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10.お泊り会
その日を境にして、僕は学校帰りに例のあの屋敷に通うようになった。
決まって彼女はバトルシミュレーターで汗を流していたが、僕に気付けばすぐ訓練を中止させ、こちらに走り寄ってきてくれる。
そして笑顔で出迎えてくれるのだ。
「お疲れ様、リオン。学校はどうだった?」
「いつもと変わらん。…だが、まぁ今日はいつもの授業とは異なっていたな。」
「どんな風に?」
「もうすぐ修学旅行がある。その為の前準備というやつだな。」
「あぁ。皆が喜んでいたやつだね?行先は決まったのかい?」
「やはり難航しているようだぞ。全員が全員、違う行き先を教師に提唱するものだからいくら時間を使っても決まらん。」
「え?でも、早くしないともうすぐで修学旅行の日になるんじゃない?」
不思議そうな顔で僕を見るスノウを見て、僕も溜め息と共に彼女にタオルを渡す。
そのタオルを受け取った彼女は笑顔でお礼を言って、軽く流れた汗を拭き取っていた。
「まぁ、色々事件があった後ということもあり、修学旅行の日取りは少し遅れることとなった。」
「そうなんだ。それは残念だったね?」
「…だが、これでお前が学校に戻ってくれば丁度行けるぞ?」
「お。それはいいねぇ!折角の学校生活なら、その行事も楽しみたいよね。…まぁ、周りのほとぼりが冷めない限りは難しいと思うけど…。」
少しだけ悲しそうに顔を俯かせた彼女を見て僕はそっと手を取り、大丈夫だと、その手を包み込んだ。
すると彼女はそれを見て、笑顔が戻り僕を見つめる。
僕もその笑顔につられて口元を緩ませれば、彼女は更に笑顔を重ねた。
この間の一件────彼女自身の在り方について先日じっくり話し合った結果、彼女は指輪に触れる事が少なくなっていた。
無論、指輪を外そうとすることもなくなっていた。
それを僕がどれほど安心したか。こいつに微塵も伝わらないのが悔しい。
「…ちなみに、お前なら修学旅行、何処に行きたいんだ?」
「え、私? そうだなぁ…?」
思いの外考え込む彼女を見て、僕も思考に耽る。
その思考は、言うまでもなく彼女の行きたいと思う修学旅行先だ。
やはり、一番に思い浮かぶのは彼女の出身地でもあるファンダリア地方だろうか。
あそこは気象科学が発展している場所だし、何より彼女の肌のような白い雪が有名な場所である。
雪道での歩き方を彼女は得意だと以前豪語していたし、それなりに思い入れのある場所だろう。
「…アイグレッテとか、かな?」
「ほう?その理由は?」
「あそこ、一般的には観光資源が無いと言われてる場所だけど…実は、大きな図書館があるんだよね。そこの本に興味があるのと…。ふふ、後は…秘密。」
恥ずかしそうに言う彼女に、僕は僅かに首を傾けさせる。
あそこに…何かあっただろうか。
先程彼女も言った通り、アイグレッテは街ではあるが大した観光資源もない上に、ただ大きな神殿や図書館があるだけで学生が好んで行くような場所や目ぼしい物はなかったはずだ。
それに修学旅行だというのに、"本が見たい"なんて…彼女らしいと言うかなんというか…。
「(やっぱり、覚えてないか…。あそこの花畑は…昔、君と一緒に遊んだ場所だったんだけどね…。)」
遠い目をした彼女を見ながら考えても一向に思いつかず、僕はこのモヤモヤした気持ちを晴らすために彼女に問いただす。
しかし彼女はそれ以上、教えてはくれなかった。
腰にある愛剣も、彼女がそこを選んだ理由は分からない様だったため、このモヤモヤした気持ちは晴れてはくれない。
僅かに顔を顰めさせた僕を笑う様に彼女がクスリとひとつ笑いを零していた。
「まぁ、お前の言葉だと僕からも進言してみよう。」
「いやいやいや…。それはやめておこうよ。ただの思い付きだからさ?皆で楽しめる場所へ行こうよ。それこそアクアヴェイルとか、ファンダリア地方は修学旅行でもおすすめの場所だと聞くよ?」
「まぁ、あそこは立派な観光地だからな。」
「後は海洋都市アマルフィとかね?」
「そこも人気な場所ではあったな。何人かのクラスメイトが自ら進言していた。」
修学旅行先について、彼女と想像以上の盛り上がりを見せあっという間に時間が過ぎてしまう。
本当なら、ここで泊まっていきたいのだが…彼女がそれを許してくれない。
あれほど、"僕と一緒に居たい"と…そう言ってくれていたのにだ。
どうせ、彼女の事だからマリアンの事を心配してだろうが…、僕からすればそんなこと関係ない。
お前が居て欲しいというなら、僕はいつだってここで泊まっていくし、ずっと傍に居る。
だからこの時間が過ぎていけばいくほど、そんな寂しい顔を見せないでくれ。
───帰りたくなくなる。
────離したくなくなる。
あぁ、お前は本当に嘘が下手だな。
「じゃあね、レディ。気を付けて帰るんだよ?」
「…なぁ、スノウ。」
「うん?」
「…今日は週末で明日は土日。そして、肝心の学校は休みだ。」
「そうだね。土日で学校に行くってなると…学祭とか文化祭とか、恒例の行事の前準備ばっかりじゃないかな?」
「あぁ。だから…、その…。」
「???」
あと一歩が言えない僕を見兼ねて、シャルが僕達の間に入ってくる。
その言葉は今の僕にとって有難い言葉であった。
