短編
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06
蠱毒の作り方はシンプルだ。
ツボなどの密閉空間に異なる百種の生物を放り込み、最後の1匹になるまで喰らい合わせる。
蠱毒とは製法のことをいって、正式にはその生成過程の結果生き残ったものが毒の名称になる。
最後の1匹になったものが例えば蛇ならそれは蛇毒に、蛭なら蛭毒といったように名称が決まる。
蟲は毒物をもつ蟲だけではなく人を害する蟲ならなんでもいい。
重要なのは異なる百種を集めること。
大きいものなら狼から、小さいものなら虱まで。
なんでもいい。
それらが人を傷つけ、呪い、憎まれるものならばなんでも。
03
お前さえいなければと、呪う言葉ばかり聞かされ育った。
ゴミ箱にゴミを捨てるように恨み言ばかり聞かされ続けてきた。
時折、気味の悪いナニカが見えて他の人には見えなくて。
小さいものなら踏んだり叩いたりして殺して憂さ晴らししたりする。
それがわたしの世界。
蔑まれるのは別にいい。
疎まれるのも気にしない。
虐げるものは知らんぷり。
あの頃私の世界はたった1人のためだけにあった。
もう一度と、願う、たったそれだけ。
それだけなのに。
ある時いつも私を罵倒する女は、初めて私に微笑んでこう言った。
「ようやく報われた」
私を借金の方に売り飛ばしたあの女は、今頃どんな顔をして笑っているのだろうか。
あぁ、でもきっと。
引き取られた先に待っていた、蔵の中の深く大きな穴に放り込まれた先で思う。
穴の底で暗闇の中を蠢く幾百幾千の息遣いに発狂しながら、頭の片隅で思う。
ずるい。あなただけしあわせになるなんて、ずるい。
あなたのぜんぶ、だいなしになっちゃえばいいのに。
私は初めてヒトを呪った。
憎しみを、怒りを、嘆きを、情けを乞う言の葉。
すべてすべて、毒と呪いと闇に呑まれ。
すべてすべて、呑み下した、今の私が在る。
07
――――――――――――――――――――。
ぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶぶ、ぶん、ぶ。ぐち。ぶち・ぶちぶちぶち。
ゥオェ゛ッ。
びちゃ、びちゃ。
さむい。
おなかすいた。
いたい。
くるしい。
ねむたい。こわいよ。くらいよ。むしが、むしを、むし、むし、むし、むしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむし、むし。たべなきゃ。
たべられちゃうまえに、たべなきゃ。
重要なのは百種集めること。
大きいものなら狼から、小さいものなら虱まで。
または、人を呪う力を持つ幼子まで。
なんでもいい。
それらが人を傷つけ、呪い、憎まれるものならば。
それらは等しく毒なのだから。
あぁ、だからきっと。あの言葉に間違いない。
貴女はきっと、もう、自由だ。
ぽっかり、しろい、みかづきがふくらんで。
まあるい、おつきさまが、生まれた。
おつきさまから、ほそいほそいイトがたれた。
イトはわたしのまえにおりて、おつきさまから、こえがした。
「あがってこい」
いきてる。
生きている。
分かんないけど、生きている。
あそこから出た後、ひさしぶりのあったかいお風呂に入って身体を綺麗にされて清潔な服を着せてもらってちゃんとしたご飯を食べてふかふかのお布団でぐっすり寝た翌朝。
何がなにかよく分からないけど、このお家の1番偉い人の前に通された。
その人はとてもとても綺麗で、今まで見てきた人のなかでも1番綺麗な人だったけれど、でも綺麗なだけのヒトだった。
大婆さまと皆んなに呼ばれているその人が言うには、わたしは「合格」らしい。
このお家で、私は「お嬢様」として迎えられ、時期当主になるためたくさん勉強することがあると言われた。
