ハンター試験編
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────嗚呼、酷い。酷い酷い人だ。なんて恩知らず。我慢ならん。生かしておけねえ。申し上げます、旦那様。わたしは全てを明らかにします。あの方は酷い酷い、それは厭な奴です。とても同じ人間とは思えない。わたしがどれだけあの方に誠心誠意、真心を捧げたことでしょう。あの方が飢えないよう、身を削ってきたことでしょう。だのにあの方ときたら、それを分かっていない。いいや、分かっていて尚わたしに酷い仕打ちをなさるのです。わたしが金勘定をするといかにも嫌そうな顔をなさるのです。見たことがあるのかって?いいえ、いいえ。あの方はけっしてそれを表に出さいません。いつもヴェールを被ってらっしゃるので見えはしません。しかしベールの奥の眼は軽蔑の色をしているのです。絶対にそうとしか思えない。わたしには分かるのです。あの方のことならわたしはなんでも分かるのです。あの方はわたしを見下していた。金を数えるのが、それがわたしの仕事なのに、あの方はそれを否定する。わたしはあの方のためを思ってやってやってるのに、あそこの人間は天に祈るかいつ死ぬかしか頭に無く金のことを気にかける奴なんていやしない。わたしがいなければその日の麺麭を拵えるのも苦労したことだろう。わたしがいなければ今頃あそこは毎晩味のしないスープを啜るだけの晩餐だったというのに。誰のおかげで楽ができると思ってるのか!施しと贅沢の分別がつかない頭の弱い連中ばかりでわたしは本当に不幸でした。別にわたしは偉ぶりたくてやってるんじゃ無い。あの方のためだ。全てあの方が仕合わせであっていただくためにしているのだ。あの美しい人のために。あんなに美しい人をわたしは他に知らない。あの方を生かしたいがためにわたしはつまらない仕事にだって文句一つせずやってきた。他の奴らはついでだ。あの方ばかり贔屓にしてたんじゃあの方が不機嫌になっちまうから仕方なくやってるのだ。それを鼻にかけて偉ぶるつもりも持て囃されたい訳でもないのです。旦那様、本当に本当にそうなのです。ただほんのちょっとあの方にお褒めいただければそれだけでわたしの苦労は報われるというもの。だっていうのにたったそれくらいの労りすら、あの方は投げかけてくださらない!わたしはあの方の我儘や世話をするためにおつむの足りない金持ちからちょろまかしたり、自分の財産を少しずつ切り崩したり、時には知り合いに頭を下げ回って金を借りたりしてどうにかこうにかやってきたんだ。だっていうのに誰もわたしの苦労を理解しない!それどころか、マルガーの奴め。そんな陰気な顔で方方に凄んでみっともない真似をするのではないとわたしを叱った。これほど酷い仕打ちはあるでしょうか!わたしはこんなに一生懸命お仕えしたのに、なぜ非難されるのでしょうか?ええ、ええ。だいじょうぶです、旦那様。わたしは冷静です。冷静ですとも。はい、はい喜んで。キチンと最初から申し上げます。はい、はい、仔細説明いたします。はい、もちろんですとも。申し上げましょう。わたしはケチな商人でした。つまらないことで失敗し、途方に暮れていたところをあの方が助けてくれました。あの海辺の街で迷い込んだ教会で、あの方と出逢いました。無一文になったわたしは一夜をやり過ごすため鷲とアヒルのついた立派な門を潜りました。今でも瞼の裏に思い起こせます。月のない晩でした。星あかりの僅かな光をたよりに重厚な扉を押すと、まず死神がわたしを見下ろしていました。死神です。嘘なもんか。あれは死神だった。長いベールでひょろりとした身体を包み大きな鎌をもった髑髏の死神だった。死神は何事かわたしに語りかけましたが、わたしは恐ろしくて恐ろしくて頭になんにも入っていかなかった。実をいうとちびってしまいまして腰を抜かしてしまっていました。これはとうとうわたしの命を刈り取りに来たのだと覚悟したのです。わたしはそこで逃げるのを辞めました。それもいいかなとも思ったのです。