ハンター試験編
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────お前はまるで童話にでてくる鏡だ。
青年はそよ風が吹く窓辺に椅子を引いて座り、脚を組みながら本の頁を捲る。どこで手に入れたのか分からない、今や禁書扱いになっている分厚い古書のチョコレートのような甘い、或いはすえた鉄のような鼻につく匂いが流れてくる。
青年はこちらを見ないまま続ける。
────お前は相手の顔色や声色を読んで相手がどんな言葉や態度を求めているか本能で理解している。甘い言葉で慰めたり、逆に厳しい言葉で叱りつけて背中を押す。お前にとっては、人間ごときの機嫌なんてスイッチを押すより簡単なことなんだろうな。
青年のいわんとすることが分からない。そんな当たり前のことを、みんながしていることを何故自分だけが、まるで「いけないこと」をして咎められないといけないのか。
頁が捲られる。紙の間に挟まれた小さな虫の死骸が風に吹かれ、はらりと床に落ちる。青年は気にせず読み進める。
────既にお前も理解しているはずだ。
お前を好きだの愛してるだの言う奴は、鏡の自分に酔いしれて気持ちよくなっているだけだってことを。
とんでもない自傷行為だ。
いや、自慰行為が正確か。
自尊心を慰めるには、自身の傷口を見つめなおさなければならない。あたかも手負いの獣同士が傷を舐め合うように⋯⋯。
青年の思考はそこで一度古書から離れ、窓の外の荘園に向けられる。しばし何を見るでなくじっと見つめていた。塩気混じりの海風が青年の前髪と古書の数頁を拐って行く。と、前ぶりなく端正な顔がこちらを振り返った。柔らかな午後の初夏の日差しがよく似合う、爽やかな好青年の笑みだ。
どんなに言葉を交わし思想を交えても、この男のこの顔が好きになれなかった。
────ま、なんでもいいか。
お前が鏡である限り、王子様なんて代物が、来ないことに変わりはないんだから。
はは、悪かったって。ごめんごめん。
お前は悪くない。
お前はなんにも悪くない。
それだけだ。
⋯⋯謝ったんだから、その顔をこっちに向けてくれるなよ?
ちっとも悪びれてない青年は、鏡の向こうで最後まで目を合わせずそう言い、再び視線を手元の古書へ戻した。飛ばした頁から読み直すと、すぐに古代文明の歴史に夢中になり、息遣いが密やかになる。
練の持続時間を伸ばす訓練中の雑談が、何故か恋バナになって、器用な方ではないから集中力を切らさないよう慎重に考えて、考えて、結局最近読んだ童話の知識を寄せ集めた王子様像を話した。
よく分からないけど、世間の女の子はこういうものが好きなんだろうと。分からないなりに捻り出した答えは、青年はお気に召さなかったらしい。
自分から振っといてなんなんだこいつ。自由すぎる。意味が分からない。
「お前はどうなの」
意趣返しのつもりで、練を維持させながら言葉をつぐむ。ひとことつむぎだすだけで脂汗が出てくる。
「なんだ?」
「だから、タイプ。好きな子の」
改めて言葉にすると、本当に恋バナみたいだ。話し相手は盛り上がりに欠ける朴念仁だけど。
「ああ⋯⋯オレか」
まるで遠い昨日のことを思い出すように本から視線を上げる青年に、心の中でそっとため息をつく。
この男はたまにこういうとこがある。自分で出した話題を振った後、言いたいことを言って満足して忘れてしまうのだ。いちいち蒸し返さないと会話のキャッチボールが成り立たない。時々、邪魔するなと怒られる。
そんな理不尽と無神経が服着て本読んでるような奴と恋バナする日がくるとは思わなったが、逆にこの男が惹かれる人間とはどういった種類の人間なのか興味が勝り、また、どんなにいけすかない男でも仮にも師であることには変わらないため喉元まででかかった雑言は引っ込めてやった。よしよし、今日もちゃんと人に優しく出来た。
青年は、文字から目を離さずこともなげに言う。話しながら読んで内容を理解できているのだろうかと疑問に思う。
「振られたよ」
とんでもないことをさらりと言われた。
せっかく引っ込めた雑言が飛び出そうになる。
「はあ?なにそれ。好きな人いたの?」
「まあね。⋯⋯おい、練が乱れてるぞ」
「はいはい、わかったわかった」
誤魔化されたなと思ったけれど。
なんとなく、それ以上聞かれたくないんだろうとも思って追求することはなかった。こういう所が、男の言う所の「鏡」たる所以なのだろうか。
そこからはお互い自分のことに集中し出して、その日の訓練が終わるまで会話がないまま終了した。
翌週、青年は姿を消した。愛娘に念の稽古を付けさせるほど彼を信頼しきっていた養父は自分の「宝」がなくなっていることに気付き、静かな教会の朝に似つかわしくない絶叫がその日の目覚まし代わりとなった。
※※※
一体どれくらい走っただろうか。
初めはレオリオと並んで走っていた。