『スノウ、坊ちゃんをここで泊めさせてもらえませんか?どうせ、明日休みなら坊ちゃんもここに来るでしょうし…。明日は会えない訳じゃないんですよね?』
「会えない訳じゃないと思うけど…。君が泊まりたいなら、私の方からレンブラントさんに言っておくよ。だから君は一旦帰ったらどうかな?泊まるならそれ相応の準備が要るでしょ?」
「あ、あぁ!そうするとしよう。」
『良かったですね…!坊ちゃん…!』
小声でそう言ったシャルに大きく頷けば、スノウが椅子から立ち上がり、何も言わずに扉の方へ向かっていく。
そして彼女は僕の方を振り返ると嬉しそうにはにかんで、こう言った。
「────ありがとう、リオン。」
僕がその言葉で呆然とすれば、逃げるようにして彼女はバトルシミュレーターのこの場所から去って行った。
それを見た僕は浮かれてしまう。
"もしかしたら、言葉にしなかっただけで彼女自身も僕に、ここに居て欲しいと思っていたのではないか"────なんて。
彼女のあの表情とさっきの言葉の真意は、彼女から何も聞いていないから僕にも分からない。
だが、そう思ってしまうほど彼女の頬は赤くなっていて、そして嬉しそうだったんだ。
だから、今の僕の顔は誰にも見せられないほど赤くなっているし、誰にも見せられない程嬉しそうな顔をしていると思う。
口元をにやけさせて、そして眉根を下げて困った顔をしているに違いない。
勿論、口元は見えない様に手で隠しているが。
『さぁ、坊ちゃん!準備のためにいったん帰りましょう!早くしないとスノウと居る時間が短くなってしまいますよ?』
「あ、あぁ…。それは困るな。」
正直な言葉が口から出て、少しだけ驚いた。
それもこれも、彼女が可愛い反応をするから悪いんだ。
僕はそれから一時帰宅をし、マリアンに話をつけると彼女もそれを聞いて嬉しそうに顔を綻ばせた。
彼女もまた、僕がスノウを大事にしていると知っている一人なのだから、その反応は当然と言っても過言ではない。
嬉しそうに泊まりの準備をする僕を優しい顔でマリアンが見ていたことに、その時の僕は気付かなかった。
゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.
____数時間後。
レンブラントの許可も得たことで、僕は泊まりの準備を終えて再びスノウの居るセキュリティのしっかりとしている建物へと戻ってきた。
どうも、スノウの持っている蒼いカードキーでは入り口は開けられないらしく、レンブラントの持っているカードキーで玄関の扉を開けて貰えば、中からはあの数時間の間で着替えたらしいスノウが飛び出してきて僕に抱き着いてくる。
無論、笑顔付きでだ。
待ち遠しかった、とでも表すような強い抱擁と歓迎に、僕は僅かに顔を赤らめながら抱き着いてきた彼女を受け止める。
すると、彼女の香りと共に入浴後のような…それこそシャンプーに似た洗剤の優しい香りが鼻を擽った。
それに彼女の体が火照るほど温かいのが何よりの証拠だろう。
いつもならこんなに体温は高くない彼女だからこそ、そう感じた。
「風呂でも入ってたのか?」
「え、分かる?流石だね?」
「お前の体温がここまで熱いわけないだろう?すぐに分かった。」
「ふふっ!そっか。…あとさ?ちょっと言ってみたかった言葉…ここで言ってもいい?」
「??」
「……"おかえり"、レディ。」
「…!」
スノウは、あの事件よりも前からずっと一人暮らしだった。
僕は帰れば、屋敷内でいつでもその言葉を聞いていた。
だからこそ、言った言葉の"重み"が違う。
そして僕がその言葉の意味を考えるよりも前に、彼女が笑顔でそう言ったことに僕は少しの感動を覚えていた。
だから無意識に…。それこそ反射的にと言ってもいいだろう。
僕はこの言葉を口にしていた。
「…ただいま。スノウ。」
ここは僕の家ではないけれど。
そして彼女の家でもないが、それでもその言葉達に無意識に胸が熱くなる。
…何だか今日は、僕にとって特別なイベントばかりだな。
「リオン坊ちゃん、手荷物はこちらで預かりましょうか。」
「あぁ、頼む。レンブラント。」
「お預かりいたします。」
レンブラントが辞儀をして颯爽と去っていく。
それを僕が黙って見送れば、目の前の彼女が僕の手を掴み、そして中へと連れて行ってくれる。
嬉しそうに振り返りながら「ご飯は?」とか、「お風呂もまだだよね?」など、とにかく僕の事を気にしてくれる。
…まさか、こんな日が来ようとはあの日常からは思いもしなかったな。
そんな彼女を僕が目を細めて口元を綻ばせれば、彼女も僕を見て嬉しそうにはにかむ。
あぁ…なんて、幸せなんだろう。
こんな日が、ずっと…ずっと………続いてくれればいいのに、な…。
そんなことを思いながら彼女なりの歓迎を受けていれば、途中でレンブラントに出会い、彼から彼女と同じ蒼いカードキーを渡される。
そして、レンブラントは何を思ったのか、僕の予想の範疇を越えた爆弾発言を投下した。
「リオン坊ちゃん、ちゃんとお部屋はスノウ様と同じにしてありますので。あとはごゆっくりとお楽しみくださいませ。」
「…は?ちょ、ちょっと待て、レンブラント!」
「このレンブラント、分かっておりますとも。リオン坊ちゃん。スノウ様とご一緒に寝られるんでございましょう?」
「ば、馬鹿か…!?そ、そそそんな…こと…出来る訳が…」
