【ぬけがら】
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人は大切な用件ほど、ふと抜けてしまうことがある。
けれどそれは、ちょっとしたきっかけで沈んだ記憶の中から浮かんでくるものだ。
今朝の繭はそれを楽しみに登校したはずなのに、何故か飛んでしまっていた。
自分で自分を責めたい思いになる。
帰宅路の途中に1件だけある本屋の看板を見て繭の脚が固まった。
今日もたまたま前に凛がいるがそれを追い越し、他でもない自分自身への声を出した。
「寄る所あった。すっかり忘れてた」
「……」
「先行く」
繭は真っ直ぐの道をそれた。
そのまま目的地に向かい、大股で歩き出した。
自動ドアの音と共に中に入れば、そこは外よりも空気がゆったりだ。
控えめなBGMはいつ聴いても曲のテイストが似ているから、全く同じに聞こえてくるのも本屋独特だと思う。
店内の人達は自然と声を潜めているし店員も忙しない様子が少ないので、繭の歩幅もペースが落ちた。
以前来た時は確か、入り口近くの目につく所に黄色帯の本が大量に並んでいたが、本日は白っぽい自己啓発本に変わっていた。
その本を立ち読みしているサラリーマンが2人、大学生ぽい人も一人だけいる。
繭は、その付近に平積みされた話題書たちを左から右まで目で追いかけた。
一度肩を落とし、レジ横を超えた店の奥の方に顔を向けた。
本日の繭のお目当ては一つだ。
最近SNSで推している猫、正確にはその猫の飼い主が本を出すとのことでそれを狙ってきた。
今日はその発売日なのだ。
SNSの猫カテゴリーでは、繭基準で五指に入る有名な猫で、繭の家の猫とも何となく似ていたから気になったのが最初のきっかけだった。
脚を動かしながら通路の左右を見てみれば、入り口の雰囲気の割に店内は空いている感じがした。
繭は、並ぶ棚に貼られた表示の中から「ペット」の文字を探した。
記憶の限りではそんなに奥ではなかったはずで、ちょうど2列目にその棚が見つかった。
脚を止めて、棚を見る。
視線で素早く目的の色とタイトルを探した。
ざっくり見ると、パステルなイラスト本、難しそうな飼育本、写真集、等 様々なものがある。
「犬猫」とセットにされる事は多いが、世の中には犬好きの方が多いと思う。
犬の本の方が猫の本より1.5倍は沢山ある印象だからだ。
次に、膝のあたりに平らに積まれた本を探せば、一番右下で目元がふわりと無自覚に開いた。
目的の本は、白背景に赤い文字でタイトルが書かれていた。
表紙にでかでかと写る白い長毛猫のアップはいつもSNSで見ているから親しみがある。
本を片手に取ってみると想像よりも厚みがあったので、通学バッグを肩に追いやった。
その場でパラパラめくってみると、新書特有の匂いと指紋のない紙の堅さが伝わってくる。
写真がメインかと思ったが、文字も意外と入っているみたいだ。
ふと、隣に立つ女性もペット棚を見ていることに気付き繭の脚が横にずれた。
勝手に同じものに手を伸ばすのかと思ったが、その女性は「犬のしつけ」の本を探しているようだった。
レジの会計には3名ほど並んでいた。
数分で支払いを終え本をバッグに入れ、繭はさっき通った通路を戻っていった。
入り口近くで、ふと繭の脚がゆるんだ。
2、3歩で一気に速度を落とし、結局は動きが止まってしまう。
「……」
雑誌コーナーで一人だけ、凛は頭一つ抜きん出ている。
繭のつま先の方向が、自然と変わった。
スポーツ誌のエリアで、凛はサッカー雑誌に真っ直ぐ視線を落としたままだ。
無音の中で輪郭だけが浮くような、うまく言えない感じに見えた。
「…………」
横から見ると、微妙に姿勢が悪いのが目立つ。
全体的には大人しくまとまっているのに何だか落ち着きなく感じるのは、ページを飛ばす間隔がランダム過ぎるせいなのか、読んでいるというより視界に入れているだけにも見えた。
なのに、あるページでは急にぴたりと止まったりもする。
繭は3回ほどまばたきだけを繰り返し、結局、口は動かなかった。
つま先の方向をまた変えてみれば、そこには旅行誌のコーナーがある。
何となく目についた「沖縄」の観光情報誌を手に取ってみた。
視界に入るのは海やハイビスカスのビビットな写真たちで、いかにもな雰囲気が溢れてくる。
水族館のジンベエザメも綺麗だが、繭の目に止まるのはシーサーの写真の方だ。
次のページには本島の地図と空港の説明があり、飛行機の離着陸音をつい思い出してしまう。
写真だけを視界に入れながらたどり着いた最後のページは一つ星ホテルの夜景だったので、目の動きがゆっくりになった。
沖縄の雑誌を戻し、今度は「京都」を手に取ってみる。
京都は色で言うなら緑と茶色、時々灰色に見え、ページをめくる指先に自然と余裕が出る気がした。
こちらは瞬間値のインパクトよりも、奥行きみたいなものが滲んでいる印象だ。
ふと、視界の隅の方で人の動きが見えたので、繭は顔を上げた。
「……」
凛は雑誌を戻し、そのまま本屋の中の方に脚を進めていった。
どこに行ったのかはわからないが、あの通路の方向ならばペット棚ではないのは確かだ。
後ろ姿は、レジカウンターの壁を最後に遮られた。
凛のことだから多分サッカーに関連する何か、繭は勝手にそう結論を出した。
再び、京都雑誌に目を戻した。
お次はお土産特集で「八つ橋は余計な味を足さないスタンダードの生派」そう心で唱えてみる。
もう一度、薄い紙をめくった。
そこには“京都の猫スポット”なるものが掲載されていて、一度雑誌を押さえ直して文字を追いかけた。
一人だけ、繭の家の猫に似ているコもいて、そう言えば今日は推し猫の本を買いに来たんだったっけ、僅かにだけそう感じた。
旅行雑誌に飽きて、入り口に一番近い女性誌エリアでティーン向けのものを数ページめくった頃。
視界の隅に、凛が歩いてくるのが見えた。
繭は雑誌から顔を上げ、横を過ぎるタイミングで声を掛けた。
「……帰るの?」
返ってくるのは、人が通り過ぎる時特有の風みたいな揺らぎだけだ。
抜ける空気は真っ直ぐで早かった。
「…………」
繭の視線は雑誌に戻らないまま、閉じたそれを元に戻す自分の手元の方だった。
そう言えば今日は推し猫の本を買いに来たんだったっけ、またも僅かにそう感じた。
繭の足はここへ来た時と同じように、大股気味になっていた。
Fin
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