なんにも無くなったわたしには、金も寝床もないのに腹が空き眠たくなる命があってもしようがなかったのです。だったらマフィアに見つかって体をバラバラに切り刻まれて何処ぞに売られるより、死神に魂を委ねるほうが何倍も素敵じゃないか。あの大鎌でスパっと首を落とされた方が綺麗に死ねる。ここは教会だから朝になって死体が見つかっても無碍に扱われないだろうという打算もありました。だからわたし、ずっと見てました。死神の鎌がいまにもわたしの首筋に振り下ろさんとする瞬間を瞬き一つせず、見ていた。今からわたしを殺すものの顔が見たかったのです。目があるはずの窪みの奥が伽藍堂だったことをよく覚えています。死神は狙いを定めてから大きく振りかぶりました。あと数ミリ遅ければ胴の上と下が亡き別れになっていた。だけどそうはならなかった。寸前、死神が突然風船のように弾け飛んだのです。そして、あの人は現れました。美しい、嗚呼それは美しい少女がそこにいた。熟れた柘榴の汁で染めたような鮮やかな髪を無雑作に下ろし、白いふんわりとしたレースがあしらわれた寝着を着て、そう、そうだ赤い靴を履いていた。歳の頃は9つかそこらの様なのに、小さくて可愛らしい足をちょこんと揃えてわたしを見下ろしてた。蝋燭のわずかな灯りに照らされた二つの翠玉がぞっとするほど美しかった。この時わたしは錯乱していて、自分はとっくに死んでいてこの子こそが天使でわたしを迎えに来た使者なのだと本気で思い込み、そう願わずにいられませんでした。あの方の顔を見た者なら誰だろうとそう思うでしょう。こんなに美しい人に看取られるならと誰もが思わずにいられないはずだ。心なしかふぅわりと浮かんでいるような気さえしたのです。惚けていたら、少女が話しはじめました。あの子はここの守り神なの。驚いたでしょう?でも悪気はないの。それがあの子の仕事なの。印が無い人を追い返すのが役目なの。貴方、迷い人?ならこっちへ来て。貴方とっても汚いわ。それにとっても顔色が悪い。ウチの敷地に入ったのならちゃんと綺麗にして来ないと駄目なのよ。なぁに、水が欲しいの?いいわ、私の夕食の残りならあげる。私、全然食べなくてもヘーキなの。今日もマルガーに食べるフリをしなさいって怒られたわ。でも私、食べたくないものは絶対食べたくないの。美味しくないものを食べたくないだけなのにどうして怒られるのかしら。食べたい人が食べたら良いのにね。それでみんな幸せでしょう?なんで怒られるのかしら。やんなっちゃう。でも食べないとみんな心配するでしょう?心配すると躍起になって食べさせるでしょう?だからこっそり部屋に持って帰って夜に庭に埋めるの。美味しいって思われないまま私に食べられるより自然に還ったほうが食材も幸せでしょう?ね?そうよね?私の言うことは正しいの。でね、これから行くところだったんだけど、貴方が食べてくれるなら手間が省けるわ。でもその前に裏に回って。小川あるから、そこで汚れを落としてきてね。汚い人はキライよ。貴方が水浴びしてる間にミルクを持ってくるからそれまでに済ませちゃってね。急いでね、誰かが起きたら貴方も怒られちゃうかも。──嗚呼、なんて神様のような善い子だろうか。こんな見ず知らずの汚らしい乞食に飯を与え身体を清めさせ、あまつさえ寝床を用意してやるなんて。ええ、ええ、そうです。あの子は、あの方はミルクの入った瓶と毛布を持って、小川で身体を洗ったわたしを敷地の外れにある納屋へ案内しました。一晩だけならバレないからと匿ってくださったのです。蕩けるような笑みを浮かべおやすみなさいと言ってあの方が去られた後、手付かずの残飯とミルクを腹に納めたわたしは、もう、もう色んなことがいっぱいに溢れて耐えきれなくなってしまって涙がとうとうと流れました。懐かしい匂いのする干し草の上で、頂いた毛布に顔を埋めて泣きながら眠りました。翌朝、妙にすっきりとした頭に浮かぶのは昨晩の少女のことばかり。少女に、礼拝の時間が始まる前に出ていくよう言いつけられていましたがわたしの心は決まっていました。日付の感覚が狂っていたため、その日が日曜日だと初めて気付きました。