ハンター試験編
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※※※
今すぐ死んでしまいたいと思う場面が、生きていく上で一体何度あるかしら。
臓腑を抉り出されるような透明な悪意に怯えて暮らしたり、失望されることを恐れ期待に応えようと頑張って頑張って吐くまで頑張り続けて折れてしまったり、周囲との格差やズレを悲観しつつもどうにもできずズルズルと這う這うの体で彷徨ったり。
そういうことに心当たりはないかしら。
ある、と思い当たる節があるならなんとなく理解していただけるかしら。
もし心当たりがないというのであれば、もう少し注意深く思い出して。過去の自分だけでなく周りのことも含めて観察して欲しい。
⋯⋯それでも無い、と。
嗚呼、それはきっと、幸せなことね。
思い当たらない、とはそういうことね。
あなたの努力か、周辺環境の努力かそのどちらもかは計り知れないけれど、それが「恵まれた人生」であることは確かだわ。
幸福だわ。
その人生は豊かだわ。
人の営みの、正当で正統な正解で理想だわ。真っ当ね、間違いなく。
しかし。
それを誰もが当たり前にしてることだと勘違いしてはいけない。
その幸福は、どこか別の場所で、別の形で、別の意味で、等しく不均等に起こり得ることなのだから。
そこに無いならどこかに有る。幸福があるなら不幸もある。規則正しい営みを運営するためには、歯車が噛み合わなければ成り立たない。
例えば。
一度しか通れない扉が左右の道に存在し、扉には○×の印があって、そこを通れるのはたった一人だけ。運良く自分の願った○の扉を選べた1番走者の後に続く次の走者は残った×の扉を選ばざるおえないとして。
○の扉を勝ち取った走者はそこで一度立ち止まり振り返り、もう一つの扉の様子を見ることは、きっとないでしょう。
ただ走り続ける。
ただ前を見つめる。
次に自分に立ちはだかる扉に目を向ける。
それが走者の、勝者の在り方だから。
選ばなかった扉の道の先など知りようもない。戻ることもできない。全ての人間がすべからく正解に辿り着くことが出来ないように、全ての人間が全ての扉を選べず先を知ることはできない。
阿弥陀籤は一つのルートしか選べない、なんてことは子供でも知ってるものよね?
一度通った道を引き返すなんてそんなズルは許されない。
選択したルートのゴールをただただ享受するしかない。
はじめの一歩を踏み間違えただけでドボンする、そういうことがまかり通る。
それが世の中で、そんな世の中で正解のルートを引き当てた人の人生を、幸福と呼ばずしてなんと呼ぼうかしら。
あなたはどっちかしら。
どっちのルートにいると思う?
あなたは今、○かしら、×かしら。
⋯⋯⋯⋯ふふふ、ごめんね意地悪しちゃった。
そうよね、そうよね。
そんなのわかりっこないわよね。
わかんないから、どうしようもなくなったから[[rb:私 > メサイア]]のところに来たんだものね。
愚問よね。
あら、お茶がなくなってるじゃない。おかわりはいかが?
まあまあ。そんなに焦らないで。
いますぐ死んでもいいって言うんなら、別にいつ死んでもいいんでしょ?お茶の一杯くらいであなたの覚悟が鈍ることはない、そうでしょう?
ふふふ、よろしい。丁度新しいお茶菓子も焼けたようね。アレルギーはない?ジェイコブの作るビスケットは絶品よ。ジェイコブは⋯⋯ええそう、あなたを案内してくれた、おじいちゃん。うちのかまどの番人。
美味しい?よかった。もっと食べていいのよ、私のもあげる。
ふふふ、子栗鼠みたい。そんなに焦らなくてもお茶もお菓子も逃げないわ。
それから後で本人に直接言ってあげて。きっと喜ぶと思うの。
うん?なぁに?
嗚呼、さっきの話?
それはもう忘れていいわよ、ただの世間話だもの。
それにアレに答えは無いのだもの。考えたって無意味なように作られてるの。
問題に問題があるって感じ?
そもそも○の扉が正解とは限らないし、正解の扉がその人にいいものかどうか分からないもの。人の生なんて、二択で済むほど単純じゃないのだから。
ナンセンスよね。
もっとも、未来が見えるのなら別だけど。
扉の種類を分けるなら、それは小さいか大きいかくらいかしら。私ならそうする。
え、私ならどっちを選ぶって?
うーん、そーねぇ────。
[newpage]
一定のリズムで揺られる感覚に、ほどけていた意識がゆっくりと覚醒する。
「起きたか」
「⋯⋯んう?」
予想外に近い距離から声をかけられつい、そう、つい何も考えず顔を向けてしまった。
薄いベール越しに、光の加減で暗緑色と茶褐色で変わる猫目が金糸の前髪から覗いた。
ひゅっと喉の奥で息を呑む。
反射的に突き飛ばそうと腕に力を入れるが、かえって抱えられている両脚の太腿に力が加わった。
「こら、暴れるんじゃない」
「はあ?」
「気絶する前のことは覚えているか?」
「はあ?気絶?」
「ふむ。どうやらまだ頭が寝ているな」 え、ナニゴト?
なんでクラピカ?
なんで私は気絶してて、起きたらおんぶしてもらってるんだ?
