丹恒のケモノ
迫る魔の手から逃れるため、二人はひと思いに飛び乗った。
それは本来なら乗る予定ではない死路だ。
二人はこの星域で一番大きなターミナルへ行く途中だった。
次の港へ繋がる軌跡には宇宙巨獣の出現情報がでていて、キャスターがひっきりなしに避難をすすめていた。
丹恒を執拗に追う男が、乗っていた船を破壊しなければ今頃は他の航路で迂回しているはずだった。
二人には一刻の猶予もなかった。
緊急脱出ポッドに身を寄せ合い、壊れかけの船を捨て、たまたま近くを通りかかったゴンドラに救出された。
二人には運がなかった。
助けられた船は、あろうことか弔伶人 の乗るゴンドラだった。
仮面の愚者が喜劇役者 なら、弔伶人は厭世家 だ。
彼らは悲劇に群がる蟻。一匹の獲物を骨までしゃぶりつくすハイエナ。
喜びを排し、悲しみを拠りどころに、絶望を礼賛し、希望は唾棄すべきこととして其の星神に反逆しているつもりなのだ。その禁欲さえもアッハの愉しみのひとつにすぎないというのに。
緊急脱出ポッドのロックが解除され、ケモノは周囲を警戒しながら外へ出た。
広い音楽ホールのような場所でポッドは降ろされた。
必要最低限の照明のせいか薄暗く、そして異様に静かだった。
しかし多くの息遣いはそこかしこに散見し、特に奥の部屋に沢山の気配を感じた。
無意識にケモノの喉が低く唸る。
この奇態な空気を断ち切りたい、丹恒が呼びかけようとしたその時。
仮面とローブを身に纏った人々が、まるでひとつの生き物のようにぞろりぞろりと湧き出てきた。
我らは楽団だ、銀河を悲哀の歌で慰めるのが使命。
前衛ミュージカルでもを聞いているかのように、代わる代わる違う人間が言葉を引き継ぎながら彼らはそのようなことを言った。
それらの仮面にケモノは見覚えがあった。
どれもこれもかつて、この銀河に生息していた生物や種族の特徴を象ったものだった。
彼らは哀悼の意を込めて、終わった物語の登場人物たちの顔を仮面に残すのだ。
いまや資料の中にしか存在しない顔が、二人を取り囲む。
その仮面のいくつかは、もしかしたら仮面にならずに済んだ未来があったことをケモノは知っていた。
おもむろに、鹿の仮面の男が前に進み出てきて、丹恒の前で片膝をついた。
鹿男は他の楽団員とは違い、髑髏の意匠が彫られた指揮棒 を携えていた。
男はすすり泣くようなそれでいて歌うように、滑らかな音節で口上を述べる。
「素敵な 音色を奏でる御方よ。我々は貴方様を歓迎します」
戸惑う丹恒をよそに、鹿男は立ちあがり指揮棒を掲げた。
軽く、しかし美しくさえある洗練された動作に丹恒はほんの一瞬、目を奪われた。
その瞬きの差で、ケモノは丹恒の前に庇うように飛び出た。
指揮棒が振り下ろされるのと、ケモノの咆哮はほぼ同時に起こった。
それは音の絨毯爆撃であった。楽団が織りなすコーラスは狂気であり凶器でもあった。耳を塞ごうとも槍で楽士たちを突き刺そうとも、狂騒は鳴りやまない。
それは歌の皮を被った演説であった。苦痛を与えるだけの唱和はやがて心の隙間へ挿し込み、苦しみと悲しみだけが人間を人間たらしめると、切に切に訴えかけてくる。
ケモノが咆哮で相殺しなければ、先の一音節で地に伏していただろう。
仮面の楽団はまるで前衛ミュージカルでもしているかのように指揮にあわせ舞い踊り、丹恒たちを翻弄した。
「やはり、ですか」
悲壮感漂う男の声が反響して聞こえる。
頭を押さえ、丹恒はふらつきながら指揮者の鹿男を探した。
「貴方の詩吟なら我らの楽士にふさわしいでしょう。ですが悲しいことに、貴方の音はまだ不完全です。我々の悲願のためにも不協和音を取り除かねばなりません」
悲劇のために活動する彼らが、何故自分たちを助けたのか、やっと理由がわかった。
彼らははじめから丹恒を狙っていたのだ。
彼らは丹恒の身の内にある悲劇性を狙い、仲間に加えようとしているのだ。
このまま弔伶人の歌を聴き続けていては、なにをされるのかわからない。
丹恒は傍にいる影を呼び寄せ、脱出の糸口を探ろうとして――はたりと思考を止めた。
(俺はいま、いったい誰を呼ぼうとした?)
(俺は――俺は――)
(ずっとひとりだったはずなのに)
愕然とした消失感に襲われ、知らぬ間に膝を着いていた。身体に力がは入らずうまく立ちあがれない。
指先の感覚が抜け撃雲が床に転がっていく。
なにか、自分になにかが起きている。その感覚はあるのに、実際に何をされているのか全く分からない不気味さと、胸を掻きむしりたくなるような焦燥感に苛まれる。
胸がむかむかする。なにかが込みあげてくる。もしくは湧き上がってきて――吐き気がする。
みぞおちのあたりがぼんやり熱くなって、それ以外の温度がすべて吸い取られてしまったかのように冷たく寒い。
なにかが身体から抜け出そうとしている。
胸が温かいのは何故か。――それは彼が燃やしてきた薪がひとところに積み上げれたから。
身体が寒いのは何故か。――それは彼にとって唯一の焚火を取り上げられたから。
では、耐えがたいこの胸の痛みは偽物なのか?
足の先から血の気が抜けていき、ジンジンと痛む。誰かが左足を強い力で掴んでいる
鈍痛を訴える左足を見た。
(――痛むのは、本当に幻覚なのか?)
