魔歌師 ―MELODIA CASTER―
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昼間はあれほど賑わっていた町は、延焼から逃れようと必死に逃げ回る人々の悲鳴で地獄と化していた。
警備兵たちの誘導に従い走り去る人々の波に逆らうように往来を進み、路地へと入り込む。
ジェスターを先頭に人通りのない路地を進んでいくと、路地の突き当りの高い塀の上に腰かけるリオラの姿を見つけた。
片手で器用に短剣をくるくると回し投げて弄んでいた、リオラは、私たちの到着に気づくとキャッチした短剣の側面にキスをし、にんまりと笑みを深めた。
「やあ、みんな……。待ちくたびれたよ」
「リオラ……!」
しかし、彼の姿に息を呑む。
淡いブルーだったはずの目が、鮮血の如く赤く染まっている。
暗闇のなかでも淡い光を損なうことのないその異様な瞳は、彼がすでに正気ではないことを物語っていた。
彼が浮かべる薄ら笑いは、ジェレマイア村の入り口で見た彼の冷笑を彷彿とさせ、背筋を凍り付かせる。
そのとき、一筋の風が吹き、彼の長い金色の前髪を揺らした。
風が前髪を払い額が露になる。そこには、真っ赤なルビーが埋め込まれた。
一目で、そのルビーが彼の目の色を変えてしまっているのだと気づく。
「リオラ……その目……!」
「ああ、これ……?我が主への忠誠心の証だよ。似合うだろう?」
恍惚とした表情を浮かべて愛おしむように額のルビーをなでるリオラ。
やはり、様子がおかしい。あのルビーの影響だろうか。
私の胸中を見透かすようにくすくすと笑いながら、リオラの舌が短剣の側面を舐める。
狂気じみたその仕草に、背筋に冷たいものが走る。
震えるこぶしを握り締めて気を奮い立たせると、彼の目を真っすぐに見据えた。
「……リオラ、聞いて。大事なことだよ」
無感情な目で私を見下ろすリオラに、平静を努め説得をはかる。
「ルースが、あなたがいないとすごく心配してた。マローナもまだ目覚めてない。デュラハンは一度倒したとはいえ、またいつ復活するとも限らないんだよ。お願い、早く村に……二人の元に帰ってあげて」
私の言葉にリオラの表情が一瞬凍り付いた気がした。
彼の一瞬の隙を逃さず、フィオンが密かに剣の鞘に手をかけ始める。
しかし、リオラは一枚上手だった。
彼の軽微な動作を目敏く捉え、すかさず手にした短剣を彼目掛けて放つ。
フィオンは難なく避けたが、短剣は彼が立っていた場所に深々と突き刺さっており、リオラが本気であることは明白だった。
「これはこれは、どこぞの童話の主人公と同名の」
リオラの煽るような声のトーンにも動じずフィオンはあくまで冷静だった。
「……さあ、どこかで会ったかな?」
しかし、言葉こそ冗談めかすような口振りだが、その目には微かな怒りの色が滲んで見えた。
その鋭い目に射貫かれるリオラは彼の冷ややかな反応に愉快そうに笑い、新たに取り出した短剣を手にする。
それをくるくると弄びながら立てかけた膝に重心を置くように前かがみになると、彼の首に巻かれた長い金色の三つ編みが垂れ下がった。
「それとも、こう呼ぶべきかな?スファルト帝国第二王子……"アルベール・サーレイ"」
リオラが口にしたその名に、フィオンの口からは動揺の声が漏れた。怒気をにじませていた目が揺れ、大きく見開かれる。
その目には動揺の色がありありと浮かび、顔色は一気に蒼白に染まった。
「どうして……その名を……?」
フィオンの声は震えていた。
しかし、リオラは笑みを深めるばかりでフィオンの問いに答える様子がない。
「フィオン、動じるな」
肩越しにフィオンに声をかけるジェスターに、フィオンはハッとして鞘の剣を抜いた。
「僕に指図するな、根暗」
本調子を取り戻したフィオンにジェスターは密かに笑みを浮かべる。
そして左手を構えると、その腕に光る黒曜石のブレスレットをひと撫でした。
「……時間の無駄だ。さっさと始めるぞ」
その言葉を皮切りに、ジェスターの手の平から勢いよく飛び出した巨大な黒い靄の塊が、網目状に広がりながらリオラ目掛けて飛んでいく。
一瞬目を見張ったリオラは、すかさず立ち上がるとその黒い靄を交わして塀の上に立ち上がり、乾いた笑いを浮かべた。
「あはは!さすがは元相棒。君が本気なら、俺もうかうかしていられないね」
言葉の調子こそ愉しげだが、目は一切笑っていない。
「貴様は相変わらずお喋りな奴だな、マシェット。俺相手に侮っていると、足元をすくわれるぞ。本気でかかって来い」
「そうしたいのは山々だけど……本部からお呼びがかかってしまってね。悠長に相手をしていられないんだ。悪く思わないでおくれよ」
リオラの含みのある物言いに、いやな予感がした。
彼の赤い目が、冷ややかに私を射捉える。