ワカンナイワカンナイ。
ていうか今失礼なこと言わなかったかこの男は。
「よかった、起きたんだね!湿原で倒れてたのを見つけた時はびっくりしたよ」
クラピカの頭の向こうでゴンが少し前を走りながらこっちを見ていた。
ゴンの顔を見たことで、ようやっと気絶する前のことを思い出した。
「少し魘されていたようたが、気分が優れないようなら棄権したほうがいい」
「⋯⋯だいじょうぶ。ヘーキ。棄権はしない」
やっとのことで絞り出した声は掠れていて、説得力がなかった。
ゴンとクラピカは物言いたげだったが気付かないフリをする。
クラピカと目を合わせないように、周囲をさっと見渡し、ここがまだ湿原の森の中で、2人は走行中であることを確かめる。周囲に他に人の気配はない。道行く道に転がる動物たちの死骸には見覚えがあった。
ひとまず早急で解決すべきことをしよう。
「とりあえず、下ろしてくれないかしら?」
背負われてる身で今更だと思うけど、今度は無理に引き剥がさず、彼の肩を軽く叩いた。
気を失っていたとは言え、さすがにこれはいただけない。
本当にまずい。こんなに近いのにクラピカは平気なんだろうか?何故“発火”が起きない?どうして?未だにこの誓約の条件が分からないから困る。
私の態度にムッと顔を顰めたクラピカは
「全く大丈夫そうには見えないが?」と言って背負いなおされる。
背負いなおす時、揺さぶられて思わずしがみついてしまった。案外広い肩とか筋肉のついた腕とか、細身だけど骨格はちゃんとごつごつしていた。
いくら私がゴンより身長が低くて平均体重を10kgも下回るといえど、会場までほとんど休みなく走り続けているのだ。
疲れが出始めているはずなのに。それなのにおくびにも出さない。かっこつけめ。
昔は女の子と間違えるくらい可愛かったのに。ん?いやそれは今もそんなに変わらないか。
……て違う。違うぞ私。そんなことを考えてる場合じゃないのよ。
呼吸を整え、もう一度下ろすように頼むも、
「そんな覇気のない声で言われても従えないな」
「匂いも近くなってきたし、もうすぐ着くと思うよ。それまで背負われてなよ」
「何故倒れていたかも聞かせてもらいたしな」
「⋯⋯下ろしてくれたら話すわよ」
頑ななだなぁ。などとゴンまで言う始末。今はその優しさが憎らしい。
重いから下ろして、は通用しないだろう。
背負っているクラピカに私の体重が軽すぎることは知られているだろうし、あっちは平均的に健康に育ち筋肉を付けた同年代の少年だ。苦に思うわけがない。
問い詰められないのは彼が知らぬふりをしてくれているに違いないのに、私がそれをつつくのは藪蛇だ。
少し悩んだ末、私は仕方なくアデーレから教えられた伝家の宝刀を引っ張り出すことにする。世話係のシスター・アデーレが想定したもしもの時とは少し違うシュチュエーションだが、頂いた御助言を使うならここしかない。
「えー、大変申し上げにくいけれど。宗教上の理由で、殿方とは、えーっと⋯⋯蜜月以外で濫りに触れ合っちゃダメなのです」
内緒話をするように、側にある耳元にぽそぽそ声を落とす。なんだか恥ずかしい感じがしないでもないが言い切った。
すると、
「⋯⋯ひゃ」
ぱっとお尻を支えていたものが無くなる。
刹那の浮遊感の後、肉付きの少ない臀部を地面に強かに強かに、打った。
突然すぎて硬も間に合わなかった。
じんわりと鈍痛が広がっていく。
「────いっ、たあ」
「あ、いやその、すまん、つい」
「クラピカ、さすがにちょっと酷いと思うよ」
ゴンからすれば突然クラピカがミサを落っことしたように見たことだろう。耳がいい子なので聴こえた上でかも知れないが。
自分より年下の子供にまで責められ気不味いと思ったのか、手を差し伸べようとする。が、さっきの私の台詞を思い出してか彼は躊躇した。
中途半端に向けられた手のひらを見なかった事にして、ジンジンするお尻を庇いながらゆっくりと立ちあがる。泣かなかった私ってエラい。
「ミサ⋯⋯大丈夫?」
「だいじょーぶ」
「オレ、おぶる?」
「いい、だいじょうぶ」
「無理しないでね?」
「してないしてない」
「⋯⋯ホントに?」
「ほんと。フ────っ⋯⋯⋯⋯よっし!だいじょうぶ。元気。走れる。行くわよ二人ともGoGo!」
「えぇ──⋯⋯?」
多少心が乱れても、気合を入れ直せばなんとかオーラを練れた。修練の賜物か私の見栄っ張りさ故か、複雑な気分だ。
臀部の痛みという代償はあったが、目的は達成された。
あと落とされた衝撃で眠気も覚めたので良しとする。⋯⋯良しとする。
「それで。大方の予想は見当が付くが、倒れる前に何があったのだ?」
走りながら、このままどさくさに紛れて忘れててくんないかなあ、なんて考えてましたがダメでした。ちぇ。
これ以上隠しても仕方ないから、大人しくゴンを追いかけた後の話を二人にした。なんてことはない。ゴンを追いかけヒソカと遭遇した後、私はあっさりヒソカに倒されたのだ。
話せばゴンには謝られ、クラピカにはむこうみずだと怒られた。
私も同じ立場ならそう嗜めるかもしれないので、黙って首振り人形のように頷いていたら「ちゃんと聞いているのか!」とまた怒られた。この感じ、ルゥインに似てるなあ。
2、3度組み手を交わした後、奴は「やっぱりキミ、ツマラない♤」とほざいた。
その後すぐに首裏が痛くなったから、手刀でも落とされたんだと思う。
「彼から話を聞いていただけに、期待外れだ♢」
気を失う前に、そんなことを言っていた気がするがあれはなんだったのか。
***
二人の後ろを、必死に着いていく。
時々振り返っては着いてきてるから確認してくれる二人に悪いけど、構ってる余裕が残されてない。
ベールの内側に籠る熱気やこめかみを伝う汗が鬱陶しい。拭ってる動作すら億劫だ。
頭の中がぐらぐらして気持ち悪い。
これが誓約にの反動なのかヒソカから食らったダメージなのか判別つかないが、集中しなければ、たちまち操作を誤って錐揉み回転して大惨事を起こしてしまう。
私の念操作は、車の運転みたいなもので、オーラがガソリンで操縦と車体(ボディ)は私自身。ガソリンはまだ余裕あるけど、ボディに問題があった。
ヒソカと接触した際、思ったより気力体力を削っていたらしい。背後が気になってなかなか集中できない。あんな気色悪いオーラは久しぶりだった。
安心して落ち着けるところで休めば大丈夫だろうが、今は少しでも遅れを取り戻さないといけない。
武闘派諸君に堅をマスターできなきゃ試験は受けさせられないと鬼の形相で言われた時は絶望したけど、今は感謝だわ。
背後に回られたのに気づいてからじゃ間に合わなかった。流の攻防移動が苦手な私は、堅で全身ガードするのが1番安全だ。見てから硬で受けてたのでは間に合わず首の骨が折れてたことだろう。
逆に円はわりとすんなり出来たので、私は全体的に念を纏わせる方向に長けていて、硬のように一部に集中させ移動させるなどの細かい配分が苦手なようなのだ。
そういえば私のこの能力、全体的に靴にオーラを纏わせて「歩け」と命令しているだけで、身体と脚での細かい配分量なんて気にしてこなかった。なんか歩けてたから、いっかて。
普段こんなにオーラを使うことなんて滅多なかったため盲点だった。いくらMOPが高く念のコストが少ないといっても、この先あと何回試験があるのかもどんな敵と対面することになるのかも不確定なのだ。これからは配分量は意識的に調整して節約できるところは節約しないといけない。ただでさえ私は念を使わなければ移動もままならないのだから。
「あ、見えてきたよ!」
ゴンが指さす方向に私たちもならう。
が、ゴンほど視力が良くないのでなんとなく見るだけだけど。円は疲れるのでやってない。
しばらく無心でいるとゴンの言う通り建物と人だかりが見えてきた。
「どうやら間に合ったようだな」
倉庫のような大きな建物から不穏な唸り声が聞こえる。中に入らないのかしら?