『(うわぁ…坊ちゃん、すごい動揺してる…。)』
「では、リオン坊ちゃん。どうぞ…夜長をお楽しみくださいませ。」
「れ、レンブラント!他に部屋は無いのか!」
「あるにはありますが…。よろしいのでありますか?リオン坊ちゃん。ここはスノウ様に男気を見せる時では?」
「別の部屋にしろっ!!///」
「承知しました。…ですがこのレンブラント、残念でありますぞ…?リオン坊ちゃんの男気が見られなくて…」
「良いから用意しろ!!!」
僕がそう怒鳴れば、レンブラントは泣く真似をやめて笑顔で去って行った。
あの爺…、狸か。
僕が赤い顔でそれを見送れば、さっきまで別の場所に居た彼女が帰ってくる。
そして僕の顔を見ては顔を傾けた。
それはそれは不思議そうな顔をして。
「??? レディ、顔が赤いけど…もしかしてこの間の熱が治ってない?」
「な、何でもない///」
「???????」
彼女は暫く不思議そうな顔をしていたが、僕が頑なに教えないと分かるとすぐに諦めてくれた。
そうして彼女との大切な時間が過ぎて行く。
夕食を食べ、一人で風呂に入り、その後は彼女とお茶をしながら暫しの会話を楽しむ。
尽きぬ話をシャルも含めて三人でやっていれば、早く時間が過ぎるというもの。
夜中の0時を回ろうとしている所で、彼女が時計に目をやり、途端にその目を大きくさせては何度か瞬かせた。
「…時間って、何でこうも早いんだろうね?もう零時過ぎるよ。」
「ふん…。それでも明日、明後日も僕はここに居るだろう?何を惜しむ必要がある。」
「それでも、月曜日になれば君はまた学校に行かなくちゃいけない。それに、学生の本分でもある宿題もしなくちゃいけないんじゃないかな?君は特にね?」
「明日の早いところでやってしまう。そうすればお前との時間も安心して取れるだろう?」
「リオン…!そこまで考えてくれてたんだ…?」
「お前が心配すると思ってな。ここへ泊まるための準備中ではあったが、そこまでは事前に計画していた。」
僕が優雅に紅茶を飲み干せば、嬉しそうに笑顔を零して彼女は笑う。
その笑顔で僕はフッと笑みを零した。
朝早くに宿題を終わらせて、そして彼女が憂慮する事のないようにしてから、彼女との大切な時間を思い切り過ごす。
それが僕の考えたプランだった。
感動したように声を上げた彼女は、その場に思い切り立ち上がったかと思えば、僕を立たせて扉の方へと背中を押す。
「早く寝て、明日に備えなくちゃダメだ」と話した、思いもよらない彼女の言葉に僕は背中を押されながら思わずプッと吹き出した。
彼女は僕の笑った声を聞いて顔をムッとさせていたが、まるで明日に旅行を控えた子供のような発想だった為、僕の笑いのツボにハマってしまったのだ。
これでももう歳も16な訳だから、そんな子供のように早寝をしなくとも朝の管理は出来る。
それなのに彼女は僕の朝寝坊を心配したのだ。
今までそんな事、したことがないと言うのに。
「ふっ、分かった。分かったから…背中から手を離せ。」
「ちなみに宿題はどれ位で終わりそうなんだい?あらかじめ知っておいたらそれに合わせるよ。」
「午前中ずっと、という訳じゃない。それにそんな無理難題な宿題を吹っかけられた訳でもないしな。……それより、僕の心配よりお前の方は勉強、大丈夫なのか?」
「問題ないよ。ちゃんと授業についていけるように予習も復習もしてるんだ。……それが無意味だということにならなければいいけど…ね。」
僅かにシャルのハッとした声が聞こえると同時に、緊迫した空気が伝わってくる。
それを肌で感じながら僕は、無言でスノウを見つめた。
今の彼女の瞳には憂いと同じくらい、寂しさや悲しみが含まれていた。
気付いてないとでも思ってるのか、そっと下の方で両手を合わせた彼女は自身の指同士を絡ませて、強く握っていた。
恐らく彼女の癖でもある“憂いていることがあれば指輪に触れる”というものを無意識に実行しているんだと思う。
僕は手を伸ばして彼女の強く握られた手を包み込む。
彼女の今の憂いを何とかして晴らしてやりたくて。
「……知識は幾らあっても足りることはない。勉強は大事だと思うぞ。」
「そうだね。大人になるためにも……頑張らなくちゃね。(…私は〝フロラシオン〟を発症してるのに、生きて大人になれるのかな…?そこまで、生き続けられる…?未知の病で、将来どうなるかなんて分かってないのに。)」
僕は微苦笑して俯いたスノウを見て、その体を抱き締めた。
……何か、良からぬことを考えている気がしたからだ。
研究施設での生活が長かった彼女。
あの先日の指輪の一件だって、僕はずっと知らずに過ごしてきた。
“僕の重荷になってるんじゃないか”なんて、そんな事、思ったことも口にしたこともないのにだ。
あんな閉塞的な空間にずっといたのだから、気持ちの大きな変化まで起きていてもおかしくはない。
その気持ちの変化を……見逃さないようにしなければ、取り返しのつかないことになりかねないだろう。
そこまで考えた僕は、更に強く彼女を抱き締めた。
「そこまで悲観することは無い。明日…また会えるだろう?」
「うん。……そうだね。」
彼女の今までの心情が伝わってくるかのような、そんな強さを持った彼女の手が僕の背中へと回り、服を掴む。
僕の肩へと頭を乗せた彼女はポツリと零した。
「……ごめん、少しだけ不安になっただけ……。」