だんだん彼のペースが落ちていってもうダメかと思われたが、突如猛然と駆け出したレオリオに呆気に取られているうちに見えなくなってしまった。
初めからひとりで後ろを走るつもりでいたので都合が良かったが、上着を返すタイミングを逃したままだったのが悔やまれる。はっきり言って走りづらい。
しばらくして予定通り後方に落ち着いたはいいが、先程ようやく脱落者が出た。
走り始めて6時間以上経っていた。
オーラで靴を操作して動かしているとは言え、着実に疲れは溜まってきている。練の維持は過去にしごかれたおかげで得意だが、それもどれくらい持つか。
これほど脚を酷使したのはいつ以来かしら?信者以外の人前に立つことは少ないので、最後に外の人と長時間話したのはあの事件によって引き起こされた裁判以来かもしれない。あの時は、ハンターの目もあって常に気を張っていなくてはいけなかったから。
あれは本当に面倒だったしなにより疲れた。今後一切どんな理由があろうと法廷席には立ちたくない。まぁ後ろ暗いことがないわけじゃないし、前任者の不義理とはいえあそこまで大事になったのは私が教会内部の改革を行った反動だろうけど。その尾鰭が現在進行形でついて回ることになったのは計算違いだった。
まさかまさか。国家公認の宗派にまで発展することになろうとは、流石の私も、ましてや鉄の修道女長こと我らがルゥイン女史すら予想だにしなかった。面の皮がアルティメットな彼女もあの時ばかりは頬の筋肉が融解した。────また見たいな、と思うが鉄の修道女長はそうそうデレてくれない。的中率100%の占いでない限りは、世の中どうなるか分からないものだ。
話を戻そう。
何もせずじっとしたままの状態だったら何の問題もないが、ゴールを知らないままの長距離走で、どれだけ安定して発動し続けられるかは私も自信がない。それに思ったより脱落者が少ない。
周囲をそっと見回しても後方で走る人間は滝汗を流し必死に追い縋る者と、ペースを維持しつつ先方の出方を様子見する者が半々といった感じだ。
しかも、まだ全体の一割もリタイア者が出ていないのは異常だ。今年が特別なのか、ハンターを志望するだけあって強者揃いなのか。となると、どこかのタイミングで受験者同士の潰し合いが始まるのは必至だ。何度も試験を繰り返したベテランなら蹴落とすタイミングも解ってることだろう。ドレスを汚さずに水溜りを渡りたかったがためにパンを踏みつけた少女がいるように、誰も彼もが他人を踏み台にするために浮いた玉を探している。1人目の脱落者もそうしてトドメを刺された。
「よォお嬢さん。疲れたならおぶってやろうか?」
「遠慮するこたないぜ、新人は甘えられる時に甘えるもんさ」
⋯⋯いったそばからこれだ。
先の脱落者に引導を渡したのを見られていながら堂々と前方を並行して走っていた3人組が取り囲んできた。兄弟なのか、顔つきも服装もなんとなく似通っている。
予想より早い。なかなか脱落者が出ないから焦れたのか?
しかし。
しかし、だ。
どいつもこいつもこの私をお嬢さん呼ばわりするなんて。ルゥインのような近しい人に言われるならまだしも⋯⋯そんなに私って清い水で泳ぐお魚に見えるのかしら?────真水で魚は育たないというのに。
もしくは、服装が目立ってる?
ルゥイン曰く、私は流行を追うセンスがないらしいから、ある程度の要望を伝えて彼女に用意して貰っている。というより、彼女が率先して見繕ってる。文字通りお手製だ。ルゥインの趣味は服飾なのだ。彼女は私を着せ替え人形とでも思っているのか、初対面の時に言われた言葉が「私のトルソーになってください」だった。────そこはモデルじゃないのかという突っ込みはおいおい説明するとして。
この服もそうで、私には良し悪しは分からないけど、私の見た目に見合う至って普通のチョイスだと本人から聞いたので間違いないはずなんだけど⋯⋯。
普段ドレスローブばかり着てるから普通の感覚が分からないわ⋯⋯。
あ、そういえば今はレオリオの上着を借りてるんだった。身長差のせいで、ほぼスーツだけ着ているように見える。かなりとんがったスタイルと思われたのかも。あ〜それか〜、なるほどね!解決!!
「まぁ。お優しいのね。でも遠慮しておくわ。だってほら。見ての通り血だらけなの。貴方たちの服を汚してしまうのは忍びないわ」
気になっていたことが解決して気分が軽くなる。無視しても良かったけど、少しだけ彼らを相手する気になった。
ただ走ってるだけじゃつまらないし。
そっちがそのつもりなら、こちらもその設定を借りて行くまでだ。別に困りはしない。ぶりぶりに猫被りしてやる。もはや着ぐるみかというほど。
「ははっお優しいだと!それはこっちのセリフだぜ!」
「見たぜ、アンタ。試験前に44番に切られた受験者を助けてたじゃねぇか」
「オレァ感動したね!ハンター試験はこんな甘ちゃんも受験できるようになったのかってよ」
⋯⋯。