チリと首筋に痛みが走る。悪寒がして振り返るとその先にはヒソカが立っていた。
ヒソカは組んでいた腕を解き人差し指を立てた。そして私たちから見て左の方へくいっと折り曲げる。
3人で人の波をかき分けながら示された先へ急ぐと、一本の木にもたれかかったレオリオがいた。
「レオリオ!!」
目覚めたばかりらしい彼は、顔の痣と腕の切り傷だけで何もされていないようだ。傷は見た目ほどではなく出血も止まっている。駆け寄り傷の具合を見たクラピカが視線を上げるとキッパリと言い切った。
「うむ。腕のキズ以外は無事のようだ」
「ぷっ」
思わぬ場所から不意をつかれた。ヘンな声出ちゃったじゃない。
「てめ⋯⋯良く顔見ろ、顔を。ミサは笑ってんな」
「?」
「ごめ、くふふっ」
まだ分かってないクラピカの様子がまた可笑しくて頬が緩む。身体をくの字に折って耐える。悪いと思うけど不可抗力だもん、無罪だ無罪。
「コホン、とりあえず手当するわね」
「わりーな、カバンどっかにやっちまって」
「あ、レオリオのカバン持って来てるよ、オレ」
「じゃ、借りるわよ」
おう、と返すレオリオのほっぺたに消毒を含めたガーゼを慎重に当てる。冷やした方がいいが氷嚢はさすがに用意はない。水辺を探したいところだが離れるわけにもいかないし⋯⋯。
「あ、」
(ホントだ)
極々小さな呟きを拾ってしまったために、私の腹筋は崩壊した。患部にガーゼめり込ませちゃったのは申し訳なかったわ。本当にごめんなさいレオリオ。でもこれは不可抗力よね?
※※※
正午ちょうどになって、建物の扉は開いた。
2次試験会場の前に今か今かと受験生の人だかりが出来ていた。まだ1次試験を終えたばかりだからなのか、今回の受験者が優秀なのかそんなに減った様子がない。
この試験で1/3くらいに減ってくれれば楽になるんだけどなぁなんて、浅ましいことを考えていたのがいけなかったのか。
1/3どころか落ちた。全員落ちた。
2次試験後半の審査において、合格者ゼロの宣言に全員がどよめいた。
え?ほんとに終わり?
食べられずに手元に残されたスシモドキを見下ろす。頑張って作ったのに⋯⋯。
そういう試験も過去にあったとはいえど、流石に⋯⋯。未知の料理のレシピを探して作れとか、前半のブハラのような入手難易度の高い食材を手に入れろとかもう少し再考の余地はあったけれど、メンチの課題は完全に料理することに偏っていた。
“狩り”っぽく無い。
その言葉に尽きる。
落とされた受験生全員大ブーイングの最中、二人の後半審査のメンチという女性試験官が素知らぬ顔で電話をかけ始めた。
漏れ聞こえる内容から察するに、多分ハンター協会員の人と話してると思う。しかし数分もしない内にメンチが電話越しに声を荒げ一方的に切ってしまった。絶対揉めたな、アレは。
前半課題の、豚の丸焼きは順調だったのになと、ついついため息が漏れる。
想像よりすごく大きくて攻撃的な豚だったこと以外は普通で、その中から運びやすそうな子豚を見繕い、タイミングを見て弱点である額に踵落としをキメた。小休憩を挟んだことで念も通常通り出来た。調理には苦戦したけどなんとかなった。大変だったのはむしろ運ぶことだった。
再三いうが私は念を使っても非力だ。筋力もそうだが栄養不足で生まれつき骨や関節が脆いらしい。念を覚えてからは大分マシになったものの内臓や骨格まではすぐに丈夫になるわけではなく、それらは長い時間をかけて少しずつ治癒力を上げていくものだと世話係兼主治医のアデーレ先生が言っていた。
そしてそれは適度な食事と睡眠と運動をおこなった場合に限り、私は一つ目を適切に摂ることは叶わない身ゆえ、一進一退で良くなるわけがなかった。
そんな訳で悩まされたのが運搬方法だ。
子豚といっても普通の成体の豚より2倍は大きい。少しの間持ち上げるくらいなら出来るが、そのまま抱えて運ぶとなると休み休みやらなきゃ無理だ。かなりの時間のロスが発生する。
しまった。先に運んでから調理すればよかった。
念を使う姿を見られたくなくて人気のないところに来てしまったのも災いした。ここから2次試験会場までどうやって運ぼうか立ち往生していたら、ニット帽の受験者が通りかかった。
視線が合うと、男はあたりをキョロキョロ見渡して誰もいないことを確認すると近づいてきた。
横取りか、と身構えたがニット帽はすでに私より大きい豚を捕獲していてそれはないかと思い直す。
「なにか⋯⋯」
ようですか、と言い終える前にニット帽は私の子豚の脚を掴むと宙に放り投げた。子豚はくるくる回りながら落下し、ボスンとニット帽の豚の上に落ちる。
呆然と見送っていたらニット帽はちらりと私と目を合わせ、すぐに逸らした。何何?何がしたいのか分かんない。もう一度声をかけようとしたら、男はそのまま向きを変えダッシュしたではないか!
「はっ!?ちょっと!!」
やっぱり泥棒じゃん!なんて奴!!
慌てて追いかければ2次試験会場の近くで子豚は置き去りにされていた。
特に何かされた形跡はなく、問い詰めようにも姿が見えない。途中で落としたのかしら?
結局、他の受験者も続々とできた料理を運び始めたので急いで私もブハラの元へ向かい、無事食べてもらい合格出来たのだった。
────あのニット帽、誰だったっけ?
思い出せそうな気がするんだけどなあ。信者の顔なら忘れないのに。
まあ必要ならそのうち思い出すか。
いったんそう結論付けた。
そんなことよりもっと重要性のある危機が発生したからだ。次のメンチの課題は「スシ」という料理だった。全員スシって何?って顔に出てたし私もベールの下で同じような顔になっていたはず。
スシって何?肉料理が魚料理かくらい教えて欲しい。
まぁ教えてもらえたとて私が作れる料理のレパートリーは限られてるけど。なんせ生まれてこの方包丁を握ったこともなければ厨房に入ったことも数える程度だ。
メンチから与えられたヒントと設備を元に推測してみるも、置いてある器具がそもそも何に使うものかすら分からない。
なんで包丁が何本もあるんだろう。この桶?に入ってるのはライスかな?まだ温かいのか湯気がほのかに立っている。嗅いでみるとなんとなく酸っぱい匂いがした。腐っているようではなく、なにかそういう調味料をまぶしているのだろうか。
ますますスシという料理が謎めいてくる。少なくとも私が食べたことのない類の料理で間違いないだろう。
ライスがあるならパエリアとかピラフみたいなものかしら?でもこの調理台に火を扱う器具は用意されてない。それにメンチが言うには「ニギリスシ」しか認めないそうだし。ニギリ⋯⋯握るってこと?
おもむろに右手をグーにしてギュッと握ってみる。
この形にしろってことかしら?
