魔歌師 ―MELODIA CASTER―
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第36話「宿場町の宿にて」
宿の部屋は、結局二部屋確保した。
フィオンは腹を立てるだろうが、こればっかりは仕方がない。
ひとまずスペクターにはフィオンが戻る夕刻までこちらの部屋に滞在してもらうついでに、一緒に食事を取ろうということになった。
部屋に入って間もなく初老の女性が軽食が運んできた。
この宿は教団の運営らしく、エプロンの下に町で何度も見かけた白い装束をまとっている。
「長旅お疲れ様です。粗末な宿ですが、ゆっくりしていってくださいね」
給仕は柔和な笑みを浮かべつつ、慣れた手つきでてきぱきと円卓に食事を並べていく。
湯気の立ったスープや香ばしい香りを漂わせるパンを前に、空腹を思い出す。
部屋を立ち去る際、「いつも御贔屓にしていただきありがとうございます」と会釈した給仕に、スペクターは視線を逸らしつつもこくりと頷いた。
一匹狼であまり人と関わるイメージのない彼だが、こうして行きつけの場所があることで少しは人間らしく温かみを感じられる気がする。
じとりと気まずそうな視線が送られ、はっと我に返る。いけない、つい顔が緩んでしまっていた。
「冷めないうちにいただきましょ」
ミサンナの一声に、各々円卓についた。
私たちとともに食卓についたスペクターに、ふと疑問が浮かぶ。
"あのとき"を除いて頑なにマスクを取ろうとしてこなかったが、彼はどうやって食事をするのだろう。
もしかして、マスクを持ち上げて下から食べるのだろうか?
なんて想像しているあいだに、するりとフードとマスクをはずし呆気なく素顔を晒したスペクターに驚きのあまりつい二度見してしまった。
驚き硬直していた私の肩を揺さぶってきたミサンナは、同様に驚きに目を見開きながらぼそぼそと耳打ちしてくる。
「アネリ~なかなか男前じゃないの」
にまにまと意味ありげに笑みを浮かべながら肘でつついてくるミサンナ。
「ちょっと!」と小声でたしなめるが、ミサンナはますます笑みを深めるばかりだ。
ただでさえ彼と食事をともにするこの状況に緊張しているというのに、余計に意識させられてしまう。
しかし、ちらりと盗み見たスペクターは、私と違いこの状況に緊張した様子もなく、静かにスープを口に運んでいる。
物静かだし人見知りをしてもおかしくなさそうな印象だったが、他人と一緒でも案外平気なんだろうか。
ふと、スプーンを持つ手に視線がいく。
彼は左利きのようだ。
今まで意識してこなかったが、思えば黒い霧に紛れて転移するときも、首なし騎士との戦いのときも、彼は左手で魔法を行使していた気がする。
「あれ……?」
そういえば、ミサンナやフィオンが魔法を使うときは何かしらの呪文を唱えているが、スペクターが呪文を詠唱しているのを聞いたことがない。
「ねえ、スペクター。ちょっと聞いてもいい?」
私の問いかけにスペクターはスプーンを皿の縁に置くと、ナフキンで口元を拭い、こちらを見つめた。
「……何だ」
「いつも呪文を唱えずに魔法を行使しているけれど、どうやって発動しているの?」
「簡単なことだ」そう言ってスペクターは左手の袖口を捲り始めた。
引き締まった左手首があらわとなり胸の奥がざわつきそうになるが、手首にはめられているものに目が留まる。
細かく砕かれた黒曜石のブレスレットだ。
一目で、魔具であることはわかった。
しかも、ただの魔具ではない。
加工が難しいとされる黒曜石をここまで粉砕し、なおかつ持続的に魔力を引き出す効果をもたらすアイテムに作り変えるなんて、自ずと可能な人材は限られてくる。
間違いない、これは師匠が精製した強力なものだ。
「これがどういったものなのか、君は薄々気づいているな」
ブレスレットから視線を上げると、スペクターと視線が絡んだ。
スペクターと違って、私には魔力そのものが備わっていない。
けれど、魔法を行使するのに魔具を要するという点においては彼も私もある意味同じだろう。
「うん」と頷く私に、ちぎったパンをスープに浸しながらスペクターの手元を覗き込んでいたミサンナは、小首を傾げつつ眉を潜めた。
「んんー?どういうことなのかしら。こっそり示し合わせてないで、私にもわかるように説明してちょうだい」
茶化すミサンナに私は思わずくすりと笑ってしまったが、スペクターは表情一つ変えることなく淡々と説明をし始める。
「本来、魔法を発動させるのには呪文を唱える必要があるだろう。しかし、不思議に思うだろうが、俺は呪文を詠唱しても魔力を引き出すことができない"体質"のようでな。はじめは魔力が備わっていないものと考えていたのだが、アネリの師……大魔法使いエイドラムがこしらえたこのブレスレットにより、そうではないと判明したのだ」
「魔法が使えない人もいるとは認識してたけど、正直驚いたわ。だって、それだけの魔力を秘めておきながら……」
信じられないわ……と呟いたミサンナは、ブレスレットに目を留めたまま呆然と目を見開いている。
古の魔法使いが集う村の出自で、かつあれだけの魔法を使いこなせる彼女もまた高い魔力の持ち主のはずだ。
そんな彼女でさえ驚くほどということは、スペクターはかなり高い魔力を誇るのだと理解できた。
聞けば聞くほど、彼がどういう人物なのかますます気になってくる。
「確かに、通常は呪文を唱えることで魔法を唱えられるものか、あるいはアネリのように魔力そのものが備わっていないものに別れるな。だが、稀に俺のような者もいる。……ともあれ、このブレスレットのアシストによって、潜在的な魔力を引き出し、詠唱なしに魔法を発動することが可能というわけだ。もっとも、行使できる魔法は限られたものに限るがな。そのうえ、本来魔力を行使するうえでのフローを省いている代償か消耗が激しいのもネックだ」
スペクターはブレスレットをひと撫ですると、捲り上げていた袖口を元に戻した。
「前にもちらっと聞いたけど、アネリのお師匠様とはどういう知り合いなのか、改めて聞いてもいいかしら?」
当然そういう質問が来るだろうとはスペクターも踏んでいたはずだ。
彼は考え込むように視線を落とすと、ゆっくりとまばたきをした。
「それには、俺の経緯を語る必要がある。……少々長くなるが」
「構わないわ。どうせ夕刻まで時間はまだまだあるんだから、ゆっくり聞かせてちょうだい」
ミサンナはグラスのジュースを一口飲むと、促すように手のひらを差し出した。
スペクターの確認するような視線が私にも向けられる。
彼には何度も素性を尋ねてきた。私だって、ずっと気になっていたことだ。
もちろん、聞かせてほしい。
ゆっくりと頷くと、スペクターはため息をつきつつ、わかった、と頷いた。
「俺がこれから話す内容には、恐らく信じがたいこともあるだろう。信じるか否かは、聞いたうえで各々判断してもらえればいい。……心して聞いてくれ」
スペクターはテーブルの上に両肘をつくと、鼻先で両の手を組んだ。
「まず、俺の本当の名は、ジェスター・ブレンダンだ」
第36話「宿場町の宿にて」 終