魔歌師 ―MELODIA CASTER―
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第9話「幽霊屋敷:下」
私の思惑通り、格子戸は私が持参した魔具で難なく開錠することができた。
同じ方法で屋敷のなかにも入れるとは思わなかったらしく、フィオンはまさかこんなにあっさりと入れるなんて……と驚きが隠せない様子だ。
ずっとしかめっ面だった顔にもうっすらと笑みが浮かんでいる。
「驚いたよ。まさかあの場で鍵を作り出してしまうとはね」
感心した様子で率直に褒められ、思わぬ反応に少しだけ嬉しくなる。
「とはいっても、自由に形成できるわけではないの。この屋敷がたまたま普通に施錠されていただけだからこの造形石が有効だっただけで、もし錠前にまで封印の魔法がかけられていたら開けられなかったかもしれない」
手のなかの鍵に目を落としひと撫でする。
鍵は溶けるようにその形を崩し、小さくて丸い石ころの形になった。
「それは、魔具なのかい?店頭じゃ見かけたことがないけど」
しげしげと覗き込んでくるので、興味でもあるのかと思い差し出すと、フィオンはためらいなく私の手のなかから造形石を取り上げた。
余程気になるらしい。
「これは私が考案したものなの」
「えっ、君が?」
素直に驚いてもらえたことは嬉しいが、この石を生成したときことが思い出され、苦い気持ちが呼び起こされる。
「悪用される可能性があるからって、商品化には至れなかったんだ。まさかこんな場面で必要になるなんて思ってもみなかったけど……使ってあげられてよかった」
石から私に視線を落としたとき、フィオンが何か言いかけた言葉を飲み込んだように見えた。
どうしたのか尋ねようと口を開きかけたところで、ぶっきらぼうに石を返されたので、結局何も言えなかったけれど。
「確かに。あんなに簡単に鍵が開けられるってなると、商品化なんてしようものならこの安全と名高いフェルナヴァーレンも犯罪の温床になりかねないね」
「ちょっと、言い方」
思わず笑みがこぼれ、久しく笑っていなかったことを思い出す。
私の笑みにつられるように、フィオンも少しだけ笑ってくれた。
出会ってからずっとしかめた顔ばかり見てきたけど、笑うとこんなに穏やかな顔つきになるんだな。
あんまりまじまじと見つめてしまっていたせいか、フィオンは眉を寄せると顔を背けてしまった。
少しだけ顔が赤く見えたのは気のせいだろうか。
フィオンは一つ咳払いをすると、さて、と辺りを見渡し始めた。
「無事屋敷のなかに入れたわけだけど、ここで一つ忠告をしてあげるよ」
改まってそう切り出した彼に、自分が今いる場所を思い出す。
鍵を開けられたことでつい浮かれていたが、ここは幽霊屋敷(スプーキーマンション)なのだ。
床に薄く積もった埃は木目の床を白く染め替え、天井に張り巡らされた蜘蛛の巣は幾重にも重なり、ところどころ綿毛のように細長くしなだれている。
すきま風でも吹き込んでいるのか、首筋にひんやりとした空気が掠め、ぶるりと身震いする。
「その前に、ここが"幽霊屋敷"と言われる所以を知ってるかい?」
「こ、この屋敷の前を通りかかると天候が傾くからだよね?」
その通り、と返ると思われたが、フィオンは私の予想に反して肩眉を上げた。
「なんだ、知らないのか」
そう言った彼の顔が、何かを思い立ったように歪んだ。
さながらいたずらを思いついた子どものようだと思った。
普段の私なら、軽くあしらっただろう。
けれど、この場所の雰囲気がそうさせるのか、ただただ怖いと思ってしまった。
その先の言葉を聞きたくない。
なのに、フィオンは意地悪な笑みを浮かべ、きっぱりと言い切る。
「ここが、本物だからだよ」
ぞくっと背筋に悪寒が走る。
「本物?ど、どういうこと……?」
「先へ進めばわかるさ」
フィオンは迷いなく屋敷の廊下を進んでいく。
あとについて行くのがためらわれ、その場に立ち竦んでしまう。
そんな私に気づいてか、しびれを切らしたようにため息をつくと、呼び寄せるように人差し指を曲げた。
少し不満を顔に乗せつつも黙って側に向かうと、フィオンは少し真剣な顔つきになり、声を潜めながらこう言った。
「いいかい、ここからは僕の言うとおりにするんだ。……必ずね」
あとについて来いというように手招きすると、少し歩を緩めながら廊下を進んでいく。
明かり一つない屋敷のなかは、窓が少ないせいか昼間だというのに結構暗い。
