【ぬけがら】
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
自宅への距離が縮まるにつれて、繭の足はじりじり重くなった。
気持ちは小春の部屋に置いたままのよう、自分が二分する感覚はまだ残っている。
けれど “部屋には入れない” それだけは繭が自分で決めた事だ。
前には、凛の背中が見える。
声の届くうちに、と、繭は薄く口を開いた。
「……あのさ」
繭は立ち尽くす自分の影を見る。
数歩先で、凛が止まった気配はわかった。
「今日、ウチだめなんだ」
「……」
「今日だけじゃなくて、しばらく、ずっと」
「……」
「だから、私の部屋たまり場みたいにするの、もう無理」
言い切った後、想像していたよりも繭の鼓動はゆっくりだった。
凛は無音で、先ほどと同じ速度で歩き出した。
「……」
凛の無視はよくあることだ。
肯定の意味合いなら問題はない。
けれど、何となく表面がざわつく気もした。
凛の背中を見ているとわずかに口が渇く。
繭は駆け足で、横に追いついた。
「ねえ、聞いてる?」
「……」
「ウチ、ダメだから」
「なら、お前来い」
「……」
家の区間は同じだ。
凛の足は、一定速度のままだった。
繭の歩幅がゆるみ、固まる。
揺れそうになる視線を何とか前に留めた。
「えっと、場所の話じゃなくて……」
「じゃあ何だよ」
「だから、その……」
数歩先で凛が止まった。
会話が視界に及ぶ程度にだけ、振り返る。
繭は細い声で話し出した。
「もう、普通に戻したい」
「……」
「距離とか、普通な感じに」
「……普通って何だよ」
「だから、よくある普通に、戻そうって」
「意味わかんねぇ」
繭は指先をゆるく握りしめた。
「えっと、……普通って言うのは、クラスメイトとか、そーゆーくらいの」
「正気で言ってんのか」
「……え?」
「戻す原型がねぇだろ」
一瞬、周りが止まる。
繭の目には凛が深く映る。
なのに視界は、幅が狭くなる気がした。
浮かぶ異質な影を打ち消すように、声を張った。
「じゃあ、……直せばいいんじゃない?距離とか、普通にして、ちゃんと」
「それで何が変わんだよ」
「何がって、……それは」
「変わらねえだろ」
「……」
「何も」
凛は動きを削って、また前に歩き出した。
「……」
一歩一歩、目の前には凛が積む距離が広がってゆく。
「……え」
自分は今、確かにここに立っているのに。
名前のないものが外側から染み込み、居場所が1mmづつ削がれてゆくみたいだ。
鼓動がゆるく騒ぎ出した。
「……待って……」
「……」
「……待ってってば……っ」
凛の背中を、追いかけた。
「友達に」
「……」
「距離感がバグってるって言われた」
「知らねぇよ」
「……だ、だから」
「勝手に言ってるヤツのがバグだろ」
「だって普通は、……確認とかするじゃん、当たり前みたいになってるの、変だもん」
「しただろ」
「いつ」
「覚えてねえ」
「…………いつ?それ多分、確認って、言わない」
「じゃあ何なんだよ」
凛が振り返った。
眉の端が寄る表情には、摩擦の痕跡がある。
「……え?だって私の部屋だもん、私の部屋だから!」
「だからだろ」
「……だから?」
「だから」
「……ちょっと何言ってるのか、わかんない」
「わかんねぇのお前だろ」
凛は数段早口だ。
音が止むと、内側の鼓動はずいぶん小刻みだった。
その音だけが身体をここに繋いでいる。
繭の中に、ふっと冷たい感覚が流れた。
「…………なんか」
「……」
「…………も、いい」
「……」
「帰る」
かろうじて、浮かぶ程度の声は出た。
凛を避け、道の隅の方に急いだ。
塀と地面の間には無意味な雑草がある。
そこに視線を固めて、繭は更に足を早めた。
「っ」
いきなり来るのは人工物が返す音だ。
無理やり裂かれた視界には、凛の片脚がある。
塀からのざらつく音が繭の足を完全に止めた。
「……舐めてんのか」
低い音が飛ぶ。
空間の形まで制御される中、喉の奥が張り付きそうだった。
「なに、ホント……」
「何回言わせんだ」
凛の足元が絞まった。
鈍い擦れが一層濃くなる。
「なにが?……意味が、わかんない……」
「テメェだろこの前から」
「だから、え?……なんで?……」
「…………脳味噌イカれてんのか」
「……っ」
頭も心も止まっているけれど、急に足だけ軽くなる。
繭は振り返り、真っ直ぐ前に走った。
呼吸は浅くて下手だった。
目が乾くのと、時々だけ曇るのと。
あとは自分の足音だけだ。
Fin
【ぬけがら】へ戻る