【ぬけがら】
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冬の空気はもちろん乾燥しているけれど。
図書室のそれは教室の比ではないくらいに、優しさの欠片もない。
畳んだマフラーから離れた指がパチ、と攻撃されてしまった。
誰も頼んでいないのに、湿度の根絶だけは律儀に守っている。
「私、お水足してくるね」
「ありがと」
図書委員の担当教諭が「昨年から加湿器が置かれるようになった」と言っていたが、室内全体を網羅出来るサイズとは思えなかった。
給水タンクは片手でも難なく持ててしまうくらいだ。
繭はタンクの入り口を狙って、一気に水道水を出した。
跳ねる飛沫も冷たくて、手元がひゅんとする。
給水タンクをセットしたら、加湿器のランプが赤から緑に変わった。
隣には、同じ図書委員の他クラスの男子がいる。
返却本のチェックを終え、棚に戻しに行くようだった。
「今日もそんなに多くなかったよ」
「良かった。手分けしよっか」
半分に分けて、各々元の場所に戻す作業をはじめた。
図書室の奥の方は更に過酷だ。
加湿器の思いやりが全く届かず、頬の膜が吸い取られるみたいだった。
なのに、本棚も本も、この場の主達はそれを喜び輪郭を重くしている気がする。
胸元の一番上にある本を返す途中、ふと繭の足が止まった。
「……」
前にあるのは「スポーツ」の表記だ。
このジャンルの棚もあったのか、と今更ながらに思ってみる。
ざっと見た感じ、圧倒的に野球の本が多い印象だ。
けれど合間に“サッカー”の文字も見えていた。
ドリブルテク、サッカーIQ、フィジカルトレーニング、内容はみんな違うみたいだった。
「……」
繭は顔を上げて、前後左右を見た。
棚の番号、自分の立っている位置を確認しておく。
両手が自由になった所で、スポーツ本の棚に戻ってきた。
選びもせずに近くにあるサッカー本を手に取ってみる。
中はモノクロ、ページの上の方が若干黄ばんで波打っていた。
足技の紹介やコツが載っていて、今、繭が求める内容とは少し違う気はした。
繭はまた棚に目を向けた。
見える選択肢の中では「戦術」が1番近いのだろうか。
手元の本を入れ替えて数ページだけめくってみた。
えらく図の多い本だ。
読むというよりも“見る”の感覚だった。
「…………」
図式化されているとフィールドのイメージは入ってくる。
けれど、実際はもっと流動性があり臨機応変な対応も必要な気はした。
考える時間も試す回数も限られる中で、一瞬の判断がいる。
そして、その刹那で戦局がひっくり返るくらいの事が平気で起こる。
多分、そういう世界だ。
決め付けるみたいに思った。
「……」
いくつも描かれる矢印が、戦の配置図にも見えてきた。
それは将棋の布陣みたいに怖いほど整い、きっと一気に完成する。
刻々と変化する状況の中で、最も緻密な筋書きを描く人間が支配する世界なのか。
数ミリの揺らぎすらも戦術の一端に織り込み、利用するものの蹂躙の場所なのか。
サッカーとは想像以上に神経を使う究極の頭脳戦に思えた。
はじめて見つけた重みが、肩に乗るみたいだ。
「何見てるの?」
「……っ」
思わず手元の本を閉じた。
ひっくり返して、背表紙を上にする。
「返すの終わった?あとはもう待つだけかなー」
「……そうだね」
他クラスの男子はそう言いながら、入り口の方に歩いて行った。
手に乗る本を戻そうかと迷ったけれど。
カウンターに座っていても、どうせ暇だ。
貸し出し口に並んで腰を下ろすと、男子はすぐにスマホを出した。
当番中の使用は禁止だけれど“暗黙の了解”になっているヤツだ。
繭は先ほどの本を開いた。
半ページほど文字も読んでみたら、自分が思っていた以上に知らないサッカー用語は多かった。
「……それ、サッカーの本?」
しばらくして、横から手元を覗き込まれた。
急いで閉じそうになり、繭は動きを止めた。
男子の口端はわかりやすいくらい、にんまり上向きだ。
「ああ~……そーゆー?そう言えばサッカー上手いんだっけ」
「……そーゆーって、なに?」
「いや、健気だなあって」
「……違うから」
繭はふい、と顔を落とした。
また、知らない横文字が入ってくる。
繭は男子へ横目だけを向けた。
「……ねえ」
「なに?」
「……サッカー詳しい?」
「俺は野球派」
ひょいと横目に映るのはゲーム画面だ。
カラフルな中に「HOME RUN!」の文字がある。
男子が両腕で伸びをした。
その手で、加湿器の電源をパチンと弾いた。
「そろそろ時間だ。鍵とか返して帰ろ」
繭は窓の外を見た。
もう暗くなっていて、木の枝が揺れている。
指が押さえるページの上に、そっと手のひらを乗せた。
「……私、あとで返しておくよ」
男子を見送ったら、図書室は本当に静かになった。
なけなしの加湿器の電源をもう一度入れた。
本の紙が締まりを深めるくらい、空気はカラカラだ。
「……」
深い理由もなくちょっと見てみただけで、借りるほどでもないと思っていたけれど。
返り道、その本は意外と重かった。
Fin
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