書き散らし
原神・ローエン
2026/07/17 13:31お題「歌い続ける毒」を盛られました。誰かの愛情で治ります。
*
朝起きると、喉元に違和感を感じた。
鏡を見て、顔を洗って、ご飯を食べて、身支度を整えて。
それでも何もなかったから、いつも通り職場へ向かった。
自宅があるミルハーヴェンからドーンマンポート行く道すがらも何もなかった。
喉の違和感は変わらず感じていたけど、きっと昨日飲んだお酒が残っているだけだと思った。
駐屯地へ着くと、上司で同期の姿が見えた。
しらず足取りは軽ろやかになる。
今朝から自主巡回に行っていたのか、アップルグリーンの襟足が乱れていた。
おはよう。今朝の調子はどうですか?
いつもみたいに、軽く言ったつもりだった。
けれど出てきたのは、いままで出したことのない綺麗なソプラノで。
ローエンの肩を叩こうとした私の手は、行き場を失くして胸元へ戻る。
「は?」
振り向いたローエンと目が合う。
すぐ近くで聞こえた、聞き馴染みのある声でそうじゃない美声。信じがたいがそれしかないという目で私を見る。
駐屯地にいた全員が、突然響いたメロディーの発生源を探し始めた。
私が固まっているうちに、さっきのソプラノが私の声かもしれないと思いはじめたようだ。みんなの視線がひとりまたひとりと刺さって、なにか言わなきゃって意味もなく焦った。それがいけなかった。
違うの、といったはずの言葉は、まったく聞き覚えのない言語で歌を詠んだ。
とっさに口を塞いでも、勝手に口の端から歌がこぼれていく。
まるで喉そのものに意思が宿り、歌を歌う機能に乗っ取られてしまったように身勝手に歌を唄い、底に隠していたものをつまびらかにしていく。本能で分かった。これは愛の歌だ。
私は音痴だ。人前で歌うことさえ嫌いだ。恋の歌なんて小っ恥ずかしくて歌えない。
なのに肺は歌うために膨らむ。喉は歌うために大きく開く。頭の中で勝手にメロディーが流れて、耳は旋律に支配されそれ以外はノイズとなって聞き取れない。周囲のざわめきも歌のライムに混ざって溶けていく。怖い。世界に歌と私しかいなくなって、今はその歌にさえ飲み込まれる寸前だった。
はっ、はっ、と短い呼吸に切り替わっても、歌は止んでくれない。
なにがどうなってるのかわからない。視界がグルグル回って、あこれダメかもって思った。
助けを求めるように伸ばした手を、誰かが力強く掴み、引っ張られる。鎧同士がぶつかる硬質な響きの、刹那の間。
聞こえた。
「落ち着け」
歌声がくぐもる。ローエンの肩口に顔を埋められたからだ。ローエンの匂いでいっぱいになって、一瞬頭の中のメロディーが止まったような気がした。
歌の隙間からローエンの低い声がかすかに聞こえて、大丈夫だ落ち着けと繰り返される。
「お、え、ん……」
きかないで。ローエン、聞かないで。
歌の隙間からなんとか絞りだしたけど、まったく言葉になっていなかったと思う。
抱き込んだ彼の手が、ほんの少し強く握り込まれた。歌の隙間から、周囲がざわめく気配がした。ローエンが一度深呼吸すると、優しく身体を離される。
じっと見定めるようなローエンの目に見つめられて、喉元の違和感が膨れ上がった。
途端、歌声はまたどこへ向けているとも知れない悲しい旋律を紡ぎ出して、聞かせたくなくて手で口を覆う。
それでも絶えず歌は漏れた。
やめて。
きかないで。
恋しさを滲ませないで。
自分のことなのにどれひとつコントロール出来ない、もどかしさ、悔しさ。目頭が熱くなる。歌も涙も、私のいうことをきかず溢れて止まらない。
嗚咽混じりの歌は、それでも切なく胸に迫る旋律を紡いでいた。
なまじりから伝う熱い涙を、冷たい手が掬う。
「無理に息を吸うな。呼吸を整えることだけ考えろ」
