NEN(現パロ風?)
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08.文通と贈り物
机の上には大量の便箋。
しかし、その内のほとんどがクシャクシャにされていて、使い物にならない。
必死な様子で便箋に向かう彼を見て、机の上に置き去りにされたシャルティエはひっそりと優しい溜息を吐く。
いつもスマートに物事をこなす目の前の主人も、最愛の人への手紙となればそうはいかないらしい。
何度も書き直している彼と、そのクシャクシャにされた可哀想な便箋たちを見てシャルティエはコアクリスタルに明るい色を灯す。
この手紙が少しでも、主人とその最愛の人を繋ぐと信じて―――
「―――よし。」
『出来ましたか?坊ちゃん。』
「あぁ。これで良いはずだ。後は…マリアンだが…。」
『扉が施錠されてますから呼びようがないですね…?』
「呼びましたか?エミリオ。」
「『え、』」
堂々と扉から現れたマリアンをポカンと見ると、その手には紫陽花の花束が持たれている。
どうやら最終確認のために持ってきたらしい事が分かる。
納得したと同時に、マリアンの持っている紫陽花を見てリオンも大きく頷いた。
「これと、それをスノウに渡せるか?」
「執事のレンブラントに託しますので大丈夫ですよ。今日中に届くと思います。」
「分かった。じゃあ、頼む。」
「ええ。喜んでくださるといいわね?」
「あぁ。そうだね、マリアン。」
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
___スノウのいる屋敷内
「スノウ様。」
「うん?」
声を掛けられ、後ろを振り返ればレンブラントさんが両手で支えなければいけない程の何かを持っているのに気付き、手伝おうと近寄る。
すると、それが紫陽花の花束だという事に気付いた。
「リオン坊ちゃんから言付かりました。こちらと…それからこちらもです。」
渡されたのは薄紫色をした封筒と、有り余るほど沢山の紫色の紫陽花だった。
中には青紫や赤紫もあり、とてもよく映えている。
部屋に持って行って飾りますね、というレンブラントさんにお礼を言い、私は歩きながら手紙を読むことにした。
《拝啓 スノウ・エルピス様
連日の雨で寒さが増すこの時期、寒さに震えている薔薇の贈り主を哀れに思う今日この頃。》
「ふふ…。私が雨を苦手だとしていること、彼は知っているからね。彼らしい時候の挨拶だ。」
《心配された熱も下がり、今か今かと薔薇の主が現れるのを待つ時間が酷く長く感じる。
どんな理由があるのかこちらからは想像もつかないが、果たして、その薔薇の主はいつやって来るのやらと時計を見るのも飽きてきた。
その上、先日の様な事件を起こされて日がな一日心配で胸が苦しくなるのも、もう終わりにしたいと思っている。》
「……!」
《次は手紙ではなく、直接会えることを心の底から切に願う。
────薔薇の主を心の底から心配する者より》
心臓がドクリと跳ね上がる。
体温が否応なしに上がっていくのを感じながら、私は頬に手を当てて熱を逃がそうと試みた。
しかしその熱は逃がしても体の中にずっと燻って逃げてくれない。
その上、余計に体温を上げるのに時間は掛からなかった。
それの理由としては───
《追伸
薔薇の主の……お前からの手紙を燃やすなど、ある筈もないだろう?
大事に、大切に、仕舞っている。》
私が彼の手紙を大事に仕舞っておくなら分かるが、彼が私のあんな手紙を大事に取っておいてくれるとは思わなかった。
何だか照れくさくて、更に上がった体温にどうしようもない気持ちが湧き上がってきて…………でも、やっぱり嬉しくて。
手紙をそっと口に寄せれば、彼の匂いがした気がして、大事に仕舞いたいと思った。
火照て赤くなった顔を隠すかのように手紙で隠せば、紫陽花を飾り終わったレンブラントさんに不思議そうに見られた。
お礼を伝え、中に入ると机の上を彩る紫色。
思わず笑顔になって近寄ると、植物の良い香りがやってくる。
「……彼には全てお見通しだね。」
紫は彼の“本来の瞳の色”だった。
紫水晶の様な、あの瞳の色が私はとても好きだった。
私と〝誓約〟をしたせいで、全ての色を失ってしまった彼の色…。
変身すればその色に戻るけど、それもたったの一瞬だ。
戦闘が終わって、変身が解かれればその瞳はまた色を喪って黒になってしまう。
それは私にも言えることだけど、彼の色は私にとって特別で、大事な色だった。
それが喪われた時、心の底から後悔した。
自分さえ居なければ、彼がその色を喪う事が無かったのに。
自分さえ居なければ、彼が私の命を握るという重荷にならなくて済んだのに。
自分さえ居なければ────彼は愛する人とずっと過ごせたのに。
……時折、指輪を見ては外したくなる。
これを外せば、彼は自由の身だ。
私に縛られる事もなく、そして〝星の誓約者〟としての使命に縛られることもない。
という事は、だ。彼が〈シャドウ〉と戦うという危険な使命に追われる事も無く、その尊い命を脅かす事もないという事だ。
ただ日常を過ごして、そして愛する人と付き合い、何れ愛する人と結婚する。
普通の人なら出来るそれを、この指輪が奪ってしまってるのだ。
だからこそ、思う─────今誰かに狙われてる自分と一緒にいれば、彼は余計に危険な目に遭うだろう。
そうすれば、その“普通の事”が現実的に実現出来なくなってしまい、“普通”ではなくなってしまう。
それだけは……嫌だ。
彼の重荷になるくらいならこんな指輪、幾らでも抜き取ってやる。
「……。」
それなのに……、彼の顔が脳裏に浮かんで、指輪を掴んでいる手を止めてしまう。
あの日誓った……子供の頃の誓い。
たかが、子供の頃だと思うだろう?
でも……あの時の言葉、本当に嬉しくて今でも忘れられないんだ。
「……リオン、私は…」
「スノウ様。こちらに便箋を置いておきますね?」
「はい…。ありがとうございます、レンブラントさん。」
「いえいえ、これくらい。お書きになったらまたお申し付けくださいませ。」
「はい。その時はまたよろしくお願いします。」
レンブラントさんはお辞儀を一つして、颯爽と去って行った。
仕事の忙しい方だから、あまり手は止めたくないが…こればかりは仕方ない。
私は机へと向かい、便箋に書く前に軽く下書きをする。
ああでもない、こうでもない…と考える時間が少しだけ心躍らせていたのを、その時私は気付いていなかった。
*.○。・.: * .。○・。.。:*。○。:.・。*.○。・.: * .。○・*.
____リオンの自宅(豪邸)
あの手紙から2日経った。
未だ本人が僕の目の前に姿を現す事もなく、はたまた、例の手紙がやってくる事もない。
時間だけが悪戯に、ただただ過ぎていっていた。
『…遅いですねぇ? スノウも、手紙も。』
「…何かあったんだろうか。心配になる…。」
そんな事を話していると控えめにノックの音がし、入るように言えばマリアンが入ってくる。
でもその顔はあまり良い顔とは言えなくて、僕はマリアンの身を心配し、近付いた。
「…どうしたんだ?マリアン。」
『心なしか、顔色が悪いですね?なんでしょうか?』
「エミリオ。」
「なんだい?マリアン。」
「…心して聞いて欲しいの。」
「…あぁ、分かった…。」
深刻そうな様子のマリアンに思わず生唾を飲み込む。
一体何の話だ…?
