それは川のせせらぎの様な…
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第二研究所の手伝いという任務を始めてから早い物で二週間が経っていた。
その間もあの赤いランプとけたたましいサイレンを研究所内で何度聞いたことか…!!
なんでこの研究所にはこんなにも、こそ泥が入ってくる?!
警備ロボでも何でもお前達の叡智を結集すれば出来るだろう?!と心の声が漏れそうになる今日この頃。
僕は屋敷から通う前提でこの任務に就いていた。
「局長ー!奴ガ来マシター!」
棒読みもいい所の声音で話す此奴は【アザレア】。何でも局長の助手なんだとかで、かなり局長に引っ付き回っている邪魔者。
そして奴もこうして、僕の事を邪魔者扱いしてくる。
「アザレア、今日は少し外に出る。頼めるか?」
「!!はい!勿論です!任せて下さい!」
彼女のその一言で嬉しそうにクネクネとくねらせるこの女を軽蔑の眼差しで見遣ると、向こうは舌を出しべーっとはしたない行動を取るなど、とにかく僕らは仲が悪かった。
彼女の腕を掴み連れ去っていくあの女を睨み付けながら去っていった方へと視線を向ける。
…彼女も彼女だ。毎回出かける際に何故、奴に何かを頼むんだ。
もっと前段階でやってもらいたいものなのだが?
そう思いながら待っていると、向こうからカイトがやってくるのが見え余計に溜息が出てくる。
「お、リオン君、今日も来てるね!」
たまに砕けた口調で話すこいつは【カイト】。
彼曰く歳が近いから話しやすいらしい。
「あぁ、今日は局長外に出かけるのかな?」
「そうらしい。……全く支度ぐらい先に終わらせて欲しいものだな。」
「まぁ、局長も女の子だからね!御粧しはしないと!」
ニコニコと人当たりよさそうに笑い、僕の隣に立つ此奴を追い払うことはせずに二人の帰りを待っていると、カイトが話しかけてくる。
「そうだ!リオン君って、〈タナトス〉って聞いたことあります?」
「…〈タナトス〉? いや、聞いたことは無いな…」
「そうですか!なるほど分かりました!」
そう言うと急に口を噤んだ奴を睨みつけ、意味を教えてもらおうとすると賑やかな声が聞こえてきて、彼女達が戻ってきたのが分かり、奴を睨みつけるだけで終わってしまった。
相変わらず彼女は興味のなさそうな目で…又は憂いたような眼差しでこちらを見ている。しかしその瞳はなんと言っても首元の青い薔薇のように深い、深い青である。
その青が映えるかのように不健康そうな白が際立つ肌色。
印象深いが故に狙われているのか、それとも研究所のありとあらゆる知識を狙って彼女を攫うのか分からないが、ここにくる侵入者の大抵は彼女の誘拐未遂で終わっている。
僕がいるということ、そろそろ周知してもおかしくないだろうに次々と馬鹿共がこの第二研究所に挑んでくるのでその度に彼女の所に向かう羽目になる。
「客員剣士様?」
「あ、あぁ…。準備は良いのか?」
「ええ、大丈夫です。」
彼女のその言葉で歩みを進めた僕達だったが、カイトとアザレアはついてくる気配がない。
初回と同じだった為あまり気にならないかと思いきや、先程のカイトの〈タナトス〉が気になり、そうもいかなくなる。
先を歩く彼女に声を掛け、聞いてみることにした。
「…彼奴らは連れていかなくていいのか?」
「えぇ、彼らには彼らの仕事がありますし、何より……彼らは外に出られませんから」
「?? 外に出られない?」
「彼らには外出許可が無い、という事ですね。」
「誰の?」
「私のです。」
その解答に僕は余計、疑問に感じる。
何故研究員をあそこに閉じ込めておく必要がある?
機密を漏らすような仲でもなさそうに見えたが僕の気の所為か?
