【ぬけがら】
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“落とし物を渡しておいて欲しい”
どこからどう繋がり回ってきたのか検討は付かなかったが。
担任の手から凛の生徒手帳が出てきた時には「距離バグ」と言った小春の言葉がリアルになった気はした。
以前なら、深く考えず普通に渡したとは思う。
けれど今は何かを深読みしている自分がいた。
結局は数日、通学バッグの中に入れっぱなしにしているままだった。
あれから何日経ったか数えてはいないけれど。
ようやくちょうどいい機会が巡ってきた。
「ねえ、これ」
繭はバッグの内ポケットから、凛の生徒手帳を出した。
凛は今日もサッカーかトレーニング、そんな雰囲気だった。
背中に近寄り声をかけると、凛は無言で振り返る。
視線は、繭の手元に落ちていた。
「落とし物だって」
「……」
「おっちょこちょいなの?悪用されるよ」
凛には目の前の事を気に留める素振りすら見えなかった。
繭が言い終える前に、前に歩き出していた。
「……ちょっと」
凛が背中だけ向けるのは珍しい事ではない。
けれど、今はそれを冷静に見られなかった。
繭としてはなるべく普通に振る舞ったつもりなのに、その態度はないとは思う。
繭の手元に力が入る。
生徒手帳の形が歪むのがわかった。
距離を取ると決めたけれど、今まであったものまで全て消すつもりはなかった。
そういう当たり前の事が、ようやく少しずつ見えてきた所だ。
「……待ってよ」
喉の奥で、こもるみたいな声が出た。
その隙間を埋めるみたいに、繭の体は走る形になっていた。
「凛!」
揺れる視界の中で、衝動に押され凛の背中へ手が伸びた。
服の裾を掴もうとした瞬間、自分の手の形が自分にブレーキをかける。
絡まりを逃がすように、繭は手元を引っ込めた。
「……ねえ」
「……」
「……なんで無視するの?」
「……してねぇだろ」
「してるじゃん。最近」
目の前の動きが急に途切れた。
凛の背中にぶつかりそうで、思考より先に足が止まる。
振り返る仕草も、見下ろす顔も、角度も、速度も、おかしい所は何もなかった。
凛は普段の通りに見える。
だからこそ、わからなくなる。
自分が距離を取るのは構わないけれど、相手にされるのは腑に落ちない。
都合がいいのは繭もわかっている。
それでも、目元が狭くなった。
「……私、普通にしたいっては言ったけど。……そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「怒ってねえだろ」
「……だってなんか、怒ってる感じするもん」
「勝手にそう思ってろ」
一方的に排除の線を落としてくるような。
抑揚の起伏が見えない冷めた声も知っている。
凛はまた、当たり前に先に歩き出した。
「……、……」
結局、何か言うほど繭だけがごちゃごちゃになる。
繭は大股で歩いた。
凛を追い越し前に立つ、そして生徒手帳を突きつけた。
ざらざらするものが乗るみたいに、無意識に声が大きくなる。
「これ!」
「……」
「落とし物だって!!」
「聞こえてんだよ うるせぇな」
「じゃあ無視しないで」
凛は斜めに繭を避けた。
「待っとけ」
空気が1つ、抜ける。
凛が横を通り過ぎた。
「……え」
「今いらねぇ」
「……でも」
「邪魔」
「……邪魔って」
繭は上がった自分の腕を下ろした。
拙い速さで歩きながら、凛を追いかける。
「……え、待って」
「……」
「……だって、なんで」
「そこでお前持ってんだろ」
ほどけた繭の歩幅は弱い。
凛との距離は自然と増えてゆく。
凛だけは、口調も歩調も変わらないままだ。
「……でも、なんで、私が」
「他に誰いんだよ」
納得は見えない中で、繭の目の奥が硬さを増した。
今の事実だけでは見えない何かを知りたいと思うからだ。
口からは、表面のみを固めたような声が出る。
「…………取りに来るよね?」
「俺のモンだろ」
「…………ちゃんと」
「しつけー」
どこか、懐かしさに触れた気はした。
ぎこちない繭の言葉は、会話というより確認のための音を置くみたいだ。
繭が意味を探そうとしているうちにも、凛は歩き続けるだけだった。
繭は指に残る手帳を見た。
手首を控えめに返してみる。
「……」
凛の生徒手帳は一度も触れていないみたいに整ったままだ。
小さな猫のシールくらい、見えないどこかに貼ってもバレない気はした。
一瞬、前みたいにくだらない事を考えた自分に少しだけ笑えてしまう。
もう一度だけ、繭はくるりとそれを裏表にする。
それから、通学バッグの内ポケットに手帳をしまった。
全部が変わった訳ではないけれど、全部が消えた訳でもない。
これが普通なのかはまだわからないとは思う。
けれど、これくらいの日常ならば続けていける気がした。
fin
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