小ネタ
「花瓶に触れられない」
2026/07/14 12:33はじめて挑戦した腐向け
レオクラ
「来週、うちに来いよ」
袖口のボタンを止める手を止め、振り返る。
男は天井を睨んでいて、目を合わせない。安いホテルの、天井のシミでも数えているのだろうか。雨音を垂らすようにまたポツリと呟いた。
「来週、誕生日だろ」
億劫そうに言う。
気怠さを残した頭で記憶を呼び起こす。
誕生日。
来週。誰の。
「⋯⋯嗚呼、」
自分は春に生まれたのだったな。
繋がったセリフの意図に気付くも、しかし、クラピカは緩慢な動作で瞬いた。他人の認識と知識の自認にある溝を注意深く見逃さないように。
自分の漏らした吐息に反応したのか、レオリオは背を向ける。平均より広い背中に、みみず腫れが幾筋かあるのを見とがめ視線を手元へと移した。
それが、なんだという。
男が此方に意識が向くことはないことを確認し、着替えに戻る。
朝方の室内はシンとして、お互いに息を潜め合っているのが分かる。自分がたてる衣擦れの音で誤魔化されれば良いのにと、しょうもないことを願う。
そんな自分の愚かさにも、一度も行ったことがない男の家に招待された意味も、この関係にも。
最後に靴紐を結び直し手荷物を確認してドアに手をかける。
少し思い直して、振り返る。
男はやはり、ベッドに寝っ転がったままだった。カーテンからうっすらと差し込む朝日が少し眩しい。安くてボロいけれど、この階のこの部屋は南向きで陽当たりがいいのだと、いつか聞いた。
陽が昇りきれば、微睡むには最適だ。
狭い部屋である。陽光が少しずつ部屋を侵食し、陰りを奪っていく。クラピカの履いた革靴の、もうつま先まで迫る。
ぞわりと背筋に這う何かに、一歩後退る。
追い立てられるようにドアノブを捻った。
「内ポケットの中」
捨てるなよ。
直前に投げかけられた言葉に苦々しく思いながら強めにドアを閉める。早足でエスカレーターまで歩き、なかなか上がってこない下ボタンを連打する。もどかしいくらいに遅い扉に身を踊らせ開閉ボタンを拳で叩く。みし。プラ素材のカバーに一線が走る。
ごうんごうんと下がっていく箱の様子に、詰めていた息を吐いた。
幸い、相乗りするものは誰もやってこなかった。壁に背をあずけ、ガラスに映る自分の顔を見る。赤目にはなっていないが、顔色は最悪だった。
昨夜の情事の名残りで、目元は薄っすら赤く腫れている。隈はもう一生ついて回るものとして諦めている。
自分の顔なんぞ眺めていてもつまらなく、自然と視界が下がり艶の失いつつある爪先を見つめる。決して、顔色が酷くなった原因を思い出したからではない。本当に、決して。
「⋯⋯来週」
だから、なんだというのだ。
次の週を迎えたとして、なにかが劇的に変わるわけではない。
何もかわりはしない。
軽く首を振って思考を切り替える。
今日の、スケジュールは。 手帳を確認しようと胸元に手を当てる。指先は手帳の固い感触以外のものが触れる。カサリと渇いた音が鳴った。
そっとポケットからそれを取り出す。
去り際の男のセリフが蘇る。
「だから、なんだというのだ⋯⋯」
幾度となく心中で繰り返した言葉を吐き出す。
メモの走り書きには、日付と住所と、隅の方に「だからメアド教えろっていったんだ」と殴り書きされていた。
あの男らしい粗雑で荒っぽい、大きな字。
「馬鹿者め⋯⋯」
自分にどうしろというのだ。
歩み寄ってくるものを罵ることしか出来ない自分に、どうしろと。
こんな紙切れ一つ、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てればいいのだ。
頭ではわかっていても、綺麗に折りたたんでまた手帳の裏に仕舞い込む自分の矛盾に嫌気がさす。笑えない話はしたくない。
箱の外の闇に映る影が軽蔑の目で見ている。
その目に見つめられ、唐突に自分は何事もなく特別なこともないまま、その日を過ごせられればいいと無意識のうちに思っていたことに気がついた。
浅ましくも、傲慢に。その日を慎ましく迎えられると。いつ死ぬかもわからないのに。
やがてエレベーターが降り切って、外に出たら思考は完全に切り替わる。このエスカレーターの中だけが曖昧で、箱から一歩踏み出せば自分はまた闇に住う1人となる。
