【ぬけがら】
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一つ気まずいことがあったくらいで、日常まで変える方がおかしい気がした。
それをする選択こそ、不安定が大きくなるように思えたからだ。
繭は部屋を前にして、自分の爪先あたりばかりを見ていた。
「この前」
「……」
「なんだよ」
「…………」
凛にすれば、先日の事が疑問なのはわかる。
答える繭の声は小さかった。
「……玲王?」
「誰だよ」
「……誰って。凛の方がよく知ってるでしょ」
顔を上げれば、当たり前に見張られるみたいだ。
もやりと、まぶたの縁取りが楕円になる感じがする。
「たまたま、前に、会って、……」
「……」
「で、友達、なった……」
別に悪い事をしたワケではないのに、とは思った。
何となく、今を続けていたくなくて繭はまた足元を見た。
繭にも、言いたい事はある。
「あのさ」
「……」
「さすがにあの態度はなくない?」
「お行儀教室やってんじゃねんだよ」
「……それは、わかる、……けど」
言い終わる前に、凛はもう背を向けていた。
普段なら断りも無く部屋の中の定位置まで進むのに、背中は止まったままだった。
「……」
「なに?」
「……」
「え?なに?」
「……なんもねえ」
「……怪しい」
「お前が言うな」
「…………」
変わらないはずの自分の部屋なのに、何だか拒まれているみたいだ。
もやもやするものの解消の仕方が、どうしてもわからない。
ドアの音だけは、いつも通りだった。
「こんなんあったか」
「……」
「でけぇ」
「っ」
一気に、ざわりとしたものが溢れた。
元々、手のひらサイズのぬいぐるみが窓辺に1つしかない部屋だ。
凛が目を向けた先がどこか、想像するまでもない。
既に、白猫のぬいぐるみはテーブルから浮いている。
片耳を摘まれ、斜めになりながら数ミリだけ揺れていた。
「リティっ……」
凛が振り返った。
繭の視界に、真っ直ぐ凛が映る。
「返して」
「……」
「返して」
「…………」
自分の声が、やたら耳に響いた。
音もなく落とされたぬいぐるみを、繭は両手で抱いた。
そのまま足を返し、部屋の入口を見る。
首に触るふわふわが、どこか冷たい気がした。
「……なんだよ」
「……なんでもない。このコ、まだ、……新品だから」
抱きしめる腕が きゅう、と強くなる。
「名前までつけてんのか」
「……違う。……たまたま、……似てるから、つい」
理由らしいものを言うほどに、自分がじわじわ重くなるようだった。
別に、嘘をつきたい訳じゃない、これは本音だ。
けれど、何かを守りたい自分が多分自分の中にいる。
繭にはこれも本音なだけだ。
繭はいつものようにテーブル前に座り、腿の横にぬいぐるみを置いた。
そして、通学バッグから英語のプリントを3枚出した。
ここ最近サボっていたから、いよいよ釘が刺さったものだ。
「……」
ペンケースの奥の方から、薄いヒビ入りの1番書きやすいシャーペンを出した。
まずは、バツの付いている箇所を消しゴムで擦る所からだ。
凛はいつもの場所で、スマホいじりをはじめた。
あれから数十分程度。
繭はずっとペン先でプリントをとんとんするか、消しゴムを転がすか。
適当に単語を書いてみてはどうせ違うからまた消すか。
この繰り返ししかしていない。
何もしたくないのに、何かしていないと意識の置き場所がわからない感じだ。
ふと、他に思い付くのはお菓子の爆食くらい。
一階のキッチン棚には、ストックはいくつかあったはずだ。
繭は一度、ぬいぐるみを見た。
「……」
置きっぱなしにはしたくなくて、ぬいぐるみを片手で抱えてその場を立った。
部屋に戻り、まずはぬいぐるみを隣に置いた。
次にポテトチップスの封を開ける。
パリパリ乾いた音が、静かな部屋ではよく届いた。
3枚食べ終えた所で、プリントに小っちゃな脂染みが出来ていることにも気付いたけれど。
払おうかと思って、やらないままだ。
「…………食べる?」
片手にある袋を、一応は凛に差し出してみた。
凛がテーブルの方に身を伸ばしてくる。
そのまま袋の上の方を掴んできた。
繭は、指先の力を強めた。
「ひとつ」
「……」
ポテトチップスの袋があちこちぐしゃぐしゃ言う音も、ここでは意外と大きい。
「……あっ」
結局、凛は上から袋ごと奪って行った。
あっという間に元の位置に座り込み、パリパリ音を自分のものにする。
「……」
繭はもう一つのチョコレート菓子に手を出した。
紙箱を開けてから内装を縦に全て裂き、1つを口に放り込んだ。
「プリント1枚どんだけかかんだ」
「……気が散るから」
「何もしてねえ」
「……お菓子とった」
「英語と関係ねえだろ」
「……」
繭は大きく息を吐き、チョコレート菓子を二個口に入れた。
首を左右に回してから、目元を大きく擦った。
更に重ねて、溜息だ。
繭の身体の揺れを受け、ぬいぐるみが倒れたのが横目に入った。
「あっ……」
ペンを置き、すぐにそれを起こした。
見なくても体感でわかるのは、独特な質量みたいなものがある凛の視線だ。
応じれば瞬発的にぶつかった。
「なに」
「……」
凛の目元は、けろんとポテトチップスに落ちてゆく。
「そんな大事か」
「…………似てるから」
その後も、手が求めるのはシャーペンではなくお菓子の方だ。
Fin
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