そうして彼女の口から聞いた言葉は、充分僕の身を焦燥に駆る言葉だった。
「スノウさんが…、また攫われたらしいの…。男の人が来て、これを…」
彼女が持っていた紙を引ったくる様に奪い取り、その紙を急いで見ればこう書かれていた。
“お前の大事な女は頂いた。返して欲しくば、この場所まで来い。”
紙の下の方には殴り書きで書かれた住所が記載されていた。
無論、これが罠の可能性もある。
でも、彼女がもし攫われていたのだとしたら自分が助け出したいと思うのだ。
頭で何かを考えるよりも早く、僕の体は動き出していた。
外に出た僕はその紙に書かれていた住所まで走る。
『坊ちゃん! 罠の可能性とか無いんですか?!』
「…十二分に考えられる。だが…あいつがもし捕まっていたとしたら、僕は…!」
『坊ちゃん…。…分かりました!僕が探知しますから安心して下さい!』
「あぁ、頼んだ!」
あの住所の場所は、自宅からかなり離れている場所に存在する。
あんな場所にスノウが囚われているとは考えにくいが、行くしかあるまい。
…それに、もし罠だとしても何故彼女を付け狙うのか聞き出す事が出来るだろう。
以前に彼女を攫った輩であるかの確認も、な。
『あの建物でしょうか?』
大分走ってきた所でシャルの奴がそう言葉にするので、紙に書かれていた住所の建物を見る。
明らかに古びたコンテナ倉庫で、如何にも盗賊やら賊が居そうな怪しい場所である。
シャルの探知待ちをしながらその建物を注視すれば、コンテナ倉庫の陰でこちらを見ている男の姿があった。
『この建物の中に4人、それから建物の外に2人居ます。ですがスノウの反応はありません。…完全に罠ですね。』
「居ないなら居ないで、こちらとしては好都合だ。」
僕は手始めにこちらを見ていた男の方へと走り、シャルを突き付ける。
情けない声を出しながら腰を抜かす男を見下ろし、僕は冷淡に言葉を連ねた。
「よくもまぁ白昼堂々こんな事が出来るな。僕を捕らえて彼女を誘き寄せるつもりだったんだろうが、そうはさせないぞ。…何故彼女を付け狙う?」
「ひっ…!俺は知らない…!ただ、雇われただけで…!」
「じゃあ、その雇い主を連れてこい。」
剣を少しだけずらせば、転びながら慌ててコンテナ倉庫の方へと駆け出していく男。
そんな奴の後ろ姿を見ながら僕は鼻で笑ってやった。
『…全員でこちらに仕掛けてくるようです。坊ちゃんから見て、6時、3時、9時の方向です。』
「ふん、小賢しいな。」
武器を持って襲いかかって来た男共をものの数秒で気絶させ、一人だけ残しておいた。
勿論、例のことを聞く為にだ。
「答えろ。何故彼女を狙う?」
「な、何故ってそりゃあ…」
「…。」
言葉を濁す男の首にシャルを突き付けて、僅かに力を入れる。
血が滲むと、男は慌てて理由を話し始めた。
「な、謎の結晶を生み出す女がいるって聞いたんだ!!その結晶は裏取引で高値で取引される!!だから…!」
「…ほう? 何故貴様みたいな下賤の者がその結晶の事を知っている?」
『ま、まさか…それって〝フロラシオン〟の結晶の事…!? あれは政府がひた隠しにしていた機密事項なのに?!』
「し、知らねぇよ!裏取引をした事のある奴なら、数人に一人は知ってる情報だ!それに、その女を捕まえて、ある男と取引をすれば億や兆の金が動────」
刹那、男は倒れた。
僕が故意に剣を動かした訳じゃない。
だから別の奴が口止めとして殺したのだろう。
「流石です、リオン坊ちゃん。ここまでやっておいて下さるとは。」
「…レンブラント…。」
『な、なんでこの爺さんがここに?』
一瞬で行われた目の前の出来事。
そして突如介入して来たレンブラントを見れば、誰がこの男を殺ったか一目瞭然だった。
僕は剣を下ろし、溜め息を吐きながらレンブラントを見た。
「何故殺した?」
「“害虫”を駆除するのは当然の事で御座います、リオン坊ちゃん。スノウ様を穢す悪党共にはこの世を去って頂きませんと。」
「何故、レンブラントはスノウが狙われてるのを知ってるんでしょう…? それにさっきの…。何か裏があるとしか思えませんね…。」
「レンブラント、聞きたいことがある。」
「よろしいですが…、先ずはここを掃除してからでもよろしいですかな?一刻も早く駆除せねばなりませぬ故。」
「…そこは任せる。」
「有り難き幸せ。」
レンブラントは次々と気絶している男共の心臓にナイフを突き立てる。
音もなく絶命していく命を、僕は目を逸らす事で自身の気持ちを落ち着かせた。
…レンブラントが、こんなにも簡単に人を殺せる奴だとは思わなかった。
別の誰かを見ているんじゃないかって思えてしまう。
しかし事実を確認する為に後ろを振り向き、見ようとは思えない事から察するに、僕は今、現実逃避しているのだと認識させられてしまう。
「終わりましたよ。リオン坊ちゃん。」
「…そうか。」
僕はその一言がやっとだった。
質問したい事は沢山あったが、辺りから漂う血の臭いから一刻も早く離れたくて、僕はそのまま歩き出す。
「質問があったのでは?」
「…ここから離れたい。」
「でしたら、もう少しお待ち下さいませ。掃除を終わらせませんと。」
適当に歩いてその場から離れた僕に構わず、後ろで何かをしている気配がする。
血の臭いが鼻につかなくなってきた場所で待機していれば、今さっきまで“駆除”していたとは思えない立ち居振る舞いでレンブラントが颯爽と歩いて来た。
その服には不思議な事に、血が一切付着していなかった。
「お待たせしました。」
「…あぁ。」
「それで、ご質問とは?」
「…スノウが、狙われているのは本当なのか?」
「えぇ。もうここまで見られたからにはそろそろ頃合いでしょうし、車の中でお話させてもらっても?」
「あぁ、そうしてくれ。」
「かしこまりました。ではお車へどうぞ。」
高級そうな車がこんな辺鄙な地に停まっている。
違和感ありありなそれに、僕は思わず顔を歪めた。
それに構わずレンブラントは車の扉を開けるといつもの様に執事としてエスコートをしてくれる。
僕が無言でそれに乗れば、レンブラントは扉を閉めて運転席へと座り、何事も無かったかの様に車を発進させた。
「先日の誘拐事件───」
「…!」
「あれは、とある政府の役員が起こした暴挙でした。目的は…無論、スノウ様で御座いました。」
『やっぱり…!』
「政府の役員は警察の取り調べでこう言っていたそうです。“謎の結晶を持っているスノウ様を自宅に監禁すれば、一生お金に困る事はないと思った”と。」
「っ!!!」
どいつもこいつも…!
スノウを金稼ぎの道具としか見ていないではないか!!!