私の頭を、ローエンは自分の胸元にそっと寄せた。少し早いローエンの鼓動が耳を打つ。歌が、緩やかになった。ローエンの鼓動に合わせて息を吐く。だんだんと楽になっていく。
空いた手でローエンの服の裾を掴むと、ゆったりとした旋律に変わっていく。その変化になにか得体の知れない恐怖を感じた。足元にぽっかり穴が空いて、命綱を目の前の人に握られてるような。どうにも逃げられない予感に眩暈がした。
面倒見のいい彼は何度も私の名前を呼んで、安心させるように背中を撫でてくれる。
嬉しい。
恥ずかしい。
悔しい。
もどかしい。
腹正しい。
いろんな感情がないまぜになって、歌として現れる。
全部かき消して欲しい。なかったことにして欲しい。そんな願いだけは、歌は聞いてくれない。ローエンの胸の、この音だけが頼りだった。
もっと聞きたい。今なら許されるだろうか。よこしまな心を恥じる。でも私の身体も心もとっくに制御権を放棄していて、私のものじゃないから、それなら、いいかな。いいのかな。わからない。怖い。頭の中がグルグルする。
もっと近くにいきたい。鼓動を聴きたい。ローエンの服をきつく握りしめると、背中を撫でる手がぎこちなくなった気がした。
手を止めてほしくなくて、ローエンの胸の中からそろりと見上げる。
そこにはいつもの軽く澄ました顔しかないと思っていた。
視界が急に暗くなった。たぶん、ローエンの手によって遮られた。視覚情報の減った頭は、なんだかふわふわして瞼が下がっていく。
酸欠か、安堵か。定かでないけれど。
急激な睡魔になすすべなく私は眠りに落ちた。
私の歌は、オルゴールのゼンマイが切れるようにとぎれとぎれになり、やがて聞こえなくなった。
まだローエンの眼を見ていたかった。
ローエンの、細められた緋色の眼は。どんな感情で見下ろしていたのか、あの一瞬では判断することが出来なかったから。
*
力尽きた
*
朝起きると、喉元に違和感を感じた。
鏡を見て、顔を洗って、ご飯を食べて、身支度を整えて。
それでも何もなかったから、いつも通り職場へ向かった。
自宅があるミルハーヴェンからドーンマンポート行く道すがらも何もなかった。
喉の違和感は変わらず感じていたけど、きっと昨日飲んだお酒が残っているだけだと思った。
駐屯地へ着くと、上司で同期の姿が見えた。
しらず足取りは軽ろやかになる。
今朝から自主巡回に行っていたのか、アップルグリーンの襟足が乱れていた。
おはよう。今朝の調子はどうですか?
いつもみたいに、軽く言ったつもりだった。
けれど出てきたのは、いままで出したことのない綺麗なソプラノで。
ローエンの肩を叩こうとした私の手は、行き場を失くして胸元へ戻る。
「は?」
振り向いたローエンと目が合う。
すぐ近くで聞こえた、聞き馴染みのある声でそうじゃない美声。信じがたいがそれしかないという目で私を見る。
駐屯地にいた全員が、突然響いたメロディーの発生源を探し始めた。
私が固まっているうちに、さっきのソプラノが私の声かもしれないと思いはじめたようだ。みんなの視線がひとりまたひとりと刺さって、なにか言わなきゃって意味もなく焦った。それがいけなかった。
違うの、といったはずの言葉は、まったく聞き覚えのない言語で歌を詠んだ。
とっさに口を塞いでも、勝手に口の端から歌がこぼれていく。
まるで喉そのものに意思が宿り、歌を歌う機能に乗っ取られてしまったように身勝手に歌を唄い、底に隠していたものをつまびらかにしていく。本能で分かった。これは愛の歌だ。
私は音痴だ。人前で歌うことさえ嫌いだ。恋の歌なんて小っ恥ずかしくて歌えない。