包丁があるならば、切るための具材が必要になるはずだ。食材は外の森から獲ってくれば問題ないだろうけど、肝心の食材の正体が想像つかない。
他にもっとヒントがないかと設備を調べてみる。こんなことをしてるとなんだか探検ゲームのアイテム探しをしているようだ。
────ゴミ箱とか何故か必ず探しちゃうんだよね。
「魚ァ!?お前、ここは森ん中だぜ!?」
「声がでかい!!川とか池とかあるだろーが!!」
────何やってるんだあの二人は⋯⋯。
まあいいや。おかげで食材分かったし。
他の受験者に続いて森の中へ入り水辺を探す。魚取りは豚狩りより楽だった。少々野蛮な方法だが背に腹はかえられない。手頃な石を見繕い、魚がいそうな場所へ思いっきり水面に叩きつける、それだけだ。
一回や二回じゃ逃げられる可能性があるので連続で石を投げつける。すると衝撃波で失神した魚たちがぷかぷか浮かび上がってくるという寸法だ。石を投げる場所も魚が逃げないよう囲いながらやるといいらしい。
ちなみにこれは禁漁に抵触するので良い子は真似しちゃダメだぞ。素手で獲る分には犯罪にならないらしいけど。それも少量に限るが。みんなはルールを守ってよりよいフィッシングライフをお楽しみください。
小ぶりな川魚を数匹取ったらその場で血抜きし下処理をする。これらも本や映画で仕入れた知識を見様見真似でやってるだけなので適当だ。魚は鮮度が命ってね。獲ってきた魚をまな板の上に乗せ、さてどう調理するべきか。
ジェイコブなら美味しい川魚の煮込み料理にしてくれるだろうけど、今回の課題は火を扱わない料理らしい。と、いうことは生で食べるってことだ。
うぷ、想像しただけで気持ち悪い。生魚を食べる文化があることは知っている。メメシス教教会本拠地がある市の隣町に漁港都市があり、そこでは盛んに食べられてるそうだがウチは山間に近い場所にいるのでそういった文化が無い。基本的に煮込むか焼くかで、生魚を食べる機会が少なく抵抗がある。そもそも私自身が魚とか肉とか生臭いものが苦手で食卓に並ぶことがない。
ジェイコブたちが作ってくれた魚料理ってどんなのがあったっけかな。
うーん、とりあえず頭はいらないよね?流石に頭なんて食べる場所ないもんね?包丁でダンッと切り落とす。
次に尻尾。ここも食べられないからいらない。これもダンッ。
次に骨⋯⋯ってどうやって取ればいいのかしら。まあいいや、骨は後回しにして内臓だ。
ここって苦くて臭くて嫌いなんだよね。無し無し。半分にダンッ。
「あれ」
なんか食べる部分小さくない?まあいっか。ニギリズシってそんなに大きくないっぽいし。まだ魚はあるし。
次は⋯⋯⋯⋯皮の部分って取るべきかしら?削ぐにもグニグニしてて、フルーツの皮を剥くようには薄く切れない。あ、骨のあたりで半分にして身と皮を除ければいいのか。骨に当たらないようにジョリジョリ〜っと。よしよしうまく出来た。
次に同じ要領で身と皮を〜⋯⋯うにゅう?
身、ボロボロになったわ。
ほとんど皮のほうに残っちゃった。
反対側もやってみたけどやっぱりボロボロになって食べる場所がなくなってしまった。む、むずかい⋯⋯。
私が四苦八苦しながら魚を下ろしたり手詰まっていたりしたところで、早くも料理を完成させた受験者のひとりが審査員に怒鳴りつける声が響いた。
「なんだとーー!?メシを一口サイズの長方形に握ってその上にワサビと魚の切り身をのせるだけのおてがる料理だろーが!!こんなもん誰が作ったって味に大差ねーーべ!?────っは、しまったーー!!」
その場にいた全ての人間の心が合致した瞬間だった。
そこからは怒涛の展開だった。
受験生全てが作り方を知ってしまったためにメンチは審査を味だけで評価し始め、受験生は我先にと作った料理を食べて貰うべく、メンチの周りを取り囲んだ。
私も急いで料理を仕上げた。新たに魚を切っていたのでは時間がかかるのでボロボロになった魚の切り身をご飯の上に乗せ、作業台に置いてあった黒いパリパリしたものを巻いてそれっぽく形を整えただけだが、無いよりはマシだ。
だけど完全に出遅れた。周りが見えなくなっている彼らの人垣を超えてメンチの元に辿り着くのは至難の業だった。1番後ろでわたわたしているうちに彼女のお腹がいっぱいになってタイムオーバー。
「悪!!おなかいっぱいになっちった」
そして告げられる合格者ゼロのセリフ。
────頑張って作ったのに⋯⋯。
ほぼ初めてに近い手料理を、振る舞う機会もなく残飯行きになるのは思ったより悲しい。
だけどこの先一体どうなるんだろう。
占いには“料理”も“スシ”に関する単語は連想できなかったし、失格になるようなことも綴られてなかった。仮に私が忠告に従わなかったからと言って占いが変わるわけではない。元々の未来のままだから。ということはこの一連のことは予定調和である可能性が高い。
所々微妙なズレがあるので確証とはいえないが⋯⋯。なにかこの状況を好転してくれるパーソンが現れてくれるといいのだけど。
落としていた視線を周囲に向け、できるだけ早く現れて欲しいと思った。
受験生の混乱は続き暴れる者まで出て、ちょっとした暴動のような騒ぎだ。しばらく収まらないだろう。
その時間を使って私は、手付かずで無駄になってしまった食材たちを森に埋めに行く。なんとなく気が重くなったことと、どこかのピエロがまた殺気を抑えられなくなったので避難したかったもある。
ついでに川で手の血も洗い落とす。魚臭くて気になってたのだ。⋯⋯今更ながらに幾つかの命を無駄にしてしまった行為に気持ちが沈んできた。血の匂いが鼻にこびりついて、肉と骨を断つ感触も嫌な気分を助長させた。余分になんて獲らなきゃよかった。
こういう時は熱いシャワーを浴びてさっぱりするのが1番なんだけどな。
いっそ川に飛び込んでしまって、血とか泥まみれの身体を洗い流し清潔な服に着替えたいくらいなのだが、こんなところで裸になれない。仕方ないので服の血は濡らしたハンカチで軽く落とすくらいで我慢する。多分この服もレオリオから借りた上着もダメになるだろう。帰ったときにルゥインを慰める言葉を考えなきゃ。スーツは買い直そう、医者になるのだからもっと質のいいものをプレゼントしようかしら。
一通り見綺麗にして戻ると、ひとりの受験生が建物の外に伸びていた。なにかカンに触ることを試験官に言ってやり返されたのだろう。
今まで動かなかったメンチがソファから立ち上がって4本の包丁を操る。
「あたしらだって食材探して猛獣の巣の中に入ることだって珍しくないし、密猟者を見つければもちろん戦って捕らえるわ!!」
治療?しませんしません。
だってあの人は信者じゃないし、実は私って人見知りなので。
受験生の側を通り過ぎて自分の調理台の場所へいくと、
「あら?」
念のため台の上に置いておいたスシが無くなっていた。鳥にでも食べられたかしら?