そこには見たことのない、薄葵色の体毛をした、狼よりひと回りほど大きな獣。それが恐ろしい形相で丹恒の脚に噛ついていた。
「フーーーッ!フーーーッ!!」
「……っツ! は、なせッ!!」
自覚した途端、激痛が背筋を駆け巡る。
しがみつかれた左足を振り回し、その動作を利用して手放した槍を手繰りよせることに成功した。
魔獣に向かって横薙ぎに切り払う。
しかし魔獣は後方へ飛びのき、すぐさま反撃へ移る。
強靭な足腰と反射神経で魔獣はのしかかり、青年は態勢を崩してしまう。
「ぐっ……‼」
肺の圧迫感とは別の胸部の激痛に、アバラが何本か逝ったらしい。
ぞわりと寒気がして、迫りくる獣牙をとっさに撃雲で防いだ。
獣の胸元もまた、丹恒と同じように淡く光るシャボン玉が零れだしていた。
耳障りな調律が、荘厳な叙事詩を歌いあげる。
幕劇はクライマックスを迎えつつあり、誰もが祈りを捧げ、この悲劇の終幕を見届けようとしていた。
お互いの力が拮抗するなか、丹恒は間近で獣の瞳を視認する。
青白磁の瞳は怪しく淀んでいて、狂乱の哀歌に染まってしまっていた。
その目尻からひと筋の露が流れ落ち、青年の黒髪を濡らした。
(――脳裏に去来するは、過去の景色。誰かが過ちを犯し、その過ちを誰かが正した)
(――仁義を貫いた者は、代償に化生となり、討たれ、海へ沈んだ)
(――そして二度と浮き上がってくることはなかった)
体のどこかでなにかが決壊した音がした。身に覚えのない慟哭が丹恒自身を食い破らんとする。
この現象は前にもあった気がする。そう、まだ自分が囚われの身だった頃。
ああ、そう、それは今のように。
今のように剥き出しの獣性が、自身を守ろうとして露わになった時のことだ。
波の音が聞こえる。
見誤るな、と誰かが云った気がした。
月がふたつ、此方を視た。
幻覚と重なる様に、現実の獣の瞳に一瞬だけ光が灯った。
自身の喉奥から稲光のような、聞いたことのない雄叫びが轟いた。
握りこんだ槍から烈風が吹き、丹恒を囲っていた楽士たちもろとも獣は吹き飛ばされる。
風裂が楽士らを押しとどめている隙に、丹恒は本能に従って走った。
視線の先にいる獣は、錯乱しているためか近くにいるものすべてに攻撃していたが、加減も方向も滅茶苦茶でほとんど当たっていない。むしろ外した反動で自傷を繰り返している。
依然として、事態は好転していない。
「――!!」
名前を呼ぼうとしたが、しかし喉から出たのは出来損ないの悲鳴だった。
(行かなくては)
行って、名前を呼ばなくては。
そうしなければならないのに、喉の奥につっかえてでてこない。
いや、喉の、もっと、すぐ、下のところで。押しとどめられているような感覚だ。
丹恒は無意識に喉をたどり、胸元に掌をあてて――蛋白石 色の憶質に触れた。
たいした力を入れなくとも、なにかが身体の深部へ落ちていく。
落ちて、落ちて、落ちた先の底から、若木が新芽を伸ばすように活力が漲ってくる。
胸が温かいのは何故か。――それは彼が燃やしてきた薪が燃え上がるから。
身体が熱いのは何故か。――それは彼にとって唯一の焚火が、今この時、他者によって踏みにじらされそうになったから。
では、耐えがたいこの怒りをどこにぶつけるべきか?
答えはそう、すぐそこに。
「――――ケモノ!!!!」
無数の手がケモノに近づく。
迫る黒い手に悪寒がして、丹恒は弔伶人たちを槍で薙ぎ払う。
斬撃は楽士のローブごと切り裂いて、中の人間は霞のように消えていく。
突けば突いた穴の数だけ嘆き悲しむ哀歌 が紡がれるが、かまいやしない。
向かう先は乗ってきた緊急脱出ポッド。こんな場所にいるより、もう一度ポッドに乗り宇宙へ放浪するほうが格段に活路を拓ける。
開けた場所へ、丹恒は暴れるケモノを抱えて突っ切った。
道行く敵を斬って薙いで突いて、時には蹴り飛ばして突き進み、あと数歩でポッドに到着するという時それは起こった。
轟音がした直後、視界が、いやゴンドラそのものがぐらりと激しく揺れた。異変を感じたのは丹恒たちだけでなく弔伶人たちも歌を止め戸惑っていた。船内が赤く染まり安全システムの警告音がビービー鳴り響く。
「なんだ?!」
揺れが収まる間もなく船体がえげつないスロープのように傾き、立つことすら困難となる。丹恒は撃雲を地に突き刺し支柱としたが、その拍子にケモノを拘束していた腕が緩んでしまう。
「――っ! ケモノ!!」
腕の中から消えようとしたぬくもりに手を伸ばす。
あ、と思ったときすでに遅かった。とっさに掴んだのはケモノの尻尾に結ばれた飾り紐だった。
「キャン!!!!!」
ギッと付け根の結び目が窄まり締め付けられ、ケモノは悪夢から叩き起こされる。宙ぶらりんの状態で、恨みがましい目で元凶を見上げた。その目は正気に戻っていた。だが確実に二人の仲のナニかに綻びが生じた。
「……すまない。緊急事態だった」
「きゃうんん……!」
まだ抗議したりなさそうにしていたケモノだったが、もう一度船体が大きく揺れたことでそれどころではないことを理解する。
ガラス張りのホールの窓に、うねうねと動く影が覆った。
ぴしり、ぴしりと、透かし模様が彫られた強化ガラスにひびが入っていき、そして……。
「宇宙巨獣だ!!」
楽士の誰かがあげた叫声は、ガラスを突き破って現れた触腕によって船外へ連れ出され、か細い驚嘆は咀嚼音とともに徐々に聞こえなくなりやがて完全に消失した。
しばし音楽ホールは沈黙し、そして割れるような喝采で埋まった。
かつてない美しい悲鳴 を奏でられるこの好機を逃すはずはなく。楽士たちは我先に仲間を踏みつけてまで斜面を駆け下り、ひとり又ひとりと宇宙へ身を投げていく。
ゴンドラの外で唄よりもよほど悲劇的な旋律を演奏する過程を、宇宙風に抗いながら丹恒たちは呆然と見送ることしかできなかった。
「フォウオン……」
「……嗚呼、行こう」
ケモノの呼びかけられ、少しずつ事態を整理した丹恒はしばし順々したのち動き出した。
彼らにできることも、自分たちがかける情けもないのだから。
巨獣が獲物に気を取られているうちに、ふたりは上層へよじ登る。
目指すは舞台袖。世を愁いる厭世家たちの住処であろうともゴンドラは既製品だ。緊急時の備えくらいどこかに仕舞われているはずだと踏んだ。
頼りのポッドは宇宙のゴミになったか、もしくは巨獣の餌になった。
槍をピッケルがわりに匍匐前進で急斜面を地道に登り、それなりの時間をかけて緞帳のすそを掴む。
舞台袖のスペースに身を滑り込ませ、ようやく一息つくことができたがもうあまり時間がない。
災害対策で船が故障したり破損したとしても一定時間の間だけ酸素の供給が叶うが、それも予備電源が尽きるまでの話だ。
下をうかがい見ると楽士たちはあらかた食いつくされ、巨獣の触腕が生き残りを探すようにさ迷っていた。
ここが見つかるのが先か、酸素が尽きるのが先か……もしくは。
「オン!」
「なにか見つけたか?」
肯定の鳴き声を返したケモノは元々は壁だった床に佇んでいた。
そこの壁には非常時用の酸素ボンベが収められていた。
「スターピース製か……品質に問題無し。……よし、お前のぶんもあるぞ」
