【ぬけがら】
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繭は固唾を吞んだ。
ここに来て3秒で、自分が浮いていることはわかった。
都内にあるホテルラウンジの入り口に置かれた巨大過ぎる生け花からして、繭には画面の中の世界だ。
磨かれた光る床と高い天井に空間感覚を酔わされてしまう。
縦に長い黒服のウエイターすら雑誌のモデルに見えた。
「……っ」
今は、この雰囲気に淡々と溶けている冴の背中を追いかけるしかない。
高層階に浮かぶビル群の迫力も、隣の席が遠すぎるソファ配置も、繭の肩をすくませるばかりだ。
「キョロキョロするな」
「だって……私、場違いじゃない?」
「言動が場違いなだけだ」
一度、膝に手を乗せ小さくまとまった。
他にも懸念はある。
「あと、こんな所にいて、大丈夫なの?」
「普通にしてる方がバレない」
「……そういうもの?」
これは“普通”なのかはさておき、冴は目元を曖昧にするサングラスを付けたままだった。
そして既に、メニュー表を見ている。
「どれだ」
メニューにはラミネート加工がない。
しっとりした感触のそれを渡されても、繭には英字下の小っちゃなカタカナしかわからなかった。
「……何を頼めばいいのかわからない……」
「……苺ショートか」
ふいに、視線が前に飛んだ。
「……ケーキの中なら択一。なんでわかったの?」
「いつもそれだろ、ガキの頃から」
「……よく覚えてるね」
「わかりやすいだけだ」
「……」
あとはどうしても、カタカナ横の洒落た数字が気になってしまう。
「……うわ、ホールケーキ余裕で買える」
「ここは気にするな」
「……するよ」
まだちゃんと決めていないのに、冴はもう勝手にウエイターを呼んでいた。
こういうテンポは、昔から変わらない。
「お決まりでございますか」
「どれにする」
「あ、えと、じゃあ……っ」
だいたいショートケーキの名前が俳句レベルに長いなんて、普通は思わない。
カタカナを読んでいるだけなのに、たどたどしい声になってしまった。
「そこ、噛むか」
「っ、言い慣れてないから!」
足まで付いているお冷グラスに、繭はぎこちなく手を伸ばした。
黒い丸皿に乗せられたショートケーキは、知っている高さの倍はあった。
「わ……すごい……」
見た事ない宝物みたいにキラキラしていて、ぽかんと口が開いた。
身体を左右に寄せ、つい色々な角度から断面美を観察してしまう。
冴は、飲み物だけみたいだ。
風景の一部同然にカップを手にしていた。
「……食べないの?」
「砂糖は普段はカット」
「……なんだろう罪悪感」
「どうせ食うんだろ」
「……食べる」
「なら黙って食え」
「……いただきます」
拝むみたいに、両手を合わせた。
ご丁寧に3点揃ったカトラリーも、繭の動きを緩やかに困惑させにくる。
ケーキの甘さは控えめで、スポンジもクリームも溶けるように柔らかかった。
主役は苺、そこに干渉しないよう調和している感じがするのはコンビニのケーキではまず味わえない所だと思った。
半分くらいになってきたから、いよいよ、変な角度からフォークを入れたら崩れてしまいそうだ。
「……ねえ」
繭は一度、フォークを置いた。
皿の余白が大きいから、置く場所を一瞬迷ってしまった。
「……変なコト聞くけど」
「……」
サングラス越しでも冴が視線だけ、こちらに向けたのはわかった。
「……人って、観察すると、何かわかる?」
「……」
「……例えば、“いつもこのケーキ食べてる”とかもだけど」
前から、カップを手に取る音がした。
繭は冴のカップの表面に、意味なく目を向けてみる。
「えっと、そういう表のコトだけじゃなくても」
「……」
「例えば、上から見たらこのケーキには苺が2つ乗ってるけど、実は中にも入ってるしソースにもあるし、とか、よく見えない部分も、っていうか」
「……」
「人も見てると、何かわかるコトとかって、ある?」
繭は少しだけ前のめりだ。
白いカップが置かれるまでの間が、何故か長い気はした。
「わからない」
「……」
「それ、“観察してるだけ” だろ」
「…………」
何かを落とされるみたいな、感覚だけはあった。
ケーキに残る苺に、繭の目が固まった。
視界の端で、冴が足を組み直すのが見える。
「試合も同じだ」
「…………そうなの?」
「見てもわからない時はある」
「…………じゃあ、見てもわからないなら、どうするの?」
上にあった苺は艶も金もまとい最初のまま潤んでいるのに、今はかすかに傾きかけている。
「簡単だろ」
「…………」
「もう一回、だ」
「………………」
繭は再び、フォークを取った。
大きな苺を一気に刺して唇の中に押し込み、片手で口元を押さえた。
「……ん……」
もぐもぐを落ち着けてから、照明で輝き続ける柄の長いスプーンを取った。
「……ちょっとだけ食べる?めちゃくちゃ美味しいよ。これで横から取って?味見してみて」
腕を伸ばし広いテーブル先に差し出してみるも、冴はそこからふいと気配を削いで横顔になってしまった。
「砂糖は敵」
「……言い方がヤダ」
「毒」
「……もっとヤダ」
贅沢な腹ごしらえを終えた後は、親のお遣いの買い物がまだ残っている。
Fin
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