【ぬけがら】
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朝っぱらから繭の雰囲気は重い。
加えて言うなら顔つきも暗いし、足取りも遅かった。
「…………」
繭の様子がいつもと違うことは隣にいる凛には多分バレている。
その上で、無音が続くのは無関与に留まり続けているということだろう。
状況が伝わっているなら、こちらから話に引き込むことも一つだとは思う。
繭はよどんだ目元を微かにだけ横に動かした。
朝の日差しは眩しいくらいだから尚更、繭の気持ちは追いつかないままだ。
「……ねえ」
「……」
「……ちょっと聞いて」
「……」
ここでの無言は肯定だという事にして。
繭は思いつくままに、ぼそぼそと言った。
「……昨日の夜ね」
「……」
「胸クソ悪すぎる不倫映画見ちゃって」
「何を見てんだ」
「で、今も気分がモズモズしている」
馴染みのない擬音のせいか、一瞬だけ会話が止まった。
「…………何だそれ」
「必死に言葉にするとそんな感じ」
「……何が言いたい」
「そういう気分てコト」
「……意味わかんねぇ」
「なんか、モヤモヤじゃなくてモズモズなんだよ。モヤモヤより棘がある気がする」
繭は溜息をつく。
内側にある感覚を正確に拾うことは難しくても、理屈で説明出来ることもある。
「主演女優さんが可愛くて少しだけと思ったんだけど、どろどろ展開が気になって最後まで観ちゃった……」
「自業自得じゃねぇか」
「ああいうのって原因は何?当事者の心理?依存とか執着?不倫って関係だから?それとも運命論みたいなヤツ?」
「……多すぎるだろ。絞れ」
「わざわざはいい。少し気になるだけでそこまで興味ないし」
「じゃあ考えんのやめろ」
「……」
会話が続かないのは、今に始まった事ではないが。
繭は少しだけ皮肉めいた顔をした。
「あとでリンク送るから観なよ。胸クソ悪くなれる」
「いらねぇ」
「なんで?モズモズしなよ」
「それ聞いて見るヤツいねぇだろ」
繭は一度大きく息を吐く。
ついでに、両腕を上に大きく伸ばしてみる。
どうにも今日はやたら重たい感じだ。
ふと急に思い出すのは、昨日の映画のワンシーンだった。
繭は心の揺れに任せて顔を伏せ、声のトーンを落とした。
「あとね……」
「まだあんのか」
「清純派イメージだった女優さんの幸薄い人妻感が絶妙で、ドキドキした……」
「……で?」
「だから、ドキドキした」
「……は?」
「ドキドキしたって話」
「……それだけか」
「そうだよ」
「…………」
苛立ちか、呆れか、理解不可か。
凛からはさすがに快とは言えない空気が漂ってきた。
だが、それは繭も同じことだ。
「なんか呑まなきゃやってられないから、今日は帰りにサイダー買お」
「ただの炭酸じゃねぇか」
「気分の問題だよ、サイダーもお酒になる」
「ならねぇよ」
表、裏。
光、影。
正しさ、間違い。
不倫もここに入るのか。
世の中が綺麗ごとだけで出来ていないのはわかっているが、何だか自分の中の線引きが曖昧になる感じだ。
繭は思い切りの真顔を作り、無表情の横顔を見上げた。
「……不貞行為ってどう思う?」
「どうでもいい」
「出た。そういう雑な感じの」
「お前に関係あるのか」
「なんでそうなる!?ある訳ないでしょ」
「じゃあどうでもいいだろ」
「……不倫てする方とされる方、どっちが悪いんだろうね」
「……状況によるだろ」
「急に真面目!?」
「一概には言えねぇ」
「なんか深み!?どうしたの!?」
「話してんのお前だろ」
ほんの少しだけ、頭が晴れるような。
繭の中にわずかな動きが戻ってくる、そんな気もした。
「……なんで好きあって結婚したのに傷つけ合う事をするんだろうね」
「……ズレてるからだろ」
「ズレ?」
「前提が崩れないって所がズレてる」
「……まあ、そっか、人間機械じゃないしね」
何やら言い回しは堅苦しいが。
言っている理屈は繭にも理解は出来た。
「……でも、前提を崩さない元でするのが結婚なんじゃないの?」
「事実、出来てねぇから壊れんだろ」
「理想論ではなく再現可能か、ってコトか」
理にかなってはいるのだが。
繭としては、やや情に欠けて感じる部分もある。
ほんのりと、目頭が寄る感じがした。
「でも、なんだか夢ないね」
「夢で回るなら苦労しねぇ」
何やら微妙に停滞してしまう話題を、繭の方から戻してみる。
「じゃあ結局、結婚て何なの?」
「……契約」
「嘘でしょ!?無機質すぎない!?」
「間違ってねぇだろ」
「まあ、でも……いや、サッカーの企業契約じゃないよ!?」
「定義決めて何がしたい」
「目的はない。なんだろうっていうプロセスを辿る話かな」
言葉をその場のコミュニケーションとして使うのか、目的ありきで使うのか、人にはこの違いがあるからここは致し方ない部分だ。
凛の声には、僅かな鋭さが乗る。
「なら最初からそう言え」
「言ったら無視とかする」
「場合によるだろ」
「今のは?」
「無駄」
「ほら」
そろそろ、この時間も終盤になる。
繭はこみ上げる欠伸をかみ殺した。
じわじわ近づく太陽の温度のせいか、身体がやたらほかほかする。
「なんか眠い」
「……で、結局何が言いてぇんだ」
「えっと、つまり、モズモズしたって話」
「それで終わりか」
「終わり」
「……中身何もねぇ」
「ね。用件も結論もなかった。それは認める」
そういえばいつの間にか。
眠気と引き換えに気分がほんのり回復しているのだから、今はそれだけで十分だ。
「でも価値あった。なんか気持ち晴れた!」
「……天気予報か」
「サイダーは買うけど」
「……勝手にしろ」
これを聞いてくれたと言うには親身さも関心も足らないけれど。
きっと、聞く理由は何もないが、聞かない理由も特にないだけだ。
繭はもう一度腕を伸ばした。
一日は、はじまったばかりだ。
Fin
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