いつ非常電源が落ちるか分からない。手に取り確認し先にケモノの口に装着すると、ケモノはむず痒そうに身をよじった。
自身はヒューマン用のボンベを携帯するだけにした。酸素量をかんがみるにおおよそ半システム時間が限界であるとみたからだ。
幸運にも収納にはいくつかアイテムが仕舞われており、船内の見取り図を手に入れた。脱出するにしても現在地から直近の港までどのくらいの距離があるのか把握しなければならない。測量計は操舵室にある。
ここから操舵室はさほど遠くなく、お互いに簡単な治療を施した後二人は急ぎ向かった。
パルクールよろしく手すりや支柱を利用して飛び移り移動している間も、時折大きく揺れ動く。まだ生き残りがいるのか、もしくは防衛システムが作動しているのか、かすかに銃撃音が聞こえる。気のせいか、その噪音は少しずつ近づいているようだった。
ひしゃげた扉を破壊し、操舵室の中へともぐりこむ。
アラート音が喧しく響く。非常灯だけついた室内は暗く誰もいなかった。
辛うじて残っていた監視カメラのホログラムに、最後の一人を胃に放り込んだ映像が流れる。音声はついていなかったので楽士の断末魔を聞かずに済んだ。
そこそこ腹が満たされたのか巨獣の動きは鈍く、その場から動こうとしない。今のうちに対策を練らねばならない。
まだ予備電源が生きていたため測量計は星図をずっと映していた。
自動運行に切り替えていたのか、星図上の航路には現在地と港を結ぶ点滅線は軌道を逸れ、エラーコードを吐き出す。いくつか適当なパネルに触れてみたもののこちらの操作を受け付けずどうすることもできない。
巨獣の重量で本来の軌道から逸れたうえに、衝撃でどこかの回路が故障したのだろう。
星図を見る限りあと少しでターミナルの入港圏内に入る。入港さえできればターミナルの警備員が保護してくれるはずだ。
ならば入港する直前に巨獣を倒し、乗り捨てるしかない。
しかしこのプランに考慮すべき点がふたつある。
ひとつ、迅速な巨獣の駆除。目下の最優先事項であり生路を拓く一筋の光だ。
ひとつ、入港までの航路の制御。船が持たなくては意味がない。
前者はなんとかなるが、後者は自分の手に負えない。丹恒は電子機器の類に触れて間もないからだ。
そもそも巨獣退治をしている最中さえ、不安定な船体の維持を必要とする。できればこの場で機械の修復をし船を進ませる役割がいる。
だが鬼気迫る状況下で、ここで慣れない機械操作に手こずって巨獣の侵攻を譲るわけにはいかない。
「やはり今はアレをなんとかするしかない、か……」
仮に順番を逆にしても同じだ。スムーズに外因を撃破できたとて船の操縦は避けられない。ならば先に対処しやすいほうから手を付けるべきだ。
方針を決めると、丹恒は身につけていただけだったボンベを装着するとケモノを探した。
外は危険だ。比較的安全なここにいるようにと伝えたかった。だが操舵室を見渡しても薄葵色の狼は見当たらない。
「一体どこに……」
「ウォン!」
背後から吠えられ、振り返ると壁に空いた小さな穴からケモノが顔をのぞかせていた。
側に駆け寄りしゃがもうとすると、穴の向こうから工具箱などが押し出される。どうやら向こう側の倉庫と繋がっているようだ。
大きな体を器用にくねらせて穴から戻ってきたケモノの口元をみて、丹恒は苦言をていさずにいられなかった。せっかくはめてやった酸素マスクが外されていたのだ。おそらく運ぶのに邪魔だったのだろう。
「ハア……お前というやつは……」
もう一度付け直そうと手を伸ばしたが、やんわりと首を振って躱され、代わりにあるものを手渡された。
ケモノはそのまま道具箱を咥え操舵パネルのほうへ向き直り、数歩歩いたところで振り返った。
まるで付いて来てといっているようだ。
同行者の不可解な行動に固まりつつも、これまでの経験からなにか策があるのかもしれないと思い、丹恒はケモノを信じることにした。
ケモノは迅速な動きで作業を開始した。
まずケモノはパネル台に近づくと、工具箱からドライバーを取り出し丹恒に差し出した。受け取ると前足で台座の下を指し示す。見れば四方をネジ止めされている板がある。丹恒はそれが配線コードなどが仕舞われている場所だと認識した。ケモノに促されるままネジを外すと想像通り何十本もののコードが敷き詰められた配線盤が現れた。
丹恒が作業しているあいだに見つけてきたのか、ケモノはタブレットとケーブルを持ってきて「今度はこれを繋げて」とばかりに丹恒の前へ押す。
ここまでくればもろともだ。文句を言うことなく丹恒はいわれたとおりに淡々と仕事をこなした。
作業の間も、地鳴りが止むことはない。
タブレットにつないだケーブルを一番太い配線と繋ぐと、ケモノは器用に前脚でタブレットを扱い丹恒には全く分からない数字の羅列が並んだ幾重にも出現するウィンドウに数字を叩き込んでいく。その間もの凄いタイピング速度で行われた。
なにをしているのか分からないが、なにをしようとしているのかは分かってきた。
「まさか、修復できるのか?」
丹恒はある仮定を思い描きケモノの真意を読み取ろうとしたが、ケモノは一心不乱に数字を打ち込む作業に集中していて、こちらを向く余裕はなさそうだった。
(これまでの旅の道中ケモノに驚かされることばかりだったが、ここまでとは……)
普通の狼ではないと薄々感づいていたが、こんな芸当ができるとは聞いてない。
だがケモノの手腕は確かなようで星図に浮かんでいたエラーコードがどんどん無くなっていき、警戒アラートはぱたりと止んだ。
緊急システムが解除され、船は本来の軌道へと戻っていく。
ひとまず片方の懸念材料は解消され丹恒は詰めていた息を吐く。
一安心といきたいが、すぐにでも次の目標向かわなければならない。もう入港圏に迫っていた。
「よくやった。お前はここで休んでいてくれ」
先の怪我より精神を消耗させているケモノをいたわるように、丹恒はケモノにいう。
だがやはりというか、ケモノは首を横に振る。元気だから大丈夫といいたいようだ。
「駄目だ。お前はかなり疲弊している。奴は俺が倒すからここにいろ」
なおも渋る丹恒に、ケモノは舌先で丹恒の左足についた血のりを舐めとる。
とたん、びりッとした痛みに丹恒はうめく。
簡易的な処置を施したとはいえ、ケモノに噛まれた足首の怪我は深い。万全の状態とは言い難い。
三角錐の耳をたれ下げ、懇願するようにじっと丹恒を見上げた。
ふたつの月に見つめられると揺らぎそうになる。
だがここで承諾するわけにはいかない。
これまでの旅でケモノの賢さ以外にも、分かったことがある。
普段温厚なケモノなのだが、時々、恐ろしいほどの獣性をむき出しになることがある。
先の弔伶人の幻覚によって豹変したときや、あの男に襲撃されたとき、もっと前、幽囚獄で間者に襲われたとき……抗えないものに支配されているかのように本能そのものに変わり果てる。
なにかのきっかけで理性と剥離して現れる凶暴性に振りまわされ、その度に傷ついてきた。
丹恒が龍尊の過去と決別したいように、ケモノもまた、自身の中にあるものと戦っているのではないか?