まだうまく飲み込めないけれど、とにかく私は生きている。
なんで生きているのか分からないけど、私はこれからこのお家でお世話になってこのお家のために生きていくということだ。
なぁんだ。いつもとおんなじじゃん。
そんなことを思った気がした。
おんなじなんかじゃないと分かったのは、その日の夜のうちだった。
15
おかしなヤツだと、最初に夏油傑という男と対面した時に思った。
術師は非術師を守るのが当たり前だと、そんなことをのたまう頭のおかしいヤツだった。
呪う力を使うのに、正義の味方のような口を聞く。
まるでちぐはぐだ。
その理屈じゃ私はあの女を守るために売られたことになる。術師同士だって、家族だって殺し合う。それがこの世界なのに、この男はまるで分かってない。バカなやつ。
ムカつく。気持ち悪い。とっとと死んじゃえばいいのに。
けどそれ以上に可哀想。
スカウトで来たか知らないけど、なんにも知らずにこんなところに来てしまって。
ここがどんな世界かなんて、この男はまだ理解っていないのだ。
そんな理屈はいつか通らなくなる。
夏油傑と笑い合う顔の下で、お高く止まったその鼻っ柱がバキバキに折れる様が今から見ものだとさえ思っていた。
すぐにそうなる、私とおんなじ所に落っこちてくるって。
そう思ってたのに。
夏油傑はしぶとくて、殊の外世渡りが上手くて。そのうえ今世紀で一番なんじゃないかというような最強を欲しいままにしてる最強クソガキメンタルな五条の若様と仲良くなってしまった。
最悪だ。
うざいクズとめんどくさいクズがニコイチになってしまった。
最厄だ。
空が落っこちてきた方がまだマシだ。
呪術師界隈の足りない知識は五条悟がカバーしてしまう。五条悟の唯我独尊っぷりは夏油傑の、私からすれば偽善に満ちた説法で対等な関係性だと錯覚してしているし。
誰も彼も、当たり前のように受け入れてる。
気持ち悪い。
修復不可能になる仲違いとかしないかな。
そんな愚にもつかない空想ばかりして、彼らと過ごした。
夏油と同じ一般家庭の出の家入梢子は、完全にではないがこの世界がどんな形をしているか勘付いて、一歩引いた距離で接してくれるから、少し息がしやすい。
タバコは嫌いだけど、こちらに過度に干渉しないのもいい。
五条家と私の家は古くから付き合いがあるけどいがみあってて、その縁で顔を合わせたことがある。五条はそのころからあからさまに無視をするけど、別に任務に支障ないから平気だ。
あの男だけだ。
あの男だけが不用意にこちらが引いた線を飛び越えてくる。なにかしたつもりなんて無いのに。なぜかまとわりついてくる。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
私に近寄らないで。
気付いてない。気づかないで。それがどんな意味を持ってるのか奴は分かってない。わからないで。
誰もそれを指摘しない。
私も、いうつもりはない。
もうすぐ夏が来る。
産卵の時期だ。
16
苛ついていた。
約束の期限が近づいていることも、最近やたらと私と夏油傑を一緒にいさせようとする上層部も、何にも知らずにニコニコ偽善絶好調なこの男にも。
色んなことに苛ついて、溜息の代わりにキャンディの消費は日に日に増えていった。
思えば5月の連休に大婆様から呼び出しがかかった時から嫌な予感がしていたのだ。
現・櫟井家当主が生まれる数世代前からご存命らしい大婆様は変わらぬ美貌で私を手招いた。
養母からの呼び出しなら無視していたが、当主より発言権があるこの方に逆らうのは得策ではない。大人しく私はいつも通り彼女の腕の中へ収まった。
着物を幾重にも重ねて誤魔化しているが、私を抱きとめる腕は痩せ細り、薄くなった皮膚は骨が浮き出て少し痛い。ツンと薫る白檀と化粧の香に混ざる、誤魔化せない昏れの匂いが彼女の唯一の欠点。