「そして今回もリオン坊ちゃんを捕らえて、スノウ様を誘き出そうとしていた訳ですが…。ここまででご質問がありますか?」
「何故、レンブラントがその事件の事を詳しく知っている?」
「これは旦那様───あなた様のお父上であるヒューゴ様からの命令で御座いました。リオン坊ちゃんの対となる存在で、〝星の誓約者〟であるスノウ様を保護せよ、と。」
「…。」
「スノウ様が色んな輩から狙われているのを以前から知っておられた旦那様が、スノウ様をセキュリティのしっかりしている場所で保護をしようとお考えになられていたのです。しかし、先に政府の役員に動かれてしまい、後手に回ってしまいました。無事助け出した後、スノウ様には現状をお伝えしています。そして…あの屋敷で保護されることをお望みになられたのですよ。」
「…そん、な…。」
『結構、重大な事が裏では起こってたんですね…?確かにオベロン社の総力を以ってすれば、監視カメラなどの映像妨害なんて簡単に出来てしまいます。だからあの時、妨害されていたんですね。誰にも認知されない様に…。』
「ですが…、最近ではスノウ様はご自身の在り方についてお悩みの様でして。」
「どういう事だ。」
「このままではリオン坊ちゃんに危害が加えられるのではないか。危険な目に遭うのではないか。果たして、そこまでして自分が生きている意味とは…」
「っ!?」
「あくまでも私の見解ですが、最近ではそう思われている節がありますね。」
昔…遠い昔。
それこそ、彼女が〝フロラシオン〟を発症してからだ。
未知なる病ということもあり、そして政府の機密事項でもある事から政府の施設に閉じ込められてしまった僕達。
離れ離れにさせられ、お互いの姿を確認出来ないまま僕は軟禁状態にあっていた。
だが僕は早い段階でその状態から解放された。
しかし、彼女は…施設に閉じ込められたままだったのだ。
〝星の誓約者〟として〈シャドウクリスタル〉破壊の任務以外は、彼女と会えなかった。
何度も何度も…その施設に行ったが会わせてもらえなかった。
ようやく中学…そして高校生になり、その施設から解放されて同じ学校へ行ける様になったというのに…また同じく軟禁状態にあってしまった彼女。
そしてそんな彼女は自身の事ではなく、僕の身を案じているのだという。
だからこそ、自分自身が許せないのだろうということは、彼女の性格を知っている僕からするとレンブラントのその言葉を聞いて簡単に納得出来てしまった。
シャルの言っていた通り、スノウが指輪を外そうとしていた事がそういう理由から形成されるのであれば…早くなんとか言い聞かせねば大変な事になりかねない!
「レンブラント…」
「一目でも会われて行かれませんか? スノウ様に。」
「…! あぁ!そうさせてもらう。」
「でしたら行き先を変更します。…あとそれから。」
「?」
「紫陽花の花、大変喜んでおいででしたよ? 自室に戻られてはずっと飽きもせず、紫陽花の花の前で嬉しそうに顔を綻ばせて見つめられていらっしゃいます。」
「そうか…!」
『良かったですね!坊ちゃん!』
それなら贈った甲斐があるというもの。
それでも彼女は思い悩んでいるのだろう、と思うと胸が苦しくなる。
以前したあの〝誓い〟の事は…彼女は忘れてしまったのだろうか?
〝星の誓約者〟の証であり、僕が彼女を────
「着きましたよ、リオン坊ちゃん。」
「…相変わらずここは訳の分からない場所にあるな。まるで迷路の様だ。」
「スノウ様をお守りする為にはこうでなくてはいけなかったのですよ。」
車の扉が開き、僕は玄関らしき扉へと向かうが…押しても引いても開きはしない。
その後ろからレンブラントがカードキーを扉へと押し当てると玄関の扉が開いた。
…なるほど、ここまでする必要があるという訳か。
「スノウ様は今、オベロン社が作り上げたバトルシミュレーターで体を動かされておられるはずです。」
「そんな物あったのか?」
「最近開発したばかりの製品でして。スノウ様にはその試運転もしてもらっています。〝星の誓約者〟様の皆様のお役に立てれば、と作り上げた物で御座いますから。」
「…何処にある?」
「今ご案内差し上げます。」
ゆっくりと歩いていくレンブラントの後ろを歩くと、屋敷内のメイドや執事が僕に向かって辞儀をする。
自宅と変わりないその光景に僕は視線を真っ直ぐに固定し、目を逸らさないままレンブラントの後を追いかける。
大分屋敷の奥に入り込んだと思ったら、レンブラントは懐から例のカードキーを取り出して扉近くの機械へと押し当てた。
音を立てて扉が開くと、中から激しい戦闘音が聞こえてくる。
中に入って行くレンブラントの後を再び追いかけ、僕も中へと入れば操作室、または監視室らしき場所へと入り込む。
目の前にはガラス張りになった場所があり、そこから中を覗けば巨大なドーム状の建物の中で架空の〈シャドウクリスタル〉や〈シャドウ〉を相手にしているスノウの姿があった。
変身していないので飛躍的な身体能力はないものの、一般人からすれば充分過ぎるその能力を遺憾なく発揮していた。
…それにしたって、動きがおかしい。
戦闘においての数コンマというのは、最悪命取りになる程大切な時間だ。
その数コンマ、彼女の動きが硬い時があるのが僕には違和感を覚えさせるものだった。
スノウの奴が何やら考え事しながら戦闘しているのが丸見えだった。
「擬似的な敵を作り出し、ホログラム化された〈シャドウ〉との戦闘です。リオン坊ちゃん、スノウ様の腕や足につけられているアクセサリが分かりますか?」
「…何かあるな。」
足首や手首に着けられているブレスレットやアンクレットの事だろう。
それは彼女のあの激しい動きでも揺れ動く事はない。
「あれは擬似的な痛みを装着者に与える物です。それにより、現実で怪我をする様な事はありませんが、何処を攻撃されたか分かるような仕組みとなっています。」
「説明は良い。あれと同じ物を。」
「かしこまりました。」
渡されたアクセサリを着け、僕はドームの中へと入る。
そして僕は力の限り彼女に向かって叫んだ。
「…スノウ!!!」
「っ!?」
声で気付いた彼女が驚きを表した顔でこちらを振り返る。
僕は彼女の近くに寄り、左手を挙げた。
一瞬戸惑った顔をしたが、彼女は僕の瞳を見て目を丸くする。
そして苦笑いをして左手を挙げたのだ。
そこへハイタッチを決めれば、お互いに姿が変わって行く。
振り返って指を絡め合い、目を閉じて次に目を開いた時に相手の瞳の奥の覚悟を垣間見るのだ。
それ見ろ、目を開けば彼女はもう困惑した顔なんかじゃない。
海色の瞳の奥を見れば、もう覚悟を決めた色を湛えていた。
「相手が仮想の敵だろうが、早くやってしまうぞ。」
「…ふふ。分かったよ、リオン。」
指を離して、お互いに最早相棒と呼ぶべき武器を手にする。
そして敵を見据えて、お互いに不敵な笑みを浮かべた。
「君と一緒なら、負ける気はしないよね!」
「さっきみたいに物事に耽る様なら容赦なく説教が飛んでくると思え。」
「ふふ、見られてたんだ? おぉ、怖い怖い…!」
『僕もいる事忘れないでくださいよ?!』
こうして僕達は仮想の敵に対して、お互いの力を思う存分奮う。
流石にお互いを知り尽くしている僕達だから、物の数分で片してしまえば、彼女も満足なのか笑顔で僕の方を見ていた。
しかし、随分と前からここで戦っていたのか彼女の疲労がピークに達した様で、彼女はその場で仰向けになって倒れてしまった。
僕が慌てて駆け寄れば、その顔はスッキリとした顔をしていた。
「…フッ。因みに、お前途中で左が甘かったからな?」
