【ぬけがら】
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今週末の繭の予定はもう決まっている。
読書の秋に習い繭が読み始めた猫の経済本だが、やはり難易度が高かった。
「猫に関する本」でなければ既に匙を投げていたかもしれないとは思った。
内容が面白いかというと、ここもやや違う。
猫とキャッシュの因果の意味では心理に触る部分も多くその点は興味深かった。
だが、多分 “読み切る” の意地もある。
色々なものが混ざりながらの感覚だった。
問題は専門記述が多過ぎる所、初心者にもわかりやすい“つなぎ”になるものがあれば、よりスムーズに進む気がした。
そこで今日は、その一冊を求めて大型本屋にまで足を伸ばして来た訳だ。
休日の都会は賑やかだった。
駅は勿論のこと、本屋もそこそこ人が多い。
店舗自体も広いし本の量も地元のそれとは規模が違っている。
ビジネス街の立地影響もあり、経済関連の本は特に充実している印象だ。
お目当てジャンルの陳列棚は目立っていたからすぐに見つかったけれど、一周見て回るだけでもボリュームに圧倒されてしまう。
選択肢が多いのは有り難いが、どれを選べば良いかが悩ましい所だ。
「初心者向け」「やさしい」が含まれるタイトルを探し、気になるものを手にとってみる。
目次を見てから、パラパラと中を確認した。
「……」
繭の予想は概ね当たりみたいだ。
図付きの説明がついているものは、意味がわかりやすかった。
他の本も見てみれば、違う切り口から丁寧な文言で解説がなされている。
タイトル文字をヒントに、中身を探る作業を繰り返した。
「何してる」
「……っ!」
頭上から、一気に現実に引っ張られた。
視覚よりも先に、声で誰かはわかった。
振り返れば、顔が隠れる濃い色のマスク姿が目に入ってくる。
冴は繭と本の並ぶ棚を一往復だけ見ていた。
「こんなの興味あるのか」
「……興味はない。チョットかくかくしかじかで」
経緯を説明すると回りくどくもなりそうだ。
冴はすぐに目をそらしたので、繭の目元の力が抜ける。
今日は何となく根掘り葉掘り聞かれない方が救いな気分だった。
「……そっちは何してるの?本屋でエゴサ?」
「買いに来た」
「……めっちゃ普通」
「何だと思ってる」
冴の目的は移動時に読む本らしい。
つい、既に手元にあるものに目が向いた。
英字の羅列の中には日本語が全く見えないし、書籍の色使いやデザインもあまり馴染みがない風体だ。
繭の眉間にきゅ、と圧が寄る。
「……それ、イングリッシュ?」
「Spanish」
「……あ、そう。ふーん」
何と言うか、こちらは日本語で手一杯なのに異国語アレルギーを発症しそうだ。
冴が選ぶなら何もおかしくないが思い切り異次元な気がして、視線を大きく横にそらせた。
ふと、書店の壁に貼られるポスターが繭の目に入る。
連載物の新発売が10月とか何とか、そんな内容だった。
「……そー言えば、誕生日近いね」
「ああ」
「……プレゼントの量、エグそう」
「エグいな」
「……プレーとかあんまり見てない顔ファンもいそう」
「いるだろうな」
「……昔っからだよねそれ」
「あ?」
「……ううん。何でもない」
自分の声がどんどん小さく縮んでゆく。
目を合わせないまま、繭は元の棚に視線を戻した。
頭がゆるりと本日の目的に戻ってくる。
ちょうど、最終候補を2つにまで絞った所だ。
二冊を左右の手に持ってみる。
「今」
「……」
「……こっちとこっちと、迷ってたトコ」
冴からは即答が来た。
「必要な方にしろ」
「……どっちが必要なのか、迷ってる」
「迷うなら、今はまだ必要ない」
「…………」
別に、相談をしたつもりはなかったけれど。
これは冴が極論なのか、繭が優柔不断なのか。
今は本の選定で忙しいのに、ここも重ねてわからなくなってしまった。
「んー……」
繭としては、AにはAの良さ、BにはBの良さがあるのだから迷うのは普通のことのように思う。
Aを選べば、Bは手に入らない。
Bを選べば、Aは手に入らない。
Aのメリットは金額、重さ、外装の良さ。