その匂いを吸い込むと嗚呼、もうすぐなのだと実感する。
大婆様はゆっくり頭から背中へと撫ぜながら、しゃがれた声が鼓膜を打つ。
「お前はほんとうに、美しく、かしこい、良い子に育ったね」
耳が腐る。聞きたくない。
思わず口をついてしまいたくなった言葉を、内頬の肉を噛むことで耐えた。
何が面白いのか大婆様はくすくす嗤う。小娘の心内なんてお見通しといわんばかりに。
いや、実際、見透かされているのか。
大婆様は嗤う。ずっとずっと、ずっと前から嗤ってる。
もうすぐ何もかもがうまく行くから笑ってる。
櫟井家の未来も自分の身体のことも、次の当主についても。
何もかも上手く行くことに。
大婆様は咲う。閃う。嗤う。
花のように、蝶のように、猫のように。
私とおんなじ顔で破顔う。
私の鎖骨にくちづけながら、呪力を注ぐ。
胸元にいる蝶が大婆様の呪力に反応して熱をもつ。
蛹の中のスープのように私と大婆様の呪力が溶け合う。ゆらゆら、原始スープに揺蕩って。
いつ、私は私ではなくなるのだろうか。
17
「……婚約?私と、君が?」
「そうよ。家同士の決まり」
「いや、でも……」
「もちろん今すぐ結婚なんてしないわ。この業界、古い家柄が多いから形だけでもって五月蝿いの。あなたも後ろ盾が出来るしウィンウィンでしょう?」
「……君はいいのかい?」
「いいって、なにが?」
「それは、だから……私でいいのかって意味だよ。家柄を重視するなら京都にだって同年代はいるだろう」
「さあ。それを決めるのは私じゃないもの」
「……君の気持ちを聞いてるんだ」
「そんなの聞いてなんになるの」
「少なくとも私は、君の意見を聞かない限り納得できないだろうね」
「……前から思ってたけど、あなたってロマンチストね」
「褒めてる?」
「呆れるほどの馬鹿って言ってる」
「辛辣だね」
「光栄に思って」
「私にだけ当たりが強いことに?」
「気付いてたの。お利口ね」
「……悩んだけど、君なりの愛情表現と思えば悪くないかもね」
「気色悪い」
「ついに言ったね」
「顔に出てた?」
「ずっと」
「………」
「みんな知ってたよ」
「嘘」
「私がバラしたからね」
「死ね」
「謝るから蟲をけしかけるのを止めてくれ」
「最低」
「ごめん」
「あんたなんて嫌いよ」
「ボロボロ出てくるね」
「…………」
「でも、君も悪いと思うよ」
「責任転嫁」
「責任とってくれなかったのは君じゃないか」
「知らない」
「知らないとは言わせない」
「私は、知らない」
「去年の初夏のころだ。君と2人でいった任務の帰り」
「知らない」
「雨が降っていた」
「知らない」
「君がくれた飴は甘くて、本当は苦手だった」
「知らない」
「でも、飴のおかげで黒玉の後味は少しマシになった」
「知らない」
「知らないはずがない!」
「でも私は知らない!!」
「……知らない。私は、なにも知らない」
「……」
「知らない私に、あんたはまだ、責任がどうのというの?」
「…………」
「偽善者」
「あんたのそういうところが、大嫌いだったよ」
17.6
暗闇をぼおっと眺めながら思い出す。
この家に連れてこられ、穴蔵から出た後のこと。
お前は器なのだよ。
特別な器なのだよ。
蟲と毒と呪に耐えられる特別な器なのさ。
お前はいい子だね。
とてもいい子だね。
いい子のお前にご褒美をあげよう。
16の年が満ちるまで待ってあげよう。
光栄に思いなよ。感謝を忘れるなよ。
我らが櫟井家に向入れられることを。
我らが櫟井家の礎となることを。
お前はとてもかしこくいい子だね。
お前はとても美しくいい子だね。
特別な、我らの希望の器。
嗚呼、お前が物分かりのいい、いい子で本当に良かった。
余計な手間が掛からなくて。
本当に本当に、良かった。