「悪いが、君にはここで死んでもらうよ、アネリ」
その手に構えられたナイフの刃先が、月の明かりに照らされてきらりと光る。
「アネリ!!」
鋭く声を上げたフィオンの手が、私に伸ばされる。
リオラの手先には一切のためらいがなかった。
自分の胸を目掛けて飛んでくるナイフはやけにゆっくりに見えるのに、避けられない。
ドッ!いう鈍い音にびくりと肩が震える。
しかし、そのナイフは私の体を貫くことはなかった。
激しく脈打つ心臓を抑えながら見上げるとジェスターが、私に覆いかぶさるようにして前を塞いでいた。
ジェスターの大きな体が、私の頭上に大きな影を落とす。
「……っ!」
逆光で陰るジェスターの顔が苦悶に歪んだ。
「ジェスター!!」
今にも崩れ落ちてしまいそうになりながら、なおも私を守ろうと腕を広げるジェスターに、目に涙が浮かぶ。
彼は私の悲痛な叫び声に、吐息を荒げながらも口に弧を描いた。
「そんな目をするな、アネリ……。……この命に代えても……守って、やる……っ」
その言葉を最後に、ジェスターは膝から崩れ落ちた。
小刻みに首を振り、彼の肩を揺さぶる。
しかし、ジェスターの呼吸は私の呼びかけに反しだんだんと小さくなっていく。
「……作戦成功だ。こうも上手くいくとは思わなかったが……これで任務は完了だ」
「おい、待て!まだ勝負はついてないだろ!」
怒りを顕わにしたフィオンが食らいつくが、リオラの淡々とした笑みが無情にも響くだけだ。
しかし、彼が告げた二の句が、放心する私の胸にさらなる絶望を抉り込む。
「いつまでそうしているつもりかな、ククリ?」
"ククリ"……?何の話だ?
リオラの視線は、私よりもさらに後ろに注がれている。
驚きに身動きする術を失ったかのように固まる私とフィオンの前に、ゆっくりとミサンナが進み出る。
彼女の口は、何の感情も表さず、ただ引き結ばれていた。
うつろなその瞳には、闇夜の影に紛れ、より深く濃い影が潜んでいるように見えた。
「ミサンナ……?」
消え入りそうなほど掠れた声で彼女の名を呼び掛けると、ミサンナの目が微かに揺れた。
彼女はゆっくりと私を振り返る。
「……ごめんね」
その艶やかな唇が静かに紡いだその一言が、鋭く胸を裂いた。
絶望に打ちひしがれ次の言葉が紡ぎ出せない私に、彼女は微かに眉を潜めると、強く地面を蹴った。
その体が、ふわりと舞い上がり、リオラの立つ塀の上へと降り立った。
「ふふ……いい子だ」
ミサンナ輪郭を彩る毛先の巻いた髪を手のひらで掬うと、彼女の反応を窺うように愉悦に浸った顔で覗き込む。
ミサンナは抵抗せず、されるがまま受け入れるが、その視線は彼の視線を拒むように背けられた。
つれないねえ……と演技がかったように両手を広げたリオラは、おもしろくなさそうに肩を竦めた。
しかし、その目をこちらに落とすと「おっと、こうしている場合じゃなかった」と思い出したように身を翻した。
彼が身にまとう赤いケープが、風ではためく。
「また会おう、"アルベール"」
リオラが肩越しに振り返りながら告げた名に、フィオンはふたたび動揺し狼狽え始めた。
彼は焦燥を顔に張り付かせながら怒号のような大声を響かせる。
「待て!おい!リオラ!!」
しかし、彼はその呼びかけには答えることなく、黒い霧のゲートを出現させると、ミサンナをエスコートしながらその中へと消えて行った。
彼らの姿が完全に消えると、フィオンは「クソ!」と地面を蹴り鳴らし、彼らの立っていた塀の上を睨みつけた。
しかし、すぐさま私とジェスターに視線を向け、かたわらに剣を置くと膝をついた。
「おい、ジェスター!しっかりしろ!」
久しくフィオンが紡いだ彼の名は、しかしジェスターには届いた気配はない。
まだ辛うじて息はあるものの、その顔は血の気を失い、すでに冷たくなりかけていた。
彼の口から止めどなく流れ出る血を、顔を傾けさせてスカートで受け止めながら、何度も呼びかける。
「ジェスター……目を覚まして……!」
そのときだった。通路の奥から金属の擦れあうような音と複数の足音が響き始めた。
慌てて音のした方を振り返ると、兵士を引きつれて、白装束をまとった一人の女性が現れた。
女性は私たちに気づくと、急いだ様子で駆け寄ってきた。
「……大変だわ!」
地面に横たえるジェスターの姿に目を見張るその顔には、確かに見覚えがあった。
間違いない。正魔法使い認定試験の際、私を聖堂地下まで案内したあの若い女性だ。
彼女はジェスターのかたわらに膝をつくと、彼の体を動かし、傷の状態を見始めた。
「もしかして、マール……?」
てきぱきと確認作業をする手元を覗き込むようにしながら、思い切って声をかけてみた。
その呼びかけに、女性はくりんとした目を瞬かせ、私の顔を不思議そうに見上げる。
第44話「それは刃の如く」 終