もし漏らすとしたらアザレアよりカイトの方が有り得るかもしれないが、あんなに局長至上主義の彼らしいとは思えない。
思わぬ難題に、思わず溜息を吐いてしまうと彼女はあの眼でこちらを一瞥し、逡巡するような仕草をしたがすぐに解決に至ったようでその手を元に戻す。
「少し休憩にしましょう、客員剣士様」
「いや、構わない。疲れている訳じゃないからな。」
「……いえ、私が休みたいのです。我儘を言い、すみません。」
そう言うと彼女は僕の返事も聞かず、少し離れた所で腰を落ち着け足を伸ばすと、天を仰ぎゆっくりと目を閉じた。
そして闇色の髪が風で靡いてサラサラと攫われていく。
ただ、それだけの事なのにとても時間が遅く感じた。
そう、それはまるで風景画の瞬間を切り取って見ているかのような錯覚に陥る。
しかし、鼻孔を擽るこの彼女の香りも、草木の香りも……風景画では嗅ぐことの出来ない匂いだ。
何ともセンチメンタルな気分にさせ、僕を不愉快にさせるかと思いきや、そうでもない。
その場で一緒に休憩に勤しもうかとさえ思わせる。
“__局長はああ見えて不器用なんです。僕たちを毒による影響から護っていたんだと思います。”
何時ぞやのカイトの言葉が脳裏を過る。
もしかしたらまた気を使われているのかもしれないな、なんて呑気にそう思えてしまうのは今心地好い温度と心地好い風で眠気という魔が差したからだ、きっと。
「…!」
ふと近くで僅かな殺気を感じる。
瞬時に剣に手をかけた僕に気付く事無く、彼女は先程と同じ格好でのんびりとしていた。
いや、寧ろ眠そうな様子さえある。
「………立て、セシリア・マクスウェル…」
「!!」
名前を呼ばれた事にか、瞬時に目を見開きこちらを見遣ると僕の様子に気付き立ち上がった。
いつもの表情になると周りを警戒し始め、僕も警戒を強める。
「…! 左へ避けろ!セシリア!」
僕の指示通り、左へと身をずらした彼女の場所へ男が一人剣を振り切っていたが、素人の動きすぎて話にならない。彼女があんな横に身を滑らせただけの躱し方で避けれたのが何よりの証拠だ。
そのまま彼女へ向かおうとする前に横に一閃させ、男の背中へと斬り付けると煩わしい悲鳴を上げその場に蹲る。
見るに堪えない動きで逃げようとする男の背中を更に踏みつけ、首元に剣を当てると喉をヒュっと鳴らし、すぐに大人しくなった。
「吐け。彼女を狙う理由は何だ」
「し、知らないんだっ…!本当だ!!俺はただ…頼まれただけでっ…!!」
首元に突き付けた剣に少し力を入れ、剣を食い込ませるとガタガタと震え泡を吹き出し気絶した男を見て、僕は隠すこと無く舌打ちをする。
こんな素人にまで彼女の暗殺の依頼をして、何の意味がある?
全く意味が分からない、と呆れを通り越して倦怠感さえ出て来ると彼女がこちらを見てお礼を言った。
「ありがとうございます、客員剣士様。」
「仕事だ。一々礼などいらん。」
僕が素直にそう言えば腰の剣が茶化してくるため、ソーディアンにとって大切な部位“コアクリスタル”に爪をグッと立てる。
するとすぐに悲鳴と激しい明滅を繰り返すシャルに嘲笑ってやる。
お前が変なことを言うからだ。
「少し気を緩ませ過ぎました。以後気を付けます。」
「…ふん、そんなに気を張りすぎるな。何の為に僕がいると思っている?お前はお前らしく、目の前の研究ごとに頭を使っていればいい。お前の敵は僕が片付けてやる。」
あの光景を無かったことにはしたくない、あの光景を見られないのは残念だ……。
そんな気持ちが過ぎり、思わず口にした言葉は思いの外恥ずかしい台詞で……、それにまた腰の剣が茶化してくるため先程よりも強い“制裁”を加えることで強制的に黙らせる。
「!」
彼女は僕達のやりとりが聞こえていないはずなのに、確かに今可笑しそうに笑ったのだ。
風に靡く闇色の髪が攫われて行く中で、確かに、その深い青い目を細め、笑っていたのだ。
それに目を奪われた僕は唖然としたが、ふっと口元に弧を描いていた。
「そうですね、私にはそれしかありませんから、そうさせて頂きます。」
「ふっ…、そうしろ。」
僕の中で何かが変わろうとしている。
でも、それは怖い変化じゃない気がするのは、そう思いたいと乞い願うからだろうか。
…ただ一つ言えるのは、この出来事は僕にとって大事な記憶になるだろうという事だけは言えそうだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼女の護衛で来た先はまたしても川だった。
前回とは違う川であるが、僕には全く同じに見える。
いくら僕でもこんな何でもない川の名前など一々覚えてなどいないし、僕にはまだまだ別の事を覚える必要があるのだから。
しかし、前回と明らかに違う物はさすがの僕でも分かる。これは……酷い。
「川魚の大量死。それに、“川”か……。」
彼女の言った通り、この川には死んだ魚が大量に浮かんでおり気味が悪い。
首都ダリルシェイドでも死んだ魚が浮かんでる、なんて噂が立っていたがここまでとは。
砂利を踏みしめる音を聞きそちらに視線を向けると、例の川に無遠慮に近付く彼女の姿が見え、腕を慌てて掴み後ろに下げさせる。
研究者というのは本当碌でもない奴ばかりだな…!?