なのに肺は歌うために膨らむ。喉は歌うために大きく開く。頭の中で勝手にメロディーが流れて、耳は旋律に支配されそれ以外はノイズとなって聞き取れない。周囲のざわめきも歌のライムに混ざって溶けていく。怖い。世界に歌と私しかいなくなって、今はその歌にさえ飲み込まれる寸前だった。
はっ、はっ、と短い呼吸に切り替わっても、歌は止んでくれない。
なにがどうなってるのかわからない。視界がグルグル回って、あこれダメかもって思った。
助けを求めるように伸ばした手を、誰かが力強く掴み、引っ張られる。鎧同士がぶつかる硬質な響きの、刹那の間。
聞こえた。
「落ち着け」
歌声がくぐもる。ローエンの肩口に顔を埋められたからだ。ローエンの匂いでいっぱいになって、一瞬頭の中のメロディーが止まったような気がした。
歌の隙間からローエンの低い声がかすかに聞こえて、大丈夫だ落ち着けと繰り返される。
「お、え、ん……」
きかないで。ローエン、聞かないで。
歌の隙間からなんとか絞りだしたけど、まったく言葉になっていなかったと思う。
抱き込んだ彼の手が、ほんの少し強く握り込まれた。歌の隙間から、周囲がざわめく気配がした。ローエンが一度深呼吸すると、優しく身体を離される。
じっと見定めるようなローエンの目に見つめられて、喉元の違和感が膨れ上がった。
途端、歌声はまたどこへ向けているとも知れない悲しい旋律を紡ぎ出して、聞かせたくなくて手で口を覆う。
それでも絶えず歌は漏れた。
やめて。
きかないで。
恋しさを滲ませないで。
自分のことなのにどれひとつコントロール出来ない、もどかしさ、悔しさ。目頭が熱くなる。歌も涙も、私のいうことをきかず溢れて止まらない。
嗚咽混じりの歌は、それでも切なく胸に迫る旋律を紡いでいた。
なまじりから伝う熱い涙を、冷たい手が掬う。
「無理に息を吸うな。呼吸を整えることだけ考えろ」
私の頭を、ローエンは自分の胸元にそっと寄せた。少し早いローエンの鼓動が耳を打つ。歌が、緩やかになった。ローエンの鼓動に合わせて息を吐く。だんだんと楽になっていく。
空いた手でローエンの服の裾を掴むと、ゆったりとした旋律に変わっていく。その変化になにか得体の知れない恐怖を感じた。足元にぽっかり穴が空いて、命綱を目の前の人に握られてるような。どうにも逃げられない予感に眩暈がした。
面倒見のいい彼は何度も私の名前を呼んで、安心させるように背中を撫でてくれる。
嬉しい。
恥ずかしい。
悔しい。
もどかしい。
腹正しい。
いろんな感情がないまぜになって、歌として現れる。
全部かき消して欲しい。なかったことにして欲しい。そんな願いだけは、歌は聞いてくれない。ローエンの胸の、この音だけが頼りだった。
もっと聞きたい。今なら許されるだろうか。よこしまな心を恥じる。でも私の身体も心もとっくに制御権を放棄していて、私のものじゃないから、それなら、いいかな。いいのかな。わからない。怖い。頭の中がグルグルする。
もっと近くにいきたい。鼓動を聴きたい。ローエンの服をきつく握りしめると、背中を撫でる手がぎこちなくなった気がした。
手を止めてほしくなくて、ローエンの胸の中からそろりと見上げる。
そこにはいつもの軽く澄ました顔しかないと思っていた。
視界が急に暗くなった。たぶん、ローエンの手によって遮られた。視覚情報の減った頭は、なんだかふわふわして瞼が下がっていく。
酸欠か、安堵か。定かでないけれど。
急激な睡魔になすすべなく私は眠りに落ちた。
私の歌は、オルゴールのゼンマイが切れるようにとぎれとぎれになり、やがて聞こえなくなった。
まだローエンの眼を見ていたかった。
ローエンの、細められた緋色の眼は。どんな感情で見下ろしていたのか、あの一瞬では判断することが出来なかったから。
*
力尽きた