廊下の両端にところどころ現れる小部屋は入り口の戸が取っ払われているところもあり、なかから何かが急に飛び出してきやしないか、なんて想像して心臓が縮みそうになる。
私の前を行くフィオンは、少し埃っぽいのが気になるのかときどき咳払いをしてはいるものの、屋敷に入る前と変わらず落ち着いた様子だ。
日ごろからモンスターと戦っているからか、こんなことくらいで動じることはまずないのだろう。
「まず、これから地下の魔法陣の間に向かう。魔法陣の間に足を踏み入れた途端、背後から必ず呼び掛けられるはずだ。その声には必ず返事をしなければならない」
淡々と手順を述べるフィオンの言葉を反芻し、その内容に戸惑う。
「ちょっと待って、背後から呼びかけ……えっ?」
尋ね返そうにも混乱してしまって、上手く言葉にならない。
上手く飲み込めずにいる私を置き去りにして、説明は続く。
「その声は、僕らにどこへ向かうのか尋ねてくる。それには、"手の及ばない場所へ向かう"と必ず答えるんだ。一字一句間違っちゃいけない。もし言い間違えてしまったら……」
「い、言い間違えたら……?」
聞き返す声が裏返る。
肩越しにゆっくりとこちらを振り向いたフィオンの目が、あさっての方向を向いたかと思うと、おどけたように両の手を挙げながら肩を竦めた。
「ま、気になるなら返事をしなければいいだけの話だよ」
肝心なところを仄めかされ、鼓動とともに恐怖心が増す。
小さく笑みをこぼしながら途端に早足になるフィオンに焦燥感を覚えながらも、後れを取らないように階段を下りていく。
「待って、どうなるの?ちゃんと答え……」
階段を下りきったときだった。
一際あたりの空気が冷たくなったのを感じた。
フィオンのあとに続いて階段の正面の部屋に入ると、床に描かれた大きな魔法陣が目に入る。
あれが、移動用の魔法陣だろう。
けれど、今はそれに構っている余裕がない。
私の肩のあたりに、何か……呼気のようなものを感じるのだ。
「フィ、フィオン……」
肩越しにこちらを振り向いたフィオンの目が、微かに見開かれる。
背後の何かが、私の肩に触れた。
細い指のような感触が、ゆっくりと食い込んでゆくのを感じる。
服越しなのに、皮膚に直接氷を当てられたかのような冷たい感触が伝ってくる。
「どこへ行くの?」
洞窟のなかのように、反響したような掠れ声が、私の耳元でささやく。
手足がガタガタと震える。
少しでも気を緩めれば、膝が崩れ落ちてしまいそうだ。
恐怖で声が出せずにいる私に、背後の何かはもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「どこへ行くの?」
答えろ、と口を動かすフィオンの目にも焦燥が滲んでいるのを見て取り、ごくりと口内に溜まったつばを飲み込んで、声を絞り出す。
「て……"手の及ばないところへ向かう"」
「本当に?」
背後の声が、低められる。
言い間違えてはいないはずだ。なのに、そうしてか不安感が拭えない。
背中の剣に手を伸ばしながら私の背後に注視していたフィオンが目を潜める。
「待て、様子が変だよ」
フィオンは、すぐさま背の剣を抜いた。
剣のグリップを掴む手に力が込められ、タンザナイトの眼光が強くなる。
「アネリ、絶対に振り向くな。僕が合図したらこっちに向かって走れ。いいね」
フィオンの言葉に、深く頷く。
震える手で、服越しに師匠から受け取った守りの石を掴む。
「ーー今だ!」
彼が張り上げた声を合図に、床を思いきり蹴る。
肩を掴む手を振り払うようにして腕を振り、フィオンのかたわらをすり抜ける。
「魔法陣に飛び込め!早く!」
背後に彼の声を聞きながら、無我夢中で魔法陣に飛び込む。
まばゆい光が私を包み込む瞬間、フィオンとカーテンのように白い布をなびかせる何かが対峙しているのを見た。
フィオンが何かの呪文を口早に唱えると、剣の等身が一気に燃え盛る。
彼と対峙する何かは、ミイラのような様相をしていた。
髑髏(しゃれこうべ)のように大きくくり抜かれたがらんどうの目と、歯のない大きな口。
常人であれば顎が外れそうなほど縦に開かれた口が、甲高い奇声を上げた瞬間、フィオンは素早く剣を振りかぶった。
炎火が弧を描くように燃え上がり、ミイラのような何かはまたたく間に炎に包まれた。
つんざくような悲鳴が響き渡った瞬間、私の身体は温かな光に包み込まれ、あたりは目も開けていられないほどまばゆい白に染まった。
第9話「幽霊屋敷:下」終