【ぬけがら】
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左右対称の建物の佇まいが外の喧騒を一瞬で切り落とした。
お城のような重々しさの中には、磨かれた気品も埋まっているみたいだ。
急な温度差に、繭の胸の奥はかちりと固まるようだった。
「……美術館?」
「意外と穴場だぜ。涼しいし静かだし、常設は人少ない」
「……そんな、自分の庭みたいに言う人はじめて見た」
「お前、俺を無理にそーゆー方向にキャラ寄せしてね?」
繭からすれば、玲王への先入観を差し引いても高校生男女が美術館に来る事は早々ないようには思えた。
玲王は何の引っかかりもないまま、先に足を進める。
場に遅れを取りそうで、繭も急ぎ玲王の背中を追いかけた。
天井の奥行きが深く、確かに中は涼しかった。
白を基調に、透明な雰囲気がある。
受付までの通路を歩いた。
足元は音を返してきそうに輝いていた。
「最近返信遅かったじゃん」
「ごめん。ちょっと……整理というか」
「凛?」
「……一部」
玲王のまぶたが半分だけ落ち、視線が低く流れてくる。
不満を隠す気がないようだ。
「酷くね」
「え?」
「俺後回し?」
「違うよ!落ち着いてからと思って!」
繭の目元に力が走り、身体が半歩前に出た。
目が合うと、玲王はくるりと別の顔を見せてくる。
「良かった」
「え?」
「そこ、ちゃんと焦るんだ」
「……」
光が支配するこの場すらも、玲王は味方につけてしまうみたいだ。
「なんか整理出来た?」
「……距離とか。今まで通りなの、良くないのかなって」
「それ俺のため?」
「……」
繭は刹那、言葉に詰まった。
横から、玲王がわずかに背を落としてくる。
「違う?」
「違う……、……わない」
「そっか」
繭としては、頬がつるんと痒くなる感じだ。
「じゃあ、俺も繭に何かしねえと」
「……何か?」
「これから考える」
「……何だろ」
「まず、受付」
係員の静かな声がこの場所の規律を示してくるようで、背筋に芯が通る気分になる。
繭は控えめな声を出した。
「私、美術品とかわかんないけど大丈夫?」
「俺もわかんねえよ。興味はねえし」
「じゃあ、雰囲気で楽しむでいい?」
「それ正解。猫がいくつあるか探すか」
重い所だけをその場において、先に進んだ。
展示室は、音の気配が止まり澄んでいた。
そこに合わせるように、呼吸も自然と細くなる。
目に映る作品と自分の感性が噛み合うかというと、繭にはよくわからないけれど。
自分の存在が薄くなる感じは、少しだけ心地よくもあった。
後ろから、揺れのない落ちた声がした。
片方の耳だけが形を合わせ、そこに反応する。
「繭」
「うん……?」
視界の隅から伸びてくるのは玲王の腕だ。
繭は、人差し指が置かれるその先を見る。
「お前 右と左の絵ならどっち派?」
「ん、……右かな」
「俺左。あれ、相性悪い?」
「……じゃあ、左にする」
「いや、俺が右いく」
「結局バラバラ?」
「おかしい」
話しの温度感は、何度か交わしたものと似ている。
それが、この場に溶ける隣への囁きに変わるだけで、また新しい気持ちが見つかった。
「あ、繭に似てる絵ある」
「……“幼女と仔牛”だけど」
「似てね?」
「私が子供っぽいってコト?」
「仔牛ちゃんの方、目のあたり」
「まさかの哺乳類つながり」
「じゃあこっち?」
「……裸婦」
「あれ、意外と反応薄い」
「……さいてーひどーいれおくんえっち」
「いつの時代のヤツだよ。しかも棒読み」
「……結構頑張ったつもりだったんだけど」
美術館の楽しみ方は、純粋に作品を見るだけではないみたいだ。
“誰と見るか”の観点が混ざってくるように思う。
「玲王っぽい作品はあるかな」
「どれ?なんかある?」
「んー……ないかなぁ」
「俺が1番の美術品?」
「……」
「何か言って。寒いだろ」
「……」
「何か言えって!」
「……肯定とツッコミの狭間でフリーズしてた」
「危ね。褒められてた方か」
「焦るの、そーゆートコなの?」
「事実も本人が言うと時に嫌味じゃん?」
「やっぱ反省してないなー」
「してるしてる」
玲王は癖がそのまま出るような顔をする。
その瞬間、静寂が張る空気も笑うみたいだ。
はじめのエリアを一巡した辺りで、玲王は片手を差し出した。
「手、繋ぐ?」
「……」
「イヤ?」
「っイヤじゃない!……慣れない、だけで」
繭自身、過剰反応している気もしたけれど。
一歩止まっていると、目の前の手のひらが端正にまとまってゆく。
「じゃ 小指」