この獣は芯から心根が優しく、争いごとを好まない。
その大きな牙も爪も膂力も、本来の力を出すことを恐れている。
変貌している間の記憶は曖昧なようで、ただ結果だけを受け止めているだけにすぎない。
切り替えが早く物事を冷静にとらえられる性格であるため態度にでないが、なにかを傷つけたあとの眼は後悔の念が混じるのだ。
そんなケモノが、恐怖と自責を押し殺してまで立ち向かう理由を、丹恒はいまだに理解しかねていた。
たとえその理由が己の存在だとしても得心はえられない。
理由のない好意には必ず影が落ちる。それとは別に、ケモノの行動原理が自分などに縛られて欲しくないというのも本音だった。
これからいくような死地へ、この先何度もケモノが同行することをよしとしたくない。
だからここで明確に線引きしなくてはならない。お互いに譲れない線を。
「頼む。ここで待っていてくれ」
だから、丹恒は気づかない。
すでにお互いの譲れない線を引き終えていることに。
ケモノの心はずっと前から決まっていて、たとえどのような危険や犠牲を払っても丹恒のそばから離れないと決めていることを。
あの酸っぱいような甘いような匂いが噎せ返る牢屋で、ケモノの意志を聞かずに無理矢理追い出した男のことを根に持ってるなんて、そんなこと。
ケモノの心はケモノにしか分からない。
交渉も懇願も、とっくに無意味だ。
丹恒はあの日、選択を間違えた。罪など被るべきではなかった。
罪より重い忠誠を手にして、大人しい愛玩物に収まるほど可愛らしい生き物ではない。
言葉は不要。有言を体現するのが、ケモノの流儀だ。
「いいか?わかったら……ウッ?!」
うつむく相棒の顔を覗き込もうとした青年の顎めがけて、ケモノは容赦なく頭突きをお見舞いする。
体制を崩した丹恒のまたぐらに滑り込みそのまま背中に乗せて走りだした!
不安定なケモノに振り落とされないよう、丹恒はケモノの長い体毛にしがみつく。
「くっ……止まれケモノ!!」
丹恒の言葉に耳をかさず、ケモノは瓦礫や露出した壁を駆使して縦横無尽に横断する。
廊下を抜け、舞台袖を飛び越え、下へ、下へ、空いた穴を飛び降りショートカット。
そして二人は再び演劇ホールに戻ってきた。
ホールの天井は完全に破壊され吹き抜けになり、斬新なデザインになった天窓から巨獣のぬらぬらした表皮がのぞいていた。
緩慢な動作で天井穴から体を乗り上げ、その巨体の全体像が見え始めたことで丹恒は自然と武器を構える。
こうなってはもう仕様がない。
丹恒はこれが噂に聞く“頭痛が痛い”という現象かと遠い目になった。
(――だがしかし、列車に仲間が増えるにつれ丹恒の頭痛の回数が増していくことを、まだ誰も知らない……)
「そうだった。お前の好きにしろといったのは俺だったな……」
「フンフンッ」
「もう止めはしない。が、マスクは付けてくれ」
「ウウ~……」
丹恒たちが着地した振動でこちらの存在を把握した巨獣は、やっと見つけた獲物めがけて触腕を振り上げた。
青年がケモノのマスクを付け直し背に座る位置を調節し終えたのを確認したあと、ケモノの全身は躍動する。
振り下ろされた幾つのも触腕を搔い潜り時には薙ぎ払い、只まっすぐに全速力で奔る。
叩きつけられた衝撃で飛散する瓦礫を尻尾で吹き飛ばし、只敵を見据えて槍を構える。
槍には先ほどケモノから渡されたもののなかにあった時限式の爆薬が括り付けられたいる。
なんのためにと思ったが、ケモノはあの時から計画を立てていたのだ。
どうしてそんなものが楽士の船の倉庫にありなんのために使おうとしたのかは知りたくもない。主を失った船にはもはや無用だ。
ケモノは露出した鉄柱から避けた触腕に飛び移り、いっきに距離を縮める。
「オ、オ、オォーーー!!」
ケモノが咆哮をあげ、合図をだした。
大きく跳躍し巨獣の頭部に接敵。
突然目の前から獲物が消え不意を突かれた敵は、起爆剤によって加速した槍の投擲を避けることはできなかった。
巨獣が最後に見たのは、肉食獣の強靭な鉤爪だった。
…………
…………
力尽きた巨体が船から落ちるように離れたのを見送っていると、救難信号を受け取った救助隊が駆け付けた。
賞賛された丹恒たちは救助隊の船に移り、安全に港に着くことが出来た。
レスキュー隊員の「聴取と、報奨金を出すから待っていてほしい」という命令を無視し、ふたりは早々に立ち去るためと別の船に乗り込もうとした。
「二人とも、ちょっと待って」
彼らを呼び止めた赤髪の女性の傍らには、人々を引きつける魅力を放つ列車の姿があった。
女性は姫子と名乗り自分たちもあの巨獣に進路をふさがれて困っていたことと、その礼を伝えた。
謝辞を聞き終わるとすぐ立ち去ろうとするふたつの背に、姫子は一抹の不安を覚えた。
ナビゲーターの本能か、彼らの背負う影が周囲の影より色濃く感じられたのだ。
別の船に乗り込む背中に思い切って声をかけた。
「あんたたち、これからどこに行くの?」
