず見つけ出してみせる。
そして約束を守る。
僕の為にも、お前の為にも。
こうして僕達は目標を〈赤眼の蜘蛛〉の拠点であるレスターシティへと変更した。
そこまで行けば、何かスノウの情報を掴めると信じて。