【ぬけがら】
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「ただいまー」
「……おかえりー」
この家で、習慣化された繭のただいまがキャッチされるのは久しぶりだ。
リビングに入ると母親がヨガマットを広げてストレッチをする姿が目に入ってきた。
「あれ。今日早いね」
「……アライアンス先から、直帰だったから」
フローリング上のスマホからは癒しなBGMとカウントダウン、説明を添える女性の声が流れていた。
繭はポージングに詳しくはないが。
母親の声には少しの力みが入るから、多分これはピラティスだろう。
繭は手洗いと着替えを終えて、リビングに戻った。
パーカーのポケットに入れたスマホを指で撫でながらキッチンに直行する、お目当ては冷蔵庫の中だ。
そこには昨日自分で買った季節もののコンビニスイーツがある。
ただ、500カロリー近くもあるから昨晩は一応我慢した。
あとは、よくある焼きプリンも1つ入っていたはず。
どちらにしようか考えながら冷蔵庫を開けて中を見渡した。
「あれ?」
「……なに?」
「プリンあったはずなのに、ない」
「……パパが食べたんじゃない?」
小さな溜息が出た。
ないものは仕方が無い。
選択肢は強制的に1つになる。
繭は第一候補のスイーツを手に取った。
冷蔵庫を閉めると、リビングから母親の声が届く。
「……ご褒美何とかってデザート、繭のだったの?半分、ちょうだい」
「え~500カロリー近くあるよ?いいの?」
「たっか。でも、だからこそよ、手伝う」
「んー……夕飯はなに?」
「秋鮭あるからそれで何か、今日は時間もあるし」
天使と悪魔が脳内会議をする気持ちもあったが。
夕飯の食材は、繭的には”アリ”だ。
繭は手元のビニール包装を見た。
きらめくフルーツと彩り豊かな秋色の表面は、ときめきの寄せ集めでしかない。
ひっくり返せば現実、成分表記の487カロリーがなけなしの罪悪感をぶん殴りに来る。
いくら食欲の秋と言えど、500カロリー近くは攻撃的なのも確かだ。
繭はお皿を出して適当に半分にした方を置いた。
自分は袋に残る方、もちろん気持ち大きめだ。
フォークを咥えて、リビングのソファに向かった。
膝を抱える格好でテレビリモコンを取る。
「テレビつけていい?」
「……いいよー」
作業みたいに何となくチャンネルを回した。
ニュース、幼児向け番組、アニメ、またニュース。
その繰り返しの中で目に飛び込む情報がある。
ふいに、手元が止まった。
「……」
こういう光景は昨日今日のことでは勿論ない。
ただ日常茶飯事かというと、さすがにそれも違う。
リモコンを持った手がすとんと下がった。
「あ、冴くん」
「……」
繭がもっとサッカーに興味を持てていてリアルタイムで理解していれば、こういう瞬間の感覚も違ったのかもしれないが。
結果として、繭はそのルートとは違う道を選んでいるだけだ。
「今でも、知ってても知らないコみたいな感じがしちゃう」
母親の言葉に何となく共感する部分はある。
この不思議な感じは言うほどおかしいものでもないのかも、と、頭で理由を添えてみた。
ピラティスは終わったのか、母親の会話のテンポが上がってきた。
ストレッチ風の緩みのあるポーズにどことなく変わっている。
「冴くん、昔は繭の事もよく面倒見てくれてたよね。宿題とか」
「……アレ面倒見てたって言う? “宿題やれ”しか言わないし、なのに自分は後回しにしてたり」
「でも、何だかんだで手伝ってくれてなかった?」
「教え方壊滅的に雑で結局自分でやってた気がする。“バカはサッカー出来ない”って、私そもそもサッカーやらないのに私が悪いみたいな」
他にも思い出すことが急にぽつぽつ浮かんできた。
テレビの中では表情の熱が削がれたみたいな顔をしているのが、何だか複雑になる。
これは思い出というほど輝くものではない。
ほんのり刺さる遠いものが、ちょこちょこ近づいてくる感じだ。
「世界のサッカー選手名、無理やり覚えさせられたことあった。 後日謎にテストさせられたり」
「あったわねそういう時期!繭家でも練習してたじゃない」
「呪文かと思ってた」
「繭の外国人の名前切る所がいつも変で、パパとほっこりしてた」
「冴の親衛隊?みたいな高学年女子に絡まれたこともある。“サッカーの邪魔になる”とか何とかで」
「そんなことあったの!?冴くんそこはフォローしてくれなかった?」
「何も知らずに永遠にサッカーしてたよ。当時は鵜呑みにしてたけど、理由絶対サッカーの邪魔じゃなかったよね」
「オンナのヤツね……」
どこか俯瞰して触れる事で、まだまだ出て来そうだ。
今更だがこれは立派なサッカーハラスメントではないか。
あと一つで終わり、そう息をついてから母親がまたポーズを変えた。
声色が一回り柔らかくなる。
「リティ、冴くんのこと好きだったよね」
「……学校から帰ってきてリティが私の心の友だったのに」
「つい任せちゃう時、冴くんいると安心だった。繭だとリティ逃がしそうで」
「……ソレ、ただの年齢の問題じゃない?」
リティは冴に懐いていた、ここは繭が解せない点だ。
繭の口元がふにっと曲がる。
秋のデザートで口直しをして、豊かな尻尾をピンと立てていたリティの姿を思い出してみる。
1つの提案が、頭の中に思い浮かんだ。
「……ねえ」
「なに?」
「……リビングにリティぽい猫の人形飾ってもいい?」
「ああ、繭の部屋にあるヤツ?」
「そう」
「いいわよ。リティがいつもいたあの窓際の辺りにする?」
ゲーセンの商品の割りには安っぽさもなく品のあるぬいぐるみだ。
リビングの雰囲気を損ねることもない。
むしろ、色味の少ない部屋にあったかさが出る。
ようやくメニュー全てを終えたらしい母親がキッチンに向かった。
コップ一杯のお水と、お皿に乗せたスイーツを持ってくる。
繭の最後の一口が消えた所で、今度は母親がデザートタイムだ。
「あ、美味しい!運動の後は格別」
フローリングの上には、まだ片付けられていないヨガマットが放置されている。
繭はテレビを止めて、ソファから立ち上がった。
「……私もやろっかなぁー、ストレッチ」
「若者は30分本気の全身ピラティスから」
「ピラティスは地味にキツイからヤダ」
「だから効くんでしょ」
「……」
夕飯の秋鮭はバターを乗せたホイル焼きがいいとリクエストしたら、あっさりイエスが返ってきた。
野菜も沢山入れるらしい。
ぽん酢との相性が最高のヤツだ。
ポケットのスマホが震えた。
全身ピラティスのリンクも、オマケでくっ付けてくれたみたいだ。
Fin
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