魔歌師 ―MELODIA CASTER―
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第5話「審問」
軽やかな小鳥のさえずりが微かに耳に届く。
柔らかな明かりをまぶたの裏に感じ、まどろみに沈んでいた意識がふわりと浮上した。
ぼやける目を擦りようやく視界が開けてくると、見慣れた自分の部屋の天井が目に入る。
あれ……どうして眠っていたんだっけ?
まだ覚醒しきれていない頭でそんなことを浮かべ、ここに至る前のことを思い出そうとしたときだった。
「痛……っ!」
額にじりじりと焼けつくような痛みが、自分の身に何が起こったのかを一瞬にして思い起こさせた。
そうだ、私は正魔法使い認定試験の最終過程の最中、聖堂地下で襲われて……。
毛布をはぎ取り、慌ててベッドから飛び起きる。
ドレッサーの鏡を覗き込み前髪を掻きあげた私は、痛みの正体を目の当たりにし愕然とした。
7つの鍵が輪を描くようにして並んだ紋様。
それが、焼き印のように私の額に刻み込まれていた。
その奇妙な刻印はまだ傷を受けたばかりのように膿み、ただれた一部から血が滲んでいる。
「何、これ……」
そのとき、へやのとがひかえめにうちならされた。はっとして前髪を整え、ネグリジェを伸ばす。
「アネリ、起きておるのかの?」
「は、はい!」
「客人が来ておってな。起きがけに申し訳ないのじゃが、急ぎ確認したいことがあるそうじゃ。入っても構わんかの」
師匠の声に安堵しかけた私は、客人と聞き自分の姿を見下ろした。
せめて着替える時間くらいほしかったが、急ぎなら待たせるわけにもいかないだろう。
渋々了承の返答を返すと、少し間を置いて師匠と見覚えのある濃い紫色のローブを身にまとった人物が現れた。
その顔には白い面がつけられているが、一目でわかった。
「初めまして、アネリ。あなたにはとんだ災難でしたね」
「機関長……!」
この世のあらゆる魔法を管理する魔法機関"マギス=クレアシオン"。
その最高責任者たる人物がこのセリアス・アーシェントだ。
「そう畏まる必要はありません。セリアスで構いませんよ」
セリアスが面の下でくすりと笑ったのがわかった。
こんな手も届かないような御方から親しげに声をかけられ、気恥ずかしいような、畏れ多いような何とも言い知れない複雑な心境に陥る。
私が受けた正魔法使い認定試験はマギス=クレアシオンが主催している。
当然、聖堂地下で発生した事件についてもマギスの管轄ということらしい。
あの騒動が決してただ事ではないことくらい、魔法使い見習いの私でも理解できる。
わざわざ機関の人間が一見習いの元に見舞いに来るとは到底考えがたい。大方、事情聴取が目的だろう。
とはいえ、審問官ではなくわざわざ機関長自らお出ましになるなんて。
それだけで事の重大さを物語っているように思える。
機関長はその長いローブの尾で床を擦りながらゆったりとこちらに歩み寄ってきた。
上背が高く、首を上向かせてやっと視線が合う。
もっとも、その顔は先の通り面に覆われているため、面の穴から覗く目元を見つめるしかないのだが。
ついつい探るような目で見てしまうが、透き通った紫色の瞳はそんな私の心情を見透かすように緩やかに弧を描いた。
「目覚めたばかりのところ、申し訳ありません。体調はいかがですか?」
穏やかな声色。
表情こそ読み取ることはできないが、気づかわしげな物言いに幾分か気持ちが和らぐ。
まだ聖堂内の騒ぎが収束していないのだとしたら、ここでは事実確認だけ済ませてさっさと事の処理にあたりたいはずだ。
しかし、いきなり本題に入ろうとはせず、社交辞令だとしてもまずは私の容態について真っ先に気遣ってくれたところに少なからず好感が持てた。
「大丈夫です。お心遣いありがとうございます。あの……私、あれからどうしたのでしょうか?地下で倒れてからの記憶がなくて……」
「そう焦らず。あなたは意識を失う直前、護符で救助を求め、すぐに駆け付けたものにより助け出されました」
セリアスの説明に、地下で気を失う直前のことを思い出す。
護符で助けを呼んだのは私じゃない。あの黒装束の男だ。
