第二章・第1幕【裏切り者編】
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004.解禁日
___2週間後
“絶対安静”というほぼ軟禁状態から2週間が経った今日、ようやくこの状態から抜け出せる事にスノウは束の間の安息を感じていた。
なんと言ったって面会者は医者とアーサーだけ。
そして検査が終われば、すぐにあの白い病室へと戻され、鍵をかけられる始末。
……よく自分でも気が狂わなかったな、と驚嘆すらしている所である。
「おめでとうございます。ようやく医療班から、病室を出ても良い許可が出ました。」
「《長かったよ…。本当に……。》」
「久し振りのシャバの空気を吸いたいかと思いますが……まずはこちらに来てください。」
「??」
言われるがままにスノウはアーサーの後についていく。
そして辿り着いたのは一つの部屋だった。
机や椅子、ベッドや本棚がある事以外は何もない、良く言えばシンプル。悪く言えば殺風景なその部屋に入らせられて、スノウは首を傾げる。
一体ここは何だろう、と。
「本日から、ここが貴女の部屋となります。部屋番号はS−8。それから…これがこの部屋の鍵です。」
ポケットから彼が取り出したのは、カードキーだった。
それを渡されたスノウは呆然とアーサーを見る。
「足りないものや欲しい物があれば、遠慮せずにボクか花恋に伝えてください。物によりますが、すぐに準備出来るものは準備致しますので。」
「《…どうして、そこまでしてくれるんだい?》」
ここまでされて、気にならない訳じゃなかった。
抜けるかもしれない要因に態々こんな事までしてくれるのは、相当なリスクだ。
なのに、〈赤眼の蜘蛛〉はそうしてくれる。
それは何故だ?と自分からすれば不思議だった。
「貴女の力量を我々はそれほど多く見積もっていますから。〈赤眼の蜘蛛〉にとって、貴女はかなり有益であり、貴重な人材。そんな方に支援や援助をするのは当たり前です。」
「《私はマナを持っていない。何にも出来ない、ただの人間であるというのに?》」
「その問題さえ解消すればこちらのもの。そういった未来も想定済みです。解消されなくとも、貴女は神の御使い。一般人よりもこれ以上ない才能を持ち合わせています。ですから今の内に投資しておこうという事です。所謂、ビジネスの話になりますが、そういうことです。」
なんと強かというか、たくましいと言うか…。
スノウがその回答に苦笑しつつも、相手に伝わるように大きく頷いた。
今あれこれ言っても、彼の答えは変わらない。
ならば、好意として受け取っておくのが礼儀だ。
「《気遣い感謝するよ。》」
「えぇ。それから……今後の事を話しておきたいので会議室へどうぞ?」
一度部屋を離れ、会議室へと入った二人。
そこからは、今後の事についての話が半日かけて行われる。
まず、スノウの目的は〝こうなった原因である例の男を捕まえて、元に戻してもらう〟事だ。
素直に従わない場合は、〈赤眼の蜘蛛〉のこの拠点に捕らえ、強制的に従わせる事でスノウも渋々合意した。
出来る限り、平和かつ穏やかで解決するのが前提ではあるが、やむを得ない場合は仕方がないと説得されてしまった。(他に良い解決法が無かったのもあるけどね?)
2つ目は、スノウの生活についてである。
基本的には外へ出ない。
そして例の男が見つかった報告がなされ、外へ出る際は必ずアーサーを連れて行くこと。
それ以外は認められない。
衣食住は〈赤眼の蜘蛛〉が全て保証すること。
男が見つかるまでの間は何をしていても良い。仕事を見つけるなり、館内を見て回ってもいいし、研究に励んでもよい。
そんな話をして、概ねスノウも同意をすることになった。
衣食住を保証して貰える分、外出は我慢することにした。
それに…今、リオン達に見つかってもスノウ自身が一番困ることも目に見えていた。
だからこの話に乗ったのだ。
3つ目は、外出時の決まり事である。
外出時は黒いローブを着用すること。これはいつも〈赤眼の蜘蛛〉がやっている事だし、スノウもリオン達の目を欺く為にやらないといけないと思っていた為、承諾をした。
そして、リオン達に出くわした際は平常心を保ち、静かに横を通り過ぎる。
決して動揺して逃げるような事はしない。
これにもスノウはすぐに同意をした。
特にリオンは、そういった事に敏感であるが故に、黒いローブの下がスノウだとバレてもおかしくはないのだ。
だから冷静な判断でそのまま通り過ぎた方が無難だと二人で認識したのだった。
「これくらいですかね。決めごとと言うのは。」
「《うん。そうだと思う。ある程度自由も保証されてるのが分かったし、私はこれ以上異論は無いよ。》」
「分かりました。では、これからよろしくお願いします。スノウ・エルピス。」
「《こちらこそ、よろしく。アーサー。》」
会議室の椅子から立ち上がって、二人は握手を交わした。
今はまだ仲間であるからこそ、二人は友好の証として握手を交わしたのだ。
こうしてスノウの長い〈赤眼の蜘蛛〉の生活が始まろうとしていた。
「因みに……。」
「??」
「医療班から連絡がありました。念の為に、頭の包帯は医療班が良しと言うまでは取ってはいけない、との事です。」
「《えぇ…?まだ取っちゃ駄目なのかい?これ…。》」
頭に巻かれた包帯に触りながらスノウが困った顔でそうノートへと書き出す。
アーサーは笑いながら大きく頷いてみせた。
「医療班に従った方が長生きするコツですよ?スノウ・エルピス。」
「《…分かったよ。暫くは着けておくよ…。》」
「頭は大事ですからね。用心するに越した事はないでしょう。」
