【ぬけがら】
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凛は舗装された海沿いの道を自転車で走っていた。
今日は練習場所が遠く、時は夕方だ。
背中のリュックに放り込んである制服や学用品、サッカー関連の物が混ざり、揺れに合わせて音を出していた。
そんな折、視界に入るのは幼馴染の繭だ。
膝を抱え丸まっていて顔は見えないが、判断はつく。
海沿いのこのルートは通学路では使わない。
凜は自転車のスピードを緩めて、止めた。
海風に消えない範囲の声を出した。
「何してんだ」
返答はない、動きもなかった。
凛は自転車を降りると繭の方へ足を近づけた。
繭はやはり、止まっている。
「聞いてんのか」
視界を荒らす前髪を適当に片手で押さえた。
繭は、時間をかけて少しだけ顔を上げた。
目が赤い。
強張る横顔が見えた。
繭は、今しばらく黙ったままだ。
「…………LINE、来たんだ」
「……」
「…………リティ、死んじゃった、って」
「……」
繭はまた、元の通り小さくなった。
凛は海の方へ視線を向けた。
時間は進み、辺りは少しづつ色を濃くする。
けれど、手元の状況はしばらく動いていないように見えた。
「いつからそこいる」
「……」
「もういないのは変わらねえだろ」
「……」
返ってくるものは、ない。
凛は歩道に方向を変えた。
「帰るぞ」
自転車に戻っても、繭は動かなかった。
車道を行き来する車の音がうるさいだけだ。
「立て」
少し、声を張った。
やっと背を伸ばす所は見えたが、動く、立つ、歩く、動作の全てが遅い。
顔を伏せる繭の横を、一度だけ戻った。
「忘れんな」
風に煽られる繭の通学バッグの肩紐一本を掴んだ。
凛は歩道に入り、歩き出した。
繭はその後ろから着いてくるだけだ。
音も何もなかった。
まだ数分もたっていないのに、すぐに振り返る事になる。
繭はえらく後ろで、風に乱れる髪で顔もわからなかった。
凛は、水平線に目を向ける。
自転車にまたがると背負っていたリュックを前側にかけ直した。
やっと追いつく繭に、通学バッグを押しつけた。
「持て」
繭の指には砂が付いていて、血管が透けている。
大した重さもないバッグをいきなり両手で握りしめていた。
「乗れ」
「……」
ずっと止まっていた繭の目が、一瞬だけ横にそれた。
「…………ヤダ」
凛の目元が、細くなる。
「歩くの遅え」
「……だって昔、落ちた事あるし……」
「いつの話してんだ」
「…………」
凛はリュックから、丸めた学ランの上着を出した。
「着ろ」
「…………」
通学バッグに半分埋めた顔を、繭は少しだけ上げた。
片手で凛の上着を受け取った。
「…………重」
「サイズ合わねぇからだろ」
「……」
「寒くねえなら返せ」
「……」
袖を通せば、肩が押される違和感が強い。
生地は冷えているけれど、少しあったかいのもある。
左右に小さく首を振った。
「急げ」
見えない指先を順番にたぐり、全高のある自転車に乗った。
動きはすぐで、速い。
「…………」
頬が風で冷たいのと、ヒリヒリするのと。
靴下と上着の間からくる空気がひんやりするのと。
急な揺れに、咄嗟に手が出る。
「引っ張んな」
「……でも」
「落ちない」
「…………」
ひとつづつ、出した手を自転車の金属フレームに戻した。
また、空間だけが後ろに流れてゆく。
ふと、感覚が変わった。
自転車が止まったみたいだ。
繭は頭を上げた。
周りは信号で、半分夜の気配がある。
自転車は、またすぐに動き出した。
「…………」
もう少しだけ、先に目を向けた。
遠くでは海がごちゃごちゃに混ざって見えた。
太陽は影だけで夜が敷かれ、雲はまだら。
宵の明星は、沈みそうな場所にある。
「………………」
「…………」
「……白」
「……」
鼻の奥がツンとした。
喉が固まって呼吸が細まる。
内側から上がるものが表面で集まり、落ちた。
一番星は濁って、視界からいなくなってしまった。
さっきまでとは違う道で、あったかさだけが頬の上を撫でる。
「……、……」
重たい頭も保てなくなってきた。
顔が勝手に下がってしまう。
今、唯一見えるのは、手元を隠す黒だけだ。
額の真ん中に触れる支えで、何とか自分をここに留めている。
「落ちるぞ」
「……」
「真っ直ぐ座れ」
「……」
身体が思うように動かないから。
目に映る黒までも、水中に消えてしまいそうだ。
「掴んどけ」
「……」
固まる腕を何とか動かした。
凛のジャージを掴んでみる。
「ちゃんと掴め」
「…………っ」
一度だけ、まばたきをした。
掴んだ手元は黒いだけだ。
重い袖を思い切り寄せれば、自分の手元が見えてくる。
力は入らないけれど、温度は少し返ってきていた。
今度は確かに、凛のジャージの背中部分を掴んだ。
「降りろ」
「……」
目だけを回せば自宅の側だ。
辺りは暗い。
足の付かない自転車から、引っ張られるように降りた。
通学バッグを一度地面に置き、凛の学ランの上着を脱いだ。
体温が一気に逃げて、肌寒いのはわかった。
上着を半分に折り、凛に渡す。
通学バッグを片手で拾い上げた。
「…………」
あとは、家に入るだけだ。
「余計なこと考えんな」
「…………」
「事実確認だけして寝ろ」
fin
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