「いちいち助けてたら身が持たねぇぜ。これから怪我人も死人も数え切れないくらいでてくる。それこそ腐るほどな。⋯⋯おっと!まぁ聞けよ。これはお優しいオレたちからの忠告でもあるんだぜ」
「アンタみたいな世間知らずは知らねぇだろうが、世の中には人の善意に漬け込んで騙す奴らがごまんといるのさ」
⋯⋯⋯⋯。
「悪いことはいわねぇ、ここいらで帰ったらどうだ?」
「きっとパパやママが心配してるぞ。帰ってきたら死体だったなんて、笑い話にもならないだろう?」
「ぎゃははっ兄ちゃんそれは言い過ぎだって〜可哀想だろ〜」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯どうしよ。
なんか、うん。もうすでに面倒くさくなってきてしまった。ベールが無かったら思いっきり「うげぇ」とした顔をしてただろう。とても信者に見せられない。失敗だわ。どうして私ってすぐ調子に乗るのかしら。分かってたことなのに。彼らの目的は初めからリタイア者にとどめを指すことだった。死体蹴り。オーバーキル。謂わゆる新人潰し。
前方で背の低い丸い背中が人に紛れて此方の様子を伺っているの視線を見るに、三兄弟とトンパはグルのようだ。
エレベーター内でクラピカが言っていたことが今、実証されたわけだ。
私が狙われたのは単に弱そうに見えたからだろう。狙ってくれと言わんばかりに、後ろでよちよち走る年端も行かぬ女の子がいたんじゃしょうがないけど。
レオリオに指摘されたからではないが、血の気の多い男たちが犇く場所で、血の匂いを漂わせた女の子がいたんじゃいたずらに刺激してしまうのでは、という配慮から自ら進んで後ろを走っていただけなのに。この裏目に出る感。もうやんなっちゃう、声掛けるんじゃなかった。見せ物みたいに見物する男達もムカつくし。
3人よれば姦しいとはよく言うけれど、別に女でなくてもこうも喧しいとは。私が何も言わなかったら延々喋ってるんじゃないか?私を中心に3人組が囲う今の状況は、まさしく嬲るだ。男に挟まれ嬲られてる。そういえば古典表現に男男るとかいてたばかると
読むものがあったらしいけど、男がよってたかって女を食いものにするのは古来より不変のようだ。何故人間だけが女を虐げるのか。雄々しいのようにストレートに表現すればいいのに、女々しいは女を下げて比較するのは何故なのか。自然界で弱いのは致命的だが、自然界の雌は逞しいのに。むしろ雌の方が力関係が上だ。つまるところすでに人間は自然界の理から外れた不自然の中の頂点にいるため、道理も不自然になるのは致し方ないのかもしれない。
なんてね。
閑話休題。
私がこの世の不条理さへと思いを馳せていた間も三兄弟たちは本当にずっと喋りっぱなしだった。見上げた根性だこと。
私がフルシカトを決め込んだ辺りから半ば意地になっていたようだが、それは私の責任じゃない。
ただまぁ、パパママの話をされたのでは黙っていられない。黙っているわけにはいかない、人の子として。独りの子として。パパに関してはいざ知らず────あの男を父と呼ぶ気はもう二度とない────しかしママは。
母という存在は私にとって最大のコンプレックスだ。
軽々にしていい問題じゃない。
ありたいに言うと、この話題を出されると私は少し意地悪になる。
悪い子になる。
なんたってルゥインのお墨付きなのだ。どうやっても、どうあがいても、私はマザーの望んだ善い子になれそうにない。
「そうね。きっとパパなら喜んで迎えにきてくれるでしょうね」
言葉を区切り、ほら言っただろとばかりにニヤつく三兄弟たちの顔を順繰りに見る。彼らにも父と母がいるのだろうか。血を分けた肉親が。家で心配する家族が。私にないものが。それとももう居ないのかしら。親がいなくても、兄弟3人、安心して身を寄せ合う我が家があるのでしょう。家が無くても、彼らが生まれた故郷はあるのでしょう。
私が生涯欲してやまないそれを、当たり前に。
私が掴み損ねた蜘蛛の糸が、彼らには結びついているのだろう。彼らが手放さない限りは、きっと。
先頭をいく者たちの中で脱落が増え始めた。階段が出現したらしい。
そろそろペースを上げなくては。
私は彼らが気を緩めた隙を突いて包囲網をするりと突破する。
「えっ」
「お付き合いいただいきありがとう。でももう十分よ。お互い精一杯励みましょう」
先刻までよたよた走っていたとは思えない身のこなしですり抜けた少女を呆然と見る男達。
くすり。思わず笑みが溢れる。
何が起きたのか瞬時に理解することが出来ずにいる彼らを後目に、前に出た私は振り向きながらほんの少しベールを捲って見せる。
「それから、ご忠告どうも。[[rb:養父 > パパ]]があの世から勇んで迎えに来ないよう、重々気を付けるわ」
言い放つとほぼ同時に3人組の足取りが怪しくなり、どんどん私と最後尾との差が開いていく。
ふふふ、彼らの間抜けな顔といったら可笑しいわ。足腰立たなくなってて大丈夫かしらね。
ついでにウィンクひとつしてしっかりトドメを刺してやる。当分は前に立ち直れないだろう。