そして逃げようとする彼女の体をそのまま逃がさないように閉じ込めておくと、彼女はそれに甘えてくれた。
暫くそのままでいたが、彼女が突然、僕の服を強く掴み、そのまま手が僕の胸を押すために前へと来てしまう。
僕がそっと離れれば、彼女は困った顔で笑っていた。
「……早く寝なくちゃ。明日の為にも。」
「……不安か?」
「そんな事ないよ。子供じゃないんだから。」
そう言って逃げるように去ろうとした彼女を見て、僕はとある決意をする。
とんでもない事を今から口走ると、頭では理解している。
でも今の彼女を見て、頭で理解するよりも感情的な心や気持ちの方が強かった。
「一緒に寝れば、怖くないだろう?」
「!!」
嫌われるとか、そんな事も頭をよぎった。
でも、それよりも……愛おしいと想う彼女が辛い思いをしているなら、それを拭い去ってやりたい。
だから嫌われる覚悟で僕はそう言葉にした。
すると、彼女は瞳を少しばかり揺らした後、少し考える素振りをする。
僕が黙ったまま待っていれば、彼女は半分こちらに向けていた体を恐る恐るこちらへと向け、僕を見つめ返した。
そしてゆっくりと口を開いた。
「…………君さえ、良ければね…?」
「あぁ。なら、そうするか。」
『(おぉぉぉぉ…!!!これはすごい進歩ですよ?!!坊ちゃん!!)』
シャルティエは静かに感動していた。
そんなこと、2人には分からなかったのだろうが、それでもシャルティエの感動は筆舌に尽くし難いものであった。
コアクリスタルを閉じ、静かに泣いたシャルティエを知らない二人は移動を開始した。
スノウの部屋に着いた二人をチラリと見るように、再びシャルティエがコアクリスタルを覗かせる。
「……あの花は…。」
「君から貰った、大切な花を早々に枯らすと思う?とても……とても大事にしてるよ。」
スノウが机の上の紫陽花の近くに寄る。
そして、それをまるで壊れ物のようにそっと触れていた。
僕はそれを見て、贈った甲斐が有ると笑ってやる。
それを見ていたスノウも、僕の顔を見た後に紫陽花の花を見て、フワリと笑った。
そのまま僕らはベッドへと上がり、お互いを見ながら目を閉じた。
しかしそれは僕だけだったようで、次の瞬間、目を閉じたはずの彼女が僕の近くに寄って僕を抱きしめていた。
それに顔が赤くならないはずもないが、元を言えばこれは僕が言い出したことだ、と僕は顔が真っ赤になったまま彼女を抱き締め返す。
すると、また彼女がポツリと言葉を零す。
それは、今まで聞いたことのない彼女の弱音と本音だった。
「……私は、」
「…?」
「私は普通の人と…違う。未知の病である〝フロラシオン〟を発症した珍しい人間だ。」
「……。」
「いつ…、どこで…、どうなるかなんて…誰にも分からない。もしかしたら、大人になる前に〝フロラシオン〟に侵されて死に至るかもしれない……。」
「……!!」
今まで何故僕は、その事を考えてこなかったんだろう。
彼女はずっと自分の罹った病気について、嫌でも考えさせられていたんだ。
なのに、僕はその事を考えもせず彼女に言葉の槍を投げつけた。
彼女にとって無責任な事ばかり言って、何一つ彼女に配慮出来ていなかったんだ。
その事が……今、酷く悔やまれる。
「……何か、前兆のような物が分かったりするのか…?」
「体は特に何も無いよ。でも、この間の結晶化の事件があってから……嫌でも考えるようになったんだ。」
「……どこまで覚えている…?あの事件の時、お前は気絶していた。」
「レンブラントさんから聞いたんだ。君が助けに来てくれた事も、中庭の花が結晶化していたことも……全て。」
なるほど。あのたぬき爺が言ったのか。
それなら納得だな。
だが、一つ言わせてもらうなら。余計なことを言ってくれたなという気持ちだ。
彼女があの事件の詳細をどこまで知ってるのかは定かでは無いが、あの時僕は彼女の口に口付けをしている。
それがバレているのか、バレていないのか…。
それに彼女の性格からして、そんな事を言われれば気にする事は明らかなのに…。
本当、余計なことをしてくれたな、レンブラントよ。
「…怖いよな。」
「正直、怖くないと言えば…嘘になる。でも仕方がないとも思うんだ。」
「……結晶化は、指輪を外さなければ大丈夫だと言われていたが…少し調べて見る必要がありそうだな。」
彼女の為に〝フロラシオン〟のことを調べる。
それが、これからの僕に課せられた使命だと思ったし、彼女を助けられるというのなら何でもしたいと思うのが心情だった。
「……ふふ。でも、〝フロラシオン〟の事を調べるったって…政府の研究機関じゃないと、分からないんだよ?どうやって調べる気なんだい?」
「そんなの、どうにかしてに決まってるだろう?お前が苦しむ姿をただ見てろって言うのか?案外、残酷なことを言うんだな?」
「ふふっ、ふふ、ははっ…!」
まるで“自分が悪かった”とでも言いたいような笑い方で、彼女が僕の腕の中で暫く笑っている。
それは少しだけ、泣き笑いのような声でもあった。
色んな感情が含まれたその笑いを聞いた僕は、胸が締め付けられるようだった。
彼女を笑わせる為に言った冗談だったとは言え、割と本気で〝フロラシオン〟について調べようと思っていた。
でなければ、いつまで経っても彼女に笑顔が戻らず、憂いも晴れてはくれないだろう。