――黙れクソバエども。
幼く拙い口汚さで罵った精一杯の抵抗も一笑で済まされた。
|愛《う》いね。
大婆様は美しい顔で、私とは違う顔でそれは愉しそうに笑うだけだった。
笑えば母もあんな風に美しかったのだろうか。
おかあさんも、にげたかったのかな。
逃避だったのか冷静だったのか、分からないけれど。
私はきっとここで安心してしまったのだ。
汚れていたのは、私じゃなかったんだなって。
汚れていたのはおかあさんじゃなかったんだって。
私が呪わなくても変わんなかったんだなって。
ぜんぶぜんぶ、こいつのせいなんだって。
もうおかあさんを、きらいにならなくてもいいのかな。
おんなじクズの血が流れてるなら、あの人も、私も。
よごれたまんまでいいや。
しらずしらず、わたしは大婆さまに頭をさげていた。
なぜかそうしなければいけないきがして、心が重たくなった。
のちにそれが調伏の儀と呼ばれるものだということを知った。
魂を術者に完全に支配させるためのものだと。
それは本来なら使い魔を使役する家系の呪術師が行う際にもちいるものだった。
たまたま読んだ文献をみて、ひさしぶりに笑った。
この家では、わたしは使い魔風情と同価値らしい。
16.6
恨めしい。
恨めしい。
嗚呼、恨めしい。
私の顔をして、私の身体で、私のように振る舞い、私の居場所へ行くだろうあの女が恨めしい。16をすぎてから始まった作り替えの儀式は完全に終えられてしまった。使役していた蟲の1匹に追いやられたこの命で、青春の虜になってるクソババアをどうにかしてぶち殺したい。この呪詛さえあの女の糧になってることさえ腹立だしい。恨めしい。嗚呼恨めしい。何も気付かず受け入れた、あの男が何よりも恨めしく口惜しい。
殺したい。誰かのものになるならいっそ。
私を一生の瑕疵にさせてやる。
⁇
ミルク味は甘ったるすぎるから、スッキリした味のものが好きだ。今はもう売ってないキシリクリスタルの葡萄味が一番好きだった。仕方ないから似た味のものを代用する。
小さくなった一欠片を奥歯で噛む。
口いっぱいにハッカの清涼さと葡萄の酸味が広がる。
蟲蔵は倉庫のど真ん中に掘られた深い深い穴で出来ていた。マンホールみたいに重くて厳重な蓋をなんとか引きずって少しずつ隙間を作る。蟲蔵の中は真っ暗で、そこだけぽっかり黒い三日月ができるようだった。
三日月が満月に差し掛かるころで手を止める。
額に汗が吹く。なかなかの重労働だ。
「やあ、待たせたね」
ロープを垂らし、下に呼びかける。
返事はないだろうが関係ない。
ロープを伝い、するすると降りる。
地下なだけあって気温はどんどん下がり引いた汗が冷えてくしゃみが出た。
最下層に降り立つと、無数の目がこちらへ向き飛びかかるので全て払った。
1匹だけ、歯向かわず、うずくまっているのがいた。その小さな蟲をそっと包み込むように捕まえる。蟲は特に抵抗もなく捕まった。
あの頃も、このくらい大人しかったら良かったのにななんて思う。
「君、嘘ついただろ」
「さっき上でキミに聞いたんだ。身体の作り替えが始まったのは16からなんだってね。君が飴玉をくれたのは一年生の頃だった。君の誕生日は3月だ。まだ作り変わる前だよ」
「責任、やっぱりあるじゃないか」
「それに、最後のあれはダメだよ」
「大嫌いだった、なんて」
「こんなことで過去にしたつもり?」
蟲は弱っていて、節足を動かすこともできず、私に無抵抗に摘み上げられる。視線を合わせた小さな眼光だけは私を睨んでいた。知らず、私の頬は弧を描く。
「あの飴の味が忘れられないんだ」
「どこを探しても、あの飴と同じ味を見つけられない」
「違いはなにか、考えたけど」
「今、ここで確かめよう」
舌に踊るあの味は、あの雨上がりの初夏と同じ甘ったるいミルク味とは程遠かったけど。