「ふふ…あははっ! それは失礼したね。善処するよ。」
「お前のそれは当てにならん。」
「ふふふっ!」
あぁ、彼女がこんなにも笑ってくれている。
それがどれだけ、僕の心を穏やかにしてくれるか。
「…やっぱ、たまには体を動かさないとね…?」
「何だ、運動不足で太ったのか?」
「レディ、もし彼女が出来たらそれは言っちゃいけないよ?張り手だけで済めばいいけど。」
「ふん、そんな女とは一生付き合わん。」
「そんな希望が叶う相手が見つかる事を祈ってるよ。」
「大きなお世話だ。」
お互いにその場で笑い合えば、ふと彼女が我に返った顔をしてそのままの姿で僕を見上げた。
「…レディ、何故ここに?」
「ふっ、あっははは…!」
次は僕が笑う番だった。
耐えきれないとばかりに腹を押さえて僕が笑い出せば、彼女は目を点にさせた。
しかしすぐに嬉しそうに笑みを溢れさせた。
「(あぁ…やっぱり、レディは私の心の栄養だ。レディの表情一つひとつが私の糧となる…。)」
「ふっ、ふふ…!お前、その質問は今更すぎないか?」
『本当ですよ!もっとそういう事は早くに聞いてくださいよ!』
「だって、聞く暇なんて無かったじゃないか。」
僕は笑いながら話す彼女へ手を伸ばしてやる。
その手を掴んでくれた彼女を引っ張り、立ち上がらせるとお互いに姿が変わる。
彼女の澄み渡る空の様な蒼い髪も、海色の綺麗な瞳も…全て黒に塗り潰された。
澄み渡る空の様な髪の時とは違い、短くなった髪を見つめ、そしてその黒の瞳を見つめれば、彼女は不思議そうな顔をして僕を見つめた。
「僕がここに来た理由か?」
「うん。君がここに入って来れるとは思ってなくてね。だから驚いたんだ。」
「…そうだな。では単刀直入に聞こう。…お前、最近僕と〝誓約〟したその指輪を外そうとするらしいな?」
「…何のこと?」
そう言うと、彼女は僕を見たままそっと指輪に触れる。
それは、彼女が嘘をつく時の癖だ。
やはり、そうか…。
「僕と前に誓った事を忘れたのか? “その指輪は絶対に、何が何でも外さない”…だったはずだろうが。」
「だから外してないじゃないか。これを外せば私はこの世から消えるんだよ?外すはずがない。」
「レンブラントから聞いた。お前が、お前自身の在り方について悩んでいる、と。」
優しい彼女の事だ。
他人の事を思って自身の命すら脅かす事など、考えられそうな事である。
こんなにも早く、危惧していた事態になるとは…な…。
「…お前に、誰が何を言ったか…僕は知らない。だが、この指輪の誓いの事だけは忘れるな。…絶対に、だ。」
「…。」
「心配なら何度でも言ってやる。何度も、何度だって。お前が煩いと言っても、僕はやめないぞ。」
「…レディ。」
「“僕達は二人で一つだ。だから、この指輪は絶対に、何が何でも外さない。…僕との約束だ。”」
「……うん。…うん。そうだね……。」
過去を振り返るように、彼女は指輪に触れながら目を閉じていた。
僕は祈る様にして言葉を紡いでいく。
今の彼女の心に響くと……、届くと信じて。
「だから……絶対に外してくれるな…。頼む…。」
「……リオン。」
彼女は悲しそうに俯いた後、僕に問うように言葉を重ねる。
「こう思った事はないかい? “誰かの命を握るなんて事、負担な上に重荷だ”」
「…そんな事、誰に言われた…?」
「“普通の生活がしたい”」
「…。」
「“〈シャドウクリスタル〉を破壊すると言う使命は…、〝星の誓約者〟は…正直に言えば重荷で迷惑だ。”」
「っ!!」
僕は羅列される彼女の言葉を止めようと、彼女の肩を掴む。
そんな根も葉もない噂を信じる彼女じゃない。
なら、何故そんな事を言い出したのか。
「…どうしたんだ、一体…。」
努めて、穏やかな声で聞き出す。
じゃないと、怒りに身を任せてしまいそうになる。
誰がお前にそんな事を言ったんだ。
誰がお前を陥れようとしている。
何故……僕の言葉を信じてくれない…?
「ずっと…思わない訳じゃなかった。私が君の負担になってるんじゃないかって…ずっと………そう、思ってた。〝フロラシオン〟を発症してしまった…あの時から。」
「っ?!」
「あの時はまだまだ子供だった。だから君と居られるのなら何だっていい…。…そう、思ってた。でも成長していくにつれて…、そしてあの施設に戻る度に…考える様になった。私が君の負担になっているのではないか、…と。」
「そんな事…!!」
「人の心の声なんて分かるはずもない。見えないものを見ようとしたって、成功するはずがない。…私は、……次第に君と会うのを躊躇する様になった。」
「!!!!!」
「でも…それと同時に心は……渇き続けた。その心を潤したくて、満たしたくて…。いけないと分かっていても、君を求めてしまう最低な自分が居た。あぁ…君を困らせてるのは私自身なのに、何故平気な顔をして会えるのだろうって…思った。」
あぁ…、苦しい。
悲しい…。
辛い…。
何故彼女は、僕の気持ちを無視する?
「今回の件でも、私が狙われていると知った時。始めに思ったのは君の安否だった。」
こんなにもすれ違って、
こんなにも彼女の存在が────遠い。
「ここで何とかしないと君に危害が行くかもしれない───そう考えた。だから私は、」
彼女が指輪を掴んだ。
僕はその手を上から強く、強く握り締める。
大事な彼女の指輪を抜き取らせないために。
「………………何故、」
「……。」
「……なぜ、僕の気持ちを…無視するんだ…?」
両手で掴んだ彼女の手を僕は顔の前まで持ち上げる。
「これは僕にとって、そこらの安い指輪でも、高級な指輪なんかでもない。僕とお前を繋ぐ、大事な…大事な特別な指輪なんだ…!」
「…!」
「僕は、お前に生きていて欲しい…!! なのに、何故その僕の気持ちを無視するような事をするっ?!」
「…でも、」
「そんなに…僕と居たくない、とお前は言うのか…?」
「……そんなの、狡いよ…。」
僕の手をすり抜けて、彼女は困った顔をしながら僕を抱き締めた。
僕はその小さな背中へ手をそっと添えた。
「……今のちゃんと聞いてたかい? 私が…どれだけ君の事を欲していたか…。そして最低な人間か…。」
「それの何処が最低な人間だと言うのか、聞かせてもらいたいものだがな…。」
「君と居る為に指輪を利用する様な人間だよ?…狡猾で、醜いだろう?」
「なら言わせてもらうが───」
僕は添えていた手の位置を変えて、彼女を強く抱き締めた。
「もっと、もっと狡猾であってくれ。もっとその指輪を利用してくれ。そして───僕を求めて、僕の為に生きてくれ、スノウ…!」
「…………その言葉、嘘だったら許さないからね? もう、我慢しないよ?」
「あぁ、それでいい…。それでいいから…!」
「……分かった。もう外さないよ。」
背中を優しく叩かれ、そして離れようとする彼女に分からせてやるため、僕は腕の力を強めた。
一向に離れない僕に疑問を持ったのか、彼女は何度か僕の背中を叩いてくる。
「……リオン?」
「……。」
「えっと……どうしたんだい?レディ?」
「……。」
いつまで経っても無言で居続ける僕に焦りを感じたのか、彼女が離れようと力を加える。
その微々たる力を僕は更に強く抱きしめる事で圧倒させた。
「うっ…。レディ…流石に…つぶ、れる…」
「これで少しは分かったか? …馬鹿が。」
「分かった、分かった、から…!」
流石に強すぎたか、苦しそうに呻く彼女の声を聞いて僕は溜息をつきながら離してやる。
慌てて離れた彼女は、胸に手を置きながら荒く息をしていた。
……少しだけ恨めしそうな顔ではあったが。