そう言って、アーサーは会議室の扉に手をかける。
そして振り返って一度微笑んだ後に、ようやく会議室を出て行った。
その微笑みが思いの外、優しそうな微笑みだった事にスノウは僅かに驚いたが、すぐにスノウも笑みを零し、少しだけ明るい未来に思いを馳せたのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
___軟禁状態・解禁2日目の朝
スノウは、朝早くに目覚める。
前世、カイル達との旅でロニとの朝稽古があったのもあり、不必要な早起きをしてしまっていた。
目を覚ましたスノウはベッド上で大きく伸びをすると、ベッドから出ていつもの服に着替える。
ドレッサー前に行き、そのいつもの服を見ながら変な所は無いかチェックをする。
「(今世に入ってから服装変わったけど……また変なアニメか漫画見たのかなぁ…?私の神様は…。)」
この間までは検査続きだったのもあって、検査着ばかり着せられていたが、今は違う。
今世からの黒いスーツを着こなしている。
男装を好むスノウの為に、髪が見繕った品物だった。
スノウの神様である〈世界の神〉は、人間達のことを漫画やアニメで知識を頭の中に入れ込んでいる。
その“余計な知識”のせいで、妙な物を持たせられたりしたものの、今回だけはセンスが良い。
そうスノウが心の中でしみじみと思っていた。
「(ネクタイを締めて………完成っと。)」
最後に黒いネクタイを締めれば、ちゃんと男の人の様な格好の出来上がり。
胸はサラシで潰しているし、髪型も前世と同じで後ろで一つに結んでいる。
長い黒髪を揺らせば、風に靡くようにして流されていった。
そのままスノウは自室の机の上に置いたカードキーを取り、部屋を出る。
オートロックが掛かった音を聞きながら食堂へと向かうスノウは、既に今日の朝食について考えていた。
今はどんな気分だろう、と。
そんな時、スノウに話し掛ける人物がいた。
「おはようございます。相変わらずお早いですねぇ?」
「《あぁ、君か。おはよう。君こそ朝が早いんだね?仕事が遅い分、朝も遅くに起きるものだと思ったよ。》」
「習慣化というやつです。嫌でも起きてしまうんですよ。……それに、遅寝遅起きは花恋の専売特許ですよ。」
「《うーん。それは分かるかも…。》」
何だかんだ想像がつく生活リズムだな、とスノウが歩きながら思えば、その横に並ぶようにしてアーサーも食堂へと向かう。
それを気にした様子もなく、二人は一緒に食堂へとやってきた。
お互いに違う物を注文し、チラホラ朝食中の人を見かける中、同じ席に辿り着いてしまう。
流石に怪訝な顔をしたスノウに、アーサーは可笑しそうに笑った。
「そんな嫌そうな顔をしないでください。ボクと貴女の仲じゃないですか。」
「《うーん。私達、いつそんなに仲良くなったのかな?記憶に無いんだけど?》」
「昨日、握手も交わしましたし、熱く討論もしたではありませんか。」
「《あれが仲良くなるきっかけなんだ?》」
これ以上踏み込むと何か言われそうだった為、口を噤んだスノウは、頼んだ朝食を一口頬張る。
今日は典型的な朝食にした。
パンに目玉焼き。それから……紅茶を選んだ。
「結構、典型的な朝食を召し上がられるのですねぇ?」
「《君こそ、前から変わらないね。前回もその魚定食だった。》」
「朝からこれを食べると一日のエネルギーが摂れるので、効率が良いんです。」
「《…君って、本当、仕事人間だよね。》」
「えぇ。そうですよ。違っていたら今頃〈赤眼の蜘蛛〉なんか立ち上げていませんし、こうして組織として巨大化もしていないはずです。」
きれいに魚の骨を箸で取り除きながら、口に入れていくアーサー。
それを見て、明日の朝は定食でも良いかもしれないと思ったスノウだった。
「それで、本日のご予定は?」
「《取り敢えず、この館内のマップを覚える所からかな?ここ無駄に広いし、緊急時の避難経路とかも確認しておきたい。》」
「その事ですが……。彼らがここへ侵入してきた時の貴女の避難場所と集合場所を昨日の会議で決め忘れていまして。」
「《あぁ、そうだね。確かにそれは大事だ。》」
「そこで提案なんですが…、もし緊急時のサイレンが館内に流れた際はちゃんと放送致します。ですが、貴女にはその放送を聞くよりも早く避難して頂きたいと思っております。貴女を攫われても敵いませんから。」
「《まぁ、それは無いと思うけど…。その提案については良いと思うよ。あとは場所だけど…。》」
「部屋番号AZ‐235でお願いしたいですね。」
「《……それ、何処?》」
部屋番号が全て記号とアルファベットで構成されており、その地図をすべて把握するのも骨の折れる作業である。
後で貰ったマップを確認しながら歩くか、と遠い目をしたスノウにアーサーがフッと笑って説明する。
「そこは内金庫でして。中から鍵が出来るようになっています。それに…その場所は外部の人間が早々易易と入り込めるような位置にありませんから貴女を隠すにはもってこいの場所です。中から鍵をしめる際はカードキーをご使用ください。」
「《分かった。》」
「後でご案内致します。ですので、後で時間を貰えますか?」
「《勿論。いつでも私は空いてるから、君の都合で良いよ。》」
「ではこの後すぐ行きましょうか?早いに越したことはありませんから。」
二人はそれぞれの朝食を堪能し、食器はそのままにしておく。
ここではそれがお決まりらしい。
朝食後、軽い運動がてら歩いていたスノウ達。
アーサーの案内で避難場所の確認をするスノウだったが、目の前にそびえる大きく分厚そうな金属の扉を見て思わず顔を引きつらせた。
……まさかとは思うが、こんな場所に隠れろと?