「……」
「コレも拒否られたらさすがに凹む」
「しないっ……拒否しない!」
顔を伏せながら、繭は控えめに小指を出した。
ゆるく絡む指先が、身体ごと前に引いてくる。
小くても、小さいから、体温がわかるのが大切になった。
「次の角まで」そう言う玲王の声がどこか遠く聞こえる。
角を過ぎると、小指は何かを伝うみたいにそっと滑っていった。
指の関節の先、爪の端から離れる瞬間が一番熱くなる。
「こっちのコーナー薄暗くね?」
「……ホント、照明落とされてる」
「残念」
「え?」
「こっちで繋げば良かった」
差し出されるのは、手のひらだ。
それを見ていると内側がきゅう、と詰まる。
誰も知らない所で気持ちの底が1つだけ上を向く。
「おかわり」
「……おて?」
「お利口じゃん」
「……くーん」
「そこ、ワンじゃねえの?」
自然と、繭も手が伸びた。
重ねるまでの時間は、一度目よりも短くなる。
帰り道。
この時間も、何度目かになる。
さっきまでの余韻が場に残り、空気が和らいだ。
「そいや繭、猫数えてた?」
「あっ……全く数えてなかった」
外はもう薄暗い。
時間経過は今日も早いみたいだ。
「俺2つまでは数えてたんだけど」
「私、真ん中あたりの大きいのしか覚えてない」
「あったなー ラグドール?」
「あれヒマラヤン」
「今日イチの博識きた」
「……ちょっとバカにした?」
「褒めた。さすが猫博士」
「なら嬉しい」
「あとさ」
「なに?」
「試していい?」
「なにを?」
「繭」
「……試すって?」
玲王が足を止めた。
繭も自然と向き合うような位置になった。
淡い風が過ぎる程度に、空気がズレた気はした。
玲王の腕が上がる。
その先で親指と人差し指がするりと動いた。
作るのは崩れた指ハートのような、ドラマみたいな二本指のバンにも見える。
「繭に問題」
そのまま、玲王は近づいてきた。
動きを追いかけ繭の顔が上がる。
視線が上にすべり、真上を向くほどの角度になった。
繭の目の前には、ゆるく結ばれた指先がある。
「キスかハグ」
「……」
「どっち?」
繭の口が薄く開いた。
「か、からかってる……?」
「からかうならもっと早くカード切るっつの」
「じゃあ、……なに?」
「言ったじゃん。何かするって」
手元が、ひらりと反った。
人差し指が薄くすくってくるのは、前髪だ。
額の中心あたりを、左右に小さく。
肌の表面に触れる程度に、痕だけが流れた。
「顔、赤すぎね?」
「だって……っ」
「無防備だろって思ったけど、ちゃんとそーゆーコトは考えてんだ」
「そ、そーゆーコト、……?」
「1から説明必要?」
「いいっ いらない」
「実演のが早い」
「……っ」
「どっち?」
繭は思わず下を向く。
漂うのは、揺さぶるような記憶にない香りだ。
額が玲王に触れそうで、結局はまた顔が上がる。
必死に、息の出来る場所を探す。
不器用の繰り返しだ。
「繭遅。俺が決めた」
「……えっ……じゃあハ、ハグ!ハグで!」
「両方」
片側の頬に包まれるみたいな温度が乗った。
ゆるく上に引かれると、次は一瞬だ。
髪がかかるくらいの距離に、顔が近付いた。
声の量が、わからなくなる。
「ふつう、ふつうは、ハグから?なんじゃないの……!?」
「俺普通じゃねえし」
玲王の瞳が澄んだまま横に尖った。
届くのは、いつもより深い所で耳に絡むみたいな声だ。
「……秘密、守れる?」
「……ひみつ……?」
「……バレたら面白いけど」
「……っ……」
いい加減、足が後ろに引けた。
「だめ!」
「……」
「だめ!だめだめ!」
急に雰囲気の欠片もない声が出た。
ずりずり下がった後に、繭はその場に膝を抱えて座り込んだ。
胸の内の音だけは、景色と似合わず今も大暴れしている。
「ずるいっ 色々ずるい……っ」
「まだ何もしてねえよ」
「寿命縮んだもん……っとられたっ」
「いや、さすがに大げさだろ」
玲王の話し方はまた軽い。
からりと、整う顔付きに戻っていた。
帰宅後、繭は自分の部屋に急いだ。
湧き出すみたいな胸の音は低く不規則に続くままだ。
繭は白猫のぬいぐるみを引き寄せた。
顔を埋め、強めに目を瞑る。
「……」
目の前は真っ黒で、部屋は無音だ。
ここには自分を乱すものは何もないはずなのに。
「……なに。いろいろ……」
静けさに落ちれば落ちるほど、頭はいっぱいになるばかりだ。
ぬいぐるみを置いた。
そして、ベッドに身体を投げた。
Fin
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