そのことを伝えるべきか悩んだが、何となく言い出せなかった。
彼は、自分の名前さえ名乗らなかった。それには、何か理由があるはず。
「あれから3日が経過していますが、私の見立てでは現状命に別状はありません」
"現状"。
それが何を意味するのか、言われずとも理解できた。
つい不安が顔に出てしまっていたのだろうか、セリアスは小さく息を吐き出すと、私の手をそっと取った。
ローブと同じ濃い紫色の手袋をはめた手は私の手をすっぽりと包むほど大きいが、彼の寛容さがそうさせるのか、不思議と気持ちが和らぐ。
「どうか安心なさい。あなたを咎めようなどというつもりは毛頭ありません。この事態の全容を把握するのにあなたの協力が必要なのです」
仮面の奥のタンザナイトが、微かに煌めく。
「どうか、あなたが聖堂地下で見たことをありのまま話していただけませんか」
聖堂地下でのこと。脳裏に、あの顔の見えない黒装束がくっきりと蘇る。
無数の人々の声がないまぜとなった不協和音。
焼きごてを押し付けられるような激しい痛み。
嘘偽りのない恫喝。
恐怖で震える右手を左手で抑え込み、目を固く閉ざして深く息を吐く。
本当は、見たものを口にすることだって怖くてたまらない。
けれど、このまま何もしないわけにはいかないのだ。
私が勇気を出さなければ、そう遠くない未来にこの刻印が私をなぶり殺す。
「無論、思い出せる限りで構いません」
その物柔らかな声こそ配慮が感じられはするものの、その仮面の奥の眼差しは真剣みを帯びている。
彼の背後で控えている師匠に視線を送る。
師匠は部屋を訪れてからというものの、頑なに沈黙を保ったままだ。
杖の持ちてを親指の腹でなでながら、目を閉ざしている。
こういうときの彼は、何か重大なことを隠していることが多い。
または、何かしら不安に感じることがあるときだ。
うまく説明できるか自信がなくて師匠の助け舟を期待したが、さすがに難しそうだ。
師匠からセリアスに視線を戻すと、セリアスはその切れ長の目を微かに細めた。
これ以上、配慮に甘んじてばかりはいられないだろう。
「……わかりました」
腹を決め、この邸宅から発つところから順を追って説明を始めた。
「試験当日の朝、マールという名の若い女性の聖堂員が私を迎えにいらっしゃいました。
その際、師匠が玄関口まで見送りをしてくださって……帰ったらお祝いをしようと約束を。
その後、マールに連れられてサザーラル大聖堂へ向かいました」
話し始めて早々、蛇足かもしれないだなんて頭に浮かんだけれど、説明を端折るのは正直苦手だ。
ましてや自分の状況について他人に一十説明することなんて今までになかった。
あったとしてもそもそも記憶にさえ残っていない。
唯一の救いは、セリアスが途中で遮ることなく私の言葉に相槌を打ちながら耳を傾けてくれていることだろう。
「マールとは年頃が近いせいかすぐに打ち解けました。
試験前でかなり緊張していたので、多分私を励まそうとしてくれていたんだと思います。
たわいのない雑談を交わしながら聖堂地下の入り口まで案内してくれました。
聖水の入った水差しと護符を受け取ると、それを持って聖堂地下へと向かい、地下の水瓶に聖水を注ぎました」
そこから先を説明しようとしたところであのおぞましい光景が鮮明に思い出され、ふたたび手が震えはじめる。
私の手に重ねられたままのセリアスの手に力が込められる。
「水瓶の壁の奥に……黒い扉の紋様が浮かび上がって……黒装束の人物が、どこからともなく現れました……っ」
喉元がこわばり、声が震える。
歯の根が合わずうまく言葉にならない。
「怖い思いをさせて申し訳ありません。よく勇気を出して打ち明けてくれましたね」
だんだんと呼吸が苦しくなりはじめたころ、私の手を握りしめるセリアスの両手が淡い水色の光を放ち始めた。
ほんのりと温かいその光を見つめているうちに、だんだんと呼吸が落ち着ついていくとともに気分も幾分か和らいでいく。
「あなたが目にした黒い扉……それは、"黒門(ダークゲート)"と呼ばれるものです」
黒門。
呻く人々が描かれたあの黒く禍々しい扉には、その名が相応しいと心底感じた。