「こちらが貴女の避難場所です。侵入者を感知した時点でここの扉は開け放つように設定致します。ですので、ここへ避難頂けたら絶対の安全は確保されますのでよろしくお願いしますね?」
「《えっと……かなり頑丈そうな鋼鉄の扉だね…?》」
「中には最重要機密の文書もありますから、それでこうして堅牢にしてあるんです。外から魔法やドリル、ブルドーザーなど、様々な衝撃に対応し、壊せないように設計されていますから中にいれば間違いなく安全ですね。」
「《……それ、何かあった時に困らない?》」
「その時はボクが助けに来ます。ここの専用のカードキーもありますし、非常時の対応も頭にインプットされてますのでご安心を。」
「《すご…。》」
アーサーが鋼鉄扉近くの操作盤に触れ、何かを操作する。
するとあの堅牢な扉が大きな音を立ててゆっくりと開いていく。
中々重厚感のあるその音を聞きながら、スノウは中を覗き、納得する。
そこは金庫と言えど、大きな扉に似合うだけの広さもあった。
人ひとりくらいは優に入り、何なら大きな機械だって入りそうなほど中は広大だった。
「どうですか?ちゃんと空気はありますので窒息することはありません。」
「《急に怖い事言うじゃん…?》」
「えぇ。貴女が非常に心配そうな顔をされていたので、助言を伝えただけです。」
心底可笑しそうに笑うアーサーをジトリと目を向ける。
だがそのスノウの視線も、彼には微々たるものだったようだ。
何事も無かったように別の話をするアーサーに、スノウはこっそりとため息をついた。
そうして、この後二人は解散し、それぞれの時間を過ごす。
アーサーは自分の仕事へ。
スノウは────
「(さてと……。本当にここのマップ死ぬ気で覚えないとなぁ…?)」
広大な地図を見ながら、途方もない探索になりそうな予感に頭を掻いたスノウは、地図の中の重要そうな部分から覚えていくことにした。
金庫の場所や研究所、それから資料室……。
「(あー…。こう見るとキリがないな…?)」
余計に頭を悩ませたスノウは考えることをやめ、手当り次第歩いて覚えていくことにした。
それの方が効率的だし、何より手っ取り早い。
そう思ったからだ。
「(AZ関係は金庫系なのかな?アルファベットで纏められてその数かぁ…。すごいなぁ…?)」
時折関心しながらも、歩を進めていけば道中〈赤眼の蜘蛛〉の組織員たちに出会う。
挨拶を欠かさずしていき、たまに手伝いが必要そうな人があればそっちを手伝い、スノウは思い思いの時間を過ごしていった。
……その効果が、後に響くとも知らずに。
___数日後
「スノウさん!こっちお願い出来ますか!?」
「《うん!分かったよ!》」
「スノウさん!こっちもですっ!!」
「《これが終わったらそっちに行くからね!少し時間をくれ!》」
「「「「スノウさーーーん!!!」」」」
「《はーーいっ!》」
「……ボクが少し見ない間に、見事に周りから頼られてますねぇ?」
「アハッ!さっすが、私のスノウ!皆ともう仲良くなったのね~?……でも、ちょ~っと他がうっとおしいかも~。私のスノウなのに…!」
遠くで見守るアーサーと花恋が、忙しそうなスノウを見て苦笑する。
花恋はどこか、不貞腐れているようだったが。
「まぁ、様子を見ましょうか。」
「どうするの? まだスノウの頭のところの怪我が治ってないのに具合悪くしたらアーサーのせいだからね~?!」
「あれは念の為につけてもらってるので、怪我はほぼ完治しているとは思いますよ?……ただ、彼女の性格からして動き回ることは予想済みだったので、頭を固定する包帯は取らなくて正解だと思っていますよ。頭部への怪我は2、3ヶ月が正念場だと言いますから。」
「ふーん?私、よくわかんな~~い。」
花恋が何処かへ去っていくのを見ながら、アーサーが未だに周りから頼られているスノウへと視線を戻す。
あながち、彼女を自由の身にして正解だったのかもしれないと自画自賛しながらアーサーも仕事へ戻って行った。
結局、スノウはというと……他の人達から沢山の仕事を頼まれながらも、館内の地図を効率よく覚えていくスノウなのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
___更に数日後
「(大分、館内の地図も覚えたし…。ここの人達の大体の仕事内容も把握してきた。)」
たったの数日間だけで、ここの地図の把握と仕事内容を把握してしまったスノウ。
歩きながらそういった考え事をしていれば、ふいに誰かとぶつかってしまう。
思わず謝ったスノウは、ぶつかってしまった張本人を見ると、そこに居たのは前世でも見たあの双子だった。
「「!!」」
「(あ。この子達は確か、麗花と飛龍だったね。中国語しか話せないから私と話も出来ない訳か…。)」
「「コ、コンニチハ!」」
「!!」
想像していた言葉ではなく、カタコトでもちゃんと日本の挨拶だったことに驚いたスノウ。
そして双子へ苦笑を滲ませると、知っている中国語の挨拶で返事をした。
「《你好。麗花、飛龍。》」
「「!!!」」
今度こそ心の底から嬉しそうな、目を輝かせた双子はスノウへと思い切り抱きついた。
