【ぬけがら】
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8月を過ぎたら、また例の時期だ。
気温も湿度もまだ高いけれど数字が1つ増えるだけで、季節が進むような気がする。
繭から、凛に話しかけた。
「誕生日おめでと」
「毎年言うな、それ」
「うん。覚えてるから」
スマホのスケジュール登録もしていないし手帳に書いたりもしていない。
ただ、これは繭の中に当たり前にインプットされている内容だ。
今年もそれが更新されたことに何となくの安心感はある。
内側が一回り、ふわんとする気はした。
「語呂がいいよね、覚えやすい」
「覚えてる理由それか」
繭の口元がほどけた。
もちろん理由は、それだけではない。
「それもあるケド。子供の頃からずっとだからかな」
「……」
「忘れないんだよね、どうしても」
「…………」
この理屈ならば、該当はもう一つある。
ふと、浮かんできたものがどの程度凛との共通項になっているかはわからないけれど。
繭の方から、先に口を動かした。
「だから、冴の誕生日も覚えてる」
「それが何だよ」
「別に何もないケド」
「聞いてねえ。今日誰の誕生日だ」
繭は朝のテレビニュースを思い出した。
普段ならば拾わない情報を無自覚にキャッチしてしまう自分を、自分でも面白く思ってしまう。
「今日ねー」
「……」
「乙女座、運勢一位だったよ。よかったね」
「……余計なこと言うな」
「一位で縁起イイのに?」
「聞こえねぇ、忘れた」
「もう?さすがに無理ある」
特別な日でも凛はあんまり浮かれる様子はないみたいだ。
繭の方が勝手にあやかり、先ほどから表情が崩れっぱなしになっている。
「今日何するの?」
「走る」
「なんか、特別な感じしない」
「文句あんのか」
ふるふると、首が左右をなぞった。
今年の誕生日は凛にとっては、予定表の一行が増えるみたいなものらしい。
わずかな飾り気を乗っけたいと思うのは、やっぱり繭の方だ。
その一方通行も今日はあまり気にならなかった。
「何か、欲しいものある?」
具体的なことを直接聞くのは、久しぶりな気はした。
意外にも答えはあっさり返ってきた。
「世界一」
繭は何度かまばたきをした。
的外れともしっくりとも言えない変な感覚だ。
横顔を見上げても凛は相変わらず、自分の中で完結させた世界にいるみたいに見えた。
「……そういう感じ?」
「それ以外なにあんだよ」
「……靴下とか」
「今さら欲しいヤツいるか」
「じゃあ何なら欲しいの?」
「世界一」
「スタートに戻った」
「そう言ってんだろ」
そういう事じゃなくて、と説明した所で多分これは平行線なヤツだ。
今日はそれを構わないと思うし、らしいと思う自分もいなくもない。
繭の表情がからりと移る。
曇りのなさがこぼれるみたいな笑いが出た。
「無理だなぁ、それは」
「お前に期待してねぇ」
「自分でやって。世界一をプレゼントできる人……そういないし」
「他人にもらっても意味ねえだろ」
嚙み合わない事もわからない事も、いつの間にか前ほど気にならなくなった気はした。
多分、無理に理解しなくても曖昧なままでも、前に進めればいいだけだ。
「あ、じゃあ……」
繭はふいにバッグの中を漁った。
前にコンビニで買って、まだ開けていなかった細長い包装を取り出した。
よくある粒ガムだ。
「これあげる」
「……ショボすぎんだろ」
「世界一と比べたら何でもショボいもん」
「靴下以下じゃねえか」
「……んー、じゃあ」
顔をくしゃんとさせてから、繭はまたバッグに手を伸ばした。
猫柄のミニポーチを開けて、二本あるうちの一本を取りだした。
飾りのない細めの黒いやつだ。
「これも付ける」
「なんだこれ」
「ヘアゴム」
「ゴミに近付いてんだろ」
「前髪邪魔な時、こうやって出来る」
「やるかよ」
凛の声は平坦だ。
ジェスチャーも添えたけれど、凛は何も受け取らずに先に歩き出してしまった。
「……」
繭は手の中に残るガムとヘアゴムを見た。
髪を結わく要領でガムの端の方にヘアゴムをくくり付けた。
そして一瞬だけ、頭に台詞を潜らせる。
選んだ言葉で声を張った。
「パス」
振り返る凛に、それを一方的に投げた。
凜が咄嗟に足を出してきたのは想定外だったけれど。
落とすこともなく、ちゃんと手元に届いたようだ。
「ナイスクリア!」
「どこがクリアだ」
繭の頬がやんわり上がった。
弾む足取りで、凛の横を過ぎる。
「いつか使えるかもよ」
それだけ伝えて、凛を追い越した。
今日の乙女座のラッキーカラーは青、ラッキーアイテムはリングノート。
3日もしたら忘れてしまうかもしれないけれど、今はまだちゃんと覚えている。
Fin
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