喉を過ぎ去り臓腑に落ちる心地は、甘美だ。
蠱毒の作り方はシンプルだ。
ツボなどの密閉空間に異なる百種の生物を放り込み、最後の1匹になるまで喰らい合わせる。
蠱毒とは製法のことをいって、正式にはその生成過程の結果生き残ったものが毒の名称になる。
最後の1匹になったものが例えば蛇ならそれは蛇毒に、蛭なら蛭毒といったように名称が決まる。
蟲は毒物をもつ蟲だけではなく人を害する蟲ならなんでもいい。
重要なのは異なる百種を集めること。
大きいものなら狼から、小さいものなら虱まで。
なんでもいい。
それらが人を傷つけ、呪い、憎まれるものならばなんでも。
03
お前さえいなければと、呪う言葉ばかり聞かされ育った。
ゴミ箱にゴミを捨てるように恨み言ばかり聞かされ続けてきた。
時折、気味の悪いナニカが見えて他の人には見えなくて。
小さいものなら踏んだり叩いたりして殺して憂さ晴らししたりする。
それがわたしの世界。
蔑まれるのは別にいい。
疎まれるのも気にしない。
虐げるものは知らんぷり。
あの頃私の世界はたった1人のためだけにあった。
もう一度と、願う、たったそれだけ。
それだけなのに。
ある時いつも私を罵倒する女は、初めて私に微笑んでこう言った。
「ようやく報われた」
私を借金の方に売り飛ばしたあの女は、今頃どんな顔をして笑っているのだろうか。
あぁ、でもきっと。
引き取られた先に待っていた、蔵の中の深く大きな穴に放り込まれた先で思う。
穴の底で暗闇の中を蠢く幾百幾千の息遣いに発狂しながら、頭の片隅で思う。
ずるい。あなただけしあわせになるなんて、ずるい。
あなたのぜんぶ、だいなしになっちゃえばいいのに。
私は初めてヒトを呪った。
憎しみを、怒りを、嘆きを、情けを乞う言の葉。
すべてすべて、毒と呪いと闇に呑まれ。
すべてすべて、呑み下した、今の私が在る。
07
――――――――――――――――――――。
ぶぶぶぶぶぶぶ、ぶぶぶぶぶぶぶ、ぶん、ぶ。ぐち。ぶち・ぶちぶちぶち。
ゥオェ゛ッ。
びちゃ、びちゃ。
さむい。
おなかすいた。
いたい。
くるしい。
ねむたい。こわいよ。くらいよ。むしが、むしを、むし、むし、むし、むしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむしむし、むし。たべなきゃ。
たべられちゃうまえに、たべなきゃ。
重要なのは百種集めること。
大きいものなら狼から、小さいものなら虱まで。
または、人を呪う力を持つ幼子まで。
なんでもいい。
それらが人を傷つけ、呪い、憎まれるものならば。
それらは等しく毒なのだから。
あぁ、だからきっと。あの言葉に間違いない。
貴女はきっと、もう、自由だ。
ぽっかり、しろい、みかづきがふくらんで。
まあるい、おつきさまが、生まれた。
おつきさまから、ほそいほそいイトがたれた。
イトはわたしのまえにおりて、おつきさまから、こえがした。
「あがってこい」
いきてる。
生きている。
分かんないけど、生きている。
あそこから出た後、ひさしぶりのあったかいお風呂に入って身体を綺麗にされて清潔な服を着せてもらってちゃんとしたご飯を食べてふかふかのお布団でぐっすり寝た翌朝。
何がなにかよく分からないけど、このお家の1番偉い人の前に通された。
その人はとてもとても綺麗で、今まで見てきた人のなかでも1番綺麗な人だったけれど、でも綺麗なだけのヒトだった。
大婆さまと皆んなに呼ばれているその人が言うには、わたしは「合格」らしい。
このお家で、私は「お嬢様」として迎えられ、時期当主になるためたくさん勉強することがあると言われた。
まだうまく飲み込めないけれど、とにかく私は生きている。
なんで生きているのか分からないけど、私はこれからこのお家でお世話になってこのお家のために生きていくということだ。