教会の鐘が鳴る時分を待ち、わたしはあの重厚な扉をもう一度開け、ステンドグラスの煌びやかな朝日を受け、厳粛にミサを執り行う少女の前に跪きどうか貴女の弟子にして下さいと申し上げました。あの方は困ったように笑って、また野良犬が懐いてしまったわ。お義父さま、面倒見てあげて。と隣に立つ司祭に申したのです。司祭は美しい柳眉を顰めてため息を吐きこれもまた我が父が与えた試練、ということか。とおっしゃいました。そうして、ええそうして、わたしはあの方の弟子になり受けた恩義を返すため、あの方が苦労しないよう今日まで影に日向に助けて参った次第です。時にあの方を疑う悪党共を懲らしめたり、時にあの方から搾取する輩から搾り取ったりと、へへ、そこは商人。得意分野でございます。何故そうまでして⋯⋯ですか?これは。これはこれはこれは。そんなこと分かり気きってるじゃありませんか!わたしは、あの人を愛していたのです。美しいあの人を愛していました。わたしを助けてくださったあの人を愛していた。姿形などではなく、あの人の心持ちが好きだったのです。あの人の人と成りなんて関係者ありません。あの人はそれで良いのです。無邪気に人の心を玩ぶ幼な子でございます。外のことなぞ知らない無垢な娘。なんにも分からなくて良い。苦労なんて知らなくて良い。それでいい。それでよかった。その、筈だった。旦那様、長々と弁を垂れて申し訳ありませんが今しばらくお付き合いください。どうにもわたしは目利きは確かなのに弁が立たない性分でして、どうかご容赦ください。嗚呼、なんてお優しいのでしょう。はい、有り難く続けさせていただきます。そうなのです。つい、今朝のことです。あの方が大勢の弟子がいる前でなんとおっしゃったかお分かりになりますか?この中に裏切り者がいる。そいつはお金の事しか頭に無く、そいつは金の為に近いうちに私を裏切るでしょう。でもそれはしょうがないこと。誰も恨んではいけません。裏切り者が誰であろうと許してあげなさい。私は赦します。だから貴方たちもそうしなさい。そうおっしゃいました。よりにもよって日曜日の礼拝の時間に、あの方とわたしの神聖な日にそう言ったんだ。いやらしい、こすい手を。さっきも申しました通り金勘定はわたしの仕事です。わたし以外にそんな奴はいない。あの方は隠してるつもりかも知れないがいや、違う。分かっててやったんだ。出なきゃあんな言葉は出てこない。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞。どうせならいっそのこと名前を出してくれればわたしは許したのに。その場で膝をついて一時の気の迷いだったのですどうかわたしを罰して下さいと頼み込めたのに。そんなわたしの醜い心を見透かして先手を取ったのだ。わたしは逆に決意を堅くしなくちゃならなくなった!もう殺そう!今すぐ殺そう!そんなに裏切ってほしけりゃやってやる!わたしだって迷っていたんだ。愛してるのになんでこんな嫌な役目をしなくちゃいけないのか。こんなに愛してるのに。こんなに好きなのに。こんなにこんなに貴女のことを考えてるのに!嗚呼、嗚呼!!なんでだろう。なんでこんなことになっちまったんだろう!⋯⋯申し訳ありません旦那様、わたしはおかしくなってしまった。どうかわたしの言うことは信じないでください。わたしもわたしの言うことが信じられなくなってきた。なにを、なにを信じればいい?なにを、なにが。なぜ?どこでわたしは間違ったんだ?なにも知らない美しい娘だったのに。わたしの可愛い美しい人。何故わたしはあの尊い人を裏切らなくちゃいけないんだ?わたしだってやりたくなかった。本当ならあの方は使命なんて知らないどこか森の奥まった場所で、縛られず苦労せず心穏やかに暮らしていてくれればと何度思ったことか。わたしは商人なので畑で採れた野菜や果物を街で上手いこと売って少々の金を持ち帰りあの方にお帰りなさい、お疲れでしょう?ご飯の準備出来てるわと言ってくれるだけで幸せなのに。あの窮屈なベールを取り払ってその下の美しいかんばせを眺め頬にキスをしてふたりで食事を囲む、嗚呼なんて幸せな光景か!