慌てて双子を支えて見せたスノウは、二人の頭を優しく撫でて微笑みを零す。
まるでそれは、彼らの母親のようだ。
「你知道吗!我有很多话想讲!(あのね!話したいことが沢山あるの!)」
「《あー…ごめん。他の中国語が分からなくて…。》」
「「???」」
ノートに書いた日本語を見て、首を傾げる双子。
3人でお互いを見て困り果てていると、そこへタイミングの良い事に、アーサーがやってくる。
そして困り果てている3人を見て、静かに首を傾げさせた。
「こんな何も無い廊下で、何をしているのですか?」
「「!!」」
「《あぁ。彼らが日本語で挨拶してくれたのが嬉しくて、こっちも中国語で返したんだ。でも…それ以降お互いに言葉が分からなくてね?》」
「貴女、中国語出来たのですか?」
「《你好だけだよ?》」
「あぁ、なるほど。合点がいきました。少々お待ちください。」
アーサーが何やら流暢な中国語で双子に話をしている。
双子もそれを聞いて中国語で答えていき、徐々に会話が成り立ったようでスノウを見て「謝謝。(ありがとう)」と言っていた。
スノウもまた、そんな双子へ感謝の言葉をノートで書き述べてアーサーがそれを翻訳する。
「《本当に君ってバイリンガルだよね。》」
「お褒めに預かり光栄ですよ。」
「《態々相手によって言語を変えるなんて律儀だとも思うよ。純粋に尊敬する。》」
「フッフッフッ…。そうですか。褒められて悪い気はしませんからねぇ。その言葉、有難く受け取っておきます。」
双子を連れて去ろうとしたアーサーを、スノウが呼び止める。
どうやら、ここでの生活に慣れてきたのもあり、そろそろこの世界の文字を書ける様にしておきたいと思っていたようだ。
その提案を話したスノウを見て、考え込んだアーサーは、双子へ何かを伝える。
無論、その言葉は中国語だったためスノウがそれを理解することは無かった。
「今、飛龍と麗花に図書室までの案内を頼みました。そこには沢山の蔵書がありますので、この世界における文字はたくさんあるはずです。辞書と照らし合わせながら勉強するのも良いかと思います。貴女なら、その勉強方法で充分でしょう。」
「《なるほど…?分かったよ、やってみる。》」
「周りの組織員にはちゃんと言っておきますから。スノウ・エルピスをあまりこき使わないように、と。これで貴女も勉強に専念できるでしょう?」
「《恩に着るよ。》」
スノウの両手を取って歩き出した双子に合わせて、殺風景な廊下を歩いていく。
そうして何度か曲がり角を曲がったあとに見えてきたのは図書室と書かれた場所だった。
双子と一緒に中に入れば、そこはアーサーの言った通り、多くの蔵書や本が本棚に仕舞われている光景だった。
広々とした空間には紙特有の匂いも混じり、冷房が効いているのか、先程までいた廊下よりも涼しく感じる。
中へと入ったスノウに合わせて双子も一緒について行けば、スノウが適当な本棚の前に立ち、何個か本を抜き取っていく。
どうやら双子も読書に勤しむようで、お気に入りの本を探しに行ったようだった。
「(辞書は……これかな?)」
態々、こんな辞書があるとは感服する。
本来、〈星詠み人〉であれば自身の中にあるマナで勝手にこの世界の言葉に翻訳されるため、こういった辞書は不必要なはずだが……以前にもスノウに似た境遇の人がいたのかもしれないと思うと、少し不憫だなと感じた。
でもそのお陰で、今こうして勉強出来ると思えば有難い。
「(勉強なんて…久しぶりだなぁ…。学校のみんな、元気にしてるかな…?)」
ふと思い出すのは前前前世(もうそんなに経つのか…)のこと。
神結 綴として居た前前前世の事を思い出すと、遥か昔のことのように思える。
それこそ、もう30年前とか言われても驚かないと思うくらいにはそう思えてしまう。
図書室の机を借りて、辞書と本を開きながらそう考えていればその両隣には双子が腰掛けて、本を読み始める。
飛龍の方は何やら難しそうな本を、麗花は可愛らしい絵本を持ってきたところを見れば、二人の性格を表しているようでクスリとしてしまう。
結局その日は、双子と一緒に本を読んだり勉強する日で終わってしまったのだった。
___2週間後
“絶対安静”というほぼ軟禁状態から2週間が経った今日、ようやくこの状態から抜け出せる事にスノウは束の間の安息を感じていた。
なんと言ったって面会者は医者とアーサーだけ。
そして検査が終われば、すぐにあの白い病室へと戻され、鍵をかけられる始末。
……よく自分でも気が狂わなかったな、と驚嘆すらしている所である。
「おめでとうございます。ようやく医療班から、病室を出ても良い許可が出ました。」
「《長かったよ…。本当に……。》」
「久し振りのシャバの空気を吸いたいかと思いますが……まずはこちらに来てください。」
「??」
言われるがままにスノウはアーサーの後についていく。
そして辿り着いたのは一つの部屋だった。
机や椅子、ベッドや本棚がある事以外は何もない、良く言えばシンプル。悪く言えば殺風景なその部屋に入らせられて、スノウは首を傾げる。