なぁんだ。いつもとおんなじじゃん。
そんなことを思った気がした。
おんなじなんかじゃないと分かったのは、その日の夜のうちだった。
15
おかしなヤツだと、最初に夏油傑という男と対面した時に思った。
術師は非術師を守るのが当たり前だと、そんなことをのたまう頭のおかしいヤツだった。
呪う力を使うのに、正義の味方のような口を聞く。
まるでちぐはぐだ。
その理屈じゃ私はあの女を守るために売られたことになる。術師同士だって、家族だって殺し合う。それがこの世界なのに、この男はまるで分かってない。バカなやつ。
ムカつく。気持ち悪い。とっとと死んじゃえばいいのに。
けどそれ以上に可哀想。
スカウトで来たか知らないけど、なんにも知らずにこんなところに来てしまって。
ここがどんな世界かなんて、この男はまだ理解っていないのだ。
そんな理屈はいつか通らなくなる。
夏油傑と笑い合う顔の下で、お高く止まったその鼻っ柱がバキバキに折れる様が今から見ものだとさえ思っていた。
すぐにそうなる、私とおんなじ所に落っこちてくるって。
そう思ってたのに。
夏油傑はしぶとくて、殊の外世渡りが上手くて。そのうえ今世紀で一番なんじゃないかというような最強を欲しいままにしてる最強クソガキメンタルな五条の若様と仲良くなってしまった。
最悪だ。
うざいクズとめんどくさいクズがニコイチになってしまった。
最厄だ。
空が落っこちてきた方がまだマシだ。
呪術師界隈の足りない知識は五条悟がカバーしてしまう。五条悟の唯我独尊っぷりは夏油傑の、私からすれば偽善に満ちた説法で対等な関係性だと錯覚してしているし。
誰も彼も、当たり前のように受け入れてる。
気持ち悪い。
修復不可能になる仲違いとかしないかな。
そんな愚にもつかない空想ばかりして、彼らと過ごした。
夏油と同じ一般家庭の出の家入梢子は、完全にではないがこの世界がどんな形をしているか勘付いて、一歩引いた距離で接してくれるから、少し息がしやすい。
タバコは嫌いだけど、こちらに過度に干渉しないのもいい。
五条家と私の家は古くから付き合いがあるけどいがみあってて、その縁で顔を合わせたことがある。五条はそのころからあからさまに無視をするけど、別に任務に支障ないから平気だ。
あの男だけだ。
あの男だけが不用意にこちらが引いた線を飛び越えてくる。なにかしたつもりなんて無いのに。なぜかまとわりついてくる。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
私に近寄らないで。
気付いてない。気づかないで。それがどんな意味を持ってるのか奴は分かってない。わからないで。
誰もそれを指摘しない。
私も、いうつもりはない。
もうすぐ夏が来る。
産卵の時期だ。
16
苛ついていた。
約束の期限が近づいていることも、最近やたらと私と夏油傑を一緒にいさせようとする上層部も、何にも知らずにニコニコ偽善絶好調なこの男にも。
色んなことに苛ついて、溜息の代わりにキャンディの消費は日に日に増えていった。
思えば5月の連休に大婆様から呼び出しがかかった時から嫌な予感がしていたのだ。
現・櫟井家当主が生まれる数世代前からご存命らしい大婆様は変わらぬ美貌で私を手招いた。
養母からの呼び出しなら無視していたが、当主より発言権があるこの方に逆らうのは得策ではない。大人しく私はいつも通り彼女の腕の中へ収まった。
着物を幾重にも重ねて誤魔化しているが、私を抱きとめる腕は痩せ細り、薄くなった皮膚は骨が浮き出て少し痛い。ツンと薫る白檀と化粧の香に混ざる、誤魔化せない昏れの匂いが彼女の唯一の欠点。
その匂いを吸い込むと嗚呼、もうすぐなのだと実感する。
大婆様はゆっくり頭から背中へと撫ぜながら、しゃがれた声が鼓膜を打つ。