僕は、もう寝ろという意味を込めて彼女を抱き締めたまま、背中を優しく叩いてやったのだった。
その日を境にして、僕は学校帰りに例のあの屋敷に通うようになった。
決まって彼女はバトルシミュレーターで汗を流していたが、僕に気付けばすぐ訓練を中止させ、こちらに走り寄ってきてくれる。
そして笑顔で出迎えてくれるのだ。
「お疲れ様、リオン。学校はどうだった?」
「いつもと変わらん。…だが、まぁ今日はいつもの授業とは異なっていたな。」
「どんな風に?」
「もうすぐ修学旅行がある。その為の前準備というやつだな。」
「あぁ。皆が喜んでいたやつだね?行先は決まったのかい?」
「やはり難航しているようだぞ。全員が全員、違う行き先を教師に提唱するものだからいくら時間を使っても決まらん。」
「え?でも、早くしないともうすぐで修学旅行の日になるんじゃない?」
不思議そうな顔で僕を見るスノウを見て、僕も溜め息と共に彼女にタオルを渡す。
そのタオルを受け取った彼女は笑顔でお礼を言って、軽く流れた汗を拭き取っていた。
「まぁ、色々事件があった後ということもあり、修学旅行の日取りは少し遅れることとなった。」
「そうなんだ。それは残念だったね?」
「…だが、これでお前が学校に戻ってくれば丁度行けるぞ?」
「お。それはいいねぇ!折角の学校生活なら、その行事も楽しみたいよね。…まぁ、周りのほとぼりが冷めない限りは難しいと思うけど…。」
少しだけ悲しそうに顔を俯かせた彼女を見て僕はそっと手を取り、大丈夫だと、その手を包み込んだ。
すると彼女はそれを見て、笑顔が戻り僕を見つめる。
僕もその笑顔につられて口元を緩ませれば、彼女は更に笑顔を重ねた。
この間の一件────彼女自身の在り方について先日じっくり話し合った結果、彼女は指輪に触れる事が少なくなっていた。
無論、指輪を外そうとすることもなくなっていた。
それを僕がどれほど安心したか。こいつに微塵も伝わらないのが悔しい。
「…ちなみに、お前なら修学旅行、何処に行きたいんだ?」
「え、私? そうだなぁ…?」
思いの外考え込む彼女を見て、僕も思考に耽る。
その思考は、言うまでもなく彼女の行きたいと思う修学旅行先だ。
やはり、一番に思い浮かぶのは彼女の出身地でもあるファンダリア地方だろうか。
あそこは気象科学が発展している場所だし、何より彼女の肌のような白い雪が有名な場所である。
雪道での歩き方を彼女は得意だと以前豪語していたし、それなりに思い入れのある場所だろう。
「…アイグレッテとか、かな?」
「ほう?その理由は?」
「あそこ、一般的には観光資源が無いと言われてる場所だけど…実は、大きな図書館があるんだよね。そこの本に興味があるのと…。ふふ、後は…秘密。」
恥ずかしそうに言う彼女に、僕は僅かに首を傾けさせる。
あそこに…何かあっただろうか。
先程彼女も言った通り、アイグレッテは街ではあるが大した観光資源もない上に、ただ大きな神殿や図書館があるだけで学生が好んで行くような場所や目ぼしい物はなかったはずだ。
それに修学旅行だというのに、"本が見たい"なんて…彼女らしいと言うかなんというか…。
「(やっぱり、覚えてないか…。あそこの花畑は…昔、君と一緒に遊んだ場所だったんだけどね…。)」
遠い目をした彼女を見ながら考えても一向に思いつかず、僕はこのモヤモヤした気持ちを晴らすために彼女に問いただす。
しかし彼女はそれ以上、教えてはくれなかった。
腰にある愛剣も、彼女がそこを選んだ理由は分からない様だったため、このモヤモヤした気持ちは晴れてはくれない。
僅かに顔を顰めさせた僕を笑う様に彼女がクスリとひとつ笑いを零していた。
「まぁ、お前の言葉だと僕からも進言してみよう。」
「いやいやいや…。それはやめておこうよ。ただの思い付きだからさ?皆で楽しめる場所へ行こうよ。それこそアクアヴェイルとか、ファンダリア地方は修学旅行でもおすすめの場所だと聞くよ?」
「まぁ、あそこは立派な観光地だからな。」
「後は海洋都市アマルフィとかね?」
「そこも人気な場所ではあったな。何人かのクラスメイトが自ら進言していた。」
修学旅行先について、彼女と想像以上の盛り上がりを見せあっという間に時間が過ぎてしまう。
本当なら、ここで泊まっていきたいのだが…彼女がそれを許してくれない。
あれほど、"僕と一緒に居たい"と…そう言ってくれていたのにだ。
どうせ、彼女の事だからマリアンの事を心配してだろうが…、僕からすればそんなこと関係ない。
お前が居て欲しいというなら、僕はいつだってここで泊まっていくし、ずっと傍に居る。
だからこの時間が過ぎていけばいくほど、そんな寂しい顔を見せないでくれ。
───帰りたくなくなる。
────離したくなくなる。
あぁ、お前は本当に嘘が下手だな。
「じゃあね、レディ。気を付けて帰るんだよ?」
「…なぁ、スノウ。」
「うん?」
「…今日は週末で明日は土日。そして、肝心の学校は休みだ。」
「そうだね。土日で学校に行くってなると…学祭とか文化祭とか、恒例の行事の前準備ばっかりじゃないかな?」
「あぁ。だから…、その…。」
「???」
あと一歩が言えない僕を見兼ねて、シャルが僕達の間に入ってくる。
その言葉は今の僕にとって有難い言葉であった。
『スノウ、坊ちゃんをここで泊めさせてもらえませんか?どうせ、明日休みなら坊ちゃんもここに来るでしょうし…。明日は会えない訳じゃないんですよね?』