私が優しいなんてあるわけないのに。本当に優しい人は目の前で罠に嵌った脱落者を見て見ぬふりなどしないし、厄介な己の体質を人を陥れるために使うことなどない。
絶対、無い。
面倒な人たちを撒いて団子状態で走るトンパたちの集団を追い抜き、悠々と階段を駆け登る。急な傾斜になり登っていく途中で力尽きた受験者たちがちらほら見え始める。これだけ精魂尽き果てていれば前に出過ぎなければ血の匂いなど気にする者もいないだろう。
この調子であれば、オーラの維持はまだまだ余裕で出来る。その気になれば寝たままでも1週間は保てる。だけどそれは念の発動だけに集中してやった場合だ。
始まったばかりでこれからどんな試験があるのか、あと何回試験があるのかわからないのにオーラを全て消費するのは下策。出来るだけ温存したい。
すでに8時間近く経つ。出来ることなら階段を登り切った先が2次試験会場だといいのだけど。
「ミサ!」
突然自分の名前を叫ばれ心臓が飛び出しそうになる。呼ばれた方向を見やれば、クラピカとレオリオが並走していた。──本当に仲良しね、あの二人。
レオリオは私に上着を貸してから何があったのか上裸になっている。何故かネクタイだけが首にひっかかっていた。ほんとに何故?いま上着を返したら突き返されそうだ。
クラピカもマントを脱いで軽装になっていた。呼ばれたからには無視するわけにもいかず、人垣を避けながら(時には飛び越えながら)2人に近づいていく。近くに来てからあのツンツン頭が見当たらないことに気づく。
「ゴンならもう先に行ったよ」
辺りを見渡す私を見て察したのだろうクラピカが言う。
「銀髪のクソガキと一緒だぜ」
「今頃先頭を走っているかもな」
「アイツら体力底無しだぜ⋯⋯」
ゼェゼェとキツそうな息遣いのレオリオだが、気力は衰えていなかった。相当強い意思でハンターを目指しているのだろうか。ゴンの手前、ああ言ったが正直、レオリオの志望動機はシンプルで分かりやすく、私はそちらの方が好ましかった。けれど今のレオリオの支えとなっているものがお金だけとは到底思えない。
お金は人の命も心も狂わせるけど長続きはしない。精神的にも物理的にも。守銭奴こそ一攫千金に慎重になるものだ。もっと楽に稼げる方法はいくらでもあるから。勘だけど、レオリオこそが私よりも何か別の目的があるような気がする。
矢継ぎ早に伝えられる情報から、そういえば走り始めにキルアと名乗る少年とゴンは仲良くなったようで、一緒のペースで走っていた。彼ら以外、同い年の子供はいないようだし、共に行動するようになるのは必然だった。
ゴンは時折こちらを気にするように後ろを振り返り、その度私は手を振ってやり過ごした。その時一度だけキルアと目が合った。夕日が沈んだ後の海を思わせる、深みのある目が印象的だ。少し険のある顔が、ゴンと話しているときだけゆるりとほぐれる。なんとなく、ルゥインと似た匂いがする。
「そういえばクラピカ、私に何か用?」
私が問うと、クラピカは聞かれた意味が分からないのかキョトンとする。声変わり前の声に呼ばれたと思ったのだけど、気のせいだったかしら?
「いや⋯⋯確かに私が呼んだが⋯⋯」
「そうよね」
「用は無いと言えばないが⋯⋯」
「うん?」
煮え切らない態度で口籠る彼は珍しい。なんでもはっきり口にするタイプだと思っていたのだけど。マラソンでかいた汗とは違う汗を垂らしながらなんと言ったらいいものか言い淀むクラピカの様子に、隣で走る男が吹き出した。
「お前でもそんな風になんだな」
「五月蝿い」
「あんな。こいつ、お前が後ろで絡まれてると思ってたんだよ」
「レオリオ!!」
にやけた男の台詞を怒鳴り声が遮る。その行為は男の言葉の信憑さを増しただけだった。
えーと、つまりそれは。
「心配⋯⋯してくれたの?」
貴方が?
口にしようとし、慌ててつぐむも遅かった。
瞬間、脚の痛みの再来に歯を食いしばる。
針金か何かの異物が生き物のように蠢いて、皮膚の下で息づきとぐろを巻く、そんな感覚のあと、その針金は高熱を発しどろりと溶け広がる。ぷちぷちと血管や筋肉繊維が内側から千切れ焼け爛れる感覚が全体に広がって、やがて焼失、鎮火する。
“発火”が始まると同時に、靴底に仕掛けた部下のアデーレの念、《限界病棟》が発動し、瞬く間にケロイドを治療する。再生に伴い、壊死した組織の代わりに新しい組織が細胞分裂を急速に繰り返し増加する。目の奥でパチパチと火花が散る。
水面下、いや皮膚下で起きた速やかな破壊と再生に、ベールで隠された表情からでは誰も気づくことはないはずだ。
大丈夫、だいじょうぶ。なんてことない。肺に詰まった空気が渇いた咳になって吐き出される。
────発火が21秒、回復に3秒ってところかな。
エレベーターから降りた時、クラピカと話し終えた後も同じような痛みを受けた。
エレベーターのときより少し発火の時間が長い。
彼の中で何か心境の変化が起きているか?