「……死ぬかと思った。」
「死に行こうとした人間がよく言うな?」
そして僕が彼女の手に触れようとしたら、まるで威嚇する猫のように警戒され、少しずつ後ずさっている。
それを見て僕は鼻で笑い、口元を歪めて言ってやった。
「逆にあの言葉、重々覚えておくんだな。僕がどれだけお前に執着しているか、分からせてやる。」
机の上には大量の便箋。
しかし、その内のほとんどがクシャクシャにされていて、使い物にならない。
必死な様子で便箋に向かう彼を見て、机の上に置き去りにされたシャルティエはひっそりと優しい溜息を吐く。
いつもスマートに物事をこなす目の前の主人も、最愛の人への手紙となればそうはいかないらしい。
何度も書き直している彼と、そのクシャクシャにされた可哀想な便箋たちを見てシャルティエはコアクリスタルに明るい色を灯す。
この手紙が少しでも、主人とその最愛の人を繋ぐと信じて―――
「―――よし。」
『出来ましたか?坊ちゃん。』
「あぁ。これで良いはずだ。後は…マリアンだが…。」
『扉が施錠されてますから呼びようがないですね…?』
「呼びましたか?エミリオ。」
「『え、』」
堂々と扉から現れたマリアンをポカンと見ると、その手には紫陽花の花束が持たれている。
どうやら最終確認のために持ってきたらしい事が分かる。
納得したと同時に、マリアンの持っている紫陽花を見てリオンも大きく頷いた。
「これと、それをスノウに渡せるか?」
「執事のレンブラントに託しますので大丈夫ですよ。今日中に届くと思います。」
「分かった。じゃあ、頼む。」
「ええ。喜んでくださるといいわね?」
「あぁ。そうだね、マリアン。」
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
___スノウのいる屋敷内
「スノウ様。」
「うん?」
声を掛けられ、後ろを振り返ればレンブラントさんが両手で支えなければいけない程の何かを持っているのに気付き、手伝おうと近寄る。
すると、それが紫陽花の花束だという事に気付いた。
「リオン坊ちゃんから言付かりました。こちらと…それからこちらもです。」
渡されたのは薄紫色をした封筒と、有り余るほど沢山の紫色の紫陽花だった。
中には青紫や赤紫もあり、とてもよく映えている。
部屋に持って行って飾りますね、というレンブラントさんにお礼を言い、私は歩きながら手紙を読むことにした。
《拝啓 スノウ・エルピス様
連日の雨で寒さが増すこの時期、寒さに震えている薔薇の贈り主を哀れに思う今日この頃。》
「ふふ…。私が雨を苦手だとしていること、彼は知っているからね。彼らしい時候の挨拶だ。」
《心配された熱も下がり、今か今かと薔薇の主が現れるのを待つ時間が酷く長く感じる。
どんな理由があるのかこちらからは想像もつかないが、果たして、その薔薇の主はいつやって来るのやらと時計を見るのも飽きてきた。
その上、先日の様な事件を起こされて日がな一日心配で胸が苦しくなるのも、もう終わりにしたいと思っている。》
「……!」
《次は手紙ではなく、直接会えることを心の底から切に願う。
────薔薇の主を心の底から心配する者より》
心臓がドクリと跳ね上がる。
体温が否応なしに上がっていくのを感じながら、私は頬に手を当てて熱を逃がそうと試みた。
しかしその熱は逃がしても体の中にずっと燻って逃げてくれない。
その上、余計に体温を上げるのに時間は掛からなかった。
それの理由としては───
《追伸
薔薇の主の……お前からの手紙を燃やすなど、ある筈もないだろう?
大事に、大切に、仕舞っている。》
私が彼の手紙を大事に仕舞っておくなら分かるが、彼が私のあんな手紙を大事に取っておいてくれるとは思わなかった。
何だか照れくさくて、更に上がった体温にどうしようもない気持ちが湧き上がってきて…………でも、やっぱり嬉しくて。
手紙をそっと口に寄せれば、彼の匂いがした気がして、大事に仕舞いたいと思った。
火照て赤くなった顔を隠すかのように手紙で隠せば、紫陽花を飾り終わったレンブラントさんに不思議そうに見られた。
お礼を伝え、中に入ると机の上を彩る紫色。
思わず笑顔になって近寄ると、植物の良い香りがやってくる。
「……彼には全てお見通しだね。」
紫は彼の“本来の瞳の色”だった。
紫水晶の様な、あの瞳の色が私はとても好きだった。
私と〝誓約〟をしたせいで、全ての色を失ってしまった彼の色…。
変身すればその色に戻るけど、それもたったの一瞬だ。
戦闘が終わって、変身が解かれればその瞳はまた色を喪って黒になってしまう。
それは私にも言えることだけど、彼の色は私にとって特別で、大事な色だった。
それが喪われた時、心の底から後悔した。
自分さえ居なければ、彼がその色を喪う事が無かったのに。
自分さえ居なければ、彼が私の命を握るという重荷にならなくて済んだのに。
自分さえ居なければ────彼は愛する人とずっと過ごせたのに。
……時折、指輪を見ては外したくなる。
これを外せば、彼は自由の身だ。
私に縛られる事もなく、そして〝星の誓約者〟としての使命に縛られることもない。
という事は、だ。彼が〈シャドウ〉と戦うという危険な使命に追われる事も無く、その尊い命を脅かす事もないという事だ。
ただ日常を過ごして、そして愛する人と付き合い、何れ愛する人と結婚する。
普通の人なら出来るそれを、この指輪が奪ってしまってるのだ。
だからこそ、思う─────今誰かに狙われてる自分と一緒にいれば、彼は余計に危険な目に遭うだろう。
そうすれば、その“普通の事”が現実的に実現出来なくなってしまい、“普通”ではなくなってしまう。
それだけは……嫌だ。
彼の重荷になるくらいならこんな指輪、幾らでも抜き取ってやる。
「……。」
それなのに……、彼の顔が脳裏に浮かんで、指輪を掴んでいる手を止めてしまう。
あの日誓った……子供の頃の誓い。
たかが、子供の頃だと思うだろう?
でも……あの時の言葉、本当に嬉しくて今でも忘れられないんだ。
「……リオン、私は…」
「スノウ様。こちらに便箋を置いておきますね?」
「はい…。ありがとうございます、レンブラントさん。」
「いえいえ、これくらい。お書きになったらまたお申し付けくださいませ。」
「はい。その時はまたよろしくお願いします。」
レンブラントさんはお辞儀を一つして、颯爽と去って行った。
仕事の忙しい方だから、あまり手は止めたくないが…こればかりは仕方ない。
私は机へと向かい、便箋に書く前に軽く下書きをする。
ああでもない、こうでもない…と考える時間が少しだけ心躍らせていたのを、その時私は気付いていなかった。
*.○。・.: * .。○・。.。:*。○。:.・。*.○。・.: * .。○・*.
____リオンの自宅(豪邸)
あの手紙から2日経った。
未だ本人が僕の目の前に姿を現す事もなく、はたまた、例の手紙がやってくる事もない。
時間だけが悪戯に、ただただ過ぎていっていた。
『…遅いですねぇ? スノウも、手紙も。』
「…何かあったんだろうか。心配になる…。」
そんな事を話していると控えめにノックの音がし、入るように言えばマリアンが入ってくる。
でもその顔はあまり良い顔とは言えなくて、僕はマリアンの身を心配し、近付いた。
「…どうしたんだ?マリアン。」
『心なしか、顔色が悪いですね?なんでしょうか?』
「エミリオ。」
「なんだい?マリアン。」
「…心して聞いて欲しいの。」
「…あぁ、分かった…。」
深刻そうな様子のマリアンに思わず生唾を飲み込む。
一体何の話だ…?