だのに、あの方ときたら。マルガーに恩を返せてないしジャックはまだ小さい、アデーレやサイファスは助けを求めて此処に来たわ。みんな事情があって他に行くところがない人が集まっているの、あなたもそうでしょう?そう嗜められた。嗚呼この時のわたしの気持ちといったら!今すぐあの方の手を取り一緒に逃げましょうと、何度口にしようとして辞めたことか。あの方は知らない。わたしはあの方の幸せだけを願っていたのに。あの方が少しでも仕合わせであればと毎日思っているのに。あの方はちっとも気付かない。これほどの仕打ちはないでしょう。いいえ、いいえ旦那様。わたしは泣いてなんかいません。あの方の為の涙なんて流れません。泣いてやるもんか。だってあの方はわたしを裏切り、今度はあの方がわたしに裏切られるのだから。あの方が最初だ。わたしはその後。逆じゃ無い。わたしが最初じゃ無い。わたしは悪く無い。なにも知らなかった娘が女になって浅い知恵を身につけたのだ。どこから嗅ぎつけたのか知らないが外から来た奴が要らぬ世話をしたのでしょう。そうだ、そうとしか思えない。でなけりゃわたしがこんな目に遭うはずがないんだ。あんなに一生懸命働いてやったのに、あの方はちっともわたしを顧みなかった。弁明の余地すらくれなかった。それどころかわたしの信頼を裏切った。嗚呼ちくしょうめ!許せねぇ、許しておけねぇ。旦那様、お聞きになった通り、わたしはこんなにもあの方を愛して慈しんで、あの方のために身を粉にして働いたのに、あの方はわたしを犯罪者呼ばわりした!絶対にわたしが殺してやる。私のこの声で、この思い出で、この気持ちで。あの嘘吐きの淫売婦を殺してやりたい。お願いですどうか殺してやってください。どうせ死ぬならわたしの手で終わりにしたい。どうかどうかどうか!──⋯⋯申し訳ありません。ちゃんと、ちゃんと申し上げます。嗚呼、水を下さるのですね、これはありがたい。なにぶん急いで走ってまいりましたので、喉が渇いて仕方がなかったのです。ありがたい。嗚呼、美味い。なんて美味い水だ。人生でこれだけ美味い水を飲んだのは初めてです。なんと!パンまで下さるのですか。なんて慈悲深い人だ。白いパンなんてずいぶん食ってない。柔らかくってあったかい。嬉しいなぁ嬉しいなぁ。贅沢を言うならこの水が葡萄酒ならいっそうよかった。今日という日にパンと葡萄酒が揃えば、はは、なんて皮肉だろう、まるであの方を食してるみたいじゃないか!おお、すみません、すみません。せっかくのご好意なのに、ケチをつけて。はい、はい。すっかりご馳走になってしまいました。もう大丈夫です。落ち着きました。人というものはイヤですね。なにか一つ欠けているだけでこうも嫌なやつになってしまう。満たされなければ欠けていくばかりだ。あの方もそうだった。我慢ばかりしている。あの方はあまり食事を摂らないことで有名ですが、自然とわたしたち弟子はあの方をマネて食事を控え、その分を貧しい孤児院の子供たちに回すようになります。でも本当はわたしは知っているのです。あの方が本当は何を望んで食べているのか、何を遠慮して食べずにいるのか。わたしだけが知っている。あの方の好物を知っているのは私くらいなものだ。お可哀想に。食べ盛りの子供なのに好物すら満足に食わしてやれないなんて。全部全部、金が無いのがいけない。教会はいつも金がなくて火の車なのに貧乏人たちに食わせてやれとか孤児院の屋根を直してやれとか無茶ばかり言い付ける。どうにかこうにか捻出して叶えるのは全てわたしだった。わたしたちこそがひもじい思いをしてる貧乏人であるのに、あの方は食べないから知らないんだ。嗚呼、そうだとも。全ての実情を把握してるのはこのわたしだけ。あの鉄面皮の修道婦長など及ば無い。あの女、常にあの方に引っ付いて鬱陶しがられているのを知らないんだ。わたしがあの方に近づこうものなら虫を払うように邪険にする、あの鉄面皮。あの女も殺してやりてえなぁ。嗚呼みんな皆んな、あの方を好きな奴、みんな死んで終えばいいのに。いや、いや。そんなことはどうでもいいんだ。あの方さえ死んでくれれば、贅沢は言いません。