まだ痛みの継続時間も少なく、範囲も足首くらいにしか感じないが、主治医のアデーレが言うところには「ぃくら忍耐力っょっょのみさピでもぉ、1分超えたらゃばめかも。うちのバッテンちゃんたちの回復も追いつかなくなるしー、なにょりうちから離れすぎっとバッテンちゃんたちの耐久性も治療の速度もガタ落ちするしー?」といっていた。
やっぱり彼と行動を共にするのはダメなようだ。
この人はなんだあれ理解しようと、努力してしまうから。
それに助けられたこともあるけど、今の私には猛毒だ。致し方ない。ここらで少し、目を覚ましてもらおう。
「おい、大丈夫か」
「ん、ヘーキ。ちょっと驚いただけよ」
「⋯⋯黙り込むほど驚かなくてもいいだろう」
どうやら誤魔化せたようだった。
眉尻を上げて半目になるクラピカ。私は曖昧に笑うけど、彼らには見えないだろう。
「御免なさい。あんまりにも意外だったから」
「⋯⋯何か不愉快なことをされたのでなければそれでいい」
「あらあら。私、そんなにおとなしい善い子じゃないのよ。やるときはやるんだから」
「それこそ意外だな。試験前の行動から血生臭いことは否定的と見たが」
「嗚呼⋯⋯」
あれね。レオリオは一応納得してくれたが、彼ではあの内容で引き下がってもらうにはやや感情的すぎる。
「知り合いだったの。といっても会話をしたこともなければちゃんと顔を見たのも今回が初めてのような、一方的に知ってるだけだけど」
「⋯⋯それは、君の手首のものと関係があるのか?」
「やっぱり勘づいてたのね。そう、私も44番に切られた男もメメシス教に席を置くものよ。誰かが傷つくのはもちろん見たくないけど、あの状況で同じ宗派の人を見過ごすことが出来なかった」
「⋯⋯わっかんねぇな。メメシス教ってのは死にたがりの集まりなんだろ。⋯⋯死にてぇ奴は死なせときゃいい」
「レオリオ」
「いいのよ。言われて当然だもの。でも正確には死にたがりじゃなく殺されたがりの集まりよ」
「⋯⋯なんか違いでもあんのか?」
「あるわ。大いに。自分の命を他人に委ねるという点で」
あそこには実に様々な理由で自分に手を下せない人間が集まる。
死にたいけど踏ん切りがつかないひと。
死にたいけど許されない環境にいるひと。
今は死にたくないけど、いつか自分の思うタイミングで死にたいひと。
世間では到底許させない、他者に殺されたいという願望を持つひと。
「それを全て叶えてるのがメサイア」
「⋯⋯っふざけるな!そんな馬鹿な話があるか!」
耐えかねた咆哮。亜麻色の前髪から覗く淡褐色の両眼の奥がちりちりと深みを増し燃えていく。嗚呼、死ぬ前にこの眼をもう一度見ることが出来た。⋯⋯心臓の脈打つ速度も増していく。
「貴様もそうだとでもいうのか!返答次第では、今、ここで私が引導を渡してやる!」
「クラピカ落ち着け!」
「⋯⋯そうね。そんな馬鹿な話はないわね」
「ミサ?」
「全部昔の話よ」
「⋯⋯どう、いう意味だ」
「メサイアが教主になったのは4つの時。そう、お飾りの。それまでの実権は教祖から司祭長へ移ったメサイアの養父にして先代教祖のマルガー=アガペスタ。メサイアは二代目なの。そのマルガー司祭長にお迎えが来て、事実上の権力者がいなくなってからは、操られるだけだったメサイアは内部改革を起こしたわ。12歳のときね。腐敗した弟子達を破門し、思想の再構築と伝播、条約の見直し。全てひっくり返して膿を出して綺麗に整えた。教祖メサイアという名前に違和感は無かった?教祖は最初に教えを作った人のことを指すのに変だと思ったでしょ?メサイアが教祖と言われてるのは旧体制と全く違うスタンスだから。今じゃ精神病院の受け皿よ」
「じ、じゃぁ今は死にたがり⋯⋯じゃなくて殺されたがりを辞めされるように動いてるのか?」
「いいえ。辞めさせることはしないわ」
「は、はあ?!じゃあなんだってんだよ!分かるように話せよ!」
「誰が何を想うかは自由よ。どんな願いを望もうと、想うこと自体は悪じゃない。⋯⋯ただ、それは本当に望んでいることかどうかが重要なの。死にたい、殺されたいの、その真意は何か?人生がつまらない?面白みがない?仕事に疲れた?とにかく休みたい?学校に行きたくない?家族から逃げてる?育児に疲れた?お金がない?休みがない?病気が治らない?借金取りに追われてる?薬がやめられない?夜眠れないから?ご飯を食べるのが辛いから?友達と喧嘩したから?恋人と別れたから?離婚したから?大切な人が死んだから?孤独だから?死んだら感じなくなるから?」
「────」
「理由は全てひとつ。その人が置かれている状況より突き動かすものが無いからよ」
人生がつまらないなら面白いことを見つけよう。仕事に疲れたのならゆっくり休ませよう。学校に行きたく無いならサボっちゃえ。家族が怖いなら匿ってあげる。育児に疲れたなら一緒に育てましょう、孤児院にはエキスパートがいるわ。お金がないならこっそり貸してあげる、でもルールは守るように。休みが欲しいなら魔法の言葉を教えましょう「宗教上の理由で休ませてください」よ。治る病気が治らないならそれはお金か技術の問題、働いて返します?何のことかしら私は未来への投資をしただけよ。借金は借りた分は返すように、不当な理由なら出るとこ出ましょうか。薬が辞められないならすぐに辞めなくていいわ、ゆっくり少しづつ減らしていきましょう、辞められるまでちゃんと面倒みるから。眠れないならあなたが安心するまで手を繋いで子守唄を歌いましょう、わたしの膝枕は効果抜群なんだから。ご飯を食べるのが辛いなら食べたいときに食べられるものを食べましょう、でも必ず食卓には顔を出すように、あなたとゆっくりお喋りできるのはその時間くらいだもの。あらあらお友達と喧嘩したの?そうなってしまった原因は?うんうんじゃあその子が全部悪いのね?違う?どこが違う?そう、じゃあそこが譲れなかったことを伝えなくちゃね、ふふ、言いたく無かったらごめんは必要ないのよ。恋人にフラれた?今でも好きなの?それは辛いわね、彼はどんな人だった?あなたにくれたプレゼントやサプライズは?家事や料理は?全部あなただけ?そう、あなたは恋するあなたに恋してたのね、次は恋するあなたに恋してくれる人を見つけましょう。離婚された理由が分からない?パートナーから最後に言われたのは?疲れた?あなたは仕事以外でパートナーにしてあげたことはある?ない?じゃそれでしょ。とっとと慰謝料払って今まで通り仕事に打ち込みなさいな、仕事がパートナーなんでしょ?お金があるならあなたのパートナーは家政婦で事足りるわよ。そう大切な人が死んでしまったの⋯⋯あなたは今どうしたい?ええ、考えたくないなら何も考えなくていいわ、あなたのしたいことをゆっくり考えましょう、本や絵を見たり庭を見るのもいいわね、散歩なら私も付き合うわ。確かに死んだらあなたは何も感じないでしょうけど、いまこの時、この瞬間の感情が無くなってしまうわけじゃないわ、それは全てあなたのもの。