それは本来なら乗る予定ではない死路だ。
二人はこの星域で一番大きなターミナルへ行く途中だった。
次の港へ繋がる軌跡には宇宙巨獣の出現情報がでていて、キャスターがひっきりなしに避難をすすめていた。
丹恒を執拗に追う男が、乗っていた船を破壊しなければ今頃は他の航路で迂回しているはずだった。
二人には一刻の猶予もなかった。
緊急脱出ポッドに身を寄せ合い、壊れかけの船を捨て、たまたま近くを通りかかったゴンドラに救出された。
二人には運がなかった。
助けられた船は、あろうことか
仮面の愚者が
彼らは悲劇に群がる蟻。一匹の獲物を骨までしゃぶりつくすハイエナ。
喜びを排し、悲しみを拠りどころに、絶望を礼賛し、希望は唾棄すべきこととして其の星神に反逆しているつもりなのだ。その禁欲さえもアッハの愉しみのひとつにすぎないというのに。
緊急脱出ポッドのロックが解除され、ケモノは周囲を警戒しながら外へ出た。
広い音楽ホールのような場所でポッドは降ろされた。
必要最低限の照明のせいか薄暗く、そして異様に静かだった。
しかし多くの息遣いはそこかしこに散見し、特に奥の部屋に沢山の気配を感じた。
無意識にケモノの喉が低く唸る。
この奇態な空気を断ち切りたい、丹恒が呼びかけようとしたその時。
仮面とローブを身に纏った人々が、まるでひとつの生き物のようにぞろりぞろりと湧き出てきた。
我らは楽団だ、銀河を悲哀の歌で慰めるのが使命。
前衛ミュージカルでもを聞いているかのように、代わる代わる違う人間が言葉を引き継ぎながら彼らはそのようなことを言った。
それらの仮面にケモノは見覚えがあった。
どれもこれもかつて、この銀河に生息していた生物や種族の特徴を象ったものだった。
彼らは哀悼の意を込めて、終わった物語の登場人物たちの顔を仮面に残すのだ。
いまや資料の中にしか存在しない顔が、二人を取り囲む。
その仮面のいくつかは、もしかしたら仮面にならずに済んだ未来があったことをケモノは知っていた。
おもむろに、鹿の仮面の男が前に進み出てきて、丹恒の前で片膝をついた。
鹿男は他の楽団員とは違い、髑髏の意匠が彫られた
男はすすり泣くようなそれでいて歌うように、滑らかな音節で口上を述べる。
「
戸惑う丹恒をよそに、鹿男は立ちあがり指揮棒を掲げた。
軽く、しかし美しくさえある洗練された動作に丹恒はほんの一瞬、目を奪われた。
その瞬きの差で、ケモノは丹恒の前に庇うように飛び出た。
指揮棒が振り下ろされるのと、ケモノの咆哮はほぼ同時に起こった。
それは音の絨毯爆撃であった。楽団が織りなすコーラスは狂気であり凶器でもあった。耳を塞ごうとも槍で楽士たちを突き刺そうとも、狂騒は鳴りやまない。
それは歌の皮を被った演説であった。苦痛を与えるだけの唱和はやがて心の隙間へ挿し込み、苦しみと悲しみだけが人間を人間たらしめると、切に切に訴えかけてくる。
ケモノが咆哮で相殺しなければ、先の一音節で地に伏していただろう。
仮面の楽団はまるで前衛ミュージカルでもしているかのように指揮にあわせ舞い踊り、丹恒たちを翻弄した。
「やはり、ですか」
悲壮感漂う男の声が反響して聞こえる。
頭を押さえ、丹恒はふらつきながら指揮者の鹿男を探した。
「貴方の詩吟なら我らの楽士にふさわしいでしょう。ですが悲しいことに、貴方の音はまだ不完全です。我々の悲願のためにも不協和音を取り除かねばなりません」
悲劇のために活動する彼らが、何故自分たちを助けたのか、やっと理由がわかった。
彼らははじめから丹恒を狙っていたのだ。
彼らは丹恒の身の内にある悲劇性を狙い、仲間に加えようとしているのだ。
このまま弔伶人の歌を聴き続けていては、なにをされるのかわからない。
丹恒は傍にいる影を呼び寄せ、脱出の糸口を探ろうとして――はたりと思考を止めた。
(俺はいま、いったい誰を呼ぼうとした?)
(俺は――俺は――)
(ずっとひとりだったはずなのに)
愕然とした消失感に襲われ、知らぬ間に膝を着いていた。身体に力がは入らずうまく立ちあがれない。
指先の感覚が抜け撃雲が床に転がっていく。
なにか、自分になにかが起きている。その感覚はあるのに、実際に何をされているのか全く分からない不気味さと、胸を掻きむしりたくなるような焦燥感に苛まれる。
胸がむかむかする。なにかが込みあげてくる。もしくは湧き上がってきて――吐き気がする。
みぞおちのあたりがぼんやり熱くなって、それ以外の温度がすべて吸い取られてしまったかのように冷たく寒い。
なにかが身体から抜け出そうとしている。
胸が温かいのは何故か。――それは彼が燃やしてきた薪がひとところに積み上げれたから。
身体が寒いのは何故か。――それは彼にとって唯一の焚火を取り上げられたから。
では、耐えがたいこの胸の痛みは偽物なのか?
足の先から血の気が抜けていき、ジンジンと痛む。誰かが左足を強い力で掴んでいる
鈍痛を訴える左足を見た。
(――痛むのは、本当に幻覚なのか?)