そうして彼女の口から聞いた言葉は、充分僕の身を焦燥に駆る言葉だった。
「スノウさんが…、また攫われたらしいの…。男の人が来て、これを…」
彼女が持っていた紙を引ったくる様に奪い取り、その紙を急いで見ればこう書かれていた。
“お前の大事な女は頂いた。返して欲しくば、この場所まで来い。”
紙の下の方には殴り書きで書かれた住所が記載されていた。
無論、これが罠の可能性もある。
でも、彼女がもし攫われていたのだとしたら自分が助け出したいと思うのだ。
頭で何かを考えるよりも早く、僕の体は動き出していた。
外に出た僕はその紙に書かれていた住所まで走る。
『坊ちゃん! 罠の可能性とか無いんですか?!』
「…十二分に考えられる。だが…あいつがもし捕まっていたとしたら、僕は…!」
『坊ちゃん…。…分かりました!僕が探知しますから安心して下さい!』
「あぁ、頼んだ!」
あの住所の場所は、自宅からかなり離れている場所に存在する。
あんな場所にスノウが囚われているとは考えにくいが、行くしかあるまい。
…それに、もし罠だとしても何故彼女を付け狙うのか聞き出す事が出来るだろう。
以前に彼女を攫った輩であるかの確認も、な。
『あの建物でしょうか?』
大分走ってきた所でシャルの奴がそう言葉にするので、紙に書かれていた住所の建物を見る。
明らかに古びたコンテナ倉庫で、如何にも盗賊やら賊が居そうな怪しい場所である。
シャルの探知待ちをしながらその建物を注視すれば、コンテナ倉庫の陰でこちらを見ている男の姿があった。
『この建物の中に4人、それから建物の外に2人居ます。ですがスノウの反応はありません。…完全に罠ですね。』
「居ないなら居ないで、こちらとしては好都合だ。」
僕は手始めにこちらを見ていた男の方へと走り、シャルを突き付ける。
情けない声を出しながら腰を抜かす男を見下ろし、僕は冷淡に言葉を連ねた。
「よくもまぁ白昼堂々こんな事が出来るな。僕を捕らえて彼女を誘き寄せるつもりだったんだろうが、そうはさせないぞ。…何故彼女を付け狙う?」
「ひっ…!俺は知らない…!ただ、雇われただけで…!」
「じゃあ、その雇い主を連れてこい。」
剣を少しだけずらせば、転びながら慌ててコンテナ倉庫の方へと駆け出していく男。
そんな奴の後ろ姿を見ながら僕は鼻で笑ってやった。
『…全員でこちらに仕掛けてくるようです。坊ちゃんから見て、6時、3時、9時の方向です。』
「ふん、小賢しいな。」
武器を持って襲いかかって来た男共をものの数秒で気絶させ、一人だけ残しておいた。
勿論、例のことを聞く為にだ。
「答えろ。何故彼女を狙う?」
「な、何故ってそりゃあ…」
「…。」
言葉を濁す男の首にシャルを突き付けて、僅かに力を入れる。
血が滲むと、男は慌てて理由を話し始めた。
「な、謎の結晶を生み出す女がいるって聞いたんだ!!その結晶は裏取引で高値で取引される!!だから…!」
「…ほう? 何故貴様みたいな下賤の者がその結晶の事を知っている?」
『ま、まさか…それって〝フロラシオン〟の結晶の事…!? あれは政府がひた隠しにしていた機密事項なのに?!』
「し、知らねぇよ!裏取引をした事のある奴なら、数人に一人は知ってる情報だ!それに、その女を捕まえて、ある男と取引をすれば億や兆の金が動────」
刹那、男は倒れた。
僕が故意に剣を動かした訳じゃない。
だから別の奴が口止めとして殺したのだろう。
「流石です、リオン坊ちゃん。ここまでやっておいて下さるとは。」
「…レンブラント…。」
『な、なんでこの爺さんがここに?』
一瞬で行われた目の前の出来事。
そして突如介入して来たレンブラントを見れば、誰がこの男を殺ったか一目瞭然だった。
僕は剣を下ろし、溜め息を吐きながらレンブラントを見た。
「何故殺した?」
「“害虫”を駆除するのは当然の事で御座います、リオン坊ちゃん。スノウ様を穢す悪党共にはこの世を去って頂きませんと。」
「何故、レンブラントはスノウが狙われてるのを知ってるんでしょう…? それにさっきの…。何か裏があるとしか思えませんね…。」
「レンブラント、聞きたいことがある。」
「よろしいですが…、先ずはここを掃除してからでもよろしいですかな?一刻も早く駆除せねばなりませぬ故。」
「…そこは任せる。」
「有り難き幸せ。」
レンブラントは次々と気絶している男共の心臓にナイフを突き立てる。
音もなく絶命していく命を、僕は目を逸らす事で自身の気持ちを落ち着かせた。
…レンブラントが、こんなにも簡単に人を殺せる奴だとは思わなかった。
別の誰かを見ているんじゃないかって思えてしまう。
しかし事実を確認する為に後ろを振り向き、見ようとは思えない事から察するに、僕は今、現実逃避しているのだと認識させられてしまう。
「終わりましたよ。リオン坊ちゃん。」
「…そうか。」
僕はその一言がやっとだった。
質問したい事は沢山あったが、辺りから漂う血の臭いから一刻も早く離れたくて、僕はそのまま歩き出す。
「質問があったのでは?」
「…ここから離れたい。」
「でしたら、もう少しお待ち下さいませ。掃除を終わらせませんと。」
適当に歩いてその場から離れた僕に構わず、後ろで何かをしている気配がする。
血の臭いが鼻につかなくなってきた場所で待機していれば、今さっきまで“駆除”していたとは思えない立ち居振る舞いでレンブラントが颯爽と歩いて来た。
その服には不思議な事に、血が一切付着していなかった。
「お待たせしました。」
「…あぁ。」
「それで、ご質問とは?」
「…スノウが、狙われているのは本当なのか?」
「えぇ。もうここまで見られたからにはそろそろ頃合いでしょうし、車の中でお話させてもらっても?」
「あぁ、そうしてくれ。」
「かしこまりました。ではお車へどうぞ。」
高級そうな車がこんな辺鄙な地に停まっている。
違和感ありありなそれに、僕は思わず顔を歪めた。
それに構わずレンブラントは車の扉を開けるといつもの様に執事としてエスコートをしてくれる。
僕が無言でそれに乗れば、レンブラントは扉を閉めて運転席へと座り、何事も無かったかの様に車を発進させた。
「先日の誘拐事件───」
「…!」
「あれは、とある政府の役員が起こした暴挙でした。目的は…無論、スノウ様で御座いました。」
『やっぱり…!』
「政府の役員は警察の取り調べでこう言っていたそうです。“謎の結晶を持っているスノウ様を自宅に監禁すれば、一生お金に困る事はないと思った”と。」
「っ!!!」
どいつもこいつも…!
スノウを金稼ぎの道具としか見ていないではないか!!!