「お前はほんとうに、美しく、かしこい、良い子に育ったね」
耳が腐る。聞きたくない。
思わず口をついてしまいたくなった言葉を、内頬の肉を噛むことで耐えた。
何が面白いのか大婆様はくすくす嗤う。小娘の心内なんてお見通しといわんばかりに。
いや、実際、見透かされているのか。
大婆様は嗤う。ずっとずっと、ずっと前から嗤ってる。
もうすぐ何もかもがうまく行くから笑ってる。
櫟井家の未来も自分の身体のことも、次の当主についても。
何もかも上手く行くことに。
大婆様は咲う。閃う。嗤う。
花のように、蝶のように、猫のように。
私とおんなじ顔で破顔う。
私の鎖骨にくちづけながら、呪力を注ぐ。
胸元にいる蝶が大婆様の呪力に反応して熱をもつ。
蛹の中のスープのように私と大婆様の呪力が溶け合う。ゆらゆら、原始スープに揺蕩って。
いつ、私は私ではなくなるのだろうか。
17
「……婚約?私と、君が?」
「そうよ。家同士の決まり」
「いや、でも……」
「もちろん今すぐ結婚なんてしないわ。この業界、古い家柄が多いから形だけでもって五月蝿いの。あなたも後ろ盾が出来るしウィンウィンでしょう?」
「……君はいいのかい?」
「いいって、なにが?」
「それは、だから……私でいいのかって意味だよ。家柄を重視するなら京都にだって同年代はいるだろう」
「さあ。それを決めるのは私じゃないもの」
「……君の気持ちを聞いてるんだ」
「そんなの聞いてなんになるの」
「少なくとも私は、君の意見を聞かない限り納得できないだろうね」
「……前から思ってたけど、あなたってロマンチストね」
「褒めてる?」
「呆れるほどの馬鹿って言ってる」
「辛辣だね」
「光栄に思って」
「私にだけ当たりが強いことに?」
「気付いてたの。お利口ね」
「……悩んだけど、君なりの愛情表現と思えば悪くないかもね」
「気色悪い」
「ついに言ったね」
「顔に出てた?」
「ずっと」
「………」
「みんな知ってたよ」
「嘘」
「私がバラしたからね」
「死ね」
「謝るから蟲をけしかけるのを止めてくれ」
「最低」
「ごめん」
「あんたなんて嫌いよ」
「ボロボロ出てくるね」
「…………」
「でも、君も悪いと思うよ」
「責任転嫁」
「責任とってくれなかったのは君じゃないか」
「知らない」
「知らないとは言わせない」
「私は、知らない」
「去年の初夏のころだ。君と2人でいった任務の帰り」
「知らない」
「雨が降っていた」
「知らない」
「君がくれた飴は甘くて、本当は苦手だった」
「知らない」
「でも、飴のおかげで黒玉の後味は少しマシになった」
「知らない」
「知らないはずがない!」
「でも私は知らない!!」
「……知らない。私は、なにも知らない」
「……」
「知らない私に、あんたはまだ、責任がどうのというの?」
「…………」
「偽善者」
「あんたのそういうところが、大嫌いだったよ」
17.6
暗闇をぼおっと眺めながら思い出す。
この家に連れてこられ、穴蔵から出た後のこと。
お前は器なのだよ。
特別な器なのだよ。
蟲と毒と呪に耐えられる特別な器なのさ。
お前はいい子だね。
とてもいい子だね。
いい子のお前にご褒美をあげよう。
16の年が満ちるまで待ってあげよう。
光栄に思いなよ。感謝を忘れるなよ。
我らが櫟井家に向入れられることを。
我らが櫟井家の礎となることを。
お前はとてもかしこくいい子だね。
お前はとても美しくいい子だね。
特別な、我らの希望の器。
嗚呼、お前が物分かりのいい、いい子で本当に良かった。
余計な手間が掛からなくて。
本当に本当に、良かった。
――黙れクソバエども。
幼く拙い口汚さで罵った精一杯の抵抗も一笑で済まされた。
|愛《う》いね。
大婆様は美しい顔で、私とは違う顔でそれは愉しそうに笑うだけだった。