一体ここは何だろう、と。
「本日から、ここが貴女の部屋となります。部屋番号はS−8。それから…これがこの部屋の鍵です。」
ポケットから彼が取り出したのは、カードキーだった。
それを渡されたスノウは呆然とアーサーを見る。
「足りないものや欲しい物があれば、遠慮せずにボクか花恋に伝えてください。物によりますが、すぐに準備出来るものは準備致しますので。」
「《…どうして、そこまでしてくれるんだい?》」
ここまでされて、気にならない訳じゃなかった。
抜けるかもしれない要因に態々こんな事までしてくれるのは、相当なリスクだ。
なのに、〈赤眼の蜘蛛〉はそうしてくれる。
それは何故だ?と自分からすれば不思議だった。
「貴女の力量を我々はそれほど多く見積もっていますから。〈赤眼の蜘蛛〉にとって、貴女はかなり有益であり、貴重な人材。そんな方に支援や援助をするのは当たり前です。」
「《私はマナを持っていない。何にも出来ない、ただの人間であるというのに?》」
「その問題さえ解消すればこちらのもの。そういった未来も想定済みです。解消されなくとも、貴女は神の御使い。一般人よりもこれ以上ない才能を持ち合わせています。ですから今の内に投資しておこうという事です。所謂、ビジネスの話になりますが、そういうことです。」
なんと強かというか、たくましいと言うか…。
スノウがその回答に苦笑しつつも、相手に伝わるように大きく頷いた。
今あれこれ言っても、彼の答えは変わらない。
ならば、好意として受け取っておくのが礼儀だ。
「《気遣い感謝するよ。》」
「えぇ。それから……今後の事を話しておきたいので会議室へどうぞ?」
一度部屋を離れ、会議室へと入った二人。
そこからは、今後の事についての話が半日かけて行われる。
まず、スノウの目的は〝こうなった原因である例の男を捕まえて、元に戻してもらう〟事だ。
素直に従わない場合は、〈赤眼の蜘蛛〉のこの拠点に捕らえ、強制的に従わせる事でスノウも渋々合意した。
出来る限り、平和かつ穏やかで解決するのが前提ではあるが、やむを得ない場合は仕方がないと説得されてしまった。(他に良い解決法が無かったのもあるけどね?)
2つ目は、スノウの生活についてである。
基本的には外へ出ない。
そして例の男が見つかった報告がなされ、外へ出る際は必ずアーサーを連れて行くこと。
それ以外は認められない。
衣食住は〈赤眼の蜘蛛〉が全て保証すること。
男が見つかるまでの間は何をしていても良い。仕事を見つけるなり、館内を見て回ってもいいし、研究に励んでもよい。
そんな話をして、概ねスノウも同意をすることになった。
衣食住を保証して貰える分、外出は我慢することにした。
それに…今、リオン達に見つかってもスノウ自身が一番困ることも目に見えていた。
だからこの話に乗ったのだ。
3つ目は、外出時の決まり事である。
外出時は黒いローブを着用すること。これはいつも〈赤眼の蜘蛛〉がやっている事だし、スノウもリオン達の目を欺く為にやらないといけないと思っていた為、承諾をした。
そして、リオン達に出くわした際は平常心を保ち、静かに横を通り過ぎる。
決して動揺して逃げるような事はしない。
これにもスノウはすぐに同意をした。
特にリオンは、そういった事に敏感であるが故に、黒いローブの下がスノウだとバレてもおかしくはないのだ。
だから冷静な判断でそのまま通り過ぎた方が無難だと二人で認識したのだった。
「これくらいですかね。決めごとと言うのは。」
「《うん。そうだと思う。ある程度自由も保証されてるのが分かったし、私はこれ以上異論は無いよ。》」
「分かりました。では、これからよろしくお願いします。スノウ・エルピス。」
「《こちらこそ、よろしく。アーサー。》」
会議室の椅子から立ち上がって、二人は握手を交わした。
今はまだ仲間であるからこそ、二人は友好の証として握手を交わしたのだ。
こうしてスノウの長い〈赤眼の蜘蛛〉の生活が始まろうとしていた。
「因みに……。」
「??」
「医療班から連絡がありました。念の為に、頭の包帯は医療班が良しと言うまでは取ってはいけない、との事です。」
「《えぇ…?まだ取っちゃ駄目なのかい?これ…。》」
頭に巻かれた包帯に触りながらスノウが困った顔でそうノートへと書き出す。
アーサーは笑いながら大きく頷いてみせた。
「医療班に従った方が長生きするコツですよ?スノウ・エルピス。」
「《…分かったよ。暫くは着けておくよ…。》」
「頭は大事ですからね。用心するに越した事はないでしょう。」
そう言って、アーサーは会議室の扉に手をかける。
そして振り返って一度微笑んだ後に、ようやく会議室を出て行った。
その微笑みが思いの外、優しそうな微笑みだった事にスノウは僅かに驚いたが、すぐにスノウも笑みを零し、少しだけ明るい未来に思いを馳せたのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
___軟禁状態・解禁2日目の朝
スノウは、朝早くに目覚める。
前世、カイル達との旅でロニとの朝稽古があったのもあり、不必要な早起きをしてしまっていた。