それでも結局死んだ方がマシだと思うならしようがない。その時は、私も覚悟を決めるわ。
「⋯⋯奇跡とは、安楽死のことか」
「⋯⋯今じゃ年に数件、片手で足りるくらいだけどね」
ずいぶん減ったけど、それでもなくならない希死念慮や自殺志願、破滅願望。偽物なら言いくるめたり話を逸らしたりするだけであっさり乗り換えるが、たまにいるのだ。本物が。そういう人には選択肢を広げさせる。視野を広く、横道に逸れさせる。時間を稼いで稼いでその途中で新しい何かを掴めたらそれでよし。掴めなくても孤独でないことを理解するだけで、ヒトは死ににくくなる。改革を行う上で目指したのはそれだった。
「噂は⋯⋯本当だったのか⋯⋯」
全部本当だ。隠してることはあるけれど。
階段を上り切る頃には会話も終わり、クラピカの眼の色も元に戻っていた。良かった。今度は悲しい顔をさせずに済んだ。鼓動も落ち着き始める。嗚呼良かった。本当によかった。私がしたことは間違ってなかった。
出口が近い。トンネルの先で一体何が待ち受けているのだろうか。暗闇に慣れた眼を細め、ラストスパートをかける。背後で私を気にかける二人の視線に見ないふりをして私は一足飛びに駆け上がった。
***
トンネルの先を抜けるとそこは2次試験会場でした、とは残念ながらならず、地平線が見えるほどの広大な湿原が飛び込んできた。
思わず感嘆する。こんな大自然は教会に引き篭もってたんじゃお目に掛かれなかっただろう。出来れば別の機会にゆっくり堪能したかった。
「ヌメーレ湿原。通称"詐欺師の塒"」
試験官は解説する。この湿原にのみ生息する狡猾な動物たちを掻い潜らないと2次試験会場へは辿り着けないらしい。
──詐欺師、か。
占いの一節にも注意しろとあった。それから「道化」にも。その詐欺師が果たして湿原の動物たちなのか、もしくは受験生を陥れるため暗躍する何某さんかは判断つかないけど。
まあ兎にも角にも私は冥界下りをしたオルフェウスかくや、真っ直ぐ試験官の後を追って、けして振り返らず走ればいい。となれば今度は一番前に引っ付いて見失わないようにしないと。禿頭の男の陰からそっと奴の視線を窺うと、目が合いそうになって咄嗟に視線を切った。
──笑ってる。
怖気が立つ。何を考えてるのか分からないのに、殺気だけは平然と垂れ流している。怖すぎ。
昔からピエロは苦手だ。泣き乍ら嗤って、笑い乍ら哭いているちぐはぐさが。なんで唇のペイントをあんなに誇張して描くのかしら。いっそのっぺらぼうの方が可愛げがあると思うわ。
茶番が始まっていたようだが興味が無くて水筒の水を飲んでいたらいつの間にか終わっていた。湿原の詐欺師たちからの洗礼らしい。これくらいで騙される奴なら昔のウチの勧誘とかにも引っかかってそうね。貴方のためとか損しますよとか言ってるようなちゃちな勧誘の仕方をする所は特に気をつけた方がいいと思うわ。こちら側の損得をダシに使う輩は、それこそ詐欺師だ。
ようやく次の試験会場へ向かい始めた。ゾロゾロとマラソンの再開である。禿頭の男の動きに合わせて私も動く。この先地面は泥濘み、手を伸ばせば湿り気を帯びる湿地帯。減らない受験者と単調な試験。舞台が整いすぎていていっそ気味が悪い。こんなの奴のためにあるようなものじゃないか。
タイミングを見計らい、怪しまれる前に隠れ蓑から離れる。そこそこ腕が立つようで禿頭がこちらに気づきそうだったのだ。特に深追いされなかったのは幸いだった。
ひとまず、このくらいの距離で走れば占い通りにはならないはずだ。ヒソカは後方で走っている。オーラが垂れ流しで隠す気が全く無い。恐怖映画よらしく、霧の中で襲われたんじゃたまらない。
昔見たピエロ姿のシリアルキラーが出てくる映画を思い出す。嗚呼そうだ、私がピエロが苦手な理由を思い出した。
月が出ない晩に、電灯に照らされた下で三日月型にぱっくり裂けた口で主人公を追いかけ回すピエロを見て、何を考えているのか分からず怖かったのだ。玩具遊びの延長で人を嬲り殺すキラーが私には理解できなかった。主人公の友達や家族を原型を留めない程、必要以上に殺しすぎる奴の心境が全く解らなかったのだ。キラーは過去に虐められたとか家族に冷遇されてたとか回想もあったけどやっぱり刺さらなかった。ピントが合わない。
ただ、キラーは自らを神に見放された怪物で、その怪物を作ったのはお前達であり、お前達は責任として、今、その報酬を受け取らねばならない、と言い放つシーンは、なるほどなと思えた。映画レビューサイトでは、この台詞は弱者を蔑ろにした社会に対して抗議しているのでは?とか考察されていたが、私は言葉のまま受け取り、そこでようやく共感する事ができた。
確かに、私は私に与え育てた彼らに与え返す事が義務だが、彼らも私を育てた責任として、私が与える物を受け取らなければいけない義務が発生する、のかもしれない。もしくは受け取る権利が。そう思えばこそ、キラーの主張は乱暴だが一理あるように思える。
これでようやくストーリーに入り込めるぞ、となってからオチが殺された家族は実は生きていて、主人公のピンチに駆けつける。家族は再び揃い一丸となってキラーを退治し街は平穏になりましたとさ、めでたしめでたし⋯⋯という「ええ〜??そりゃないぜ!」なB級らしいチープなエンディング。
見終わった後の興奮でついつい「ふぁっきゅー!!」と叫んでしまい、「どこでそんな言葉覚えたんですか!!!」とルゥインにめちゃくちゃ怒られた。ネトゲの世界は語彙に溢れてる。(もちろんその後、ネトゲ規制が入った。30分で一体何が出来るんだ!)