そこには見たことのない、薄葵色の体毛をした、狼よりひと回りほど大きな獣。それが恐ろしい形相で丹恒の脚に噛ついていた。
「フーーーッ!フーーーッ!!」
「……っツ! は、なせッ!!」
自覚した途端、激痛が背筋を駆け巡る。
しがみつかれた左足を振り回し、その動作を利用して手放した槍を手繰りよせることに成功した。
魔獣に向かって横薙ぎに切り払う。
しかし魔獣は後方へ飛びのき、すぐさま反撃へ移る。
強靭な足腰と反射神経で魔獣はのしかかり、青年は態勢を崩してしまう。
「ぐっ……‼」
肺の圧迫感とは別の胸部の激痛に、アバラが何本か逝ったらしい。
ぞわりと寒気がして、迫りくる獣牙をとっさに撃雲で防いだ。
獣の胸元もまた、丹恒と同じように淡く光るシャボン玉が零れだしていた。
耳障りな調律が、荘厳な叙事詩を歌いあげる。
幕劇はクライマックスを迎えつつあり、誰もが祈りを捧げ、この悲劇の終幕を見届けようとしていた。
お互いの力が拮抗するなか、丹恒は間近で獣の瞳を視認する。
青白磁の瞳は怪しく淀んでいて、狂乱の哀歌に染まってしまっていた。
その目尻からひと筋の露が流れ落ち、青年の黒髪を濡らした。
(――脳裏に去来するは、過去の景色。誰かが過ちを犯し、その過ちを誰かが正した)
(――仁義を貫いた者は、代償に化生となり、討たれ、海へ沈んだ)
(――そして二度と浮き上がってくることはなかった)
体のどこかでなにかが決壊した音がした。身に覚えのない慟哭が丹恒自身を食い破らんとする。
この現象は前にもあった気がする。そう、まだ自分が囚われの身だった頃。
ああ、そう、それは今のように。
今のように剥き出しの獣性が、自身を守ろうとして露わになった時のことだ。
波の音が聞こえる。
見誤るな、と誰かが云った気がした。
月がふたつ、此方を視た。
幻覚と重なる様に、現実の獣の瞳に一瞬だけ光が灯った。
自身の喉奥から稲光のような、聞いたことのない雄叫びが轟いた。
握りこんだ槍から烈風が吹き、丹恒を囲っていた楽士たちもろとも獣は吹き飛ばされる。
風裂が楽士らを押しとどめている隙に、丹恒は本能に従って走った。
視線の先にいる獣は、錯乱しているためか近くにいるものすべてに攻撃していたが、加減も方向も滅茶苦茶でほとんど当たっていない。むしろ外した反動で自傷を繰り返している。
依然として、事態は好転していない。
「――!!」
名前を呼ぼうとしたが、しかし喉から出たのは出来損ないの悲鳴だった。
(行かなくては)
行って、名前を呼ばなくては。
そうしなければならないのに、喉の奥につっかえてでてこない。
いや、喉の、もっと、すぐ、下のところで。押しとどめられているような感覚だ。
丹恒は無意識に喉をたどり、胸元に掌をあてて――
たいした力を入れなくとも、なにかが身体の深部へ落ちていく。
落ちて、落ちて、落ちた先の底から、若木が新芽を伸ばすように活力が漲ってくる。
胸が温かいのは何故か。――それは彼が燃やしてきた薪が燃え上がるから。
身体が熱いのは何故か。――それは彼にとって唯一の焚火が、今この時、他者によって踏みにじらされそうになったから。
では、耐えがたいこの怒りをどこにぶつけるべきか?
答えはそう、すぐそこに。
「――――ケモノ!!!!」
無数の手がケモノに近づく。
迫る黒い手に悪寒がして、丹恒は弔伶人たちを槍で薙ぎ払う。
斬撃は楽士のローブごと切り裂いて、中の人間は霞のように消えていく。
突けば突いた穴の数だけ嘆き悲しむ
向かう先は乗ってきた緊急脱出ポッド。こんな場所にいるより、もう一度ポッドに乗り宇宙へ放浪するほうが格段に活路を拓ける。
開けた場所へ、丹恒は暴れるケモノを抱えて突っ切った。
道行く敵を斬って薙いで突いて、時には蹴り飛ばして突き進み、あと数歩でポッドに到着するという時それは起こった。
轟音がした直後、視界が、いやゴンドラそのものがぐらりと激しく揺れた。異変を感じたのは丹恒たちだけでなく弔伶人たちも歌を止め戸惑っていた。船内が赤く染まり安全システムの警告音がビービー鳴り響く。
「なんだ?!」
揺れが収まる間もなく船体がえげつないスロープのように傾き、立つことすら困難となる。丹恒は撃雲を地に突き刺し支柱としたが、その拍子にケモノを拘束していた腕が緩んでしまう。
「――っ! ケモノ!!」
腕の中から消えようとしたぬくもりに手を伸ばす。
あ、と思ったときすでに遅かった。とっさに掴んだのはケモノの尻尾に結ばれた飾り紐だった。
「キャン!!!!!」
ギッと付け根の結び目が窄まり締め付けられ、ケモノは悪夢から叩き起こされる。宙ぶらりんの状態で、恨みがましい目で元凶を見上げた。その目は正気に戻っていた。だが確実に二人の仲のナニかに綻びが生じた。
「……すまない。緊急事態だった」
「きゃうんん……!」
まだ抗議したりなさそうにしていたケモノだったが、もう一度船体が大きく揺れたことでそれどころではないことを理解する。
ガラス張りのホールの窓に、うねうねと動く影が覆った。
ぴしり、ぴしりと、透かし模様が彫られた強化ガラスにひびが入っていき、そして……。
「宇宙巨獣だ!!」
楽士の誰かがあげた叫声は、ガラスを突き破って現れた触腕によって船外へ連れ出され、か細い驚嘆は咀嚼音とともに徐々に聞こえなくなりやがて完全に消失した。
しばし音楽ホールは沈黙し、そして割れるような喝采で埋まった。
かつてない美しい
ゴンドラの外で唄よりもよほど悲劇的な旋律を演奏する過程を、宇宙風に抗いながら丹恒たちは呆然と見送ることしかできなかった。
「フォウオン……」
「……嗚呼、行こう」
ケモノの呼びかけられ、少しずつ事態を整理した丹恒はしばし順々したのち動き出した。
彼らにできることも、自分たちがかける情けもないのだから。
巨獣が獲物に気を取られているうちに、ふたりは上層へよじ登る。
目指すは舞台袖。世を愁いる厭世家たちの住処であろうともゴンドラは既製品だ。緊急時の備えくらいどこかに仕舞われているはずだと踏んだ。
頼りのポッドは宇宙のゴミになったか、もしくは巨獣の餌になった。
槍をピッケルがわりに匍匐前進で急斜面を地道に登り、それなりの時間をかけて緞帳のすそを掴む。
舞台袖のスペースに身を滑り込ませ、ようやく一息つくことができたがもうあまり時間がない。
災害対策で船が故障したり破損したとしても一定時間の間だけ酸素の供給が叶うが、それも予備電源が尽きるまでの話だ。
下をうかがい見ると楽士たちはあらかた食いつくされ、巨獣の触腕が生き残りを探すようにさ迷っていた。
ここが見つかるのが先か、酸素が尽きるのが先か……もしくは。
「オン!」
「なにか見つけたか?」
肯定の鳴き声を返したケモノは元々は壁だった床に佇んでいた。
そこの壁には非常時用の酸素ボンベが収められていた。
「スターピース製か……品質に問題無し。……よし、お前のぶんもあるぞ」
いつ非常電源が落ちるか分からない。手に取り確認し先にケモノの口に装着すると、ケモノはむず痒そうに身をよじった。