「武芸なんてハンターやってたらいやでも身につくのよ。あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概なのよ!!」
「それにしても、合格者ゼロはちとキビシすぎやせんか?」
明々朗々と響く老人の声に驚き、全ての人間が一斉に空を見上げた。
XXを繋ぎ合わせたようなマークは、ある特定の人々から尊敬と畏怖の眼差しで注目を集める。
ハンター協会のマーク。
それがついた飛行船から小さな影が飛び降りて、地上に近づくにつれ全貌が明らかとなり、またその恐ろしいほどの静けき覇気を肌で感じ取れるほどとなる。
お腹に響く音を立てて好好爺は悠然と着地した。
今すぐ死んでしまいたいと思う場面が、生きていく上で一体何度あるかしら。
臓腑を抉り出されるような透明な悪意に怯えて暮らしたり、失望されることを恐れ期待に応えようと頑張って頑張って吐くまで頑張り続けて折れてしまったり、周囲との格差やズレを悲観しつつもどうにもできずズルズルと這う這うの体で彷徨ったり。
そういうことに心当たりはないかしら。
ある、と思い当たる節があるならなんとなく理解していただけるかしら。
もし心当たりがないというのであれば、もう少し注意深く思い出して。過去の自分だけでなく周りのことも含めて観察して欲しい。
⋯⋯それでも無い、と。
嗚呼、それはきっと、幸せなことね。
思い当たらない、とはそういうことね。
あなたの努力か、周辺環境の努力かそのどちらもかは計り知れないけれど、それが「恵まれた人生」であることは確かだわ。
幸福だわ。
その人生は豊かだわ。
人の営みの、正当で正統な正解で理想だわ。真っ当ね、間違いなく。
しかし。
それを誰もが当たり前にしてることだと勘違いしてはいけない。
その幸福は、どこか別の場所で、別の形で、別の意味で、等しく不均等に起こり得ることなのだから。
そこに無いならどこかに有る。幸福があるなら不幸もある。規則正しい営みを運営するためには、歯車が噛み合わなければ成り立たない。
例えば。
一度しか通れない扉が左右の道に存在し、扉には○×の印があって、そこを通れるのはたった一人だけ。運良く自分の願った○の扉を選べた1番走者の後に続く次の走者は残った×の扉を選ばざるおえないとして。
○の扉を勝ち取った走者はそこで一度立ち止まり振り返り、もう一つの扉の様子を見ることは、きっとないでしょう。
ただ走り続ける。
ただ前を見つめる。
次に自分に立ちはだかる扉に目を向ける。
それが走者の、勝者の在り方だから。
選ばなかった扉の道の先など知りようもない。戻ることもできない。全ての人間がすべからく正解に辿り着くことが出来ないように、全ての人間が全ての扉を選べず先を知ることはできない。
阿弥陀籤は一つのルートしか選べない、なんてことは子供でも知ってるものよね?
一度通った道を引き返すなんてそんなズルは許されない。
選択したルートのゴールをただただ享受するしかない。
はじめの一歩を踏み間違えただけでドボンする、そういうことがまかり通る。
それが世の中で、そんな世の中で正解のルートを引き当てた人の人生を、幸福と呼ばずしてなんと呼ぼうかしら。
あなたはどっちかしら。
どっちのルートにいると思う?
あなたは今、○かしら、×かしら。
⋯⋯⋯⋯ふふふ、ごめんね意地悪しちゃった。
そうよね、そうよね。
そんなのわかりっこないわよね。
わかんないから、どうしようもなくなったから[[rb:私 > メサイア]]のところに来たんだものね。
愚問よね。
あら、お茶がなくなってるじゃない。おかわりはいかが?
まあまあ。そんなに焦らないで。
いますぐ死んでもいいって言うんなら、別にいつ死んでもいいんでしょ?お茶の一杯くらいであなたの覚悟が鈍ることはない、そうでしょう?
ふふふ、よろしい。丁度新しいお茶菓子も焼けたようね。アレルギーはない?ジェイコブの作るビスケットは絶品よ。ジェイコブは⋯⋯ええそう、あなたを案内してくれた、おじいちゃん。うちのかまどの番人。
美味しい?よかった。もっと食べていいのよ、私のもあげる。
ふふふ、子栗鼠みたい。そんなに焦らなくてもお茶もお菓子も逃げないわ。
それから後で本人に直接言ってあげて。きっと喜ぶと思うの。
うん?なぁに?
嗚呼、さっきの話?
それはもう忘れていいわよ、ただの世間話だもの。
それにアレに答えは無いのだもの。考えたって無意味なように作られてるの。
問題に問題があるって感じ?
そもそも○の扉が正解とは限らないし、正解の扉がその人にいいものかどうか分からないもの。人の生なんて、二択で済むほど単純じゃないのだから。
ナンセンスよね。
もっとも、未来が見えるのなら別だけど。
扉の種類を分けるなら、それは小さいか大きいかくらいかしら。私ならそうする。
え、私ならどっちを選ぶって?
うーん、そーねぇ────。
[newpage]
一定のリズムで揺られる感覚に、ほどけていた意識がゆっくりと覚醒する。
「起きたか」
「⋯⋯んう?」
予想外に近い距離から声をかけられつい、そう、つい何も考えず顔を向けてしまった。
薄いベール越しに、光の加減で暗緑色と茶褐色で変わる猫目が金糸の前髪から覗いた。
ひゅっと喉の奥で息を呑む。
反射的に突き飛ばそうと腕に力を入れるが、かえって抱えられている両脚の太腿に力が加わった。
「こら、暴れるんじゃない」
「はあ?」
「気絶する前のことは覚えているか?」
「はあ?気絶?」
「ふむ。どうやらまだ頭が寝ているな」 え、ナニゴト?
なんでクラピカ?
なんで私は気絶してて、起きたらおんぶしてもらってるんだ?