「そして今回もリオン坊ちゃんを捕らえて、スノウ様を誘き出そうとしていた訳ですが…。ここまででご質問がありますか?」
「何故、レンブラントがその事件の事を詳しく知っている?」
「これは旦那様───あなた様のお父上であるヒューゴ様からの命令で御座いました。リオン坊ちゃんの対となる存在で、〝星の誓約者〟であるスノウ様を保護せよ、と。」
「…。」
「スノウ様が色んな輩から狙われているのを以前から知っておられた旦那様が、スノウ様をセキュリティのしっかりしている場所で保護をしようとお考えになられていたのです。しかし、先に政府の役員に動かれてしまい、後手に回ってしまいました。無事助け出した後、スノウ様には現状をお伝えしています。そして…あの屋敷で保護されることをお望みになられたのですよ。」
「…そん、な…。」
『結構、重大な事が裏では起こってたんですね…?確かにオベロン社の総力を以ってすれば、監視カメラなどの映像妨害なんて簡単に出来てしまいます。だからあの時、妨害されていたんですね。誰にも認知されない様に…。』
「ですが…、最近ではスノウ様はご自身の在り方についてお悩みの様でして。」
「どういう事だ。」
「このままではリオン坊ちゃんに危害が加えられるのではないか。危険な目に遭うのではないか。果たして、そこまでして自分が生きている意味とは…」
「っ!?」
「あくまでも私の見解ですが、最近ではそう思われている節がありますね。」
昔…遠い昔。
それこそ、彼女が〝フロラシオン〟を発症してからだ。
未知なる病ということもあり、そして政府の機密事項でもある事から政府の施設に閉じ込められてしまった僕達。
離れ離れにさせられ、お互いの姿を確認出来ないまま僕は軟禁状態にあっていた。
だが僕は早い段階でその状態から解放された。
しかし、彼女は…施設に閉じ込められたままだったのだ。
〝星の誓約者〟として〈シャドウクリスタル〉破壊の任務以外は、彼女と会えなかった。
何度も何度も…その施設に行ったが会わせてもらえなかった。
ようやく中学…そして高校生になり、その施設から解放されて同じ学校へ行ける様になったというのに…また同じく軟禁状態にあってしまった彼女。
そしてそんな彼女は自身の事ではなく、僕の身を案じているのだという。
だからこそ、自分自身が許せないのだろうということは、彼女の性格を知っている僕からするとレンブラントのその言葉を聞いて簡単に納得出来てしまった。
シャルの言っていた通り、スノウが指輪を外そうとしていた事がそういう理由から形成されるのであれば…早くなんとか言い聞かせねば大変な事になりかねない!
「レンブラント…」
「一目でも会われて行かれませんか? スノウ様に。」
「…! あぁ!そうさせてもらう。」
「でしたら行き先を変更します。…あとそれから。」
「?」
「紫陽花の花、大変喜んでおいででしたよ? 自室に戻られてはずっと飽きもせず、紫陽花の花の前で嬉しそうに顔を綻ばせて見つめられていらっしゃいます。」
「そうか…!」
『良かったですね!坊ちゃん!』
それなら贈った甲斐があるというもの。
それでも彼女は思い悩んでいるのだろう、と思うと胸が苦しくなる。
以前したあの〝誓い〟の事は…彼女は忘れてしまったのだろうか?
〝星の誓約者〟の証であり、僕が彼女を────
「着きましたよ、リオン坊ちゃん。」
「…相変わらずここは訳の分からない場所にあるな。まるで迷路の様だ。」
「スノウ様をお守りする為にはこうでなくてはいけなかったのですよ。」
車の扉が開き、僕は玄関らしき扉へと向かうが…押しても引いても開きはしない。
その後ろからレンブラントがカードキーを扉へと押し当てると玄関の扉が開いた。
…なるほど、ここまでする必要があるという訳か。
「スノウ様は今、オベロン社が作り上げたバトルシミュレーターで体を動かされておられるはずです。」
「そんな物あったのか?」
「最近開発したばかりの製品でして。スノウ様にはその試運転もしてもらっています。〝星の誓約者〟様の皆様のお役に立てれば、と作り上げた物で御座いますから。」
「…何処にある?」
「今ご案内差し上げます。」
ゆっくりと歩いていくレンブラントの後ろを歩くと、屋敷内のメイドや執事が僕に向かって辞儀をする。
自宅と変わりないその光景に僕は視線を真っ直ぐに固定し、目を逸らさないままレンブラントの後を追いかける。
大分屋敷の奥に入り込んだと思ったら、レンブラントは懐から例のカードキーを取り出して扉近くの機械へと押し当てた。
音を立てて扉が開くと、中から激しい戦闘音が聞こえてくる。
中に入って行くレンブラントの後を再び追いかけ、僕も中へと入れば操作室、または監視室らしき場所へと入り込む。
目の前にはガラス張りになった場所があり、そこから中を覗けば巨大なドーム状の建物の中で架空の〈シャドウクリスタル〉や〈シャドウ〉を相手にしているスノウの姿があった。
変身していないので飛躍的な身体能力はないものの、一般人からすれば充分過ぎるその能力を遺憾なく発揮していた。
…それにしたって、動きがおかしい。
戦闘においての数コンマというのは、最悪命取りになる程大切な時間だ。
その数コンマ、彼女の動きが硬い時があるのが僕には違和感を覚えさせるものだった。
スノウの奴が何やら考え事しながら戦闘しているのが丸見えだった。
「擬似的な敵を作り出し、ホログラム化された〈シャドウ〉との戦闘です。リオン坊ちゃん、スノウ様の腕や足につけられているアクセサリが分かりますか?」
「…何かあるな。」
足首や手首に着けられているブレスレットやアンクレットの事だろう。
それは彼女のあの激しい動きでも揺れ動く事はない。
「あれは擬似的な痛みを装着者に与える物です。それにより、現実で怪我をする様な事はありませんが、何処を攻撃されたか分かるような仕組みとなっています。」
「説明は良い。あれと同じ物を。」
「かしこまりました。」
渡されたアクセサリを着け、僕はドームの中へと入る。
そして僕は力の限り彼女に向かって叫んだ。
「…スノウ!!!」
「っ!?」
声で気付いた彼女が驚きを表した顔でこちらを振り返る。
僕は彼女の近くに寄り、左手を挙げた。
一瞬戸惑った顔をしたが、彼女は僕の瞳を見て目を丸くする。
そして苦笑いをして左手を挙げたのだ。
そこへハイタッチを決めれば、お互いに姿が変わって行く。
振り返って指を絡め合い、目を閉じて次に目を開いた時に相手の瞳の奥の覚悟を垣間見るのだ。
それ見ろ、目を開けば彼女はもう困惑した顔なんかじゃない。
海色の瞳の奥を見れば、もう覚悟を決めた色を湛えていた。
「相手が仮想の敵だろうが、早くやってしまうぞ。」
「…ふふ。分かったよ、リオン。」
指を離して、お互いに最早相棒と呼ぶべき武器を手にする。
そして敵を見据えて、お互いに不敵な笑みを浮かべた。
「君と一緒なら、負ける気はしないよね!」
「さっきみたいに物事に耽る様なら容赦なく説教が飛んでくると思え。」
「ふふ、見られてたんだ? おぉ、怖い怖い…!」
『僕もいる事忘れないでくださいよ?!』
こうして僕達は仮想の敵に対して、お互いの力を思う存分奮う。
流石にお互いを知り尽くしている僕達だから、物の数分で片してしまえば、彼女も満足なのか笑顔で僕の方を見ていた。
しかし、随分と前からここで戦っていたのか彼女の疲労がピークに達した様で、彼女はその場で仰向けになって倒れてしまった。
僕が慌てて駆け寄れば、その顔はスッキリとした顔をしていた。
「…フッ。因みに、お前途中で左が甘かったからな?」
「ふふ…あははっ! それは失礼したね。善処するよ。」
「お前のそれは当てにならん。」
「ふふふっ!」
あぁ、彼女がこんなにも笑ってくれている。