ええ勿論。必ず捕まえて下さるのでしょう?良かった。それはようござんした。ええと、それでですね、わたしはお可哀想と思って、苦労してあの方に好物を差し出しに伺ったことがあります。わたしがされたように、あの方にもお食事をご用意したのです。わたしがご用意したものを喜んでくださったのは後にも先にもあの一度きりでございます。あの方は喜んで食べてくださった。本当ですとも。やっぱりこれが好きなのだと確信しました。だのに、人前ではとんと口にし無い。人前で食事を摂ることが恥ずかしいのでしょう。あの日も、わたしがどうぞお食べくださいと手首を差し出すと最初はイヤイヤをするのですが、食べづらいのかと思ってわたしが持っていたナイフでちょっぴり手首をね、スッと切りつけますとね、あの方の目の色が変わったのを見逃しませんでした。これでも商人ですので、目端がきくのです。だから手首をあの人の口元へ押し付けてやるとね、反対の手で首裏を支えてやって、そら、押し付けるとね、最初は控えめにチロチロ舐めていたのが次第にちゅるちゅる啜るようになるのです。涙を流しながら食べてくださる。やっぱりこれが好きなんだ。どれほど我慢し、どれほど美味しかったのか嗚咽混じりに啜るのです。小さな2枚の桜貝のくちびるでわたしの手首に吸い付く、その時の幸福たるや何物にも代えられないでしょう。その後、腹が満ちて正気を取り戻すと照れたのかわたしと一言も喋らず部屋に閉じこもるのです。しばらく口も聞いてくれませんでしたがわたしは幸福でした。ね、恥ずかしがり屋でいじらしい、可愛い可愛い娘でしょう?嗚呼、ずっとずっとなにも知らない無垢な可愛い娘であれば良かったのに。食べて眠って遊ぶだけの無邪気な子供であれば、どれだけ良かったか。ただわたしは金糸雀の囀りを聴いていたかった。ただわたしは金魚の尾鰭が靡くのを見ていたかった。それだけだ。可愛い可愛い愛しい人。楽園に住う天使。我々を導く天の御使い。嗚呼、嗚呼。そのはずだった。そのはずだったのに!そうでしか生きられないよう、我々が苦心してきたのに、あの方は我々を裏切った!約束を破った!必ず〇〇○くれると言ったのに!もう出来ないと!マルガーが、今は亡き司祭長がご存命であればこんなことにはならなかった!そうだ、マルガーが死んでから何もかもおかしくなったんだ!あの方は変わられた。2年前、あの少女が現れてから、赤目の悪魔が来てから全て可笑しくなった。拐かされたのだ。天使が悪魔に魅入られた!嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼嗚、嗚呼っ!!なんと嘆かわしい!!あの人はもう駄目なのです!堕ちてしまった!堕落だ!失墜だ!堕天だ!穢れてしまったあの人はもう我々を救えはしない。でも見栄を張って取り繕うしか取り柄がないからあんなことを嘯いたのです。みんな本当は失望してた。あの人だけが依る辺だったのに、裏切られたから。でもあの人を裏切る勇気を持つものなんてあそこには誰一人いない。わたし以外は。わたしだけは違う。はは、もうあんな小娘に用はない。あの人がわたしたちを必要としなくなった2年前のあの日から耐えていたけどもう限界だ。わたしは、商人です。ケチで退屈な商人。今日、主から見限られたからではなく、わたしがあの人に見込みがないと悟ってその足でここへ参りました。そうだ、そうだとも。申し訳ありません、旦那様。私は嘘をつきました。わたしはあの人を愛してなんていませんでした。ちっとも好きじゃない。あんなわがままな嘘つきの小娘。わたしを汚らしいと言った高飛車な、人に色目を使うしか脳がない淫売婦など、ちっとも愛してなんかない。誰が愛するものか!どうぞこちらを。ここにはあの女の正体と、これまでの所業の数々、それからどれだけの人間があの女に騙されたが書かれています。これでどうぞあのアバズレをとっ捕まえてください。これがわたしからあの婢女に相応しい復讐の仕方。わたしはあの女の弱みを知っています。よろしければご案内しましょう。ええ、ええ。