Bのメリットは内容の濃さ、網羅する範囲の広さ。
両方選べば手には入るがお金の損失が大きいし、必然的に時間も浪費する事になる。
両方選ばず帰宅するなら、今日わざわざここまでに来た意味の是非を問いたくはなる。
こうやって考え出すとキリがなくなる感じだ。
繭からは、溜息だけが大きく落ちてしまう。
「決めたくねぇだけだろ」
「……」
いつからかはわからないけれど。
冴は軽口で嫌な所を炙り出すような物言いをしてくる、とは思った。
うまく言い返せないのも、感情に乗せた文句が出ないのも、内側の弱点をつつかれるみたいに触れるものがあるからだ。
繭の視界にはずっと二冊が入っているのに、頭ばかりが空回りしている。
ふつふつと、苦い何かが無理やり上がってくる。
「……ま、決めないってコトは?……両方を手にする可能性を手元に残して好きに妄想して、自分に酔ってられるってコトだもんね」
これが、嫌味と自己弁護、少々の自虐も混ぜた繭なりのカウンターだ。
「雑だな、相変わらず」
「……雑なりに、考えてるもん」
「バカか」
「……」
「何も残らない可能性、見落としてんじゃねえか」
「…………」
また言葉に詰まってしまった。
冴は隣に立つこともしないまま、違う高さから淡々とものを見ているみたいだ。
「……」
だが一つだけ、繭の中でつながったものはある。
選ばないことで守りたかったのは「可能性を手に出来るかもしれない自分」ではなくて。
「喪失を回避していられる自分」の方なのかもしれない。
そして、この両者は表裏一体だ。
何となく、片方の本がぼやけて見えてきた。
「……決めた。Aにする」
「なんだAって」
「こっち。こっちをAってして、考えてた」
「無駄なとこに使ってんな」
Bは元の場所に戻した。
Aにしようと自分で決めてしまえば、迷いはほんのり晴れるみたいだ。
大型本屋だけにレジカウンターも広かった。
そこまで並ばずに、繭はAの購入を終えた。
この先の予定も、お金を払いながら自分で1つだけ決めた所だ。
繭は次なるミッションに移行する準備をはじめる。
購入した本を手に持ったまま、もう片手でバッグのポケットを漁った。
幸い、店舗の前にはまだ冴が見えた。
マスクを小さくずらしてペットボトルの水を飲む姿に向かい、小走りの姿勢をとった。
「ねえ」
「……」
「この本、サインして」
繭の片手には例の本、もう片手にはバッグに入れっぱなしのシャーペンがある。
冴は最初よりも深いくらいにマスクで鼻までを覆い隠していた。
「……やるか今更」
「ご近所じゃなくて、選手として」
「尚更くだらねぇ。サッカー知らねーだろ」
「考え方とか、そこがちょっとイイって思うから」
新書の表紙を開いた。
その裏は空気を読んでくれていて、白がなめらかだ。
右手にあったシャーペンを斜めにトン、と置く。
それを自分の顔の側、冴の胸の辺りにまで上げた。
「日付とかメッセージとか『繭ちゃんへ』みたいのは省いちゃってもいいから」
「……注文が面倒くせぇ」
「サインお願いしてる人の前でそれ言う?」
「された側だから言える」
「サクッと、サラッと」
繭は無造作に置いたシャーペンの向きを、45°くるりと整えた。
目元だけで、さもだるそうな空気を出しながら冴はそれを受け取った。
冴の親指の先からシャーペンのノック音がして、繭のまばたきが1つ大きくなる。
数秒もかからず終えたはずの冴は、止まったまま自分のサインに見入っていた。
追加で何かを書いてくれるかと言えば、そうでもない様子だ。
繭は横に回って控えめに本の中を覗いた。
シンプルに、流れるサインが1つだけある。
こそっと見上げたけれど冴は面差しを崩してはいなかった。
「……ダセぇ」
「気のせいだよ」
媒体はシャーペン、繭の愛用の芯の濃さはHだ。
細くて薄い芯はむき出しにされたまま、閉じた本の上に乗り繭の手元に戻ってきた。
これは一種のゲン担ぎだから、何も問題ない。
繭は1人でそう思った。
Fin
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