ワカンナイワカンナイ。
ていうか今失礼なこと言わなかったかこの男は。
「よかった、起きたんだね!湿原で倒れてたのを見つけた時はびっくりしたよ」
クラピカの頭の向こうでゴンが少し前を走りながらこっちを見ていた。
ゴンの顔を見たことで、ようやっと気絶する前のことを思い出した。
「少し魘されていたようたが、気分が優れないようなら棄権したほうがいい」
「⋯⋯だいじょうぶ。ヘーキ。棄権はしない」
やっとのことで絞り出した声は掠れていて、説得力がなかった。
ゴンとクラピカは物言いたげだったが気付かないフリをする。
クラピカと目を合わせないように、周囲をさっと見渡し、ここがまだ湿原の森の中で、2人は走行中であることを確かめる。周囲に他に人の気配はない。道行く道に転がる動物たちの死骸には見覚えがあった。
ひとまず早急で解決すべきことをしよう。
「とりあえず、下ろしてくれないかしら?」
背負われてる身で今更だと思うけど、今度は無理に引き剥がさず、彼の肩を軽く叩いた。
気を失っていたとは言え、さすがにこれはいただけない。
本当にまずい。こんなに近いのにクラピカは平気なんだろうか?何故“発火”が起きない?どうして?未だにこの誓約の条件が分からないから困る。
私の態度にムッと顔を顰めたクラピカは
「全く大丈夫そうには見えないが?」と言って背負いなおされる。
背負いなおす時、揺さぶられて思わずしがみついてしまった。案外広い肩とか筋肉のついた腕とか、細身だけど骨格はちゃんとごつごつしていた。
いくら私がゴンより身長が低くて平均体重を10kgも下回るといえど、会場までほとんど休みなく走り続けているのだ。
疲れが出始めているはずなのに。それなのにおくびにも出さない。かっこつけめ。
昔は女の子と間違えるくらい可愛かったのに。ん?いやそれは今もそんなに変わらないか。
……て違う。違うぞ私。そんなことを考えてる場合じゃないのよ。
呼吸を整え、もう一度下ろすように頼むも、
「そんな覇気のない声で言われても従えないな」
「匂いも近くなってきたし、もうすぐ着くと思うよ。それまで背負われてなよ」
「何故倒れていたかも聞かせてもらいたしな」
「⋯⋯下ろしてくれたら話すわよ」
頑ななだなぁ。などとゴンまで言う始末。今はその優しさが憎らしい。
重いから下ろして、は通用しないだろう。
背負っているクラピカに私の体重が軽すぎることは知られているだろうし、あっちは平均的に健康に育ち筋肉を付けた同年代の少年だ。苦に思うわけがない。
問い詰められないのは彼が知らぬふりをしてくれているに違いないのに、私がそれをつつくのは藪蛇だ。
少し悩んだ末、私は仕方なくアデーレから教えられた伝家の宝刀を引っ張り出すことにする。世話係のシスター・アデーレが想定したもしもの時とは少し違うシュチュエーションだが、頂いた御助言を使うならここしかない。
「えー、大変申し上げにくいけれど。宗教上の理由で、殿方とは、えーっと⋯⋯蜜月以外で濫りに触れ合っちゃダメなのです」
内緒話をするように、側にある耳元にぽそぽそ声を落とす。なんだか恥ずかしい感じがしないでもないが言い切った。
すると、
「⋯⋯ひゃ」
ぱっとお尻を支えていたものが無くなる。
刹那の浮遊感の後、肉付きの少ない臀部を地面に強かに強かに、打った。
突然すぎて硬も間に合わなかった。
じんわりと鈍痛が広がっていく。
「────いっ、たあ」
「あ、いやその、すまん、つい」
「クラピカ、さすがにちょっと酷いと思うよ」
ゴンからすれば突然クラピカがミサを落っことしたように見たことだろう。耳がいい子なので聴こえた上でかも知れないが。
自分より年下の子供にまで責められ気不味いと思ったのか、手を差し伸べようとする。が、さっきの私の台詞を思い出してか彼は躊躇した。
中途半端に向けられた手のひらを見なかった事にして、ジンジンするお尻を庇いながらゆっくりと立ちあがる。泣かなかった私ってエラい。
「ミサ⋯⋯大丈夫?」
「だいじょーぶ」
「オレ、おぶる?」
「いい、だいじょうぶ」
「無理しないでね?」
「してないしてない」
「⋯⋯ホントに?」
「ほんと。フ────っ⋯⋯⋯⋯よっし!だいじょうぶ。元気。走れる。行くわよ二人ともGoGo!」
「えぇ──⋯⋯?」
多少心が乱れても、気合を入れ直せばなんとかオーラを練れた。修練の賜物か私の見栄っ張りさ故か、複雑な気分だ。
臀部の痛みという代償はあったが、目的は達成された。
あと落とされた衝撃で眠気も覚めたので良しとする。⋯⋯良しとする。
「それで。大方の予想は見当が付くが、倒れる前に何があったのだ?」
走りながら、このままどさくさに紛れて忘れててくんないかなあ、なんて考えてましたがダメでした。ちぇ。
これ以上隠しても仕方ないから、大人しくゴンを追いかけた後の話を二人にした。なんてことはない。ゴンを追いかけヒソカと遭遇した後、私はあっさりヒソカに倒されたのだ。
話せばゴンには謝られ、クラピカにはむこうみずだと怒られた。
私も同じ立場ならそう嗜めるかもしれないので、黙って首振り人形のように頷いていたら「ちゃんと聞いているのか!」とまた怒られた。この感じ、ルゥインに似てるなあ。
2、3度組み手を交わした後、奴は「やっぱりキミ、ツマラない♤」とほざいた。
その後すぐに首裏が痛くなったから、手刀でも落とされたんだと思う。
「彼から話を聞いていただけに、期待外れだ♢」
気を失う前に、そんなことを言っていた気がするがあれはなんだったのか。
***
二人の後ろを、必死に着いていく。
時々振り返っては着いてきてるから確認してくれる二人に悪いけど、構ってる余裕が残されてない。
ベールの内側に籠る熱気やこめかみを伝う汗が鬱陶しい。拭ってる動作すら億劫だ。
頭の中がぐらぐらして気持ち悪い。
これが誓約にの反動なのかヒソカから食らったダメージなのか判別つかないが、集中しなければ、たちまち操作を誤って錐揉み回転して大惨事を起こしてしまう。
私の念操作は、車の運転みたいなもので、オーラがガソリンで操縦と車体(ボディ)は私自身。ガソリンはまだ余裕あるけど、ボディに問題があった。
ヒソカと接触した際、思ったより気力体力を削っていたらしい。背後が気になってなかなか集中できない。あんな気色悪いオーラは久しぶりだった。
安心して落ち着けるところで休めば大丈夫だろうが、今は少しでも遅れを取り戻さないといけない。
武闘派諸君に堅をマスターできなきゃ試験は受けさせられないと鬼の形相で言われた時は絶望したけど、今は感謝だわ。
背後に回られたのに気づいてからじゃ間に合わなかった。流の攻防移動が苦手な私は、堅で全身ガードするのが1番安全だ。見てから硬で受けてたのでは間に合わず首の骨が折れてたことだろう。
逆に円はわりとすんなり出来たので、私は全体的に念を纏わせる方向に長けていて、硬のように一部に集中させ移動させるなどの細かい配分が苦手なようなのだ。
そういえば私のこの能力、全体的に靴にオーラを纏わせて「歩け」と命令しているだけで、身体と脚での細かい配分量なんて気にしてこなかった。なんか歩けてたから、いっかて。
普段こんなにオーラを使うことなんて滅多なかったため盲点だった。いくらMOPが高く念のコストが少ないといっても、この先あと何回試験があるのかもどんな敵と対面することになるのかも不確定なのだ。これからは配分量は意識的に調整して節約できるところは節約しないといけない。ただでさえ私は念を使わなければ移動もままならないのだから。
「あ、見えてきたよ!」
ゴンが指さす方向に私たちもならう。
が、ゴンほど視力が良くないのでなんとなく見るだけだけど。円は疲れるのでやってない。
しばらく無心でいるとゴンの言う通り建物と人だかりが見えてきた。
「どうやら間に合ったようだな」
倉庫のような大きな建物から不穏な唸り声が聞こえる。中に入らないのかしら?