「会えない訳じゃないと思うけど…。君が泊まりたいなら、私の方からレンブラントさんに言っておくよ。だから君は一旦帰ったらどうかな?泊まるならそれ相応の準備が要るでしょ?」
「あ、あぁ!そうするとしよう。」
『良かったですね…!坊ちゃん…!』
小声でそう言ったシャルに大きく頷けば、スノウが椅子から立ち上がり、何も言わずに扉の方へ向かっていく。
そして彼女は僕の方を振り返ると嬉しそうにはにかんで、こう言った。
「────ありがとう、リオン。」
僕がその言葉で呆然とすれば、逃げるようにして彼女はバトルシミュレーターのこの場所から去って行った。
それを見た僕は浮かれてしまう。
"もしかしたら、言葉にしなかっただけで彼女自身も僕に、ここに居て欲しいと思っていたのではないか"────なんて。
彼女のあの表情とさっきの言葉の真意は、彼女から何も聞いていないから僕にも分からない。
だが、そう思ってしまうほど彼女の頬は赤くなっていて、そして嬉しそうだったんだ。
だから、今の僕の顔は誰にも見せられないほど赤くなっているし、誰にも見せられない程嬉しそうな顔をしていると思う。
口元をにやけさせて、そして眉根を下げて困った顔をしているに違いない。
勿論、口元は見えない様に手で隠しているが。
『さぁ、坊ちゃん!準備のためにいったん帰りましょう!早くしないとスノウと居る時間が短くなってしまいますよ?』
「あ、あぁ…。それは困るな。」
正直な言葉が口から出て、少しだけ驚いた。
それもこれも、彼女が可愛い反応をするから悪いんだ。
僕はそれから一時帰宅をし、マリアンに話をつけると彼女もそれを聞いて嬉しそうに顔を綻ばせた。
彼女もまた、僕がスノウを大事にしていると知っている一人なのだから、その反応は当然と言っても過言ではない。
嬉しそうに泊まりの準備をする僕を優しい顔でマリアンが見ていたことに、その時の僕は気付かなかった。
゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.
____数時間後。
レンブラントの許可も得たことで、僕は泊まりの準備を終えて再びスノウの居るセキュリティのしっかりとしている建物へと戻ってきた。
どうも、スノウの持っている蒼いカードキーでは入り口は開けられないらしく、レンブラントの持っているカードキーで玄関の扉を開けて貰えば、中からはあの数時間の間で着替えたらしいスノウが飛び出してきて僕に抱き着いてくる。
無論、笑顔付きでだ。
待ち遠しかった、とでも表すような強い抱擁と歓迎に、僕は僅かに顔を赤らめながら抱き着いてきた彼女を受け止める。
すると、彼女の香りと共に入浴後のような…それこそシャンプーに似た洗剤の優しい香りが鼻を擽った。
それに彼女の体が火照るほど温かいのが何よりの証拠だろう。
いつもならこんなに体温は高くない彼女だからこそ、そう感じた。
「風呂でも入ってたのか?」
「え、分かる?流石だね?」
「お前の体温がここまで熱いわけないだろう?すぐに分かった。」
「ふふっ!そっか。…あとさ?ちょっと言ってみたかった言葉…ここで言ってもいい?」
「??」
「……"おかえり"、レディ。」
「…!」
スノウは、あの事件よりも前からずっと一人暮らしだった。
僕は帰れば、屋敷内でいつでもその言葉を聞いていた。
だからこそ、言った言葉の"重み"が違う。
そして僕がその言葉の意味を考えるよりも前に、彼女が笑顔でそう言ったことに僕は少しの感動を覚えていた。
だから無意識に…。それこそ反射的にと言ってもいいだろう。
僕はこの言葉を口にしていた。
「…ただいま。スノウ。」
ここは僕の家ではないけれど。
そして彼女の家でもないが、それでもその言葉達に無意識に胸が熱くなる。
…何だか今日は、僕にとって特別なイベントばかりだな。
「リオン坊ちゃん、手荷物はこちらで預かりましょうか。」
「あぁ、頼む。レンブラント。」
「お預かりいたします。」
レンブラントが辞儀をして颯爽と去っていく。
それを僕が黙って見送れば、目の前の彼女が僕の手を掴み、そして中へと連れて行ってくれる。
嬉しそうに振り返りながら「ご飯は?」とか、「お風呂もまだだよね?」など、とにかく僕の事を気にしてくれる。
…まさか、こんな日が来ようとはあの日常からは思いもしなかったな。
そんな彼女を僕が目を細めて口元を綻ばせれば、彼女も僕を見て嬉しそうにはにかむ。
あぁ…なんて、幸せなんだろう。
こんな日が、ずっと…ずっと………続いてくれればいいのに、な…。
そんなことを思いながら彼女なりの歓迎を受けていれば、途中でレンブラントに出会い、彼から彼女と同じ蒼いカードキーを渡される。
そして、レンブラントは何を思ったのか、僕の予想の範疇を越えた爆弾発言を投下した。
「リオン坊ちゃん、ちゃんとお部屋はスノウ様と同じにしてありますので。あとはごゆっくりとお楽しみくださいませ。」
「…は?ちょ、ちょっと待て、レンブラント!」
「このレンブラント、分かっておりますとも。リオン坊ちゃん。スノウ様とご一緒に寝られるんでございましょう?」
「ば、馬鹿か…!?そ、そそそんな…こと…出来る訳が…」
『(うわぁ…坊ちゃん、すごい動揺してる…。)』