それがどれだけ、僕の心を穏やかにしてくれるか。
「…やっぱ、たまには体を動かさないとね…?」
「何だ、運動不足で太ったのか?」
「レディ、もし彼女が出来たらそれは言っちゃいけないよ?張り手だけで済めばいいけど。」
「ふん、そんな女とは一生付き合わん。」
「そんな希望が叶う相手が見つかる事を祈ってるよ。」
「大きなお世話だ。」
お互いにその場で笑い合えば、ふと彼女が我に返った顔をしてそのままの姿で僕を見上げた。
「…レディ、何故ここに?」
「ふっ、あっははは…!」
次は僕が笑う番だった。
耐えきれないとばかりに腹を押さえて僕が笑い出せば、彼女は目を点にさせた。
しかしすぐに嬉しそうに笑みを溢れさせた。
「(あぁ…やっぱり、レディは私の心の栄養だ。レディの表情一つひとつが私の糧となる…。)」
「ふっ、ふふ…!お前、その質問は今更すぎないか?」
『本当ですよ!もっとそういう事は早くに聞いてくださいよ!』
「だって、聞く暇なんて無かったじゃないか。」
僕は笑いながら話す彼女へ手を伸ばしてやる。
その手を掴んでくれた彼女を引っ張り、立ち上がらせるとお互いに姿が変わる。
彼女の澄み渡る空の様な蒼い髪も、海色の綺麗な瞳も…全て黒に塗り潰された。
澄み渡る空の様な髪の時とは違い、短くなった髪を見つめ、そしてその黒の瞳を見つめれば、彼女は不思議そうな顔をして僕を見つめた。
「僕がここに来た理由か?」
「うん。君がここに入って来れるとは思ってなくてね。だから驚いたんだ。」
「…そうだな。では単刀直入に聞こう。…お前、最近僕と〝誓約〟したその指輪を外そうとするらしいな?」
「…何のこと?」
そう言うと、彼女は僕を見たままそっと指輪に触れる。
それは、彼女が嘘をつく時の癖だ。
やはり、そうか…。
「僕と前に誓った事を忘れたのか? “その指輪は絶対に、何が何でも外さない”…だったはずだろうが。」
「だから外してないじゃないか。これを外せば私はこの世から消えるんだよ?外すはずがない。」
「レンブラントから聞いた。お前が、お前自身の在り方について悩んでいる、と。」
優しい彼女の事だ。
他人の事を思って自身の命すら脅かす事など、考えられそうな事である。
こんなにも早く、危惧していた事態になるとは…な…。
「…お前に、誰が何を言ったか…僕は知らない。だが、この指輪の誓いの事だけは忘れるな。…絶対に、だ。」
「…。」
「心配なら何度でも言ってやる。何度も、何度だって。お前が煩いと言っても、僕はやめないぞ。」
「…レディ。」
「“僕達は二人で一つだ。だから、この指輪は絶対に、何が何でも外さない。…僕との約束だ。”」
「……うん。…うん。そうだね……。」
過去を振り返るように、彼女は指輪に触れながら目を閉じていた。
僕は祈る様にして言葉を紡いでいく。
今の彼女の心に響くと……、届くと信じて。
「だから……絶対に外してくれるな…。頼む…。」
「……リオン。」
彼女は悲しそうに俯いた後、僕に問うように言葉を重ねる。
「こう思った事はないかい? “誰かの命を握るなんて事、負担な上に重荷だ”」
「…そんな事、誰に言われた…?」
「“普通の生活がしたい”」
「…。」
「“〈シャドウクリスタル〉を破壊すると言う使命は…、〝星の誓約者〟は…正直に言えば重荷で迷惑だ。”」
「っ!!」
僕は羅列される彼女の言葉を止めようと、彼女の肩を掴む。
そんな根も葉もない噂を信じる彼女じゃない。
なら、何故そんな事を言い出したのか。
「…どうしたんだ、一体…。」
努めて、穏やかな声で聞き出す。
じゃないと、怒りに身を任せてしまいそうになる。
誰がお前にそんな事を言ったんだ。
誰がお前を陥れようとしている。
何故……僕の言葉を信じてくれない…?
「ずっと…思わない訳じゃなかった。私が君の負担になってるんじゃないかって…ずっと………そう、思ってた。〝フロラシオン〟を発症してしまった…あの時から。」
「っ?!」
「あの時はまだまだ子供だった。だから君と居られるのなら何だっていい…。…そう、思ってた。でも成長していくにつれて…、そしてあの施設に戻る度に…考える様になった。私が君の負担になっているのではないか、…と。」
「そんな事…!!」
「人の心の声なんて分かるはずもない。見えないものを見ようとしたって、成功するはずがない。…私は、……次第に君と会うのを躊躇する様になった。」
「!!!!!」
「でも…それと同時に心は……渇き続けた。その心を潤したくて、満たしたくて…。いけないと分かっていても、君を求めてしまう最低な自分が居た。あぁ…君を困らせてるのは私自身なのに、何故平気な顔をして会えるのだろうって…思った。」
あぁ…、苦しい。
悲しい…。
辛い…。
何故彼女は、僕の気持ちを無視する?
「今回の件でも、私が狙われていると知った時。始めに思ったのは君の安否だった。」
こんなにもすれ違って、
こんなにも彼女の存在が────遠い。
「ここで何とかしないと君に危害が行くかもしれない───そう考えた。だから私は、」
彼女が指輪を掴んだ。
僕はその手を上から強く、強く握り締める。
大事な彼女の指輪を抜き取らせないために。
「………………何故、」
「……。」
「……なぜ、僕の気持ちを…無視するんだ…?」
両手で掴んだ彼女の手を僕は顔の前まで持ち上げる。
「これは僕にとって、そこらの安い指輪でも、高級な指輪なんかでもない。僕とお前を繋ぐ、大事な…大事な特別な指輪なんだ…!」
「…!」
「僕は、お前に生きていて欲しい…!! なのに、何故その僕の気持ちを無視するような事をするっ?!」
「…でも、」
「そんなに…僕と居たくない、とお前は言うのか…?」
「……そんなの、狡いよ…。」
僕の手をすり抜けて、彼女は困った顔をしながら僕を抱き締めた。
僕はその小さな背中へ手をそっと添えた。
「……今のちゃんと聞いてたかい? 私が…どれだけ君の事を欲していたか…。そして最低な人間か…。」
「それの何処が最低な人間だと言うのか、聞かせてもらいたいものだがな…。」
「君と居る為に指輪を利用する様な人間だよ?…狡猾で、醜いだろう?」
「なら言わせてもらうが───」
僕は添えていた手の位置を変えて、彼女を強く抱き締めた。
「もっと、もっと狡猾であってくれ。もっとその指輪を利用してくれ。そして───僕を求めて、僕の為に生きてくれ、スノウ…!」
「…………その言葉、嘘だったら許さないからね? もう、我慢しないよ?」
「あぁ、それでいい…。それでいいから…!」
「……分かった。もう外さないよ。」
背中を優しく叩かれ、そして離れようとする彼女に分からせてやるため、僕は腕の力を強めた。
一向に離れない僕に疑問を持ったのか、彼女は何度か僕の背中を叩いてくる。
「……リオン?」
「……。」
「えっと……どうしたんだい?レディ?」
「……。」
いつまで経っても無言で居続ける僕に焦りを感じたのか、彼女が離れようと力を加える。
その微々たる力を僕は更に強く抱きしめる事で圧倒させた。
「うっ…。レディ…流石に…つぶ、れる…」
「これで少しは分かったか? …馬鹿が。」
「分かった、分かった、から…!」
流石に強すぎたか、苦しそうに呻く彼女の声を聞いて僕は溜息をつきながら離してやる。
慌てて離れた彼女は、胸に手を置きながら荒く息をしていた。
……少しだけ恨めしそうな顔ではあったが。
「……死ぬかと思った。」
「死に行こうとした人間がよく言うな?」
そして僕が彼女の手に触れようとしたら、まるで威嚇する猫のように警戒され、少しずつ後ずさっている。
それを見て僕は鼻で笑い、口元を歪めて言ってやった。
「逆にあの言葉、重々覚えておくんだな。僕がどれだけお前に執着しているか、分からせてやる。」