目を覚ましたスノウはベッド上で大きく伸びをすると、ベッドから出ていつもの服に着替える。
ドレッサー前に行き、そのいつもの服を見ながら変な所は無いかチェックをする。
「(今世に入ってから服装変わったけど……また変なアニメか漫画見たのかなぁ…?私の神様は…。)」
この間までは検査続きだったのもあって、検査着ばかり着せられていたが、今は違う。
今世からの黒いスーツを着こなしている。
男装を好むスノウの為に、髪が見繕った品物だった。
スノウの神様である〈世界の神〉は、人間達のことを漫画やアニメで知識を頭の中に入れ込んでいる。
その“余計な知識”のせいで、妙な物を持たせられたりしたものの、今回だけはセンスが良い。
そうスノウが心の中でしみじみと思っていた。
「(ネクタイを締めて………完成っと。)」
最後に黒いネクタイを締めれば、ちゃんと男の人の様な格好の出来上がり。
胸はサラシで潰しているし、髪型も前世と同じで後ろで一つに結んでいる。
長い黒髪を揺らせば、風に靡くようにして流されていった。
そのままスノウは自室の机の上に置いたカードキーを取り、部屋を出る。
オートロックが掛かった音を聞きながら食堂へと向かうスノウは、既に今日の朝食について考えていた。
今はどんな気分だろう、と。
そんな時、スノウに話し掛ける人物がいた。
「おはようございます。相変わらずお早いですねぇ?」
「《あぁ、君か。おはよう。君こそ朝が早いんだね?仕事が遅い分、朝も遅くに起きるものだと思ったよ。》」
「習慣化というやつです。嫌でも起きてしまうんですよ。……それに、遅寝遅起きは花恋の専売特許ですよ。」
「《うーん。それは分かるかも…。》」
何だかんだ想像がつく生活リズムだな、とスノウが歩きながら思えば、その横に並ぶようにしてアーサーも食堂へと向かう。
それを気にした様子もなく、二人は一緒に食堂へとやってきた。
お互いに違う物を注文し、チラホラ朝食中の人を見かける中、同じ席に辿り着いてしまう。
流石に怪訝な顔をしたスノウに、アーサーは可笑しそうに笑った。
「そんな嫌そうな顔をしないでください。ボクと貴女の仲じゃないですか。」
「《うーん。私達、いつそんなに仲良くなったのかな?記憶に無いんだけど?》」
「昨日、握手も交わしましたし、熱く討論もしたではありませんか。」
「《あれが仲良くなるきっかけなんだ?》」
これ以上踏み込むと何か言われそうだった為、口を噤んだスノウは、頼んだ朝食を一口頬張る。
今日は典型的な朝食にした。
パンに目玉焼き。それから……紅茶を選んだ。
「結構、典型的な朝食を召し上がられるのですねぇ?」
「《君こそ、前から変わらないね。前回もその魚定食だった。》」
「朝からこれを食べると一日のエネルギーが摂れるので、効率が良いんです。」
「《…君って、本当、仕事人間だよね。》」
「えぇ。そうですよ。違っていたら今頃〈赤眼の蜘蛛〉なんか立ち上げていませんし、こうして組織として巨大化もしていないはずです。」
きれいに魚の骨を箸で取り除きながら、口に入れていくアーサー。
それを見て、明日の朝は定食でも良いかもしれないと思ったスノウだった。
「それで、本日のご予定は?」
「《取り敢えず、この館内のマップを覚える所からかな?ここ無駄に広いし、緊急時の避難経路とかも確認しておきたい。》」
「その事ですが……。彼らがここへ侵入してきた時の貴女の避難場所と集合場所を昨日の会議で決め忘れていまして。」
「《あぁ、そうだね。確かにそれは大事だ。》」
「そこで提案なんですが…、もし緊急時のサイレンが館内に流れた際はちゃんと放送致します。ですが、貴女にはその放送を聞くよりも早く避難して頂きたいと思っております。貴女を攫われても敵いませんから。」
「《まぁ、それは無いと思うけど…。その提案については良いと思うよ。あとは場所だけど…。》」
「部屋番号AZ‐235でお願いしたいですね。」
「《……それ、何処?》」
部屋番号が全て記号とアルファベットで構成されており、その地図をすべて把握するのも骨の折れる作業である。
後で貰ったマップを確認しながら歩くか、と遠い目をしたスノウにアーサーがフッと笑って説明する。
「そこは内金庫でして。中から鍵が出来るようになっています。それに…その場所は外部の人間が早々易易と入り込めるような位置にありませんから貴女を隠すにはもってこいの場所です。中から鍵をしめる際はカードキーをご使用ください。」
「《分かった。》」
「後でご案内致します。ですので、後で時間を貰えますか?」
「《勿論。いつでも私は空いてるから、君の都合で良いよ。》」
「ではこの後すぐ行きましょうか?早いに越したことはありませんから。」
二人はそれぞれの朝食を堪能し、食器はそのままにしておく。
ここではそれがお決まりらしい。
朝食後、軽い運動がてら歩いていたスノウ達。
アーサーの案内で避難場所の確認をするスノウだったが、目の前にそびえる大きく分厚そうな金属の扉を見て思わず顔を引きつらせた。
……まさかとは思うが、こんな場所に隠れろと?