自身はヒューマン用のボンベを携帯するだけにした。酸素量をかんがみるにおおよそ半システム時間が限界であるとみたからだ。
幸運にも収納にはいくつかアイテムが仕舞われており、船内の見取り図を手に入れた。脱出するにしても現在地から直近の港までどのくらいの距離があるのか把握しなければならない。測量計は操舵室にある。
ここから操舵室はさほど遠くなく、お互いに簡単な治療を施した後二人は急ぎ向かった。
パルクールよろしく手すりや支柱を利用して飛び移り移動している間も、時折大きく揺れ動く。まだ生き残りがいるのか、もしくは防衛システムが作動しているのか、かすかに銃撃音が聞こえる。気のせいか、その噪音は少しずつ近づいているようだった。
ひしゃげた扉を破壊し、操舵室の中へともぐりこむ。
アラート音が喧しく響く。非常灯だけついた室内は暗く誰もいなかった。
辛うじて残っていた監視カメラのホログラムに、最後の一人を胃に放り込んだ映像が流れる。音声はついていなかったので楽士の断末魔を聞かずに済んだ。
そこそこ腹が満たされたのか巨獣の動きは鈍く、その場から動こうとしない。今のうちに対策を練らねばならない。
まだ予備電源が生きていたため測量計は星図をずっと映していた。
自動運行に切り替えていたのか、星図上の航路には現在地と港を結ぶ点滅線は軌道を逸れ、エラーコードを吐き出す。いくつか適当なパネルに触れてみたもののこちらの操作を受け付けずどうすることもできない。
巨獣の重量で本来の軌道から逸れたうえに、衝撃でどこかの回路が故障したのだろう。
星図を見る限りあと少しでターミナルの入港圏内に入る。入港さえできればターミナルの警備員が保護してくれるはずだ。
ならば入港する直前に巨獣を倒し、乗り捨てるしかない。
しかしこのプランに考慮すべき点がふたつある。
ひとつ、迅速な巨獣の駆除。目下の最優先事項であり生路を拓く一筋の光だ。
ひとつ、入港までの航路の制御。船が持たなくては意味がない。
前者はなんとかなるが、後者は自分の手に負えない。丹恒は電子機器の類に触れて間もないからだ。
そもそも巨獣退治をしている最中さえ、不安定な船体の維持を必要とする。できればこの場で機械の修復をし船を進ませる役割がいる。
だが鬼気迫る状況下で、ここで慣れない機械操作に手こずって巨獣の侵攻を譲るわけにはいかない。
「やはり今はアレをなんとかするしかない、か……」
仮に順番を逆にしても同じだ。スムーズに外因を撃破できたとて船の操縦は避けられない。ならば先に対処しやすいほうから手を付けるべきだ。
方針を決めると、丹恒は身につけていただけだったボンベを装着するとケモノを探した。
外は危険だ。比較的安全なここにいるようにと伝えたかった。だが操舵室を見渡しても薄葵色の狼は見当たらない。
「一体どこに……」
「ウォン!」
背後から吠えられ、振り返ると壁に空いた小さな穴からケモノが顔をのぞかせていた。
側に駆け寄りしゃがもうとすると、穴の向こうから工具箱などが押し出される。どうやら向こう側の倉庫と繋がっているようだ。
大きな体を器用にくねらせて穴から戻ってきたケモノの口元をみて、丹恒は苦言をていさずにいられなかった。せっかくはめてやった酸素マスクが外されていたのだ。おそらく運ぶのに邪魔だったのだろう。
「ハア……お前というやつは……」
もう一度付け直そうと手を伸ばしたが、やんわりと首を振って躱され、代わりにあるものを手渡された。
ケモノはそのまま道具箱を咥え操舵パネルのほうへ向き直り、数歩歩いたところで振り返った。
まるで付いて来てといっているようだ。
同行者の不可解な行動に固まりつつも、これまでの経験からなにか策があるのかもしれないと思い、丹恒はケモノを信じることにした。
ケモノは迅速な動きで作業を開始した。
まずケモノはパネル台に近づくと、工具箱からドライバーを取り出し丹恒に差し出した。受け取ると前足で台座の下を指し示す。見れば四方をネジ止めされている板がある。丹恒はそれが配線コードなどが仕舞われている場所だと認識した。ケモノに促されるままネジを外すと想像通り何十本もののコードが敷き詰められた配線盤が現れた。
丹恒が作業しているあいだに見つけてきたのか、ケモノはタブレットとケーブルを持ってきて「今度はこれを繋げて」とばかりに丹恒の前へ押す。
ここまでくればもろともだ。文句を言うことなく丹恒はいわれたとおりに淡々と仕事をこなした。
作業の間も、地鳴りが止むことはない。
タブレットにつないだケーブルを一番太い配線と繋ぐと、ケモノは器用に前脚でタブレットを扱い丹恒には全く分からない数字の羅列が並んだ幾重にも出現するウィンドウに数字を叩き込んでいく。その間もの凄いタイピング速度で行われた。
なにをしているのか分からないが、なにをしようとしているのかは分かってきた。
「まさか、修復できるのか?」
丹恒はある仮定を思い描きケモノの真意を読み取ろうとしたが、ケモノは一心不乱に数字を打ち込む作業に集中していて、こちらを向く余裕はなさそうだった。
(これまでの旅の道中ケモノに驚かされることばかりだったが、ここまでとは……)
普通の狼ではないと薄々感づいていたが、こんな芸当ができるとは聞いてない。
だがケモノの手腕は確かなようで星図に浮かんでいたエラーコードがどんどん無くなっていき、警戒アラートはぱたりと止んだ。
緊急システムが解除され、船は本来の軌道へと戻っていく。
ひとまず片方の懸念材料は解消され丹恒は詰めていた息を吐く。
一安心といきたいが、すぐにでも次の目標向かわなければならない。もう入港圏に迫っていた。
「よくやった。お前はここで休んでいてくれ」
先の怪我より精神を消耗させているケモノをいたわるように、丹恒はケモノにいう。
だがやはりというか、ケモノは首を横に振る。元気だから大丈夫といいたいようだ。
「駄目だ。お前はかなり疲弊している。奴は俺が倒すからここにいろ」
なおも渋る丹恒に、ケモノは舌先で丹恒の左足についた血のりを舐めとる。
とたん、びりッとした痛みに丹恒はうめく。
簡易的な処置を施したとはいえ、ケモノに噛まれた足首の怪我は深い。万全の状態とは言い難い。
三角錐の耳をたれ下げ、懇願するようにじっと丹恒を見上げた。
ふたつの月に見つめられると揺らぎそうになる。
だがここで承諾するわけにはいかない。
これまでの旅でケモノの賢さ以外にも、分かったことがある。
普段温厚なケモノなのだが、時々、恐ろしいほどの獣性をむき出しになることがある。
先の弔伶人の幻覚によって豹変したときや、あの男に襲撃されたとき、もっと前、幽囚獄で間者に襲われたとき……抗えないものに支配されているかのように本能そのものに変わり果てる。
なにかのきっかけで理性と剥離して現れる凶暴性に振りまわされ、その度に傷ついてきた。
丹恒が龍尊の過去と決別したいように、ケモノもまた、自身の中にあるものと戦っているのではないか?