「では、リオン坊ちゃん。どうぞ…夜長をお楽しみくださいませ。」
「れ、レンブラント!他に部屋は無いのか!」
「あるにはありますが…。よろしいのでありますか?リオン坊ちゃん。ここはスノウ様に男気を見せる時では?」
「別の部屋にしろっ!!///」
「承知しました。…ですがこのレンブラント、残念でありますぞ…?リオン坊ちゃんの男気が見られなくて…」
「良いから用意しろ!!!」
僕がそう怒鳴れば、レンブラントは泣く真似をやめて笑顔で去って行った。
あの爺…、狸か。
僕が赤い顔でそれを見送れば、さっきまで別の場所に居た彼女が帰ってくる。
そして僕の顔を見ては顔を傾けた。
それはそれは不思議そうな顔をして。
「??? レディ、顔が赤いけど…もしかしてこの間の熱が治ってない?」
「な、何でもない///」
「???????」
彼女は暫く不思議そうな顔をしていたが、僕が頑なに教えないと分かるとすぐに諦めてくれた。
そうして彼女との大切な時間が過ぎて行く。
夕食を食べ、一人で風呂に入り、その後は彼女とお茶をしながら暫しの会話を楽しむ。
尽きぬ話をシャルも含めて三人でやっていれば、早く時間が過ぎるというもの。
夜中の0時を回ろうとしている所で、彼女が時計に目をやり、途端にその目を大きくさせては何度か瞬かせた。
「…時間って、何でこうも早いんだろうね?もう零時過ぎるよ。」
「ふん…。それでも明日、明後日も僕はここに居るだろう?何を惜しむ必要がある。」
「それでも、月曜日になれば君はまた学校に行かなくちゃいけない。それに、学生の本分でもある宿題もしなくちゃいけないんじゃないかな?君は特にね?」
「明日の早いところでやってしまう。そうすればお前との時間も安心して取れるだろう?」
「リオン…!そこまで考えてくれてたんだ…?」
「お前が心配すると思ってな。ここへ泊まるための準備中ではあったが、そこまでは事前に計画していた。」
僕が優雅に紅茶を飲み干せば、嬉しそうに笑顔を零して彼女は笑う。
その笑顔で僕はフッと笑みを零した。
朝早くに宿題を終わらせて、そして彼女が憂慮する事のないようにしてから、彼女との大切な時間を思い切り過ごす。
それが僕の考えたプランだった。
感動したように声を上げた彼女は、その場に思い切り立ち上がったかと思えば、僕を立たせて扉の方へと背中を押す。
「早く寝て、明日に備えなくちゃダメだ」と話した、思いもよらない彼女の言葉に僕は背中を押されながら思わずプッと吹き出した。
彼女は僕の笑った声を聞いて顔をムッとさせていたが、まるで明日に旅行を控えた子供のような発想だった為、僕の笑いのツボにハマってしまったのだ。
これでももう歳も16な訳だから、そんな子供のように早寝をしなくとも朝の管理は出来る。
それなのに彼女は僕の朝寝坊を心配したのだ。
今までそんな事、したことがないと言うのに。
「ふっ、分かった。分かったから…背中から手を離せ。」
「ちなみに宿題はどれ位で終わりそうなんだい?あらかじめ知っておいたらそれに合わせるよ。」
「午前中ずっと、という訳じゃない。それにそんな無理難題な宿題を吹っかけられた訳でもないしな。……それより、僕の心配よりお前の方は勉強、大丈夫なのか?」
「問題ないよ。ちゃんと授業についていけるように予習も復習もしてるんだ。……それが無意味だということにならなければいいけど…ね。」
僅かにシャルのハッとした声が聞こえると同時に、緊迫した空気が伝わってくる。
それを肌で感じながら僕は、無言でスノウを見つめた。
今の彼女の瞳には憂いと同じくらい、寂しさや悲しみが含まれていた。
気付いてないとでも思ってるのか、そっと下の方で両手を合わせた彼女は自身の指同士を絡ませて、強く握っていた。
恐らく彼女の癖でもある“憂いていることがあれば指輪に触れる”というものを無意識に実行しているんだと思う。
僕は手を伸ばして彼女の強く握られた手を包み込む。
彼女の今の憂いを何とかして晴らしてやりたくて。
「……知識は幾らあっても足りることはない。勉強は大事だと思うぞ。」
「そうだね。大人になるためにも……頑張らなくちゃね。(…私は〝フロラシオン〟を発症してるのに、生きて大人になれるのかな…?そこまで、生き続けられる…?未知の病で、将来どうなるかなんて分かってないのに。)」
僕は微苦笑して俯いたスノウを見て、その体を抱き締めた。
……何か、良からぬことを考えている気がしたからだ。
研究施設での生活が長かった彼女。
あの先日の指輪の一件だって、僕はずっと知らずに過ごしてきた。
“僕の重荷になってるんじゃないか”なんて、そんな事、思ったことも口にしたこともないのにだ。
あんな閉塞的な空間にずっといたのだから、気持ちの大きな変化まで起きていてもおかしくはない。
その気持ちの変化を……見逃さないようにしなければ、取り返しのつかないことになりかねないだろう。
そこまで考えた僕は、更に強く彼女を抱き締めた。
「そこまで悲観することは無い。明日…また会えるだろう?」
「うん。……そうだね。」
彼女の今までの心情が伝わってくるかのような、そんな強さを持った彼女の手が僕の背中へと回り、服を掴む。
僕の肩へと頭を乗せた彼女はポツリと零した。
「……ごめん、少しだけ不安になっただけ……。」
そして逃げようとする彼女の体をそのまま逃がさないように閉じ込めておくと、彼女はそれに甘えてくれた。