チリと首筋に痛みが走る。悪寒がして振り返るとその先にはヒソカが立っていた。
ヒソカは組んでいた腕を解き人差し指を立てた。そして私たちから見て左の方へくいっと折り曲げる。
3人で人の波をかき分けながら示された先へ急ぐと、一本の木にもたれかかったレオリオがいた。
「レオリオ!!」
目覚めたばかりらしい彼は、顔の痣と腕の切り傷だけで何もされていないようだ。傷は見た目ほどではなく出血も止まっている。駆け寄り傷の具合を見たクラピカが視線を上げるとキッパリと言い切った。
「うむ。腕のキズ以外は無事のようだ」
「ぷっ」
思わぬ場所から不意をつかれた。ヘンな声出ちゃったじゃない。
「てめ⋯⋯良く顔見ろ、顔を。ミサは笑ってんな」
「?」
「ごめ、くふふっ」
まだ分かってないクラピカの様子がまた可笑しくて頬が緩む。身体をくの字に折って耐える。悪いと思うけど不可抗力だもん、無罪だ無罪。
「コホン、とりあえず手当するわね」
「わりーな、カバンどっかにやっちまって」
「あ、レオリオのカバン持って来てるよ、オレ」
「じゃ、借りるわよ」
おう、と返すレオリオのほっぺたに消毒を含めたガーゼを慎重に当てる。冷やした方がいいが氷嚢はさすがに用意はない。水辺を探したいところだが離れるわけにもいかないし⋯⋯。
「あ、」
(ホントだ)
極々小さな呟きを拾ってしまったために、私の腹筋は崩壊した。患部にガーゼめり込ませちゃったのは申し訳なかったわ。本当にごめんなさいレオリオ。でもこれは不可抗力よね?
※※※
正午ちょうどになって、建物の扉は開いた。
2次試験会場の前に今か今かと受験生の人だかりが出来ていた。まだ1次試験を終えたばかりだからなのか、今回の受験者が優秀なのかそんなに減った様子がない。
この試験で1/3くらいに減ってくれれば楽になるんだけどなぁなんて、浅ましいことを考えていたのがいけなかったのか。
1/3どころか落ちた。全員落ちた。
2次試験後半の審査において、合格者ゼロの宣言に全員がどよめいた。
え?ほんとに終わり?
食べられずに手元に残されたスシモドキを見下ろす。頑張って作ったのに⋯⋯。
そういう試験も過去にあったとはいえど、流石に⋯⋯。未知の料理のレシピを探して作れとか、前半のブハラのような入手難易度の高い食材を手に入れろとかもう少し再考の余地はあったけれど、メンチの課題は完全に料理することに偏っていた。
“狩り”っぽく無い。
その言葉に尽きる。
落とされた受験生全員大ブーイングの最中、二人の後半審査のメンチという女性試験官が素知らぬ顔で電話をかけ始めた。
漏れ聞こえる内容から察するに、多分ハンター協会員の人と話してると思う。しかし数分もしない内にメンチが電話越しに声を荒げ一方的に切ってしまった。絶対揉めたな、アレは。
前半課題の、豚の丸焼きは順調だったのになと、ついついため息が漏れる。
想像よりすごく大きくて攻撃的な豚だったこと以外は普通で、その中から運びやすそうな子豚を見繕い、タイミングを見て弱点である額に踵落としをキメた。小休憩を挟んだことで念も通常通り出来た。調理には苦戦したけどなんとかなった。大変だったのはむしろ運ぶことだった。
再三いうが私は念を使っても非力だ。筋力もそうだが栄養不足で生まれつき骨や関節が脆いらしい。念を覚えてからは大分マシになったものの内臓や骨格まではすぐに丈夫になるわけではなく、それらは長い時間をかけて少しずつ治癒力を上げていくものだと世話係兼主治医のアデーレ先生が言っていた。
そしてそれは適度な食事と睡眠と運動をおこなった場合に限り、私は一つ目を適切に摂ることは叶わない身ゆえ、一進一退で良くなるわけがなかった。
そんな訳で悩まされたのが運搬方法だ。
子豚といっても普通の成体の豚より2倍は大きい。少しの間持ち上げるくらいなら出来るが、そのまま抱えて運ぶとなると休み休みやらなきゃ無理だ。かなりの時間のロスが発生する。
しまった。先に運んでから調理すればよかった。
念を使う姿を見られたくなくて人気のないところに来てしまったのも災いした。ここから2次試験会場までどうやって運ぼうか立ち往生していたら、ニット帽の受験者が通りかかった。
視線が合うと、男はあたりをキョロキョロ見渡して誰もいないことを確認すると近づいてきた。
横取りか、と身構えたがニット帽はすでに私より大きい豚を捕獲していてそれはないかと思い直す。
「なにか⋯⋯」
ようですか、と言い終える前にニット帽は私の子豚の脚を掴むと宙に放り投げた。子豚はくるくる回りながら落下し、ボスンとニット帽の豚の上に落ちる。
呆然と見送っていたらニット帽はちらりと私と目を合わせ、すぐに逸らした。何何?何がしたいのか分かんない。もう一度声をかけようとしたら、男はそのまま向きを変えダッシュしたではないか!
「はっ!?ちょっと!!」
やっぱり泥棒じゃん!なんて奴!!
慌てて追いかければ2次試験会場の近くで子豚は置き去りにされていた。
特に何かされた形跡はなく、問い詰めようにも姿が見えない。途中で落としたのかしら?
結局、他の受験者も続々とできた料理を運び始めたので急いで私もブハラの元へ向かい、無事食べてもらい合格出来たのだった。
────あのニット帽、誰だったっけ?
思い出せそうな気がするんだけどなあ。信者の顔なら忘れないのに。
まあ必要ならそのうち思い出すか。
いったんそう結論付けた。
そんなことよりもっと重要性のある危機が発生したからだ。次のメンチの課題は「スシ」という料理だった。全員スシって何?って顔に出てたし私もベールの下で同じような顔になっていたはず。
スシって何?肉料理が魚料理かくらい教えて欲しい。
まぁ教えてもらえたとて私が作れる料理のレパートリーは限られてるけど。なんせ生まれてこの方包丁を握ったこともなければ厨房に入ったことも数える程度だ。
メンチから与えられたヒントと設備を元に推測してみるも、置いてある器具がそもそも何に使うものかすら分からない。
なんで包丁が何本もあるんだろう。この桶?に入ってるのはライスかな?まだ温かいのか湯気がほのかに立っている。嗅いでみるとなんとなく酸っぱい匂いがした。腐っているようではなく、なにかそういう調味料をまぶしているのだろうか。
ますますスシという料理が謎めいてくる。少なくとも私が食べたことのない類の料理で間違いないだろう。
ライスがあるならパエリアとかピラフみたいなものかしら?でもこの調理台に火を扱う器具は用意されてない。それにメンチが言うには「ニギリスシ」しか認めないそうだし。ニギリ⋯⋯握るってこと?
おもむろに右手をグーにしてギュッと握ってみる。
この形にしろってことかしら?
