【ぬけがら】
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良く晴れた日の朝。
想像以上に道が混んでいたせいでバスが遅れ、駅に着いたのがギリギリだった。
繭は先ほどからスマホと駅とを交互に見続けている。
狙っている電車まであと1分しかないからだ。
目の前でゆっくりバス料金の支払いをする人には、正直少し苛ついた。
頭の中は焦っている。
仕方なく次の電車を狙う選択を取るか。
ただ、それだと遅刻に足がかかるため降りた先で走る必要がある。
気温もあるし今朝は勘弁願いたいが、遅刻をするとそれもそれで面倒だ。
バスを降りれば、家を出た時よりも気温が上がっていた。
走れば少し汗ばむくらいの感覚はあるが、ここでは関係ない。
人はそこそこに多いけれど、足を急がせるだけのスペースはちゃんとある。
改札内の電光掲示板には電車が来る文言とアナウンスが流れていた。
もう一度スマホを見れば定刻、電車がホームに近づく音がするのでさすがに諦めの念が濃くなった。
決めきれないまま流れに乗り定期を取り出そうとすると、すぐ横を真っ直ぐに凛が通り過ぎた。
「え、今の乗るの?」
繭の声に重なり定期をタッチする音の方が先に過ぎた。
凛は振り返りもしないまま改札を最短で通り、早足で階段までを一気に進む。
歩幅がまるで違うから、一段飛ばしで進んでも繭の方は猛ダッシュを強いられることになる。
ブレない背中は前しか見ていない。
揺れのない行動の早さには、何とも言えない違和感みたいなものがあった。
===
ギリギリで乗り込んだ電車内は涼しかった。
繭の口から出るのは安堵の溜息だ。
凛は一直線に比較的人の少ない場所にもう立っていた。
繭もそれを追いかけてみる。
「間に合ってよかったね」
「……」
先ほどの迷いと困惑、急な走り出しで繭は軽く息が上がっているのに、凛にはその片鱗すら見当たらなかった。
繭は手のひらで顔に風を送りながら、周りを見渡した。
いつの間にか中吊り広告は白っぽい色合いのものが増えている。
汗に強い夏用化粧品の発売情報が見えた。
この時間帯は通勤の社会人と学生が多い。
入り口の方は人が多いが、ここは意外と快適だ。
さすがに席は空いていないが、身動きが難しいほど満員でもなかった。
凛の隣にいたサラリーマンが吊革一つ分、横に寄るのが見えた。
そういえば、凛の側は意外と人が少ない事は多い。
多分、“人たらし”とは真逆の何かを滲ませているせいだ。
「…………」
そしてふと、気になった。
では、その外側に出る雰囲気みたいなものは一体どこから来るのだろうか。
繭の顎先が、斜め上にわずかに寄った。
自分の眉を追いかけるみたいに、視線が固まる。
凛の目先は真っ直ぐに前だ。
意識して何かをしているようにも、自分を作っているようにも見えないけれど、純粋な自然体かと言えばそれも違う気はする。
「……言いたいことあんのか」
「……いや……」
繭の口は反射的に動いたけれど、目は動かないままだ。
凛は自分の姿勢を崩さず、低い温度みたいなものを保ち続けている。
ここでは強いてあげるなら、言いたいことではなく、見極めたいことがあるのだ。
先刻、電車に走った時の違和感の正体が何となくわかった。
判断が早いとか状況が読めるとか、多分そういう次元の話ではない。
人間ならば当たり前に持ち合せている予測不能による揺らぎのようなものが、凛には存在していない。
迷わないのではなく“迷うという構造を持ち合わせていない”。
こう見る方が、むしろ合点がいく。
「…………」
凛の静かな引力みたいなものはこういう所だ。
時々、快とも不快とも言えない妙な感覚を覚える時がある。
例えるなら、自分という調和された人間の中に、先鋭的な異分子を容赦なく押し込まれるような瞬間。
その常人を超えるアウトプットは一体どこから来るのだろうか。
繭にはその数式が見えないから腑に落ちないのだ。
それは思考の範囲ではじき出した結論になるのか、感情面で起こるもののならしの為なのか。
もっと奥にある精神性みたいなものから出るものなのか。
あるいはそれらのブレンドなのか。
だとしたら割合はどうなっているのか。
発動のトリガーは何か、いつから持っているのか。
浮かぶ問いに対して、得られる報酬が少なすぎている。
「……気持ちわりぃぞ」
「……言い方……」
視線だけで、睨まれた。
繭は一度大きく息を吐いてから、顔を前に戻した。
「……どうなってるんだろうって……」
「……は?」
現実をどう見ている?
あるいは見えている?
インないしアウトを変換している?
これもただただ、わからないばかりだ。
「……暇か」
「暇ではない。今、考えてるし……」
視界は真っ直ぐ窓の外に戻っても、繭の目の中はただのスクリーンのように入るものをひたすら流しているだけだ。
「見て分かんねぇなら、無駄だろ」
「……わかろうとすることに意味がある?」
「必要ねぇだろ」
「…………」
凛の言う事はあからさまに間違ってはいない。
けれど、繭の視点もおかしくはないはずだ。
「これ多分ソッチも感じてると思うけど」
「……」
「話、時々噛み合わないよね」
繭の片手が自然と顎に伸びた。
視線は前に座る人の膝辺りに固まった。
それを見ている訳ではなく、瞳の位置をただ固定している感じだ。
「……違う観点で話してるっていうか……でも全く別のこと話してるのとも違くて……
なんだろう、お絵かきアプリのレイヤーの違いみたいな。
同じ対象を、例えばリンゴ描いてるんだけど私は色のレイヤーで色合いとか質感の話ししてるのに、でもソッチは輪郭のレイヤーから境界線どう引くかみたいな観点で見てる。
だから全然噛み合わないんだけど、でも全く別ものを描いている訳じゃないから、完全な意味不明までにはならないというか……」
「だから『いいね!』とか『わかる!』とか普通の会話にならない。でも『二度と関わりたくない』っていうほどの意思疎通出来ない感じではない……
同じ場所で共有しているものがあるかっていうと、それも違う気がするから……
多層みたいな感じかと思ったんだけど……」
「伝わる?」
「……」
身体が前のめりに反応して、視線も勝手に上がった。
凛の横顔には反応の色が見えなくても、繭としてはお構いなしだ。
大きなまばたきが続くと、その分だけ自分の目がまん丸くなるのがわかる。
繭なりには、うまくまとまった気はした。
正確に的を得ていなかったとしても、きっとニュアンスは近いはずだ。
「てんとう虫か」
「……」
「お前」
「……」
繭のまばたきが止まった。
目線だけが左右前後に曖昧にブレて、最後には何とか戻ってきた。
「…………え?私の話聞いてた?」
「……」
「なに?どういうコト?」
「知らねぇ」
凛はむしろ、逆側にそっぽを向いてしまう。
髪のかかる耳元をしばし追っていても、その先は戻って来そうになかった。
急に鈍った気がする頭が、独り歩きみたいに言葉だけを追いかけてゆく。
「……てんとう虫?……何それ……赤?……マスコット的な?……」
しっくりはこない考察の中に、ひとつだけヒントが返ってきた。
「黒い方のヤツ」
「……キモい方」
繭の目に、少しづつ眩しい日差しや民家の屋根の色が入ってくる。
この辺りならば、そろそろ次の駅にも着く頃だ。
Fin
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