今すぐに行きましょう、それがよろしい。嗚呼嬉しい。これであの女は終わりだ。何もかも失う。火炙りか曳き回しか首切りか。どれになっても楽しみだ。あの売女を終わらせるのはこのわたし。赤目の悪魔なんかじゃない。わたしなんだ。嬉しいなぁ嬉しいなぁ。え?なんですこれは。金?へぇ、へぇ。はは。ははは。いやあはははは。いやぁ、いやいやご遠慮しておきます。まいったなぁ。どうかわたしが怒らないうちに引っ込めてください。わたしは金欲しさにあの女を売ったんじゃない。はは、ははは。てめぇ引っ込めろっていうのがわからねぇか!引っ込めろ!!、あ!ごめんなさいごめんなさい。、あ!ごめんなさい!、あ!怒鳴ってしまってごめんなさい。やはり受け取ります。ええ、ええ。わたし、お金大好き。お金より大事なものなんてありません。だからあの人にも軽蔑されてきた。商人ですもの。性分ですもの。世の中全て金。金さえありゃあなんでも良い。違いませんか?えへ、そうです。わたしはケチで退屈な卑しい商人。わたしは嘘ばかり申しあげました。わたしは金欲しさにあの小娘に引っ付いていました。嗚呼、そうに違いない。きっとそう。だけどあの小娘はわたしにちっとも儲けさせてくれなかったから、そこはほら。目端がききますので今朝方見極めがついたから華麗に寝返ったのです。素晴らしいでしょ?へへ、金だ。世の中みんな金。100万ジェニーだって。ブラックマーケットの奴隷と大した違いもない。たった100万ジェニー、札束ひとつであいつは売られる。あの小娘の価値なんてそんなもの。わたしがそうした。わたしが。嗚呼そうだ、そうだとも!金だ。金だ。金だ!おれは金が好き。好き好き大好き愛してる。他はなんにも信用してないの。えへ、これで上等な葡萄酒と白いパンを買ってやる。買って食わずに捨ててやる。全部全部全部買って捨ててやる。嗚呼それが良い。なんて贅沢。素敵。はい、はい。有り難く頂戴します。わたしはケチな商人。欲しくてならぬ。えへへっ。はい、はい。嗚呼これはこれは申し遅れました。わたしの名は────、
※※※
「ようやく会えたわね、ジューダス」
※※※
黒衣の少女がその名を呼ぶと、寸前まで余裕そうに笑っていた男の態度が急変した。
恭しく少女の頭上に掛けられたベールを取り払った、その時に。
「あ、ああ⋯⋯!!」
壊れた機械のように単語を繰り返す向かいの男を、彼女は緑陰の瞳でただただ冷徹に見返す。
蝋燭の灯りが彼女の素顔を晒した。
ベールの下にあったのは、想像よりずっと幼い顔立ちで、想像より綺麗すぎた笑みを貼り付けていた。
愛らしいと表現されてしかるべき微笑み。
陶磁人形のように完璧な微笑。天使とも悪魔とも囁かれる魔性の女の笑み。
多少なりとも情勢を気にしている人間ならば一度は目にしたことのある笑顔であり、本来ここにいるはずのない人物だ。
何故ならば、彼の組織は毎年、新年と教祖の生誕祭を盛大に祝う国内行事があり、大々的にTVで生中継するほどの大規模なイベントを行う。第3次試験が始まる前に、TVに映るその人を、レオリオと共に視聴していたのだ。
大聖堂で讃美歌を歌う、堂々たる主役の姿を。
人は様々に彼女を呼ぶ。
“無償の愛の提供者 ”
“息吹く宿木 ”
新たなる時代の導となる者。
メメシス教、教祖メサイア。
それが彼女の。ミサの、正体。
Messiah
と
Missa
何故気付かなかったのか不思議なくらい、ヒントはそこかしこにあったというのに。
深いガーネットの髪が地下から吹き上げる風で赤い蛇のようにうねり、篝火の陰が翠玉の瞳の中で怪しく揺らめき──奥底に仕舞われた何かに火を付けた。
その顔は、声は、忘れようとも忘れられない。
ずっと昔に会ったことがあるような初めて出会ったような、いやきっと初めから知っていたと確信さえする、不確かで曖昧な奇妙な感覚。パチパチと弾ける火の粉のビジョン。
月夜の晩。
花の香り。
川のせせらぎ。
裸足の脚。火傷の跡。
甘いような酸っぱいような腐った果実のような古い本の、匂いのような。
コマ送りして流れ込んでくる見知らぬ光景。知らない。知らない。これはなんだ?