笑えば母もあんな風に美しかったのだろうか。
おかあさんも、にげたかったのかな。
逃避だったのか冷静だったのか、分からないけれど。
私はきっとここで安心してしまったのだ。
汚れていたのは、私じゃなかったんだなって。
汚れていたのはおかあさんじゃなかったんだって。
私が呪わなくても変わんなかったんだなって。
ぜんぶぜんぶ、こいつのせいなんだって。
もうおかあさんを、きらいにならなくてもいいのかな。
おんなじクズの血が流れてるなら、あの人も、私も。
よごれたまんまでいいや。
しらずしらず、わたしは大婆さまに頭をさげていた。
なぜかそうしなければいけないきがして、心が重たくなった。
のちにそれが調伏の儀と呼ばれるものだということを知った。
魂を術者に完全に支配させるためのものだと。
それは本来なら使い魔を使役する家系の呪術師が行う際にもちいるものだった。
たまたま読んだ文献をみて、ひさしぶりに笑った。
この家では、わたしは使い魔風情と同価値らしい。
16.6
恨めしい。
恨めしい。
嗚呼、恨めしい。
私の顔をして、私の身体で、私のように振る舞い、私の居場所へ行くだろうあの女が恨めしい。16をすぎてから始まった作り替えの儀式は完全に終えられてしまった。使役していた蟲の1匹に追いやられたこの命で、青春の虜になってるクソババアをどうにかしてぶち殺したい。この呪詛さえあの女の糧になってることさえ腹立だしい。恨めしい。嗚呼恨めしい。何も気付かず受け入れた、あの男が何よりも恨めしく口惜しい。
殺したい。誰かのものになるならいっそ。
私を一生の瑕疵にさせてやる。
⁇
ミルク味は甘ったるすぎるから、スッキリした味のものが好きだ。今はもう売ってないキシリクリスタルの葡萄味が一番好きだった。仕方ないから似た味のものを代用する。
小さくなった一欠片を奥歯で噛む。
口いっぱいにハッカの清涼さと葡萄の酸味が広がる。
蟲蔵は倉庫のど真ん中に掘られた深い深い穴で出来ていた。マンホールみたいに重くて厳重な蓋をなんとか引きずって少しずつ隙間を作る。蟲蔵の中は真っ暗で、そこだけぽっかり黒い三日月ができるようだった。
三日月が満月に差し掛かるころで手を止める。
額に汗が吹く。なかなかの重労働だ。
「やあ、待たせたね」
ロープを垂らし、下に呼びかける。
返事はないだろうが関係ない。
ロープを伝い、するすると降りる。
地下なだけあって気温はどんどん下がり引いた汗が冷えてくしゃみが出た。
最下層に降り立つと、無数の目がこちらへ向き飛びかかるので全て払った。
1匹だけ、歯向かわず、うずくまっているのがいた。その小さな蟲をそっと包み込むように捕まえる。蟲は特に抵抗もなく捕まった。
あの頃も、このくらい大人しかったら良かったのにななんて思う。
「君、嘘ついただろ」
「さっき上でキミに聞いたんだ。身体の作り替えが始まったのは16からなんだってね。君が飴玉をくれたのは一年生の頃だった。君の誕生日は3月だ。まだ作り変わる前だよ」
「責任、やっぱりあるじゃないか」
「それに、最後のあれはダメだよ」
「大嫌いだった、なんて」
「こんなことで過去にしたつもり?」
蟲は弱っていて、節足を動かすこともできず、私に無抵抗に摘み上げられる。視線を合わせた小さな眼光だけは私を睨んでいた。知らず、私の頬は弧を描く。
「あの飴の味が忘れられないんだ」
「どこを探しても、あの飴と同じ味を見つけられない」
「違いはなにか、考えたけど」
「今、ここで確かめよう」
舌に踊るあの味は、あの雨上がりの初夏と同じ甘ったるいミルク味とは程遠かったけど。
喉を過ぎ去り臓腑に落ちる心地は、甘美だ。
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