暫くそのままでいたが、彼女が突然、僕の服を強く掴み、そのまま手が僕の胸を押すために前へと来てしまう。
僕がそっと離れれば、彼女は困った顔で笑っていた。
「……早く寝なくちゃ。明日の為にも。」
「……不安か?」
「そんな事ないよ。子供じゃないんだから。」
そう言って逃げるように去ろうとした彼女を見て、僕はとある決意をする。
とんでもない事を今から口走ると、頭では理解している。
でも今の彼女を見て、頭で理解するよりも感情的な心や気持ちの方が強かった。
「一緒に寝れば、怖くないだろう?」
「!!」
嫌われるとか、そんな事も頭をよぎった。
でも、それよりも……愛おしいと想う彼女が辛い思いをしているなら、それを拭い去ってやりたい。
だから嫌われる覚悟で僕はそう言葉にした。
すると、彼女は瞳を少しばかり揺らした後、少し考える素振りをする。
僕が黙ったまま待っていれば、彼女は半分こちらに向けていた体を恐る恐るこちらへと向け、僕を見つめ返した。
そしてゆっくりと口を開いた。
「…………君さえ、良ければね…?」
「あぁ。なら、そうするか。」
『(おぉぉぉぉ…!!!これはすごい進歩ですよ?!!坊ちゃん!!)』
シャルティエは静かに感動していた。
そんなこと、2人には分からなかったのだろうが、それでもシャルティエの感動は筆舌に尽くし難いものであった。
コアクリスタルを閉じ、静かに泣いたシャルティエを知らない二人は移動を開始した。
スノウの部屋に着いた二人をチラリと見るように、再びシャルティエがコアクリスタルを覗かせる。
「……あの花は…。」
「君から貰った、大切な花を早々に枯らすと思う?とても……とても大事にしてるよ。」
スノウが机の上の紫陽花の近くに寄る。
そして、それをまるで壊れ物のようにそっと触れていた。
僕はそれを見て、贈った甲斐が有ると笑ってやる。
それを見ていたスノウも、僕の顔を見た後に紫陽花の花を見て、フワリと笑った。
そのまま僕らはベッドへと上がり、お互いを見ながら目を閉じた。
しかしそれは僕だけだったようで、次の瞬間、目を閉じたはずの彼女が僕の近くに寄って僕を抱きしめていた。
それに顔が赤くならないはずもないが、元を言えばこれは僕が言い出したことだ、と僕は顔が真っ赤になったまま彼女を抱き締め返す。
すると、また彼女がポツリと言葉を零す。
それは、今まで聞いたことのない彼女の弱音と本音だった。
「……私は、」
「…?」
「私は普通の人と…違う。未知の病である〝フロラシオン〟を発症した珍しい人間だ。」
「……。」
「いつ…、どこで…、どうなるかなんて…誰にも分からない。もしかしたら、大人になる前に〝フロラシオン〟に侵されて死に至るかもしれない……。」
「……!!」
今まで何故僕は、その事を考えてこなかったんだろう。
彼女はずっと自分の罹った病気について、嫌でも考えさせられていたんだ。
なのに、僕はその事を考えもせず彼女に言葉の槍を投げつけた。
彼女にとって無責任な事ばかり言って、何一つ彼女に配慮出来ていなかったんだ。
その事が……今、酷く悔やまれる。
「……何か、前兆のような物が分かったりするのか…?」
「体は特に何も無いよ。でも、この間の結晶化の事件があってから……嫌でも考えるようになったんだ。」
「……どこまで覚えている…?あの事件の時、お前は気絶していた。」
「レンブラントさんから聞いたんだ。君が助けに来てくれた事も、中庭の花が結晶化していたことも……全て。」
なるほど。あのたぬき爺が言ったのか。
それなら納得だな。
だが、一つ言わせてもらうなら。余計なことを言ってくれたなという気持ちだ。
彼女があの事件の詳細をどこまで知ってるのかは定かでは無いが、あの時僕は彼女の口に口付けをしている。
それがバレているのか、バレていないのか…。
それに彼女の性格からして、そんな事を言われれば気にする事は明らかなのに…。
本当、余計なことをしてくれたな、レンブラントよ。
「…怖いよな。」
「正直、怖くないと言えば…嘘になる。でも仕方がないとも思うんだ。」
「……結晶化は、指輪を外さなければ大丈夫だと言われていたが…少し調べて見る必要がありそうだな。」
彼女の為に〝フロラシオン〟のことを調べる。
それが、これからの僕に課せられた使命だと思ったし、彼女を助けられるというのなら何でもしたいと思うのが心情だった。
「……ふふ。でも、〝フロラシオン〟の事を調べるったって…政府の研究機関じゃないと、分からないんだよ?どうやって調べる気なんだい?」
「そんなの、どうにかしてに決まってるだろう?お前が苦しむ姿をただ見てろって言うのか?案外、残酷なことを言うんだな?」
「ふふっ、ふふ、ははっ…!」
まるで“自分が悪かった”とでも言いたいような笑い方で、彼女が僕の腕の中で暫く笑っている。
それは少しだけ、泣き笑いのような声でもあった。
色んな感情が含まれたその笑いを聞いた僕は、胸が締め付けられるようだった。
彼女を笑わせる為に言った冗談だったとは言え、割と本気で〝フロラシオン〟について調べようと思っていた。
でなければ、いつまで経っても彼女に笑顔が戻らず、憂いも晴れてはくれないだろう。
僕は、もう寝ろという意味を込めて彼女を抱き締めたまま、背中を優しく叩いてやったのだった。