【ぬけがら】
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
本日は、視界の隅に収まる凛をいつもより小さく調整しているおかげなのか。
足を動かすだけの繭の帰宅時間が、ふと、興味の時間に変わった。
「あ、猫だ」
塀の上にいるのは、以前もこの辺りで見かけたキジトラ猫だった。
野良にしては身綺麗で警戒心もむき出しではない印象はあるが、飼い猫にしては良い意味での野性味を残していた。
繭の足先がそちらに動くと、猫は頭を下げ前足をほんのり動かした。
瞳孔が半端に開く楕円の瞳は、人間の様子を見張り続けている。
猫の顔が、見えない速さで横にそれた。
合わせて繭の意識の幅も後ろに広がった。
「…………」
音は微小に、下から影が寄る感じも、最小限の動きを取る所も、こういう事は頭よりも背中が学んで覚えているものだ。
「…………近いと…………逃げちゃうかも」
一旦、気配の流れは止まる。
けれど、繭の目の前のキジ猫は内側に微かな警戒を宿し続けている。
「逃げんの、猫か」
「…………………猫」
前を見ながら出した答えは、きっと本心だ。
繭は数歩、塀に寄った。
改めて、日頃見慣れた長毛の洋猫とは全然違うと思った。
顔は逆三角に締まっているし、首も背中も艶が集まり中身が詰まって見える。
いまだに、猫はその場に留まり、ヒゲを迫り出し注意の表情を維持していた。
「……目見ると、警戒するかも」
「……」
「なるべく自然を装う。鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
「だからお前いつも遅ぇのか」
「静かにして」
「命令すんな」
「………………」
「……無視かよ」
キジ猫は観察の目を中に隠しながら、その場で一度だけ尻尾を揺らし、前足では小さな伸びを披露してくれる。
まるでこちらをもてあそんでいるみたいだ。
繭の指先が猫の顔に伸びた。
そこに鼻先で、人間調査をふんふん返してくる。
「…………かわい」
繭の声も表情も、勝手にこぼれて消えてゆく。
一呼吸分だけ遅れて心の方が追いついてくる。
こんな感じだ。
「……手からマタタビの成分出て欲しい」
「……発想、死んでんだろ」
つい、繭の手が伸びた。
図に乗り頭を撫でようとした瞬間、猫は身体の線を静かにずらしてそれを華麗にかわして見せた。
さすがにまだ、撫でさせてはくれないみたいだ。
「……今日はここまでにしよ」
表面の溶けた声と一緒に、繭は後ろに下がった。
「距離感は大事だからね」
「今日そればっかだな」
「……」
「距離がどうとかうるせぇよ」
「……」
ゆっくり、振り返ってみる。
目に映る凛は本当にいつもの通りだ。
「……ごめんねは?」
「ねえ」
「……ないんかーい」
「お前が慣れろ」
「……なんという暴挙」
自分でも判断のつかない、中身のない声が出た。
並ぶ影を視界に入れながら、繭は一つだけ思い出した。
「そー言えばさぁ」
「……」
「さっきお店で隣にいた人、やたら見てたよね。なんか粗相した?」
「暇なんだろ」
「そっか」
今日は通り道のあの猫に一歩近づいた気がするから、繭にとっては良い日だ。
Fin
【ぬけがら】へ戻る