【ぬけがら】
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「こんばんは」
昼間は使わない挨拶だから、まず、そわそわする。
見慣れない高さの建物が並んでいて、繭の視線は上へ引っ張られた。
都会の光は明るいのにしとやかで、“大人の場所”の印象をつくっている。
「今日、凪は?」
「呼んでない」
「そっか……」
「残念?」
「えっ、ち、違う!」
「伝えとく」
「っ、いい!」
「ウソ」
玲王はわかったみたいな顔をして、この背景に落ち着いていた。
世界が先に進み、繭だけは準備が出来ていない感じだ。
「夜って、ちょっと新鮮だね」
「ほぼ昼しか会ってないしな」
「そうだね」
「だから」
横を見上げれば、ふと目が合う。
いつしかこれも、一歩だけ自然に近づいている。
「今日は夜」
今しがた、玲王の輪郭の陰影がわずかに濃く見えた。
高速エレベーターの中、耳がキンとする感覚の先には、目を見張る景色がある。
繭の表情がそのまま止まる。
溢れる感動を、声が一番先に伝えてきた。
「わあ……すごい!」
「そう?」
「うん。綺麗」
「繭ん家、どっちの方?」
「多分だけど、こっち側、かな?」
「いや 逆じゃね。地図読めないコ?」
「そんな事ないよ、景色に慣れないだけ!」
玲王は一度だけ身を乗り出して、繭が指差した方向の先を見た。
視界の先、一面の展望ガラスはほんのりと、自分達の姿も透けて映している。
繭の集中の先が、ちらちら手前に変わってきた。
「……さっきから」
「なに?」
「……景色見ないの?」
「見てる」
「……私?」
「そ」
「…………」
玲王は普段の調子だけれど。
繭の中では、何かが絡まり交錯する感じだ。
隣にいるのにどこかが遠いみたいな、ものを感知するセンサーが違うというか。
うまく説明出来ないものが、浮かんでいるみたいにも思えた。
「……こういう雰囲気とか、慣れてるの?」
「んー まあ、普通」
「……そうなんだ」
「でも今日は違う」
「え」
「繭いるし」
「……」
玲王は手すりに片肘を乗せ、街の灯りを浅く見下ろした。
それから再び、繭に視線を滑らせてくる。
「なんか考えてるー?」
「……少し。玲王も考える事ある?」
「そら、あるよな」
「……そっか」
「必要なコトは」
「……」
「何か飲むか」
玲王がふいと、足を動かした。
向かう先はテイクアウトカフェだ。
手にした2つの飲み物を「どっちがいいか」で渡してくれる。
お礼を言って受け取ると、繭の指には想像よりも硬いプラスチックの感触が通った。
ちょこっと口を付けると、甘くほろ苦かった。
「玲王って」
「ん?」
「モテるでしょ?」
「そう見える?」
「……否定しないんだ」
「そういう人イヤ?」
「……見てて、そーなるのは摂理かなっては思う」
「はは 摂理とか。初めて言われた」
玲王は夜景から身を返し、ガラスを背にした。
その先で、飲み物を口に運ぶ所も、スマホで時間を確認する動きも、繭には停止ボタンのない動画みたいに見える。
「あと、……もう1つ」
繭は、手元の飲み物を両手で握り直した。
「……白宝って、偏差値の高い進学校で……ふとした瞬間とか、話してる内容とか」
「……」
「……名字も気になるし。だから、時々なんか……住む世界違う人かなって思う時ある」
「そう思った?」
「……また否定しない」
「お前は否定して欲しいの?」
「…………それも、少し、違う」
玲王は微かにだけ、口元を斜めにする。
「でも俺は」
「……」
「住む世界は自分で決める派」
「……セリフまでパーフェクトじゃん」
そして一瞬だけ、くしゃんと笑う顔が見えた。
「来る?」
「……切符あるなら」
「用意する」
「、そういうトコ!」
純度の高い何かで、沈黙も緊張も、ひとつづつ踏み抜いてくるみたいだ。
「一周歩くか」
既に一歩を踏み出している玲王について、繭も隣に並んだ。
外側の景色はゆるく変わってゆくのに、繭はその事に気づけないまま。
隣にいる人のことを、ただ考えている。
繭の目元が、少しだけ細くなる。
「……もしかして」
「次の尋問?どーぞ」
「……何でも思い通りになるって思ってたりする?」
ちょうど、さも“イイ感じ”の男女が視界の隅に入ってきた。
玲王がそこをうまく避けて歩いたのはわかった。
「一個だけ」
「え?」
「今、繭」
「私?」
「思い通りにならねえわ」
「……」
返す言葉が、わからなくなる。
「面白い」
駅までの帰り道。
もう、完全に夜と言える時間になった。
「次は何しよ」
「また、次?」
「行こうぜ」
「ん、うん」
「決まり」
このやりとりにも、慣れてきた。
あと一歩、足の運びを間違えたら腕が触れてしまいそうな位置にすらいる。
帰宅後、母親の声がした。
「おかえりー 遅かったね」
「うん」
「出掛けるって言ってたけど、楽しかった?」
「うん」
リビングに寄らず、一直線に自分の部屋に向かった。
電気を付ければここ毎日テーブルから迎えてくれるぬいぐるみのリティがいる。
「……」
今日も綺麗で可愛いまま、何も変わっていない。
それを見ながら交わした会話を、ただ思い出してみた。
Fin
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