洪水は止まることはなく、押し流されぬよう受け止めるので精一杯だ。
燭台の灯。指切り。
暗い部屋。
知らない大人たち。赤い髪と白い脚、それから。
赤。緋。紅。それから黒。
塗りつぶされていく。
覆われて染められてぐちゃぐちゃに混ぜられて、小さくまとめられる。
寒くて、暗くて、広くて、遠く深い。
熱くて、明るくて、狭くて、近くて浅い。
そんな場所に。
仕舞われていたものが、開いていく。
鳥が生まれる前から飛べることを知るように。
大人になると胎児の中の記憶を忘れてしまうように。
置き去りにされた玩具がひょっこり戻ってきたような。
引き出しの奥の奥に大切に終われた憧憬。
この感覚を、確かに覚えている。
嗚呼、なにもかもこんなに色鮮やかなのに。
どうして忘れていたんだろう。
忘れてはならないもの。
忘れたくなかったもの。
この記憶の名前は⋯⋯。
────ズキン。
「うっ⋯⋯!」
来た。あの頭痛だ。
そうか。そうだったんだ。
ようやくわかった。
やっと。見つけた手掛かりを手繰り寄せようとした。しかし鈍かった痛みが最高潮に達したとき、それは起こった。
「う・ああああ゛ぁ゛⋯⋯⋯⋯ッッ!!」
今までにない激痛が奔る。
ぱちんぱちんと鼓膜の奥の方で何かが千切れる音がした。一際大きく弾けた音を最後にかろうじて残った意識も刈り取られる。
開きかけた箱は閉じ、また手の届かない場所へ遠のいてゆく。
《未登録ユーザーのアクセスを検知しました》
《指定のファイルには鍵が掛かっています。10秒以内にパスワードを入力してください》
不思議と焦りはない。
身を委ねることに抵抗がない。
《時間内にパスワードの確認が取れませんでした。もう一度やり直してください》
《時間内にパスワードの確認が取れませんでした。もう一度やり直してください》
そうだ。知っていたんだ。
ずっと前から知っていて、分かっていたから、何もしなかったのだ。
《時間内にパスワードの確認が取れませんでした》
《短期間に連続しての入力失敗が確認されました。再ログインが可能になるのは45日後になります》
何度も味わったこの瞬間を、繰り返したくなかったから。
知らないふりをした。
《ユーザーの安全性および管理者権限により強制シャットダウンを実行します。90秒後に再起動します》
《再起動後は認識の統合性を高めるためユーザーおよびユーザーの半径50M以内にいる人体の、前後300秒間の記憶補正が行われます》
周囲の景色が遠くなっていき、あの瞬間が来ることを悟る。
《シャットダウンを 開始します》
──────────嗚呼。またか。
※※※
「ようやく会えたわね、ジューダス」
※※※
黒衣の少女がその名を呼ぶと、寸前まで余裕そうに笑っていた男の態度が急変した。
恭しく少女の頭上に掛けられたベールを取り払った、その時に。
「あ、ああ⋯⋯!!」
壊れた機械のように単語を繰り返す向かいの男を、彼女は緑陰の瞳でただただ冷徹に見返す。
蝋燭の灯りが彼女の素顔を晒した。
ベールの下にあったのは、想像よりずっと幼い顔立ちで、想像より綺麗すぎた笑みを貼り付けていた。
愛らしいと表現されてしかるべき微笑み。
陶磁人形のように完璧な微笑。天使とも悪魔とも囁かれる魔性の女の笑み。
多少なりとも情勢を気にしている人間ならば一度は目にしたことのある笑顔であり、本来ここにいるはずのない人物だ。
何故ならば、彼の組織は毎年、新年と教祖の生誕祭を盛大に祝う国内行事があり、大々的にTVで生中継するほどの大規模なイベントを行う。第3次試験が始まる前に、TVに映るその人を、レオリオと共に視聴していたのだ。
大聖堂で讃美歌を歌う、堂々たる主役の姿を。