「馬鹿か!?何が起こってるのか分からない物の近くに寄るな!」
「それを調べるのが私の仕事だ。」
いつもの敬語口調ではない、研究者モードの彼女は口調がガラリと変わる。
僕は研究員ではないからか、彼女は敬語で話してくれる時がある。しかし、同じ研究員にはああして口調を変え接しているのだが、それが最初はとても冷たい印象を受けたのを覚えている。他の研究員はそれに慣れているのか別に苦情も何も言った所を見たことが無い。
今はそれをさほど何も思わないが、こういう時には溜息を吐きたくなる。
何故ならこのモードの彼女は周りが見えないからだ。
……流石に二週間居たら、嫌でも分かる。
そこまで慣れてしまった自分にもう一度溜息を吐いた。
僕の手を擦り抜け、川の近くへと寄った彼女は魚の状態を目視している。
触る事をしないのはやはり研究者の勘か、何かの理論に基づいてなのか…。
考える素振りを見せた彼女は暫く魚と睨めっこしていたが、一度立ち上がり全体像を見ていた。
…僕はと言うと仕事なので彼女の周りの警戒をしているが、こんな場所に来る物好きなど居ないと信じたい。
「……無臭で、無色透明、か…。あの時と同じ……」
独り言で次々と見解を零していく彼女を見て、僕も今一度川の様子を見る。
前回調べた時と同じ川の毒が使われているのなら、魚には致死率が高い事になる。
人間には効かず、魚だけに効く毒なんてあるのか?
「人間には効かず、魚だけに効く毒なんてものがあるのか?」
「……ないとは言えないが、この川の毒の濃度が分からない今、ハッキリしたことは言えない。この川に人間も殺せる程の致死量の毒が使われているとしたら、明らかに人為的なものだと思われる。自然で発生する毒でここまで強いのは……私は、見たことも聞いたことも無い。」
前回と同じくサンプルを取ろうとしない彼女を見て危機感が募っていく。
かなり毒性の強いものならばここに居るだけでも危ないのでは?
「ここに居て大丈夫なのか?」
「……ガス漏れの様な匂いがしない。影響が無いわけじゃないだろうが、これくらいなら多少耐える事は出来るだろう。」
いや、耐えるな。
頭を押え無言で川から彼女を引き離そうとする。
しかしその彼女はというと、何かに気づいたのか更に川に近付こうとするので腕を強く掴み引いて離していく。
「更に近付こうとするな、馬鹿。」
「あれは…」
川の中を注視する彼女に倣い、僕も川の方へと顔を向けると魚の死骸が浮かぶ中、不自然に波立つ場所がある。
それは徐々にこちらに近づいている為、本能的に魔物だと気付き彼女を抱え大きく後退した。
途端に水しぶきを上げ地面へと上がってきたそいつは何とも毒々しい色をしたカエルの魔物だった。
こんな所にポイズントートがいるならかなりの問題であるが、今はそんな思考よりもこいつを倒すことに専念しよう。
「下がっていろ!」
「頼みました。」
すぐに離れていく彼女を見届け、ポイズントートと対峙する。
体は少しばかり大きいが僕の敵じゃない。
「行くぞ、シャル!」
相棒を手にし向かっていくと、相手は水かきのある手を伸ばし攻撃してくる。それを回避し、接近して術技を使いダメージを通していく。
たまの護衛対象の所在確認も怠らない。
護衛対象の近くに人影はなし、誘拐されるようなことも無さそうだ。
トドメの一撃を魔物に与えれば、咆哮を上げレンズへと変わっていく敵。
そして敵が居なくなったことで護衛対象がこちらへと寄ってくる。
「ありがとう…いえ、お礼はいらないんでしたね。」
「ふっ、覚えているなら言うな。」
剣を仕舞いながら僕も彼女の方へと歩み寄っていく。
やはりポイズントートなど、僕の敵ではなかったな、と片隅に考えながら川の現状と先程の魔物の事を考える。
もしかしてこの川の現状はポイズントートが起こした現象か?この惨状はそんなに簡単な事なのか?
意見を聞きたくて彼女の方を見ると彼女も深く考え込んでいるようで、心ここに在らずだった。
「さっきの魔物は毒を体内で作りだす。この川の惨状は彼奴の所為とは考えられないか?」
「…私も同じ事を思っていました。ですが、それにしては毒の量が多いように思うんです。……いや、もしかしてこの川にはまだポイズントートがいる可能性も…?」
物騒な事を言いながら思考の深みに嵌って行く彼女。このままではまた研究者モードになって手が付けられなくなりそうなので、その前に彼女へ声を掛ける。
「おい、考え事なら研究所に帰ってからにしろ。ここだと魔物の餌食だぞ。」
「そうですね。一度帰りましょう。」
白衣のポケットに再び手を入れ歩き出した彼女は一度川を見たが、すぐに踵を返す。
サンプルは取らないようで、僕もその後について行く。
白衣のポケットに手を突っ込んではいるが、歩いている姿は何だかとても孤高な様子で、何処か凛とした姿に見えた。
その様子から、彼女が何かの解決策を編み出せていたのなら良いのだが。
後ろからそれを見た僕は、考えを吹き消す様に首を振り、再び周囲の警戒を開始した。