微睡は終わる。
いつも通り、ここで。
レオクラ
「来週、うちに来いよ」
袖口のボタンを止める手を止め、振り返る。
男は天井を睨んでいて、目を合わせない。安いホテルの、天井のシミでも数えているのだろうか。雨音を垂らすようにまたポツリと呟いた。
「来週、誕生日だろ」
億劫そうに言う。
気怠さを残した頭で記憶を呼び起こす。
誕生日。
来週。誰の。
「⋯⋯嗚呼、」
自分は春に生まれたのだったな。
繋がったセリフの意図に気付くも、しかし、クラピカは緩慢な動作で瞬いた。他人の認識と知識の自認にある溝を注意深く見逃さないように。
自分の漏らした吐息に反応したのか、レオリオは背を向ける。平均より広い背中に、みみず腫れが幾筋かあるのを見とがめ視線を手元へと移した。
それが、なんだという。
男が此方に意識が向くことはないことを確認し、着替えに戻る。
朝方の室内はシンとして、お互いに息を潜め合っているのが分かる。自分がたてる衣擦れの音で誤魔化されれば良いのにと、しょうもないことを願う。
そんな自分の愚かさにも、一度も行ったことがない男の家に招待された意味も、この関係にも。
最後に靴紐を結び直し手荷物を確認してドアに手をかける。
少し思い直して、振り返る。
男はやはり、ベッドに寝っ転がったままだった。カーテンからうっすらと差し込む朝日が少し眩しい。安くてボロいけれど、この階のこの部屋は南向きで陽当たりがいいのだと、いつか聞いた。
陽が昇りきれば、微睡むには最適だ。
狭い部屋である。陽光が少しずつ部屋を侵食し、陰りを奪っていく。クラピカの履いた革靴の、もうつま先まで迫る。
ぞわりと背筋に這う何かに、一歩後退る。
追い立てられるようにドアノブを捻った。
「内ポケットの中」
捨てるなよ。
直前に投げかけられた言葉に苦々しく思いながら強めにドアを閉める。早足でエスカレーターまで歩き、なかなか上がってこない下ボタンを連打する。もどかしいくらいに遅い扉に身を踊らせ開閉ボタンを拳で叩く。みし。プラ素材のカバーに一線が走る。
ごうんごうんと下がっていく箱の様子に、詰めていた息を吐いた。
幸い、相乗りするものは誰もやってこなかった。壁に背をあずけ、ガラスに映る自分の顔を見る。赤目にはなっていないが、顔色は最悪だった。
昨夜の情事の名残りで、目元は薄っすら赤く腫れている。隈はもう一生ついて回るものとして諦めている。
自分の顔なんぞ眺めていてもつまらなく、自然と視界が下がり艶の失いつつある爪先を見つめる。決して、顔色が酷くなった原因を思い出したからではない。本当に、決して。
「⋯⋯来週」
だから、なんだというのだ。
次の週を迎えたとして、なにかが劇的に変わるわけではない。
何もかわりはしない。
軽く首を振って思考を切り替える。
今日の、スケジュールは。 手帳を確認しようと胸元に手を当てる。指先は手帳の固い感触以外のものが触れる。カサリと渇いた音が鳴った。
そっとポケットからそれを取り出す。
去り際の男のセリフが蘇る。
「だから、なんだというのだ⋯⋯」
幾度となく心中で繰り返した言葉を吐き出す。
メモの走り書きには、日付と住所と、隅の方に「だからメアド教えろっていったんだ」と殴り書きされていた。
あの男らしい粗雑で荒っぽい、大きな字。
「馬鹿者め⋯⋯」
自分にどうしろというのだ。
歩み寄ってくるものを罵ることしか出来ない自分に、どうしろと。
こんな紙切れ一つ、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てればいいのだ。
頭ではわかっていても、綺麗に折りたたんでまた手帳の裏に仕舞い込む自分の矛盾に嫌気がさす。笑えない話はしたくない。
箱の外の闇に映る影が軽蔑の目で見ている。
その目に見つめられ、唐突に自分は何事もなく特別なこともないまま、その日を過ごせられればいいと無意識のうちに思っていたことに気がついた。
浅ましくも、傲慢に。その日を慎ましく迎えられると。いつ死ぬかもわからないのに。
やがてエレベーターが降り切って、外に出たら思考は完全に切り替わる。このエスカレーターの中だけが曖昧で、箱から一歩踏み出せば自分はまた闇に住う1人となる。
微睡は終わる。
いつも通り、ここで。