人は様々に彼女を呼ぶ。
“
“
新たなる時代の導となる者。
メメシス教、教祖メサイア。
それが彼女の。ミサの、正体。
Messiah
と
Missa
何故気付かなかったのか不思議なくらい、ヒントはそこかしこにあったというのに。
深いガーネットの髪が地下から吹き上げる風で赤い蛇のようにうねり、篝火の陰が翠玉の瞳の中で怪しく揺らめき──奥底に仕舞われた何かに火を付けた。
その顔は、声は、忘れようとも忘れられない。
ずっと昔に会ったことがあるような初めて出会ったような、いやきっと初めから知っていたと確信さえする、不確かで曖昧な奇妙な感覚。パチパチと弾ける火の粉のビジョン。
月夜の晩。
花の香り。
川のせせらぎ。
裸足の脚。火傷の跡。
甘いような酸っぱいような腐った果実のような古い本の、匂いのような。
コマ送りして流れ込んでくる見知らぬ光景。知らない。知らない。これはなんだ?
洪水は止まることはなく、押し流されぬよう受け止めるので精一杯だ。
燭台の灯。指切り。
暗い部屋。
知らない大人たち。赤い髪と白い脚、それから。
赤。緋。紅。それから黒。
塗りつぶされていく。
覆われて染められてぐちゃぐちゃに混ぜられて、小さくまとめられる。
寒くて、暗くて、広くて、遠く深い。
熱くて、明るくて、狭くて、近くて浅い。
そんな場所に。
仕舞われていたものが、開いていく。
鳥が生まれる前から飛べることを知るように。
大人になると胎児の中の記憶を忘れてしまうように。
置き去りにされた玩具がひょっこり戻ってきたような。
引き出しの奥の奥に大切に終われた憧憬。
この感覚を、確かに覚えている。
嗚呼、なにもかもこんなに色鮮やかなのに。
どうして忘れていたんだろう。
忘れてはならないもの。
忘れたくなかったもの。
この記憶の名前は⋯⋯。
────ズキン。
「うっ⋯⋯!」
来た。あの頭痛だ。
そうか。そうだったんだ。
ようやくわかった。
やっと。見つけた手掛かりを手繰り寄せようとした。しかし鈍かった痛みが最高潮に達したとき、それは起こった。
「う・ああああ゛ぁ゛⋯⋯⋯⋯ッッ!!」
今までにない激痛が奔る。
ぱちんぱちんと鼓膜の奥の方で何かが千切れる音がした。一際大きく弾けた音を最後にかろうじて残った意識も刈り取られる。
開きかけた箱は閉じ、また手の届かない場所へ遠のいてゆく。
《未登録ユーザーのアクセスを検知しました》
《指定のファイルには鍵が掛かっています。10秒以内にパスワードを入力してください》
不思議と焦りはない。
身を委ねることに抵抗がない。
《時間内にパスワードの確認が取れませんでした。もう一度やり直してください》
《時間内にパスワードの確認が取れませんでした。もう一度やり直してください》
そうだ。知っていたんだ。
ずっと前から知っていて、分かっていたから、何もしなかったのだ。
《時間内にパスワードの確認が取れませんでした》
《短期間に連続しての入力失敗が確認されました。再ログインが可能になるのは45日後になります》
何度も味わったこの瞬間を、繰り返したくなかったから。
知らないふりをした。
《ユーザーの安全性および管理者権限により強制シャットダウンを実行します。90秒後に再起動します》
《再起動後は認識の統合性を高めるためユーザーおよびユーザーの半径50M以内にいる人体の、前後300秒間の記憶補正が行われます》
周囲の景色が遠くなっていき、あの瞬間が来ることを悟る。
《シャットダウンを 開始します》
──────────嗚呼。またか。
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