包丁があるならば、切るための具材が必要になるはずだ。食材は外の森から獲ってくれば問題ないだろうけど、肝心の食材の正体が想像つかない。
他にもっとヒントがないかと設備を調べてみる。こんなことをしてるとなんだか探検ゲームのアイテム探しをしているようだ。
────ゴミ箱とか何故か必ず探しちゃうんだよね。
「魚ァ!?お前、ここは森ん中だぜ!?」
「声がでかい!!川とか池とかあるだろーが!!」
────何やってるんだあの二人は⋯⋯。
まあいいや。おかげで食材分かったし。
他の受験者に続いて森の中へ入り水辺を探す。魚取りは豚狩りより楽だった。少々野蛮な方法だが背に腹はかえられない。手頃な石を見繕い、魚がいそうな場所へ思いっきり水面に叩きつける、それだけだ。
一回や二回じゃ逃げられる可能性があるので連続で石を投げつける。すると衝撃波で失神した魚たちがぷかぷか浮かび上がってくるという寸法だ。石を投げる場所も魚が逃げないよう囲いながらやるといいらしい。
ちなみにこれは禁漁に抵触するので良い子は真似しちゃダメだぞ。素手で獲る分には犯罪にならないらしいけど。それも少量に限るが。みんなはルールを守ってよりよいフィッシングライフをお楽しみください。
小ぶりな川魚を数匹取ったらその場で血抜きし下処理をする。これらも本や映画で仕入れた知識を見様見真似でやってるだけなので適当だ。魚は鮮度が命ってね。獲ってきた魚をまな板の上に乗せ、さてどう調理するべきか。
ジェイコブなら美味しい川魚の煮込み料理にしてくれるだろうけど、今回の課題は火を扱わない料理らしい。と、いうことは生で食べるってことだ。
うぷ、想像しただけで気持ち悪い。生魚を食べる文化があることは知っている。メメシス教教会本拠地がある市の隣町に漁港都市があり、そこでは盛んに食べられてるそうだがウチは山間に近い場所にいるのでそういった文化が無い。基本的に煮込むか焼くかで、生魚を食べる機会が少なく抵抗がある。そもそも私自身が魚とか肉とか生臭いものが苦手で食卓に並ぶことがない。
ジェイコブたちが作ってくれた魚料理ってどんなのがあったっけかな。
うーん、とりあえず頭はいらないよね?流石に頭なんて食べる場所ないもんね?包丁でダンッと切り落とす。
次に尻尾。ここも食べられないからいらない。これもダンッ。
次に骨⋯⋯ってどうやって取ればいいのかしら。まあいいや、骨は後回しにして内臓だ。
ここって苦くて臭くて嫌いなんだよね。無し無し。半分にダンッ。
「あれ」
なんか食べる部分小さくない?まあいっか。ニギリズシってそんなに大きくないっぽいし。まだ魚はあるし。
次は⋯⋯⋯⋯皮の部分って取るべきかしら?削ぐにもグニグニしてて、フルーツの皮を剥くようには薄く切れない。あ、骨のあたりで半分にして身と皮を除ければいいのか。骨に当たらないようにジョリジョリ〜っと。よしよしうまく出来た。
次に同じ要領で身と皮を〜⋯⋯うにゅう?
身、ボロボロになったわ。
ほとんど皮のほうに残っちゃった。
反対側もやってみたけどやっぱりボロボロになって食べる場所がなくなってしまった。む、むずかい⋯⋯。
私が四苦八苦しながら魚を下ろしたり手詰まっていたりしたところで、早くも料理を完成させた受験者のひとりが審査員に怒鳴りつける声が響いた。
「なんだとーー!?メシを一口サイズの長方形に握ってその上にワサビと魚の切り身をのせるだけのおてがる料理だろーが!!こんなもん誰が作ったって味に大差ねーーべ!?────っは、しまったーー!!」
その場にいた全ての人間の心が合致した瞬間だった。
そこからは怒涛の展開だった。
受験生全てが作り方を知ってしまったためにメンチは審査を味だけで評価し始め、受験生は我先にと作った料理を食べて貰うべく、メンチの周りを取り囲んだ。
私も急いで料理を仕上げた。新たに魚を切っていたのでは時間がかかるのでボロボロになった魚の切り身をご飯の上に乗せ、作業台に置いてあった黒いパリパリしたものを巻いてそれっぽく形を整えただけだが、無いよりはマシだ。
だけど完全に出遅れた。周りが見えなくなっている彼らの人垣を超えてメンチの元に辿り着くのは至難の業だった。1番後ろでわたわたしているうちに彼女のお腹がいっぱいになってタイムオーバー。
「悪!!おなかいっぱいになっちった」
そして告げられる合格者ゼロのセリフ。
────頑張って作ったのに⋯⋯。
ほぼ初めてに近い手料理を、振る舞う機会もなく残飯行きになるのは思ったより悲しい。
だけどこの先一体どうなるんだろう。
占いには“料理”も“スシ”に関する単語は連想できなかったし、失格になるようなことも綴られてなかった。仮に私が忠告に従わなかったからと言って占いが変わるわけではない。元々の未来のままだから。ということはこの一連のことは予定調和である可能性が高い。
所々微妙なズレがあるので確証とはいえないが⋯⋯。なにかこの状況を好転してくれるパーソンが現れてくれるといいのだけど。
落としていた視線を周囲に向け、できるだけ早く現れて欲しいと思った。
受験生の混乱は続き暴れる者まで出て、ちょっとした暴動のような騒ぎだ。しばらく収まらないだろう。
その時間を使って私は、手付かずで無駄になってしまった食材たちを森に埋めに行く。なんとなく気が重くなったことと、どこかのピエロがまた殺気を抑えられなくなったので避難したかったもある。
ついでに川で手の血も洗い落とす。魚臭くて気になってたのだ。⋯⋯今更ながらに幾つかの命を無駄にしてしまった行為に気持ちが沈んできた。血の匂いが鼻にこびりついて、肉と骨を断つ感触も嫌な気分を助長させた。余分になんて獲らなきゃよかった。
こういう時は熱いシャワーを浴びてさっぱりするのが1番なんだけどな。
いっそ川に飛び込んでしまって、血とか泥まみれの身体を洗い流し清潔な服に着替えたいくらいなのだが、こんなところで裸になれない。仕方ないので服の血は濡らしたハンカチで軽く落とすくらいで我慢する。多分この服もレオリオから借りた上着もダメになるだろう。帰ったときにルゥインを慰める言葉を考えなきゃ。スーツは買い直そう、医者になるのだからもっと質のいいものをプレゼントしようかしら。
一通り見綺麗にして戻ると、ひとりの受験生が建物の外に伸びていた。なにかカンに触ることを試験官に言ってやり返されたのだろう。
今まで動かなかったメンチがソファから立ち上がって4本の包丁を操る。
「あたしらだって食材探して猛獣の巣の中に入ることだって珍しくないし、密猟者を見つければもちろん戦って捕らえるわ!!」
治療?しませんしません。
だってあの人は信者じゃないし、実は私って人見知りなので。
受験生の側を通り過ぎて自分の調理台の場所へいくと、
「あら?」
念のため台の上に置いておいたスシが無くなっていた。鳥にでも食べられたかしら?
「武芸なんてハンターやってたらいやでも身につくのよ。あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概なのよ!!」
「それにしても、合格者ゼロはちとキビシすぎやせんか?」
明々朗々と響く老人の声に驚き、全ての人間が一斉に空を見上げた。
XXを繋ぎ合わせたようなマークは、ある特定の人々から尊敬と畏怖の眼差しで注目を集める。
ハンター協会のマーク。
それがついた飛行船から小さな影が飛び降りて、地上に近づくにつれ全貌が明らかとなり、またその恐ろしいほどの静けき覇気を肌で感じ取れるほどとなる。
お腹に響く音を立てて好好爺は悠然と着地した。