この獣は芯から心根が優しく、争いごとを好まない。
その大きな牙も爪も膂力も、本来の力を出すことを恐れている。
変貌している間の記憶は曖昧なようで、ただ結果だけを受け止めているだけにすぎない。
切り替えが早く物事を冷静にとらえられる性格であるため態度にでないが、なにかを傷つけたあとの眼は後悔の念が混じるのだ。
そんなケモノが、恐怖と自責を押し殺してまで立ち向かう理由を、丹恒はいまだに理解しかねていた。
たとえその理由が己の存在だとしても得心はえられない。
理由のない好意には必ず影が落ちる。それとは別に、ケモノの行動原理が自分などに縛られて欲しくないというのも本音だった。
これからいくような死地へ、この先何度もケモノが同行することをよしとしたくない。
だからここで明確に線引きしなくてはならない。お互いに譲れない線を。
「頼む。ここで待っていてくれ」
だから、丹恒は気づかない。
すでにお互いの譲れない線を引き終えていることに。
ケモノの心はずっと前から決まっていて、たとえどのような危険や犠牲を払っても丹恒のそばから離れないと決めていることを。
あの酸っぱいような甘いような匂いが噎せ返る牢屋で、ケモノの意志を聞かずに無理矢理追い出した男のことを根に持ってるなんて、そんなこと。
ケモノの心はケモノにしか分からない。
交渉も懇願も、とっくに無意味だ。
丹恒はあの日、選択を間違えた。罪など被るべきではなかった。
罪より重い忠誠を手にして、大人しい愛玩物に収まるほど可愛らしい生き物ではない。
言葉は不要。有言を体現するのが、ケモノの流儀だ。
「いいか?わかったら……ウッ?!」
うつむく相棒の顔を覗き込もうとした青年の顎めがけて、ケモノは容赦なく頭突きをお見舞いする。
体制を崩した丹恒のまたぐらに滑り込みそのまま背中に乗せて走りだした!
不安定なケモノに振り落とされないよう、丹恒はケモノの長い体毛にしがみつく。
「くっ……止まれケモノ!!」
丹恒の言葉に耳をかさず、ケモノは瓦礫や露出した壁を駆使して縦横無尽に横断する。
廊下を抜け、舞台袖を飛び越え、下へ、下へ、空いた穴を飛び降りショートカット。
そして二人は再び演劇ホールに戻ってきた。
ホールの天井は完全に破壊され吹き抜けになり、斬新なデザインになった天窓から巨獣のぬらぬらした表皮がのぞいていた。
緩慢な動作で天井穴から体を乗り上げ、その巨体の全体像が見え始めたことで丹恒は自然と武器を構える。
こうなってはもう仕様がない。
丹恒はこれが噂に聞く“頭痛が痛い”という現象かと遠い目になった。
(――だがしかし、列車に仲間が増えるにつれ丹恒の頭痛の回数が増していくことを、まだ誰も知らない……)
「そうだった。お前の好きにしろといったのは俺だったな……」
「フンフンッ」
「もう止めはしない。が、マスクは付けてくれ」
「ウウ~……」
丹恒たちが着地した振動でこちらの存在を把握した巨獣は、やっと見つけた獲物めがけて触腕を振り上げた。
青年がケモノのマスクを付け直し背に座る位置を調節し終えたのを確認したあと、ケモノの全身は躍動する。
振り下ろされた幾つのも触腕を搔い潜り時には薙ぎ払い、只まっすぐに全速力で奔る。
叩きつけられた衝撃で飛散する瓦礫を尻尾で吹き飛ばし、只敵を見据えて槍を構える。
槍には先ほどケモノから渡されたもののなかにあった時限式の爆薬が括り付けられたいる。
なんのためにと思ったが、ケモノはあの時から計画を立てていたのだ。
どうしてそんなものが楽士の船の倉庫にありなんのために使おうとしたのかは知りたくもない。主を失った船にはもはや無用だ。
ケモノは露出した鉄柱から避けた触腕に飛び移り、いっきに距離を縮める。
「オ、オ、オォーーー!!」
ケモノが咆哮をあげ、合図をだした。
大きく跳躍し巨獣の頭部に接敵。
突然目の前から獲物が消え不意を突かれた敵は、起爆剤によって加速した槍の投擲を避けることはできなかった。
巨獣が最後に見たのは、肉食獣の強靭な鉤爪だった。
…………
…………
力尽きた巨体が船から落ちるように離れたのを見送っていると、救難信号を受け取った救助隊が駆け付けた。
賞賛された丹恒たちは救助隊の船に移り、安全に港に着くことが出来た。
レスキュー隊員の「聴取と、報奨金を出すから待っていてほしい」という命令を無視し、ふたりは早々に立ち去るためと別の船に乗り込もうとした。
「二人とも、ちょっと待って」
彼らを呼び止めた赤髪の女性の傍らには、人々を引きつける魅力を放つ列車の姿があった。
女性は姫子と名乗り自分たちもあの巨獣に進路をふさがれて困っていたことと、その礼を伝えた。
謝辞を聞き終わるとすぐ立ち去ろうとするふたつの背に、姫子は一抹の不安を覚えた。
ナビゲーターの本能か、彼らの背負う影が周囲の影より色濃く感じられたのだ。
別の船に乗り込む背中に思い切って声をかけた。
「あんたたち、これからどこに行くの?」
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