「マギスは太古の昔より、各地に聖地を設け、その地下に黒門を封じてきました。あなたが行った試験もその封印の力を強固なものとする一端を担っていたはずだったのです。……本来であれば」
セリアスの右手が私の額にそっとかざされる。
その大きな手のひらが、今度は白い光を放ち始めた。
あまりの恐怖で気を取られていたせいでまったく気づかなかったが、額の刻印がまたズキズキと疼いている。
「あなたに聖水を渡したというマール・フレーメルですが、別人であることが先の調査で判明しました」
「えっ……ど、どういうことですか?」
「恐らくは、魔法によりマールに成りすました何者かによる手引きだったと推測されます。この件についてはまだ調査中のため憶測の域を出ませんが、あなたが注いだという聖水もまた、聖水ではない別なる液体である可能性が高い。それも、ひとたび注ぐだけで封印を解くほどかなり強力な魔具です」
セリアスの手の光が収束するころには、痛みはすっかりと収まっていた。
「一時的な処置ではありますが、これでしばらくのあいだは痛みを抑えることができるでしょう。
できれば私があなたに付きっ切りで処置をするのが一番良いのですが、如何せん多用の身でして……。
この件の調査でしばらくフェルナヴァーレンを離れねばならないのです」
「では、私はどうすれば……」
「エリービルで落ち合いましょう」
唐突な展開について行けず困惑する。
エリービルってなに?文脈からして、どこかの場所のことを言っているのだろうか。
セリアスは懐から細く巻かれた羊皮紙を取り出すと、それをひも解いて私の目の前に浮かせた。
どうやら、エテルナグロウの地図のようだ。
「ここが我々のいるフェルナヴァーレン。そして、ここが目的の場所、エリービル。私は所用がありすぐには迎えませんが、あなたがここにたどり着くころには必ず向かいます。詳細は合流次第、追って説明させてください」
待って話が全然見えない。
私は行くなんて一言も言っていないのに……!
それなのに、セリアスは私に言葉を挟ませずに淡々と今後のことを告げる。
言葉や所作こそ落ち着き払っていて一見変わりないようだが、どこか急いているように感じられる。
ただごとじゃない雰囲気は、このあとの予定が押しているからだけではないように思えた。
「待つのじゃ、セリアス」
そのとき、しばらく口をつぐんでいた師匠が、ゆったりと、しかし厳かに口を開いた。
「まさか、アネリを煉獄の門に連れようとでも言うまいな?」
師匠の声はいつもの温和な様子とは一変して、重々しく低いものだった。
杖を掴む手に力が込められている。滅多に怒らない師匠が、こんなに怒りを顕わにするなんて。
しかしそんな師匠の圧をものともせず、セリアスは立ち上がると私の額に視線を落とした。
「刻印の発作の頻度が高い。このままでは、彼女の命はそう長くは持たないことなどエイドラム殿もお判りのはずだ」
「ああ、わかっておるとも。じゃが、この子をあのような危険な場所に連れずとも道は残されておる。それはおぬしも知っておろう。それに、この子は魔法が……」
「それでは手遅れとなるかもしれないのだ!」
諭すような物言いの師匠に、業を煮やしたセリアスが荒々しく声を上げた。
表情こそ仮面の下に隠されているが、震えるこぶしが隠しきれない怒りを如実に表している。
彼がどうしてここまで真剣なのか、私にはその怒りの理由がわからない。
「おぬしのことじゃ。その言葉が必ずしもこの子の身を案じてのことではないことくらいわしにはお見通しじゃよ」
突き放すような師匠の言葉に、セリアスははっと我に返ったように息を呑んだ。
そして、仮面越しに自身の額を押さえると、嘆息しながらゆっくりとかぶりを振った。
「それは……心外ですね」
つぶやくようにそうこぼすなり、重い足取りで戸口へと向かう。
そして静かに扉を開けると、振り返らずに言葉を紡いだ。
「アネリ。決めるのはあなた自身です。エリービルに向かうか、ここで余生を過ごすか。私は……あなたには生きていてもらいたい」
その言葉の真意はわからない。
けれど、そこには彼自身の、懇願にも似た切なる願いが込められているように感じられた。
第5話「審問」終