「こちらが貴女の避難場所です。侵入者を感知した時点でここの扉は開け放つように設定致します。ですので、ここへ避難頂けたら絶対の安全は確保されますのでよろしくお願いしますね?」
「《えっと……かなり頑丈そうな鋼鉄の扉だね…?》」
「中には最重要機密の文書もありますから、それでこうして堅牢にしてあるんです。外から魔法やドリル、ブルドーザーなど、様々な衝撃に対応し、壊せないように設計されていますから中にいれば間違いなく安全ですね。」
「《……それ、何かあった時に困らない?》」
「その時はボクが助けに来ます。ここの専用のカードキーもありますし、非常時の対応も頭にインプットされてますのでご安心を。」
「《すご…。》」
アーサーが鋼鉄扉近くの操作盤に触れ、何かを操作する。
するとあの堅牢な扉が大きな音を立ててゆっくりと開いていく。
中々重厚感のあるその音を聞きながら、スノウは中を覗き、納得する。
そこは金庫と言えど、大きな扉に似合うだけの広さもあった。
人ひとりくらいは優に入り、何なら大きな機械だって入りそうなほど中は広大だった。
「どうですか?ちゃんと空気はありますので窒息することはありません。」
「《急に怖い事言うじゃん…?》」
「えぇ。貴女が非常に心配そうな顔をされていたので、助言を伝えただけです。」
心底可笑しそうに笑うアーサーをジトリと目を向ける。
だがそのスノウの視線も、彼には微々たるものだったようだ。
何事も無かったように別の話をするアーサーに、スノウはこっそりとため息をついた。
そうして、この後二人は解散し、それぞれの時間を過ごす。
アーサーは自分の仕事へ。
スノウは────
「(さてと……。本当にここのマップ死ぬ気で覚えないとなぁ…?)」
広大な地図を見ながら、途方もない探索になりそうな予感に頭を掻いたスノウは、地図の中の重要そうな部分から覚えていくことにした。
金庫の場所や研究所、それから資料室……。
「(あー…。こう見るとキリがないな…?)」
余計に頭を悩ませたスノウは考えることをやめ、手当り次第歩いて覚えていくことにした。
それの方が効率的だし、何より手っ取り早い。
そう思ったからだ。
「(AZ関係は金庫系なのかな?アルファベットで纏められてその数かぁ…。すごいなぁ…?)」
時折関心しながらも、歩を進めていけば道中〈赤眼の蜘蛛〉の組織員たちに出会う。
挨拶を欠かさずしていき、たまに手伝いが必要そうな人があればそっちを手伝い、スノウは思い思いの時間を過ごしていった。
……その効果が、後に響くとも知らずに。
___数日後
「スノウさん!こっちお願い出来ますか!?」
「《うん!分かったよ!》」
「スノウさん!こっちもですっ!!」
「《これが終わったらそっちに行くからね!少し時間をくれ!》」
「「「「スノウさーーーん!!!」」」」
「《はーーいっ!》」
「……ボクが少し見ない間に、見事に周りから頼られてますねぇ?」
「アハッ!さっすが、私のスノウ!皆ともう仲良くなったのね~?……でも、ちょ~っと他がうっとおしいかも~。私のスノウなのに…!」
遠くで見守るアーサーと花恋が、忙しそうなスノウを見て苦笑する。
花恋はどこか、不貞腐れているようだったが。
「まぁ、様子を見ましょうか。」
「どうするの? まだスノウの頭のところの怪我が治ってないのに具合悪くしたらアーサーのせいだからね~?!」
「あれは念の為につけてもらってるので、怪我はほぼ完治しているとは思いますよ?……ただ、彼女の性格からして動き回ることは予想済みだったので、頭を固定する包帯は取らなくて正解だと思っていますよ。頭部への怪我は2、3ヶ月が正念場だと言いますから。」
「ふーん?私、よくわかんな~~い。」
花恋が何処かへ去っていくのを見ながら、アーサーが未だに周りから頼られているスノウへと視線を戻す。
あながち、彼女を自由の身にして正解だったのかもしれないと自画自賛しながらアーサーも仕事へ戻って行った。
結局、スノウはというと……他の人達から沢山の仕事を頼まれながらも、館内の地図を効率よく覚えていくスノウなのだった。
‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥………‥‥・*・‥‥
___更に数日後
「(大分、館内の地図も覚えたし…。ここの人達の大体の仕事内容も把握してきた。)」
たったの数日間だけで、ここの地図の把握と仕事内容を把握してしまったスノウ。
歩きながらそういった考え事をしていれば、ふいに誰かとぶつかってしまう。
思わず謝ったスノウは、ぶつかってしまった張本人を見ると、そこに居たのは前世でも見たあの双子だった。
