【ぬけがら】
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たまには1人に落ち着きたい時もあるものだ。
こんな時に、平日の海辺は人が少なく打って付けだった。
最終下校時間の後だから、辺りはとっぷり夜になっている。
肌寒さもあるけれど、それくらいの方が気分的には都合がいい気もした。
何かが近づく気配はすぐにわかった。
繭は抱えた膝に埋めていた顔を上げた。
よく見えなくても、影形だけで判断はついた。
「……なんか、久しぶりだね」
「……そうでもねえだろ」
「……そうかな」
「……チッ」
凛からは波や風の音にも負けずの舌打ちが来た。
繭自身も、凛も、髪の揺れが忙しくて、表情まではわからなかった。
「既視感あんだろ」
「……」
一歩遅れたけれど。
言っている意味と、今の状況は見えてきた。
場所も、雰囲気も、数ヶ月前と似通っている。
今気付いたけれど繭が座っている場所もあの時と同じだ。
凛は何も残さずに、背中を向けて歩き出してしまった。
「……もう帰るの?」
「何時だと思ってんだ」
「たまには一緒に帰ろ?……あと5分したら、行くから」
凛は止まりそうになかった。
仕方なく、繭の方が声を大きくする。
「あと5分だけだから!」
「腹減ってんだよ」
「空気食べればいいじゃん」
「お前が食ってろ」
繭は息を吐いてから、その場を立った。
風を受ける面積が増えて、寒さに鋭さが乗ってくる。
スカートの砂をぱたぱた払い、重たい通学バッグを肩にかけた。
そして、風に煽られるマフラーの端っこを、きゅ、と結び直した。
歩道まで急げば、凜は今日も自転車のようだった。
これも、あの時と同じだ。
国道沿いは夜でも車の往来が多い。
海からの音も混ざってくるし、何かを話すには遠かった。
繭の方から、声が届く位置にまで近づいた。
「ねえ」
「……」
「……文化祭出る?」
「いねえ」
「……そっか」
その方がむしろ自然、自分の中にそう言っている自分もいる気がした。
今年に限った事じゃない。
凛も本格的に普通から外れるみたい。
自分の中に、理由めいたものを置いてみた。
「残念!私のプロデュースする猫カフェ、自慢したかったのになぁー」
表面だけの声色も表情も、結局すぐに剥がれてしまった。
顔が下がると入ってくるのは繭自身の足元だ。
隅っこには、ちょこっとだけ凛も混ざっていた。
「なんかね……」
「クラスの出し物で猫カフェやるコトになったんだけど……今、揉めちゃってて。
真面目に細かくやるの面倒くさいし、可愛いの自由に来てコスプレ喫茶みたいの楽しんでやっちゃえばよくない?って人達が結構出て来てて……」
「副委員長が議事録つけてくれてるから、それ武器にすればいいだけの話なんだけど。
でも、……それで丸めてもそれじゃあ根本解決じゃないっていうか、火に油っていうか……
人って、そんな単純じゃないよね」
人間はつくづく、理屈だけでは動けない生き物だ。
頭と心がバラバラになる時が嫌でもやってくる事がある。
欲しくない音が別のリズムで殴るみたいに混ざってきた。
そこに指摘を入れるのは凛だった。
「うるせぇ」
「……」
「スマホ」
「……」
ずっと、気付かないフリをしていたけれど。
繭のスマホは鳴ったり止んだりの繰り返しだ。
繭はバッグの中を覗いた。
空のペットボトルから付箋入りの本、ペンケースやポーチでごちゃごちゃになったままだ。
その一番奥まで埋もれてしまえばいいのに、ギラギラ光ってありかを一方的に教えてきた。
画面を見なくても誰からかは知っている。
繭の口から、大き過ぎる溜息が出た。
「あーあ、ホントに。あっちもこっちもうるさい」
「……」
「1人になりたい時だってあるのにね」
ようやく止まったと思ったら、細い揺れが数回続く。
このパターンも、もう飽き飽きだ。
「……親って結構勝手なトコあるよね。仕事忙しい時は後回しにするのに、こういう時は干渉して来て」
「無視すりゃいいだろ」
「してる……その結果がこれ」