考察が映画の意図通りなら主人公たちはまた1つの弱者を蔑ろにしたことになる。主題ブレブレじゃん。それも世の中の摂理、正義は必ず勝つってことかしら?
でもまあ私とキラーでは境遇が違い過ぎるから完全に理解出来ないのは仕方ないと、その場では納得しつつ、なんとなくそれからピエロが苦手になったんだった。ヒソカも月の無い夜に向かって哄笑するのだろうか。それはそれは、ぞっとしない話だ。
とはいえ。
安全圏にいるとはいえ、用心するに越した事はない。念を使うのも最小限に留めよう。円は小規模に半径2.5メートルくらいで。これくらいなら先頭を見失わずに済む。
私の念能力"猫足で荊を歩け"は歩行のみに特化した能力だ。戦闘能力はほとんどない。ヒソカに念が使えることがバレてるとはいえ師匠曰く、「オーラの絶対量には目を見張るものがあるが、それを踏まえても有り余るほどの身体基礎能力が糞雑魚。戦闘を前提に発を考えるのはコストの浪費だ。諦めろ。たとえ念が使えても大した術者にはなれないだろう。せいぜい奪いがいのない能力にすることだな」と言わしめたのだ。
──つまり念を使えてようやく一般人と変わらないってことね、ふぁっく!
思い出すだけで腹立つ。あの綺麗な顔に中指立てて中心の穴にぶっ刺したいわ。どうせ無理だけど。
これだけのことを言われても素直に奪ってもメリットのない能力にするあたり、私も弟子根性が染み付いてる気がする。
自己嫌悪は事後にして。
他に考えるべきことをしよう。これからのこととか。
念能力は公にされてないが、参加不可な訳じゃない。こうして何人かの使い手が試験に紛れ込んでいるように、伝手を探せば見つからないわけじゃないし、ライセンスを持たないアマチュアハンターの中にだって念を使える師に仰ぎ、修行して念能力を獲得した者もいる。それはハンターという職業限りの話ではなく、私自身がそうだから。まぁ基本は秘匿されてるから私の師匠は例外だ。本人は師とか思ってないだろうし。本命のカモフラージュのつもりで、ついでにちょっとしたバイト気分で引き受けたんだろうな。あの堅物のマルガーに気に入られる手腕は見事だったと思う。師弟揃って人に取り入るのが上手い。嫌な共通点だ。
そう考えるとハンター試験はある種、分水嶺というべきか選別に近い。過酷な試練を潜り抜けたものイコール、念を鍛える基礎地盤があると言う証明でもある。この試験に落ちたものに念を知る資格もないということ、で──⋯⋯あー、やば。
やなこと思いついちゃった。
もしもだ。ないと思うけど。
念を使えながら試験に落ちたりしたら、かなり、とてつもなく相当この上なく恥ずかしいのではない、かしら?
⋯⋯⋯⋯。
絶対、ぜっーたいあのピエロには相対しないと決めた。無理。ルゥインたちだけならまだしも、そんな失態を私がやらかしたら喜びそうというか諸手を挙げて弄る人たちが何人かいるもの。気持ち的にアレが手に入ればまた来年でもいいかなって思ってたけど路線変更。絶対受かる。馬鹿にされてなるものか。
決意を新たに気分を変えようと周りの景色を見るも、辺りはむさ苦しい男達の背中か霧しか見えない。
ふぅ、と重い溜め息が出る。
⋯⋯駄目ね。話し相手がいないと気持ちが沈んでっちゃう。鏡は見つめる相手がいなければ虚空を映すだけなのだ。嗚呼、潤いが欲しい。
「あ、ミサーーー!!おーーーいっ!!こっちこっちーーーー!!」
「ゴン⋯⋯」
真面目に走ろうかなと思った矢先。
ゴン、声が大きすぎるのよ。
隣の銀髪少年が、呆れてるじゃない。
助かったけど、恥ずかしい。嘘。やっぱり嬉しい。ぶんぶん手を振って、こちらに呼び掛けるゴンの満面の笑み、癒される。
みんな、階段を登るのに夢中でこっちを気にする余裕もないらしい。
今度もまた、縫うように人の波をくぐりながらゴンたちと合流する。
ぬかるみもそうだが、トンネルの時より用心してか皆まとまって走行するため多少時間がかかる。追い付くとゴンは少し息が上がっているがまだまだ元気そうだった。
しかしゴンの向こう側で銀髪の少年は汗ひとつかかず涼しい顔をしている。近くで見るとより分かる、いつか私に差し向けられた刺客よりはっきりした発色の髪と瞳だ。
「なに」
「あら、ごめんなさい。見つめ過ぎちゃったわね。あんまり綺麗な銀色だからつい珍しくて。私、美しいものに目がないの」
丁度、美しいものに飢えてるし。
「はあっ?いきなり何言ってんだよ」
銀髪少年は不満そうに唇を尖らせる。
本当のことなのに。銀色の髪って何故か昔から惹かれるのよね。
でもま、これくらいの褒め言葉を受け流せないなんて、大人びてるけどまだまだ子供だ。訝しむように此方を睨むキルアの頬が薄ら赤くなってるとこなんて可愛らしいわ。