「「!!」」
「(あ。この子達は確か、麗花と飛龍だったね。中国語しか話せないから私と話も出来ない訳か…。)」
「「コ、コンニチハ!」」
「!!」
想像していた言葉ではなく、カタコトでもちゃんと日本の挨拶だったことに驚いたスノウ。
そして双子へ苦笑を滲ませると、知っている中国語の挨拶で返事をした。
「《你好。麗花、飛龍。》」
「「!!!」」
今度こそ心の底から嬉しそうな、目を輝かせた双子はスノウへと思い切り抱きついた。
慌てて双子を支えて見せたスノウは、二人の頭を優しく撫でて微笑みを零す。
まるでそれは、彼らの母親のようだ。
「你知道吗!我有很多话想讲!(あのね!話したいことが沢山あるの!)」
「《あー…ごめん。他の中国語が分からなくて…。》」
「「???」」
ノートに書いた日本語を見て、首を傾げる双子。
3人でお互いを見て困り果てていると、そこへタイミングの良い事に、アーサーがやってくる。
そして困り果てている3人を見て、静かに首を傾げさせた。
「こんな何も無い廊下で、何をしているのですか?」
「「!!」」
「《あぁ。彼らが日本語で挨拶してくれたのが嬉しくて、こっちも中国語で返したんだ。でも…それ以降お互いに言葉が分からなくてね?》」
「貴女、中国語出来たのですか?」
「《你好だけだよ?》」
「あぁ、なるほど。合点がいきました。少々お待ちください。」
アーサーが何やら流暢な中国語で双子に話をしている。
双子もそれを聞いて中国語で答えていき、徐々に会話が成り立ったようでスノウを見て「謝謝。(ありがとう)」と言っていた。
スノウもまた、そんな双子へ感謝の言葉をノートで書き述べてアーサーがそれを翻訳する。
「《本当に君ってバイリンガルだよね。》」
「お褒めに預かり光栄ですよ。」
「《態々相手によって言語を変えるなんて律儀だとも思うよ。純粋に尊敬する。》」
「フッフッフッ…。そうですか。褒められて悪い気はしませんからねぇ。その言葉、有難く受け取っておきます。」
双子を連れて去ろうとしたアーサーを、スノウが呼び止める。
どうやら、ここでの生活に慣れてきたのもあり、そろそろこの世界の文字を書ける様にしておきたいと思っていたようだ。
その提案を話したスノウを見て、考え込んだアーサーは、双子へ何かを伝える。
無論、その言葉は中国語だったためスノウがそれを理解することは無かった。
「今、飛龍と麗花に図書室までの案内を頼みました。そこには沢山の蔵書がありますので、この世界における文字はたくさんあるはずです。辞書と照らし合わせながら勉強するのも良いかと思います。貴女なら、その勉強方法で充分でしょう。」
「《なるほど…?分かったよ、やってみる。》」
「周りの組織員にはちゃんと言っておきますから。スノウ・エルピスをあまりこき使わないように、と。これで貴女も勉強に専念できるでしょう?」
「《恩に着るよ。》」
スノウの両手を取って歩き出した双子に合わせて、殺風景な廊下を歩いていく。
そうして何度か曲がり角を曲がったあとに見えてきたのは図書室と書かれた場所だった。
双子と一緒に中に入れば、そこはアーサーの言った通り、多くの蔵書や本が本棚に仕舞われている光景だった。
広々とした空間には紙特有の匂いも混じり、冷房が効いているのか、先程までいた廊下よりも涼しく感じる。
中へと入ったスノウに合わせて双子も一緒について行けば、スノウが適当な本棚の前に立ち、何個か本を抜き取っていく。
どうやら双子も読書に勤しむようで、お気に入りの本を探しに行ったようだった。
「(辞書は……これかな?)」
態々、こんな辞書があるとは感服する。
本来、〈星詠み人〉であれば自身の中にあるマナで勝手にこの世界の言葉に翻訳されるため、こういった辞書は不必要なはずだが……以前にもスノウに似た境遇の人がいたのかもしれないと思うと、少し不憫だなと感じた。
でもそのお陰で、今こうして勉強出来ると思えば有難い。
「(勉強なんて…久しぶりだなぁ…。学校のみんな、元気にしてるかな…?)」
ふと思い出すのは前前前世(もうそんなに経つのか…)のこと。
神結 綴として居た前前前世の事を思い出すと、遥か昔のことのように思える。
それこそ、もう30年前とか言われても驚かないと思うくらいにはそう思えてしまう。
図書室の机を借りて、辞書と本を開きながらそう考えていればその両隣には双子が腰掛けて、本を読み始める。
飛龍の方は何やら難しそうな本を、麗花は可愛らしい絵本を持ってきたところを見れば、二人の性格を表しているようでクスリとしてしまう。
結局その日は、双子と一緒に本を読んだり勉強する日で終わってしまったのだった。