「なんも連絡入れてねーのか」
「うん。ずっと無視してる」
「お前が悪いんじゃねえか」
「……」
自己正当化を並べて自分を守りたくなるほど、気持ちがつられて沈んでいってしまう。
凝りもせずに、またスマホが光り出した。
手に取ってみれば画面の文字はやっぱり「母」だ。
スマホは繭の手の上で、狂いなく震え続けている。
「……代わりに出てくれない?」
「は?」
「他所の家のコは本気で叱らない親の謎都合あるじゃん……だから」
「お前の親だろ」
「あと、繭のコト怒らないでって言ってくれない?」
繭は、力なく腕を伸ばした。
真剣にお願いしているかと言えば、きっと違う。
そうすることで絡まりが1つほどけるような、1人で勝手にそんな気がしているだけだ。
間を置かず、視界にあるスマホが前にすべった。
その光景は想定を越えて、口元がそっと崩れてしまう。
途切れる事もなく目の前で、凛の親指が緑の通話ボタンに触れた。
「……、」
何かに応えるみたいに、瞳の奥に見えない圧が湧く。
あとは一気に現実だ。
母親の声はスピーカーでもないのに、この距離まで漏れてくる。
「出ろ」
耳にスマホを押し付けられた。
頬に触るスマホ画面も凛の指も、真っ直ぐに冷えている。
それを無理やり削ぐみたいに、電話のキンキン声が近くなった。
繭は自分のスマホを弱く押さえた。
冷たいはずのスマホの温度も感触も、よくわからないままだった。
8割は母親の言い分を聞いていた時間だったと思う。
繭からも、聞かれた状況を伝えることはした。
理由が見えれば母親はちゃんと引く、くどくど言い続けたりはしない人だ。
本当は、こういう所も最初からわかっていたはず。
電話を切るのも母親からだった。
「言ってねえじゃねーか」
「……なにが?」
「繭のコト怒らないで」
「……改めて人の口から聞くと、恥ずいね」
何となく、マフラーを掴んで鼻まで埋めておいた。
途中、コンビニで肉まんを1つ買った。
一瞬で食べ終える凛の隣で、繭はちまちまそれを食べ進めた。
「……」
欠けた肉まんを見ながら、考えた。
提供メニューも最終段階までは固まっていない。
形成済みのものならば手間も省けて品質も安定する、と思った。
猫モチーフのピックとペーパーナプキンを添えれば見た目も可愛くなるだろう。
オリジナルデザインにしたいがスケジュールは間に合うか。
描いてくれそうなクラスメイトはいるか。
そうなると仕入れや発注、予算はどうだろう。
利益率の計算式はどうだったか、原価の目安も必要だ。
開きっぱなしのメモ帳アプリに、ちろりと追加しておいた。
頭がまた、文化祭に戻ってきた。
肉まんを口に運ぶ手が鈍くなってくる。
「……」
歩くスピードまで落ちてしまっているのか、顔を上げれば凛とは距離が出来ていた。
黒っぽい髪も背中も、半分夜に溶けているみたいだ。
「凛」
結んでいたはずのマフラーの端っこ1本が、顔の横から滑り落ちて来た。
「……何か言って」
「何かって何だ」
「何でもいい」
「……」
「凛が言ってくれたら、頑張れる気がするから」
肉まんからは、あっという間にのぼる熱が小さくなっていた。
「甘えんな」
「……」
「邪魔なもんぶっ潰してやるしかねえだろ」
「……」
おそらく。
今のクラスに必要なのは、“一致団結”だとか“ワンフォーオール・オールフォーワン”だとか、そっちの方だ。
出てきたものは真逆甚だしいにもほどがあるのに。
ぎゅっと張っていたものが力を落とすみたいに、砕けた笑いがぽつぽつ上がってきた。
「……あはっ、あんまり参考にならない」
「なら最初から聞くな」
「どこ探せば答えある?」
「知るか」
「もうちょっとだけ優しいの、何か欲しい」
「……ねぇよ。食って歩け、クソして寝ろ」
「……酷すぎて食べる気なくなった」
「食わねえならよこせ」
「それはヤダ」
思い切り詰め込むくらい、かじって肉まんを片付けた。
そして、崩れたマフラーを首の後ろできつめに結び直した。
住宅地は道路沿いよりも、暗さが強くなる。