「キルアの髪カッコいいもんね!紹介するよ。さっき知り合ったんだけど、この子キルアっていうんだ」
「ゴンお前もか!」
「そんでキルア、こっちがミサだよ!上で知り合ったんだ」
「よろしくねキルアくん」
「〜〜っあーもう、キルアでいい。つーか知ってる。アンタ目立ってたもん」
「あら、恥ずかしい」
このノリ、私は確信犯だけどゴンは天然だ。キルアのような警戒心が強いタイプを懐柔する時、天然は強い味方だわ。
キルアは、何言っても無意味だと悟ったのか口の端を引くつかせた後大きく溜め息を吐いた。
もう少しいじめたい気持ちもあるがそろそろ話しながら走るのも辛くなってきたし、揶揄うのはこれくらいにして集中しないといけない。よその人と話すのは慣れないけど、やっぱり安心するし気が紛れる。
にしても、この子たちすごく速い。気取られないように着いてくので割と精一杯。
くっ、ここで素のフィジカルの落差が如実に現れるとは、己の貧弱さに悲しくなってくる。
無駄だとは思うけど、帰ったら体力作りと筋トレも追加しようかしら。いや、前にそれをしようとしたら無駄な肉が付くとシルエットが崩れるとかなんとかでルゥインから却下されたんだっけ。私の虚弱体質はどうしようもないけど、助長させてる原因に鉄の修道女が一役買ってると思う。⋯⋯んん、ヨガのメニューを増やすほうが通りがいいかしら?
あのさ、ミサ。
束の間、会話が途切れた時、ゴンが申し訳なさそうな声で呼んだ。
「なぁに?」
「オレ行けなくってごめん。⋯⋯あの後大丈夫だった?」
「何の話?」
謝られることも、気を使われる心当たりもなく、ピンとこない。
「試験前のこと」
「嗚呼、それ」
「オレたちも追おうとしたんだけど、目立つ行動をしたら目を付けられるぞってトンパさんが止めて、そしたらオレに行かせろってレオリオが突っ込んでいっちゃってさ。クラピカにレオリオに任せておけば大丈夫だろうって」
レオリオ、手当てとか治療の知識がすごいんだよ、とゴンが一生懸命伝えようとしてくれる。
「通りで、鮮やかな手並みだったわ」
何故レオリオだけ来たのかが不思議だったけど、レオリオが適任だったのと、どういう訳かトンパが関わってるらしい。
信用を得ようとしたのか、熟練の勘か、はたまたゴンのような子供にあんな凄惨な現場を見せるのは忍びないと良心が痛んだのか分からないが。
クラピカがゴンに着いたのはトンパが信用をならなかったからだろうか?どちらにせよ私自身も身内に関わることで彼らに感づかれたくなかったため、鈍そうなレオリオだけ来てくれたのは助かった。
あの場では止めるのは当然の判断で、クラピカとトンパの行動は正しい。私とレオリオがちょっとおかしいのだ。ゴンはちっとも悪くない。だというのにこの子はそんなことで申し訳なさを感じた。不思議な子。
「さっきクラピカたちにも話したけど怪我なんてしてないし、私はヘーキよ。切られた人とは、ちょっとしたオトモダチだっただけなの」
教会のことについては、言わなくていいだろう。
ゴンたちにはあまり関係ないし、まだ早い。
私から見ても、ゴンは純真だと思う。
お勉強ばかり頑張っていた数年前の私なら、そんな人間がこの世の中にいる事なんて信じなかっただろうけど、今の私が、こういう子には出来るだけ明るいところを歩いて欲しいと思うのは、私のエゴなんだろうか。
「ふぅん、オトモダチね」
「ええそう。オトモダチなら助けないと」
キルアが意味ありげに視線をよこしたが朗らかに黙殺した。
私には分かる。
絶対お互いに(こいつ腹黒っぽいな)って思ってる。
オトモダチ発言を鵜呑みにしたのか「そうなんだ!」とゴンは良い笑顔でこっちを見る。
しかも「後でお見舞いに行けたらいいね」と付け足して。
疑り深いのも厄介だが、信用しすぎるのもそれはそれで困りものだ。ゴンが変な売り物掴まされたりふっかけられたりしないかお姉さんは心配です。
今のやり取りで言葉の裏を読めないとは思いもよらなかったのか、キルアは未知の生物を見る目で聞いてくる。
──(こいつって、いつもこうなワケ?)
──(短い付き合いだけど、ずっとこんな感じよ)
──(マジかよ)
──(大真面よ、本人は)
視線と首肯だけのやり取りだったがキルアはこう言いたかったと思うセリフが容易に想像できた。
「2人が仲良くなってよかった!」
水面下での様子を、さらに勘違いしたゴンがのほほんとしてる。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
私たちはすっかり毒気を抜かれ、キルアはヤレヤレと首を振った。
そして。緩みまくった気を取り直すように、剣呑な少年は「そんなことよりもっと前に行こう」と試験管の背中を見つめながら言った。