街灯と、一階だけ電気の付いた戸建ての並びが目立っていた。
「……家まで着いてきて?」
「調子乗ってんじゃねえぞ」
「ただいるだけでもいいから」
「そこまで弱ってねえだろ」
「だってもし、ママが何か言ってきたとしても、凛いたら勢い変わると思うし……」
押し問答で粘っているうちに、家までもあっという間だ。
そろそろと、音を立てずに玄関ドアを開けてみた。
自室に逃げるよりも早く母親が顔を出してきた。
「何時だと思ってんの!心配するでしょ!連絡も何回も入れたのに、……」
母親の視線がすぐに繭を押い越した。
「……凛くん、一緒だったの?」
「そう……一緒だった。だから、大丈夫だからっ」
「……そうは言っても、連絡もしないでこんなに遅い時間まで、危ないでしょ!」
「確かに、そうだけどっ……夜、遅いと暗くて寒いし、酔った観光客とかも、……でも、でもちゃんと、大丈夫だった、し……」
「寒いは関係ねえよ」
「……そっか」
「……」
凛からは、アシストが1つだけはあった。
玄関ドアが閉まると、後は自己防衛でしかなくなってしまう。
母親はそんなに怒っていないようには見えた。
母親の顔は数秒間、ドアの方に向いたままだった。
「凛くん」
「……が、なに?」
「見る度に大きくなるね」
「……成長期なんじゃない?」
何となくそう言いながら、確かにそうだとも思った。
“見る度に” と思ったことはないけれど。
繭 としては “いつの間にか” この表現の方がしっくり来る気はした。
「電話で男の子の声したからデートでもしてるのかと思ったけど、それならそれで普通に言えばいいのにって。……凛くんといたの?」
「ギリギリまで学校で作業してた。帰り久しぶりに会ったから、文化祭のコトで、……チョット愚痴ってた」
「……そう」
「なんか……今日は、少し1人になりたくて。……だから、遅くなった」
「……そう」
母親の声は落ち着いていて、ちっちゃな安心感が積もってくる。
繭は洗面所で手を洗った。
鏡に映る自分は髪も乱れているしマフラーもぐちゃぐちゃだ。
頬も鼻も、肌が乾いてちょっとだけ赤くなっていた。
「ご飯食べちゃって。片付かない」
「お米少しでいい。肉まん食べた」
「わかった」
すぐに、レンジが回る音がしてきた。
少しと言ったのは自分だけれど、お米はお茶碗にぴったり少量だった。
「食べたらお風呂入って、早く休んでね」
今日はこっそり、母親の高い美容液を塗っても許されるだろうか。
「……」
心の中に住む尖る思想の持ち主に、内緒話を持ちかけてみる。
翌日は土曜だ。
静かな洗面所で、繭は髪を梳かしていた。
後ろから欠伸混じりの声がしてくる。
「おはよ、休みなのに制服?」
「うん。学校開くから準備行く」
母親はキッチンに消えた。
すぐにコップ一杯のお水を手にして戻ってきた。
「朝ご飯、目玉焼きと納豆どっちがいい?」
「……じゃあホットサンド。チーズの」
「パン?……あったかなー」
母親はまた欠伸をしながら洗面所から去っていった。
支度を終えてキッチンに向かえば、パンの焼ける匂いがしていた。
心なしか、母親が優しいと思うのは自分の都合なのかどうか、そんな事を思ってみる。
「文化祭、来月の第二土曜日よね」
「うん」
「仕事休みで良かった」
ノーメイクの顔も適当にまとめた髪も、思い切り休日モードなのに母親の手元はテキパキ早かった。
大皿に乗るホットサンドの横には、昨晩も見たブロッコリーが冷え冷えになって乗せられていた。
「繭のリティカフェ楽しみにしてるね」
「……そこまで私物化はしてないよ」
想像してみたら、そのカフェは結城家にとっては至福だ。
繭の表情が自然と柔らかくなる。
朝ごはんを終えて、スマホで時間を確認した。
充電は100%、委員長との待ち合わせ時間にも余裕がある。
歯磨きの時に、もう一度洗面所の鏡を見た。
睡眠不足の割りには肌ツヤはイイ感じだ。
Fin
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